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2010年10月23日(土) ■ |
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GREEが「ソーシャルゲームの運営で、つねに注意していること」 |
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『週刊東洋経済』2010年10月9日号(東洋経済新報社)の記事「モバゲー・グリー・ミクシィ 疾走!3大SNS」より。
【グリーの主力タイトルの一つの育成ゲーム『クリノッペ』等を開発した、荒木英治・メディア開発本部ソーシャルネットワーク統括部長は言う。「もともとSNSを活性化させる仕掛けとしてゲームを導入した。知らない人同士でも、ペットをきっかけに会話が弾むことはよくある。これをSNSに導入した」。 『クリノッペ』は、ユーザー同士がペットを交流させながら育てていくところがポイント。衣装などを有料アイテムとして販売する仕組みだが、子ども同様に『クリノッペ』に手を掛け、他人に見せびらかしたくなるという心理を突いている。 また、運営でつねに注意しているのが、「無料ユーザーでも楽しめること」(荒木氏)。全ユーザーに占める課金ユーザーの割合は業界平均で8〜10%といわれるソーシャルゲーム。課金ユーザーと無料ユーザーで有利不利の差を付けすぎると会員の広がりを欠く。 ソーシャルゲームのユーザーがお金を払うのは、”優越感を得る”ためであり、優越感の対象となる無料ユーザーが少なければ、結果的に課金ユーザーも増えないわけだ。
「ソーシャルゲームは、既存のゲームユーザーとは違う市場に刺さっている。ソーシャルゲームを既存ゲームの延長線上にある市場ととらえたら見誤る」。こう語るのは、ディー・エヌ・エーの小林賢治・執行役員ソーシャルメディア統括部長だ。 ディー・エヌ・エーはSNS「モバげータウン」を運営する中で、無料のライトゲームを主力コンテンツと位置付けてきた。しかし、昨年後半から、一気にソーシャルゲーム主体の運営に舵を切った。グリーに先行を許していたものの、すでにモバゲーで囲い込んでいたゲーム好きのユーザーに見事に刺さり、昨年(2009年)10月リリースの『怪盗ロワイヤル』は大ヒットタイトルになった。 携帯電話ならではの特徴が織り込まれている点も、携帯電話用ソーシャルゲームの特徴だという。「ゲーム専用機やパソコン用のゲームは、1回始めたら1時間程度は腰を据えて行うのが普通。これに対して、携帯電話のソーシャルゲームは1回3〜5分程度を断続的に行うもの。この時間である程度の達成感をもたらす必要がある」(小林部長)。 また、「頻繁にゲームバランスのチューニング(調整)を行うことが、継続的に利用者を拡大させるポイント」とも言う。ソーシャルゲームは多くのプレイヤーが同時に参加するゲームのため、初心者・ライトユーザーと、ヘビーユーザーが入り交じる。このとき、ライトユーザーが、バトルなどでヘビーユーザーの”カモ”になってしまうようでは、市場を拡大できない。その一方で、ライトユーザーに合わせていれば、課金収益の核となるヘビーユーザーに飽きられる。 この相反する要求に応えるため、ゲーム内のユーザーの活動状況に応じて、難易度はアイテムの流通度合のバランスを時間単位で調整しているのだ。 調整の単純な例はユーザー同士の強さのバランス。極端に強くしすぎてはならず、逆にある程度の強さには、比較的容易に達成できなければならない。 アイテムの価値の調整も重要。ゲームが進むにつれてユーザーの経験値(利用時間)は必ず上がるので、経験値に応じて与えるポイント(アイテムの購入に使える仮想通貨)はインフレを起こす。したがって定期的に、一定程度のデノミが不可欠になるが、調整を間違えると反発を買うため、さじ加減が微妙だ。 バランス調整は多くの場合は気付かれない程度の微調整を繰り返すレベルだが、ゲームの根幹を変えるほどの変更を行ったこともある。それによってまったくの不人気タイトルが一気に人気化することもあるという。「ユーザーの動きに応じて、PDCAサイクルを異様なほどの超高速で回すのが、ソーシャルゲームの運営だ」(小林部長)。】
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ちなみに、引用部の最後にある「PDCAサイクル」とは、【事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4 段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する】(Wikipedia)というものだそうです。 僕はこの特集記事を読むまで、「ソーシャルゲームって、すぐ作れるようなゲームでどんどんお金が稼げて、なんかちょっとズルいよなあ。なんでみんなあんな簡単なゲームで遊ぶのだろう?」と疑問だったのです。 グリーの『釣り」だって、ディー・エヌ・エーの『怪盗ロワイヤル』だって、専用機のゲームに慣れ親しんでいる僕にとっては、「せいぜい、初代ゲームボーイくらいのクオリティのゲーム」にしか見えなかったので。
でも、この記事を読むと、ソーシャルゲームの運営というのは、けっして「簡単なゲームを公開していれば、複雑なゲームについていけないユーザーがどんどん食いついてきてくれて、お金を落としてくれる」なんて甘いものではないということがわかります。 とくに「ゲームバランスの調整」というのは、全員が「一定額の課金ユーザー」である専用機の非ネットゲームよりも難しそうです。 「無料ユーザー」と「課金ユーザー」という条件が違う人たちが、同じゲーム世界のなかでそれぞれ満足するようにしなければならないし、「課金ユーザー」も、「お金を使った人は、使った金額に見合う満足感を得られるように」していかなければなりません。 長い間運営していると、ユーザーの間の「格差」が広がってきたりして、「ゲーム内の世界」そのものがどんどん変わっていく、ということもありますし。 それにしても、「難易度やアイテムの流通度合を時間単位で調整している」というのは、メーカーにとってはかなりの負担ではありますよね。 でも、それをやらないと、ゲーム内の世界はすぐに「崩壊」してしまう。
ソーシャルゲームの運営というのは、僕がイメージしていたよりもずっと難しくて、微妙なバランスの上に成り立っているようです。 「テレビCMをたくさん流しているだけで、ユーザーがどんどん増える」というわけではないんですね。
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2010年10月12日(火) ■ |
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「恋愛の達人」と「生まれてこの方浮気したことない男」 |
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『のはなしさん』(伊集院光著・宝島社)
【よく呼んでもらっているトーク番組。大先輩お笑い芸人の仕切る中トークは盛り上がる。途中デブネタの中心もさせてもらいつつ、話題は恋愛の話、そして前述の「男だったら浮気して当たり前」展開に。隣の席に恋愛の達人的な男性芸能人がいたこともあり、僕は早めにバントの構え。ところが、この恋愛の達人が「そうだよね、このケースだったら、手を出さない男はいないよね」と僕に振ってきたから困った。 正直に書いてしまうと、僕は「男は浮気するのが当たり前」というトークと同じくらい、スキャンダルの多い男性を「恋愛の達人」とする空気にも不満を持っている。勿論すっぱいぶどうのやっかみ9割でだが「いっぱい恋愛してるってことはいっぱい別れてるってことだろう、まして離婚をなんどもして、前のかみさんには子供もいて『恋愛の達人』ってことは、ないだろう。しかもこの人すげえ自負してて、アドバイスとかしてくるし、うちの親父の方がブサイクなかみさんもらって浮気もせずに半世紀、1打数1ポテンヒットの10割バッターだぞ、よっぽど達人だ…まあ、あの瓶底眼鏡のおっちゃんが恋愛の達人ではないまでも、あんたはせめて『いっぱい綺麗な人とやってる人』くらいのキャッチフレーズで止めておけよ!」とか思ってる。しかし、僕のすっぱいぶどうは広大なぶどう園だな。 直接振られてしまった以上、何かいわないと全肯定になっちゃうと思った僕は、思わず自分の脳内から出ていたバントのサインを無視して、思い切りバットを振った。 「僕、生まれてこの方浮気したことないんで」 「ええ!?」っと驚く達人。「ほんまかいな?」と司会の大先輩芸人。 「もうどうにでもなれ!」と「まあ、モテないんでチャンスがなかったってのもありますけど、僕、かみさんがもし死んだら、次の日死ぬかも知れないって思ってます!」 こんなのが口から出た。 この言葉に大先輩はウケてくれた上に、キチンと流れを戻してくれて、そのまま盛り上がって番組収録は終了、かなり長時間に渡って様々な話題を撮ったので、カットされるだろうと思ったのだが、キチンと放送されたらしく、かみさんが「買物に行ったら八百屋のおじさんがね『昨日テレビ見たけど俺も母ちゃん一筋だ!』ってのろけてたよ、ペット病院でも冷やかされたよ。でも、そんなに好きなら、死ななくていいから脱いだ靴下を洗濯カゴに入れてね」などといってきた。「照れくさかったけどいって良かった」と思った。】
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僕も「浮気したことがない男」なので、この伊集院さんのエッセイには勇気づけられましたし、「うんうん」と頷きながら読みました。 まあ、それも「モテないんでチャンスがなかったから」ではあるんですけどね。 実際に、魅力的な女性があちらから寄ってきたら、本当に「断固お断り」できる自信はあんまりないかもしれません。 それでも、「何度も浮気をしたり、相手をとっかえひっかえしたり、子どもをつくっては離婚したり」というのが「恋愛の達人」っていうのは、僕もおかしいと思うんですよ。 そんな、周りに迷惑をかけてばかりの「達人」って、ありえないだろう、と。 たしかに、ちょっと羨ましい、と感じるところもあるのですけど。
しかしながら、「男同士の会話」のなかで、「そうだよね、このケースだったら、手を出さない男はいないよね」という流れになってしまったら、「そんなことないだろ」と言い切れる男はそんなにいないと思うんですよ。「据え膳食わぬは男の恥」なんて言葉もあるくらいで、「男らしさ」と「性的な奔放さ」というのは、リンクしているイメージがあるのです。 そのケースで、「オレは手を出さない」なんて言ったら、場も白けるし、仲間内で「男らしくないヤツ」と認定されるのではないかと不安になるんですよね。 それを、テレビ番組のなかで、「浮気したことないし、嫁さんが死んだら翌日に死ぬ」と言い切った伊集院さんは、本当にすごい。 オンエアされないだろうと思っていたのだとしても、テレビのトーク番組のなかでは、「異質」な立ち位置だろうし。
ただ、僕は「浮気をするかどうか」というのは、モラルやパートナーへの愛情の問題だけではなくて、その人の「生命力」とか「精力」みたいなものが大きな因子ではないかとも感じています。 僕が「浮気をしない理由」は、妻や子供への愛情だけではなくて、「浮気をして、ただでさえめんどくさい人生を、さらにめんどうなものにしたくない」という「現状維持がラクでいいという気持ち」が大きいのではないかと。ずっと同じ相手なら、いちいちあれこれと説明しなくても良いですしね。 その一方で、「同じ相手とずっといると飽きる」あるいは「相手がひとりだと、精力をもてあましてしまう」というタイプの人もいるみたいです。 「刺激が無い関係」に耐えられない、という人は、確実にいるようで、これはもう「モラル」というより、「人種の差」のようにすら感じるのです。
僕個人としては、「浮気をしないのも人生だし、『恋愛の達人』にはなれなくても、穏やかに暮らせれば、それが一番いい」というのが正直な気持ちで、それは「生まれつきの趣向」でしかなくて、「素晴らしい」とか「真面目」って褒められるようなものじゃないな、と考えています。 まあ、そんなことを言いながらも、死ぬまで浮気しないかと問われたら、「絶対」とは言いきれないのが、恋愛の難しさ、ではあるんですけどね。
ちなみに、このエッセイ、このあと、伊集院さんのもとに「本物の『恋愛の達人』からのメッセージ」が届きます。 どんなものか気になる方は、ぜひ『のはなしさん』を読んでみてください。どこにでもある話なのかもしれないけれど、僕も読んで感動しました。 『のはなしさん』の、いちばん最初に載っているエッセイです。
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