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2010年09月27日(月) ■ |
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レンタカーを無料で利用する方法 |
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『ゼロ円ビジネスの罠』(門倉貴史著・光文社新書)より。
【これまで紹介してきた広告依存型モデルやフリーミアムモデルに比べると、まだそれほど事例が多いわけではないが、「ゼロ円ビジネス」でコストを浮かせてしまうという斬新なビジネスモデルも登場している。 このタイプの「ゼロ円ビジネス」の代表格として、無料のレンタカービジネスが挙げられるだろう。 レンタカーのゼロ円ビジネスを展開しているのは、ニュージーランドにある「トランスファー・カー(Transfercar)」という会社だ。 ただし、利用者が無料でレンタカーを運転するには、18歳以上で運転免許証保持者であることはもちろん、「トランスファー・カー」が提示する乗る場所と目的地、乗るクルマ、期日といった細かい条件を満たさなければならない。 無料レンタカーの利用を希望する人は、毎日更新される「トランスファー・カー」のサイト上で、無料レンタカーの詳細な条件を調べる。「トランスファー・カー」のサイトだけでなく、SNSのフェイスブック、ブログ、ミニブログのツイッターなどでも無料レンタカーに関する詳細情報を入手できる。 そして、利用者は自分の目的に合ったルートやクルマ、時間があれば、そのままサイトで予約をすることができるという仕組みになっている。 実は、「トランスファー・カー」は、多数のレンタカー会社と契約をしており、出発地以外の場所で乗り捨てられたレンタカーの情報を常時収集しているのだ。 レンタカーの会社は、あちこちで乗り捨てられたレンタカーやキャンピングカーを各地点にある営業所に戻さなければならない。通常、レンタカーやキャンピングカーを決められた営業所に戻す作業はレンタカー会社の従業員が行うのだが、その作業には人手が必要だし、何よりもコストがかかる。 コストのかかるレンタカーの運搬作業をレンタカーの利用者に代行してもらおうというのが、無料のレンタカービジネスなのである。「トランスファー・カー」はレンタルが成約するごとにレンタカー会社から少額の手数料を受け取っており、それが収益源になっているのだ。 レンタカーの会社はコストが浮くし、レンタカーの利用者は条件さえ適合すれば無料でレンタカーを借りられて交通費を浮かせることができる。 無料のレンタカービジネスは、企業と消費者の双方にメリットをもたらす、まさに一石二鳥の「ゼロ円ビジネス」と言えるだろう。】
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いわゆる「ゼロ円ビジネス」、パソコンやネットの世界ではとくに目立つような気がします。 しかしながら、これだけ「ゼロ円」が多くなってきたなかで、「本体はゼロ円でも、義務付けられているプロバイダーに規定どおりの期間加入すれば、結局は割高になる」とか、「肝心の機能は有料版にしかついていない」とかいうようなケースもけっこうあって、逆に「ゼロ円は、かえって高くつくことがある」のもまた事実です。
僕はこの「レンタカーがタダになる」という話を読んで、最初は、「レンタカー会社が宣伝のために『無料キャンペーン』をやっているのかな」と思いました。 レンタカーという商品の性質上、「お試しはタダ」とか「何km以上は有料」というのではビジネスとして成り立たないだろうから。
でも、世の中には、うまいことを考える人がいるものなんですね。 たしかに、こんなふうに「お客さん」をうまく利用すれば、本来必要な「車を動かすための人的コスト」を減らすことができるものなあ。 「お金がもらえるものをタダにする」のではなく、「必要なお金(コスト)を削減する」というのも、たしかに企業にとってはプラスになります。 「車を動かす」という場合、お金だけではなく、どうしても「人手」が必要になりますしね。 これはまさに、リアルタイムで大きなデータが確実にやりとりできるようになった「ネット社会」ならではのアイディア。
もっとも、こういうのは「ある一定の数、ちゃんと有料のレンタカーを借りる人がいる」という前提がないと成り立たたないのですが、「無料ビジネス」には、こういう上手い方法もあるんですね。
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2010年09月19日(日) ■ |
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ほとんどクレームが無い「通販の目玉商品」 |
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『通販―「不況知らず」の業界研究』(石光勝・柿尾正之共著:新潮新書)より。
【ここまで悪徳業者については触れましたが、実際には洋の東西を問わず、業者を手玉にとろうとする購買者もいるのです。当事者にはともかく、第三者にはご愛嬌のエピソードを二つ、三つご紹介しましょう。 通販では、期間内に返品できるクーリング・オフという制度は適用されません。しかし、返品できるかどうか、また返品の条件を表示することが義務づけられています。そして実際には、返品に応じています。それを悪用して、使ってから返す客がいないわけではありません。ことに礼装の場合に多いのは日本でもアメリカでも一緒で、タキシードの返品を売り直したら、ポケットからハンカチが出てきて怒られたとか、ウエディング・ドレスを使ってから返された、なんてこともよく耳にしました。「二度と使わない」という花嫁の誓いならば、少しは救われるのですが。 限定商品の数が、問題のタネになったこともあったそうです。 高級バッグを30個限定と謳って、それ以上売った業者がいましたが、その筋らしい客がやってきて、「本当に30個だけなんだな」と確かめたといいます。むろん「はい」と答える。そうしたら、「うちの身内だけでも31個買ってる。おかしいじゃねえか」とすごまれたとか。さて、どうやってケリをつけたのでしょう。 ここまでプロ的でないとしても、世の中にはちょっとした瑕疵をネタに無理難題を押しつけたり、いわれのない難癖をつけたりするのを趣味としている人も結構います。クレーマーと呼ばれるそんな業者泣かせの人たちのなかには、歴とした奥様もいたりして驚かされるそうです。 ところで、通販の目玉商品の健康器具には、ほとんどといっていいくらいクレームがありません。というのも、効果を確かめる前にやめてしまうからです。 「そういや、おれは子供のころから三日坊主だったな」 ほとんどの人が、そんなふうに反省しながら、諦めて、納得してしまうのでしょう。】
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一昔前の「通販」といえば、テレビショッピングやラジオショッピング、あるいはカタログショッピングが主で、一部の「通販好き」以外にとっては、「興味はあるけど、どんな物が届くかわからない」と敬遠されがちでした。現物がを手にとることができないのを良いことに、「安かろう、悪かろう」という品物をつかまされたという話を耳にすることもありましたし。
しかしながら、ネットにより、「通販」のイメージや便利さには劇的な変化がみられるようになりました。僕もAmazonをよく利用していますし、「安くてなんでも手に入るし、自宅まで送ってくれる(これは、自宅を空けることが多い一人暮らし時代にはけっこう困っていたのですけど)」通販というのは、もはや、生活に不可欠な存在です。 夜中の通販番組は、いまや、深夜テレビの「名物」になっています。
参考リンク:「あなたがダイエットに失敗した理由を、原稿用紙10枚に書きなさい」
いまでも、上掲の参考リンクで告発されているような「悪徳業者」は存在しているようですが、この『通販』の文章を読むと「ひどい購買者」というのも、それなりにいるみたいです。 通常の店であれば、返品の際に品物をチェックして、「これは一度着ているんじゃないですか?」と確認することもできるのでしょうが、通販というのは、売る側にとってもリスクがけっこう高い面はありそう。 しかし、ウエディングドレスはさすがに一度着ればわかるよね……
僕の家にも、通販で売られていた「健康器具」がありますし、あの「Billy's Boot Camp」も買いました。 ああいう「健康器具」って、売られているときには、「1日わずか10分この上に乗るだけで、引き締まった身体に!」なんて売り文句に「たった10分くらいならできるだろう」と乗せられてしまうのですが、実際は「毎日10分ずつ」というのは、できそうでなかなかできるものじゃありません。 たしかに、「自分がちゃんと使用していないのだから、クレームのつけようがない」のです。 「Billy's Boot Camp」なんて、「あんなハードな運動をちゃんとやれば、そりゃ痩せるだろうけど……」と愚痴るしかない。
いつのまにか、大きな健康器具は粗大ゴミになってしまうのですが、前とちょっと違うだけで、同じ動きをするような機械でも、テレビで観ると、「今度は大丈夫、たった10分だし!」と、つい買いたくなってしまうんですよね。
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2010年09月11日(土) ■ |
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「『患者さま』と呼びましょう」により、病院の中で起こったいくつかの変化 |
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『街場のメディア論』(内田樹著・光文社新書)より。
【少し前に、ある国立大学の看護学部に講演で招かれたことがありました。講演の前に、ナースの方たちと少しおしゃべりをしました。そのときに、ナースセンターに貼ってあった「『患者さま』と呼びましょう」というポスターに気づきました。「これ、なんですか?」と訊いたら、看護学部長が苦笑して、そういうお達しが厚労省のほうからあったのだと教えてくれました。 僕はそれを聞いて、これはまずいだろうと思いました。これは医療の根幹部分を損なう措置なんじゃないかと思って率直にそう言いました。その場にいたおふたりとも頷いて、興味深い話をしてくれました。 「患者さま」という呼称を採用するようになってから、病院の中でいくつか際立った変化が起きたそうです。一つは、入院患者が院内規則を守らなくなったこと(飲酒喫煙とか無断外出とか)、一つはナースに暴言を吐くようになったこと、一つは入院費を払わずに退院する患者が出てきたこと。以上三点が「患者さま」導入の「成果で」ですと、笑っていました。 当然だろうと僕は思いました。というのは、「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引モデルで考える人間が思いついたものだからです。 医療を商取引モデルでとらえれば、「患者さま」は「お客さま」です。病院は医療サービスを売る「お店」です。そうなると、「患者さま」は消費者的にふるまうことを義務づけられる。 「消費者的にふるまう」というのは、ひとことで言えば、「最低の代価で、最高の商品を手に入れること」をめざして行動するということです。医療現場では、それは「患者としての義務を最低限にまで切り下げ、医療サービスを最大限まで要求する」ふるまいというかたちをとります。看護学部長が数え上げた三つの変化はまさにこの図式を裏書きしています。 厚労省がこんな奇妙な指示を発令したのは、彼らが社会関係はすべからく商取引モデルに基づいて構想されるべきだという信憑の虜囚になっているからだと僕は思います。 小泉純一郎内閣のときににぎやかに導入された「構造改革・規制緩和」政策とは、要するに「市場に委ねれば、すべてうまくゆく」という信憑に基づいたものでした。「市場原理主義」と呼んでもいいし、「グローバリズム」と呼んでもいい。行政改革にも、医療にも、教育にも、さまざまな分野にこの信憑がゆきわたりました。 すべては「買い手」と「売り手」の間の商品の売り買いの比喩によって考想されねばならない。消費者は自己得利益を最大化すべくひたすらエゴイスティックにふるまい、売り手もまた利益を最大化するようにエゴイスティックにふるまう。その結果、両者の利益が均衡するポイントで需給関係は安定する。市場にすべてを委ねれば、「もっとも安価で、もっともクオリティの高いものだけが商品として流通する」理想的な市場が現出する。市場は決して選択を誤らない。というのが「市場原理主義」という考え方でした。 そのモデルを行政もメディアも、医療にも適用しようとしました。その結果が「できる限り医療行為に協力せず、にもかかわらず最高の医療効果を要求する患者」たちの組織的な出現です。 僕はそういう患者のありようについて、個人的な人格的欠点をあげつらってもあまり意味がないだろうと思います。だって、これは患者たちひとりひとりの個別的な選択ではなく、イデオロギー的に勧奨されたふるまいだからです。そういうふうにふるまえば、どんどん医療の質が上がりますよ、と。そう言われたから、患者たちは、おそらくは善意に基づいて院内規則を破ったり、看護師に暴言を吐いたりしているのです。僕が問題だと思うのはこのことです。 自分が「悪いことをしている」という自覚があって、それでも「公共の福祉より自己利益を優先させるぞ、オレは」と肝を括って悪事をする人間なんか現実にはほとんどいません。人間はなかなかそんなに悪くはなれない。人間が悪いことを平然とできるのは「そうすることがいいことだ」というアナウンスを聞きつけたからです。 この「患者さま」たちはたぶん主観的には「日本の医療を改善する」ことに貢献しているつもりでいるのです(完全には信じていないにしても、半信半疑程度には)。そして、その確信を支えているのはメディアが「消費者モデル」の有効性を声高に賛美しているからです。万人が消費者として容赦なくふるまうとき、市場は最高の状態に向かってまっしぐらに進化してゆく。このイデオロギーはもともと行政が主導したものですけれど、メディアはこのイデオロギーの普及に積極的に加担してきました。僕が知る限り、医療機関に対して仮借ない批判を向けることによってのみ医療の質は改善され医療技術の水準は向上するという信憑をメディアは一度も手放したことがありません。 さすがに医療崩壊がここまで進行すると、あまり「仮借ない」のもどうかな……というくらいの自制心は出てきたかもしれませんが、それでも自分たちが展開してきた医療批判が医療崩壊という現実を生み出した一因だということをメディアは認めない。】
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僕自身の感触としては、「患者さま」という呼びかたがすすめられるようになった時期と、病院で患者さんの暴言や問題行動が目立つようになった時期は「同じくらいの時期」という印象で、どちらが先なのかは、はっきりしないのですけど、それは、僕がずっと田舎の病院に勤めていたからなのかもしれません。 でも、ここで内田先生が指摘されているような「変化」は、医療の仕事をしている人間の多くが感じていることだと思います。 「できる限り医療行為に協力せず、にもかかわらず最高の医療効果を要求する患者」たとえば、「食事療法をするつもりがないのに、血糖値のコントロールが悪いのは医者の治療が悪いからだと主張する患者」「末期がんの状態で見つかったのに、治療ができないのは『医者の腕が悪い』からだと罵る患者」などは、僕が医者になった15年前くらいにもいたのですが、その数はどんどん増えてきているような気がします。 そして、急患治療中であることをアナウンスしているのに、外来で「どうして予約の時間に診ないんだ!」と看護師に詰め寄る人も少なくありません。 こういうのは「もし自分がいま、心臓マッサージを行われている患者だったら……」という想像力がはたらかないのだろうか?と思うのですが、「消費者的なふるまい」だとすると、なんとなく合点がいきます。 週刊誌やテレビなどで採り上げられている「病院の選びかた」なんて、「とにかくクレームをつけてみて、自分が優先的に診てもらえるようなら儲けもの」あるいは、「雑誌やネットで見た不確かな知識を、とにかくぶつけてみて反応をみてみましょう」という感じのものばかりですし。
この文章を読んで、ようやく納得できたのですが、要するに医療の世界に「市場原理主義」が導入されることによって、患者さんたちは、「交渉次第によって、もっといい医療が受けられるはず」という確信を持っているのでしょう。 家電量販店で値切ることによって、値引きやポイントがつけられるように、「病院とか医者というのは、100%の力を出さずに利益を享受し、無知な患者から利益を貪っている」。だから、「プレッシャーをかけることによって、顧客はより良いサービスを受けられるはず」。
実際は、そんなことはないんです。 たとえば病室の居心地のよさとか、病院食の味などについては、たしかに、まだまだ改善の余地はあると思いますが、治療に関しては、「いろんなコストの問題などもあるけれど、とにかくその患者さんにとってのベストを尽くす」しかありません。 「手抜き医療」のリスクを現場はよく知っていますし、そもそも、同じ人間として、「お金のために、助かるはずの人を、あえて助からないようにする」ようなことをやりたがる人が、いると思いますか? 過去には、そのような「必要ない手術をした病院」が摘発されたことがあるのも事実ですが……
僕は何人もの患者さんから、「患者さま」って、お客様扱いされるのは、かえって気味が悪い、という話を聞きました。よそよそしくて冷たい感じがする、とも。 もっとも、こういう感覚を持つ人は高齢の患者さんに多いようなので、将来的には「『患者様』が治せと言ったのに、治さないのかこのヤブ医者!」みたいな人ばっかりになっていくしかないのかもしれませんね。つらいなそれは……
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2010年09月04日(土) ■ |
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深夜の古本屋の「一枚でも怖ろしい張り紙」 |
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『本当はちがうんだ日記』(穂村弘著・集英社文庫)より。
【例えば、家の近所の本屋のシャッターには「テレビは国を滅ぼす」「みるなテレビジョン」「テレビ悪」などと大書されている。店主が自分で書いたのだ。昔の暴走族のようにスプレーを使ったらしい。殴り書きの文字はインパクトがあるが、本屋ということを考えると内容的には一応筋が通っているとも云える。「本を読め」と遠回し(?)に云っているのだろう。 たまたま入ったローソンの店内が、張り紙だらけだったこともある。「万引きお断り」とか「静かに」とか、棚の前には「ここにもたれるな」とか、まあこちらも書かれた内容というか意味はわかるのだが、店中におフダのように散らばった張り紙の数が半端ではないし、それが達者な毛筆なのも異様である。またいわゆる個人商店ではなくてローソンというところが、なんとも凄い雰囲気を作り出している。コンビニエンス・ストアという定型的で明るい現実の上に、誰かのあたまの中身がそのまま流れ出したようなのだ。 ひとりごと女といい、張り紙ローソンといい、あたまの中身が流れ出す、というのがこういう場合のセオリーなのだろうか。 一枚でも怖ろしい張り紙はある。それをみたのは深夜の古本屋だった。無表情な初老の男性がひとりでやっている店の、殺風景な店内に、唯一の張り紙として「それ」はあった。曰く「女子中学生は立読自由」。 もしも私が女子中学生で、立ち読みをしながら、ふと目を上げたとき、顔の前にその張り紙があったら凍りつくだろう。「立読厳禁」や「万引きは警察に通報します」ならぜんぜん怖くないのだが。 だが、ローソンにしろ本屋にしろ、張り紙の主はまがりなりにも店長や経営者である。彼らは「テレビ悪」とか「女子中学生は立読自由」とか、あたまの中身を垂れ流しながらそれなりに逞しく生きているのだ。そう考えると、あれこれを気を遣って、しょっちゅうもう駄目だと思いながら、びくびく暮らしている自分が虚しくなる。】
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僕がいま住んでいる街にも、こういう「謎の張り紙ショップ」があるんです。そこは自転車屋なんですが、店の宣伝から、エリカ様ネタ、小沢さんへの批判まで、白い半紙に毛筆で書かれたものが、店の表面を覆い尽くしています。 中に入ったことはないので、店内がどうなっているのかは、わからないんですけど。 僕はこの店を最初に目にしたとき、「あっ、これ『VOW』に載りそう!」って思いましたが、この穂村さんの文章を読むと、こういう「張り紙ショップ」って、全国にけっこう散在しているのかもしれませんね。
ここに紹介されているもののなかでは、『張り紙ローソン』にはちょっと驚きました。 ローソンって、フランチャイズ制のはずですから、本部の人が定期的に巡回に来るはずなのに、こういうのを「注意」しないのでしょうか? それとも、「そのくらいは店主の裁量」なの? 界隈にコンビニがこの1件、というような状況でなければ、個人的にはこういう店は避けたいところです。 買いたいものを買って出るだけなら、別に気にする必要はないと言われれば、その通りなんですが。
それにしても、この「女子中学生は立読自由」って張り紙は、たしかに強烈です。僕が女子中学生でこの古本屋に入り、この張り紙を見つけたら、絶対にダッシュで逃げます。 「○○は禁止!」って言われるのは不快ですが、「××だけは自由」っていうほうが、はるかに不気味。 この店主は、女子中学生が大好きだから「立読自由」なのか、それとも、ある種の「嫌がらせ」として、こんな張り紙をしているのか…… しかも、これが「唯一の張り紙」だなんて。
全国には、こういう「張り紙ショップ」が、少なからず存在していて、潰れずに営業しているのですから、人間って、多少の「異常」には、けっこうあっさり慣れちゃうものなのかもしれませんね。 あの自転車屋も、最近は「今度は何が書いてあるんだろう?」って、ちょっと楽しみになってきましたから。
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