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2010年11月26日(金)
帝国ホテルの「さりげなく、そして驚くべきおもてなし」

『帝国ホテル サービスの真髄』(国友隆一著・リュウ・ブックス アステ新書)より。

【たとえば、本館中二階に「オールドインペリアルバー」がある。メインレストランの「レ・セゾン」の裏側にあるこのバーは、創業時代の建物で、著名なフランク・ロイド・ライトによる設計で、繊細で格調高い大谷石(おおやいし)を使っていた頃の俤(おもかげ)を残している。
 オールドインペリアルバーは常連客が多いことでも知られる。雰囲気が重厚でクラシックだからだけではない。居心地もよい。
 バーテンダーはお客さまの注文があると、一杯目はグラスをお客さまの右斜め前におく。しかし、二杯目以降、おく場所をさりげなく変えることが多い。お客さまは無意識のうちに、自分で扱いやすい位置において飲む。その飲みやすい位置を確認しておいて、二杯目以降、当たり前のようにその位置におく。
 その対応があまりにも自然なため、お客さまは気づかない。何回か通ってから、あるとき、ハッと気づく。そういった振る舞いは客観的にみると凄いことだが、あまりにも振る舞いが自然なため、お客さまはそれを当たり前と感じてしまう。】

【たとえば、室温だ。
 お客さまが北海道や東北から、海外ならスウェーデンやノルウェー、カナダなど寒い地域や国からおいでになった場合、少々、低めに設定しておく。ブラジルやペルー、メキシコ、インド南部、インドネシアなど暑い地方からおいでの場合は、少し高めに設定しておく。
 現住所が東京である私は、九月に泊まった際、「24度にしておきましたので、もしよろしかったら、あとで調整してください」と説明を受けた。
 お客さまの持ち物を、荷物や身の回り品という名の「お客さま」として大切に取り扱う。という点もそうである。丁寧というより丁重に扱っている。また、ハンガーを数多くロッカーにおき、その中には、質のよい布地のハンガーも入れておく。
 さらに、ドアマンは30分ごとに手袋を換えている。だから、いつもおろしたてのように白い。それは帝国ホテルのドアマンにとって当たり前の行動なのだ。】

【お客さまが宿泊されない部屋でも、毎日、必ず点検するのもその一つである。ベッドメーキング、水回り、照明を含めた電気、空調、ゴミの有無、クリンリネス(そうじ)の点検など……。空気を入れ換えるのはもちろんだ。その後、点検係がもう一度、チェックする念の入れようだ。排水の調子が悪いとか、悪臭がするといったことで、お客さまが不快な思いをされることがないよう、事前に修繕しておく。
 さらに、年一回、ワンフロア単位で一週間ずつ一斉に客室を点検している。
 その間は、そのフロアの客室の営業を閉める。
 一方で、お客さまが連泊される場合、お客さまの部屋の使われ方に合わせ、その癖を捉えて、癖に合った配置にする。ベッドメーキングであれば、どのベッドを誰が使い、寝相はどうなのか、それに合わせてベッドメーキングする。それが当たり前として習慣化している。】

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 三谷幸喜監督の『THE 有頂天ホテル』という映画の冒頭に、こんなエピソードがありました。
 ホテル内のレストランで、役所広司さん演じるフロアマネージャーが食事中のカップルが誤ってテーブルの灰皿を料理の取り皿として使っているのを目にします。
 灰皿はしっかり洗浄してあるのでそれで食事をしても食品衛生上は大きな問題はないのですが、「お客さまに(灰皿を取り皿として使っていたということで)恥をかかせないように」、フロアマネージャーは、そのレストランの灰皿を全部さりげなく他のものと好感してしまうのです。
 僕はこの場面をみながら、「こういう話にはモデルがあるのだろうから、世界には、こんなサービスまでやるホテルがあるのか……」と半分驚きつつも、あと半分は「まあ、映画だから、誇張してあるのかもしれないけど」とも思っていました。

 しかしながら、この本で紹介されている、「帝国ホテルのサービス」の数々を読むと、あの映画の場面も誇張ではないのかな、という気がしてきます。
 僕は帝国ホテルに立ち入ったことは一度もないのですが、こういうエピソードを読むと、「麻生首相はいつも帝国ホテルのバーで飲んでいた」というのも、それはそれで一国の首相としては、格にみあった振る舞いだったのではないか、と思います。
 正直、帝国ホテルのサービスというのは、「効率」という意味では、かなりムダが多いのではないかとも感じるのですが、それでも、「自分のために、一流のスタッフたちが、さりげなくここまで気を配ってくれている」というのは、綺麗な建物や豪華な設備よりもはるかに贅沢な気分にはなれそうです。

 でも、この「帝国ホテルのサービス」を読みながら、僕は正直、「ちょっとめんどくさそうだな」とも感じたんですよね。
 バーでのグラスの置き場所くらいならともかく、「連泊した場合には、ベッドを誰が使ったか、とか、その使いかたの癖に合わせてベッドメーキングする」っていうのは、「自分の寝相や癖が、スタッフによって細かくチェックされている」ってことです。
 それって、「自分用にカスタマイズされたサービスを受けることに慣れていない僕のような一庶民」にとっては、自分を過剰に観察されているようで、かなりプレッシャーを感じる状況なのではないかと。
 僕だったら、朝起きたあと、「こいつ寝相悪いな」なんて思われるのではないかと心配で、自分で一所懸命にベッドメーキングしてしまいそう。

 実際は、「ビジネスホテルで、ほったらかしにされているほうが、よっぽど気楽」なんじゃないか、とも思うのです。
 もちろん、そのほうがお金もかからないしね。

 「至高のサービス」を平常心で受け入れるというのは、実は、けっこう難しいことのように思われます。
 そういう世界に慣れている人には、「当たり前のこと」なのかもしれませんが。



2010年11月15日(月)
ファミコン『光線銃シリーズ』は、なぜ家庭のテレビ画面で「当たり判定」ができたのか?

『ゲームの父・横井軍平伝〜任天堂のDNAを創造した男』(牧野武文著・角川書店)より。

【1977年の「ダックハント」という玩具は、スイッチを入れると部屋の壁に光で描かれたカモが映し出され、それを付属の光線銃で狙って撃つというものだ。光で描かれたカモは羽ばたいており、外れるとそのまま飛んでいってしまうが、当たるとカモはバタバタと落ちていく。映像の切り替えは、ワイルドガンマンから派生したスカイホークと同じで、ミラーを使って行う。
 しかし、問題なのは、壁に向かって撃つ光線銃でどうやって当たり判定をしているかだ。レーザークレーと同じように、赤外線の的を使い、壁に反射した光を受光銃で受けるという手もあるが、一般の家庭にはさまざまな赤外線発生源があり、誤判定をしてしまう可能性が高い。ましてや、壁に反射した光を受光銃で受けるのでは、窓の外の太陽に向けても当たりと判定されてしまうということになってしまう。受光銃ではだめなのだ。
 実は、光線銃シリーズの最後の製品「光線銃カスタム」で使ったストロボは非常に強力であった。なにしろ200メートル先の的でも当てられるのだ。カモの映像はプロジェクターからミラーを使って壁に映し出している。光線銃でカモを狙って打つと、カモの映像を描いている光に、さらに光線銃の強いストロボの光が加わることになる。この強い光は、カモを映し出しているミラーを逆にたどってプロジェクターに戻る。プロジェクター内の受光素子がこの光を感知して当たり判定をするのだ。光線銃の狙いが外れた場合は、光線銃の光はミラーで捕らえられないので、当たり判定をしないというわけだ。

 さらに、後に横井はこのダックハントのファミコン番ソフトも発売している。これもテレビ画面に向けて光線銃を撃つと、カモに当たるというものだが、これも実に不思議だ。なぜテレビ画面で当たり判定ができるのだろうか。
 なんでも横井を「世界初」にしたがると、読者の方は思われるかもしれないが、これもテレビゲームが画面の外に飛び出した世界初ではないか。現在のWiiにもつながるものだ。こちらのしかけは銃のほうが受光銃になっており、光センサーが埋めこまれている。引きがねを引くと、カモの絵が映し出されていた画面は一瞬暗転し、カモの位置には白い四角が表示される。銃はこの白い四角を感知して当たりを判定している。画面の暗転は一瞬なので、人の目には見えないというわけだ。
 横井は後にファミコンのソフトも多くプロデュースすることになるが、初期の頃は画面の外に出ていくこのような仕掛けの玩具やソフトを多数考案している。任天堂は後にファミコンが爆発的なヒットをし、明けても暮れてもファミコンという時代が長く続くことになるが、その最中にあって、横井は「コンピューターは難しいから嫌いや」「画面の中だけでやっているといずれ飽きられてしまう」と語っていたという。横井はWiiを見ることなく、この世を去ってしまったが、もしWiiを見たら「これですな」とうなずいたのではないかと思う。】

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 1970年代初頭生まれの僕は、壁に映写されるタイプの『ダックハント』は見たことすらないのですが、ファミコンの「光線銃シリーズ」の『ワイルドガンマン』『ダックハント』はリアルタイムで遊んでいました。光線銃タイプのゲームでいちばん遊んだのは、プレイステーションの『タイムクライシス』。
 実際のところ、ファミコンの『ワイルドガンマン』『ダックハント』の時代は、家の14型のブラウン管テレビで光線銃ゲームはなんだかとても狭苦しいし、わざわざ腰にベルトを巻いて銃をそこに挿すなんて気恥ずかしくて、ルール通りに遊んだ記憶がないんですよね。
 最初から銃を構えてテレビ画面のガンマンの前にピッタリと突きつけている状態で、合図とともに発射!卑怯極まりない「不良ガンマン」でした。

 しかし、当時から僕はものすごく疑問だったのです。
「このゲームは、どうやって『当たり判定』をしているのだろう? このテレビは、何の変哲もない、うちにファミコンが来る前からある、小さな古いテレビなのに」と。
 少しマイコンでプログラムの勉強もしていたので、「専用に開発されたわけでもないテレビで、光線銃で狙った場所にいる敵が、ちゃんと倒れる」というのは、すごく不思議に思えたのです。
 どうして、こんなことができるのだろう?
 その疑問は、ゲームそのものの面白さよりも、よっぽど僕の記憶に残っていました。

 今回、この本を読んでいて、僕の長年の疑問は、ようやく解決されたのです。
 そうか、あれは「テレビが感知している」のではなくて、「引きがねを引くと、画面のほうが人間の目には感知できないほどの短い時間変化して、それを銃のセンサーが感知する」ようになっていたんですね。
 そう言われてみれば、どんなテレビでも同じように「命中」していた理由がよくわかりますし、銃がテレビにではなく、ファミコンにつながっていたのも当然のことです。

 銃からなんらかの情報が「発射」され、それを画面の「標的」が感知する、という「流れ」だと、僕たちは現実にあてはめて考えてしまうのですが、こういう「発想の転換」によって、「ファミコンの光線銃」は成り立っていたのです。
 言われてみればなんでもないことのようですが、実際にこれを考え出した人たちの「発想力」は、本当に素晴らしい。
 こういう試行錯誤がいまのWiiの斬新な操作につながっているのですから、当時「日本向けじゃない」とさんざん言われていた光線銃シリーズは、歴史的には、ものすごく意義深いものだったと言えるでしょうね。




2010年11月07日(日)
映画『踊る大捜査線』での、「青島刑事、最大のピンチ」

『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』 (日本映画専門チャンネル編・幻冬舎新書)より。

(映画『踊る大捜査線』の大ヒットの要因、その功罪について、さまざまな関係者にインタビューしたものをまとめた新書の一部です。映画ジャーナリスト・斉藤守彦さんのインタビューから)

【「踊る」の一作目が公開されたとき、僕はある雑誌の依頼で、亀山(千広)プロデューサーに取材して記事を書きました。そのとき一番印象に残った言葉があります。
 亀山さんは「踊る大捜査線」を劇場公開するにあたり、初め東宝の人たちと話し合いを持ったそうです。
 すると東宝の人が、「この映画を当てるために青島刑事を殺してくれ」と言い出した。
 なぜなら、主人公が死んだ映画というのはヒットするから。そして何と「主人公が死んで当たった映画のリスト」まで持ってきた。
 それに対して亀山さんは、「なんで俺たちがここまで育てた青島を殺さなきゃいけないんだ!!」と激怒した。
 東宝案は却下されたのですが、当時の映画のプロが持っている認識というのは、たかだかその程度だったのでしょう。「ヒットする映画を作るにはどうしたらいいか?」「主人公を殺すことです」という、きわめて短絡的な発想です。
 それを否定して、テレビ局がイニシアチブをとって映画を作り、自分たちの手でプロモーションしていった。テレビ局発の映画のアイデンティティをそこで確立した。それこそが、「踊る」シリーズの功罪の「功」の部分だと思います。
 功罪の「罪」はその裏返しです。
 テレビ局がイニシアチブをとって映画づくりを行うことで、映画会社はそれを流通させるだけの存在になってしまいました。】

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 映画『踊る大捜査線』第1作は、まさに「青島刑事、最大のピンチ!」だったわけですね。
 『踊る大捜査線』シリーズが、大ヒット映画としてシリーズ化されている現在では、「青島刑事を殺してくれ」なんていう「映画のプロ」は存在しないと思います。
 でも、第1作の時点では、「映画関係者の評価」なんて、こんなものだったんですね。
 というか、「第2作」なんて、考えてもいなかったんだろうなあ。

 僕は『踊る大捜査線』の大ファン、というわけではないのですが、この東宝の人の「映画をヒットさせるために、主人公を殺してしまおう」という発想は、あまりに短絡的というか、自分が映画にしようという作品への愛着の乏しさが伝わってきて、読んでいて情けなくなってしまうくらいです。
 『踊る大捜査線』は、「殉職」が似合う作品じゃないっていうのは、テレビシリーズをひと通り観ていれば、わかるはずなのに。

 そもそも、「主人公が死んだ映画はヒットする」っていうのと、「だから、ヒットさせるために主人公を殺す」というのは全然違いますよね。

 おそらく、こういう発想のもとには、「所詮、テレビドラマの映画化なんだろ? 主人公が死ぬことでもなければ、映画としては通用しないよ」という映画関係者側の「驕り」があるのではないでしょうか。

 ところが、その「映画側の判断」は、結果的には、大間違いだったわけです。
 
 亀山千広プロデューサーは、この本のなかで、「作った本人が一番大きい成功要因だったと思うのは、言い方がよくないかもしれませんが、テレビとほとんど同じことを堂々とやってのけたことだと思います」と仰っておられます。
 もちろん、青島刑事が「殉職」していたら、もっと大ヒットしていた可能性もゼロではないでしょう。
 でも、たぶんそうならなかったであろうことは、多くの人が理解してくれるはずだと僕も思います。

 ほんと、「映画化」っていっても、主人公は喜んでばかりはいられませんね。ヘタすりゃ「映画だから」という理由で、殺されかねないんんだから。
 そういう「映画側の驕り」に冷水をぶっかけたという意味では、『踊る大捜査線』の大ヒットは、とても意義深いものだったのでしょう。

 個人的には、『のだめカンタービレ』みたいな「完結編は映画で!」みたいなパターンに対しては、「テレビドラマとしてみんなに応援されてきたんだから、ちゃんとみんながタダで観られるテレビで『完結』させるべきなんじゃないかな」とは思うんですけどね。



2010年11月01日(月)
明石家さんまさんが、師匠の家の廊下掃除で学んだこと

『「働きたくない」というあなたへ』(ズーニー山田著・河出書房新社)より。

(『ほぼ日刊イトイ新聞』の連載「おとなの小論文教室。」をまとめた本の一部です。ズーニーさんに送られてきた「竜巻小僧」さんのメール。

〈ラクと別物、わかってるつもりが……〉

”楽しく生きる”は、”楽に生きる”ではない。
 けれど、いつのまにか私たちは後者を前者の意味で使ってしまっている。”楽な生き方”を選んでいるならまだマシ。実際は選んだつもりで選ばされている。自分が楽だと思っている裏には、しんどいことを引き受けてくれている人がいる。それを忘れている人は想像力が欠如しているのでしょう。苦労することが不幸せなのではなく、生きていてもろもろつきまとう苦しさを楽しめる人が幸せなのではないでしょうか?

 ふと、あるラジオ番組で明石家さんまさんが言っていたことを思い出しました。10代のころ、笑福亭松之助師匠のところで弟子っ子修行をしていたさんまさんは、毎朝廊下掃除をやらされていました。
 ある冬の日、いつものようにぞうきんがけをしていると、酔って朝帰りしたらしい師匠が通りかかり、「なあ、そんなことしていて楽しいか?」と聴いてきたそうです。さんまさんが「いいえ」と答えると、「そうか、そうやろな」と一言。そのあと師匠がかけたのは、”だったら、やめろ”でも、”我慢してやれ”でもなく、「なら、どうやったら楽しくなるか、考えてみ」という言葉でした。それからさんまさんは、どうやったらぞうきんがけが楽しくなるか、一生懸命考えたそうです。もちろん、それで作業が楽になるわけはありません。
 しかし、あれこれ考えるうち、ぞうきんがけがなんとなく楽しく、苦痛ではなくなったそうです。
 人生で苦しいことをやらなければならないときは、必ずある。
 けれど、そこにささやかな楽しみや幸せを見つけるのは、知恵ひとつでできる。どんな状況にあっても、人間は考えることができるのですから。私はそういう知恵を持った人間でありたいです。(竜巻小僧)】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は基本的に、「ぞうきんがけが修行の一環である」という考えには賛成できません。まあ、教えてもらう立場として、師匠に何かお返しをするという意味で「合理的」ではあるのかもしれませんけど。
 でも、この明石家さんまさんと師匠・笑福亭松之助さんのエピソードは、すごくいい話だな、と思うのです。

 僕はこの話の前半を読んでいて、「ああ、さんまさんは、『ぞうきんがけをナメるようなヤツはダメだ!」と怒られるか、「ぞうきんがけなんて、しなくていいよ」と雑用をやめさせてもらえるかのどちらかの結末を予想していたのです。
 しかしながら、松之助師匠は、さんまさんに「ぞうきんがけを楽しむ方法を考えろ」と言ったんですよね。
 「ぞうきんがけなんて単純かつ単調な作業、どうやっても楽しくならないだろ。詭弁だよそんなの」と僕は思います。
 ところが、さんまさんは、その言葉を聴いて、「一生懸命考えた」そうです。そして、「あれこれ考えるうちに、ぞうきんがけがなんとなく楽しく、苦痛ではなくなった」のだとか。

 他人がやっているのを見ていると、「誰がやっても変わらないような「単純作業」でも、上手くできる人と、できない人の違いが、少しずつ生まれてきます。
 「単純作業」のように見えても、実際には、「ちょっとした勘所」みたいなのがたくさんあって、それを見つけだしたり、自分で工夫したりできる人は、どんどん「進化」していくのです。
 その一方で、「つまんないなあ」「かったるいなあ」とダラダラやっていては、いつまで経っても同じ失敗を繰り返してしまう。

 「こんなものはつまらない、工夫しようがない」とみんなが考えるようなものだからこそ、「面白さ」や「工夫できるところ」が残っているのかもしれません。そして、そのためには、「つねに考えること」が必要なのです。
 ぞうきんがけそのものは楽しくならないかもしれないけれど、「ぞうきんがけを楽しくするための方法を考える」ことは、けっこう楽しいのかもしれません。

 明石家さんまさんは「フリートークの名人」として知られていますが、「他人の話から面白いところを引き出すトークの技術」っていうのは、まさに「ぞうきんがけの中に楽しみを見出すこと」に通じているような気がします。