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2010年07月24日(土)
「電子書籍」の時代と予想外にバカ売れした「携帯漫画」

『本の雑誌』2010年7月号(本の雑誌社)の「特集=電子書籍の時代がくるぞ!?」から。竹熊健太郎さん、永江朗さん、米光一成さんによる「電子書籍どうするどうなる座談会」(司会・浜本茂さん)の一部です。

【竹熊健太郎:僕はインターネット上で「たけくま書店」って自主出版物の通販サイトを始めたんですが、お金を取るのは、紙の本で取ろうと思ってるんですよ。ネット上で本とか漫画を流すのは基本タダにするつもり。課金はいろいろ面倒くさいから。

浜本茂:課金はシステム自体が大変ですよね。

竹熊:小説と携帯漫画以外は成功してない。携帯は決済が簡単だから。電話代と一緒に50円とか100円を取られちゃう。金を払う感覚が薄いんですよ。しかも片手で操作できて、寝床の中でも買える。だからエロ漫画が売れてる(笑)。

浜本:携帯で?

永江朗:バックライトだから(笑)。

浜本:ああ、布団の中で隠れて見たりできるってこと?

竹熊:三年ぐらい前に某漫画誌の編集者と話をしたら、携帯漫画がバカ売れしていると。それもおっさん向けのエロ漫画を女性が買ってるって言うんですよ。新しい読者がここにいたって喜んでるんです。まさか女性が買うとはと。一昨年ぐらいの売れ筋が『特命係長・只野仁』で、携帯だけで二千万くらい作者に入ったそうですから。

米光一成:BL漫画とかもすごく多い。一大市場なんですよね。

竹熊:ユーザーは普段本屋さんに行ったことがないような人たちなんですね。つまり本であれば漫画すら買わないという層が膨大にいて、そういう人たちでも携帯だったら読んでみようかと思う。意外なところに金脈があった。

(中略)

竹熊:既に膨大な数のコンテンツがアップロードされている。全部読めないですよね。何から読んでいいかわからないから、人気アクセス数によって上がるものもあれば目利きの人がその人の個性で選んだものを随時見せることで上がるものもある。そういうふうになっていくんじゃないかな。

米光:渋谷のある書店さんが面白いことを言っていたんですけど、本屋さんもなくなるとか言われてるけど、形を変えれば全然いけると。たとえば目利きの人がいて、見本に一冊だけ置いておいて、「この本、いいですよ」って話して、実際に買うのはamazonにしてもらう。アフィリエイトをその書店にしておけば5パーセントが入ると。つまりは個人の書棚ですよね。仮にamazonで買うとしても、やっぱり現物を見て買いたいじゃないですか。

永江:通販生活のショールームみたいな。

米光:そういう専門の目利きが出てくると思う。海外文学には詳しいとか。

竹熊:電子書籍のオススメ屋さんが出てきて、それが新しい時代の編集者になる。目利きの人が「この著者が面白い」って紹介する。「彼の作品はこの順番で読んだほうがいい」とか道筋をつけてガイドしたり。今でもそういうのはありますからね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 そういえば、『mixi』などの携帯電話向けのコンテンツには、けっこうアダルト系のマンガの広告が目立つなあ、と思っていたんですよね。それも、男性向けの「そのものズバリ」なアダルトコンテンツじゃなくて、「レディコミ」や「ボーイズラブ」風のものが。あんなに大々的に宣伝して、元が取れているんだろうか?と考えていたのですけど、この対談を読んでいると、「ああいうタイプの『書店で買うのは、ちょっとだけ恥ずかしい本』のほうが、携帯漫画では売れている」ということなのでしょう。
 それにしても、『特命係長・只野仁』って、テレビドラマの影響があるのだとしても、原作はまさに「おっさんの妄想が爆裂している、ちょっとHな漫画」なんですけどねえ。絵柄的にも「エロ漫画」というほどハードなものじゃないけど、女性が好みそうな漫画には思えなかったので、これを読んで驚いてしまいました。
 「人前でオッサン向け漫画を買ったり読んだりする恥ずかしさ」がなければ、男も女も、面白いと思う漫画って、そんなに大きな違いはないのかもしれませんね。
 男にだって、「少女漫画好き」は、けっこういるみたいだし。

 引用の後半部の「渋谷のある書店の話」にも、考えさせられました。
 おそらく、半ば冗談、半ば本気、というところなのでしょうが、これから中小書店が生き残っていくためには、「Amazonと正面から勝負する」よりも、「Amazonのショールームとして共存共栄していく」べきなのかもしれません。
 Amazonの最大の難点は、やはり、「実物が手にとれない」ことですし、いきなりAmazonの本の海のなかに放りこまれれば、「自分が読みたい本」を探すのは、かなり難しいことなんですよね。
 ついつい、ベストセラーにばかり手が伸びてしまう。

 すでに、ネット上には、「Amazonのショールーム」として稼いでいる「書評ブロガ―」もたくさんいます。
 「リアル書店」は、「実際にその本に触れられる」というメリットがある代わりに、毎日山のように出版される本を整理するだけで一苦労だし、利益率や万引きのリスクなどを考えると、そんなにラクな商売ではありません。
 現在のように「本が売れない時代」であればなおさら。

 「リアル書店」にとっては、「Amazonのショールームになって、アフィリエイトで稼ぐ」ようにすれば、在庫もほとんど抱えなくてすむし、人手も要らなくなるはずです。
 もっとも、「本のソムリエ」としての個性と信頼がなければ、わざわざ足を運んでくれる人もいないでしょうし、「お客さん」が、みんなアフィリエイトで買ってくれるとも限りません。
 「リアル書店」が絶滅してしまったあとならともかく、本好きであれば、こうして一度手にとった本を、その場で買うこともできずにわざわざAmazonに注文して届くのを待つのは、難しいと思います。

 いずれにしても、すべての本が「電子書籍」になれば、「リアル書店は、淘汰されるしかない」のでしょうけど、「電子書籍になれば、いままで本を読まなかった人が、どんどん読むようになる」ということはなさそうです。
 世の中の「本」が、「売れそうな携帯漫画」ばっかりになったら、僕は悲しい。



2010年07月17日(土)
「一緒に宇宙に行こうよー!」と励ましてくれた「ある女性応募者」

『ドキュメント宇宙飛行士選抜試験』(大鐘良一,小原健右共著・光文社新書)より。

(2009年の3月に「NHKスペシャル」で放送された番組を書籍化した新書。宇宙飛行士を目指して挑戦しつづけている福山浩さん(54歳)の回想)

【福山の挑戦は、四半世紀以上も前にさかのぼる。1985年、日本で初めて行われた宇宙飛行士の選抜試験に応募したのが最初の挑戦だった。それ以来、行われてきた選抜試験すべてに欠かさず応募してきた強者だ。
 福山の少年時代には、アポロ11号の月面着陸があった。アームストロング船長が、人類で初めて月面に降り立つ姿をテレビで見て以来、いつか自分も、宇宙から青く輝く地球を眺めてみたいと夢見るようになった。
 しかし現実は厳しかった。当時、宇宙に行けるのはアメリカ人とロシア人だけだった。
「日本人は当分、宇宙に行けそうにない」。学生時代の福山は、夢を胸の奥底にしまいこんで、技術者の道を選んだ。
 宇宙への夢が、遠い過去のものになりかけていた、28歳のとき。福山は「日本人宇宙飛行士、はじめて募集!」のニュースを見た。
 福山はそのとき、全身が震えるほどの大きな衝撃を受けたという。
「日本人も宇宙に行ける時代が来た。挑戦しない手はない!」
 そして最初に挑んだ選抜試験。しかし結果は不合格。第2次選抜まで残ることはできたが、最終選抜まで進むことはできなかった。
 福山の代わりに選ばれたのが、北海道大学の助教授、毛利衛さん、慶應義塾大学の医師、向井千秋さん(旧姓 内藤千秋)、それに宇宙科学の研究者、土井隆雄さんの3人だった。
 この選抜試験で、福山にとって忘れられない出来事があった。それは、第2次選抜の面接試験が終わった日の、帰り道のこと。福山は、同じく面接試験を受けた、一人の女性応募者と一緒に駅に向かって歩いていた。
 試験が思うようにいかなかった福山は、弱気になっていた。そしてこの女性に、思わず「もしかしたらダメかもしれない」と打ち明けてしまった。夢にまで見つづけてきたチャンスなのに力を出し切れなかったと落ち込む福山に、女性は満面の笑顔で明るく言った。
「そんなことは絶対にないよー! 一緒に宇宙に行こうよー!」
 その女性こそ、日本人女性として初めて宇宙飛行士に選ばれた、向井千秋さんだった。
 向井さんも、福山と変わらぬ立場にあった。面接はもちろん、2次選抜の結果が気になっていたはずだ。それなのに、競争相手である自分を気遣い、励ます余裕を見せた。
 そんな前向きな向井さんを見て、福山は「ああ、こういう人が宇宙に行くのだろうか」と感じたという。そして「宇宙に一緒に行こうよー!」という向井さんの言葉が、忘れられなくなった。試験に落ちたあとも、宇宙飛行士の夢をあきらめずに追い続ける、原動力の一つになっていた。
「1回目で、宇宙飛行士という夢に向かって挑戦することの魅力に取り憑かれました。向井千秋さんという魅力的な人間に出会えたのも、挑戦したからこそです。私も宇宙飛行士になって、向井さんと一緒に宇宙に行きたい。あの日の約束を果たしたい。体力の強化や英語力の向上など、気持ちと努力は誰にも負けていないはず。次のチャンスこそは、と信じ続けてきました」】

〜〜〜〜〜〜〜

 福山さんは、この新書で描かれている、2008年に10年ぶりに行われた「宇宙飛行士選抜試験」にも挑戦しましたが、英語の筆記試験で不合格になり、1次選抜にも進むことができなかったそうです。
 それでも福山さんは、「宇宙飛行士になるために、次の機会にも応募する」と断言されています。
 年齢を考えると、現実的には、今後の合格は厳しいのではないかと思いますし、それは福山さん自身も承知の上で、「挑戦することそのものが生きがい」なのでしょうが、「宇宙への夢」というのは、ある意味残酷なものだとも考えずにはいられません。
 何百年後かの人類は、僕たちが海外旅行で飛行機に乗るくらい手軽に、宇宙に行っているのかもしれないのに。

 僕はこの『ドキュメント宇宙飛行士選抜試験』という番組を観るまで、宇宙飛行士選抜試験というのは、その人が、どこまで「スーパーマン」なのかをみるための試験だと思い込んでいました。
 どれだけ、「その人にしかできない、超人的なこと」ができるかを評価されるのだろうな、と。
 しかしながら、実際の試験は、密閉された空間での共同生活という特殊な条件下ではあるものの、やること自体は、そんなに「難しいこと」ではなかったのです。
 ディベートをしたり、鶴を折ったり。
 もちろん、自分の行動がすべてモニターされていて、評価の対象になっているという状況は、僕だったら、それでけで耐えられないくらいのストレスだとは思うのですけどね。

 この向井千秋さんの話を読んで、僕は、向井さんが選ばれた最大の理由がわかったような気がしました。
 向井さんは合格されたのですから、ものすごく試験のデキが良かったと自認していたのかもしれません。
 でも、この試験はけっして簡単なものではなかったでしょうし、大学入試のように、「自己採点できる」ような試験ではありませんし、何人が合格するかもわからない。
 向井さんだって、不安が無かったといえば、嘘になるはず。
 そんな状況でも、初対面の同じ試験の受験者に対して、こんな気配りができるような人だったからこそ、向井さんは「合格」できたのではないでしょうか。

 「宇宙飛行士として必要な資質」というのは、なにも特別なものじゃくて、「社会に生きる人間として必要な資質」を、ものすごく高いレベルで求められているだけなのです。
 狭いスペースシャトルや宇宙ステーションで、何ヶ月も他国の人と生活するというのは、想像以上に大変なことだそうです。
 ちょっとした言葉や習慣の違いが積み重なって、人間関係を壊していく。
 でも、彼らは「環境を変えて気分転換」というわけにはいかない。

 ほんと、簡単なことのようですが、この状況で、「一緒に宇宙に行こうよー!」と笑顔を見せるというのは、「普通の人間にはできないこと」だと思うんですよ。すごい研究やスポーツの記録のように目に見えることはないけれど、「他人と協調することの達人」もいるのだよなあ。



2010年07月11日(日)
「壊れて止まっている時計でも、1日のうち2回は正確な時を示すことができます」

『DIME』2010年7月6日号の特集記事「ヒットの法則大研究」より。

(「結果を出し続けるプロデューサー・秋元康による「深く刺さる『濃いコンテンツ』創造術」という記事から。「濃いコンテンツを創るための秋元康の5の法則」の「法則4」。引用部はすべで秋元さんの発言です)

【「何かがヒットすると、みんな後を追いかけようとします。二番煎じを狙っているわけではないのでしょうが、同じような所に正解があるような気がするのです。
 しかし、流行はまるで、”もぐら叩き”のゲームのように、全く違う場所から頭を出すのです。それを追いかけるのは困難です。
 逆に、ブームとは関係なく同じことを続けていると、それがブームになったりします。壊れて止まっている時計でも1日のうち2回は正確な時を示すことができます。
 何かアイデアが浮かんだとき、まわりを見回す必要などないのです。いまの時代のニーズは? なんて考え始めたら、ヒットは作れません。これはヒット間違いなし!という思い込みが一番重要なのです。もう古いかな? なんて不安に思う必要もありません。
 昔、僕が『ザ・ベストテン』の構成に関わっていたとき、ルービックキューブが流行りはじめたのでセットに使おうと提案したら、却下されたことがあります。
 その後、コピー商品が出回るようになってから、ようやくセットになりました。『遅すぎますよ』とプロデューサーに言ったら、『これくらいがちょうどいいんだ』と言われました。
 ここには2つのポイントがあります。(1)プロデューサーの思い込みの激しさと、(2)テレビでは視聴者の最大公約数を狙っていることです。
 つまり、”テレビはみんなに広まってからネタにするもの”というプロデューサーの思い込みが、当時の40%近い視聴率を叩き出していたんです」】

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 作詞家・プロデューサーとして大成功をおさめてきた秋元さん。
 僕のなかでは、「自分が売り出していた『商品』である高井麻巳子に手をつけた、とんでもないオッサン」でもあったわけですが、数年前までは、「もう過去の人」というイメージを持っていたのです。

 しかしながら、自らプロデュースした「AKB48」の大ブレイクで、秋元さんは、あらためて注目を集めています。
 「AKB48」を秋元さんがはじめたときには、「会いに行けるアイドル」としてちょっとした話題にはなったのですが、僕は「そんな二匹目のドジョウを狙っても、うまくいくわけないだろ、そもそも『AKB48』のメンバーのクオリティも、おニャン子クラブと比べたら……」と小馬鹿にしていたんですよね。
 ほんと、こんなに売れるとは思わなかった(僕自身は、いまでも前田敦子さんと篠田麻里子さん以外のメンバーは、さっぱりわからないんですが)。

 この秋元さんの話を読むと、秋元さんは、「苦し紛れの二番煎じ」ではなくて、ある種の「狙い」を持って、「AKB48」をはじめたのだということがよくわかります。「AKB48」の誕生は2005年。初日のステージはお客さんが7人しか来なかったそうですから、けっこう時間も手間もかかっています。プロデュースする側に自信と忍耐がなければ、途中で諦めていてもおかしくなかったはず。

 この秋元さんの話のなかで、「壊れて止まっている時計でも1日のうち2回は正確な時を示すことができます」という言葉は、とても印象に残りました。
 たしかに、やみくもに時計の針を動かすだけでは、「正確な時」を示すのは困難です。むしろ、同じ場所にいて、時間のほうがやってくるのを待っていたほうが、「いつかは流行を創れる」可能性は高そうです。「いまの流行」のすぐ後ろを追いかけていては、ずっと、「ちょっと遅い時間」を示し続けることになるでしょう。

 もっとも、「自分が待っている時刻」が、ちゃんと「流行という時計」の文字盤の上に存在しているのかどうかというのが難しいところで、「ずっと時計の針が指すことのない時刻」で待ち続けて一生を棒に振ってしまうこともありそうです。
 それが本当に存在する時刻なのかどうかを嗅ぎわける能力というのは、誰にでもあるものじゃないですよね、きっと。

 



2010年07月04日(日)
尾田栄一郎さんの「少年たちに向けて”少年マンガ”を描き続ける」ことへのこだわり

『マンガ脳の鍛えかた』(取材・文:門倉紫麻/集英社)より。

(『週刊少年ジャンプ』の人気マンガ家37名への総計15万字のインタビューをまとめた本。『ONE PIECE』の尾田栄一郎さんへのインタビューの一部です。「」内は尾田さんの発言です)

【「ONE PIECE」は、自身が言うように”王道”の少年マンガだ。
 主人公・ルフィは、子供ならではの快活さにあふれ、脇を固める大人たちは、しっかりと大人の領分を守る。ありそうで中々見られない、そんな美しい関係性も魅力のひとつだ。

 「それが僕の理想なんだと思う。『子どもはもっと子どもらしくしなさい、大人はもっとしっかりしなさい』と思っているのかもしれない。僕はすごく普通のことを描いていると思いますけどね。昔ながらの”少年マンガ”ってそういうものでしょう。今の社会では、大人が子どもっぽくなってきているから、僕のマンガが珍しく感じられるだけなんじゃないですかね」
 尾田は一貫して「少年たちに向けて”少年マンガ”を描き続ける」と言い続けてきた。

 「今もそう思っています。長くやっていて一番思うのが、読者はどんどん成長していくものだ、ということ。でもそれに作者が流されないことが大切なんです。読者に合わせていくと、マンガもどんどん大人っぽいものになっていくでしょう。そうしたら、次の少年たち――”新入生”が入れなくなっちゃうじゃないですか。固定ファンだけが喜ぶようなマンガになってしまう。読者は、循環していいんです。僕は、”少年マンガ”の読者は大人になって出ていくものだと思っているから、常に今入ってきた少年たちが喜べるかどうかを考えている。その照準がブレなければ、”少年マンガ”は大丈夫だと思いますけどね。これは、長くやってきて、いろんな時期を経験し壁にもぶつかって、反省も踏まえて出てきた答えなんですよ」

 尾田自身も、描いていて「新入生が入って来なくなった」と思った時期があったのだという。

 「これはいかん、と思って『とにかく少年たちに向けて描くんだ』という意識に立ち返ったんです。大体5年周期くらいで読者は入れ替わる気がしますね。だから『ONE PIECE』はこれから第3期生ぐらいをお迎えする頃じゃないかな(笑)」

 これから先、マンガはどうなっていくと思うか、という問いに、「”少年マンガ”と区切っていいのなら」と前置きして、こう答えた。

 「何も変わらないと思います。少年がゾクゾクするものって、昔からまったく変わっていない。子どもの頃の僕がこれを読んでも喜ぶはずだ、と思えるものを提出すれば、間違いなく今の子どもたちもおもしろいと思ってくれる。たしかに、マンガ界の傾向が変わってきていることは感じたりはしますけど……うん、でもやっぱり変わっちゃだめなんですよ。変わらないというと、古いものを描き続けるイメージかもしれないですが、僕が言っているのは、そういうことではない。むしろ”斬新な”ものは、必要なんです」

 変わらない、けれど、斬新であり続ける。一見相反するもののようだが……。

 「うーん、具体的に言うと、僕が”海賊マンガ”という今までにない斬新なものを世に送り出して読者が食いついてくれたあの瞬間――『ONE PIECE』を送り出そうと思ってがむしゃらに新しいことをやっていたあの瞬間の必死な状態を、ずっと変わらずに続けていかなければいけない、ということです。時代が変わっても、少年たちが”少年マンガ”に斬新なものを求める状態は変わらない。だから作家も、常に斬新でおもしろいものを作り続ける状態を保っていなければならない――いわば”保持”していなければならないんです」

 つまり、保持していくためには「常に”前進”し続けていなければいけない」ということ。

 「それなのに、一度人気が出たら惰性でそのままの状態を続けていけばいい、と錯覚してしまう人もいるかもしれない。でもそうなった時点で、それはもう保持ではなくて”後退”なんです。同じものを出すということは、古いものを出すのと、同じことです」】

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 尾田栄一郎さんは、1975年生まれ。『ONE PIECE』の連載が、『週刊少年ジャンプ』ではじまったのは1997年で、同作品は、現在もジャンプの「看板」として君臨し続けています。「人気が無い、あるいは無くなってしまったマンガは打ち切り」というジャンプのシステムのなかで、これだけ長期間の人気を維持し、連載を続けてこられているのは、本当に凄いことだと思います。

 このインタビューでは、尾田さんの「少年マンガ」に対する愛着と「少年マンガ家」としての矜持が語られているのですが、「読者の成長に、作家が流されないようにする」「読者は、循環していいんです」という言葉は、ちょっと意外に感じました。

 多くのマンガ家は、「読者とともに成長する」あるいは「変化していく」ように思われます。
 僕が子ども〜学生の、いちばんマンガを読んでいた頃の人気マンガ家には、「少年マンガ」から撤退し、大人になった「昔の読者」に「昔の作品の続編」を描き続けている人がたくさんいます。
 もちろん、その作品にも新しく入ってきた読者はいるのでしょうけど。

 それらのマンガ家たちだって、読者の成長に付き合って、「昔の作品の続編ばかり」になるよりは、『ジャンプ』のような、部数の多い「少年マンガ」の最前線でやっていきたい人はたくさんいたはず。
 でも、現実は甘いものではなくて、自分が年を重ねていくのに、ずっと「いまの少年がゾクゾクするもの」を見つけ、描き続けていくというのは、大変なことなんですよね、きっと。
 結局、僕が子どもの頃から『ジャンプ』で生き残っているのは、「少年向け」ではない『こちら葛飾区亀有公園前派出所』ですし。

 作者はこんなふうに仰っておられるのですが、僕の周りには、『ONE PIECE』好きな大人がけっこうたくさんいるんですよね。尾田さんは「少年」という言葉を繰り返して使われており、「男子」を想定しておられるようなのですが、女性の読者もた大勢知っています(僕の妻も30代前半ですが『ONE PIECE』大好きです)。
 「広い世代の読者にウケよう」とか、「今までの読者と新しい読者の両方にサービスしよう」なんて思っていると、かえって、中途半端な作品になってしまうのかもしれませんね。

 それにしても、もう連載13年か……
終わりそうな気配は全くないのですが、『ONE PIECE』、どこまで続くのでしょうか。