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2010年06月29日(火)
「トミカ」のなかで、子供に圧倒的な人気がある車種は?

『新ネタ満載 雑学新聞』(読売新聞大阪本社著・PHP文庫) より。

(読者のさまざまな「身近な疑問」に、新聞記者たちが専門家に直接問い合わせて回答した連載記事をまとめた本の一部です)


【Q:トミーのミニカー「トミカ」には企業名の入ったものがたくさんありますが、企業が広告料を払うのですか。トミー側が名前の使用料のようなものを払うのですか。


A:トミーに聞きました。普通はトミーが各企業にお願いしてミニカーをつくらせてもらっています。このため、トミー側が使用料を支払っています。ただ、「子供が使うものなので、使用料はいりません」という会社もあります。企業側から景品に使いたいので作って欲しいと要請のあった場合は、逆に費用をもらっています。トミカは1970年(昭和45年)にデビューし、これまでに585車種、計4億7000万台が販売されました。玩具店の店頭には120種が並ぶ専用ショーケースがあり、”新車”が出ればどんどん入れ替わっていきます。
 ただ、最大のユーザーである子供が買うのは、3分の2がパトカー、救急車、工事現場車両といった”働く車”です。】

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 先日、1歳半の息子と一緒に、「トイザらス」に行ったのですが、「トミカ」のコーナーでミニカーを見ていると、自分が小さかった頃のことをいろいろと思い出してしまいました。
 「トミカ」は、1970年デビュー。僕とほぼ同い年、ということになります。

 ということは、僕が子供のころ遊んでいたトミカは、まだそんなに定番として認知されていなかったということなんですね。
 いまは、大人にもミニカー好きの人はたくさんいますし、僕もディスプレイされている小さな車を眺めていたら、ついつい「大人買い」したくなってしまいました。
 これまでに585車種というのは思ったより少なくて、正直、もっとたくさんの車種が出ているような気がしていたのですが。

 ところで、息子と一緒に「トミカ」を見ていてちょっと意外だったのは、僕がカッコいいと思うようなスポーツカーやスーパーカーには息子の反応が鈍く、救急車(僕は仕事を思い出すので苦手な車なんですけど)とかパトカー(交通違反で捕まったことを思い出すので……以下略)とか工事現場で活躍するブルドーザーとかダンプカーとかには、ものすごく興味を示したことでした。
 普段から、工事現場でパワーショベルを見るのが大好きで、「変わった趣味だなあ、普通の子供はスポーツカーとかじゃないの? 将来が不安だ……」と思っていたのですけど、これを読むと、「働く車大好き」な子供はたくさんいるんですね。むしろ、うちの息子は「普通」なのか。
 子供が買うのは3分の2が「働く車」だそうですし、書店にも、子供向けの「働く車の写真集」がたくさんありますし。

 たぶん僕も小さい頃は、そんな「スポーツカーよりも『はたらく車』」の子供だったのに、それをすっかり忘れてしまっているのでしょうね。
 いまとなっては、パワーショベルのどこがそんなに魅力的なのか、全然わからなくなってしまいましたけど。



2010年06月25日(金)
「校正」というのは、誤字脱字を直すだけの仕事じゃない。

『編集者の仕事』(柴田光滋著・新潮新書)より。

【それはともかく、ゲラから始まる大事な作業が校正。私が書けるのはあくまで編集者から見た校正であって、本職の方からすれば物足りないかぎりでしょうが、その仕事に対する敬意だけは失わずに記すつもりです。
 出版界ではしばしば「校正、畏るべし」と言いならわす。もちろんこれは『論語』における「後生、畏るべし」のもじりなのですが、編集者の側から長年にわたって数え切れないほど痛切に感じてきました。
 校正は編集者もしないわけではありませんが、本来は別の役割。編集者はどうしても流して読んでしまうので、きちんとした校正はまずできないからです。
 幸いなことに私はすぐれた校正者に恵まれ、何度となく命拾いをしてきました。言わば命の恩人。さらには、自分で本を出してみて、校正のありがたさを著者の立場からも実感することができました。一応は編集者ですから、あまり恥ずかしい原稿にはしたくない。そう心して書いたつもりなのですが、ひどい誤記がいくつもありました。
 ここでは一つだけ挙げておきます。ギター好きであった高校生の頃に出会って感嘆した言葉「ギターは音が小さいのではない。遠くで鳴っているのだ」をベートーヴェンの言葉としてしたところ、「ストラビンスキーではないか」と指摘されました。四十数年も前に読んだ本で調べ直してみると、たしかにその通り。ベートーヴェンの言葉は「ギターは小さなオーケストラである」でした。両者をいつからか入れ違えていたわけです。
 編集者として扱った原稿なら数知れず。ほんの少しだけ思い出を記しましょうか。ある歴史小説で、これぞというタイミングで後白河法皇が出てきたのですが、「この時点では後白河法皇はすでに亡くなっています」。嗚呼! また、ある小説では主人公が北海道の海岸で北斗七星を見る美しい場面があったのですが、「この時期にこの場所からは見えないはずです」とあり、詳しい説明が付いていました。またしても、嗚呼!
 昔も今も「校正、畏るべし」。
 校正者が疑問(現場ではもう少し柔らかく「ギモン」と書く)を出す場合、典拠となる資料のコピーが時には何種類も添付されています。ネット上の情報で簡単に済ますようでは、素人ないし怠惰な校正者と言われても仕方ありません。】

参考リンク:『番線――本にまつわるエトセトラ』(琥珀色の戯言)

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 僕のイメージでは、「校正」というのは、作家の原稿の誤字脱字を添削していくだけの仕事だったのですが、この『編集者の仕事』という新書を読んで、「校正者の凄さ」を思い知らされました。「漢字に詳しければ誰にでもできる簡単なお仕事」どころか、どれだけ幅広い知識と粘り強さが必要なのかと感心してしまうばかりです。「ギモン」には、ちゃんと「ソースを提示しなければならない」みたいですし、それも「Wikipediaで調べました」ってわけにはいかないでしょう。
 ここまでやらなければならないのであれば、校正者には、おそらく、「音楽関係」とか「歴史モノ」というような、それぞれの「専門」もあるのでしょうね。それにしても、エッセイなどではさまざまな話題が語られていることが多いでしょうし、ここで紹介されているエピソードでいえば、ギターの話などは「とりあえず確認してみる」のもわかりますが、後白河法皇の話や北斗七星の話などは、サラッと読み流してしまいそうな気がします。
 個々の誤字脱字を直すだけでなく、物語の全体像を把握していないと、ちゃんと「校正」することはできないわけで、著者と同じくらい丁寧に読み込んでいないとできない仕事なんですね。
 まあ、すべての作品が、これほどていねいに「校正」されているといわけではないのでしょうけど。

 こういう「本の裏方」の仕事を知ると、「電子書籍で著者と読者を直結すれば、本が安くなるし、出版社なんて要らない!」というのは、少し不安な気もします。本の内容というのは、こうして間に人の手が加わることによって、間違いなく「正確」にはなるでしょうから。
 



2010年06月17日(木)
「ペヤング」の名づけ親になった男

『オトナファミ』June 2010 No.24(エンターブレイン)の特集記事「いますぐ食べたい! うちの地元のカップ焼きそば」より。東日本代表のペヤングソースやきそばの初代CMに出演されていた、9代目桂文楽さんへのインタビューから。

【インタビュアー:CMのお話が来たときの経緯は?

9代目桂文楽:当時、私は『末広演芸会』というテレビ番組で大喜利をやっていて、番組の中で「四角い顔だ四角い顔だ」ってネタにされていたんですよ。そんなある日、全然面識のなかったまるか食品の当時の社長さんが、私のところに来ましてね。今度発売するカップ焼きそばが業界初の弁当箱型だって言うんですよ。それで、パッケージと顔の四角さをかけて、CMに出演してほしいと言うので、OKしたんです。

(中略)

インタビュアー:撮影のエピソードを教えてください。

9代目桂文楽:最初、台本の段階では”ペアでヤングなソースやきそば”っていう商品名だったんです。でも、音入れの段階になって台詞を言ってみたら、どうしても時間内に収まらない。なんとか早く喋ろうとしているうちに少し省略されて「ペアヤング〜」になっちゃって。同席していた社長さんはそれでもいいと言ってくれたんですが、これがまた言いづらいし、やっぱり収まらない。そしたらやりやすいようにやってみてくれって言われまして、言いやすいように言っていたら「ペヤング〜」になったんですよ。社長さんもそれでいいって言うので決まりました。音入れの段階で台詞が時間内に入らないから、商品名を変えちゃったというんですから、凄いことですよね。】

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 このペヤングのCM、子供のころに観たような記憶がなんとなくあるのですが、九州在住の僕にとっては、カップ焼きそばは『UFO』で、ペヤングそのものをあまり見たことがないんですよね。
 この『オトナファミ』の記事を読むまでは、『リンカーン』で浜田さんのバースデー企画として「超巨大ペヤング」を作っていた印象が強く、関西のメーカーなのだと思いこんでいました。
 ちなみに、この記事によると、ペヤングをつくっている「まるか食品」は、1929年創立で、従業員は100人。本社は群馬県伊勢崎市にあるのだそうです。

ちなみにこちらが9代目桂文楽さん。
 
 うーん、たしかに……四角い。
 「四角いカップ麺」というのは、ペヤングが最初だというのも初めて知りました。

 それにしても、このインタビューを読んでいると、1970年代半ばというのは、まだ牧歌的な時代だったんだなあ、と思います。
 CMも、けっこう「出たとこ勝負」みたいな感じで撮っていたんですねえ。それで商品の名前も変えてしまったということは、パッケージも作り直したのでしょうか。

 「ペヤング」がすっかり定着してしまった今となっては、「ペアでヤングなソースやきそば」なんて長ったらしい名前は変更して正解だった、という感じですし、なんでそんな名前をつけようとしたのか疑問にすらなるのですが、「ペヤング」になってしまうと、元の名前は想像もつかなくなってしまいますね。

 「ヤング」はともかく、なにが「ペア」だったのだろう……
(この記事によると、「ふたりで仲良く食べてほしい」という願いがこめられているそうです)



2010年06月12日(土)
「ただひとつだけ、光速を超えられるものがある」

『未来への周遊券』 (最相葉月/瀬名秀明 共著・ミシマ社) より。

(1年半にわたって産経新聞で連載された、最相さんと瀬名さんの往復書簡を1冊にまとめた本の一部です。最相さんから瀬名さんへの「生命の未来に迫る滅亡の危険」という回より)

【瀬名さんの手紙の最後にあった、「ただひとつだけ光速を超えられるものがある」という一節を読んで思い出した親子の会話がある。その息子は科学雑誌が大好きで、ある日、身につけたばかりの天文学の知識を父親に披露しようと得意気に解説した。今見えている星は現在そこにはなく、距離によっては十年前、百年前の姿なんだよと。すると、それを聞いた父親はやさしくこう返した。「なるほど、見る場合はそうかもしれないな。しかし、考える場合はどうだ。今地球のことを考えている。つぎに遠い星のことを考える。これにはなんら時間を要しない。人間の思考は光より速いということになるぞ」
 息子は一瞬きょとんとしたが、その後もずっと父親のこの言葉を忘れることができなかった。やがて彼は作家となり、物語をたくさん書いた。光よりも速く、読者を新たな思考に運んでくれる。それが魅力だった。その作家、星新一の描く未来では、動物は、とうの昔に人間によって一掃されていた。】

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 最相さんの著書には、『星新一 一〇〇一話をつくった人』という、星新一さんの生涯を追ったノンフィクションがあります。
 星新一さんのお父さんは、星製薬の創業者・星一さんで、大企業の社長を父親に持った星さんは、父親の早逝と会社の経営状況の悪化などで苦労もされたようです。
 しかしながら、この親子の会話をずっと星さんが記憶していたことを考えると、作家・星新一の誕生には、父親の影響も大きかったことが伝わってきます。
 もし、ここでお父さんが、星さんの「天文学の知識」を「すごいねえ。よく勉強したねえ」と褒めただけならば、星さんは天文学者になっていたかもしれません。褒めるだけなら、僕にでもできるんじゃないかな、とは思いますが、こんな洒落た言葉を、日常会話のなかで子供にかけるのは難しい。星一さん自身の心の中に普段からこういう思考があるからこそ、息子に話すことができたのでしょう。

 「人間の思考は、光より速い」という言葉が、「科学的な真実」かどうかは、微妙なところもあるんですよね。神経伝達速度は、少なくとも「光よりも遅い」から。
 でも、薬学の専門家であった星一さんは、そんなことは承知の上で、「人間の想像力の力」を信じ、それを自分の息子に伝えようとしたのです。

 星新一さんの作品というのは、まさに、「科学知識と人間の想像力の絶妙な融合」によるもので、このお父さんの言葉や考え方が、作家・星新一の誕生に与えた影響は、けっして少なくないでしょう。

 僕も自分の息子に、こんな言葉をかけてあげられるような父親になりたいものです。世間一般の親子というのは、なかなかそう上手くいくものではないから、このエピソードの「美しさ」が際立つのでしょうけど。



2010年06月04日(金)
「ああ、アタシも和式は無理」と敬遠する女たち

『幸菌スプレー』(室井滋著・文春文庫)より。

【2007年幕開けまであと数日という土曜、都内のデパートへ、仕事帰りに寄った。
 時期的に混雑しているだとうと思ってはいたが、どのフロアーも想像以上。
 プレゼントを買うにも、レストランフロアーのどの店に入るにも、気が遠くなるほど長い列に並ばなくてはならない。
 いつもの倍以上の時間がかかったが、何とか買い物や食事を終えると、私とマネージャーのタミちゃんはヤレヤレと溜め息をつき合った。
「こりゃあダメだね。どうしても必要な物だけは買ったから、あとは年が明けて、もっと落ち着いている時に来ようよ」
「大体、この時期の店員さんは臨時に雇われた人が混ざってるから、却ってややっこしい。馴れない人に当たっちゃうと、ラッピングもひどい上に時間もかかっちゃうもの」
 そして、こんな会話を交わしながら、レストランフロアーの女子トイレに入ったのだが……。
「おお、何と」……というべきか、「やっぱり」というか、トイレがまたまた、目眩がしそうな程の長蛇の列で人が溢れていた。
 もっとも、大きなデパートなのでトイレには更衣室まで付いており、BOXの数もけっこうある。しばらく辛抱すれば、数分から、少なくとも十分の内にBOXには入れるはずだ。
 別のフロアーのトイレを回ったところで、似たりよったりだろううと思い、私達はくちくなったお腹を摩(さす)りながら、仕方なくどの最後尾に並ぶことにした。
 され、どんどん順番が進んで、自分の番まであと五人といったところで、突然一番先頭の若い女性が、空いたBOXの中をチラリ覗くや否や、クルリ踵を返して戻ってきてしまった。
 何やらとってもガッカリ顔。
 さては、便器の中が”花ざかり”だったに違いないと私も反射的に顔をしかめたが、彼女は新しく先頭に立っている人に向かって言ったのだ。
「スミマセン。あそこ和式のトイレだったんですよ、私、和式が苦手なので、よかったら、お先にどうぞ」……と。
 ところがだ。”問題”はこれをきっかけに始まった。
 どうぞと言われた女子大生風の女の子が、「ああ、アタシも和式は無理」と言い、クルリ振り返ってさらに後ろの新妻風女性に和式を譲る。
 しかし、この新妻風も、「私もダメです。どうぞ」とさらにさらに後ろへ……。
 つまり、「苦手」「無理」「ダメ」「嫌い」「できない」と和式トイレを敬遠する言葉のバトンが渡されて、とうとう私の所まで来たというわけだ。
 私の前の二人の女性など、どう見ても私より年上のオバチャン二人組なのに。これを“問題!”と言わずして、何と言うべきか。
 私は一応、自分の後ろに立っているタミちゃんに、「和式、行っとく?」という目を向けてみたが、「いやいや」と無言で首を横に振ってみせたので、「ならば!!」とキリリ前に向き返った。そして、「私、和式、使わせてもらいます。お・さ・き・に!」と、宣言するように言い放ち、五人とびでBOX通路に躍り出たのであった。
 さて、久し振りに和式トイレにしゃがんで、眼下の金隠しを見つめながら、私はしみじみ思った。
「あんたも嫌われたもんだねぇ」……と。】

〜〜〜〜〜

 僕は男なので、世間の「女子トイレ事情」には全くもって疎いのですが、この室井さんの話にはちょっと驚きました。
 「和式」は、そんなに嫌われているのか……と。

 そもそも、男性の場合には、トイレでBOXを使用する機会は「大」の際に限られるので、BOXを利用する頻度は少ないのです。
 考えてみれば、僕もやっぱり、「どちらでも選べる状況」であれば、「洋式」を選ぶんですけどね。「和式」にずっとしゃがんでいるとけっこう足腰に負担がかかるし、服が汚れたり、跳ね返ってきたりするリスクも高そうだし。
 デパートなどでも、男性用のBOXは、ほとんど洋式で、和式が数か所、というくらいの割合ではないでしょうか。
 とはいえ、この話のように「順番待ちをして並んでいるような切迫した事態でも、和式はパス」ということは、男性の場合にはまずありえません。
 まあ、男性用トイレというのは、長蛇の列でずっと待たされる、ということも、ほとんどないのですけど。

 これを読みながら思い出していたのですが、僕が子どもの頃、30年くらい前は、公共の場所の「洋式トイレ」に、あまり良いイメージはありませんでした。
 「誰かよくわからない他人がお尻をつけた便器に直に自分も座る」というのは、かなり不潔な気がしていたんですよね。寄生虫とかが、うつるんじゃないか、とか。
 しかしながら、最近は、よほど住人にこだわるがある場合を除けば、新しく建てられた家のトイレは、ほとんど洋式です。
 僕もかれこれ20年近くアパート暮らしをしてきましたが、和式トイレのアパートには住んだことがありません。
 もちろん、僕は和式トイレをみても驚きはしませんが、これから生まれてくる子どもたちは、「和式トイレ」に唖然とすることがあるかもしれません。

 それにしても、女性の場合には、BOXの使用頻度が高いだけに、「洋式か和式か?」というのは、男性以上に大きな問題なんですね。正直、洋式だろうが洋式だろうがやることは一緒だし、そんなに長時間入っているのでなければ、和式でチャッチャッと済ませてしまったほうが良いような気がするのですが、やっぱりそうもいかないんだろうなあ。

 まあ、今の時代はもう、「和式」とか「洋式」にこだわること自体がナンセンスではあるのでしょう。
 「ウォシュレット」を開発した日本という国は、ある意味「洋式トイレの最先進国」でもあります。

 逆に考えれば、これだけ「洋式」が一般化していても、日本の大きな駅や空港やデパートのトイレには、必ずといっていいほど「和式トイレ」が残っているのですから、今でも「和式のほうがいい!」という人は確実に存在している、ということでもあるのでしょうね。