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2010年02月27日(土)
「変人」しか住まない「ワンルーム・マンション」

『活字たんけん隊』(椎名誠著・岩波文庫)より。

【私の娘と息子はそれぞれもう十五年ほどアメリカで暮らしているので私もよくアメリカにいくのだが、ときおり英語だと思って使っている言葉が英語でないということを子供らに指摘されて「ありゃま」と思うことがある。恥ずかしいことだが、同時に日本人はいかに夥(おびただ)しい現場で英語もどきの日本語を使っているかということに気づき、これほどまできているのだったらもう正しい日本語にこだわるのは無理かもしれないとまで思ったりした。
 たとえばクルマにからむ用語ひとつとっても「ハンドル」「アクセル」「バックミラー」「ウインカー」「ナンバープレート」「フロントガラス」「ボンネット」「ハイウェイ」「モータープール」「アイスバーン」すべて英語ではない。「オーナードライバー」という言葉も怪しい。
 けれど通常の日本の新聞や雑誌などにはカタカナで表記しなければどうしようもない英語のような用語が氾濫しているし、ちょっとした先端産業に勤める人と会話するとその言葉にも英語らしきものが半分以上混入していて、日本語で会話しているはずなのだが正確には何を言っているのかよくわからない、というような場合がよくある。とくに広告代理店やファッションメーカーの人などは難解な専門用語のようなものを沢山混ぜてくるので頭がクラクラすることがある。けれどそれらのよくわからない英語みたいな言葉の殆どが英語ではないケース、あるいは間違ってつかわれているケースがよくあるようだ。
 『これは英語ではありません』(KEAの会、新潮社)には百六十いくつもの用例が出ているが、読んだらいままで英語と思っていたのが沢山あるのに啞然とした。そうして日本人は日本語以上に英語が好きなのかもしれないなあ、ということを実感したのである。その悪弊のお先棒は、日本人の英語的表現好きを利用した企業の金儲け作戦がかついだようでもある。
 『カタカナ語の常識・非常識』(阿部一、東京書籍)にはカタカナ英語の誤用として出てくる住宅用語のメクラマシ作戦が出ていてわかりやすく面白かった。

 レジデンス=あくまでも個人の住宅
 ハイツ=高台のこと。建築物には使われない
 ヴィラ=庭つき邸宅
 コーポ=共同管理アパート
 ドエル=住む、の意味

一番よく使われている「マンション」は、車で門を越えてはるか先に二十部屋ぐらいある大きな屋敷が見えるような豪邸のことをさすから、日本で普通にいうワンルーム・マンションというのは、英語圏の人にそのまま理解させようとすると「体育館のように大きくて豪華な一部屋」ということになり、そこに住んでいるんだ、などといったらわけのわからない変人ということになってしまう。】

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 こういう「和製英語」の話はよく耳にするのですが、椎名さんが紹介されている「おかしな住宅用語」というのは知りませんでした。
 「なんで日本のアパートなのに、『○○コーポ』とか『○○ハイツ』なんて英語の名前ばっかりなんだろう?」とは思うけれど、実際に自分が住むとなると、やっぱり「カッコよさそうな横文字の名前」を選びそう。
 この時代に『○○荘』なんて言われると、それだけで『めぞん一刻』みたいな環境を想像してしまいますし。
 これによると、僕が以前住んでいた「リバーサイドハイツ○○」というアパートは、「川沿いの高台」ってことになるんですね。英語圏の人が聞いたら、「川沿いに野宿しているホームレス」だと思われたかもしれません。

 それにしても不思議なのは、不動産業界だって、英語に詳しい人はいるはずなのに、こんな「おかしな英語の名前」をつける習慣が変わらないことです。集合住宅のなかで、もっとも一般的な「マンション」までが「誤用」というのは、さすがに驚きなのですが……
 昔、「日本人はウサギ小屋に住んでいる」というアメリカ人の発言が物議をかもしましたが(実際は、「狭い家」という意味ではなく、「同じようなつくりの家が密集している」というニュアンスの発言だったそうですけど)、「ワンルーム・マンション」に住んでいる日本人がこんなに多いと知ったら、アメリカ人は驚くのではないでしょうか。「体育館みたいなだだっ広い部屋に住んでいる人」っていうのは、たしかに、「かなり変な人」ですよね。

 実際は、ここまで日本人にとって「あたりまえの言葉」になってしまうと、「マンション」という呼び方そのものを変えるのは難しいでしょうし、その必要もないだろうとは思うのですが、こういう「英語圏の人からみたら笑い話にしかならないような誤用」っていうのは、まだまだたくさんあるんだろうなあ。



2010年02月20日(土)
「ただエゴイズムのために人はあんなに高く飛べない。あんなに早くは走れない」

『お好みの本、入荷しました〜桜庭一樹読書日記』(桜庭一樹著・東京創元社)より。

(北京五輪直前の『Number』に掲載された、柔道の谷亮子選手のインタビューについての話に続いて)

【そこからほかのアスリートの話にもなって、家族を背負う選手たちの強さ、が話題に上った。離散する家族を繋ぎとめる、選手の活躍。コーチと選手との不安定な疑似家族関係。昔、貧しさに苦しむボクサーほど強かったものだ、という説を読んだことがあるけれど、現代においては、家族がそれに匹敵するんじゃないか、とまじめに語り合う。著名なアスリートたちは実は、テレビ越しに感じるほど、上昇志向の強い個人的な人間ではないのではないか。人が、自分個人のためにがんばれる力には限りがある。でも、崩壊する家族、つまり”世界の滅亡”を背負う若者は、無限の力を出して戦うだろう。テレビを見てると「日本を代表して!」とか「国民の皆さんに感動を与えるために!」とか、テレビ用の短いキャッチコピーをみんな語るけれど、ほんとうは国のためでもテレビの前にいる知らん人たちのためでもなくて、家族のために戦う、おおきな子どもたち、という面もあるかもしれない。
 ただエゴイズムのために人はあんなに高く飛べない。あんなに早くは走れない。いつだって、わたしたちは、誰かのために。
 しんみり……。】

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 僕はこれを読みながら、ある有名スポーツ選手のことを思い出していました。小さな頃から、親に英才教育を施され、「天才少女」と持て囃された彼女なのですが、メディアに採り上げられ、有名になったおかげで練習環境は向上した一方で、家族は、良くいえば「彼女のサポートのために仕事をやめ」、悪くいえば「彼女の収入で食べていく」ようになっていったのです。
 ああいう立場で「スポーツ選手」として生きていくのは、本当につらいことなのではないかなあ。

 本人の意向はさておき、有名になる、お金を稼げるようになると、こういう状況に巻きこまれてしまう可能性があるのです。相手が競技を始めるきっかけになった「身内」であれば、金銭的に頼られても邪険にはできないでしょうし、マラソンの高橋尚子選手のように、自分の「チーム」をつくった場合には、そのスタッフの生活も自分にかかってくるのです。

 もちろん、そういう「目に見える責任」というのは、選手がつらいトレーニングに耐えて競技を続けていくモチベーションになるという面もあるのでしょう。
 多くのトップアスリートたちは、「自分自身のためだけに」競技ができるほど自由ではないし、「日本国民」なんて、顔も見えず、オリンピックが終わったとたんに自分のことを忘れてしまうような存在のために競技ができるほど、夢想家ではないはず。
 
 僕は以前、こんな「金メダリストの練習風景」の記事を読んだことがあります。
『Number』(文藝春秋)542号に掲載されていた、長野五輪の金メダリスト、男子スピードスケートの清水選手の記事「清水宏保〜もう一度金メダル〜」より。

【清水のトレーニングは、目を覆いたくなるほど過酷である。特に自転車のローラーを使う無酸素系のトレーニングは、心拍数を生命的限界の220ぐらいにまで上げ、筋肉と脳への酸素の供給を絶ちきるのだ。酸素の供給を絶たれた筋肉は痙攣を起こし、脳は脳死寸前のブラックアウト状態になる。目の前の光が消える一歩手前で自転車を降りるが、苦しみのあまり地べたをのたうち回り、意識が回復するとまた同じことを繰り返す。初めてこの練習を見たときは、不覚にも涙がこぼれた。
「やる方だってイヤですよ。このトレーニングの時は前日からドキドキしますもん。でも、筋肉を破壊しないと新しい筋肉が再生されない。ただ単に筋肉の破壊なら電気ショックを与えても出来ます。でも無酸素系のトレーニングで同時に脳も変容していかないと、いくら筋肉を鍛えても指令を出す脳の限界値が低ければ、意味がなくなってしまう。」(「」内は清水選手の発言)】

 選手たちの多くは、「自分自身のため」あるいは、「応援してくれるみんなのため」だと口にします。
 でも、この清水選手のトレーニングなんて、「(自分自身を含めた)誰かのため」なんていうより、「自分を鍛えて、記録に挑戦せずにはいられない異常な執念」を感じるのです。
 「一握りのトップアスリート」の場合は、「誰のためでもない、ただ、少しでも限界に近づきたい」という強迫観念、あるいは使命感みたいなものが、彼らを動かしているのかもしれません。



2010年02月12日(金)
知らず知らず、「ブログに書きやすい毎日」を過ごしてしまう人々

『自由をつくる 自在に生きる』(森博嗣著・集英社新書)より。

(「ブログの罠」という項から)

【これに似たことが、インターネットで大いに普及したブログにも観察される。あれは基本的に自由になんでも書いて良いはずのものだけれど、もちろん実情はそうではない。人目を気にしなければならない。そこが従来の日記とはまったく異なっている。
 本当は誰も読んでいないかもしれない(その可能性は非常に高い)のに、仮想の大勢の読者を想定して(自分の行為が注目されているものと妄想して)、ブログを書く人は多いだろう。そういう心理がよく表れている文章が散見される。冷静になって観察すると、酔っぱらってハイテンションになっているときのようにも見える。
 本来、自分の時間は自分のためにある。何をするかは自由なはずだ。
 しかし、ブログを書くことが日常になると、ついブログに書けることを生活の中に探してしまう。人が驚くようなものを探している。写真に撮って人に見せられるものを見つけようとしている。たとえば、1年かけてじっくりと考えるようなもの、10年かけなければ作れないようなもの、そういった大問題や大作ではなく、今日1日で成果が現れるような手近な行為を選択するようになるのだ。
 知らず知らず、ブログに書きやすい毎日を過ごすことになる。
 これは、「支配」以外のなにものでもない。人の目を気にし、毎日のレポートに追われるあまり、自分の可能性を小さくする危険がある。充分に気をつけた方が良いだろう。
 そういう人は、ためしにブログを1ヵ月くらい休むと良いかもしれない。人に見せない、というだけで、自分が選ぶものが変わってくる。
 誰にも見せない、誰にも話さない、としたら、貴方は何を選ぶ? 自分のために選べるだろうか。自分が本当に欲しいもの、自分が本当に好きなものは何か、と考えることになるはずだ。ものを買うとき、選ぶとき、他者からどう思われるかを判断基準にしている、少なくとも、その基準が大半を占めていることに気づくはずだ。
 ある程度はしかたがないこととはいえ、他人の目を気にしすぎると、いつか虚しくなるときが来るだろう。何のために自分は生きているのか、他人のためではない、自分のためではないのか、と……。】

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 これは本当に身につまされる話だなあ……
 僕もけっこう長い間(この「活字中毒R。」は8年以上、別のところでやっているブログも、もう7年近くになります)ネットに文章を書き続けているのですが、確かに、ここで森先生が書かれているように、ネタ集めのために「自分が本当に読みたい本や観たい番組よりも、話題になっている、あるいはなりそうなもの」を優先するようになってしまった気がします。
 少なくとも、ネットで文章を書きはじめる前は、こんなに流行を追う人間じゃなかった、と自分では思っているんですよ。
 流行に対して批判的なことを書くにしても、結局、『恋空』の映画とか観てますしね。ブログのような「発表する機会」が無ければ、絶対に観なかったはず。「つまらない、嫌いであることを確認するために時間を費やす」ことが、「建設的」だとは思い難い。

 本来は、森先生が書かれているように「1か月や1年かけて積み重ねていくもの」に挑戦したいのに、つい、手軽ですぐに「反応」がかえってくる「140字のつぶやき」に行ってしまうのも事実です。

 いろんな人のブログを読んでいると、身内の不幸や恋人とのトラブルなどを赤裸々にネタにしている人も、まだまだけっこういるのです。
 僕自身も、それで痛い目にあったことがあるのですが、なんというか、たかがネット上のひとつのブログであっても「表現する」という行為には、どんどんエスカレートしていって、歯止めが利かなくなってしまう怖さがあるんですよね。読んでいる人が「そんなこと、書いていいの?」と思うような内容でも、書いている側は、「書いているのは自分の責任だから構わないだろう。どうせ知り合いは誰も見ていないはずだし」と考えてしまう。
 ネットの世界は、広くて狭い。
 ブログのネタのために、実生活が「犠牲」になってしまう場合だってあるのです。

 しかし、これだけの期間、そういう姿勢で書き続けていると、「本当に自分が好きなもの、自分がやりたいこと」が何なのか、自分でもわからなくなってしまっているんですよね。
 「人に見せない」となると、たしかに「選ぶもの」は変わってくるとは思うのですが、僕の場合は、より下世話なものとか、男の欲求を満たすものになってしまう可能性が高いのではないかなあ。

 「本当の自分」って、自分では(自分でも?)よくわからないのです。
 それは、とても怖いことだと僕も思います。

 でも、考えようによっては、「他人の目も自意識もない世界」というのは、生きている人間にとって、「現実には存在しない世界」なのです。
 ということは、「流されている自分も、自分自身」だとも言える、あるいは、そう考えるしか仕方がない面もある。
 「流行を追うこと」や「他人の目を気にすること」によって、新しい世界が広がったり、姿勢を正したりする場合もあるのだし。

 僕もこれを読んで、「1か月くらいネットで書くのを休んで、『自分が本当にやりたいこと』を再確認してみようかな」と考えました。
 その直後に、1か月ネットを休んで見つけた「自分が本当にやりたかったこと」を休み明けにブログに嬉々として書いている自分の姿が思い浮かんで、深く嘆息したのですけど。


『Twitter』で僕もつぶやいています。
http://twitter.com/fujipon2




2010年02月05日(金)
宮崎駿監督を怒らせた、糸井重里さんの『となりのトトロ』のコピー

『鈴木敏夫のジブリマジック』(梶山寿子著・日経ビジネス人文庫)より。

【『ナウシカ』公開の年、映画界は角川製作の『少年ケニヤ』や『おしん』のアニメ版(サンリオ製作)の話題でもちきりだったという。特に『おしん』はテレビでヒットしただけに、期待も高い。しかも『ナウシカ』と公開日はほぼ同じ。そんな状況で、当初『ナウシカ』を上映する劇場は60館ほどしかなかった、と当時を知るスタッフは言う。普段はピンク映画をやっているような劇場で午前中に1回だけ上映するといった、ひどいケースもあったらしい。
「『ナウシカ』は完成が遅れていて、宣伝のしようもなかったんだけど、完成したものを見せた途端、新聞記者が絶賛したんですよ。公開後は口コミでも評判が広がって、『おしん』をやっていた劇場が『ナウシカ』に切り替えたり。結局、配収7億4200万円をあげました」
 この映画のコピー、「少女の愛が奇跡を呼んだ。」は徳山氏(当時「アニメに強い」といわれていた映画宣伝会社「メイジャー」のスタッフ)が考えたもの。ポスターなども東映と相談してメイジャーで決めており、鈴木(敏夫)氏が口を挟むことはなかったという。
『ナウシカ』のヒットを受け、次作『ラピュタ』(配給・東映)もメイジャーが担当するが、『トトロ』と『火垂るの墓』では配給が東宝に移ったため、宣伝は東宝に一任される。その結果かどうか、興行はいまひとつふるわなかった。映画会社が、かつての映画黄金時代のようにきちんと宣伝をしてくれないことに、ジブリ側は不満を持ったようだ。
 なお、コピーライターは、このときから糸井重里氏が起用されているが、『トトロ』用のコピーとして、
「このへんないきものは、もう日本にいないのです。たぶん。」
 という案を出し、宮崎監督に怒られたというのは有名な話だ。最終的に、
「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」
 という印象的なコピーが生まれたが、このコピーにしても、雨のなかでトトロがたたずむポスターにしても、劇場公開時よりいまのほうがずっと知られているのは皮肉なものである。】

参考リンク:『となりのトトロ』とジブリの「転機」(琥珀色の戯言):歴代ジブリ作品の興行収入および観客動員のデータあり。

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 今夜、『崖の上のポニョ』テレビ初放映。
 あれだけ映画館でお客さんを集め、DVDも売れたりレンタルされてたりしてきた作品なら、いまさらテレビで観なくても……と思うのですが、テレビ放送、とくに初放送ともなれば、やっぱり「みんなと一緒に観てみようかな」という気分にもなりますよね。
 いまや「スタジオジブリの作品」といえば「日本の国民的映画」と言うべき存在なのですが、ジブリ作品も、最初から現在のように広く受け入れられ、大きな収益をあげていたわけではないのです。

 7億4200万円の配給収入(興行収入から映画館の取り分を引いたもの)を上げた『ナウシカ』に比べて、『ラピュタ』『トトロ』(『火垂の墓』との2本立て)は興行成績が落ちてきていて、『魔女の宅急便』が製作されていたときには、『宮崎監督の次回作は無いだろう』なんて、配給予定の東映のなかでも囁かれていたのだとか。
 そこで、日本テレビと提携し、製作途中から出資してもらい、番組内でのPRに協力してもらった結果、『魔女の宅急便』は、21億7000万円の配給収入を上げ、その年の邦画のトップとなったのです。
 
 実際のところ、『トトロ』以前と『魔女の宅急便』以降のジブリ作品には、興行収入の差ほど劇的なクオリティの差はないはずです。もちろん、近作ほどアニメーションとしての精度は向上しているのでしょうけど、映画としては、昔のジブリの作品のほうが好き、という人も、けっして少なくないはず。僕もジブリ作品でいちばん好きなのは『風の谷のナウシカ』ですし。

 そんなにクオリティは変わらない作品のはずなのに、『魔女の宅急便』が、ここまでのヒットになったのは、やはり、日本テレビを中心とした「宣伝の力」が大きかったのでしょう。当時は、インターネットはなく「リアルタイムの口コミの力」も、今ほどではありませんでしたし。
「作品そのものの魅力」は大事だけれど、「良い作品である」というだけでは、多くの人に届けるのはなかなか難しい。
 ちなみに、ジブリの辣腕プロデューサーである鈴木敏夫さんは、「上映してくれる劇場をたくさん押さえることの重要性」も語っておられたそうです。

 このエピソードのなかでとくに興味深かったのは、糸井重里さんのコピーの話でした。
 いまや、ジブリ作品といえば、糸井さんのコピーが恒例となっているのですが、『となりのトトロ』のときには、コピーをめぐって、宮崎駿監督に怒られたことがあったそうです。
 僕からすると、「このへんないきものは、もう日本にいないのです。たぶん。」だと怒られて、「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」だと採用されるというのは、わかるようなわからないような話で、少なくとも、前者も「怒られる」ようなものじゃないのでは……と感じます。だって、トトロは実際にはいないよね、たぶん。
 でも、その「こだわり」が、宮崎駿監督らしさではあるのでしょうし、その「宮崎駿の怒り」を、ほんの少しニュアンスを変えることによって「納得」に変えた糸井さんのセンスはやっぱりすごい。

 それにしても、「参考リンク」の歴代ジブリ作品の興行収入をみると、「作品の質と興行の成功は、必ずしも比例するものではない」ということがよくわかります。「テレビ局を挙げての大々的な宣伝」には、ちょっと嫌な感じがするのも事実なんですが、やっぱり、「観てもらえないとはじまらない」のだよなあ。


『Twitter』で僕もつぶやいています。
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