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2007年05月31日(木)
「巨大SNS列島」を支える「日本語ブログ」

「週刊アスキー・2007/6/5号」(アスキー)の「今週のデジゴト」(山崎浩一著)より。

”ブログで使われている言語、日本語は英語を抜いて最多に”
 2006年第4四半期にブログで最も使われていた言語は日本語で、世界中のブログ記事の37%を占めていることがわかった。米TechnoratiでCEOを務めるDavid Sirfy氏が5日、自らのブログで明らかにした。この結果は、同社が定期的にとりまとめているブログの動向調査をもとにしたもの。それによれば、世界中で作成されたブログ記事のうち、37%は日本語で書かれたもので、2位の英語(36%)をわずかに上回ったという。3位以下は、中国語の8%、イタリア語の3%と続いている。なお、前四半期では英語が39%でトップ、日本語は33%で2位だった。(2007年4月6日付『INTERNETWatch』)


 と、こんなデータを引用して、さて私は何が言いたいのだろう? 「5人に1人が中国人だから中国の覇権は地球の20%に及ぶ」とか「ADSL(!)普及世界一だから韓国は世界一のネット先進国だ」とかと同類の誇大妄想に浸りたいのか?
 確かに世界の言語人口の2%を占めるにすぎない日本語が、ブログ界で英語を超える”占有率”(という言い方にはかなり語弊があるが)を記録している、という統計には単純に驚ける。すごいな、と素直に思える。が、この数字が単に「日本にはドメスティックなブロガーが多い」という以上の意味を持っていないことを理解する程度の冷静さを身の程は、わきまえているつもりだ。
 いや、もちろんこのデータだけでは”他言語を発信する日本人ブロガー”や”日本語で発信する他国人ブロガー”がどれくらいいるのかまでは知ることができない。あくまでも使用言語だけの統計なのだから。
 が、それにしても世界の全ブログの37%を占める日本語が、ワールドワイドウェブの37%のコミュニケーションを媒介している――と想像できるほどの想像力は私にはない。そのイメージギャップには眩暈すら覚える。その37%の日本語の大半が日本国内のみで流通・消費されている――と考えるほうが、やはり想像負荷(?)は小さい。
 もちろん海外の日本語学習者や日本マニア/オタクが日本語ブログにアクセスする光景は、充分に想像できるだろう。実際、日本語エントリーに他言語コメントが付くケースも年々増加している。しかし、、それはあくまでも特殊ジャンルに限られたことで、たとえば政治系・ニュース系ブログではほとんど見かけたことがない(たまに見かけても”なりすまし”の疑い濃厚だったり)。

 つまり37%の日本語は巨大ローカルな”閉ざされた言論空間”を形成するのみなのだ。その外側に出て行かない。その言論鎖国的空間で無数の内弁慶たちが内輪話や楽屋落ちで盛り上がってる――という、言ってみればSNS列島、国内LAN、ウェブ内租界みたいなイメージ。

(中略)

 エコノミスト池田信夫氏のブログ(ウィキペディアとの闘い)によれば、3月頃から英語版ウィキペディアの”Comfort women”(いわゆる”従軍慰安婦”)の項目が、匿名の人物によって荒らされ始めた。「20万人の韓国人少女が日本軍に強制連行され性奴隷にされた」というムチャクチャな(しかし、半ば”定説”化しつつある)記述が書き込まれたのだ。池田氏が何度訂正しても、執拗にrevert(全文復元)され、そのすさまじい編集合戦は10日間で500回に及んだという。revertは同一IDで3度までしかできないが、相手はIDを変えて訂正書き込みを妨害し続ける。管理者に通報しても対応してもらえない。池田氏はとうとうギブアップ。結局、この項目はその人物のプロパガンダが書き込まれたまま保護状態にされてしまった。
 知識と意欲と英語力に不足のない池田氏ですら(「だからこそ」か?)お手上げにさせる相手の粘着エネルギーは、ほぼその正体を想像できるとはいえ我々の想像の斜め上をいく。
「これに対抗できるエネルギーがあるのは、2ちゃんねらーぐらいかな。だれかスレを立てて『祭り』にしてよ」(池田氏)。いやいや、当エントリーのコメントにもあるように「2ちゃんねらーは敵に回すと怖いが味方にすると頼りない」に私も同意せざるをえない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これを読んでいると、日本というのは本当に「ブログ大国」なのだなあ、と驚いてしまいます。世界の言語人口の2%にしかすぎない日本語が、ネット上のブログの世界では、「世界一使われている言語」なのですから。まあ、経済的な格差もあって、「ネットをいつでも使えるくらいの環境にある人の中での日本語を使っている人々の割合」というのは、2%よりは高いのではないかなあ、とも思うのですけど。
 こうして日本語で書いている人間が100%日本人ではないとしても、日本人が、「ブログで何かを表現するのが大好きな民族」であることは間違いないようです。ところが、いくら日本語で「世界に正しいことをアピール」しようとしても、実際にそれを読んでいる人の大部分は「日本人」でしかないわけです。

 英語が苦手な僕にとっては悲しくなるような話なのですが、学術論文の世界では、「英語で書かれていない論文は、評価の対象外」となることがほとんどです。それは、論文の内容以前の問題で、「どんなに素晴らしい論文でも、日本語だと、世界の人々は読んでくれない」のです。もちろん、日本国内で出版されている学術雑誌には日本語の論文もたくさん載ってはいるのですが、それはあくまでも「ローカルな価値しかない」ものだと認知されています。英語圏に生まれた人にとっては、母国語で書けばいいわけですから、そんなのすごく不公平だし理不尽だという気持ちは僕にもあるのですけど、だからといって、僕がこの世界の片隅で「お前ら日本語の論文だからって差別するな!」とか叫んでみても、「ハァ?」とか呆れられてしまうのがオチなんですよね。少なくとも「日本語の論文が世界的に通用するようにしていく」よりは「僕が悪戦苦闘して英語で論文を書く」ほうが、世界の人々に読んでもらうためには、はるかに「近道」ではあるわけです、誠に遺憾なことではありますが。

 今、日本中に存在している「正しい日本の姿」「日本のスタンス」をアピールしているブログの多くを読んでいるのは、それが日本語で書かれているかぎり、やはり「日本人」なのです。そして、そこにどんなに正しいことが書いてあったとしても、それはなかなか他国の人には伝わりません。僕が、英語のサイトを「読みこなせない」ので、ほとんど行かないように。
 誰かがそれを「翻訳」してくれるにとても、それが正しい翻訳なのかどうかって、相手の言語に精通していないとわかりませんしね。

 日本人は、同じ日本人相手に「海外で誤って伝えられている日本の姿」を語り、「あそこはなんて酷い国なんだ!」って言いがちなんですが、結局それって、他の国の人からすれば「日本人は自分達だけで寄り集まって、わけのわかんない言葉でこっそり陰口言ってるらしいぜ」みたいな感じなのかもしれません。本当に悔しいことですが、「世界中で同じものが見られる」インターネットでも、「言葉の壁」というのは、イメージ以上に大きいのです。どんなにアメリカや韓国のサイトに酷いことが書いてあったとしても、そこに直接抗議する日本人というのは、本当にごく少数です。誰かが訳した内容を鵜呑みにして、「2ちゃんねる」に集まって日本人どうしで大騒ぎ。もちろん、それもひとつの「世論」ですから、全く社会的な影響が無いわけではありませんが……
 
 この池田信夫さんの「ウィキペディアとの闘い」のエントリーを読んでみると、同じ日本人ですら、池田さん自身やその行為に対して批判的な感情を抱いている人は少なくないようです。考えてみれば「日本人同士だって、そんなにネットでわかりあえているわけではないのだから」、言語を超えての相互理解なんていうのは、夢のまた夢、なのかもしれません。
 同じ日本人同士で、まったりと語り合うブログだって、それはそれで当事者たちが幸せなら、誰かに批判されるような筋合いもないだろうしね。



2007年05月29日(火)
北野武監督「役者は”芝居”をするな!」

「週刊SPA!2007/5/29号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々」第484回、映画監督の北野武さんと作家・演出家・俳優の松尾スズキさんの対談記事です。取材・文は北尾亮さん。

【松尾スズキ:各役者さんについて、お聞きしたいんですけど。まず、岸本加世子さんは、ここ数年の北野映画には必ず出演されていますね。

北野武:加世子ちゃん、自分は当然出るもんだと思ってるからね(笑)。カメラマンとか照明さんと同じような感じで「次の作品はいつごろやるの?」なんて言われるもん。

松尾:気分は製作チームだ(笑)。

北野:そう(笑)。で、これは俺の映画に出た人はわかると思うんだけど、とにかく「演技を作ってこないで」ってのが北野組の掟。もちろんセリフは覚えといてくれないと困るけど、あとはもう何も用意せずに来てほしいんだよね。加世子ちゃんはそれがわかってるから、実にニュートラルに撮影現場に来るんだよ。ときどき役を作ってきちゃう人がいるんだけど、セリフの前後を入れ替えるだけで混乱しちゃって困る。だから「セリフは覚えても、そのセリフに合わせた演技プランは立ててこないでください」って言うんだ。そうじゃないと役者って”芝居”をしたがるんだよね。特に清純派女優なんか、すぐ女郎かなんかになって雨んなか道に倒れてワンワン泣きながら男の名前叫んだり、そういうのがいい芝居なんだって思っちゃってる。

松尾:それじゃ、五社英雄の映画になっちゃいますよね(笑)。そういえば、今『hon-nin』で「ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!」というのを連載させていただいていますが、『戦場のメリークリスマス』の時点で、すでに「映画は監督のもの、役者なんてバカでいい」という趣旨のことをおっしゃってますね。

北野:だって、犬に演技プランを説明するヤツはいないでしょ? 犬は悲しいと思ってなくても、悲しい音楽を流して尾っぽを振ってりゃ悲しく見えるし、逆に楽しい音楽に合わせてテンポよく編集すれば楽しそうに見える。でも、犬の表情は違ったりしないわけで、人間だって同じようなもんなんだよ。決められたセリフを言って、最低限の演技をしてくれればいいわけ。ところが「私は悲しい演技をしてます!」「楽しい演技をしてます!」というように役者が主張するってことは、「私はとんこつ味のラーメンです」とか「私はしょうゆ味です」って自分から言うようなもんであって、そうすると監督は「私は味噌味が好きなんだけど〜」とか客に言われて困るんだ。だから、そんなこと主張せずに役者は「ラーメンです」って言ってりゃいいんであって、麺が太いとか細いとかいう演技はするなって。観てる人が自分に都合のいいように考えられるのが、一番いい演技なんじゃないかと思うんだけどね。

松尾:そういう意味でも僕、たけしさんが寺島進さんを好んで起用する理由は、なんとなくわかるんです。寺島さんと一度、現場で一緒になったことがあるんですけど、言われたこと的確に演じるから、「素材に徹していて、すごくいいな」と思ったんです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 映画監督・北野武にとっては、役者というのは、あくまでも「記号」にすぎないのでしょうか? このインタビューを読んでいると、正直「これはどこまで北野監督の『本音』なのだろう?」と悩んでしまいます。だって、北野映画で最も印象深い役者のひとりである「ビートたけし」は、けっして、ものわかりのいい役者のようには思えないんですよね。いや、「ビートたけしは、ビートたけしなんだ」ということで、確かに「他の誰かを演じようとはしていないのかな」というようにも見えるのですけど。

 それにしても、ここまで「映画は監督のもの」だと公言している映画監督はほとんどいないのではないでしょうか。その一方で、【観てる人が自分に都合のいいように考えられるのが、一番いい演技なんじゃないかと思うんだけどね】という発言からは、「観客の視点」も感じられます。もしかしたら、「演技論ばかりが先走って過剰な自己満足の演技しかできない役者たちが嫌い」なだけなのかもしれませんが。

 僕はこの対談を読んでいて、「大人計画」という劇団の主宰者であり、自らも脚本家・演出家、そして役者でもある松尾スズキさんは、この北野監督の「役者論」を聞いて、どう思ったのだろう?と興味があったのですが、結局、この対談のなかでは、松尾さんは聞き役に徹しておられて、「自分の意見」をハッキリと表明されてはいません。大先輩相手でもあり、なかなか激論を闘わせるわけにはいかなかったのでしょうけど、それはちょっと残念でした。
 これを読んでいると、「それなら、北野監督は素人ばかりを出演させて映画を撮ればいいんじゃないか」とも感じたのですけど、【決められたセリフを言って、最低限の演技をしてくれればいいわけ】という、その「最低限の演技」っていうのがまた、「誰にでもできるってものじゃない」のですよね。
 「どんこつラーメンです!」って自己主張するのはうるさすぎるけど、「ラーメン」にはなっていなければならない。これって、実はものすごく難しいことなのだと思います。



2007年05月28日(月)
「清潔な調理場からでないと、美味しい料理は生まれない」

『至福のすし〜「すきやばし次郎」の職人芸術』(山本益博著・新潮新書)より。

【清潔。料理ではこれはもう言うまでもなかろう。「清潔な調理場からでないと、美味しい料理は生まれない」とは、フランス料理のジョエル・ロビュションの口ぐせであるが、けだし名言と思う。「掃除をしていて、しすぎるということはない。汚れたらすぐに拭けばいい。それが半日もたてば洗わなくてはならない。一日置いたら磨かなくてはならない」と小野二郎は店の者にそう言う。調理場での格言といってもよいだろう。
 このように、優れた料理人は清潔であることに人一倍気を遣う。料理にたずさわる職人であるなら当たりまえのことだが、調理場や身のまわりのものの清潔さに常に気をつけている料理人には、おのずとその人自身に清潔感が漂うものである。】

(「すきやばし次郎」の「清潔さへのこだわり」についての、山本益博さんと小野次郎さんの話の一部です)

【山本益博:飲食店というのは、清潔というのがまずなによりも大切と思うのですけど、これがなかなかクリア出来るようでいてクリアできない。清潔であることが飲食店にとって何より大事という、そのお手本のような店が「すきやばし次郎」ではなかろうか、と。わたしの知る限り、日本一清潔な店だと思います。
 日本一どころじゃない、「次郎」さんと同じくらい清潔好きというか、店の中がとにかく隅から隅まできれいになっていないとご機嫌が悪い、あのジョエル・ロビュションさん、その彼をいまから15年ほど前、こちらへ初めてお連れしたとき、ロビュション、店へ入った瞬間、自分の店より清潔な店を初めて見たって言ったんですよね。
 それくらい清潔なんですけど、「次郎」さんは、もともと清潔好きだったんですか。
 
小野二郎:まあ潔癖は潔癖でしたね。だけど人に言われるほど清潔かどうか……。これでごく普通じゃないですか。
 でも、保健所が来ると、うちの若い連中は、保健所よりかうちのオヤジの方がうるさいから、もっとよく見ていってほしいって言います(笑)。保健所の人はうちへ来ると、勝手口のところで靴脱いで入ろうとするんです。わたしら土足で入っているところ、あの方々は靴を脱いで入ってくる。土足でいいですよと言うんですが、本当にいいんですかと言うぐらい。保健所の人は今はうちへ来るのが5年にいっぺんぐらいですけど、表彰状は毎年来てます(笑)。

山本:すし屋さんはどこへ行っても、つい魚の匂い、酢の匂いがします。目をつぶってもすし屋とわかってしまう。それがすし屋ならではの匂いでいいとおっしゃる方もおありのようですけど、やっぱり絶対禁物ですよね。

二郎:いちばん美味しく食べていただくには、他の匂いが入らないほうがいいんです。すしはすし種と酢めしだけ、ですからそのものだけの味でないとダメですね。生臭い匂いなんてのはいちばん禁物です。

山本:やっぱり掃除が徹底してないと、流しの下のところなんかから、つい魚の匂いはすぐ匂ったり……。

二郎:わたしの店では、お勝手と調理場は、夜仕事が終わると、お湯を全部かけて洗わないことには、店は仕舞にならないんです。それをやらないと、どうしても匂いがだんだんだんだん重なっていって、しまいには匂いがついてしまう。

山本:若い人は掃除について、ブツブツ文句言わないですか。言わせない?

二郎:言ったらクビになります(笑)。

山本:その掃除、清掃にどれくらい耐えられるのかってのがありますよね。ロビュションはよく言います。「料理というのは、調理半分、掃除半分」だと。まず清潔を保てるだけの心がけというか、掃除がきちんと出来ない者は調理する資格がないと。
 また、「コート・ドール」(東京・三田)の斉須(政雄)さん……。

二郎:あのお店もきれい。前に山本さんに連れていっていただいて食事したあと、厨房を見せていただきましたよね。隅から隅まで本当にきれいになっている。すごく刺激受けましたね。

山本:店が出来て10年以上経っているっていうのに、厨房はいつでも明日開店かっていうぐらい磨きに磨いてありますよね。その掃除について斉須さんに尋ねたんです。
「毎日毎日掃除を徹底しているからこその清潔感と思うんですけど、仕事が終わったあとのもうひと仕事で大変じゃないですか。若い人は嫌な顔しませんか」って。
 そうしたら、斉須さんこう答えたんです。
「僕も一緒にやりますよ。でも毎日やらなかったら、もっと大変ですよ。毎日きちんと掃除していれば、大掃除っていらないんですね。
 僕は、この店をオーナーに任されたとき、こんなに立派な調理場作っていただいて、と思いました。いい料理を作らなきゃいけないって思いました。
 そういう料理をする喜び、ですね、山本さん。こんな立派な厨房で料理をすることが出来る。それに感謝するのは掃除くらいしかないじゃないですか。ですから、掃除が大変、なんて思ったことないです。いまはオーナーから店を譲り受けましたけど、その気持ちはまったく変わってません」

(中略

山本:店へ入っても掃除ばかりっていうので、それが嫌で辞めてしまう若い人、いまどき多いんじゃありませんか。

二郎:早いのだと半日(笑)。その次だと、一日ぐらいたってもう嫌だと。二日目の朝、店に出てこないので、連絡してみたら、一日立ってて疲れましたって。そうですね、10人来て1人残ればいいほう、1割ないかもしれませんね。

山本:みんなすし屋になりたいという若者は、つい早いところ、お客さんの目の前に出てすしをにぎりたいんですね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 掃除という行為を「うーん、わざわざ綺麗にしたって、どうせすぐまた汚れるんだからさ」などと常に敬遠し続けている僕にとっては、なんだかもう、本当に読んでいるだけで申し訳なくなってくるような話です。いや、お客さん相手の飲食店だからなおさら、というのはあるのでしょうが、「汚れたらすぐに拭けばいい。それが半日もたてば洗わなくてはならない。一日置いたら磨かなくてはならない」というのは、本当にその通りだよなあ、と。ごく簡単なことなのですが「出したものは片付ける」とか「ゴミはすぐにゴミ箱に捨てておく」ことをその場でこまめにやっていれば、確かに、いざというときに慌てふためかなくても済むのですよね。まあ、こういうのこそまさに「言うは易し、行なうは難し」の典型なんですが。

 ちょっと前に、テレビで、みのもんた司会の『愛の貧乏脱出作戦』という「流行っていない飲食店の店主が、流行っている飲食店に弟子入りして腕を磨き、店を再建する」という番組をやっていたのですけど、あらためて思い返してみれば、そこで紹介される「貧乏店」は、すべからく「片付いていない」「不潔な感じ」だったのです。ここで語られている「超一流店の清潔の概念」を読んでいると、「店の清潔さと食べ物の味は別」というのは、単なる言い逃れにすぎない、ということがよくわかります。「魚の匂い、酢の匂いもダメ」なんて言われると、「そこまで厳しいのか」と驚くばかりなんですけどね。僕にとっては、「あれが鮨屋の匂い」なのに。

 『コート・ドール』の斉須さんの「こんな立派な厨房で料理をすることが出来る。それに感謝するのは掃除くらいしかないじゃないですか」という言葉も、仕事場の机の整理整頓が全然できていない僕には、耳が痛い話でした。こういうのって、「自分への戒め」であるのと同時に、店を預けてくれたオーナーへのアピールにもなるはずです。そう公言して、店を綺麗に使ってくれれば、オーナーだって悪い気はしないでしょう。まあ、そんな下心のあるなしはさておき、スポーツの世界でもイチロー選手や松井秀喜選手が野球の道具を非常に大切にしていて、いつも自分で丁寧に手入れしているというのは有名な話です。

 まあ、実際は、この至高の名店である「すきやばし次郎」、僕のような「普通の人間」にとっては、「あまりに張り詰めた雰囲気なので、緊張してしまって食べ物を味わうどころじゃない」なんて話もあるみたいですけど。



2007年05月27日(日)
「史上最弱の横綱」一代記

『日本アウトロー列伝』(宝島社文庫)の、「下足番になった横綱・男女ノ川登三(みなのがわ・とうぞう:第34代横綱)」の項より(著者は那由他一郎さん)

【横綱は強いもの。当たり前だ。ひと昔前の大鵬や北の湖を見ればわかる。現在の横綱朝青龍を見ても、その強さは憎らしいほどだ。
 ところが、戦前には弱い横綱がけっこういた。その筆頭が第34代横綱男女ノ川(みなのがわ)であろう。横綱に昇進する前の成績が6勝5敗(当時は1場所11日)、今の制度では絶対に昇進できないものだ。番付の昇進は成績よりも会社の人事異動みたいなもので、空席なら簡単に横綱にもなれた時代だった。
 男女ノ川には横綱時代の成績が、87勝55敗22休として残っている。現在の見方で考えると、9勝6敗をずっと続けていたということになる。同時期に69連勝の名横綱双葉山がいたが、男女の川は在位中にこの名横綱に1度も勝てなかったという情けない横綱だった。
 弱さでいうと、おそらくトップクラスの横綱ではなかったか、というのが世評の噂である。強い弱いはともかく、土俵の上よりも土俵外で話題を提供する横綱だったので、それなりの奇人変人として人気があった。

 マイカーの珍しい時代に自らダットサンを運転して場所入りしていた。燃料統制で運転が禁止されると、自転車で来るなど、相撲協会に反発する態度が目立っていた。趣味もビリヤード、映画とおよそ力士らしくないものだった。早稲田の聴講生として、マゲの上に角帽をかぶって、大学の講義も聴きにいっていた。
 192cm、155kgと並外れた巨体には女性もこわがって近づかない。彼のイチモツはビールビンぐらいと噂されたが、同郷だという遊郭の女性とねんごろになったことがある。たったの一度きりで、見事に流行り病にかかり、足腰が立たなくなったそうだ。

(中略)

 引退後の人生もおかしいやら哀しいやら、男女ノ川の一代記は尽きない。一代年寄・男女ノ川を認められたが、早々と相撲界には見切りをつけて、彼は戦後第1回目の衆議院議員選挙に出馬している。あんたの人気なら当選確実だ、とそそのかされてその気になってしまったのだ。
 当選どころか、軍事工場にかり出されただけの縁しかない東京2区(現在の三鷹あたり)で出て、結果は4337票で27位。定員11名に対して、134名が立つという激戦ではあったが、惨敗であった。
 この選挙でよせばいいのに、その後も地方選挙に何度か出て負け続け、すってんてんになった。それからは、私立探偵、小間物屋、料理屋、金融会社勤務と職を転々とするが、どれもいまくいかなかった。大体、192cmで私立探偵になって、人を尾行しようという考えはどこからきたのか。唯一、うなずけたのは、映画出演だろうか。
 ジョン・ウェイン主演の『黒船』でジョン・ウェインを投げ飛ばす役を演じている。ところが、既に足腰はガタガタ、相手は大きい。男女ノ川、相手をかかえることもできなかったそうだ。ロープで吊りあげて、ようやくOKという体たらくだった。元横綱の誇りも形なしだった。
 さて、男女ノ川劇場の終章は、東京都郊外の鳥料理店が舞台となる。1968(昭和43)年双葉山の死亡が伝えられた折り、男女ノ川が養老院にいるというニュースも同時に報道された。それを知った料亭の経営者が、彼を哀れに思い養老院を訪ねてきた。
 もうこのままでいい、と経営者の誘いも固辞したようだが、経営者の熱心な誘いで料亭で住み込みの下足番(玄関番)をやることになった。第34代横綱は、ここで67年の波乱に満ちた生涯を閉じることになる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 現在(2007年5月27日)までの歴代横綱は68名。近いうちに4年半ぶりの新横綱に昇進することが確実な白鵬関まで加えるたとしても69名。200年を超える大相撲の歴史を考えれば、非常に「狭き門」ではあるのですが、「横綱」に昇進するための条件というのは、時代によってけっこう差があったみたいです。まあ、「横綱の位が空いていれば、大関で勝ち越せば昇進できる」という時代であっても、歴史的にみれば「横綱のひとり」には違いありません。
 この第34代横綱・男女ノ川関は、1903年の生まれで、横綱在位は1936年から1942年。同世代の第35代横綱に、あの69連勝で有名な不世出の大横綱・双葉山がいたというのはなんだかすごく皮肉な話です。「史上最強」と「史上最弱」のふたりの「横綱」というのは、弱いほうにとってはすごく辛かったはずです。男女ノ川関の成績や行状を見てみると、正直、「今みたいに『横綱になるための条件(相撲の強さとか品格とか)』が厳しく問われる時代では、絶対に横綱にはなれなかっただろうなあ」という気がします。まあ、ここ数十年でも、横綱になったまではよかったのものの成績が伴わずにすぐに引退してしまった力士(旭富士や3代目若乃花)もいますし、こともあろうにおかみさんを殴って廃業してしまった双葉黒関なんていう凄い「横綱」もいますから、男女ノ川だけがとびぬけて「異常」ではないのでしょうけどね。
 それにしても、最近「負けるのが大晦日の風物詩」と化してしまった曙だって、少なくとも相撲取りとしては、はるかにこの男女ノ川よりは強そうではあります。そもそも、曙って、あのまま元横綱として相撲協会に残っていれば、人々の記憶には「貴乃花の強力なライバル」として語り継がれていたはずなのに。本人としては、「それでも闘いたかった」のかもしれませんが……
 
 しかし、この男女の川という人は、なんだかとても不思議な人ではありますね。ものすごく反体制的で、大学の聴講生になるなどの勉強家の面があるかと思えば、選挙に出馬するのはお約束だとしても、いきなり私立探偵をはじめてしまうなんて。著者も書かれていますが、いくらなんでも192cmの大男に探偵は難しいでしょうし、そんなこと、普通に考えればわかりそうなものです。でも、この「元横綱」は、あえてその無謀な挑戦を行っているのです。どこまで「本気」だったのだろうかと疑ってしまいます。

 この人は、体が大きかったり、力が強かったりしなければ、きっと、全然違う人生を歩んでいたのでしょう。もちろん「横綱」という頂点に立ったのだし、こうして歴史に名前を残しているのですから、その人生が100%不幸だったということもないとは思うのですけど。

 こういう「横綱」たちの後半生って、周囲としては「相撲取りとして頂点を極めたのだから、あとはそれに恥じないように生きてもらいたい」と考えてしまいがちなのですが、本人にとっては、「相撲をやめても、人生はまだまだ続く」のですから、そう簡単に「隠居」するわけにはいかないのでしょうね……



2007年05月25日(金)
「でも、僕は、『天才赤塚不二夫の手伝いが出来ただけでも幸せだった』、と今は思ってる」

『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(武居俊樹著・文春文庫)より。

(赤塚不二夫さんの前夫人・登茂子さんが、著者に語った「マンガ家・赤塚不二夫の仕事に対する姿勢」。登茂子さんは新米イラストレーター時代に赤塚さんのアシスタントになり、その後結婚されています)

【私も絵が少し判ったから、「不二夫さんの絵は古いんじゃない」と、言ったことがあった。何気ない一言だったんだけど、赤塚は、すっかり考え込んじゃった。
 そんな時、少年サンデーで『おそ松くん』が新連載されることになったの。悩んだ赤塚は、共同執筆者に高井研一郎さんを入れることにした。仕事に関しては、凄く柔軟性のある人だと思ったわ。
 自分の絵が古かったら、絵が上手い人を入れればいい、って単純に考えられる人。さすが、トキワ荘で、石森さんや水野さんと共同執筆した人よ。作品を良くするためなら、誰にでも頭を下げられる謙虚さを持ってるの。プロデューサー的資質があるのね。
 絵では高井さん、アイデアでは、その後、古谷(三敏)さんや長谷(邦夫)さんの力を借りていく。武居さんも、赤塚の巻き起こす渦に巻き込まれている。でも、単純に信じているだけでは駄目よ。
 僕は単細胞だから、単純に思っていることを口にする。
「いや、僕は、こんな天才の片隅に入れて貰えるだけで光栄です」
「高井さんが入って、赤塚の絵は、明らかに変わったわ」
 と、登茂子さんは『おそ松くん』の初期の頃の話を始める。
『おそ松くん』で、赤塚の作ったキャラの絵は、六つ子と、その父母、トト子ちゃんくらいね。他のキャラは、ほとんど高井さんの絵よ。
 イヤミのキャラを作った時なんか、感心したわ。洋行なんかしたことないのに、フランス帰りを自慢している男を、赤塚が口で説明するの。高井さんは、それを聞いて、サラサラって絵を描くの。それに赤塚が細かい注文をつけると、高井さんが修正していく。そして、赤塚が叫ぶの。
「研ちゃん、これだよ!」って。
 チビ太も、ダヨーンも、デカパンも、ハタ坊も、そうやって出来ていったの。「シェーッ!!」のポーズも、みんなで、ああでもない、こうでもないって一晩ワイワイやって完成していった。「口伝て」でキャラクター描ける高井さんは、本当に天才よ。
 高井研一郎さんの証言。
「僕は、大人漫画を目指していた。『おそ松くん』で赤塚氏に協力して、チビ太やイヤミのキャラクターを作った。自分の絵柄を全部、赤塚漫画に投入した。僕が、赤塚氏の後に雑誌に入ったら、赤塚の物真似作家になっちゃう。僕は僕なりに、そのことで悩んだ。
 でも、割り切ったの、赤塚氏が売れっ子になるまで協力しようと。割り切っているつもりでも、時々不機嫌になったりするのね。だけど、赤塚氏のほうが一枚上手だからね。でも、僕は、天才赤塚不二夫の手伝いが出来ただけでも幸せだった、と今は思ってる」】

〜〜〜〜〜〜〜

 高井研一郎さんは、赤塚さんが『おそ松くん』の連載を開始するときに「共同執筆者」となり、1970年まで作画スタッフのチーフとして赤塚さんの「フジオ・プロダクション」に所属されています。高井さんは後に『総務部総務課山口六平太』や『プロゴルファー織部金次郎』などのヒット作を出し、自らの名義でもマンガ家として成功を収めているのですが、マンガ家としての「知名度」や「歴史的な重要性」では、やはり、「赤塚不二夫」にはかなわない、と言わざるをえないでしょう。もっとも、高井さんはまだ現役ですので、「今の時点では」と言っておくべきかもしれませんが。

 登茂子さんは、新米イラストレーター時代に集英社の『りぼん』の編集者に紹介されて赤塚不二夫さんのアシスタントになったそうですから、確かに、絵に関しては「素人」ではありません。まあ、だからと言って「不二夫さんの絵は古いんじゃない」と言ってしまうのもすごい度胸ですけど、そこでの赤塚さんの対応が、僕にはとても興味深かったです。
【自分の絵が古かったら、絵が上手い人を入れればいい、って単純に考えられる人。】
 これは本当に「単純かつ最も確実な答え」だと思うのですが、その一方で、ずっとマンガ家としてやってきた人間が、そんなに簡単に「自分の絵の古さ」を認め、他の人の手を借りることにした、というのは、正直ちょっと驚きです。赤塚さんには「プライド」が無かったのだろうか、と。
 そしてさらに驚いたことは、一世を風靡した『おそ松くん』の主要キャラクターの多くは、赤塚さん自身の絵ではなく、高井研一郎さんの絵によるものだった、ということでした。マンガ家というのは「絵が命」なはずですから、『おそ松くん』は、「原作・赤塚不二夫、作画・高井研一郎」とクレジットされていてもおかしくない作品だったわけです。もちろん、高井さんが全く何も無いところから、自分ひとりの力で『おそ松くん』を描けたのか、と問われると、それも難しかったような気もしますけど。

 これらの話から考えると、赤塚不二夫というマンガ家の最大の「才能」というのは、「他の優秀な人材を自分のために働かせる人間的魅力」だったのかもしれません。高井さんは、「赤塚不二夫」の作品、もしかしたら、自分がこれからマンガを描いていく際に「赤塚不二夫の物真似」と言われる原因になるかもしれない作品のために、自分の絵の全部を捧げたのですから、それだけのことをしてしまうような魅力が、赤塚不二夫にはあったということなのでしょう。少なくとも「他人の意見にはちゃんと耳を傾ける人」「他人をその気にさせるのがうまい人」ではあったようです。

 『おそ松くん』は赤塚不二夫の作品、だと認識されています。そのことについては、高井さんにだって、ちょっと複雑な気持ちもあるでしょう。
 でも、こういう「陰の作者によって支えられていた人気マンガ」っていうのは、けっこうたくさんあるのでしょうね。
 少なくとも、赤塚さんに出会ったことで、高井さんが描いたキャラクターたちは「歴史に残った」のですから、これもまた「マンガ家冥利に尽きる」ことなのかもしれません。



2007年05月24日(木)
光市の母子殺害事件の控訴審が始まった。

産経新聞の記事より。

【山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が無期懲役の2審・広島高裁判決を破棄した元会社員の男性被告(26)=事件当時(18)=に対する差し戻し控訴審の初公判が24日午後、広島高裁(楢崎康英裁判長)で始まった。事件当時未成年だった被告への死刑適用の是非をめぐり、検察側と弁護側の激しい攻防が予想される。

 1、2審判決はいずれも、事件当時、被告の年齢が18歳と30日で、少年法が死刑の適用を禁じていない「18歳」に達したばかりだった点を重視し、無期懲役を選択。
 しかし、最高裁は昨年6月、下級審が死刑回避にあたって考慮した事情を「十分とはいえない」と退け、「特に酌量すべき事情がないかぎり、死刑を選択するほかない」と判示した。
 検察側はこの日の公判で、これまでと同様、「死刑を回避する理由がない」とする意見書を陳述するとみられる。
 これに対し、弁護側は被告に殺意はなく、傷害致死罪が相当とする意見書を陳述し、事実関係についても争う方針。弁護側が独自に依頼して作成した被害者の死因鑑定書などを証拠請求し、殺意の認定を突き崩して死刑回避を図るとみられる。】


『週刊SPA!』(扶桑社)2006年7月4日号のコラム「これは事件だ」vol.492(神足裕司著)より。

【事件を振り返る。
 '99年4月14日、残業で夜9時半すぎに帰宅した本村さんは、自宅に妻・弥生さん(当時23)と生後11ヶ月の長女・夕夏ちゃんの姿がないため探し、押し入れの中で冷たくなった妻の姿を発見する。
 18日、容疑者の少年が逮捕された。近隣に住む少年は、かねてから弥生さんに目をつけ、水道検査を装って侵入。大声で叫び、抵抗する弥生さんを「殺してからやれば簡単だ」と首を絞め、手と口を用意したガムテープで縛って、セックスした。赤ん坊が泣きやまないので、両手で抱え上げ、頭から絨毯に叩き付けた。なおもハイハイして死んだ母のところへ来たので、両手で首を絞め、うまくいかないので紐で絞め殺した。
「犯行の動機は甚だ悪質で……動機と経緯に酌むべき点へ」みじんもない、と最高裁判決要旨にある。
 本村さんは「もし犯人が死刑にならずに刑務所から出てくれば、私が自分の手で殺す」と言った。当然の感情だが、異様でもあった。
 だが、本村さんは単純な被害者の復讐感情にとどまらなかった。
 憎しみを抑え、地道に犯罪被害者の遺族会をつくり、'00年5月、刑事訴訟法の改正による法廷での意見陳述に漕ぎつけた。

『少年に奪われた人生』(藤井誠二著)から引用する。
「今のような状態では君に死刑を科す価値すらない。(中略)私は君に死刑判決が下り、その判決を受けて君が反省し、慟哭することを願っている。死刑の執行は君が反省するまで待っても構わないと思う」。そして、立派に更正し、死刑にする必要はないと世界の人が思った時に私は死刑を科したい、と。
 本村さんは、少年が反省したとどうしてわかるのか、将来更正するとわかるのか、と問うた。
 当初の恐ろしいような激昂は次第に治まり、逆に論理はずっと鋭くなった。
 懸命に反省し、立派な人間になった時、初めて死刑に意味がある。
 9つの「永山基準」というメーターの針を眺め、八百屋のおやじのように刑罰を決めた裁判官には決して言えない言葉だ。
 なるほど。世界の趨勢は死刑廃止だ。ドイツは第2次大戦後まもなく、ナチスへの反省から。ルソーの国フランスでは、'81年、死刑廃止を掲げたミッテランが大統領になり、公約通り実現した。
 だが、そのミッテランを動かした'77年の裁判、8歳児フィリップ・ベルトラン君が誘拐殺害された事件で、死刑廃止そのものを勝ち取るきっかけになった老齢のボキヨン弁護士は「手を震わせ、青ざめた顔で」訴えたのだ(『死刑廃止フランスの教訓』より)。
「この審問の場には、恐ろしい血の匂いが漂っています。犠牲になった子供の血ですが、その子供は、分別ある大人になることもできなかったもう一人の子供によって犠牲にされたのです」
 上告審口頭弁論を勝手に欠席し、会見の席に現れて傲慢な声で「果たしてこれが殺人と言えるのか」と、愚かな屁理屈を展開する日本のバカ弁護士によってではない。
 本村さんは、近しい者を失って苦しみ、被告を殺したいという衝動に苦しんだ。1審、2審の裁判官はそれに見合う知恵を絞ったのか、とは言わない。せめて司法は人間らしい対応をしたのか、と恥じて最高裁は決断したのである。】

参考リンク(1)「あんた何様?日記('07/5/23)〜死刑廃止のイデオロギーで集まった弁護士たち」

参考リンク(2)「元服役者アンリの場合。」(ilyfunet.com ('02/1/11))

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 引用部も含め、長くなってしまうのですが、参考リンクも含めて目を通していただければ嬉しいです。
 今日('07/5/24)から、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審がはじまりました。最高裁が1審、2審の「無期懲役」の判決を破棄したのが去年の6月20日ですから、ほぼ1年が経っています。あのときの「死刑廃止派」の安田好弘弁護士の「殺意はなかった」「赤ちゃんを泣きやませるため、首を蝶々結びにしようとした」などという会見映像を観て、「お前らも一緒に死刑になれ!」とテレビに向かって罵声を浴びせたのは、たぶん、僕だけではなかったと思います。こういうのが「法廷戦術」なのかもしれませんが、僕にはこの安田弁護士たちが、被害者や遺族、そして僕たちをバカにしているようにしか見えなかったのです。

 僕は以前から、「死刑存続論者」であり、「世の中には、死をもってしか(あるいは、死をもってさえも)償えない罪というのがあるのだ」と考えているのですが、ここで神足さんが挙げられている「フィリップ・ベルトラン君誘拐事件」での手を震わせ、青ざめてのボキヨン弁護士の訴えと「口を押さえようとしたら偶然首が絞まっちゃったので殺意はなかった、だから殺人罪じゃない!」と平然と言い放つ安田弁護士の会見とでは、「この2人を同じ『死刑廃止論者』として扱うのは、ボキヨン弁護士に、ものすごく失礼なのではないだろうか?」と言いたくもなるのです。
 ボキヨン弁護士は、犯人の罪を認めた上で、「その罪を犯してしまったのは、犯人が『精神的に子供だったから』(とはいっても、このパトリック・アンリという男、事件を起こしたときには、もう21歳だったんですけどね)であり、彼に大人になる機会を与えてほしい」と訴えました。
 それに比べて、安田弁護士の「弁護」は、「責任逃れ」としか思えない、「こじつけ」のオンパレード……
 
 パトリック・アンリという男は、結局、終身刑になりました。
 これをきっかけに、「ギロチンの国」フランスは「死刑廃止」へと向かっていったのです。
 僕個人としては、このパトリック・アンリという男のやったことは、死刑に値すると思うのですが、少なくとも、このボキヨン弁護士の真摯な姿勢には、「死刑制度」について、僕自身もあらためて考えさせられたのも事実です。こういうのが「フランス的」というか「劇場的」なのかもしれませんけど。
 しかし、こうして比べてみると、あの安田弁護士っていうのは、本当に「死刑廃止論者」なんですかねえ……正直、あの人の言動を観ていると、死刑廃止論者すら、「やっぱり死刑制度は必要なのかも……」と思い直してしまうのではないかなあ。まさか、死刑制度存続のために送り込まれたスパイ?

 最後に、フランスの死刑制度廃止のきっかけになった、パトリック・アンリの「その後」を「参考リンク(2)」から紹介しておきます。

【フランスでは1885年以来、法務相が10年以上の懲役服役者に対して仮釈放を認可してきたのだが、2000年6月に成立した刑法改革法により、この権限が法務相から控訴院司法官の合議に移譲された。以来、2001年だけで5847人(33人は終身刑)が仮釈放された。アンリはその一人だったのである。
 出獄後の8カ月間、夜間は拘置所にもどる保護観察期間があり、アンリは印刷会社に就職した後も拘置所から通勤していた。その後の7年間は行刑裁判官の監督下におかれる。
 アンリが25年間の拘置所生活をつづった自叙伝『後悔しないでしょう』は10月23日にCalman-Levy社から発行される予定だった。版権は10万€にのぼる。ところが、6月26日、アンリは80€相当のボルト類などをスーパーで盗んでしまったのである。彼はこの盗みで2000€の罰金刑を受けている。そして10月5日の深夜、アンリはモロッコで手に入れた10キロの大麻を車で持ち帰ったところをスペインの警察に取り調べられ、現地で勾留された。仏法相は身柄引渡しを要求したが司法手続き上、時間がかかりそう。
 懲役を完全に服役し終えて出獄した者の40%は再犯し、仮釈放者の再犯率は23%といわれている。アンリの社会復帰は1年半足らずで崩れ去ったわけだ。】

 まあ、25年前に彼がやったことに比べれば、このくらいは「微罪」なわけですし、元犯罪者の中には、ちゃんと立ち直っている人もたくさんいるのでしょうけど、「改心」とか「更正」なんて、「死刑廃止を主張することで『人道的な自分』に快感を覚える善人たち」が思いこんでいるほど簡単じゃない、ということだけは間違いないようです。



2007年05月23日(水)
伝説のホテルマンが語る「VIP夫婦への『おもてなしの極意』」

『伝説のホテルマン「おもてなし」の極意』(加藤健二著・アスキー新書)より。

(「国内外の政財界要人から敬愛の念をこめて”ミスター・シェイクハンド”と呼ばれたホテルマンであり、キャピトル東急ホテルのエグゼクティブコンシェルジェとして活躍された加藤健二さんの「おもてなし」の一例)

【どれほど素晴らしい設備を備えていても、ホテルマンの対応が期待はずれだったり、嫌な思いをしてしまったら、それ以後、お客様の足は、二度とそのホテルには向かないでしょう。逆に、多少施設が古かったり、インテリアが豪華でなくても、ホテルマンの対応が素晴らしければ、間違いなく「またこのホテルに来よう」と思うはずです。
 それだけ、ホテルマンのサービス、言い換えれば「おもてなし」が大切だということです。
 では、そうしたおもてなしをするには、どうしたらよいのでしょうか。
 それこそ、ハンデル総支配人がいっていたように「お客様お一人お一人をしっかり見て、お客様の立場に立って、何をすべきかを考える」ということです。
 かつての東京ヒルトンホテル時代、欧米のトップビジネスマンたちのなかには、仕事で来日される際にも奥様を同伴される方が多くおられました。そのころ学んだことがあります。奥様を連れてこられたお客様には、お客様ご自身よりも、奥様に気を遣ったサービスを心がけるということでした。
 ホテルを決めるのも、またビジネスで頻繁にホテルをご利用いただくのもご主人の方です。普通なら、ご主人の方に目を向けてサービスする方が、ホテルにとってメリットが大きいと思うかもしれません。しかし、そうではないのです。
 ご主人はビジネスに忙しく、奥様が異国でのホテル生活を楽しんでいるかどうか、十分に気配りすることができません。そこをホテルマンが代わりにサービスするわけです。
 たとえば、ご到着の前に奥様へのお花をお部屋にご用意しておく、というのも気配りのひとつです。また、奥様がロビーに降りてこられたときには、「何かお困りのことはありませんか」とこちらから声をおかけします。そして一言「ご主人様より、滞在中、奥様にご不自由ないようにと言いつかっておりますので」と添えるのです。
 また、お一人で観光などにお出かけのときには、ただロビーから送り出すのではなく、ガイドさんやピックアップに来られた方のところまでしっかりとお連れして、「当ホテルのVIPの奥様ですから」とひとこと伝えておきます。
 こうして、奥様がホテルでハッピーに過ごされれば、ご主人も安心して仕事に向かうことができるだけでなく、奥様のご主人に対する評価も、間違いなく上がります。ご主人にとっては”一石二鳥”というわけです。
 日本のお客様は、仕事で地方から東京に出てこられるとき、奥様を連れて来られることはあまりありません。ご自身が羽を伸ばしたいというお気持ちもあるかもしれませんが、私はご常連のお客様に、奥様とご同伴で来られることを機会あるごとにお勧めしていました。「私たちにお任せください。絶対にお客様の株が上がるように、おもてなししますから」と。】

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 2006年に「キャピトル東急ホテル」は閉館され、加藤さんも42年間のホテルマン生活から引退されているのですが(同じ場所に2010年に後継のホテルができる予定だそうです)、この本を読んでいると、一生に一度くらいは、こういう「最高のおもてなし」を受けてみたいなあ、と憧れずにはいられません。まあ、そういうサービスを受け慣れていない僕にとっては、「いえ、この荷物重いのので、自分で持ちますっ!」とか、あたふたしてしまうだけかもしれませんけど。

 それにしても、この「トップビジネスマン夫妻への対応の極意」というのは、読んで「なるほどなあ」と感心してしまいました。確かに、ホテル側からすると、宿泊先を決めたり、大きなイベントなどで利用してくれるのは、夫の「トップビジネスマン」の方なんですよね。でも、だからこそ加藤さんは、その「奥様」の方を重点的に「おもてなし」するわけです。
 実際、夫のほうは日本に慣れていたり、仕事があったりして「暇をもてあます」ということはないのでしょうが、夫が仕事で不在中の「奥様」には、「夫の出張についてはきたけれど、はじめて来て、友達もおらず、文化も全然違う国で過ごすのは退屈だし不安」だという人も少なくないはずです。そりゃあ中には、「自力で積極的に日本を楽しみたい!」って人もいそうですが。
 そして、この「サービス」の素晴らしさは、単に「奥様の滞在を気持ちの良いものにする」だけではなくて、「夫の点数稼ぎにもちゃんと強力している」というところにあるのです。
 妻同伴でビジネスに来たものの、なかなか妻と一緒に観光する時間がない、という夫にとって、「妻が快適に過ごしてくれている」というのは、それだけで大きなメリットがあります。そりゃあ、異国まで来なければならないような大きな商談を進めているときに「あなたはそうやって、いつも私をほったらかし!」なんて妻から責められるというのは、やっぱり極力避けたい事態でしょうし。

 でも、そこで「ホテルとして奥様にサービスするだけ」であれば、妻が「素晴らしいホテルだったわ」とスタッフに感謝しても、夫には、「でもあなたは私を放っておいて…」という冷たい視線が突き刺さる、という状況に陥るかもしれません。そこで、加藤さんは、「ご主人様より、滞在中、奥様にご不自由ないようにと言いつかっておりますので」と添えるのです。

 こうすれば、確かに「ああ、夫は私のことをちゃんと気にかけてくれているし、夫はホテルのスタッフがここまで私に気を配ってくれるくらいの『大物』なのね」と、妻は大喜びし、夫婦仲も円満になりますよね。
 こういうのって、夫が妻の目の前で「私の妻だから大事にするように」ってホテルのスタッフに言うとかなりわざとらしくなりますが、この例のようにさりげなく伝えられると、すごく印象が良くなると思いませんか?

 サービスの世界というのは本当に奥深いというか、ある意味「したたか」だなあ、という気もする話です。
 これで結局はみんなが幸せになれるんだから、まさに「最高のおもてなし」なんですけどね。



2007年05月22日(火)
秋葉原と書泉ブックマートには、ダイヤモンドの原石が転がっている!

『先達の御意見』(酒井順子著・文春文庫)より。

(『負け犬の遠吠え』の筆者・酒井順子さんと、人生の「先達」たちとの対談集の一部です。鹿島茂さんとの対談から)

【鹿島茂:だから、負け犬たちが、いつか王子様が……なんて思って待っていても、永久に王子様はやってこないわけ。

酒井順子:眠れる森の王子様は自分で探しにいかなくてはならないわけですね。でもどこにいるんでしょう?

鹿島:いることはいるんです。どこだと思います。眠れる王子様たちが大量にいる森は?

酒井:秋葉原ですか?

鹿島:なんだよね、やっぱり。それに、神保町の書泉ブックマートの周辺。あそこには、ありとあらゆるオタクの森の王子様が、それこそ蝟集(いしゅう)している。だから、ネルシャツに紙袋のオタクじゃなくて、コムデやヨージを着ているイケメンのオタクもいるはずなんです。女をナンパなんてめっそうもないっていう、デッド・ストックが。

酒井:でも、そういうデッド・ストックにどうやって接近すればいいんです。まさか秋葉原やブックマートで逆ナンパなんてできないでしょう。

鹿島:それにはいろいろと手がある。一つはパソコンや格闘技、ヘラブナや鉄道、それにクルマやオートバイなんてオタク雑誌の投稿欄に「偶然手にしたこの雑誌で、深い世界があるのを知りました。ど素人ですので、わかりやすく手ほどきしてくださる方はいませんか? 直接お会いしてお話を聞きたいので、近県の方を希望します」っていうメールを送る。ひとたび、投稿が載ったら最後、何百通、何千通って手紙やメールが回送されてきますよ。

酒井:そうか、そんな手があったのか。でも、ヘラブナばっかり500人……。

鹿島:ヘラブナだって、イケメン・高学歴・高収入の三高男はいる。たとえば、男子校、理系大学、研究所って、一切女っ気なしで来たがため、デッド・ストックとなったオタクたちが投稿欄を見て、ついに同好の女同志現るって、軍団をなしてやってくる。

酒井:一種、壮絶ですね。でも、オタクの森の王子様にかしずかれる女王様ってのもどうなんだか……。

鹿島:酒井さんだったらね、物書きなんだから、そんな面倒くさい手段は必要ない。秋葉原のパソコン書店やブックマートでオタク本を物色しているイケメン男に、「あの、いま取材しているんですけど、ちょっとお話うかがっていいですか」と声をかける。

酒井:取材と思えばなんだってできる。

鹿島:そう、SMだって、スワッピングだって取材できるんだから、オタクなんて簡単なもんですよ。ただし、オタクにはオタクなりの接近法というのがある。

酒井:どうすればいいんですか?

鹿島:オタクというのは、一ヵ所の井戸を一意専心、深ーく掘り下げる、その深さに限りない誇りをもっている。だから、その誇りをくすぐってやればいい。

酒井:オタク・ボタンのスイッチをうまく押す。

鹿島:そう、グイッと。すると、2時間、しゃべりっぱなしになる。

酒井:オタク水道の垂れ流し。

鹿島:しかし、そこで唖然としたり、ゲンナリしてはいけない。「ウッソー」とか「スッゴイ」なんて、うまく合いの手を入れて、いかにも自分がその分野が好きになったふうを装う。オタクは女に慣れていないから、そんなことわかりっこない。第一、わかるようだったらオタクをやってない。

酒井:2時間我慢すれば、三高ヘラブナがかかってくる。好みのタイプだったら、ヘラブナOK、鉄っちゃんOK。

鹿島:話し終わったら、もうその時点で、オタクはあなたに恋してる。ちょうど、精神分析で、トラウマを告白し終わった女性患者が分析医に恋するのと同じに。

(中略)

酒井:秋葉原とブックマートにはダイヤモンドの原石がつかみ取りで転がっているような気になってきました。

鹿島:いっそ、秋葉原と神保町を結ぶ万世橋を「逆ナン橋」と名づけて、そこではバレンタイン・デーじゃなくても「逆ナン」OKにすればいい。

酒井:負け犬よ、万世橋に集まれ! ですね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 うーん、世間の「オタクに対する認識」って、こんなものなのか……と、ちょっと暗澹たる気分になってしまうような話ではあるんですけどね。
 さすがに、【オタク雑誌の投稿欄に「偶然手にしたこの雑誌で、深い世界があるのを知りました。ど素人ですので、わかりやすく手ほどきしてくださる方はいませんか? 直接お会いしてお話を聞きたいので、近県の方を希望します」っていうメールを送る。】なんて「いかにも」な方法では、「ネカマ」か「業者」だと思われて、誰も食いつかないのではないか、という気がします。現在でもこういうのに対して、絨毯爆撃的にメールを送っている男とかがいるのかもしれませんが。

 しかし、世間で言われる「三高」の基準からすれば、「オタク」というのは、確かに「まだ未開発の資源の宝庫」ではないかと思います。「オタク」の中には、高学歴、専門職で高収入、顔の造作は悪くない(流行りの格好をさせれば光りそう!)、というような人は、けっして少なくないのです。それでも、世の女性は「オタク」を選んでくれないんですよね。カッコいいだけで暴力をふるったり、女癖が悪いような男より、とっつきにくいけど「優しくて高収入」のオタクのほうがモテてもおかしくないんじゃないのかなあ、と僕などは考えてみるのですが、現実には「キモーイ」の一撃で、女性はオタクを「論外コーナー」に分類していきます。「現実への妥協」は、「生理的不快」には敵わない。

 「2時間オタクトークを我慢すれば…」なんて鹿島さんは仰っていますが、「2時間も興味の無い話を1対1で聞かされる」という状況に、大部分の人類は耐えられないと思うのです。2分ならともかく、2時間はさすがにねえ。それが1回限りならさておき、もし付き合ったりすれば、それが毎回になるのかと想像するでしょうし……

 『電車男』のおかげで、良くも悪くも「オタク」という存在は認知されたようなのですが、世の女性たちには、もっと「資源としてのオタク」に目を向けていただきたいものだと僕も思います。まあ、オタク側にとっても、本当に「女性が必要」かどうかはさておき。



2007年05月21日(月)
『JTB時刻表』を支える「鉄道オタク魂」

『そこまでやるか!〜あなたの隣のスゴイヤツ列伝』(日本経済新聞社編・日経ビジネス文庫)より。

(「隣のスゴイ鉄ちゃん〜推定400万個の数字の細密画を編み続けて20年」というタイトルのJTB時刻表編集長・木村嘉男さん(49歳)を紹介した記事の一部です)

【全国の列車ダイヤを網羅したJTB時刻表は大正14年(1925年)の創刊。実は定期刊行物として文芸春秋と並ぶ歴史を持つ雑誌だ。
 鉄道文化の伝統を継ぐ編集長、木村嘉男の仕事は細密画の絵師に通じるものがあるようだ。一冊に盛り込まれる数字は推定400万個。しかも、ただ詰め込むのでなくわかりやすくしなければならない。米粒に絵を描くような根気が必要なのだ。
 出来上がった時刻表からは想像もつかないが、JR各社から発表されるダイヤの”原稿”は表記がバラバラで、手書きのものすらある。乗り継ぎの便まで考え、特急と普通を並べた完成形とは程遠いバラバラの状態で手元に来る。特急、普通列車が1本ずつ別々の紙に書かれていることもある。こうなってくるともう、意地悪なパズルのようなもので、大改正時にはもちろん泊まり込みの作業となる。旧国鉄が監修していた20年前は、国鉄の営業戦略会議が開かれる伊豆の旅館で合同合宿をしたほどだ。
 そこで自他共に認める鉄ちゃん(鉄道オタク)の知識が生きる。特急から鈍行まで列車の速度はまちまち。そんな列車をどういう順番で並べていくかで、乗り換えが可能かどうかなど見やすさ、使いやすさが決まる。列車の配列の妙が時刻表の競争力を決める。
 もちろん全国主要駅の構造は頭の中にたたき込んである。「この『ひかり』からこの『こだま』へは乗り換え時間が3分あってもムリ。駅の端と端のホームだから」。こんな計算ができるコンピューターソフトはない。
 デジタルな数字を編む作業は、どこまでもアナログなのである。
 国鉄の分割民営化などでダイヤは複雑になった。創刊当初の200ページ強が現在1200ページ。増ページで済ませるなら話は簡単なのだが、問題は重量制限だ。時刻表は「第三種郵便物」の指定を受け、割安で運んでもらっている。その代わり一冊1kg以内に収めなければならない。
 ダイヤの大改正時、本の上下と右側を1〜2ミリずつカットし、やっと減量が間に合った。めざとい鉄道ファンが「ちょっと小さいようだが」と問い合わせてきて、ドキッとしたことがある。鉄ちゃんたちの眼は鋭い。
「電車が3分遅れれば事故かと思う」という、世界に類を見ない正確さを求める日本人の国民性。編集者は極度の緊張を強いられ、かつて急行の停車駅が一段ずれたまま出版されたときは、止まるはずのない隣の駅で列車を待つ乗客の姿が夢に出た。

(中略)

 鉄道大陸、欧州は「トーマス・クック」という世界に冠たる定番時刻表を持つ。しかし、それにも負けないのが入線時刻(列車がホームに入る時間)やホームまで記す日本の時刻表の細やかさ。世界屈指の親切さを誇る時刻表は歴代編集者の創意と、膨大なオタク的知識の産物だ。
 大学時代に始めた国鉄走破計画。日本地図になぞった朱色の線は2万キロを超え、2004年春、日本最南端路線の終点、鹿児島・枕崎駅でゴールインとなった。
 2006年春。足かけ7年にわたった編集長生活に別れを告げた。けれども線路は続く、どこまでも。編集長として最後となった2006年5月号の「編集後記」にこう書いた。
「時刻表はこれからも進化するものと信じております」】

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 僕は「鉄ちゃん」ではないんですが、それでも、この記事を読むと「JTB時刻表をつくっている人々」に対して敬意を抱かずにはいられません。「時刻表」って、あまり鉄道に興味がない人間にとっては眺めているだけで目がクラクラするような数字の洪水でしかないのですけど、あれをつくるために日夜努力している人たちがいるのです。

 これを読むまで、「時刻表」は、全国の鉄道会社がほぼ完成形の「原稿」を準備していて、JTBはそれを取りまとめて出版するだけだと思っていたのですが、実際はJRから発表されるダイヤというのは、ラフスケッチみたいな感じの未完成でバラバラのものなんですね。いまどき「手書きのものまである」っていうのにはさすがに驚きました。ということは、JRの担当者のなかには、今でもコンピューターを使わずに手書きでダイヤを作っている人がいる、ということなのです。本当に「職人芸」の世界なんですねえ。この編集部の人たちもすごいけど、各鉄道会社でダイヤを作っている人もすごいよなあ。「実際に走らせてみたらダメだった」なんてこどは、絶対に認められない世界ですから。

 そして、あの無味乾燥な数字だらけの「時刻表」の中には、鉄道を愛するスタッフたちの「実体験から生まれたこだわり」が詰まっているのです。確かに、ターミナル駅には驚くほど広かったり、構造が複雑だったりするところも少なくないので、実際にその駅を利用した経験がなければ、「本当に乗り換えが可能か?」というのはわからないはずです。時刻表の「列車の配列の妙」なんて、利用するだけの僕は、ほとんど意識したことがありませんでしたし。いくら「主要駅の構造は頭にたたき込んである」とはいっても、鉄道大国・日本では「主要駅」だけでもすごい数になるはず。本当に「好きじゃないとやってられない仕事」という感じです。もし「鉄ちゃん」じゃない人が、JTBという華々しそうな旅行会社に入り、いきなりこの「時刻表編集部」に配属されたりしたら、カルチャーショックを受けるのではないでしょうか……

 この記事を読んでいたら、僕もたまには時刻表を1冊抱えて旅に出てみたくなりました。
 こんなふうに同好の士によって思い入れたっぷりにつくられている「作品」だからこそ、鉄道オタクは時刻表を愛してやまないのでしょう。

「時刻表はこれからも進化するものと信じております」
 鉄道オタクって、ものすごく幸せな人たちなのかもしれませんね。



2007年05月20日(日)
「妻だけが親友」という男たち

「週刊SPA!2007/4/17日号」(扶桑社)の特集記事「親友はいますか?大調査〜会社員300人アンケート」より。

【「親友? 仕事が忙しくて友達とゆっくり語り合う時間なんてない。休日は接待と家族サービスで手いっぱい。何でも腹を割って話せる相手と言ったら、嫁かな」
 と語る阪田芳明さん(仮名・29歳)は、結婚半年目のMR。仕事は外回りなので同僚との絡みも少ない。地元・静岡の学生時代は親友と呼べる仲間もいたが、「無理して会っても、多分もう話も合わないだろうし。思い出のままでいい」と語る。それよりも、自分の一番の理解者である妻こそが”親友”なのだという。
 親友というと、男同士のアツい友情をイメージしがちだが、今回の取材で、実は彼のような「妻が親友」男が多々いることを発見した。
 交際5年、結婚5年目を迎えるSEの山根英紀さん(仮名・31歳)も、「嫁とは結婚前から恋人同士というよりも親友っぽい関係で。息子が生まれてからはさらに”戦友”って感じ」だと言う。父親が転勤族だったので「地元の友」がおらず、学生時代の友達も疎遠になったり、仕事や子育てに忙しいため、冠婚葬祭以外で会うことはない。職業柄、時間外労働も多く、せめて休日のうち一日は家族と過ごせる時間をつくるのに精いっぱいなのだ。それでも、「職場と家庭以外に親しい人をつくる気力はない」とは侘しい。
 確かに、人生の伴侶は相棒でもあり、親友的な要素も含んでいるのだろう。だがそもそも、妻が親友であることと、親友が妻であることとは、似て非なるものである。
「妻は親友だ」と言う彼らの共通点を探ってみると、(1)仕事がハード (2)地方出身者が多い (3)職場の人間関係が希薄 (4)人付き合いのマメさ、アツさに欠ける (5)プライドが高い (6)妻とは対等な関係、などが挙げられる。
 勝者に勤める浅川俊也さん(仮名・32歳)は東京出身だが、まさにその典型。交際10余年を経て昨年入籍した、似た者同士の友達夫婦。遊び友達は多いほうだが、「カッコつけなので悩みを打ち明けたり、弱音を吐くのは妻にだけ。親友と呼べるのは彼女だけかも」と言う。
 親友とは、居心地のよさだけでなく、時にはお互いにぶつかり、切磋琢磨するようなものではなかったのか、と結婚後の男たちが心配になるのであった……。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この記事を書いた人は、「親友=妻」という男性に否定的な見解のようなのですが、僕はこれを読んでいて、「この記事、僕のこと?」と、ものすごく身につまされてしまいました。ここで挙げられている(1)〜(6)の「共通点」にも、ことごとく当てはまっていますしね。
 まあ、夫婦仲が悪かったり、お互いに口もきかないよりははるかに良さそうな気はするのですが、その一方で、僕自身もこういう状態に危機感を抱いていないわけではないのです。いつも一緒に出かけたり遊んだりするのが妻だという場合、もしその妻に何かがあった場合、そして、妻の気持ちが自分から離れてしまった場合、「妻と唯一の親友を同時に失ってしまう」わけですよね。村上春樹の小説に、「浮気の理由に友達を使うな。浮気で妻を失うのは致し方ないことだが、一緒に親友まで失うことはない」というようなセリフが出てきます。確かに、その2つを一度に失ってしまうのは、人生において、あまりにダメージが大きすぎる。
 僕はいままでたくさんの夫婦を見てきているのですが、どんなに仲が良い夫婦であっても、そして、どちらかが浮気をしているわけではなくても、うまくいかなくなってしまう場合というのも、けっして少なくはないのです。 むしろ、お互いに一生懸命やろうとすればするほど、すれ違ってしまうときもあるんですよね。
 ただ、だからといって仕事が忙しい30男に「もしものための保険として同性の親友をつくる」なんてことができるわけがないし、そもそも、そんな存在は「親友」とは言いがたいでしょう。結局、どうしていいのかわからないまま、今の状態をなるべくキープしていくしかないのかもしれません。

 それにしても、もしこれを読んだら、この男性たちの「妻=親友」は、いったいどんなふうに思うのでしょうか。「そこまで私を頼りにしてくれるなんて……」と喜ぶのか、「それはあまりに私に頼りすぎなんじゃない?」と不安になるのか……
 僕のイメージでは、あまり「夫が親友」っていう女性はいないような気がするのですけど、女性のほうが「親友」に恵まれている人が多いのでしょうか?



2007年05月18日(金)
たった一言で部下のやる気をなくさせた、新しい上司の言葉

『話すチカラをつくる本』(山田ズーニー著・三笠書房)より。

(「部下にやる気を出させる指示の出し方」という項の一部です)

【「部下に仕事の分担を告げたら、とたんに雰囲気が悪くなった、メールを開けたら文句がいっぱい」
「部下に仕事をふりづらくて、結局自分でかかえこんでしまっている」
 こんな悩みは、決してリーダーだけのものではありません。仕事で同僚やスタッフに指示を出す、趣味や地域の活動で人に仕事をふる、といったことは多くの人にあります。
 同じ仕事をふるのに、一瞬でやる気をなくさせる言い方と、やる気を奮い立たせる言い方。この差はどこから生まれるのでしょうか?
 私自身、企業で編集をしていた16年間に、上司の側も、部下の側も経験しました。あるとき異動になったのですが、送り出す側の上司は、それまで、私が編集で成果を出していたことを認めた上で、
「山田さん、新しい部署の人に、こんなスゴイ編集の世界があることを教えてやってくれ!」
 と言ってくださったのです。愛着のある仕事を離れるのは辛いことですが、この言葉にずいぶん癒されました。
 ところが、新しい上司は、もとの上司と人事が「編集実績が生きるように」と配慮したポストと、まったく違うポストに行けと言いました。異動で、送り出す側の意図と、行った先の配属が変わることはよくある話なのですが、それは、どう割り引いても私がこれまでやってきたこととつながらないところでした。
 なにより新しい部署の上司は、たった一言で私のやる気をなくさせたのです。
 それは、新部署にあいさつに行って、初対面、開口一番に、新上司が言ったこの言葉でした。
「山田さん、あなた、何年目?」
 異動者の社歴やこれまでの仕事などは、人事を通して資料が渡っているはずです。でも、新上司は、それを見ていないのか、読み飛ばしてしまったのか、とにかく、私のそれまでの仕事が頭に入っていないことを伝える言葉でした。
 まさにつながりの危機です。
「昨日の私は、今日の私ではない。昨日までやってきたことは、今日はまったく理解されない。今日がんばっても、こんなふうに、明日また理解されないかもしれない……」
 同じ、異動者に最初にかける言葉でも、
「編集をがんばっていた山田さんですね、人事から聞いていますよ」
 などだったら、たった一言でもずいぶんやる気は変わってくると思います。】

〜〜〜〜〜〜〜

「君、何年目?」
 状況はちょっと違うのですが、僕もこの言葉に傷つけられた記憶があるので、これを読みながら、自分の経験を思い出してしまいました。
 僕の場合は、他の病院の先生から患者さんの紹介の電話があって、その患者さんの病状を詳しく聞こうとしたときに、いきなり相手が「君、何年目?」とキレて怒り出してしまった、という話なのですけど。

 この相手は、明らかに僕より10年くらい年上で、それは相手も十分承知しているはずです。にもかかわらず、いきなりこんなふうに言われて、僕は正直なところ、かなり混乱してしまいました。
「何年目って……僕がこの仕事を始めてから何年目かってことだよなあ……僕が何年目かっていうのと、いま話している仕事について、何か関係があるのか?」と。
 まあ、あとから冷静になって考えると、「俺はお前の先輩なんだから、ゴチャゴチャ言わずに俺の言う通りにしろ!」ということだったみたいです。いや、僕の言葉遣いや口調に問題があったのかもしれませんが、このときはさすがに僕も腹が立ってしょうがありませんでした。僕が間違ったことを言っているのなら、それを指摘してくれればいいのですが、紹介であれば、紹介先にある程度の情報を教えるのは当然のはずです。僕はそのとき外来の最中で、まだこれから診なければならない患者さんのカルテが山積みでしたから、緊急性がどのくらいある患者さんなのかというのは、非常に重要なことだったのです。

 今、こうして思い出しながら書いているだけで不愉快極まりないのですが、僕はその人のことを「『年齢』『経験年数』だけで他人を押さえつけようとする、恫喝的で無能な人」だと今でも思っています。でもね、こういう人って、けっこういるんですよね実際に。
 それで、本人は「自分は年上として礼儀を教えてやっている」とか勘違いしているわけです。じゃあ、僕が80であなたが90になっても、「先輩」の言うことには無条件で従わなくてはならないのか、と。その人が、僕の専門とか置かれている状況をすべて無視して「卒業して何年目か?」という、「明らかに自分のほうが上である数字」を引っ張り出して優位に立とうとしていることに、僕は心底ムカつきました。そもそも、その人は僕の大学の直接の先輩でもなければ、直接の面識すらない人でしたし。

 結果的には、僕は拳を固く握りしめ、打ち震えながらもその「先輩」に形式的に謝罪し、患者さんは引き受けたんですけどね。そして、そんなふうに「オトナの対応」をしてしまう自分のこともけっこうイヤになりました。

 初対面で同じくらいの立場の人であれば、「何年目?」って聞かれるのは別に不愉快でもなんでもないのです。同じくらいの年の人って、お互いにどう接していいのかかなり困ることがありますし、そういう「関係性」がはっきりわかっていたほうが付き合いやすいことも多いですよね。
 僕だって基本的に先輩は立てているつもりです。でも、「後輩として自発的に先輩を立てる」ことと、「先輩なんだから、何でも言うことをきけ!と強要されること」は、僕の中では大きく意味が異なるのです。少なくとも「先輩だから敬え」と主張する人に対しては「『先輩であること』以外に何か誇れるものはないんですか?」と尋ねたくなってしまいます。

 このズーニーさんの例に関して言えば、上司は軽い気持ちで「確認」しただけなのかもしれませんが、結果的には、部下のやる気を削ぎまくっています。言葉を深読みする部下であれば、いきなり「何年目?」なんて上司が聞いてくるのは、「お前は俺より経験が浅いんだから、俺に逆らうなよ」と釘を刺されているのではないか?とか、「その経験年数に見合った仕事ができるんだろうな?」と疑われているのではないか?とか考えてしまうことだってあるでしょう。
 こういう上司は、「相手のことを知ろう、評価しようという努力をしていない人」「わかりやすい『経験年数』というファクターだけで先入観を抱いてしまう無能な人」とまでは思われなくても、「あまり自分に対してフレンドリーではないな」というくらいの、ややネガティブなイメージを与えてしまうことは間違いなさそうです。

 ほんと、ちょっと履歴書に目を通したり、前任の部署の人に仕事ぶりを聞いたりして、「○○の仕事で頑張ってたんだってね」って言うだけで、初対面の印象は全然違ったものになるはずなのに。

「あなた、何年目?」
 あなたの部下が聞いてもらいたいのは、「経験年数」ではなくて、「いままで積み重ねた技術や経験の中身」なのだけどねえ……



2007年05月17日(木)
アーティストとしての成功と「性格の悪さ」

『自立日記』(辛酸なめ子著・文春文庫PLUS)より。

(辛酸なめ子さんの1999年3月14日の日記から)

【美術予備校の友、Mちゃん、Uちゃんと待ち合わせて、ラフォーレ原宿の多摩美グラフィック科の卒業制作展を見に行った。二人とも30分くらい遅刻。携帯電話の普及に伴い、気がゆるんで遅刻する人が多くなったように思う。でも連絡してくれるだけいいか。卒業するTちゃんのために花を買った。
 タマグラの作品は熱気と野望に満ちていて、会場はかなり熱かった。Uちゃんが、「この中に二人くらい、もう仕事して活躍している子がいるんだけど、その二人ともものすごく性格が悪いんだよ。やっぱり性格が悪くないとやっていけないんだねー」とささやいた。でも、周囲に性格が悪いことがばれている程度では、まだかわいいものじゃない?
 さて、作品の中にとても印象に残ったものがあった。それは、母の一生を写真ボードや手紙などで見やすく構成してあるもので、最初は満州でも幼い頃の写真、青春、出会い、結婚、出産を経て、何と最後はお母さんがお棺に入れられて、白装束をまとっている亡骸の写真で終わっている。途中、がんセンターの診療費の領収書も貼ってあって泣かせる。その近くに顔がそっくりの若者がいたので、彼が作者で息子なのでしょう。騒々しい中、その空間だけは人々が立ち止まり、じっくりと見ていた。ちょっと反則な気がしたけれど、わりと感動しました。Tちゃんの作品も、彼女らしくて良かった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこの「作品」って「反則」じゃないかと思うんですよね。でも、もしこの会場にいたら、やっぱり目を奪われてしまうだろうし、感動してしまうのではないかという気もするのだけれど。
 これを読んでいて僕が考えたのは、「お母さんは、こうやって自分の一生が息子の『作品』にされてしまうことを、どう思うだろう?」ということでした。もちろん、お母さんは亡くなられているのだから、そんなことわかりようもないし、科学的には死者には気持ちなんて無いのかもしれません。でも、やっぱりそれを想像せずにはいられなかったのです。
 「自分の一生をこうして記録に遺してくれて嬉しい」のだろうか、それとも「恥ずかしいけど、息子の出世のためならしょうがない」のだろうか、それとも「公衆の面前でプライバシーを暴露されるなんて不愉快極まりない」のだろうか?

 この手の「アート」は、発想としては珍しいものではありません。アラーキーこと写真家・荒木経惟さんも、写真集『冬の旅』で、死に向かっていく妻・陽子さんの写真を遺し、出版していますしね。
 でも、「多くの人が思いつく発想」だからといって、それを「作品」として世に問うのには、よほどの「信念」や「勇気」が必要なはずです。「その写真を公開されることを、自分の大事な人は望んでいるのだろうか?」なんて、そんなの、本人にしかわからないはずです。
 そう考えると、やはり「こういう作品を思いつく」ことと「実際に制作すること」、そして、「みんなの前で公開すること」の間には、それぞれ、かなり高いハードルがあるのではないかという気がするのですよ。赤の他人に「お棺に入って白装束をまとっている自分の亡骸」を公開したい人って、そんなにたくさんいるとは思えないし。

 「活躍する人は性格が悪い」と言い切ってしまうのには問題があるのかもしれませんが、こういう作品のことを考えると「アーティストとして活躍し、インパクトがある作品を世に出すには、ある種の「傲慢さ」や「自分の周囲の人を犠牲にすることを厭わないくらいの覚悟」も必要なのでしょうね。



2007年05月16日(水)
女の子の部屋が必ずしも綺麗だとは限らない

『日々是作文』(山本文緒著・文春文庫)より。

(山本さんが、『TOKYO STYLE』という「東京で暮らしているごく一般的な人々の部屋の写真集」を見て考えたこと)

【みっちり眺めていくるか気がついたことがあった。ひとつは、私が思っているより多くの人がパソコンを持っていることだった。マックが沢山写っている。洋服や牛乳パックの山に埋もれ、ちゃんとおとなしく座っているマック。あと十年もしたら、東京は「今時マック持ってないの?」という状態になるのかもしれない。
 そしてもうひとつ、ある感銘を受けたのは、女の子の部屋が必ずしも綺麗だとは限らないということだった。

(中略)

 よくインテリア雑誌に載っているような、お洒落な部屋に住んでいる人を私は知らない。どんな女友達の部屋に行っても、掃除の程度には差はあっても、キメにキメてアンアンのグラビアみたいに生活している人はいない。もしかしたら、頑張って探せば一人ぐらいはいるかもしれない。でも、頑張らなければ探せないのだ。
 この写真集の中で、これが本当に女の子の部屋? という部屋がいくつかあった。軽蔑しているわけでは決してない。ただ私は驚いているのだ。殆どの女性は、ある程度掃除というものをするのだと私は思い込んできたからだ。
 女性は掃除好き、という意味ではない。私だって掃除なんか嫌いだ。あれは生産性がない。せっかく払った埃も、三日もすれば再び溜まるのだ。磨いた窓も一週間もすれば曇ってくるのだ。
 けれど、放っておくのはもっと気持ちが悪い。お風呂掃除は面倒だけれど、湯垢で汚れたお風呂に入るのはぞっとする。スリッパが嫌いで、家の中では素足でいたいから、廊下や階段に埃が溜まっていると気持ちが悪い。だから、仕方なく掃除をするのである。
 それが何故か、男の人というのは「汚くたって全然平気」という人が多いようだ。
 大昔、私は恋人だった男の人のアパートに行き、よく掃除をした。その人はトイレまで磨いてくれたのかと感激していたけれど、それは別に彼のためではなかった。汚いトイレで用を足すのが私は死ぬほど嫌だったから掃除したのだ。
 何故男の人というのは、汚れていたり散らかっていたりしても平気なのだろう。私は常々疑問に思っていた。
 ところが、それは男だから女だから、というわけではなかったのだ。女の人でも「散らかっててもぜーんぜん平気。ゴミの袋なんか溜まっても新聞が積み上げられても平気なの」という人がいるのだ。ということは、そういう事態が我慢できない男の人というのもきっと存在するのだろう。
 男女差ではなく、人間のタイプの問題だったのだ。なるほどねえ。
 汚れていると落ちつかないタイプと、汚れていても全然平気なタイプの人間は、たぶん一緒には暮らせない。
 世の中の未婚女性よ。あなたがどんなに尽くすタイプで、好きな男の人のためなら掃除なんかいくらでもしちゃうわと思っていても、それは恋愛のごく初期のことだけだと肝に銘じてほしい。汚くても平気な人間は、汚くても平気なわけだから、あなたが一生懸命掃除したところで「へぇ、掃除したのか」ぐらいにしか思わないのだ。そしてあなたは、汚くても平気なタイプの人のお尻にくっついて、永遠にゴミを拾い続けるのだ。必ずや、愛想をつかす日が来ると私は推測する。
 さて、その大昔の恋人がこの前結婚をして、私はその新居に遊びに行ったのだが(いや別にやましいことは何もない)、彼らの新居を見て私は内心「あーあ」と思った。
 その人はもう散らかし放題散らかす人で、その上”物を捨てる”ということを知らない人だった。本もCDも服も雑誌もあらゆるパンフレットも何もかも捨てずに取ってあり、かと言って整理するわけではないから、そりゃもう本人以外は手の付けようがないような状態の部屋だった。
 それなのに、彼の新居は整然と片づいていた。3LDKのマンションのぴかぴかの部屋には、本もカセットテープもきちんと整理されて並び、服はクローゼットに掛けられ、彼のコレクションのミリタリーグッズは、プラスチックの衣装箱に押し込められていた。
 これは彼の部屋ではない。私はそう思って悲しくなった。かつて彼が一人で住んでいた部屋は、まさに彼の「巣」だった。こんな住宅展示場のモデルルームみたいな部屋で本当に彼はくつろいでいるのだろうか。
 そして奥さんになった小柄で可愛い女の子は、これから先、彼がぽいぽい散らかして生きていく後を、雑巾を持って一生ついていくのだろうか。
 性格の悪い私は、三年後あたりを楽しみにしている。彼が奥さんに感化されて綺麗好きになるとは思えないので、奥さんが彼に感化され、いっしょに散らかし放題散らかすようになったらいいのになと私は思う。その方が「愛の巣」の名にふさわしいような気がするのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 離婚の理由として「価値観の相違」というのが挙げられることが多いのですが、これを読んでいると、確かに、「どのくらい部屋が汚くても耐えられるか?」ということだけでも、かなりの個人差があるのではないかという気がします。
 そして、重要なことは、「部屋が汚くても気にしない人」というのは、綺麗好きなパートナーがどんなに頑張って掃除をして環境を綺麗に保っても、【「へぇ、掃除したのか」ぐらいにしか思わない】ということなんですよね。
 掃除をする側にとっては、「一生懸命掃除して、あんなに汚かった部屋を掃除してあげたのに、全然感謝してくれない、それが当たり前だと思ってるの? こっちはキツイ思いをして片付けたのに!」というような状況であっても、こだわらない人にとっては、もともと部屋の綺麗さというのは「どうでもいいこと」なわけですから、反応が乏しいのは「当たり前」。多くの女性がパソコンのCPUの処理速度や車のアクセサリーに興味がないのと同じように、「部屋の綺麗さなんてどうでもいい」という男性は少なくありません。それでいて、片付けてもらったにもかかわらず「オレのあの雑誌、永久保存版だったのに、まさか捨てたのか?なんで勝手に片付けるんだ!」などとキレたりもするんですよね。ああ、なんだか書いていて僕も申しわけなくなってきたよ……

 そもそも、自分で真剣に片付けた経験がなければ「片付けることの大変さ」もわからないわけですし。当人にとっては、「いつのまにか片付いていて、ちょっと気持ちいいかな」くらいでしかないのです。
 こういうことが毎日積み重なっていけば、そりゃあ、離婚の原因にもなりそうなものですよね。

 僕はあまり数多くの女性のプライベートな部屋にお邪魔したことがないものですから、「女性は一般的に部屋が片付いている」というイメージを持ち続けているのですが、実際はそうでもないようです。まあ、写真集には、「一般人の部屋」でも、中途半端に小奇麗な部屋などは面白くないので載らないものなのかもしれませんが。
 綺麗好きな人と汚くても平気な人の組み合わせというのは、周りからみれれば「バランスがとれていていいんじゃない?」とか言われがちなのですが、実際は、一緒に生活していけばいくほど、お互いが「自分の努力をわかってくれない!」「どうしてそんなに整理整頓なんて些細なことにこだわるの?」という「価値観の溝」は深まるばかり、というケースも多いみたいです。
 「綺麗好きな人」に憧れる男性は多いのかもしれないけれど、自分が「こだわらない人間」であれば、「部屋が汚くても耐えられる人」と一緒に暮らしたほうが、実際は幸せなのかもしれませんね。

 僕はここに出てくる山本さんの「大昔の恋人」の散らかしかたを読んでいて、「山本さんと付き合ったことあったっけ?」と、ものすごく身につまされてしまいました。いや、「ある程度の溝なら、当事者の努力で埋まるはず」と信じたいのだけれども……



2007年05月15日(火)
「息子が投稿した小説を返却していただけませんか?」

『小生物語』(乙一著・幻冬舎文庫)より。

【角川書店の雑誌「ザ・スニーカー」の編集部に、ある日、このような電話がかかってきたそうである。
「スニーカー大賞に息子が投稿した小説を返却していただけませんか?」
 スニーカー大賞というのは、ライトノベル系小説のコンテストのことである。電話の相手は女性で、息子が応募した原稿をどうしても返してほしいと受話器越しに訴えてきたそうである。応対した編集者は「それはできません」と返事をして、応募要項に「原稿の返却はできない」という記述があることを説明したそうである。
「でも、どうしても返してほしいんです」
 母親は泣いて引き下がらなかったそうである。
「息子が死んでしまったんです。生前に息子がどんなものを書いていたのか知りたいんです」
「ザ・スニーカー」の編集者は応募されてきた封筒を探して返送したそうである。
 実話だそうです。
 ちなみにその息子さんは23歳だったそうです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「応募原稿というのは、コピーくらいとっておくものではないのか?(まあ、パソコンで書いて、データは自分で消してしまっていたのかもしれませんが)、という気もしなくはないのですが、この話を読んで、僕はいろんなことを考えてしまいました。この23歳の男性はどういう死にかたをしてしまったのだろう、とか、お母さんは、どこで息子が「スニーカー大賞に応募していたこと」を知ったのだろう、とか。

 そして、もうひとつ思ったのは、何かを「形にして遺す」というのは、書いている本人が意識している以上に「重い」のだということでした。
 それは、プロの作家のみならず、アマチュアの小説家志望者、あるいは僕のようにWEBで日記や文章を書いている人にとっても。
 例えば、何らかの事故や急病で僕が突然死したとして、実際の僕を知る人が、僕の「生前考えていたこと」として、ここを僕の妻や兄弟に教えたとします。そんなとき、僕の妻や兄弟は、ここを読んで、どんなことを考えるのでしょうか? あるいは、もっと個人的な日記のようなものを、書いている人が亡くなってしまった後に見せられたとしたら……

 もし、そこに自分の悪口が書いてあっても、残された人は反論しようがないし、本人の「真意」を確認する術もないのです。本人が誰にも言えずに抱えていた悩みが記されていたとしても、いまさら、死者の相談に乗るわけにもいかないわけで。
 でも、そういう「どうしようもない過去の現実」というのは、色褪せることなく、WEB上では残ってしまうんですよね。そして、それを目の当たりにすることは、残された人間にとって、必ずしも「良い結果」ばかりをもたらすとは限りません。むしろ、「知らなければよかった」と感じることも多いのではないでしょうか。

 このお母さん、息子さんの「作品」を読んで、どう思ったのだろう?
 僕はそんなことを考えてしまうのです。
 もし、そこに「悩み」が書かれていれば、「どうして相談してくれなかったのだろう?」「私がもっと息子をちゃんと見ていれば」とお母さんは自分を責めたのではないかなあ。
 まあ、「スニーカー大賞」への応募作だということですから、「萌え系」のキャラクターが活躍するエンターテインメント系のファンタジー作品とかの可能性が高いのではないか、とは思いますけど、もしそうなら、息子の作品を読んだお母さんは、いったいどんな気持ちになったのでしょうか……

 「遺すことができる」時代だからこそ、かえって「遺しておくもの」には、日頃から気をつけておいたほうがよさそうです。誰だって、明日も絶対に生きているとは限らないのだし。
 僕たちは「遺すこと」ばかり意識しがちだけれど、むしろ「捨てるべきものは、忘れずに捨てておく」ことのほうが、大事なのかもしれませんね。



2007年05月14日(月)
「無期懲役」という判決の嘘

「裁判官の爆笑お言葉集」(長嶺超輝著・幻冬舎新書)より。

(広島県で小学1年生の女子児童をわいせつ目的で誘拐した末に殺害したとして、殺人の罪などに問われたペルー国籍の男への広島地裁の判決が「残虐な犯行だが、計画性には乏しい」として、「無期懲役」だったことを受けて)

無期懲役=「懲役15年〜40年」という現状

「無期」って、どういう意味でしょう。辞書をひくと「期限がないこと」とあります。そうしたら普通に思い浮かべるのは「ずっと」「永久的に」ということですね。
 刑法にいう無期懲役も、もともと終身刑を想定しているはずです。しかし実際には、10年以上服役した無期懲役囚は、刑法28条により「仮釈放」の対象となり、「改悛(かいしゅん)の状(自分の過ちを悔いあらため、反省する気持ち)」を条件に社会復帰ができます。
 この「改悛の状」の甘さ、あいまいさがしばしば批判されますが、逆に「改悛の状」の意味をせまく解釈すれば、日本でも法律改正なしに終身刑が実現されることになります。現に2000年にも、ある幼女殺害事件で、仙台高裁の泉山禎冶裁判長が無期判決を言い渡したとき、「仮釈放の際は、遺族の意見を聞くように」と付け加えています。
 1998年6月に最高検察庁が出した通達では、死刑事件に準ずるほど悪質なものを「マル特無期事件」と位置づけ、刑務所長などから仮釈放の相談を受けたら、なるべく「不許可」の意見書を出すよう全国の検察庁に求めました。
 ただ、全国の刑務所は軒並み定員超えの「満室状態」で、終身刑の導入どころではないという現実もあります。】

ハイテク駆使、初の“民営”刑務所開所…山口・美祢

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 いまの日本での「無期懲役」というのは、要するに「ちょっと長めで、刑期の上限が定められていないだけの有期刑」でしかないのです。僕は死刑制度に賛成で、基本的には「もっと日本の刑事罰は厳しくて良いのではないか」と考えているのですが、こういう「現実」を知ると、なんだかいっそう悲しくなってしまいます。「死刑」にさえならなければ、とくに若い犯罪者であれば「無期懲役」でも、いつかは出所できるというのは、その犯罪によって「傷つけられた側」からすれば、あまりに軽い量刑であるような気がしてなりません。いくら法廷で「改悛」してみても、失われた人は、もう還ってはこないのだし。
 このペルー国籍の男や山口県の光市母子殺害事件の犯人が「無期懲役」という判決の元に、いつの日か「社会復帰」してくるというのは、なんだかとても理不尽極まりないことだと僕は思います。「人は罪を犯すことがある」というのは理解せざるをえないのだけれども、「死でさえも償いきれない罪」というのはないのでしょうか。そもそも、殺された人は絶対に戻ってこないのに、殺した側には「更正」の機会が与えられるというのは、あまりにも不公平です(ちなみに、光市の事件は、最高裁で差し戻しになり、今月の24日から差し戻し審がはじまるそうです)。殺された人だけではなく、その周囲の人たちも、一生癒えることのない心の傷を背負っていかなければならないというのに……

 しかし、こういう「名目だけの無期懲役」の理由として、「刑務所が満室だから」という現実があるのだとしたら、それは、情けないのだけれども、どうしようもない問題なのだろうな、とも感じます。刑務所を急に造るというのはなかなか難しいことみたいですし。
 最近は、刑務所不足のあまり、「受刑者にとって、より居心地が良い」民営刑務所まで誕生しているという状況です(今のところ、民営刑務所は比較的罪が軽い、初犯の受刑者対象のようですが)。結局のところ、増えすぎた犯罪者たちを養っているのは自分が払った税金なのだ、ということを考えると、なんだかとてもいたたまれない気持ちになってくるのです。あのペルー国籍の男とか、麻原の「生活費」の一部は、僕が負担してやっているのか、と。それはもちろん、微々たる金額ではありますし、「社会の安全保障費」みたいなものだと割り切ればいいのかもしれませんが、それでも、真面目に働いている人たちが「ワーキングプア」になってしまうこの御時世なのに、という不快感は拭い去ることができないのです。
 さすがに「みんな死刑にしてしまえ!」というわけにはいかないでしょうけど、「名目だけの無期懲役」でいいのか?という問題は、もっと議論されてしかるべきだと思います。もちろん、ここで長嶺さんが書かれているような「解釈を変えて、実質的に終身刑とする」という可能性も含めて。



2007年05月13日(日)
鮨ネタを食べる「順番」

『鮨に生きる男たち』(早瀬圭一著・新潮文庫)より。

(「すきやばし次郎」の小野二郎さんの項から「鮨ネタを食べる『順番』」について)

【ところで食べる順番にどうしてこだわるようになったのか。
「平目(夏だとまこがれい)から食べてみると、ほのかな甘みや香りはもちろんのこと、シャリの酢加減までがよくわかります。味覚が麻痺しないので、次に口に入れる握りの味もしっかり識別できます。大トロを先に食べてそのあと白身にすると、大トロの強い脂が口の中に残ってしまい、白身のおいしさが伝わらない。白身から鮪と続けてみたほうが両方の特徴が出ることがわかりました。大トロの後は小肌がいい。小肌の酸味がトロの脂を消します。しかもきりっとした印象が残ります。相乗効果で小肌のうまさも際立つのです。この次は何が出るのか、期待もふくらみます」
 小野が鮨職人をめざして「与志乃(よしの)」に入った頃、まず中トロを2カン出し、次に大トロを2カン出す。4カン握って、さあ次は何にしましょうというのが鮨屋の常識だった。天麩羅の店がまず海老を揚げるのと同じで、最初にその店を代表するものを出すのがしきたりであった。そんな形を破って、「お好み」から「おまかせ」に到達するきっかけは、評論家山本益博にある。山本が昭和57年『東京・味のグランプリ200』(講談社)を出版したとき、その中で「次郎」のことをこう紹介した。
「この店のすしダネは超一級品で、ひらめ、まぐろはまことに素晴らしい。まぐろなどは『久兵衛』の上をゆくまぐろで『美家古(みやこ)』『与志乃』と並んで東京のすし屋のまぐろとしては最高のものであろう。このまぐろを最初に食べたいところだが、それではひらめの味がだいなしになってしまう。それほどにひらめも甘みとうまみがあって見事である」
 これを読んで小野は考えた。
 それまで最初に出すのは鮪だった。白身の平目や鰈から出すことなど思いつきもしなかった。山本の言うことは一理ある。さっそくその順番で試食してみるとなかなかいける。このときから握る鮨のネタの出し方を意識するようになった。あれこれ試行錯誤して今日にたどりつくのである。順序を重んじる懐石料理も参考になっている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「すきやばし次郎」といえば、まさに名店中の名店です。その「すきやばし次郎」の「生きた伝説」とも言える鮨職人、小野二郎さんが語る「鮨を食べる順番」の話。
 僕はカウンターで鮨を食べた記憶が一度か二度しかないのですが、よく「通はまずは白身から」なんていう薀蓄を耳にします。でも、そういう「通のマナー」みたいなのを聞くにつれ、逆に「マナー違反の注文の仕方をしてバカにされたらどうしよう」というようなプレッシャーがかかって、鮨屋のカウンターからは足が遠のいてしまうのです。回転寿司のほうが、安いし好きなように食べられるからいいや、とか考えてしまうんですよね。この本を読んでいると、一流の職人たちが握る鮨をぜひ一度食べてみたいなあ、とは思うのですけど。

 しかしながら、この文章を読んでみると、その「鮨を食べる順番」というのは、そんなに昔からあった「マナー」ではないようです。昭和57年の山本益博さんの本がきっかけになって、小野さんはいろいろ試してみられたそうですから、今から25年くらい前までは「鮨屋でカウンターに座れば、黙っていてもまずまぐろ、それも中トロと大トロを出す」というのが「常識」だったということです。まぐろというのは鮨屋にとっては「看板」ですから、まずその看板をお客さんに味わってもらう、というのは、確かに当たり前の発想なのかもしれません。トロは仕入れるのにお金がかかりそうですから、なるべくロスが出ないようにまずこれを食べてもらうというのは、コストの面からも合理的ではあるでしょうし。

 僕は今まで、「鮨屋でいきなりトロを頼むのは邪道だ」というような話は何度も聞かされてきましたが、そういう話をする人たちは、ほとんど「なぜそうなのか?」ということを説明せずに「それが礼儀だと決まっているんだからゴチャゴチャ言うな」という感じでした。でも、この小野さんの話を読んでみると、小野さんが試行錯誤の末に「鮨をより美味しく食べられる順番」を作り上げていったのだ、ということがよくわかります。「通」の人たちは「常識」だと言って偉そうにしているけれど、小野さんはむしろ、その「常識」を盲信せずに、自分の舌で確かめて、新しい「常識」を作り上げた人だったのです。それは「礼儀」とかじゃなくて、「鮨をいちばん美味しく食べられる順番」を合理的に追究した結果でした。

 ちなみに、著者が「すきやばし次郎」で「おまかせ」を頼んだ際には、こんな順番で鮨が出てきたそうです。

(1)まこがれい
(2)イカ(すみ)
(3)イカ(あおり)
(4)かんぱち
(5)赤身
(6)中トロ
(7)大トロ
(8)小肌(新子)
(9)蒸しあわび
(10)鯵 2カン
(11)車海老
(12)かつお
(13)赤貝
(14)しゃこ
(15)うに
(16)小柱
(17)いくら
(18)穴子
(19)玉子焼き
(20)かんぴょう巻き

 かんぴょう巻きが4巻で、全部で24カン。これで2万5千円。
 もちろん僕は「すきやばし次郎」に行ったことはありませんし、この値段が高いか安いかというのは評価しようがないのですが、とりあえず、いつか鮨屋のカウンターに座ったときのために、この「順番」は記憶しておこうと思います。まあ、懐に余裕があって、信頼できる店であれば「おまかせ」にしてしまえば良いだけの話なのかもしれませんけど。



2007年05月12日(土)
志村けんからタカアンドトシへの「アドバイス」

『月刊CIRCUS・2007年6月号』のインタビュー記事「志村けん、語る。」より。取材・文は長谷川晶一さん。

【インタビュアー:ひとつのことを続けた結果、今では「コント=志村けん」という状態になりましたね。

志村けん:金と時間がかかるコントは、もう誰もやらなくなったからね。昔はよく「マンネリだ」と批判もされたけどね(笑)

インタビュアー;確かに「ドリフはマンネリだ」という意見もよく聞かれました。

志村:でもね、マンネリであり続けることってすごく大変なことなんだよ。例えば舞台でもテレビでも、見ている人の期待、「次はこうなるよ」っていう期待を、そのとおりに演じるには技術が必要なんだよね。そして、たまにその期待を裏切って全然違うことをするから「あっ、そう来たか!」ってまた新しい笑いが生まれるんだから。

インタビュアー:「マンネリだ」という批判を恐れてはいけないということですね。

志村:以前、(ビート)たけしさんとも話したことがあるんだけど、ベタでわかりやすいネタって、タイミングだとか間だとか、腕が必要なんですよ。でも、今の笑いって意表を突いた笑い、一発ギャグだけでしょ。みんなマンネリになる前に終わっちゃうんだよね。

インタビュアー:その現状は不満ですか?

志村:今の若手は、お笑い専門じゃないからね。すぐにトークをしたり料理を食ったり、ネタをやらずに、お笑い以外のことに遊んじゃうからね。

インタビュアー:すると、若手で「面白いな」と思う人、「ライバルだ」と思う人はいませんか?

志村:ライバルはいないけど、面白いなと思うのは、タカアンドトシかな。彼らと一緒に飲んだこともあるんだけど、「欧米か!」のネタは絶対に「これからもやり続けろよ」って、アドバイスしたことがあるよ。つまり、それは「飽きるな」ということ。ギャグって、やっている本人たちがまず真っ先に飽きるもんなんだよね。僕なんかもそうだったけど「カラスの勝手でしょ」とか「ヒゲダンス」とかって、演じている本人が最初に飽きてくる。でも、日本全国に幅広く浸透するには、すごく時間がかかるんですよ。

インタビュアー:演じている本人と、それを受け取る世間との間に時差があるわけですね。

志村:時間差がすごくある。でも、浸透し始めて、そこで初めて本物になるんだと思うよ。だから、マンネリをバカにするな。マンネリを恐れるなということなんです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕が子供の頃から、もう30年もお笑い一筋の志村さん。まあ、このインタビューに関しては、最近は志村さんもコントばっかりじゃなくて、バラエティ番組にゲスト出演したり、旅番組で「料理を食ったり」もされているのではないか、とも少しだけ感じましたけど。

 確かに、テレビ番組での「金と時間のかかるコント」は、どんどん少なくなってきています。お笑い芸人が司会をやっている番組でも、みんなで高級料理を食べたり、芸人が経済を解説したり、無人島でサバイバルするようなものが多くて、ネタをやる番組って本当に少ないですよね。もちろん、そういうことを「面白く見せる」のも「芸」なのだとは思うのですが。

 しかしながら、志村さんが追い求めているような「日本全国に幅広く浸透するギャグ」を作るというのは、今の状況では、なかなか難しいのではないかと思います。『エンタの神様』に登場する「エンタ芸人」たちのネタ(というか、ネタのフォーマット)は、『全員集合』の時代よりは、はるかに短い時間で全国に広まり、そして、ごく短期間で消費されつくしている印象があるのです。志村さんがここで語っておられるような「タイミングとか間」なんてことを芸人たちが考えなくてもいいように、『エンタ』の多くのネタは、パターン化されており、「マンネリだ」とみんなが意識する時間もなく消滅していくのです。実際は、あれはあれで、「素人でも忘年会の宴会芸などに応用しやすい」という大きなメリットがありますし、ある意味「芸のカラオケ化」なのかもしれませんが。
 そして、ここで志村さんが仰っておられるように、タカアンドトシは、「伝統的な」コンビなのでしょう。「欧米か!」が流行っていますが、彼らはそれを濫発しすぎないように、ものすごく気をつけているように見えますし。当たり前のことなのですが、彼らは、いつも同じシチュエーションで「欧米か!」とやっているわけではないのです。飽きられる時は必ず来るのだとしても。

 「ギャグって、やっている本人たちが真っ先に飽きる」というのは、志村さんのような経験者にしかわからないだろうな、と思います。みんなが「マンネリだ!」と言っているころには、やっている側は「もうウンザリ」だったりするのでしょうね。だって、そのギャグをいちばん多く聞かされているのは、やっている自分自身なのだから。

 実際には、「売れる」というの狭き門で、何年やっても誰にも見向きもされない芸人やギャグは星の数ほどあるのでしょうから、「マンネリ」だと言われるくらいの「みんなが知っているギャグ」がひとつでもある芸人っていうのは、それだけで幸せなのかもしれませんけど。



2007年05月10日(木)
『天才柳沢教授の生活』がロングランになった「転機」

「papyrus(パピルス)2007.6,Vol.12」(幻冬舎)の特集「漫画家・山下和美〜人間の不思議と世界の普遍を探して〜」より。

(「山下和美ロングインタビュー」より、山下さんが、『天才柳沢教授の生活』の連載をはじめた頃の話です)

【「友達の漫画家さんのアシスタントに行っていたら、その方の担当さん経由で『モーニング』の編集者がスカウトに来たんです。私は『モーニング』っていう雑誌のことを当時よく知らなかったんですけど、『週刊マーガレット』でうまくいっていなかったこともあって、まあいいや後は野となれ山となれという感じで。
 まず最初、カラーのイラストエッセイ1ページを増刊号に載せてもらいました。”私が好きな男のタイプ”というテーマで父のことを描いたんですけど、それを見た編集長が”このキャラで本誌に漫画を描いてくれないか?”と。”本当にこのネタで一話できるの?”と戸惑いながら描いた、それが『天才柳沢教授の生活』の第1話(88年7号)です」

 20代から30代の男性と主要読者層に、ぎらぎらした男同士のけんかを描く劇画調の連載漫画が並んだ当時の誌面上では、異色中の異色。愛おしくもヘンな柳沢教授とさまざまな人々、世の中との繋がりを、一話完結形式でポジティブに描く『教授』は、「モーニング」編集部と雑誌読者にとって、新しくて面白かった。
 しかも、週刊誌なのに週刊連載ではなく、ほぼ月1ペースのシリーズ連載。男社会の青年誌上で、少女漫画出身の女性作家が描く。そんなケース、漫画界全体を見回しても他になかった。

「やっと自分の異色さをウリにできる漫画が描けた、載せてもらえたと思って、すごく嬉しかったです」

 89年1月に第1巻が発売された時は「3話で終わると思ってたのに!」と心底驚いたそうだが、それから十数年。'07年の今も続く長寿連載となり、「モーニング」の顔として定着している。

「夜9時になると寝ちゃうとか、道を直角に曲がるとか。最初の頃は教授のヘンな特質を、教授を観察する周りの人々の方に視点を置いて描いてたんです。それだけだったらたぶん、1巻で終わっていたと思う。途中で教授の側に視点を置いて、教授が世の中から何かを”発見”する話に変化させたんですね。”発見”をきっかけに教授が世の中のことを”勉強”する、そのテーマを見つけたからロングランになったと思う」

 柳沢教授が”発見”し、”勉強”するのはこの世界や、この世界を生きる生物たちだ。つまり少女マンガの世界とは異なる生身の人間、生身の現実が、この漫画にはいっぱい詰まっている。

「老人とか子供とか、やくざとか。『教授』では今までいろいろなキャラクターを描いてきましたけど、描くのが難しいと感じることは一切なくて、全部が全部楽しいです。ただ、恋愛で頭がいっぱいの少女漫画の女性キャラを描いていた時は、苦しかった(苦笑)。パターンにハマった人を描くのが苦手なんですよ」

「人の話を聞くのが透きなんです」と、山下さんは続ける。

「人を観察することも。たぶん、つまらない人って、この世にいない。自分ではつまらないと思っているかもしれないけど、誰もがみんな、それぞれの形で、面白い人生を歩んでいると思う。その”それぞれ”を、私は描きたいんです。幸せの感じ方も、将来の目標も、人それぞれでいい。みんなと同じがいいなんて、もったいないと思いませんか?」】

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 このインタビューによると、大学の経済学部の教授をなさっていた山下さんのお父さんが、「柳沢教授」のモデルになのだそうです。
 横浜国立大学美術学科の2年生のときに「週刊マーガレット」でプロの漫画家としてデビューした山下さんなのですが、「少女漫画は恋愛中心主義だから、読者に受け入れられなかった」ということで、28歳で少女漫画誌の専属作家としての活動を辞めてしまいます。少女漫画誌時代には、「あまりに人気がなくって、アンケートを自分で出しましたから、本当に(笑)」なんて話もあったのだとか。今となっては笑い話にできるのでしょうが、当時はかなり追い詰められていたはずです。
 当時の少女漫画界というのは、全体的にみれば、必ずしも「恋愛中心主義」の作品ばかりではないので、「週刊マーガレット」という雑誌の読者層や編集者が求めていた作品と山下さんの作風が合わなかった、ということなのかもしれませんが。

 僕がこの山下さんのインタビューを読んでいちばん印象に残ったのは、『天才柳沢教授の生活』がロングラン作品になったのは、「視点」を「教授を見る周囲の人々」から、「教授自身」に変化させることができたからだ、と語られている部分でした。
 柳沢教授は、かなりインパクトがある特異なキャラクターですし、普通だったら、「教授のヘンなところを徹底的に描こう」とするはずです。現に、山下さん自身も最初はそうしています。
 でも、もしそのまま「柳沢教授の変人っぷりを周囲の視点で描き続ける」という選択をしていたら、作品はこんなに長続きしていないはずです。だって、どんなに変わった人であっても、一人の人間の「引き出し」というのは、やっぱり限られていますしね。それこそ「3話ぐらいで終わり」になってしまったかもしれません。

 山下さんは、「ヘンな人」である柳沢教授から観た「世界」を描くことによって、「みんなが『普通』だと思い込んでいる人や物事は、ちょっと角度を変えてみれば、いろんな『発見』に満ち溢れているのだ」と語り続けているのです。確かに「普通の人々の日常」が題材になるのですから、ネタ切れにはなりにくいはず。
 でも、こういう「視点の転換」って、聞いてみれば簡単そうに思えるけれど、実際に発想し、作品にするのって、けっしてたやすいことではないんですよね。「柳沢教授の目から見た世界」を描くのって、「外部から見た柳沢教授の不思議な生態」を描くよりも、はるかに難しいことのような気がします。



2007年05月09日(水)
「実在の人物を描いた映画」が増えている理由

「日経エンタテインメント!2007.5月号」(日経BP社)の記事「インサイドレポート」の「映画業界」の項より。

【アカデミー賞男女優賞で実在の人物を演じた俳優の受賞が多くなっている。今年第79回は『ラスト・キング・オブ・スコットランド』でアミン大統領役フォレスト・ウィテカー、『クィーン』でエリザベス女王役ヘレン・ミレンが主演賞を受賞した。昨年は『カポーティ』でフィリップ・シーモア・ホフマン、『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』でリース・ウィザースプーンが主演賞に輝いた。
 2年連続、主演男女優賞ともに実在の人物をそっくりに演じた俳優がアカデミー賞を制する結果となった。こうした「なりきり映画」が高評価を得る傾向は21世紀に入ってから顕著になっている。
 この「なりきり映画」ブームの背景には、ハリウッド映画業界が抱えるいくつかの問題点が深くかかわっている。1つは、オリジナルストーリーを書ける脚本家の不在だ。原因は、脚本家に対する待遇の悪さにある。今や映画は劇場公開の後、DVDやネット配信など2次使用の機会が多く、著作権料はそのつど発生する。そのことを盾に、製作者が最初の脚本料を低く抑え出したのだ。
 しかし、必ずしもすべての映画が大ヒットし2次使用に恵まれるわけではないので、脚本家は映画だけでは生活できず、テレビ界へと活躍の場を移しつつある。最近、海外ドラマが好調なのはこうした要因もある。

 次に、知名度のある人物を描いたほうが企画が成立しやすいということがある。製作費をスムーズに集めることができるうえ、よく知られた人物の周知の物語は新進の脚本家でも書くことができ、脚本料を安く抑えられる。
 実際に、渡辺謙主演で今回アカデミー賞候補となり、実在人物を描いた「なりきり映画」でもある『硫黄島からの手紙』は脚本料が通常の映画の4分の1程度だった。
 さらに「なりきり映画」ブームに拍車をかけるのが、昨今のデジタル技術の進歩。『クィーン』のエリザベス女王役ヘレン・ミレンは、デジタル画像によって表情にかなり細かいシワが加えられた。また、『カポーティ』ではフィリップ・シーモア・ホフマンの声色をデジタル音声でよりカポーティ本人の声に似せていった。俳優を実在の人物に、よりそっくりにすることが可能になったのだ。
 今年は名ジャズメン、マイルス・デイビスの半生がドン・チードルの主演兼監督で映画化され、早くも賞レースに絡んでくるのではと予想されている。
 実在の人物を演じることが高評価を得る傾向は今後いっそう強くなりそうだが、実は「鬼門」がある。歴代の米大統領だ。これまでにもニクソンをはじめ有名大統領を主人公にした映画は多くつくられてきたが、興行的に厳しく、賞レースに絡むことはできなかった。かのスティーブン・スピルバーグでさえリンカーンを主人公にした映画の企画がなかなか進まず、苦慮しているといわれる。
 だが、この先、「なりきり映画」ブームが大きくなれば、歴代大統領を主人公にした作品がオスカーに輝く日がくるかもしれない。】

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 確かに、最近の「なりきり映画」に対しては「ここまで実在の人物に似せるための努力をするなんてすごいなあ」と感動する一方で、「『似ている』ということだけが役者の価値ならば、いっそのこと役者を使わずに、CGで本人を描いたほうが良いんじゃない?」と疑問にもなるのです。『Ray』でレイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスや『アビエイター』でキャサリン・ヘップバーンを演じたケイト・ブランシェットの「実在の人物に似せるための努力」を全否定するつもりはありませんが、「なりきり映画」ばかりが氾濫してしまうというのは、ちょっと寂しいような気がします。

 昔のように「見た目はモデルと似ていないけれど、それぞれの役者なりの解釈で歴史上の人物を表現していた時代」のほうが、デジタル処理までして「本物そっくり」にしようとする現在よりも、役者にとっては、演技の幅があったのではないかと思うのです。映画って、「そっくりさんショー」じゃないはずですし、結果がわかっている歴史上の人物の事跡を辿るばかりではなく、「この物語は、これからどうなるんだろう?」とワクワクするような「未知の夢物語」を楽しみにしている人だって多いはずです。全ての映画ファンが過去の有名人の秘められた葛藤にしか興味がないとは考え難いですし。

 しかしながら、この「なりきり映画の氾濫」には、映画の脚本にお金がかけられなくなったことによって、「夢物語」を描ける優秀な脚本家が映画から手を引いていったこと、オリジナルの企画では製作費を捻出するのが難しくなっていることといった、ハリウッド映画が現在抱えている問題が反映されており、「そういう映画のほうが、安上がりで興行収入も見込める」のであれば、今後もこの傾向は続いていきそうです。まあ、「なりきり映画」というのもきちんと作ればけっこうお金はかかりそうですし、全ての映画が「そっくりさんショー」になるというのもありえない話なのですが。

 アメリカ大統領を主人公にした映画が「鬼門」だというのは初めて知りました。個人的には、スピルバーグ監督の『リンカーン』って、ぜひ観てみたい作品なのですが、屈指のヒットメーカーでも企画が通らないくらい「ヒットしない」と考えられているのですね。
 言われてみれば確かに、アメリカ大統領が主人公でヒットしたアメリカ映画って、『インディペンデンス・デイ』くらいですしね(もちろん架空の大統領)。そういえば『華氏911』もある意味「大統領が主人公」なのか……
 



2007年05月07日(月)
「補修する布は、もとの布より少し弱くなくてはいけない」

『物語の役割』(小川洋子著・ちくまプリマー新書)より。

【同じく河合(隼雄)さんは、『ココロの止まり木』という本の中で、京都国立博物館の文化財保存修理所を見学した折、欠けた布を修復する際に補修用の布がもとの布より強いと、結果的にもとの布を傷めることになる。補修する布はもとの布より少し弱くなくてはいけない、という話を聞き、カウンセリングという自分の仕事に似ていると感じた、と書いておられます。補修する側が補修される側より強すぎると駄目なのです。
 物語もまあ人々の心に寄り添うものであるならば、強すぎてはいけないということになるでしょう。あなた、こんなことでは駄目ですよ。あなたが行くべき道はこっちですよ、と読者の手を無理矢理引っ張るような物語は、本当の物語のあるべき姿ではない。それでは読者をむしろ疲労させるだけです。物語の強固な輪郭に、読み手が合わせるのではなく、どんな人の心にも寄り添えるようなある種の曖昧さ、しなやかさが必要になると思います。到着地点を示さず、迷う読者と一緒に彷徨するような小説を、私も書きたいと願っています。
 レイモンド・カーヴァーは「書くことについて」(『ファイアズ(炎)』収録)というエッセイの中で、
「作家にはトリックも仕掛けも必要ではない。それどころか、作家になるには、とびっきり頭の切れる人間である必要もないのだ。たとえそれが阿呆のように見えるとしても、作家というものはときにはぼうっと立ちすくんで何かに――それは夕日かもしれないし、あるいは古靴かもしれない――見とれることができるようでなくてはならないのだ。頭を空っぽにして、純粋な驚きに打たれて」
 この一文に出会った時、私は子供の頃読書から得た、二つの矛盾しながら共存する思いを蘇らせました。ぼうっと立ちすくんで、夕日や古靴を眺める。それはまさに自分が世界の一部分であることの確認です。そして、純粋な驚きに打たれる時、私はその驚きを自分だけに特別に授けられた宝物として受け取ります。そうして、そこから小説を書くのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 作家・小川洋子さんの「物語の役割」についての講演の一部です。もちろん、これを読んで、「トリックも仕掛けもない作品なんて、面白くもなんともないんじゃないか?」と思う人もおられるでしょうし、ある種の「極論」というか「理想像」なのかな、という気がします。でも、この小川さんの話を読んでいると、少なくとも、本ばかり読んでいて頭の中で空想ばかりしていた僕という子供は、「物語に逃げていた」というよりは、厳しい現実のなかで生きていくにあたって、「物語に守られて成長することができた」のだということがわかりました。「本ばかり読まずに、現実に目を向けるべきなのでは」というようなことを僕は自分自身に問いかけたりもしていたのですが、あの頃の僕が、脆い心で現実に正面から立ち向かっていたら、ここに、こうやって存在していられたかどうかは非常に疑問です。

 世の中には「自分を引っ張ってくれるような、強い物語」と必要としている人だって、たぶんいるのではないでしょうか。でも、多くの傷つきやすい、弱い心を抱えた人たちにとっては、「強い物語」は、「そんなふうには生きることができない自分」を際立たせる存在なのかもしれません。「完璧すぎる親」や「完璧すぎるカウンセラー」が、子供や患者さんたちをかえって追い詰めてしまうことがあるように。
 むしろ、「なんだこのスッキリしない結末は……」というような緩やかな「物語」のほうが、結果的には人の心を解きほぐしてくれる場合もあるのですよね。

 『物語の役割』というのは、「自分が世界の一部であるということの確認」であり、また、「自分が世界で唯一無二の存在であることの認識」だと小川さんは仰っています。そして、これはまさに「自我の形成」そのものです。
 本当は、「物語」を必要としないで生きていければ、それがいちばんラクなのかもしれません。でも、生きていくっていうのは、そんなに簡単なものではないんですよね。そして、「弱いからこそ与えられる強さ」というのも、きっとあるのだと思います。



2007年05月06日(日)
黒田博樹「スーパースターになるならカープで」

「Number.677」(文藝春秋)の特集記事「野球魂。」より、特別ノンフィクション「黒田博樹『誰がためにカープを』」(室積光・文)の一部です。

【黒田博樹が肉体でけでなく「心」も両親の何かを受け継いだことは確かだ。
 野球を始めた少年野球チーム「オール住之江」でも父が監督だった。お互いやりにくかったようで、父は贔屓していると思われないように息子には殊更厳しくした。
 その頃から目標とする選手はいないという。黒田は常に自身の中でフロンティアなのだ。
 父がOB(黒田投手の父親である一博さんは、南海で活躍した元プロ野球選手)である関係から、大阪球場で南海ホークスの試合を観戦することが多かったが、ファンというほどでもなかった。
「ただ、観客の少ない試合でも頑張っている選手を見ると自分のために頑張ってくれているように思えたんです。誰かがヒットを打つと、僕のために打ってくれたって」
 だから今逆の立場にあって、そんなファンのために頑張りたいという。
 確かに広島市民球場が満員になることは珍しい。だが、少ない観客の中には初めてプロ野球観戦に来た人、あるいは遠くからわざわざ足を運んだ人もいるだろう。
 忘れがちなことである。演劇の世界でも「観客とはいつも初対面」という言葉がある。
「年間で投げても30試合ぐらいですけど、いつもこの試合で終わってもいい、というつもりでマウンドに上がります」
 と黒田は言った。だからグラブを出さずに右手で打球をつかみにいくことがあると。
「僕らはお客さんの前で頑張ることしかできないじゃないですか」
 言葉はシンプルだが、この人が言うと重みが違う。

(中略)

 黒田にとって、カープは最初に声をかけてくれたプロ球団だった。
「もし高校時代にスーパースターになっていたら、そのままスーパースターである自分を追い求めていたように思いますが、自分ではスーパースターになれないと思いますし、逆になるならカープで、とも思います」
 つまり人気球団に移籍して、一瞬あだ花のようにスーパースター扱いされるより、カープで継続して結果を残して評価される方に価値があるのではないか、と考えたというのだ。
 黒田博樹は安易な道より、苦しくとも本物と思える結果を出す道を選んだということだ。
 確かに自分自身が納得する方を選べば後悔はないだろう。私は彼が正しいと思う。だが、
「どちらが正しいか野球人生が終わってみるまでわからないです」
 と黒田自身はあくまでも冷静だ。
 これを見ても今回の彼の選択が、単なる人気取りのスタンドプレイでないのがわかる。真剣で重い決断であったのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 カープファンである僕は、黒田残留のニュースをネットで見たとき、涙が止まりませんでした。いや、カープファンでさえも、大部分の人は、黒田投手の残留を願いながらも、「やっぱり出ていってしまうのだろうなあ……」と半ばそれを「規定路線」だと考えていたのではないでしょうか。カープに残留すれば年俸だってメジャーや巨人・阪神に比べればはるかに安くなってしまうでしょうし、甲子園球場での阪神のように、熱狂的な満員のファンに後押しされることもほとんどないでしょう。彼ほどの超一流の投手でさえ、全国的な知名度は、巨人の「ようやくローテーションに入っているくらいの一流半の投手」に負けていたりもするのです。カープファンの僕でさえ、「黒田が自分の友達だったら、『残ったほうがいい』とは言えないんじゃないだろうか……」などと考えていましたし。
 黒田投手の「残留」が、プロ野球界に大きな一石を投じたのはまぎれもない事実です。この残留劇は、ファンが選ぶ昨年の「プロ野球のいい話」の第一位に選ばれましたし、「黒田を獲得できなかった」はずの他球団の監督や球団社長も「個人的には、野球界にとって、すばらしいことだと思う」とコメントしていましたし。
 この号の『Number』で、近鉄の「球団消滅」を経験した、現ソフトバンクの大村直之選手に関してのこんな話が紹介されていました。

【大村は子供の頃、プロ野球を観にいったことが「1回しかなかった」。彼にとって野球は、観るものではなく、やるものだったからだ。野球をやっていたから野球を観る時間はなく、どこかのチームのファンでもなく、誰々のファンでもなく、「サインして欲しいと思ったこともなかった」。だからプロになってからも、実はファン心理というものが「分からなかった」。
 プロには大村のようなタイプが結構多い。そんなタイプにとって、あの騒動(近鉄とオリックスの合併劇)は「ファンを意識するキッカケになった」。そして、プロ野球興行はファンに支えられて成立してるという当たり前の構造を意識するようになり、問題意識を持つようになった。】

 おそらく、多くのプロ野球選手にとっての「実感」は、こんなものだったのだと思います。とくに、高校時代から甲子園のスター選手だったり、スカウトにもてはやされていた選手たちは。「プロ野球に入れるような選手たちだからこそ」、野球というのは「自分でやるもの」で、「見るもの」ではないという感覚なのでしょう。こういうのは、日頃身近に接しているはずなのに「医者には患者の気持ちがわからない」と言われるのと、同じようなものなのかもしれません。少なくとも、観客が「同じ野球を愛するものとして、このくらいはわかるはず」という「ファンの気持ち」は、多くのプロ野球選手にとっては「考えてみたことがないもの」だったのです。
 
 黒田投手は、上宮高校時代「投手としても3番手」だったそうです。いくら甲子園常連の名門校とはいえ、高校時代は「スター」として騒がれる存在ではなかったはずです。そんな自分の経験と、子供時代に見た「少ない観客のために頑張ってくれているように見えた選手」の姿が、今回の黒田選手の選択に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。もちろん、「だからこそ自分がより目立ちたい、観客の多いところでプレーしたい」と考える選手だっているとは思うのですが、黒田投手は、そういう人ではなかったみたいです。

 「どちらが正しいか野球人生が終わってみるまで分からない」と黒田投手は語っています。たぶん今でも、「やっぱりメジャーや人気チームに移籍しておけばよかったかな…」と後悔するときだってあるのではないでしょうか。
 「自分の夢」としてメジャーに挑戦したり「現実的な選択」として国内人気球団にFA移籍する選手が多いなか、「弱くてお金も人気もないチームに留まって頑張る」という「夢」を描いてくれた黒田博樹の「選択」を正しいものにするためには、今後もよりいっそうのカープファン、野球ファンの後押しが必要です。
 僕にとっては、松坂や井川がマスコミの報道合戦のなかメジャーの強豪チームで挙げる「1勝」よりも、黒田がカープで勝ち取った「1勝」のほうがはるかに重く、意味があるもののように思えるのです。たとえ、大部分の野球ファンにとっては、スポーツ新聞の片隅に小さく結果だけが載っている「ささいなこと」でしかないのだとしても。



2007年05月04日(金)
「エヴァンゲリオン文字」の秘密

『月刊・エヴァ3rd』(GAINAX監修・綜合図書)の連載コラム「もっと! エヴァンゲリオン」(GAINAXエヴァ主任 Y.K氏著)より。

(「エヴァンゲリオン文字」の秘密について)

【エヴァの魅力のひとつは、そのスタイリッシュさにあると言えるでしょう。たとえば、映像の構図だったり、音楽の使い方だったり、カット割りのテンポだったり、色んなことの細部まで「エヴァンゲリオン・スタイル」が貫かれています。なかでも一番判りやすいのが、「文字」の使い方。例えば、黒地に太い白抜きの文字で書かれたあのサブタイトル。TV画面に第一話の「使徒、襲来」という文字がバン!と現れたときには、「おお―、曲がってる!カッコいい!!」と、見た人みんなが痺れたもんです。
 あの文字は「明朝体(みんちょうたい)と呼ばれる書体で、正確には「マティス-EB」というフォント。ちょっと和風テイストで骨太な書体はなかなかハッタリが効きます。コントラストの強い白抜き文字をあのヘンテコな配列で並べれば、インパクトばっちりです。
 簡単に使える手法ですから、TV放映直後からいろんなメディアで太明朝体が大流行。新聞広告の見出しとか、バラエティ番組のテロップとかで「エヴァっぽい」文字デザインを見うけました。資生堂の化粧品広告にまで使われたのは、ちょっと驚きましたが。
 「簡単な手法」とは書きましたが、エヴァのサブタイトルはかなり綿密にデザインされています。文字の大きさだって一文字一文字それぞれ微妙に変えてあるし、縦横にも拡大縮小して比率が違う。トリッキーで乱暴な並べ方としているようでいて、文字間隔や全体のバランスにも気が使われてます。これは、監督のリテイク指示を何十回も受けた結果の産物。アニメ制作当時、ガイナックスの社内には印刷物を編集するセクションがあって、小規模ながら文字デザインをいじれる機材とスタッフが揃っていました。監督としては、本来アニメ担当ではない人手を使って(つまり、貴重なアニメーターの時間を使うことなく、)効果的に画面作りができたわけです。なにしろ庵野監督は「立ってる者は親でも使う」ってタイプですから…。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、『エヴァンゲリオン』のサブタイトルというのは、こんな感じです。 最近では、某資生堂「TSUBAKI」のCMで、この「エヴァンゲリオン文字」(ですよね、これはやっぱり)が使われていて、「オタク」の代名詞のような存在だった「エヴァ」の手法が、世間の「普通の女子」の流行を牽引するようなシャンプーのCMに使われるなんて、時代は変わったものだなあ、と驚いたものです。

 あの「エヴァンゲリオン文字」を最初に見たときには、確かにすごいインパクトがあったのですが、「まあ、思いつきをやってみたら流行ったって感じなんだろうな」と僕は想像していたのです。でも、こうして現場の人の話を読んでみると、あれは綿密な計算のもとに作り出されたものだったんですね……考えてみれば、「黒地に太い白抜きの文字」という条件が決まっていたとしても、その文字の大きさとか配置、フォントなど、決めなければならないことはたくさんあるわけで。あの「マティス-EB」っていうフォントじゃなかったら、あれほどのインパクトは無かったかもしれませんし。
 「黒地に白抜きの文字を並べだだけ」に見えるけれども、実際には、あのサブタイトルだけでも「何十回ものりテイク」が出されていたとのことなのです。しかも、「貴重なアニメーターの手を煩わせずに!」

 ちなみに、このコラムによると、【この折れ曲がった文字配置、実はエヴァが最初ではなく、日本映画の巨匠、市川昆監督が『女王蜂』などの映画で用いた手法がヒントらしい】とのことでした。「新しい!」って感じることも、実際は古典からヒントを得ている場合がけっこう多いみたいですね。
 



2007年05月02日(水)
「彼氏いるの?」という巨大なハードル

『TVBros。 2007年09号』(東京ニュース通信社)のコラム「脈アリ? 脈ナシ? 傷なめクラブ」(光浦靖子著)より。

(オアシズ・光浦靖子さんの読者の悩み相談コラム)

【<今回のお悩み>
 先日、会って間もない男友達に「彼女いるの?」と聞いたところ、「いる」と答えました。しかし後で他の友達に聞いたら、やつに彼女はいないとのこと。最悪です。まだ告ってないのに牽制球だなんて……お前なんか好きにならねーよ! こんな私はこれからどうすればいいんでしょう? (大久保さん・25歳会社員女)

 私がアナタの友達だったら、笑ってあげます。「またぁ? 男の人をいやらしい目で見てたんでしょー。ブスのくせにぃ。ひゃひゃひゃひゃ」と。私もアナタと同じような体験が多々あります。そんな時、私の友達はこのようなことを言って笑ってくれます。認めるしかないでしょう? 牽制球を投げられる程度の女である、ということを。これぐらいのことで、「絶対キレイになって、いい女になって見返してやるっ!」なんて、ハングリーになれます? いちいち熱くなってたらバテますよ。けっこう人生長いから。今日できることは、明日か明後日でもだいたいできます。穏やかにいきましょうよ。
 さて世の中には、絶対に、死んでも、人を悪く言わない、イイ人というのがいます。そんなイイ人にこのような悩みを話すと、誰のことも絶対に悪く言わないので、おかしな方向に話が進んでしまいます。
「アナタがあんまり可愛いから、彼、緊張して『いる』って間違えちゃったんじゃないかなあ? それとも彼、意地悪で『いる』って言ったのかなあ? だって男って、好きな女の子に意地悪するでしょう? それとも彼、アナタの気をひくために『いる』って言ったんじゃないかなぁ。だって、女の人って『フリーです』ってガッついている男より、『彼女います』って男に魅力感じるんでしょ? 違う? だって、今まさにアナタ、彼の話をしてるってことは、彼に興味がある証拠じゃない? ほらほら、返事に困ってる。あれぇ? 本当は彼のこと好きなんじゃないの? ほらほらぁ、返事に困ってるぅ! 好きなんだぁ! ひゅーひゅー!」
 本当に返事に困るでしょう? 「そっちじゃないのに」と思いつつも、あれよあれよと、気付けば随分遠くに行ってしまった話に、返事なんてできないでしょう? ちなみに私調べによると、「返事に困ってるぅ!」という人は、「ひゅーひゅー」を普段使いします。】

〜〜〜〜〜〜〜

 芸能界というところには、いまだに「『ひゅーひゅー!』を普段使いする人」というのが生息しているのでしょうか?
 まあ、それはさておき、この「彼女いるの?」男性側から言えば「彼氏いるの?」っていうのは、気軽に聞ける人にとっては「挨拶代わり」なのかもしれませんが、僕のようにモテない男にとっては、気になっていても言葉にしづらい質問なんですよね。それこそ、普段から「軽いノリで」女の子と話ているようなタイプの場合、こういうのも「ああ、この人は女の子には誰にだって聞くのね」ってことで相手も軽く答えてくれるのでしょうが、僕のように地味で堅苦しそうなタイプがこういう質問をすると、相手はたぶん「こ、この人、私に気があるの……?」と考えてしまうのではないでしょうか。もちろん、僕が福山雅治であれば、その一言で相手をときめかせることも可能なのでしょうが、現実はそんなに甘くありません。「こんなカッコ悪い男にそんなこと言われたら、不安になるだろうな……」とか、ついついダークサイドに引き込まれてしまって、そう簡単に「彼氏いるの?」なんて聞くこともできないわけです。

 自分がそんな感じだから、逆に、「彼女いるの?」って聞かれたら、「この子は僕に気があるのか?」とか期待しちゃうわけですよやっぱり。でも、世間一般の平均的な女性にとっては、「今日はいい天気ですね」みたいな話でしかない。「いるよ」って答えたら、「じゃあ、彼女の友達にいい男いない?合コンしようよ」とかオファーされちゃったりして。

 それこそ、長年友達として付き合っていた女の子に、ある日突然、「○○君って、……いま……彼女いるの?」って聞かれたような場合は、まさに「来た!」っていう感じなのでしょうけど、世の中の男女関係に慣れている人々にとっては、このくらいは単なる「肩慣らし」でしかないんですよね。

 でもまあ、彼女(彼氏)がいるのに「いない」って答える人は少なくないのですが、いないのに「いる」って答えられた場合、やっぱりちょっと「脈ナシ」ではありますよね。それとも、これは相手をじらすための高度な戦略なのか……?

 ……そんなことをいろいろと考えて泥沼にはまらなくて済むようになっただけでも、とりあえず、結婚してよかったなあ、と最近は思います。モテなくたって、「だって、もう結婚してるから当たり前だよね!」って自分を慰められるというのは、けっこうラクではあるんですよ。



2007年05月01日(火)
フジテレビ社員の羨ましい年収

「ダ・カーポ」605号(マガジンハウス)の特集記事「テレビ、不都合な真実!」の『嗚呼!ザ・テレビマンの実像』より。

【テレビ局社員の平均年収は間違いなく全業種の1位だ。中でもダントツを極めるのはフジテレビの1574万円(従業員数1384人、平均年齢39.7歳)。以下、在京キー局ではTBS、日本テレビ、テレビ朝日、テレビ東京と続き、NHKも1163万円となっている。ヤフーのようなネット系企業の2倍以上の給与水準となっているのだ(ヤフーの社員の平均年収は610万円(従業員数1959人、平均年齢32.6歳)。
「あるある」事件で社長が引責辞任した関西テレビも平均で1500万円、部長クラスで2000万円、局長クラスで3000万円は下らないと言われている。ちなみに、フジの社長の年収は約9000万円。働けど働けど年収300万円に満たないワーキングプアが増える今、テレビマンの厚遇ぶりにはやはり嫉妬してしまう。
「なにせ同じ20代でも局員なら年収1000万円を超えるのに、制作プロダクションは約400万円前後。『あるある』の孫請けをしていたアジトのような末端の会社スタッフは300万円未満。月収10数万円でボーナスもなしという薄給に泣く者さえ少なくありません」(テレビ情報誌記者)

(中略)

 そもそも、テレビ業界の給与水準はなぜこれほど高いのか。
 テレビ局の収入と支出の項目は左上表のようになっている。収入の多くはCM放映によるもの。CMには2種類あり、「この番組の提供は……」と紹介されるCMが「タイムCM」。
「フジテレビの”月9ドラマ”で30秒CM1本あたり、約800万円と言われています。スポンサー1社あたり1クール(3か月)の契約を結ぶと約1億円」(『テレビ業界まるみえ読本』の著者・田波伊知郎さん談)、
 スポンサーが3社なら3億円の収入だが、そのお金は主に出演者へのギャラなど制作費に充てられ、それほどテレビ局のもうけにはならないのだ。
「月9ドラマの1回放送分で制作費は5000万〜1億円、バラエティーで2000万〜4000万円、深夜番組でも300万円ぐらいはかかる」(前同)
 一方、番組と番組の間に流れる「スポットCM」は、広告代理店への手数料を除くほぼそっくりそのままをテレビ局がいただく。これが局員の高給の原資だったのである。視聴率1%に対するスポットCMで一番高い料金設定をしているのがフジ。平均視聴率1位の座を日本テレビに奪われていた時期でも、この強気の姿勢は崩さなかったといわれる。
 放送ジャーナリストの小池正春さんは言う。
「フジの視聴者は他局よりもいわゆるF1層(20〜34歳)が多い。広告スポンサーは、高齢者などより、消費に貪欲なこの層に見てほしいと願っているので、フジに出広するのです」
 いい客をつかまえているからこそ、フジはテレビ業界ナンバーワンの給与を得ているのだ。】

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 この特集記事の別の項で紹介されていたのですが、フジテレビの場合、アナウンサーや技術のような専門職を除く新卒の採用数は例年30人程度。そこに、1万4000人もの学生が殺到するのだそうです。その1万4000人が、WEB上でのエントリー(適性テストや作文など)で半数が「門前払い」され、筆記試験・クリエイティブ試験のあと、5〜6回に及ぶ面接をすべてクリアしないと正社員になれないのだとか。入社試験というより、ウルトラクイズなんじゃないかという気がするくらいの「狭き門」なんですね。まあ、憧れのテレビ業界、しかも高収入なのですから、その人気も理解はできるのですが。

 考えてみれば、テレビ局の仕事というのは時間が不規則で残業や時間外勤務も多いでしょうし、こういうメディア関係の人があまりに低収入だと、リベートや手抜きが蔓延しそうです。社会にとって重要な仕事であるのは確かなのですから、ちゃんとその分の仕事をしているのであれば、高収入であることそのものは責められるべきではありません。

 もっとも、彼らの高収入の陰では、「それでもテレビ業界で働きたい」という人たちが、末端の制作プロダクションで薄給に耐えて番組を作っているというのも紛れもない事実のようです。「月収10数万円でボーナスもなしという薄給」で、しかも激務とくれば、いくら憧れのテレビ業界で働けるとはいっても、「ねつ造」くらいやってしまうのもわからなくはないんですよね。「数字」を上げないと契約を切られてしまったりもするみたいだし。

 テレビ業界というのは大きなお金が動く世界です。「月9ドラマの1回放送分で制作費は5000万〜1億円」なんて、1か月分くらいの制作費があれば、平均的な「日本映画」が1本撮れるくらいのお金を遣っているわけです。見た目にはそんなにお金がかかっているようには思えないのですが、役者さんの出演料がものすごく高い、ということなのでしょうか?
 こういう「台所事情」を知ると、テレビ局が、なんとかバラエティ番組を「当てたい」と試行錯誤する理由もわかるような気がします。コストは安いし、視聴者も「F1層」が多いでしょうから。まあ、最近流行りの「DVD化しての二次収入」につながらないという難点はあるかもしれませんけど。

 しかし、この「テレビ局の収入」から考えると、「大人向けの真面目な番組」がゴールデンタイムに放送されないのは致し方ない、という感じです。だって、テレビ局は、20〜34歳の「F1層」に観てもらいたいのだから、その人たちが好みそうな番組を選択するのは当然の戦略ですよね。
 ちなみに、フジテレビのスポットCM(15秒)の料金の目安としては、視聴率1%あたり9〜10万円くらいなのだそうです。視聴率10%の番組なら1話あたり100万円。そりゃあ、「数字にこだわる」のも理解できます。

 まあ、当たり前の話なのですが、「テレビ局も企業」なのですから、視聴者側にも過信しすぎない姿勢が必要である、ということなのでしょう。