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2007年04月30日(月) ■ |
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から揚げに勝手にレモンを搾ってかけてしまう女 |
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「週刊SPA!2007/5/1、5/8日合併号」(扶桑社)の記事「第1回『生理的に許せない行為』告発集会」より。
【ここからは、市井の人々の憤懣やるかたない思いをどんどん紹介していこう。読む側としては、「いちいちそんなこと気にしてバカじゃねぇの」と思いながら、隣人がそうした思いを内に秘めていると想像してみる、と。何よりも食事にまつわる「生理的に許せない行為」が多かったので、まずはそこから始めましょう。
「居酒屋などでから揚げが出てくると、皆の意見を聞かずに勝手にレモンを搾ってかけてしまう女。レモンが嫌いなわけではないけど、から揚げなんだからパリパリなまま食べたい」(29歳・専業主婦) これ、実はまったく逆の反応をする人もいる。 「から揚げなどについてくるレモンについて、いちいち『レモン搾っちゃっていい?』って聞くな!『ダメ』っていうヤツはほとんどいないだろ。っていうか、その慇懃さが鬱陶しい!」(33歳男性・自動車メーカー) 「居酒屋で料理を取るときに、箸を反対側にして取るのは不快。反対側だって手で触っているじゃないの!」(49歳男性・協同組合) これは、「気を使っているようで、実はより悪い結果を生んでいるのでは?」という危惧だが、レモンの件と同様に「気を使っている」こと自体を問題にする人もいる。 「箸の反対側で料理を取り分ける行為。よそよそしすぎる。なんか、そんなことを気にするような小さな人間に思われているようで不快(30歳女性・客室乗務員) 取り分け系の話題でもう2つ。 「焼き肉屋で、他人のものだと思うからトングで焼いているのに、自分の箸であっちもこっちも手をつけて裏返すヤツ!」(28歳・主婦) 「潔癖症っぽいとこがあるせいか、女性同士で食事をしていて、『これちょっともらっていい?』と自分の皿のものをその人の箸やフォークで取られたら気持ち悪くなってしまう」(32歳・主婦) 食事とは、かくも相反する思いが火花を散らしている場なのだ……と思うと、食欲が減退しなくもないですね。しかし、次の例は「言いがかり」ではないだろうか? 「回転寿司屋の寿司を手で食べる。そんなことは高級寿司店でやってくれ!」(29歳男性・会社員) ちなみに、次の意見はほんとに少数派なようで、ちょっと不思議。 「料理を口に運ぶ際に、左手を下に添える人は苦手。一見、品がありそうな女性に多いのが余計に不可解です」(36歳女性・アルバイト) この「手皿」という行為は、明白な作法違反なんですけどね。】
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こういう話ばかり続けて読んでいると、なんだか他の人と一緒にごはんを食べることそのものに、なんだか身構えてしまいそうですよね。いや、ひとりで食べていても、「回転寿司を手で食べるなんて、通ぶりやがって!」とか白眼視されたりしているかもしれないわけで。ほんと「食べる」ってデリケートなのだよなあ。
ちなみに、『SPA!』での統計によると、「居酒屋などでから揚げが出てくると、周りの意見も聞かずにレモンを搾る」という行為を「やだなぁ〜」と思う人の割合は47.0%。まあ、こういう雑誌のアンケートや「読者の意見」の信憑性に関しては疑問もあるのですが、少なくとも「こういう人がいる」のは間違いないでしょう。僕は正直、この「から揚げにレモン」に関しては「どっちでもいい」という感じです。まあ、考えてみれば、いちばん合理的なのは、「自分のから揚げを取るときに、必要な人は自分でレモンを搾る」だと思うのですが、それはそれで、「よそよそしい」とか「みんなで一緒に食べている感じがしない」とか思う人もいるはずです。
あと、「箸を反対側にして取り分ける」に関しては、僕の場合はケースバイケースです。そんなのめんどくさいし他人行儀だとは思うけれども、実際にそんなに親しいわけでもない人たちと一緒に食事をするときには、まず「箸の反対側で取り分けて様子をみる」こともあるんですよね。そこで、「いいよ、そんな気を遣わなくても」と誰かが言ってくれれば、それ以降は普通に取り分けますが。しかし、これを読んでいると、焼き肉屋にいるカップルは「深い仲」だという通説にも頷いてしまいます。焼き肉屋の場合、他の人が食べる肉も自分が使っている箸でどんどん裏返していくので、「接触」が多くなりますから。「焼くことそのものが消毒になる」ので、普通の食べものよりもはるかに「他の人が箸をつけた影響」は少ないような気もするのですけど……
そもそも、「他の人が使った箸で触ったものを食べた」ことが理由で食中毒を起こしたなんて経験がある人は、少なくとも今の日本ではいないのではないでしょうか? でも、「気になる」ものはしょうがないんですよねこういうのって。 僕としては、お互いにあんまりいろいろ考えずに、楽しく食べられる人と食卓は共にしたいものです。
実際は、こういうのって、「その行為が嫌い」なのではなくて、「もともとお前が嫌い」なのが理由だったりしがちなんですけどね。
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2007年04月29日(日) ■ |
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「あの、フツーの苗字ないんですか?」 |
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『待っていてくれる人』(鷺沢萠著・角川文庫)より。
(鷺沢さんの友人が本屋に電話で注文をしたときの話)
【彼女の名前は崔である。日本語読みすれば「サイ」だが韓国語読みすれば「チェ」である。在日韓国人が通名を使うか、本名を「日本語読み」したことを使うか、それとも「韓国語読み」したものを使うか、それは本人の自由である。本人がいちばん好きなもの、あるいは使いやすいと思うものを名乗ればいい。そんなにもあたり前なことを、この島ではいちいち言ったり書いたりしなければならないのはまったく情けないことだが、今はその話は措いておく。 彼女は自分の意志で選択した名前を名乗り、自分の意志で選択した発音を使っている。崔姓を「韓国語読み」した「チェ」である。だから名前を訊いた書店の店員に対して、「チェです」と答えた。 応対した書店の店員は、「は?」と訊き返した。日本人にとっては聞き慣れない苗字であろう。彼女も名前を訊き直されることには慣れっこであるので、ごくふつうに言った。 「チェです。カタカナでいいんです。『チ』に小さな『エ』で『チェ』です」 小学生にも理解できるであろうそのような平易な説明をした彼女に対して、しかし店員はもう一度「は?」と言った。彼女は心の中でだけ溜息をつきながら、次はこう説明した。 「チューインガムの『チュ』の小さな『ユ』の部分を『エ』に変えてください。『チェ』です」 この説明で「チェ」の発音を理解できない者などいないであろう。少なくとも「母国語として」日本語を使っている者であれば。しかし店員は、次には「は?」の代わりに以下のような台詞をのたまったという。 「あの、フツーの苗字ないんですか?」 そのような無神経な台詞を投げつけられた友人は、しかし私に向かってはあくまで明るく笑いながら話を続けた。 「『フツーの苗字』って、なんだろうね? オンニ」 フツーの苗字って、なんだろうね? この一行に、この島の抱え続けている問題がみっちりと詰まっている。少なくとも私にはそのように思える。】
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この店員は、聞き慣れない「苗字」を耳にして、からかわれていると思ったのでしょうか? 今だったら、崔洪万(チェ・ホンマン)という有名なK1ファイターがいますので、こン菜ことにはならなかったのかもしれません。でも、もしこの電話の相手がいかにも日本語を話すことに慣れていなさそうな「外人」っぽい人であれば、きっとこの人は「フツーの苗字ないんですか?」なんて失礼なことは言わなかったと思うのです。
少なくとも、この電話でのやりとりからは、「書店の人をからかっている」ような印象は受けませんし、この書店員の対応は接客態度として間違っていることは言うまでもないのですが、ひとりの人間として、「他人の名前をバカにすること」というのは、本当に情けないことです。
僕の名前は外国人にとっては読みにくいようで、とくに英語圏では(というか、そもそもフランス語圏やロシア語圏には行ったことないですが)名前を呼ぶときに、みんな四苦八苦しているのがよくわかります。しかしながら、彼らは僕の名前をぞんざいに扱うことはありません。読み間違えられたり、何度か呼びなおそうとしてうまくいかず、困惑の苦笑いを向けられたりすることはあるのですが、それでも、表面上名前をバカにされた経験はないのです。もちろん、彼らも控え室に戻れば「ヘンな名前!」とか言って仲間内の笑い話にしている可能性はありますが、まあ、そこまで想像するのも不毛ですから。 それはさておき、人間にとって自分の名前をバカにされるというのは、とても悔しくて悲しいことなのです。それだけは間違いありません。幼稚園児だって、自分の名前をからかわれたら怒ります。自分の名前からは、そう簡単には逃げられませんし。
この店員だって、自分が同じように名乗ったときに「フツーの苗字ないんですか?」と言われたら怒るはずです。でも、そんな想像は今までしてみたことがないのでしょう。あるいはアメリカで目の前の人に自分の名前をジョークのネタにされても、曖昧な笑顔をふりまき続けるのでしょうか? この店員が「訊いたことがない苗字を名乗られてからかわれているのかと思った」のか、「在日韓国人だとわかって、日本人風の『通名』があるはずだと判断して聞いた」のかはわかりませんが(僕はたぶん前者だと予想していますが)、悪意がなくても、いや、悪意がないならなおさら、「同じ日本人として」悲しくなる話です。この書店員個人の問題なのかもしれません。でも、この崔さんの「手際良さ」を考えると、こういうのは在日韓国人たちにとって「非常に珍しい経験」ではないのでしょうね、きっと。
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2007年04月28日(土) ■ |
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高橋源一郎さんが「結婚を繰り返している理由」 |
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「わしズム・Vol.22」(小学館)の特集記事「『結婚』は必要か!」のなかの「[極私的同時進行ドキュメント]今週、妻と離婚します」(切通理作・著)より。
(「妻がいながら、自分より十二歳若くて干支が同じな、ある女性と付き合っていた」切通さん。その不倫相手の女性が妊娠が妊娠してしまったことがわかり、奥様との離婚が決まって……という現実の出来事に対する切通さんの感情が赤裸々に書かれた文章の一部です)
【作家の高橋源一郎さんが最近出した本に『ニッポンの小説』という文学論がある。そこで高橋さんは、文章を書くときに言文一致体を使うのが当たり前になっている我々日本人だけれど、言葉は本当に現実と一対一の対応でできているのか、という疑問を表明している。言葉という一義的なものにフィックスしてしまうことで、そこからとりこぼしてしまう多様な感覚があるのでは、と。 結婚も、それに通じるものがあるのではないか。不確定要素が多く、それゆえ魅惑的な「恋愛」を「結婚」というものにフィックスしてしまうことによる不自由、閉塞感。 私は高橋さんに「中央公論」5月号の取材で会ったとき、半ば個人的な事情と思いつつも、そのことについて直接問うてみたい衝動を持った。もちろん高橋さん自身が5回も結婚しているということも念頭にありつつ、である。取材時間も残り少なくなったとき、私は思い切って聞いてみた。 すると高橋さんはこう言った。「いまは、結婚という制度が最初に必要としていたような要件はないんです」 昔は共同体を崩壊から救うために結婚制度が必要とされたが、いまはもう習慣やしきたりとして残っているだけだというのだ。 そう言う高橋さん自身が結婚を繰り返しているのはなぜかというと、それは、宗教を信用しなくてもお墓に行って花を手向けるのと一緒なのだという。 高橋さんは言う。「信用していなくても、いらないと言った途端にばちが当たるのではないかという恐怖」があると。その恐怖がわれわれのDNAから消え去るのは、まだまだ数百年単位の時間が必要ではないかと。 私は結局、妻に白状した翌日には自分の親にも今回のことを言ったのだが、そのときに私の母は、「おてんとさまに申し訳ないよ」とつぶやいた。私は、これまでの妻や、A(切通さんの不倫相手の女性)そして双方の親を含めた周囲の人間には申し訳ないと思っているが「おてんとさまに申し訳ない」という感覚はなかったので、びっくりしたのだが、私より年長の母親(70代)はそうしたDNAが私よりも濃いのであろう。
(中略)
高橋源一郎さんは、自らは結婚しなくてもいいんじゃないかと思ってはいても、そう出来ない理由としてもうひとつ「相手を説得できない」ことを挙げていた。「じゃあ、愛してないの」と言われると弱いというのだ。 それはよくわかる。妻とは離婚しても、君とは結婚出来ないかも……とAさんに言ったら、彼女は「結婚すれば私がどれだけ安心するのか、わからないの?」と言った。妊婦を、これ以上不安定な気分にさせておくのもどうかと思う。 だが人を不安定にさせない、というのはどういうことなのだろうか。 四方八方すべて丸く治め、みんなが百パーセント満足することなど、本当にあるのだろうか。】
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この切通さんが書かれえた「告白」を読んでいると、切通さんの奥様も不倫相手の女性(Aさん)も、その周囲の人たちも酷く切通さんを責めるでもなく、修羅場になってしまっているわけでもないのに(というか、「傍観者」である僕としては、みんなこんなにものわかりが良くていいのか?と疑問になってしまうくらいです)、「離婚」というのはこんなにも人の心を揺るがすものなのだなあ、と感じずにはいられませんでした。逆に、お互いに憎み合うようになっての末の離婚であれば、良くも悪くももっとキッパリしたものなのかもしれませんけど。
高橋源一郎さんが仰っておられるように、「現代日本には、結婚という制度が最初に必要としていたような要件はない」のかもしれません。少なくとも、女性の側にとっては。 それにしても、高橋源一郎さんに、この質問をしてしまう切通さんは凄いです。僕は源一郎さんの作品は大好きなのですが、源一郎さんの私生活については、やはり「なんでこの人は5回も結婚してしまうのだろう?」という疑問を禁じえないのです。2回くらい離婚すれば、「もう、自分は結婚に向いてないんだな」ということがわかるのではないだろうか」と思ってしまいます。それでも結婚を繰り返してきたのは「宗教を信用しなくてもお墓に行って花を手向けるのと一緒」という言葉に「信じてはいないけれど、ないがしろにはできない」という源一郎さんの心の迷いみたいなものも感じられるんですけどね。 「次はうまくいくかもしれないし……」という期待も「結婚」する時点ではあるのでしょうし、「結婚なんて意味がない」とは思っていても、「結婚」というシステムが存在している以上、源一郎さんにとっては、「それを無視する」という選択は、「とりあえず結婚してみる」という選択よりも勇気が必要なものなのでしょうね。相手の女性に「なんで今までの人とは結婚したのに……」と言われたりするかもしれないし、日常生活でずっと「どうして結婚してくれないの?」と責められ続けるよりは、婚姻届に印鑑押すほうが、当面はラクですしね……ずっと独身主義を貫いている人でもないかぎり、確かに「相手を説得できない」というのは事実なのでしょう。
「結婚なんてする必要ない」と「思う」ことと、「実際に結婚しない」こととの間には、少なくとも今の日本においては、大きな壁がありそうです。それこそ、「無宗教だから葬式でも手を合わせない」というのを実行するより、「内心はともかく、表面上は手を合わせておく」ほうがはるかに「安心」だし「安全」ですしね。
しかし、考えてみれば、「それでも高橋源一郎と結婚したい!」っていう女性が存在するのですから、世の女性というのは「自分だったら大丈夫」と思いがちな生き物である、ということなんでしょうか。それとも「自信は無いけど結婚しておきたい」と考えるものなのか……
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2007年04月27日(金) ■ |
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ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』の笑撃 |
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『ダ・ヴィンチ』2007年4月号(メディアファクトリー)の「岡野宏文×豊崎由美 百年の誤読<舶来編>」の一部です。
(岡野宏文さんと豊崎由美さんが、20世紀の世界の「名作」100冊を現在あらためて読んでみて再評価するという企画の最終回。今読むと思わず笑ってしまう「名作」たちについて)
【テラワロス (^▽^) 1位『誰がために鐘は鳴る』(ヘミングウェイ) 2位『ナジャ』(アンドレ・ブルトン) 3位『ジャン・クリストフ』(ロマン・ローラン) 4位『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット) 5位『収容所群島』(A・ソルジェニーツィン)
岡野宏文:ギザツラス編で入選しちゃったてるけど、僕は『ジャン・クリストフ』にはかなり笑わせてもらったなあ。
豊崎由美:いやいや、岡野さん、その話題は腐女子編に取っておきましょうよ。それより、岡野さんがギザツラス編でノミネートさせてたブルトンの『ナジャ』について語り明かしたいなあ。
岡野:げっ。どこが面白いのさ。僕は辛かっただけだけど。
豊崎:忘れたんですか? 白水uブックス145ページの笑撃を。散文では説明しがたいほど珍妙な物体のキャプションが<「あら、シメーヌよ!」>。その裏、146ページに至っては、チ○コ丸出しのアフリカ土産みたいな木像に<おまえが好きだ、おまえが好きだ」>ですもん(笑)。そうやって写真とキャプションだけを追っかければ、笑える上にあっという間に読み終えられる。
岡野:でも、ダントツにおかしかったのは、やっぱりヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』じゃない? だって、クライマックスの大砲の弾が飛んでくるシーンで<ひゅっ――ぐゎらっ――ぱーん!>だぜ。子供の作文じゃないんだからさ。
豊崎:いくらフレーズの繰り返しの技法が好きだからって、これもないよね。<そしていま、いま、いま。おお、いま、いま、いま、いまだけ、あらゆるものにましていま>(爆笑)。なんだろ、これ、原文どうなってんだろ。
岡野:その他、<胃潰瘍の手術をしている手術台からいきなりひっぱられ、血にまみれ半死半生の状態で監獄に運び込まれる>といった、陰惨な笑いが効いているソルジェニーツィンの『収容所群島』、いい意味で漫才のコントのようなおかしみをかもすベケットの『ゴドーを待ちながら』で5本決定かな。】
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確か高校の頃、『誰がために鐘は鳴る』を読んだ記憶があるのです。ヘミングウェイと言えば20世紀の文学を語るのには欠かせない「文豪」のひとりなので、代表作の『老人と海』『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』までは読んでいるはずです。もっとも、当時の僕にはヘミングウェイの良さがいまひとつ理解できず、まあ、有名な作品は押さえたからいいか、ということで、それ以来『老人と海』を1回読み返したような気がしなくもないかな、という程度の接点しかないのですけど。
しかし、この岡野さんと豊崎さんが抜き出した「大砲の弾が飛んでくるシーン」と「そして、いま、いま、いま。」のところは、残念ながら覚えていないんですよね。後者など、筒井康隆さんの初期作品のクライマックスみたいで、当時はこういう表現が流行っていたのかもしれませんが、この文章って「世界的名作なんだから」と自分に言い聞かせておかないと、やっぱり笑ってしまいますよね。確かに「原文ではどうなってるんだこれ?」と気になるところではあります。おそらく、訳者もなんとかして原文の雰囲気を出そうと頑張ったのでしょうけど、あまりに原文に忠実に訳そうとして、かえってこんなふうになっちゃったのかもしれませんね。それにしても、こんな文章が出てきたら、どんな緊迫した場面や感動のシーンも台無しになりそう。
世界の「歴史的名作」のなかには、「その時代の新しいこと」を追求するあまり、現代からみれば「単なるトンデモ文学」にみえてしまうものも、けっして少なくありません。アンドレ・ブルトンだって、『ナジャ』を「お笑い」として書いたわけではないでしょうし(この作品の場合は、挿絵(写真)とキャプションにも大きな問題がありそうですが)、ヘミングウェイもいままで何十万人という日本人が、この訳で読んできたわけですから、ちょっと前の日本人にとっては「斬新な訳」だったのかもしれませんし。
まあ、こういうのもある意味翻訳文学の魅力のひとつではあるし、平板な文章に置き換えられたりするのも、それはそれで寂しい気もするんですけどね。
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2007年04月25日(水) ■ |
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「訪問先のニートから、恋愛感情を持たれることはないんですか?」 |
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『わたしはレンタルお姉さん。』(川上佳美著・二見書房)より。
(著者がニート・引きこもりの社会復帰を支援するNPO法人「ニュースタート事務局」での「レンタルお姉さん」としての活動経験について書かれた本の一部です。「擬似恋愛も生きるチカラ」という項より)
【レンタルお姉さん、レンタルお兄さんの訪問を依頼されるのは、9割が男性のニートです。ニートの男女の割合は、決して9対1ではないと思うのですが、女性の場合は、特に仕事を持たずに家にいても、家事手伝いで通ってしまう部分があるので、男性ほどは周囲が問題視しないからかもしれません。
必然的に、私たちが訪問するニートも男性が多くなります。 そのためか、 「訪問先のニートから、恋愛感情を持たれることはないんですか?」 という質問もよく受けます。
それは、本人たちに聞いていただかないとわかりませんが、少なくとも、後を引くような恋愛による愛憎劇はいまのところ起きてはいません。 たぶん引きこもっているニートは、みなさんが想像していらっしゃるよりも真面目で純粋だからだと思います。
ふだんの活動のなかで、私たちはニートにたくさんの手紙やハガキを書きますが、彼らからは滅多に返事はきません。ただ、返事をくれる少数派のなかに、異性として関心を持ってくれていると感じる人もいました。 その文面からは、心の揺れがストレートに表れていることも含めて、純粋さが伝わってきます。 もしかしたら、私たちが中学生や高校生のころ、初めて身近に接する大人の異性として若い男の先生に憧れたような、ああいう感情なのかと想像してみたりします。人間関係が苦手で、10年も引きこもっていた彼らにとっては、そんな存在になるのかもしれないと……。
私たちの活動を紹介していただいた本に、私が訪問を担当していたニート(当時25歳)から、「キスしていいですか?」と言われた体験が掲載されました。それ以来そのことが独り歩きしてしまった部分がありますが、そんな状況になることは滅多にありませんし、彼らがそんな積極的な行動に出ることもほとんどありません。 あったとしても、「キスしていいですか?」と真面目に尋ねてくるくらいですから、その純粋さがわかっていただけるのではないでしょうか。
「異性として」という部分をことさら強調するつもりはありませんが、私としては、引きこもっている彼らが、私という「他人」に興味を示してくれることは大歓迎です。それは、引きこもった生活では、「自分」にしか目が向いていなかったのが、外に目を向けたということですから。自分だけの世界にいきなり入ってきた他人に関心を持ってくれるのは、喜ばしい話です。 言葉が適当かどうかわかりませんが、一時の「擬似恋愛」も悪くないと思っています。人に興味を持つこと、好意を持つことは、生きるパワーにつながりますから。そんな感情を思い出してもらうことも大切なのです。】
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確かに、そう言われてみれば、「ニートや引きこもりの男性」に対して、どうして「レンタルお姉さん」なのか?という疑問もわいてきます。こういう「ニートや引きこもりたちと家の外の世界とのつなぎ役」として、本当に「異性」のほうが効果的なのかどうか、実際に比較研究されたという話を僕は知らないのですけど、感覚的には「そりゃあ、(できればかわいい)女の子のほうが効果的なんじゃないかなあ」と、つい考えてしまうのです。「レンタルお姉さん」というシステムは、ある程度「擬似恋愛的な要素」を覚悟の上で成り立っているのかもしれません。たとえそれが「擬似」であっても、他人に対して何も感じないよりはマシじゃないか、と。
ただ、この「レンタルお姉さん」たちが、みんな川上さんみたいに「割り切れている」わけではないだろうな、と僕は思うのです。川上さんは「レンタルお姉さん」になる前に、タイトラウンジで何年間か働いた経験があるそうなのですが、そういう世界で「擬似恋愛的な駆け引き」を経験してきたからこそ「それはそれで生きるパワーになるからいいんじゃない?」と言えるのではないかなあ、と。
ニートたちの大部分は「真面目すぎて、考えすぎて今の場所から動けない人たち」なのでしょうけど、その一方で、「レンタルお姉さん」「レンタルお兄さん」として活動しようという人たちも、多くが「真面目な人」じゃないかと思うんですよね。そして、「真面目な人」にとっては、「恋愛感情を他人から持たれる」というのは、けっこう「心の負担」になる場合もあるはずです。そりゃあ、お互いに好き同士であれば言うことないんだろうけど、もし相手が「仕事の対象者のニート」であっても「好きです」って言われたら、何かしら心は動くのではないでしょうか。「キスしてもいいですか?」なんて問われたら、さすがにいきなり「OK」ってことはないでしょうが、「そんな気持ちはこちらにはサラサラ無い」、でも、「相手を拒絶するというのは、差別しているのではないだろうか……」と、悩んでしまうこともありそうです。
実際は、「レンタルお姉さん」たちがニートたちと接するときには、【携帯番号は教えないし、手紙を書くときも差出人の住所は事務局の住所】というような感じで「一定の距離を保つ」ようにされているそうなのですが、それでも、「好意以上のものを持たれるかもしれない職業」というのはちょっと怖いよなあ、と感じてしまうのは事実です。「レンタルお姉さん」というのは、あんまり真面目すぎて融通がきかない人には、あまり向かない職業なのかもしれませんね。
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2007年04月24日(火) ■ |
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『ゲーメスト』を創った男たち |
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『CONTINUE Vol.33』(太田出版)の「ゲーム雑誌クロニクル〜第2回『ゲーメスト』編(中編)」より。
(伝説のゲーム雑誌『ゲーメスト』の2代目編集長・GOD鈴木さんと「ゲーメストアイランド」初代担当・御旅屋喜久さんへのインタビュー記事の一部です。(文:石埜三千穂、構成:大塚ギチ)
【――GODさんが(『ゲーメスト』に)参加されたのは5号からですね。
GOD:そうですそうです。創刊10ヵ月目ぐらいだったと思います。参加のいきさつが『ロードランナー 帝国からの脱出』の「死の手書きマップ」で(笑)。元々『ロードランナー』の担当者は別にいたんですよ。でも、その担当者が「やっぱり自分は全然プレイしてないから攻略を書けない。ゲームセンターでGODっていう人がいるからあの人を連れてくる」って勝手に話を進めたらしくて。それで編集部に行ったんですよ。自分はそれまで普通にゲームセンターで遊んでいる単なる一介のゲーマーで、『ロードランナー』も筐体の脇に方眼用紙を置いて、普通に手書きでマップを描きながらプレイしてただけなんですよ。
――普通にマップをね(笑)。
GOD:(笑)。それで編集部に連れて行かれたんです。「原稿を書いたこともないんだけど、どう書いたらいいんですか?」みたいな話をしたら、原稿用紙を渡されて縦16文字だったっけ? 「そうやって書いてください」って言われて。最後に「ところでこれっていつまでに書いたらいいんですか?」って聞いたら「いや、じつはいますぐ書いて欲しい」って言われたり(笑)。どうやら本当に締め切りの直前まで「どうしようかどうしようか」って悩んだ末、自分を無理やり連れてきてなんとかさせようっていう話だったらしいんですよ(笑)。
――もう完全に『メスト』のスカウト・システムだ(笑)。
GOD:「いいのかなあ」と思いながらその場でガーッって書いて。しかも自分を連れてきた人間は「じゃあ僕、そろそろゲームセンターに出勤なんで悪いけど……」って帰っちゃって(笑)。さらにビックリしたのは、自分は素人だから「あとで編集の人がいろいろ手直しとかして載せてくれるのかな」と思ったら、それがそのまま載って(笑)。「いいのかな、こんなのが載って」って、それが『メスト』に初めて関わり出したきっかけですね。
(中略)
――GODさんは9号では早くも編集長になられてますよね。御旅屋さんは10号でも一度。
御旅屋:編集長手当てが出るんだよね。編集長のときは座談会の司会をやらなきゃいけないとか、そういった罰ゲーム的なノリがあって。
――罰ゲーム(笑)。じゃあ、ある種、面倒くさい……。
御旅屋:だから当時は「みんなにとりあえずやらせてみて……」みたいなところがあったんです。編集長って言いながら、やってることって普通のライターの延長でしかなくて。
――学校の「日直」みたいな。
御旅屋:だって「お当番制編集長」ですからね。
GOD:これは……言っていいのかどうかわからないけど、『メスト』が本当に売れなくて、初代編集長だった伴北さんが――ハッキリ言えば辞めてしまったというか、逃げてしまったというか(笑)。
御旅屋:投げ出したんです(笑)。
GOD:それで、編集長不在になって。で、おたやんが言ったようなライターひとりひとりにお当番編集長みたいな感じでやらせるか、っていう苦し紛れの企画が始まって。ひと通りやった頃に、自分たちは「オバやん」って呼んでましたけど、社長の奥さんで専務だった高橋(己代子/T.Mとして編集にも参加)さんから「GOD、編集長やってくれよ」みたいな感じで言われて。それで2代目編集長になったんです。でも、なにか政治的な権限があるわけじゃなくて本当にお飾りというか。自分が「編集長やってくれよ」って言われた背景にはたぶん……これは自慢話でもなんでもないですけど、自分は高橋さんに一度、褒められたことがあるんです。それが「GODは『明日10時から取材だから10時に来て』って言ったらちゃんと来てくれる」って内容で(笑)。当時は時間も守れないような人間ばっかりだったんですよ。来いって言っても来ないし、遅刻ばっかりだし。 御旅屋:当たり前のことが当たり前でなさすぎたよね。
GOD:だって「来い」って言われたら行くのが当たり前じゃないですか(笑)。だから普通に行ってただけなんだけど、高橋さんはそれが新鮮だったというか、ビックリしたらしいんですよ。
――だから2代目編集長(笑)。理由はそれだけじゃないにせよ、まわりは酷かったんでしょうね(笑)。
御旅屋:『ASO』の攻略のときもSNKに取材依頼をしたら「千葉の松戸市のゲームセンターの『ゲームinメクマン』に『ASO』入ってますから、そこでやってください」って言われて、みんなで行ったんですよ。そしたら、『ASO』の横に『べんべろべえ』があって、みんな『べんべろべえ』やり始めちゃって(笑)。
――ダメだ、ダメすぎだ(笑)。
御旅屋:「なにしに行ったんだよ」みたいな(笑)。
GOD:だいたい「本の発売日の何日前に原稿を書いてるんだよ?」っていうような雑誌でしたから。ミクシィでぜんじさんが年明け早々「『コンティニュー』で『メスト』特集とやるんで取材を受けた」って書いてて「発売は2月17日」っていうのを見て、ふたりで言ったよね? 「なんかぜんじさん取材受けたらしいよね」「2月発売号ならちゃんと1ヵ月前か2ヵ月前に取材して準備するんだねえ」って(笑)。
御旅屋:「そんなもんだよねえ……」って妙に感心して。
GOD:「普通の雑誌はそうなんだよねえ」「やっぱり『メスト』とは違うよねえ……」って(笑)。】
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『ゲーメスト』は、1986年創刊のアーケードゲームを中心としたゲーム雑誌です。当時は『ログイン』『マイコンBASICマガジン』などの「マイコン雑誌」が全盛で、徳間書店の『ファミマガ』、アスキーの『ファミコン通信』などの「ファミコン雑誌」も乱立しはじめていた時期です。そのような出版界の情勢のなかでも、ゲームセンターに置いてある「アーケードゲーム」に特化した雑誌である『ゲーメスト』というのは、かなり異色な存在ではありました。僕も『ゲーメスト』の創刊号を買った記憶があるのですけど、正直、「この安っぽいつくりのゲーム雑誌は何なんだ?」と驚いたものです。あの時代でも、「手書きの攻略マップがそのまま掲載」なんてことは、他の大手雑誌ではまずありえませんでしたし。しかし、いくらなんでも、ここまで切羽詰りながら作っていたとは、夢にも思っていなかったけれど。
『ゲーメスト』は、創刊当初はとにかく売れなくて、この対談での御旅屋さんの話によると「創刊号は3〜5万の部数で実売2割(返本が8割!)」という、かなり厳しいスタートだったそうです。しかし、そのわりには、と言っては失礼なのですが、このあまりにのどかというか、まるで大学のサークルのような危機感のかけらも感じられない雑誌作りの光景には、なんだか逆に感動すらしてしまいます。僕はあの頃中学生から高校生だったのですけど、大学に入ったらゲーム雑誌の編集部でアルバイトしたいなあ、って、ずっと思っていたんですよね。昔の『ログイン』の編集部とかも、ものすごく楽しそうだったものなあ。
もしこの現場にいたとしたら、中途半端に几帳面な僕などは、こんな猛者たちと一緒に仕事をするのは、かえってくたびれるような気もしますけど。「GODさんが編集長に推された理由」なんていうのも、どこまで事実なのかはさておき、かなりマイペースな人ばかりだったのは間違いなさそうです。「2月発売号ならちゃんと1ヵ月前か2ヵ月前に取材して準備するんだねえ」って、いつ取材していたんだ『ゲーメスト』! まあ、そういう「本当に好きな人たちが、趣味の延長でやっている」という雰囲気こそが、当時のゲーム雑誌の魅力でもあったのですよね。 それにしても、ゲーマーっていうのは、いつの時代も「困った人たち」みたいです……
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2007年04月23日(月) ■ |
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カモちゃん。死んだから言うわけじゃねえけど、オレもお前を許すよ。 |
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「週刊SPA!2007/4/24号」(扶桑社)の「板谷番付!」第20回(ゲッツ板谷・文)より。
【この原稿を書く5日前、ある男が腎臓ガンを患って他界した。オレとはタイ、ベトナム、インドなどを一緒に回ってくれたカメラマンで、漫画家の西原理恵子の元夫だった鴨志田穣である。
(中略。ゲッツさんと一緒にインドへ取材に行った頃から酒の量が増え、仕事にならない日も出てきた鴨志田さん。インドから帰ってきてからは鴨志田さんの酒量を増やさないためにも取材旅行をしばらく断ろうと思っていたものの、勢いに押されて韓国に一緒に行ったゲッツさんなのですが……)
案の定、韓国旅行は散々だった。昼間から酒を飲むカモちゃんにオレは遂にブチ切れ、奴を宿の壁に押さえつけて怒鳴ったりした挙句、予定より2〜3日も早く帰ってきてしまったのだ。……が、オレもプロのライターである。そんなことがありつつも紀行本はキチンと書かなくちゃいけないと思って机に向かっていたある日、久々にカモちゃんに釣りに行かないかと誘われた。で、カモちゃんとオレに加えて、カモちゃんの親父やウチのケンちゃん(オレの親父)などと一緒になって千葉の犬吠埼にある宿に前夜から乗り込んで酒を飲んでいたところ、カモちゃんがウチのケンちゃんに向けて次のような一言を吐いたのである。 「うるせえなっ、アンタだってくたばりぞこないの肺癌ババアが嫁さんじゃねえかよ!」 一瞬、耳の置くでパキーン!という音が響いた。そう、ウチのオフクロは、その時の4年前に肺ガンを発病。で、すぐに手術をして肺ガンは取り除けたのだが1年半後に再発し、この時期は抗ガン治療を通いで受けていたのである。 くたばりぞこないの肺癌ババア……。オレはカモちゃんを殺そうと思った。いくら酒を飲んでいるからといっても、人には言っていいことと悪いことがある。ましてやウチのケンちゃんは、別にカモちゃんには何の失礼になることも言ってないのだ。が、オレは何もできなかった……。そう、近くにあったガラスの灰皿でカモちゃんの顔をブン殴ろうと思ったのだが、その顔の横に嫁である西原と2人の子どもの顔がチラついていたからである。 で、結局オレはそれ以降、他の仕事が猛烈に忙しくなったこともあって韓国の紀行文は1行も書かず、また、カモちゃんから電話があっても出なかったのだが、ウチのオフクロが3度目の入院をした時に西原から電話があり、途中から受話器の向こうの人物がカモちゃんに代わっていた。 『そうか、また入院か……。っていうか、そりゃもうダメだってことだよ。だから板谷くんは、これからは前を向いて進んで行かなきゃダメだな』 今度は怒りも起こらなかった。その代わりに韓国の紀行本を書くのは、もう止めにしようと思った。そして、カモちゃんと付き合うのもこれで終わりにすることにした。
(中略。その1年半後、鴨志田さんのアルコール依存が原因で西原理恵子さんと鴨志田さんは離婚し、そのさらに1年半後、脳出血で入院された板谷さんを懸命に看病されていた板谷さんのお母さんが、回復を待っていたかのように、板谷さんの退院3ヵ月後に他界されました)
で、オフクロの密葬が済んで数週間ほど経った去年の暮れ、そのことを西原に知らせるとスグにウチに駆けつけてくれたのだが、驚いたことにカモちゃんが一緒だったのである。しかも、カモちゃんはメチャメチャに痩せていて、話を聞くと彼もガンにかかっているということでさらにビックリしたのだが、最近は酒を飲むのも止めて西原宅に戻ってきて真面目に原稿を書いているということだった。 そして、今年の3月20日。オレがウチで原稿を書いていると西原宅から突然FAXが入り、カモちゃんが今朝早く亡くなったということが書いてあったのである……。 翌日、オレが通夜会場に行くと、喪主である西原が次のようなことを口にした。 「ホント、途中はとんでもない人だったけど、最初と最後だけはイイ人でねぇ。去年の年末に板谷くんちに連れていったのも、お母さんのことでは謝りたいことがあるって言ったからなんだけどね……」 そこまで言うと、ポロポロと涙をこぼす西原。……そう、この2人は最後は完全に元の夫婦に戻っていたのである。 つーことで、カモちゃん。死んだから言うわけじゃねえけど、オレもお前を許すよ。取材旅行の時は、慣れないオレに色々と体を張って教えてくれてありがとう。本来なら去年、オレの方が先に逝っちまうところだったけど運良く助かっちまって、それで今度はカモちゃんのことを見送ることになるとはね……。まぁ、とにかくもう少し知力と体力が回復したら、また旅行記書くために海外に行きますわ。で、その時はアンタが教えてくれたことをまた一から思い出して突き進むので、とにかく今はゆっくり休んでて下さい。 ………………………………合掌。】
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これを読みながら、「僕だったら、カモちゃんを許せるだろうか?」と、ずっと考えていました。たぶん、僕はカモちゃんを許せないような気がします。僕自身、「親のお通夜で親戚が言った、心無い一言」がいまだに許せていなかったりもしますしね。
「許せた板谷さんは偉い」とも思わないし、だからといって、「こんな酷いことを言われて『許す』なんておかしい!」と他人の判断を否定するのも余計なお世話だろうし、なんと言っていいのかわからないのですけど、とにかくとても僕にとってはすごく印象深い文章ではあったので、こうして紹介させていただきました。 僕の勝手な想像なのですが、板谷さん自身も、心の底から「許した」というよりは、「(盟友・西原理恵子にめんじて)許した(ことに決めた)」という感じなのではないかなあ。ここに書かれている鴨志田さんの「暴言」は、病気の身内を持つ人間にとっては、たとえそれが酒の席であっても、相手に悪気がないことがわかっていたとしても、けっして「酔っ払いのタワゴト」と看過できるようなものではないはずです。酔っている人の言葉というのは、喋っている本人にとっては「ちょっと口が滑った」「軽い毒舌」くらいつもりでも、聞いている側も同じように受け止めているとは限りませんしね。いやむしろ、「それがお前の本心なのか!」と聞いている側は思っているものです。どんなに後から土下座して謝ったとしても、そういう「不快な一瞬の記憶」というのは、人間関係にずっと影を落とし続けます。自分の悪口なら「口の悪いヤツだなあ」で済むことでも、「癌の自分の身内をバカにするような発言」ならなおさらです。
日本の文化では「死んだ人は責めない」のが「良識」だとされています。僕も「死者に鞭打つ」ような行為というのは、生理的に不快なんですよね、やっぱり。最後の板谷さんの鴨志田さんへの感謝の言葉のように、嫌いだった人、不愉快な目に遭わされた人でも、人生トータルで考えれば、感謝すべき点がけっこうたくさん見つかったりもするものだし。 でも、正直なところ、もし僕が板谷さんだったら絶対に鴨志田さんを「許せない」と思うし、「最初と最後だけはイイ人」というのが、「人生の最後だけ狂ってしまった人」よりもしばしば「良い人」として評価されることに理不尽さを感じずにはいられないのですけどね。
「死」は絶対的な「贖罪」なのでしょうか? 答えが出るわけがない問いだとわかっていても、そんなことを考えずにはいられません。
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2007年04月20日(金) ■ |
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「好きな人ができない」人のための「恋愛スコープ」の使用法 |
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『日々是作文』(山本文緒著・文春文庫)より。
【しかし恋愛に学校はない。こればかりは我流である。我流ではあるが、十五歳で初めてボーイフレンドというものを持ってから幾歳月。好きこそものの上手なれ。数え切れない程の恋愛失敗事例をもってして、少しでもみなさまのお役に立てたらと思います。 基礎の基礎なので、まず「好きな男性の作り方」からですよ。 というのは、最近まわりの三十代女性数人から「好きな人ができない」と相談をもちかけられたのだ。「え?」と耳を疑った。私なんか好きな男の人なんかすぐにぼろぼろできるけどな。それともゲートボールのゲートくらい私の男性に対するハードルが低いのか。 好きな男性。それはいないよりはいた方が楽しいじゃないか。うまくいくとかいかないとか、結婚してるとかしてないとかは置いておいて、まったく誰にもときめかないというのは日々の張りとしてどうだろう。楽といえば楽なので、その方がいい人は無理して作る必要はまったくないと思うが、彼女達は「好きな男性が欲しい」と訴えているのだ。 そのうちの1人が「山本さんはいつもスイッチ入ってますもんね」と気になる発言をした。恋愛スイッチが常にオンの状態だというのだ。失敬な、と最初思ったが、よくよく考えてみると、もしかしてこういうことかもと思い当たった。 私は彼女に質問してみた。 「SMAPで好きなのは誰?」 「うーん。全員」 これだ、これ。男性の群を眺めるとき、私は無意識に「好きな順番」あるいは「マシな順番」をつけて見ている。大勢の飲み会ではもちろんのこと、年配のおじさましかいない会食の席でも、男性が6人いたらAからFまでマイ順位をつける。その基準は、歳も肩書きも関係なく単なる「見た感じ話した感じ」であり、その後どうこうしようとはりきるわけではない。たった一度しか会わない人達でも、言葉さえ交わさない人達でも、ターミネーターに装備されているスコープのようなもので男性陣にランク付けをする。もし男性陣が聞いたら「お前にEだのFだの言われたかねえよ」と言われることは重々承知の上である。だからSMAPだってキムタクだったり慎吾ちゃんだったり日によって変わるが、必ず一番からビリまでいるんである。 この勝手な恋愛スコープで世の中を見ている女性は稀有なのかと、まわりの人達に聞いたところ案外いた。例外なく恋愛に積極的で、痛い目にあってもへこたれない強者どもだった(夢の跡だったりもしているが)。 そんな目でいちいち男を見るなんて媚びてるみたいだし発情しっぱなしみたいで気持ち悪い、と思った方は一生そうしていて下さい。何もしない「ありのままの自分」という努力しない状態のままで、王子様が現れる奇跡を煎餅でもかじりながら待っていて下さい。 順位付けの練習をしておくと、いざとなったときに瞬発力が違うように思う。無意識のうちにAの人にあなたは話しかける癖がつくはす。それがまず第一歩。 さあ、たった今から恋愛スコープをつけてまわりを見渡してみよう。つまらない会社もつらい通勤電車も、スイッチを入れるだけで違う色に見えるかもしれませんよ。】
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うーん、すごいなあ、この「恋愛スコープ」という発想は。これを読んでいて、モテない人生を送ってきた僕は、なんだか目からウロコが落ちたような気がしましたよ。ああ、この本をもっと早く読んでおけばよかった、と。 僕は合コンには、付き合いで何度かしか行ったことがないのですけど、そんな席で男の友人から必ず聞かれる「お前、どのコがいちばん好き?」という問いがものすごく苦手でした。自分に自信がない僕としては、「いや……僕みたいなカッコもセンスも悪い男が、ここにいる女の子をあれこれ品定めするなんて、失礼なんじゃないか……」と。 実際は、だからといって、友人にわざわざ「そんなの失礼だよ!」と反論するわけでもなく「うーん、なんかピンとこないねえ、あはははは……」というようなリアクションを返しつつ、カラオケボックスの風景の一部になっていたわけです。
でも、考えてみたら、確かにこういう「習慣」をつけておくのって、「好きな人をつくる」ためにはものすごく大事なことなんですよね。例えば、ライオンが、シマウマの群れを見かけたとします。それで、「とにかくやみくもにシマウマの群れに突撃していく」というライオンと、まず「どのシマウマが捕まえやすいか、あるいは、美味しそうか」というのを見極めて、「ターゲットを絞って迫っていく」というライオンとでは、どちらがより狩りに成功する確率が高いか、という話です。やっぱり、後者のライオンのほうが、狩りはうまくいきそうですよね。
僕の記憶を辿ってみても、「恋愛強者」の多くは、男性でも、こういう「恋愛スコープ」を持っていたような気がします。「女の子をいちいちランク付けするなんて、自分がモテるからって嫌な野郎だ」と僕は軽蔑していたのだけれども、逆に、そういう姿勢で常に「恋愛スイッチをオンにしている」からこそ、彼らはモテていたのかもしれませんね。
この「恋愛スコープ」、「なかなか好きな人ができない」と悩んでいる人は、一度試してみる価値はありそうです。 常に女性の恋愛スコープから「EかF」と認定されるであろう僕としては、そんな女性ばかりの世の中というのは、あまりに殺伐としすぎているのではないか、と悲しくなってしまうのですけど。
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2007年04月18日(水) ■ |
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デビュー直後の高橋留美子先生からの手紙 |
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『QJ(クイック・ジャパン)・vol.71』(太田出版)の「永久保存版 高橋留美子」という特集記事の「トップを走り続ける最強の少年マンガ家〜高橋留美子・15000字インタビュー」より。取材・文は渋谷直角さん。
【それともう一つ感じたことは、「人気を取ること」へのコダワリだ。唐沢俊一氏が、デビュー直後の高橋留美子にファンレターを送ったという。「これからどんどん売れてくると、描きたいものと作品が乖離していくと思うので、お身体にはご注意下さい」といった内容だった。すると高橋留美子からの返事はこうだ。「私は売れたいと思ってこの業界に入った人間なので、絶対に潰れないからご安心ください」。(月刊『創』2006年11月号より)
高橋留美子「すげえ、私(笑)。つうか、こえ〜(笑)。全然忘れてますね(笑)。そうか、そんなことも書いていたか……。でもね、間違いないです。やっぱりね、私はマンガは売れた方が良いと思うんです。それはイコール楽しい、面白いってことじゃないか、っていうのがあってね。わかる人がわかってくれればいいとか、同人誌じゃないと描けないネタがあるとか、そういうのは嫌なんですよ。そうじゃなく、自分がすごい描きたいものを一般誌で描いて、大勢に読んでもらったほうがいいじゃん、っていうのはすごい思ってたし、今でも変わってない」
そりゃもちろん、売れる方が良いに決まってるとは思うが、高橋留美子からそれを言われると凄みが違う。説得力が違う。ではなぜ、高橋留美子のマンガは売れるのか。いつまでも古びず、何度でも読めるのか。
高橋「そうだな。私のマンガは気楽に読めちゃうからじゃないですかねえ。バカバカしい話が多いんでね。疲れてても、スルスルッと読めちゃう。子供が読める気楽さっていうのは、自分としてはすごく大事なことなんですよ。だから子供が成長して、これから思想的なマンガに行くにせよ、まずはその、ベーシックなものを読んで訓練するのも良かろうし、とかね。変なことをしてもしょうがないし。疲れないで読めるものを目指しているんですよね。マンガは楽しければいいって思うから。】
以前、高橋留美子さんの担当編集者だった、有藤智文さん(現・小学館『週刊ヤングサンデー』副編集長)からみた「マンガ家・高橋留美子」。
【とにかく高橋先生は、本物のプロフェッショナル。四六時中マンガのことを考えながら、メジャーなフィールドで優れた作品を極めてスピーディーに作り上げる。マンガが本当に好きで一所懸命だから、『うる星』はアニメ版も盛り上がって、別のファン層も生まれていったんですけど、そちらのほうは基本的にノータッチでした。 もちろん天才ですけど、それ以上に努力家なんですよね。もう、仕事を休むのが大嫌いな人で。この間、『1ポンドの福音』を単行本にまとめるために、『ヤングサンデー』で完結まで集中連載したんですけど、その時も『少年サンデー』の『犬夜叉』の週刊連載を休まなかった。『うる星』を描いている頃は、並行して連載している『めぞん一刻』を描くことが息抜きで、『めぞん一刻』の息抜きは『うる星』だとおっしゃってましたからね(笑)。】
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僕は今まであまり高橋留美子さんのマンガを読んでいなかったのですが、この特集記事を読んで、やっぱりこの人は凄いマンガ家だなあ、とあらためて思い知らされました。この特集のなかに、『めぞん一刻』で、雨の中、響子さんが五代くんをビンタするシーンが掲載されているのですが、その1コマだけで、「この人は別格!」って感じがしたんですよね。ロングショットで描かれている2人、「パン!」という音、そして、そのコマの中央下に挿入された2人それぞれのアップの表情。 僕は以前、「高橋留美子」というマンガ家を、「あんなマンガは『オタク』が読むものだ!」と頑なに拒否していました。『うる星やつら』がアニメで放送されていたのは1980年代前半なのですが、当時の「オタク」の代名詞は、「ラムちゃんのTシャツ」でしたから、ただでさえオタクの素養MAXだった僕としては、「これで高橋留美子にハマってたりしたら、もう、絶対に僕はオタクとしてみんなに白眼視される……」という恐怖感もあったのです。『めぞん一刻』は、同級生男子にもファンがものすごく多いマンガだったのですが、「そんな軟弱なマンガ、興味ない!」と僕は自分に言い聞かせていました。でも、友達がどうしても読めと貸してくれた最終巻を読んだときには、感動のあまり、寮で布団をかぶってちょっとだけ泣きましたけど。 この本には高橋留美子先生の写真も掲載されているのですけど、なんというか、「ちょっと研究者っぽい感じがする、40歳くらいの女性」なんですよね。少なくとも写真からオーラが出まくっていたりはしません。
ここで紹介されている、唐沢俊一さんからのファンレターへの「返事」には、「プロのマンガ家」であり、「少年マンガのメジャー誌で生き残り続けることへのこだわり」を持ち続けている「マンガ家・高橋留美子」の気概がこめられていますし、これだけまっすぐに「売れること、より多くの読者に読まれること」を追い求めてきたマンガ家というのは、他には、同じ『週刊少年サンデー』の看板である、あだち充先生くらいではないでしょうか。今はマンガ雑誌も多様化して、多くの「元・人気少年マンガ家」が、青年誌や一般週刊誌に作品発表の場を移しているというのに。 マンガ家本人が年を重ねていくということを考えれば、そういう「大人の読者」を相手にしたほうが、はるかにやりやすいはずです。もう、今までの作品の印税だけで、これ以上働かなくても余生は遊んでくらせるくらい稼いでおられるでしょうし。それでも、高橋留美子というマンガ家は、「少年誌で勝負し続けて、読者のニーズに応えること」をやめようとしないのです。
「マンガは楽しくなくっちゃ」と言いながら、「楽しいのはもちろんだけど、楽しいだけではないマンガ」を描けてしまうところが、高橋先生の魅力なのでしょう。 この特集記事のなかには、「手塚治虫先生に神様という言葉を使うのなら、高橋先生はマンガの神様に愛された人だと僕は思っています」との歴代編集者の言葉が掲載されています。 【『うる星』を描いている頃は、並行して連載している『めぞん一刻』を描くことが息抜きで、『めぞん一刻』の息抜きは『うる星』だとおっしゃってましたからね(笑)】 いや、僕がもしマンガ家だったら、こんな「マンガモンスター」と同じ土俵で勝負するのは辛いだろうと思いますよ、絶対。
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2007年04月17日(火) ■ |
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『源氏物語』は、藤原道長の「秘密兵器」だった! |
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『先達の御意見』(酒井順子著・文春文庫)より。
(あの『負け犬の遠吠え』の筆者・酒井順子さんと、人生の「先達」たちとの対談集の一部です。瀬戸内寂聴さんとの対談から、『源氏物語』についての話)
【瀬戸内寂聴:源氏には相当政治的な面もあって、六条御息所亡き後、その娘を藤壺との間の不義の子・冷泉帝のもとへ入内させ、御息所の財産をうまく自分のものにしたりしています。
酒井順子:道長を通して得た政治の世界の話が、物語にリアリティの膨らみを与えたんでしょうか。ただ、『紫式部日記』には道長がある晩、自室の戸を叩いたけれども、どんなに叩いても自分は開けなかった、と書いていますね。
瀬戸内:紫式部の日記は一番大事なことは書いてないの、韜晦趣味でね。大体、女流作家の日記は嘘が多い(笑)。自分に都合の悪いことは誤魔化してある。
酒井:でも、”道長にせまられた”という事実はしっかり書き残しておくという辺りは、一種の自慢のような気もします。しかし、道長は紫式部のどこがよかったんですかね。
瀬戸内:彼女の才能を政治的に利用したんでしょうね。当時、一条天皇をはさんで、清少納言の仕えた中宮定子のサロンと、道長の娘の中宮彰子のサロンがライバル関係にあった。どうやら中宮定子は素晴らしい女性だったようね、容貌も教養も。
酒井:枕草子を読んでも、定子のサロンは明るくて楽しそうです。清少納言ものびのびと宮仕えを楽しんでいる。
瀬戸内:一方、彰子は12歳で、天皇を引きつけるだけの魅力はまだない。そこで道長は、一条天皇の文学趣味に訴えようと、あちらが随筆ならこっちは小説だとスカウトしたのが紫式部。
酒井:物語で天皇を釣るとは。ハードよりソフト!
瀬戸内:声のいい女房の誰かに源氏物語を朗読させて、天皇が続きを所望されればしめたもの、「ではまた来週、お渡り下さいませ」と中宮彰子のサロンに足を向けさせる手段に使う。それに道長は、紫式部にまっさらの紙を惜しみなく与えています。
酒井:あの頃、紙はとっても貴重だったんでしたね。清少納言も「生きるのが嫌になった時、真っ白で美しい紙によい筆が手に入ると、すっかり気が晴れて、しばらく生きていけそうだと思う」と枕草子に書いています。
瀬戸内:道長本人は何か書いた紙の裏に、自分の日記を書きのこしてるんですよ。源氏物語への力の入れようがわかるでしょう。】
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瀬戸内寂聴さんのお話がすべて「歴史的事実」なのかどうか、僕もネットで調べられる範囲では調べてみたのですが、はっきりとした裏付けは得られませんでした。でも、この二人の話を読んでいると、少なくとも『源氏物語』という文学作品は、「芸術」としてだけでなく、「政治的な駆け引きの道具」として使われた面があったのは事実のようです。少なくとも、紫式部が個人的な趣味だけで書いていたものであれば、「道長からまっさらの紙を惜しみなく与えられる」ことはなかったでしょうから。
現代人の感覚からすれば、そこで語られる「物語」に魅かれて天皇が中宮彰子のサロンに足しげく通うようになるというのは、なんとなく違和感があるのですが、当時は現代と比べたら、はるかに娯楽が少ない時代ですから、「定子のところに行けば『源氏物語』の続きが聴ける」というのは、けっこう強力なセールスポイントでしょう。この2人の対談の内容からすれば、女性としての魅力は定子>彰子だったようですから、彰子の父親が時の権力者藤原道長であっても、それだけで彰子の地位を確固たるものとするのは難しかったのかもしれません。当時の道長くらいの権力があれば、そんな小細工をしなくても、それこそ力づくでどうにかできたのではないか、という気もしなくはないのですが、そうしないのが平安貴族の流儀、というところでしょうか。まあ、物語そのもので天皇を引き寄せられなかったとしても、「あの『源氏物語』の作者が中宮彰子に仕えている」という事実だけでも、けっこう彰子にはハクが付きそうですしね。
『源氏物語』は藤原道長の大切な「武器」のひとつだった、というのは、後世、この物語を「たくさんの古典のなかで、もっとも有名なもののなかの一冊」としてしか意識することのない僕にとっては、なんだかとても驚かされる話です。もちろん、すぐれた作品であったから、武器にも成り得たのでしょうけどね。 それにしても、「チラシの裏」に自分の日記を書いていたにもかかわらず、真っ白な紙を紫式部に提供していた藤原道長という人は、すごい野心家か、すごい合理主義者、あるいはその両方だったんだろうなあ……
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2007年04月16日(月) ■ |
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「ドリーム小説」を知っていますか? |
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『本気で小説を書きたい人のためのガイドブック』(ダ・ヴィンチ編集部 編・メディアファクトリー)より。
(「文芸編集者座談会〜”よい原稿”と”ダメな原稿”はココが違う!」の一部です。参加者は、 A:純文学系文芸誌編集者 B:純文学系文芸誌編集者 C:中間小説系小説誌編集者 D:エンターテイメント系書籍編集者 の各氏です)
【B:ひとりよがりプチ・ポルノといえば、おじさんが書く都合のいい小説ってありますよね。
C:それ、うちの編集部では、”ドリーム小説”って呼ばれてる(笑)。仕事もできて、妻ともそこそこうまくいっていて、社会的地位もあるイケてる俺が若い女に迫られる話。なのに、いきなり若者をつかまえて、延々と説教したり、世の中を嘆いたりもする。
B:職場にも家庭にも居場所のないような40〜50代のおじさんが、ただただ社会への不平不満をぶちまけているだけ。その世代の人が読んでも共感できない気がする……。
D:そもそも主人公がテーマを語るのはよくないかも。愚痴や不満じゃなくても、たとえば哲学めいたこととかは友達とか家族とか、脇役のちょっと賢い人に語らせるのがいい。主人公はちょっとバカで、あとから気づくほうが読者も感情移入しやすい。『世界の中心で、愛をさけぶ』で、主人公のおじいさんが死生観を諭すような場面があるけれど、それなら読者も主人公と一緒になって耳を傾けられる。いきなり主人公にペラペラ人生を語られても、感情移入はできない。
C:ハードボイルド系でも、主人公はどこかダメなところやマヌケなところといったマイナス面があったりするけど、これは恋愛小説でも使える手かもしれませんね。
――では、たぶんテーマとしてはもっとも取り上げる人が多いと思われる恋愛小説について伺いたいのですが。
B:ほぼ想像がつくことしか起きないんですよね、恋愛小説は。いい男と出会う。もしくは最初悪い男に見えたけれども実はいい男だった、とか。パターンに限りがある。
C:誰もが想像できる中で、どう話を進めていくか。筆力が問われるところですね。いかにキャラクターを魅力的に描けるかも重要。
D:恋愛小説ほど冷静に、客観的にならなければいけないジャンルはないでしょう。特に自分のことを書いてる場合、自分だけがすごい恋愛を経験していると酔っている人が多い。ノロケ話と同じで、本人が酔えば酔うほど、周りは醒める。
B:そういう意味では、”自分探し系小説”も同じことがいえますよね。自分だけが壮絶な経験をしている、と。
C:ノロケ話ならぬ、不幸自慢。
B:そうそう。女性だと、リストカットとかいじめとかトラウマを抱えた私、とか。
A:自分のことは書きやすい。でも、書きやすいということは、他の誰にでも書けるということ。自分より経験のある人、知識のある人、センスのある人には負けてしまう。
B:一方、男性だと、村上春樹さん的な、浮遊感のあるボク、この世界に違和感のあるボクが主人公、というのが圧倒的に多い。
A:一見、本人を投影している主人公は、自己否定しているように見えるし、当の本人も否定しているつもりなんだけど、結局は”社会に馴染めない特別な自分”を肯定しちゃってるんですよね。
B:自分がダメ人間という認識はあるんだけど、根本的には自分のことが大好きで肯定しているから、そういう人の書いた小説は最後まで主人公は変わらないままで終わる。自分がダメだって否定してみても、誰か「そんなことないよ」っていってくれる人が都合よく現れる。自分探しというより、「自分を認めてくれる人」を探してる。】
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「ドリーム小説」を大量に読まされる編集者というのも、けっこう大変な仕事だよなあ、と思わず同情してしまいます。ただ、『特命係長・只野仁』のような人気作品があることを考えれば、40〜50代のおじさんたちは、「ドリーム小説」を読むのもキライではないのかな、という気もします。それでも、あれほどエンターテインメントに徹しきった作品ではなくて、「社会への不平不満を主人公(=作者)がぶちまけるだけ」で、しかも「主人公はなぜか若い女性にモテモテ」「周囲の登場人物は主人公の『ありがたいお説教』を頷きながら聞いてくれる」というような作品が、「商品になる」とは考えにくいでしょうね。そもそも、『特命係長』だって、けっこうギリギリの線ですよね。あれは、荒唐無稽だからこそ面白いわけで。 ここで例示されている『世界の中心で、愛をさけぶ』で人生観を語りまくる主人公の祖父にしても、僕にとっては「わざとらしい説教キャラ」だとしか思えなかったんだよなあ。
「恋愛小説」「自分探し小説」での「自分は特別な経験をしているという錯覚」というのは、確かに誰にでもあるような気がします。「小説」に限らなくても、日常会話や飲み会の席での「とっておきの体験談」なんて、大部分が「どこかで聞いたことがある話」ですしね。「恋愛」とか「自分探し」なんていうのは、それを体験したことがある人の「母集団」が巨大なだけに、よっぽど過激なものか、あるいは、よっぽど語り手の表現力が優れていないと、聞いている側は「早く終わってくれ…と思いながらさりげなく欠伸などしてみる」という悲惨な状況に陥ってしまいます。まあ、登場人物が自分の知り合いだと、それはそれでけっこう面白く聞けたりするのが人間の業ってやつかもしれませんが。 まあ、せめて自分が書いた小説という「自分の世界」の中だけでも、「認めてもらいたい」という気持ちは、僕にもよくわかるのですけどね。読む側としては、「なりきり村上春樹」の駄文を読まされるのには、もう食傷しきっていたとしても。
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2007年04月15日(日) ■ |
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「ストーカーを呼ぶ男」の哀しき体験談 |
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『神菜、頭をよくしてあげよう』(大槻ケンヂ著・角川文庫)より。
(大槻さんがいままでにつきまとわれた、さまざまな「ストーカー」たちについて。大阪でのライブの後、ホテルのロビーまで女性に追われ、間一髪で難を逃れたという話に続いて)
【ノイローゼの体験などを書いたりするからなのか? どうも私はこの手の、思い込みが激しすぎる方から一方的に想いを寄せられてしまうことがある。 「弟子にしてください」 と言って連日マンションの前で張っている少年ストーカーもいた。 「君、ホモか?」 「いえ女好きです。大槻さんと一緒ですよ」 余計なお世話である。 「お近づきの証しにこれあげます」 コンビニ袋に入った車のプラモデルであった。 「西部警察」で渡哲也が乗ってた改造スカイラインだ。 「大槻さん、一緒に作ってください」 やっぱりホモだったのかな〜とも思う。 「来週水曜、青山の××で会いましょう」 と、手紙でデート先を指定してくる女性もいた。もちろん行くわけがない。するとまた手紙が来てこう書いてあった。 「ごめんなさい。先週都合ができちゃって行けませんでした。次の待ち合わせ場所を決めておきますね。来週の火曜に日比谷の××で6時」 あくまで指令を下したいようなのだ。 指令の手紙はある時を境にピタリと来なくなった。どうしたのかなと思っていたところ、彼女のお母さんより手紙が来た。娘は自殺した、とあった。長いこと鬱病で苦しんでいたそうだ。私のCDや小説が宝物であったとのことで、一度くらい行ってあげればよかったかな、と。しかし、まぁ、行ったところで彼女の病が治るわけでもなく、むなしさばかりが残る結末となった。 暗い話になってしまった。 なんにしろ他人につきまとう心理とは、結局のところ自分の人生のむくわれぬ部分を他者によって補おうと試みる不毛の行為である。考えるまでもなく、他人によって自分が完成することなど有り得るはずもないのである。人間は自分の穴さえヨイショコラショと自分自身で埋めていかなければならぬマッチポンプの業を背負っているのである。その作業のためには他人につきまとっている暇など無いはずではないか。 他人にすがる前に自分を信じてみろよということである。 とはいえ、そういった理屈が通用しないところがつきまとう人の困ったところなのだ。 以前、あまりに危なくつきまとうお客さんをスタッフが一喝したところ、号泣しはじめた。そして泣きながら彼女はこう言ったのだ。 「私、やっと気付いてもらえたのね!」】
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なんだかもう、いたたまれない話だなあ、としか言いようがない「ストーカーにまつわるエピソード」の数々です。自身でも書かれているように、大槻さん自身も病気の話を書かれていたりするために、「困った人々」の共感を呼びやすいという面はあるのでしょうが、有名人というのは、やはりいろいろと大変なのだろうなあ、と考えてしまいます。ストーカーのお母さんから「娘は自殺しました」という手紙をもらえば、大槻さん自身はそれまで「至極当然の対応」をしていただけであっても、「もし自分が一度でも会ってあげたりしていれば、こんな結果にはならなかったのではないか?」などと、「責任」を少しは感じてしまうのではないかと思いますし。たとえそれが理不尽な「自責の念」であったとしても、誰かが自殺してしまった、という事実の前では、それを心から完全に消し去るのはかなり難しいことだと思うのです。
ストーカーの「標的」となってしまうのは本当につらいことだろうけど、だからといって、ストーカー予備軍にだけ見えないように芸能活動や執筆活動をしていくわけにはいかないだろうしなあ。そもそも、大槻さんの場合には「ギリギリのところ」を狙って商売していると言えなくもないわけで。
【なんにしろ他人につきまとう心理とは、結局のところ自分の人生のむくわれぬ部分を他者によって補おうと試みる不毛の行為である。考えるまでもなく、他人によって自分が完成することなど有り得るはずもないのである。】 まさにその通りだと思うのです。でも、多くの人は、「自分で自分を完成させることなんてできない」(あるいは、そう思い込んでしまっている)のです。「芸能人」や「ミュージシャン」たちが食べていけるのは、多くの人たちが、「むくわれない自分の身代わりとして」彼らを応援しているから、でもありますし。 危なくつきまとうことしか、自分の「存在」をアピールする術を知らないなんて、なんだかもう、とても悲しくてせつない話だよなあ。 「私、やっと気付いてもらえたのね!」って、そこまでして「ただひたすらに、自分の存在を相手に認識させたい」という人を理屈で「説得」することなんてできるのかな……
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2007年04月14日(土) ■ |
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「ネットの書き込みを1文字100円にします!!」 |
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『ダ・ヴィンチ』2007年5月号(メディアファクトリー)の「『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中』…特集」より。
【秘書田中のお気に入りマニフェスト
インターネットは誰もが気軽に世界に情報発信できる場となったが、同時に危ない情報も垂れ流される場となってしまった。書き込みには匿名の悪口や誹謗中傷があふれかえっている。しかし、取り締まって表現の自由を侵すことになっては問題だ。そこで……
ネットの書き込み1文字100円にします
実現すると、こんなに明るい日本が待っています! (1)お金がかかるので無意味な誹謗中傷が激減。 (2)掲示板はお金を払ってでも伝えたい本気のメッセージであふれる。 (3)読む側も「お金を払っているのなら」と正面から受けとめるようになる。 (4)無駄遣いしないように必然的に漢字も多くなり、要点を考えて整理する習慣もでき、文章力も上がって、日本国民の文化がレベルアップ。 (5)徴収されたお金は福祉に使われて、福祉も充実する。
悪意のある書き込みは教育することによって根絶することができる。お金を取る必要はないと反論する議員たちと太田総理が激論を戦わせる。
太田総理のコメント「表現するというのは、大の大人が一生かけてやること。そんなこと教育できるのか? 天才的な芸術家だって一生かけて学ぶんだ。答えが出ないで死んでいった人もたくさんいる。それくらい表現は難しい。それを子どもに分からせることなんてできない」】
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この「マニフェスト」は、2006年4月14日に放送されたものだそうなのですが、審議結果は、賛成8/反対14で「否決」されています。まあ、ネット上で誹謗中傷されやすい芸能人や政治家が審議していてもこの結果ですから、実際にこういう法案が出てくることはなさそうですけど。こんな法律がもしできたら、僕などはもう借金地獄に陥るか欲求不満で何もやる気がおきなくなってしまうかのどちらかになりそう。 しかしながら、この法案、必ずしも「荒唐無稽」というわけでもないんですよね。ブログなんて、ちょっと気合を入れて書けばすぐ1000文字くらいになってしまいますから、「1文字100円」というのはさすがに高すぎるとは思うのですけど、確かに「有料化」されることによって、ネットに溢れている「ノイズ」は少なくなるのかもしれないな、とも思います。ただ、「お金が無い人の発言する機会が失われる」とか、「発言する側も『儲からない発言』はしないようになる」というようなデメリットも考えられますが。「お金を払ってでも伝えたい本気のメッセージ」って、出会い系サイトの宣伝ばっかりになったりしそうだし。 でも、もしこれが「『100文字1円』とかだったらどうだろう?」という気もするのです。1000字書いて10円とかだったら、僕は払って書くと思います。某巨大掲示板の住人たちは、「書き込み有料、ただし安価」であった場合、書き込まなくなるのでしょうか? まあ、この先どうなっていくかはわかりませんが、今の時点では、なんのかんの言っても、「無料」で「無意味な誹謗中傷が溢れている混沌とした雰囲気」だからこそ楽しい、と考えている人は多いはず。そう簡単に「有料」になることはないでしょう。芸能人や有名人でなければ、「叩かれる側」になることはほとんどありませんしね。動物虐待画像とかを晒して逮捕された人の話もあるので、「叩かれるのが快感」な人もいそうなんですけど。
しかし、よく考えてみれば、僕たちがこうしてネットに書き込んでいるのって「電気代」「プロバイダー接続料金」「パソコン購入費」などを考えれば、けっして「無料」ではないんですよね。日頃はあまり意識しないようにしているけれど、「1文字100円」ではないとしても、「ネットの書き込み」には、それなりのコストがかかっているのです。その「コスト」に見あったメリットがあるかと問われたら、ちょっと悩んでしまうよなあ。
お金では買えない「時間」も呆れるほど費やしているというのにねえ……
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2007年04月12日(木) ■ |
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『ドラえもん』をビデオに録画してくれていた両親 |
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『ドラことば〜心に響くドラえもん名言集』(小学館ドラえもんルーム編・監修:藤子プロ・小学館)より。
(この本に掲載されている、辻村深月さんの「ドラコラム(1)〜わたしがわたしでいるだけで」の一部です。
【小学校1年生の時、学校で図工の時間に描いたドラえもんの絵を、クラスメートや先生から下手だって笑われた。その時、そういうわけか私は青と水色のクレヨンを紛失していたため、やむを得ず緑を使って描いたドラえもんが、不気味で巨大なマリモみたいになったのだ。 悔しくて、恥ずかしくて、うつむきながら、家に帰ったことを覚えている。自分が学校で笑われたことを知られたくなくて、私は先回りしておばあちゃんに、「すごく下手なんだ」ってヘラヘラ笑いながら絵を見せた。すると、私のおばあちゃんは「そんなことない、うまいよ」と言い、その絵を居間のいちばんよく見えるところに飾ってくれた。本当に下手だからいいよって、慌てて、ムキになって主張しても、ずっと緑のドラえもんを外さずにいてくれた。 私の両親はテレビアニメの『ドラえもん』をビデオに録画してくれていて、私は毎日、学校から帰ってくるたびにそれを観ていた。共働きの両親の帰りを待つ間、退屈しないように。数年後、観返してみると、そのビデオは私が観る時に邪魔にならないように、CM部分が全部カットされていた。その上、他のビデオから区別できるようにと、丁寧にラベルが貼られていたことに気がついた。 本棚にある、当時から読み込んでいる私の『ドラえもん』のコミックスには、どれも油性マジックで私の名前が大きく書いてある。他の子に貸しても、きちんと戻ってくるように。なくしてしまわないようにと。母の字で書かれた平仮名の名前は、年月とともに、もうほとんどかすれて読み取れなくなっている。 今になってしみじみと、私は自分が愛されて育ったことを、これらの思い出から教えられる。この世の中には、私が私でいるというただそれだけの理由で、自分を愛してくれる人たちがいる。 大人になったのび太は「(しずちゃんとノビスケの)ふたりのためだけにでも、ぼくはがんばろうと思うんだよ」と言い、のび太のおばあちゃんが、のび太がのび太であるというだけの理由で「だれが、のびちゃんのいうこと、うたがうものですか」と言ってくれる。 この言葉に涙が出そうになるのは、きっと、私自身が家族に大事にされて育ったことの証なのだろう。】
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このコラムを読みながら、僕も自分の幼い日のことをいろいろと思い出してしまいました。あの頃の僕は、自分の親が「自分にしてくれないこと」ばかりを並べ立てて不満ばかり感じていたけれど、「あたりまえのこと」として受け入れていたことの多くは、それを「与える側」にとっては、きっと、僕を喜ばせたいという気持ちの積み重ねだったのですよね。
辻村さんが子供の頃に毎日観ていたという『ドラえもん』のビデオなのですが、「録画してもらっておいて、それを観るだけの立場の子ども」からすれば、「頼んだのだから、録っておいてくれるのが当然」だったのではないでしょうか。 でも、僕が当時の自分の親くらいの年齢になって思うのは、毎日仕事をしながら、ちゃんと「自分が観たいわけでもない番組」のビデオを予約したり録画したりするのはけっこうめんどくさいことだし、それを忘れないようにするのはかなり大変なことだよなあ、ということなのです。いやほんと、あらためて考えてみれば、毎日ご飯をつくってくれたり、掃除や洗濯をしてくれたりといった、「日常を維持するための仕事」を誰かのためにやってあげるというのもすごいことなのです。
辻村さんの御両親が録画しておいてくれた『ドラえもん』は、CMが全部カットされていたそうですし、他のビデオと区別できるように丁寧にラベリングされていたそうです。これも、自分の趣味で録ったはずのビデオさえロクに整理できない僕には、「けっこうな手間」のように感じられます。辻村さんは1980年生まれだそうですから、当時はもう、CMをカットできるビデオが発売されていたのかもしれませんが、それにしても、所詮「子どもが観る番組」なのだから、そこまでこだわる必要もなかったはず。たぶん、御両親は自分たちが娘が帰ってきたときに家にいられないことを申しわけなく感じていてもいたのでしょう。本当に些細なことみたいなのですが、自分が大人になってみると、その一つ一つが、親の「愛情」だったのだな、ということがわかるのです。誰も、知らない他人のためにビデオを録画したり、録画したビデオをちゃんと整理したりはしませんから。
もしかしたら、辻村さんの御両親も『ドラえもん』の大ファンで、自分たちが観るためにちゃんと整理しておいたのかな、とか、『ドラえもん』を愛する中年男性たる僕としては、想像してみたりもするのですけどね。
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2007年04月11日(水) ■ |
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「心中」と「ダブル・スウィサイド」 |
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『作家の生きかた』(池内紀著・集英社文庫)より。
(「心中」と題された、太宰治さんの項の一部です)
【心中は外国語にならない。どうもそのようだ。英語にくわしい人にたずねると、少し考えてから「ダブル・スウィサイド」と言った。ダブルベッドと同じで、二人用の自殺。ドイツ語でも同様で、「二重の自殺」といった意味の味けない言葉をあてる。 あるとき、ウィーンの映画博物館で日本映画の特集があった。誰の作だったか忘れたが、有名な心中事件をとりあげていた。セリフは全部、ドイツ語の吹き替えになっている。男が女を死に誘い、女が同意した。 「二人して幸せに死のうよ」 とたんにホールのどこかで一人がプッと吹き出した。そのあとはもうメチャメチャ。死を決めた二人が改めて愛を誓い合い、思い入れたっぷりなセリフを口にするたびに笑いが起きた。 青い目には悲劇が喜劇に見えたのだ。愛している、だから死のう――その非論理性がノンセンスそのものに思えたらしい。それに自殺という、きわめて個人的な行為を、まるでハイキングの日取りを決めるように誘い合って決めるところが、なんともおかしい。そのあともホールは笑いにつつまれていた。ひとたび喜劇に見えると、もう悲劇にもどれない。スクリーンの二人が深刻な顔で語れば語るほど、ますますおかしさがこみあげてくる。涙をしぼらせるはずの映画が腹の皮をよじらせて終了した。 太宰治はその心中を三度している。一度目は一方が生き残り、他方が死んだ。二度目は両方とも生き残った。三度目は両方とも死んだ。ダブルの自殺につきものの経過を、そっくり体験したことになる。古今を問わず心中沙汰は数多くあったにせよ、三通りの終わり方をくまなく体験した人は珍しいのではあるまいか。】
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これを読んで、映画『LIMIT OF LOVE 海猿』がニューヨークで上映されたとき、「主人公役の伊藤英明さんが携帯電話を使ってプロポーズするクライマックスのシーン」で、ニューヨークの観客たちが「こんな状況下で携帯を4、5分も使いプロポーズまでするなんて」と大爆笑していたというエピソードを思い出しました。「ドラマチックなシーン」というのは、あまりにその状況が極端すぎると、ちょっとしたきっかけでコントになってしまう場合もあるんですよね。もちろん、この「心中」に関しては、「自殺は罪悪である」というキリスト教の教義を背景に持つ西洋人たちと、「死はすべてを浄化してくれる」という日本人の観念の違いも大きいのでしょうけど。
そう言われてみれば、海外の文学作品では、「心中」が描かれているものって記憶にありません。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』は、「心中」に近いものかもしれませんが、あの作品も「二人で話し合って幸せに死んでいった」わけではなく、「それぞれが個別に絶望して死んでいった」のです。アメリカでのカルト的な宗教団体の「集団自殺」が報道されることがありますが、あれも、日本的な「心中」とはちょっと違いますしね。 いくらなんでも、死のうっていう人たちを笑いものにするなんて……と日本人である僕は考えたりするのですが、ウィーンの人たちにとっては、「笑ってしまうくらいあり得ない話」なんだろうなあ。「せっかく愛し合っているのに、なんでわざわざ自分たちで死んじゃうの?」って感じなのでしょうか。 まあ、某W辺淳一先生の『失楽園』とか、『愛の流刑地』なんていうのは、「心中を美化する文化」を持っているはずの日本人にも、思わず失笑してしまった人は多かったようですし、江戸時代の「心中物」に対しても、現代では、「心中するくらいなら、死んだ気になって頑張ればいいのに」と思う日本人のほうが多かったりするのかもしれませんけど。
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2007年04月10日(火) ■ |
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「肉食は罪だ!」と主張する人たちの「曖昧な根拠」 |
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「ひとつ、村上さんでやってみるか」(村上春樹著・朝日新聞社)より。
(「世間の人々が村上春樹さんにぶつけた490の質問」とそれに対する村上さんの答えを集めた本の中から)
【質問145 肉食は罪か?
(前置きが長かったので、質問の途中からです) 僕の趣味は読書、筋トレ、ボーっとする。好きな食べ物は、カレー、納豆、ヨーグルト。最近、「肉を1キロ作るために、穀物や豆を16キロも使うのだ。牛や豚を太らせている一方で、飢えで死んでいる人がいる。また家畜を育てるためには広大な土地が必要になるため、環境を壊す。加えて健康にも悪い。人類は肉食をやめるべきだ」というのを読んで考えてしまいました。僕はビーガン(菜食主義者)ではないのですが、あまり肉は食べません。村上さんの意見を聞きたいところです。まとまりのないメールですみません。チャオ。
この質問に対する村上春樹さんの答え
僕も菜食主義者ではありませんが、肉はあまり食べません。だいたい野菜と、たまに魚を食べるくらいです。ただ、肉はそんなに好きではないからあまり食べないというだけです。主張があってのことではありません。 人はこれまでの歴史において、ずっと肉食を続けてきました。だから今急に「肉食は間違っている」というのはちょっと不自然なことではあるまいかと僕は思います。僕もたまになぜかすごくステーキが食べたくなることがあります。そういうときには迷わずステーキハウスに行って、大きなステーキをもりもり食べます。身体がきっとそれを求めているんですね。とくに罪悪感は感じません。牛さんに悪いなとちらっとは思いますが。 僕は正直に言いまして、理屈いっぺんとうで行動する人と、それをそのままプロパガンダみたいに他人に押し付ける人があまり好きではありません。それにそういう理屈って、単なる受け売りのことが多いんです。「肉を1キロ作るために、穀物や豆を16キロも使うのだ」と誰かが言ったとして、じゃあその根拠を示してくれと言うと、おおかたの場合、誰も示せないんですよね。「いや、どこかで読んだ」とか「そういうことを聞いた」とか、その程度のものなんです。僕はそういうことを何度も経験しました。「具体的な例証を示してくれ」と突っ込んでいくと、だいたい相手は怒りはじめます。「お前は環境破壊を認めるのか」とかね。その手の人って60年代の学園紛争時代にもたくさんいましたし、今でもやはりけっこういます。いつの時代でも同じようなものかもしれませんね。 むずかしい世の中ですよね。たまにステーキが食べたくなったら食べるくらいはいいと思うんですが。】
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僕は主義主張以前に「肉が食べたくてどうしようもないときがけっこう多い人間」なので、いきなり「菜食にしろ」と言われたりしたら路頭に迷ってしまいそうなのです。確かに、この手の主張をする人は僕の周りにもけっこういますけど。これまで僕は、こういう話を聞くたびに、罪の意識にさいなまれつつも、「でも、やっぱり週末に焼肉とビールって、この上ない幸せなんだよね……牛さんと環境さんごめんなさい」という感じだったのですけど、この村上さんの答えを読んで、少し救われたような気がしました。いや、「だから肉ばっかり食べてもいい」とか「環境のことなんか考えなくてもいい」ってわけじゃありませんが。それはそれで、現代に生きる人間としては、避けて通れない問題だとは思うしね。
「食」っていうのは、人間にとって非常に重要なことです。それこそ「生きること」とこれほど密接に関連している行為というのは、他には無いくらいに。でも、「肉を1キロ作るために、穀物や豆を16キロも使うのだ」と訳知り顔で講釈する人の多くは、他人の「食生活」を「受け売りのどこで聞いたかわからないような知識」を根拠に変えようとしているのです。しかも「具体的な例証(あるいは、何の本で読んだか、誰が言っていたのか)」を示すことを要求されると、今度は逆ギレしてしまう。ほんと、こういう人って多いですよね。もし本気で誰かを説得しようとするならば、そんないいかげんな姿勢ではダメなことはわかりきっているはずなのに。結局は、「環境に優しい自分」をアピールしたいだけの人もたくさんいそうです。 「あるある」とかを観てすぐ影響されてしまう人の数を考えると、他人が主張している「正しいこと」を疑ってみたり、自分で調べて確認してみようとする人っていうのは、本当に「少数派」なのでしょうね。
ただ、分厚い資料とかを常に持ち歩いて、誰かに会うたびにキッチリと「肉食の罪」を講義してくれるような人ばかりだと、それはそれで生きづらい世の中だという気もしますので、まあ、実生活においては「とりあえず聞き流して感心しておく」というくらいが「正解」なのかな、とも思いますけど。
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2007年04月09日(月) ■ |
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「ものすごく怖いのは生きている人なんですよ」 |
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『プロ論。3』(B-ing編集部[編]・徳間書店)より。
(作家・岩井志麻子さんのお話の一部です)
【ものすごく怖いのは生きている人なんですよ。何の疑いもなく、ためらいもなく、自分がいい人で、まっとうだと思っていたりする人がいる。そういう人の中に、ものすごい残酷さや差別意識があったりするわけです。自覚がない分、世の中で普通に恐れられている人よりもタチが悪い。これは怖いですよ。 特に私が興味を持つのは、生きている女です。しかも、見かけからして壊れた女とか、派手な女、ケバい女ではなく、ごく普通の主婦やごく普通の仕事をしている女。そういう女の中に、ドロドロした怨念のようなもの、野望のようなものを、激しく感じることがある。何だか私は仲間意識を感じるんですよ。向こうは絶対に違うと思っていると思いますけど(笑)。 では、なぜ女たちがドロドロするのか。例えば昔は、作家にせよ芸能人にせよ、特別の世界の人たちのものだったわけです。ところが、今は何かちょっとしたきっかけで有名人になれてしまう。なれない職業なんてないんです。頑張って努力をすれば、チャンスは手の届くところにある。だけどやっぱり、なれそうでなれないわけです。これは実はものすごく残酷なことなんですね。無理だからあきらめろと言われた方が、どのくらいラクか。何にでもなれるけど何にもなれない。手が届きそうなのに届かない。そういうもがき苦しむ空気が人々、とくに女たちを包んでいる。私はここにものすごくひかれるんですよ。 そもそも新聞に大きく取り上げられる事件よりも、片隅にある小さな事件に激しく揺さぶられたりしますね。名所旧跡より、路地裏のたばこ屋さんをよく覚えていたりする。そこから妄想が次々に浮かぶんです。それを小説にしていく。 何にでもなれるし、いくらでもチャンスがあるように見える時代です。だからとにかく可能性を信じようというのも、素晴らしい思想かもしれない。でも、私はどこかで折り合いをつけていかないと苦しみを生むと思っています。今の幸せも、しっかり感じるべきだということです。だいたい、幸せか不幸せかなんて、自己申告なんですよ。他人や世の中が決めるものでは決してない。 勝ち組、負け組なんてのも、結局、世間の基準で言ってるだけでしょ。大事なのは、自分が自分をどう評価するかです。そうしないと、永遠に振り回されることになる。自分で価値基準を持つ、複数の価値観を持っておくことの方が重要だと思う。】
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これって、岩井さんは自分自身の経験を踏まえつつ仰っているのではないかなあ、と思いながら、僕はこの話を読みました。岩井さん自身も、この「なれそうでなれないとう残酷さ」に、ずっと悩み続けていたのかもしれません。
僕が以前解剖の実習とやっていたときに、みんなが御遺体を前にして緊張したり不安な気持ちになっているなか、一人の同級生の女の子が、手際よく実習をすすめながら、さらりとこんなことを言っていました。 「私は全然怖くないよ。生きている人間のほうが、よっぽど怖い」。 彼女はすごく真面目な優等生、というイメージがあったのですけど、その一言を聞いて、彼女はちょっと怖い人だな、と思ったのをよく覚えています。どうして彼女のような「真面目そうな女の子」が、そんな心境に至ったのかは、結局、聞くことができませんでしたが。 この岩井さんの話を読んで、真っ先に思い出したのは、その女の子のことだったんですよね。それ以前もその後も、実習中に僕の周りの男で、「生きている人間のほうが怖い」と言ったヤツは、ひとりもいなかったですし。まあ、他人に語るための人生観として、酒の席などでそういう言葉が出てくることはあったとしても、実際の「御遺体」を前にしてそう言い切られるというのには、なんだかすごいインパクトがあったのです。
そんな僕の思い出はさておき、岩井さんが書かれている【なれない職業なんてないんです。頑張って努力をすれば、チャンスは手の届くところにある。だけどやっぱり、なれそうでなれないわけです。】という現実の「残酷さ」は、僕にもよくわかります。僕だって「なれそうな気がしていた(あるいは、今ででもなれそうな気がしている)人間」なので。昔の身分制度のように、「出自である程度人生が決まっている時代」に比べれば、現代というのは、本当に「何にでもなれる可能性がある時代」なんですよね。でも、その一方で、「なれそうでなれない」ことによる自分への苛立ちというのは、昔よりもはるかに大きくなってしまっているように思えるのです。昔は「出自」を言い訳にできたことが、今では「自分の夢への努力が足りないから」だという厳然たる事実をつきつけられているわけですから。「実現できないのは、自分のせい」だと認めざるをえないことは、人間にとって、誰かのせいにできるよりも辛い面もあるのではないでしょうか。そりゃあ「チャンスがある時代」のほうが、無い時代よりは良いと僕も理性ではわかっているのですけど、「チャンスがあるからこそ実現できないことへの焦燥感がある」のは、まぎれもない事実なのです。
連続放火事件で今日懲役10年の判決を受けた「くまぇり」というハンドルネームでブログをやっていた女性も、もしかしたら、こういう焦燥感に駆られていたのかもしれません。だからといって、放火が許されるわけもないのですが。
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2007年04月08日(日) ■ |
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「新幹線パーサー」を、知っていますか? |
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『新幹線ガール』(徳渕真利子著・メディアファクトリー)より。
(22歳の若さで、しかも、アルバイトから正社員になった直後にもかかわらずワゴン販売で売り上げナンバーワンとなった著者による、「新幹線パーサー」という仕事についての本の一部です)
【お客様との出会いは、いつも楽しく嬉しいことばかりではありません。ときには困った場面に遭遇することだってあります。 避けられないのが自然災害です。台風や集中豪雨で新幹線の運転がストップした場合、車内で何時間もお客様にお待ちいただくという状況が発生することもあります。 お客様には、仕事や私用などでこちらの想像以上に大切な予定がある方がたくさんいらっしゃいます。その予定が狂ってしまい、その上で何時間も待たされるとなると気持ちもイライラしてきますし、不安になってきます。そのお気持ちをやわらげるのもパーサーの仕事です。 運転がストップしている間も、パーサーは休みません。こんなときこそお客様がワゴンを必要としているからです。何時間も待たされ、お腹は空くし喉も渇きます。もし商品が全部売り切れてしまったら、車内巡回に行きます。何よりも、お話相手になることが重要なんです。 このような場面では9割以上がお問い合わせや苦情のお言葉です。でも一度、あるパーサーは「来てくれてありがとう。安心しました」というお言葉をお客様からいただいたそうです。彼女は後で、「涙が出るほど嬉しかった」と言っていました。
(中略)
(新幹線パーサーの「仕事上の悩み」について)
その他によく出る話題は「足がむくんだ!」「ふくらはぎパンパン!」といった、立ち仕事ならではの悩みです。 出発前のミーティングが終わり「さぁ出発しましょう!」と椅子から立ち上がった瞬間から、今度は数時間後に到着ミーティングが始まるまで、パーサーは一度も座ることがありません。 整列して会社を出て、歩いて東京駅構内に入り、ホームへ出たら新幹線が入線するまでじっと立って待ちます。そして新幹線に乗り込んでからはワゴン販売。「のぞみ」に乗務する場合だと、乗車前後も含めて3時間半近く立ちっぱなしです。 実は私、そんなに立ち仕事が嫌いではないんです。じっと座っている仕事にだけは就きたくなくて、「事務職の人はすごいなぁ」と思っていたくらいです。一つの場所におとなしく座ってとどまっていることができないんですよね。落ち着きがないんでしょうか。だけど人並みに、乗務の後は必ず足が張ります。 新幹線の車両の全長は一両あたり約25メートル。東海道新幹線はすべて16両編成ですから、合計すると一つの列車の長さは約400メートルです。 A車ワゴン(1〜7号車の指定席・自由席)担当の場合、1〜7号車を約3往復します。ワゴン販売だけでも、1回の乗務で1キロ以上歩きます。東京と新大阪を往復した場合、車内で2キロ以上歩くことになります。しかもただ歩くだけでなく、揺れる車内で重いワゴンを押さなければならないので自然と足をふんばります。どうしても足に負担がかかってしまうのです。
今はインストラクターをしている先輩の田野倉理佳さんが、まだパーサーとして乗務していたときのことです。お客様が特に多いお正月に乗務したとき、「私、いったいどれぐらい歩いてるんだろう」と自分でも不思議に思ったそうです。そこで翌日、万歩計をつけて乗務に臨んだのでした。 お正月の三が日が終わったばかりで、Uターンラッシュのピークの日です。このときの田野倉さんの勤務は二往復で、二日にまたがっていました。出勤したその日に東京と新大阪を一往復半。夜は新大阪に宿泊して、翌日に東京までの上り列車に乗務した時点で勤務終了、というシフトです。 最初の出発ミーティングが終わって、東京駅へ出発すると同時に万歩計のスイッチをオン。夜寝るときだけ外し、翌日に東京に戻ってくるまでずっと着けていたそうです。 記録はなんと4万歩! 参考までに、ビジネスマンの方が1日に歩く平均歩数は5千歩前後と言われています。お正月などの繁忙期はお客様からのご要望も多いですから車内を行ったり来たりしますし、ふだんよりもよく動く時期ではあります。それでもこの記録には驚きました。パーサーの仕事を続けている限り、運動不足になる心配はなさそうです。】
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僕はそんなに新幹線を利用する機会もないものですから、この「新幹線パーサー」の存在を、この本を読んであらためて知りました。ずっと「車内販売の人」っていうイメージしかなかったし、新幹線で車内販売を利用する機会もほとんど無かったもので。新幹線もどんどん目的地までの所要時間が短くなっていますし、コンビニや売店であらかじめ買い物をしておけば、車内で不自由するなんてこともなかったですしね。こう言ってはなんですが、「寝たり本読んだりするのに、ちょっと邪魔だなあ」とすら思ったこともおります。そして、ワゴンを押して「お弁当にお飲み物〜」とか言って歩いているだけで、ラクそうな仕事だよなあ、とも。
でも、この徳渕さんの本を読んで、僕はあらためて思い知らされました。簡単そうに見えるけど、「新幹線パーサー」というのは、かなり大変な仕事みたいです。考えてみれば、全長400メートルもある新幹線の車内をワゴンを押して歩くだけでも、かなりの重労働ですよね。いくら新幹線はそんなに揺れないとはいえ、走行中ずっと立っているというだけでもけっこう足には負担がかかるはず。そして、単に「商品を売る」だけではなく、災害などで長時間列車が止まってしまったときには「商品が無くなっても、乗客の『話し相手』になりに行かなければならない」なんて。そういう場合、乗客は当然苛立っているでしょうから、「話し相手」というか「不安や不満の捌け口」になりに行くようなものですよね。僕だったら、「もう売るものないし、行っても怒られたりイヤミを言われたりするだけだから、控え室に待機してましょうよ」とか、言ってしまいそうです。考えてみれば、乗客側だって、彼女たちにクレームをつけたって、どうしようもないことくらいわかりそうなものではあるんですけど、「感謝された話」が語り継がれているということは、実際はかなり辛い目にあっているということなのでしょう。
飛行機のCA(キャビンアテンダント)に比べると、「車内販売で回ってくる人」というイメージしかなかった「新幹線パーサー」なのですが、ワゴンを押しながら1日4万歩も歩くことがあるというのは、いくら若い人が多いとはいえ、かなり体力的にもキツイ仕事です。自分のワゴンに置いていない、あるいは売り切れの商品の問い合わせがあった場合には、他の担当者のワゴンにそれを取りに走ったりすることもあるそうですし。ちなみにだいたい1時間ずっと歩きっぱなしで1万歩くらいになりますから、4万歩といえば、揺れる車内で4時間ずっと歩きっぱなし!
あの「車内販売」って、ワゴンを押して商品を売るだけの簡単でラクな仕事だと勝手にイメージしていたのですが、そんなに甘いものじゃないみたいです。 ちなみに、アルバイトでの「新幹線パーサー」の待遇は【会社指定のローテーションでシフトに入る場合は時給1200円。週3日から自由にシフトを選ぶ働き方だと時給1000円(会社指定のローテーションだと宿泊勤務もあり】だそうです。「自給がいいので学生のアルバイトも多い」そうですが、僕はこの仕事内容を知ってしまうと、この時給が「いい」とは思えないなあ……
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2007年04月06日(金) ■ |
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「銭ゲバ」と批判された松坂大輔の苦悩 |
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「週刊アスキー・2007/4/10号」(アスキー)の「決断のとき〜トップアスリートが語る人生の転機」特別編・松坂大輔(後編)より。インタビュー・文は、吉井妙子さん。
【アメリカは契約社会。日本のように毎年交渉が行われるわけではなく、あとで何か問題が生じても話し合いで是正するという考えはない。最初に結んだ契約で全てが拘束される。メジャーでは、契約こそが選手のアイデンティティーであり、身分保障でもある。 松坂は、敏腕代理人と言われるスコット・ボラスに交渉を一任したこともあり、すぐにでも契約したい気持ちをグッと堪えた。交渉期限は1ヵ月。なかなか進展したい交渉にファンやメディアは痺れを切らし、松坂は「銭ゲバ」「ごねている」との批判も生まれる。松坂はこの頃、無言にならざるを得ない苦しさを口にした。 「僕にも批判の声は届いている。でも、これまでのように”プレーできるなら、お金にはこだわりません”と安直な行動に出るわけにはいかないんだよ」 その理由は幾つかあると言った。 「僕の年俸が、これから交渉が始まるメジャーのFA選手の基準にされている。彼らが胃を痛める思いをして築いてきた市場価値を、僕が壊すわけにはいかない。そして、日本人選手に正当な評価を求めるのが僕の役目だとも思っている。野茂さんがメジャーの扉を開き、イチローさんや松井さんがその実力を見せ、新たな時代に入った。彼らの実績をメジャーの人たちに認めてもらい、あとに続く後輩たちが正当に評価されるためには、ここで僕が頑張らないといけない」 交渉期限日の5日前、松坂は最後の交渉場所のロサンゼルスに向かった。レッドソックス側もボラスも、一歩も引かない話し合いを繰り返している。 「今まで自分の手で人生を切り開いてきたけど、他人に全てを預けてしまったような不安というのかな、自分では何も言えない、何もできない焦燥感が、こんなに辛いものだとは思いもしなかった」 松坂はいたたまれなくなり、自分も交渉のテーブルにつかせてほしいと頼んだ。スコットには年俸の上乗せはもういいと告げ、レッドソックスには、家族の安全を守ることに主体を置いた付帯条件を認めて欲しいと懇願。だが、レッドソックスの答えはノーだった。 「このときに、今回の落札は入札妨害だったのかと疑念が湧いた。日本に買えることも覚悟した」 レッドソックスは、宿敵のヤンキースに松坂を渡さないためだけに、高額の入札をしたのではないかと疑ったのだ。レッドソックスは契約をしなければ1セントも懐を痛める必要はない。 しかし締切り直前になって、レッドソックスもスコットも松坂の本意に添うような形で着地した。熱意が彼らを動かしたのである。 子供の頃からの目標を実現させた松坂は、開幕を待ちわびている。】
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5日(日本時間6日)に、7回1失点10奪三振の素晴らしい結果でメジャーでの初登板を飾ったボストン・レッドソックスの松坂大輔投手のメジャー移籍をめぐっての話です。 僕も松坂投手の代理人のボラス氏とレッドソックスとのなかなか進展しない交渉をテレビなどで観ていて、興醒めしたというか、「松坂もせっかくのチャンスなんだから、入団する前にゴネるんじゃなくて、入団して活躍してから年俸上げてもらえばいいのに、ほんと、『銭ゲバ』だよなあ」と思っていました。松坂投手自身が「ワールド・ベースボール・クラシック」で活躍して評価を上げていた面もあるとはいえ、イチローや松井秀喜らの「先人」が活躍しているから、松坂ももっと評価されてしかるべきだ、なんていうのはあまりにも「我田引水」なのだはないか、という気もしていたんですよね。「同じ日本人で、日本球界で活躍していたのだから評価しろ!」と言われても、その時点で提示されていた(らしい)年俸も、けっして不当な安さだとは思えませんでしたし。それこそ「野茂やイチローや松井は、そんなに契約で揉めなかったのに!」って。
僕はあのボラス氏とレッドソックスの交渉は、しょせん「デキレース」なのではないかと思っていたし、実際にタイムリミット寸前で交渉がまとまったときも「ま、最初からこういう手筈だったんだろうけどね」としらけた感じだったのですが、これを読んでみると、少なくとも当事者のひとりである松坂投手本人にとっては、「日本に帰ることを覚悟するほどのギリギリの交渉」だったのは間違いないようです。ボラス氏もレッドソックスの交渉担当者も百戦錬磨のツワモノですから、彼らにとっては「当然の決着」だったとしても。松坂投手側からすれば「そのくらいやってくれて当然」の「家族の安全のための付帯条件」にしても、松坂投手とその家族だけの話ならともかく、ひとつ「先例」をつくってしまうと、他の選手に波及していく可能性も十分にあるわけで、球団側にとっては「誠意だけの問題」ではないでしょうしねえ。
まあ、こうして無事に契約を済ませて偉い人に「NHKで取り上げすぎ」とまで言われるくらい日本でも活躍が期待されている松坂投手、とりあえず幸先の良い初登板で何よりでした。 ただ、某貧乏球団の大ファンである僕としては、やっぱり、「プレーできるなら、お金にはこだわりません」って言ってくれる選手のほうが好きなんですけどね。もう、日本国内での球団間の人気・資金の差でヤキモキするよりは、いっそのことみんなメジャーに行ってくれれば、それはそれでスッキリするんじゃないかという気もするのですが。
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2007年04月05日(木) ■ |
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瀬戸内寂聴さんのところで出家しようとした映画監督 |
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『en-taxi・SPRING 2007』(扶桑社)の記事「『東京タワー』をめぐる小説と映画の摩擦熱」より。
(映画『東京タワー』の監督:松岡錠司さんと原作者:リリー・フランキーさんとの対談記事の一部です)
【司会者:松岡監督はすごく穏やかな人だと映画の現場スタッフからも聞きますが。
松岡錠司:穏やかというより自虐ですよ。俺は一回都落ちしてるっていうか、自信を失って田舎に帰ってるんです。まだ20代の頃、親からいいかげんに就職しろと言われて、映画あきらめてまっとうになろうと決心しかけた時、東京から1本の電話がかかってきて、映画を撮らないかって言われた。35ミリの劇場用映画の監督っていうのが俺の夢で、それが1本撮れればもういいんで、一生に一度だからもう一回東京に行かせてくれって親に言って、『バタアシ金魚』を撮った。
リリー・フランキー:若かったんですよね、監督デビューが。
松岡:その後軽いノイローゼになったんです。映画を監督するということが一生に一度だと思ってた。だからずっと映画監督やるっている想像がまったくなかったんです。インタビューでは「次、何やるんですか?」って訊かれる。映画監督で食っていくっていうことがものすごく恐怖になって。「きらきらひかる」が終わって、もうネタが尽きた、自分の物語もつまらない、もう駄目だ、もう駄目だ……ってノイローゼになった。 その時、映画監督の周防正行さんに電話したんですよ。彼は『ファンシイダンス』で寺の話やってるから瀬戸内寂聴に詳しいだろうなってことを、なんとなくビビッて感じた俺は、すぐ電話して「寂聴さんのところで出家したい」と言ったの。映画監督同士というのはビビッと感じるもので、周防さんは「寂庵に電話してください。話は通しておきますから」ってすぐ段取ってくれた。寂聴さんのところに電話すると、いついつに来てくださいってことになって、ああ、これで俺はもう出家するんだって思った。で、東京駅から新幹線に乗って、富士山が見える頃に……やっぱり出家は無理だなって分かった。
リリー:ええっ?
松岡:在家にしようと思った。
リリー:往生際が悪いなあ(笑)
松岡:月一回通うことにしようと。で、京都・嵯峨野の寂庵に着きました。通された部屋は奥の襖がパーンと閉まってて「ここでお待ちやす」とか言われて、襖の向こうからは、自分の配偶者が死んだとか、息子がもう駄目だとかいう話が聞こえてくる。その時にはもう、在家も無理かなぁみたいな(笑)。 で、襖がバーンと開いて、出てきましたよ、寂聴さん。俺はもう「すみません、本当にすみません。本当に大したことじゃないんですけど、自分の将来というか才能というものに限界を感じまして」とか一応言ったんだけど、その後は何を言ったか、さっきリリーさんが最終回は記憶を失ってるって言ったのと同じで覚えていない。とにかく自分の弱みを長々と話したんです。 俺の話をじっと聞いていた寂聴さんが言った言葉は「きわめて正常」(笑)。「ここまで自分の悩みをつぶさに話せるなんて、こんな正常なことがありますか」って言われて、「そうですよね。本当すみません」って帰ってきた。そんなことやってるんですよ、俺。駄目なんですよ。】
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4月14日公開の松岡錠司監督の『東京タワー』、映画版は製作費6億円、撮影期間は10週間だったそうです。まあ、ハリウッドの超大作では、製作費が100億円を超えるなんてものもけっこうあるのですけど、これだけの大きなプロジェクトを成功させなければならない「映画監督」というのは、本当にプレッシャーがかかる仕事なんでしょうね。この「松岡監督が出家しようと瀬戸内寂聴さんを訪ねた話」とうのは、今となっては笑い話に聞こえますが、それを実行したときの松岡監督は、かなり精神的に追い詰められた状態だったのでしょうし。それにしても、いきなり「話を通して」しまった周防正行監督の「人脈」にはちょっと驚いてしまいましたけど。
松岡監督は1961年生まれで、ここで名前が挙がっている『バタアシ金魚』は、1990年の作品です。主演は筒井道隆さんと高岡早紀さん。30歳前の監督デビューというのは、確かに「若い」ですよね。デビュー作の成功で、いきなりスポットライトを浴びてしまったのは、当時の松岡監督にとっては、ものすごく意外であったようです。「映画監督」なんて、「なろうと思って努力すれば誰でもなれる」というような仕事じゃなさそうですし。
実際は、「もう出家するしかない……」というくらいまで精神的に追い詰められていた松岡監督が(考えてみれば、なぜそこで「引退」「転職」や「自殺」ではなく、「出家」という発想になったのかは疑問ではあります)、瀬戸内寂聴さんの「寂庵」に向かってみると、道中で既に「在家」にしとこうかな……という気分になってきて、寂庵に着いて他の人の深刻な悩みを耳にしているうちに「在家も無理かな……」と考え始めます。そして、いざ寂聴さんに会って、さんざん自分の「弱さ」を語ったら、帰ってきた言葉は「きわめて正常」。松岡さんの悩みが極度に深刻なものではなかったというもあったのでしょうが、「他人の話を聞く」、そして「自分の話、悩みを聞いてもらう」ということそのものにも、ある種の「治療効果」があったのでしょうね。いや、この話、他人事として読むと、確かに「きわめて正常」な人生における袋小路の話なのですけど、僕も同じようなことで悩んで、「誰にも僕の気持ちなんてわからないんだ……」なんて落ち込んでいたりもするわけです。それが、ごく普通の人間というもので、「きわめて正常」なのでしょう。
それにしても、瀬戸内寂聴さんは、いろんな意味で「商売上手」だなあ、という気がします。細木和子さんにしてもそうなんですけど、結局多くの人は、誰か頼れる人に「おまえは正常」「あなたは大丈夫」って言ってもらいたいのだよなあ。
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2007年04月04日(水) ■ |
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『14歳の母』を生んだ脚本家の「取材力」 |
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「日経エンタテインメント!2007.4月号」(日経BP社)の特集記事「ヒットメーカー列伝〜時代を動かす100人」から、脚本家・井上由美子さんの項より。
【妊娠した中学生を題材にした『14歳の母』は、志田未来という若手女優抜てきのもと、マンガ原作でも、リメイクでもなく、オリジナルで描ききった。その作家魂は高い評価に値する。 「物語は私からの企画提案で、お話を先に考えてから、志田未来さんにお願いしました。ドラマはキャスティングが先に決まっていることが多いので、珍しいケースでしたね」 「骨太な筆致の社会派」と言われることが多いが、実は作品傾向がつかみづらい作家だ。自身も「コメディの三谷(幸喜)さん、ラブストーリーの北川悦吏子)さん、というトレードマークが私にはない。あえて言うなら、働くことをテーマにいろんな人間をテーマに書いていきたいタイプ」と語る。 エピソードに対する共感度が深いのが井上作品の特徴だが、それは徹底した取材に基づいているから。 「プロデューサー手配による表の取材以外に、個人的な裏の取材をしつこくします(笑)。たとえば航空会社取材だと広報の方が立ち会うから、くだけた話は聞けない。雑談ベースで話をしてくれる人を探しては、飲みに行ってコツコツとヒントをもらいます。
真実味があったらあったで、その反響も大きい。なかでも『14歳の母』は賛否両論がすさまじかったそうだ。「寝た子を起こすな、といわれたけど、”寝た子”なんていないんですよ。親が知らないだけで」。 妊娠した中学生といえば、かつてならまずは友達に相談して、そしてカンパ、という流れだったはずだが、この作品では友達の力を頼りにしなかった。それも取材から得た収穫。「妊娠したら、一番知られたくない人は誰かと聞いて回ったら友達ということが分かった。知られて仲間はずれにされたくない、人間関係を失いたくないって」。10代から高い共感を得たのは言うまでもない。】
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以前、三谷幸喜さんが、「今、注目している脚本家は?」という質問に、この井上由美子さんの名前を挙げておられました。井上さんは『14歳の母』以前にも『GOOD LUCK!!』『白い巨塔』『エンジン』『きらきらひかる』などのヒットドラマを書き続けている脚本家なのですが、御本人もおっしゃっておられるように、作品には「専門職ものが多い」という他には目立った「トレードマーク」はないんですよね。作品の知名度のわりには、井上さん自身はあまり知られていないようですし。
このインタビューを読んで、井上さんというのは、ものすごく「聞き上手」なのだろうなあ、と感じました。そして、自分の力を過信していないというか、良い作品を書くためには、骨惜しみをしない人なのだということも伝わってきました。いくら一緒に飲みに行ったところで、「じゃあ、仕事での面白いエピソードを教えてください」なんて不躾に訊ねても、そんなに簡単に「使える話」なんて聞けるはずもありません。僕だって、「『取材』なので、病院での面白いエピソードを教えてください」なんて頼まれても、守秘義務もありますし、後で問題になる可能性だってあるのですから、そう簡単にベラベラ喋ったりしないでしょう。いや、饒舌な人というのは、どの業界にもいるものなのかもしれないけれども。
この話のなかで僕が最も印象に残ったのは、井上さんが「妊娠したら、一番知られたくない人は誰かと聞いて回った」ということでした。「友達」という答えは、自分が14歳のときだったら確かにそうだろうな、と思い当たるものではあるのです。でも、大人になってしまった今、同じことを問われたら「親」や「先生」と答えてしまいそうです。もし僕が脚本家ならば、「3年B組金八先生」を観て育った影響もあり、「妊娠した14歳の女の子を助けるために、友人たちが立ち上がる感動のストーリー」を何の迷いもなく書いてしまいそうな気がします。そのほうが「ドラマチック」だろうと思い込んで。しかしながら井上さんは、そんな「大人からみた、脚本家からみた『常識』」を疑って取材をすることによって、あの『14歳の母』というドラマを書き上げたのです。そもそも、そこに疑問を持つことができるかどうか?というのが「センスの違い」なのかもしれません。
中学生に「妊娠したら、一番知られたくない人は誰?」なんて聞いて回るというのは、思いついても実行するのは大変な作業だとも思うんですけどね。僕がやったら、セクハラで捕まるかもしれない……
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2007年04月03日(火) ■ |
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金沢21世紀美術館の「美術館革命」 |
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「週刊SPA!2007/4/3号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々・第477回」金沢21世紀美術館館長・蓑豊(みの・ゆたか)さんのインタビュー記事です。取材・文は友清哲さん。
【インタビュアー:オープンから2年半。美術館として圧倒的な実績を上げていますね。
蓑豊:これまで、日本の美術館の平均的な年間入場者数はせいぜい7〜8万人でした。ところがウチは、この週末だけでも1万5000人も入ってるんです。これは誇れることだと思いますね。
インタビュアー:展示内容や館内の構造も、既存の美術館とは一線を画すものがあります。最大のコンセプトはどこに?
蓑:大人と子どもが同じ目線で楽しめるということ、これが大切なんです。美術館というと、どこか威張ってるようなイメージがあると思うのですが、それでは良くない。ウチの場合、まず立地からして、周囲の道路から2m下げ、道行く人が少し見下ろせるような造りになっている。建物そのものに威圧感がないんです。だから人が入りやすい。
インタビュアー:来場者が老若男女幅広く、幼稚園児や小学生の姿も目立ちますね。
蓑:よくあるお堅い美術館のように、ちょっと騒いだだけで学芸員から「シーッ!」と怒られるようなことがありませんからね。いわば、子どもが走り回ってもいい美術館なんです。展示室の監視スタッフが警備員の制服ではなく、オリジナルのコスチュームを着ているのも、子どもを萎縮させないための配慮です。
インタビュアー:国内の美術館では、これまでなかった考え方ですね。
蓑:僕は以前、アメリカで26年ほどアートに携ってきましたが、海外ではこうしたスタイルは当たり前なんです。だから日本へ帰ってきたときには愕然としましたね。欧米では美術館が街のシンボルとして認知されているのに、日本の美術館には子どもも家族連れも若者もいない。そうした状況を、美術館側も「高尚な作品だから仕方がない」「理解できる人が少ないんだからしょうがない」と考えているきらいがある。それでは人が集まるわけがないんです。
インタビュアー:既存の美術館は著名な作家の企画展などで、短期集中的に入場者数を稼ぐイメージがありますが、金沢21世紀美術館はそうではないですね。
蓑:ルノワール展とかゴッホ展とか、やればそれなりに人は集まると思いますよ。でも、これだけ海外旅行が盛んな世の中で、海外へ行けば観られるものを、わざわざ、何億、何十億とかけて集めるやり方には疑問を感じているんです。
インタビュアー:美術館にとって、あまり良い方法ではないと?
蓑:良くないですね。だって、終わったら閑古鳥というのがこれまでのパターンですよ。美術館というのは、普段から肩肘張らずにぶらっと立ち寄れるような、日常生活の中に存在していなければダメだと思う。その点、ウチは有料ゾーンと無料ゾーンに館内が分かれていて、お金を払わなくても観られる作品がたくさんある。人気の<タレルの部屋>だって無料で入れるんです。おまけに館内の仕切りが基本的にガラスですから、有料ゾーンが少し覗けるのも良かったと思います。
インタビュアー:そのあたりはビジネス的な戦略でしょうか?
蓑:そうですね。例えばエルリッヒの<スイミング・プール>という作品は、プールの水面を境界に、水の上からは無料で観賞することができ、下(プールの底)に行って水面を見上げるのは有料になっています。水面の下から洋服を着たままの人が手を振っていたら、不思議に思って自分もそこへ行きたいと思うのが、人の心理ですよね(笑)。もちろん、こんなに面白い作品はそうそうないですから、いろんな人に観てほしい、観せてあげたいというのが一番の目的ですけど。
インタビュアー:金沢21世紀美術館は市営ですが、やはり収益性というのは重視されるものなのでしょうか?
蓑:それはもちろん。税金で運営されていて、年間約7億円の運営費がかかってるわけですから。それでも現状のように、入場収益が年間2億円くらいもあれば、市民の方々も安心するでしょ? おまけに、この美術館を訪れる人が運賃を払って金沢へ来て、泊まって、食べて、飲んでと、お金を落としてくれるわけです。外部の機関の試算では、本館初年度の美術館運営。来館者支出に伴う経済効果は年間111億円と出ましたからね、これは大きいですよ。
インタビュアー:それは市民に愛される大きな理由のひとつになりますね。
蓑:学校帰りや会社帰りに立ち寄って、<タレルの部屋>でぼんやり空を眺めてくつろいだり、生活の中で自然に親しんでくれていますよ。これまで美術館というと、税金の無駄遣いなんて思われがちでしたから、そういった偏見を打破したかったんです。】
参考リンク: 金沢21世紀美術館(公式サイト)
金沢21世紀美術館(by 癒しの美術館探索)(「タレルの部屋」や「スイミング・プール」の画像など)
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僕はこの「金沢21世紀美術館」の存在を知らなかったのですけど、この記事を読んで、ぜひ一度この美術館を訪れてみたいなあ、と思いました。そして、こんな美術館があるなんて、金沢の人たちが羨ましいなあ、とも。北海道・旭川の「旭山動物園」にしてもそうなのですが、地方都市が既存の「動物園」や「美術館」の固定観念を打破していっているというのも、なんだか興味深い話ではありますよね。
人口45万人の金沢市にあるにもかかわらず、開館わずか2年半で来場者が330万人を突破したという、この「金沢21世紀美術館」なのですが、その大成功の原動力になったのが、この蓑豊館長だったそうです。美術館の「価値」「集客力」の違いというのは、「立地」と「展示物の質と量」が全てなのではないかと僕は考えていたのですが、この蓑さんの話を読んでいると、「展示物の見せ方」や「『普通の市民』に親しみを持ってもらうための有料・無料ゾーンの設定」、さらには、「威圧感を与えないための立地や建物の造りかた」まで、工夫できるところは本当にたくさんあるのだな、と驚いてしまいました。確かに、日本の多くの公営の美術館は(いや、私営のものも大部分は)「展示物を観せてやってるんだぞ」という感じで、来館者は「監視されている」ようにすら感じますよね。まあ、美術館好きの僕としては、「子どもが騒いだり、学校帰りのカップルがイチャイチャしている美術館」というのも、それはそれで興醒めしそうではあるのですけど。
ごく一部の「世界的に有名な収蔵物を誇る美術館」であれば、こんな工夫をしなくても良いのでしょうが、実際は、地方の美術館というのは「誰も観に来ないような常設展示物」+「ときどき開催される有名画家の特別展」で運営されているところが大部分。そして、「特別展」での入場者数で、なんとか帳尻を合わせているのです。でも、この蓑さんの話には、「地方の美術館は、大都会の有名美術館の劣化コピーである必要はないんだ」という強いメッセージを感じますし、地方の、有名画家の作品がひしめいているわけでもない美術館にこれだけの人が訪れるのには、この美術館の「雰囲気」がとても魅力的だからなのでしょう。金沢という場所から考えても、リピーターがかなりいなければ、こんなにたくさんの入場者数は得られなかったはずですし。
ただ、この「金沢21世紀美術館」も、こうして「時代の寵児」になってさらに賑わってしまうと、きっと今までみたいには、地元の人たちが館内でゆっくりくつろげなくなってしまうんでしょうね。それはそれで、ちょっと残念な話ではあります。
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2007年04月02日(月) ■ |
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伝説の編集者・見城徹の「ベストセラーを生み出すための四つの必要条件」 |
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『編集者という病い』(見城徹著・太田出版)より。
(「伝説の編集者」(現・幻冬舎社長)見城徹さんの新米編集者時代のエピソード)
【三十数年前のこと、新卒として入社した慶済堂出版の一年目に、『公文式算数の秘密』という当時の大ベストセラーを企画編集しました。リライトも自分でやりました。その本のことを考える度に、それが編集者一年目の本であるとともに、自分の原点たる内容をもっていることに我ながらびっくりしています。それは偶然かもしれませんが、実は僕のその後の道筋を定めるような内容であったのです。 就職一年目のある昼下がり、ガールフレンドと新宿御苑の前を歩いているときに、正門前に白鳥ビルという雑居ビルがあり、そこの確か奇数階のフロアーに「公文式算数研究会」という看板があるのに気付きました。その時は「クモン」と読めず、「何だろう、このコウブン算数というのは」と思いました。それから二週間ほどして、新聞の小さな広告に「公文式算数教室指導者募集」とあるのを発見し、白鳥ビルの研究会は独自のノウハウがあり、教室で生徒に教えるフランチャイズの塾を運営しているのだと理解しました。 僕はつねづね、売れるコンテンツ(本であれテレビ番組であれ何であれ)は四つの要素を備えている、その必要条件を満たすものは必ずヒットすると思っています。 (1)オリジナリティがあること。 (2)明解であること。 (3)極端であること。 (4)癒着があること。 これは長い編集者としての経験から僕が勝手に結論付けた原則ですが、いま考えてみれば『公文式算数の秘密』は、その四条件を見事にすべて満たしているものでした。公文式はそのビジネスモデルがオリジナリティに富み、計算を続けるだけという極端な方法、そして誰がどこから見ても分かりやすい明解なノウハウでした。さらに僕が考えたのは、教室があるのなら生徒がいてその父兄がいるはずだから、販売ルートを兼ねた組織ではないか、ということでした。3万部くらい買い取ってもらえないか、父兄に書店で購入してもらえないか、そうすればベストセラー欄に顔を出し、売れ行きに弾みがつくと目論んだのです。それが「(4)癒着」の内容です。 編集一年目にほぼ初めて作った本に四条件がすべて入っていて、結果、ものの見事に30万部を超える大ベストセラーになった。これは自分で言うのも変ですが、もの凄い始まりだったと思います。売れなければ満足できない。そんな病理を僕は編集処女作から持ってしまったのでした。 そのヒットによって、当時5万人ほどだった公文式算数の会員がまたたくうちに激増し、本部の電話は鳴り止まず、あっという間に急成長して、白鳥ビルから新宿西口の大きな明宝ビルに移り、さらに三井ビルへ、やがて市谷に自社ビルを建てることになります。年商6億円を超える押しも押されぬ教育産業の大手に飛躍するわけです。 デートで歩いていて、たまたま見つけたビルの小看板が、ベストセラーを生み、公文式の大飛躍をもたらし、その後の僕の運命を決めた。こじつけかもしれないが、そういう始まりであったのです。既にして白鳥ビル時代の公文の首脳陣はほとんど鬼籍の人になってしまいましたが、飛び込み営業マンのようにして「本を出しませんか」と前のめりになって説得をした自分、ノウハウ本の出版などつゆ考えたこともなく不得要領でポカンとした彼らの様子を、まさしくオンリー・イエスタディとして思い出します。】
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角川書店で編集者として数々のベストセラーを生み出したのち、自ら幻冬舎を設立して「創業後13年間で13冊のミリオンセラーを刊行した」という、「伝説の編集者」の編集者一年目の話です。この『公文式算数の秘密』というベストセラーが生まれたときのエピソードを読むと「栴檀は双葉より芳し」なんて言葉を、つい思い出してしまいます。社会人一年目なんて、大部分の人は、「まだまだ勉強のための期間だから」というような気持ちでいるのではないかと思うのですが、見城さんは、その時期から既に「売れるコンテンツ」をデートしながらも探していたのですから。そして、その「ビルの小看板」は、ずっとそこにあって多くの人が目にしていたもののはずなのに。
ここで見城さんが挙げられている「売れるコンテンツの四つの要素」というのは、何度読み返しても「なるほどなあ」と納得してしまいます。いや、「編集者っていうのは、本が売れさえすればいいのか?」というような反感を抱いてしまうところもあるのですけど、逆に、プロであるからには「いい本さえ作れば、売れなくてもいい」というわけにもいかないわけで。でも、「オリジナリティ」があって、「明解」で「極端」、さらに「その本を必ず買ってくれる人が一定数以上存在する」という条件をすべて満たすのは、簡単そうにみえてなかなか難しいものですよね。「癒着」の話を読むと、「それなら確かに一定数の読者が保証されている宗教関係の本はスタート時点で有利だよなあ……」とは感じましたが、これって「癒着」という条件を除けば「トンデモ本」もけっこうあてはまりそうではあります。「最初に必ず買ってくれる人たちがいて、ベストセラー欄に載ることによって、その後の売れ行きに弾みがつく」というのは、やっぱり「売れる」ためには大事なことなのですよね。話題にならない本は、選択肢にもならない場合がほとんどなのですから。
しかし、今では誰もが知っている「公文式」をメジャーに押し上げる原動力となったのが、まだ一年目の新米編集者だったなんてねえ……
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2007年04月01日(日) ■ |
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「オタク〜」と日本語で絶叫するスペイン人たち |
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「九州スポーツ」2007年3月28日号の記事「エンタメ戦闘区域・『JAM Project見参!アニソンは文化だ!!〜影山ヒロノブの巻(下)』」(取材・構成は古川泰裕さん)より。
(4年前に、ブラジルでホドリゴ・グレイシーが「チェンジマン」を歌いながら登場するシーンを目撃した、という話から)
【インタビュアー:日本の真裏で、グレイシー戦士が日本語で歌いながら登場!?
影山ヒロノブ:聞いたら、「チェンジマン」はブラジルで初めて放送された戦隊モノだったらしいんですよ。そのせいか、この作品のみ僕の歌をそのまま主題歌に使ってたんですね(以降は現地語版)。言わば、「ブラジル戦隊モノ元年」の記念すべき作品。だからファンから熱烈な支持を受けていて、あの曲がブラジルのオタクの”国歌”のようになっていた(ホドリゴは有名なアニメ・戦隊オタク)。サンパウロで「チェンジマン」を歌った時なんか、1万人ぐらいが「ウォー」っと狂ったように盛り上がって、こっちはステージの上から「なんやねん、コレ!」と引くぐらい驚いた。
インタビュアー:他にはどんな国へ?
影山:メキシコ、スペイン、韓国…。メキシコもスゴかったですよ。日本で言えばコミケとゲームショーを足したような、ジャパニメーションのフェスティバルが年に1回あって、それに呼ばれて行ったんですけど、国際会議場クラスの会場に万単位の客がいる。現地は「聖闘士星矢」が大人気で、「あの曲はやってくれるのか?」と指定されたのが、テレビ版じゃなく、まさかのオリジナルビデオの主題歌。こっちは「この曲は知らんやろ」と思ってカラオケを持って行かなかったから、「え〜!?」って、大慌てで日本からダウンロードですよ。またメキシコの通信速度が遅い!(笑い)。生きてる間にメキシコに行くとは思わなかったですしね。空気が薄いから、「CHA-LA HEAD-CHA-LA」歌ったら息が切れる切れる。全然ヘッチャラじゃない(笑い)。あと、ステージにパンツやブラが飛んできたのには驚いた。ファネスか!
インタビュアー:他国は?
影山:スペインも熱いですね。コスプレのイベントがあると、日本のコスプレーヤーは会場近くで着替えたりしてるんだけど、あっちは家からその格好して、槍とか持ったまま電車に乗ってる。しかも、自国やアメリカのじゃなく、日本のアニメじゃないとダメみたい。ほとんどがドラゴンボールやプリキュア系で、たま〜にディズニー系の人がいる感じ。で、「オタク〜」と日本語を絶叫している(笑い)。彼らにとっては誇るべき称号みたいやね。コスプレイベントにくっついてきたイタリア人が「JAM(影山さんたち、アニメソング界の重鎮たちが『古き良きアニソン魂』を残すために結成しているユニット)のCD全部持ってる、サインちょうだい」って言ってきたこともあったな。韓国は通訳に対して「通訳はいらねーよ」とブーイングが起こってね。後で聞いたら「好きなもののために勉強するのは当たり前じゃないですか」って。
インタビュアー:オリジナル版を見るために日本語を勉強しているわけですか。
影山:他の国でもマニアはオリジナル版を求めるんですよ。だいたいどこの国も主題歌は自国語版に変えてるんだけど、熱心なファンは日本語版を求めるし、盛り上がる。かといって日本語が話せるわけじゃないんだけど(笑い)。あっちこっちで実感したのは、何がどうなったのかと思うぐらい日本のアニメが盛り上がってる。ジャパニメーションは世界中で愛されてます。】
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ワールドカップのイタリア代表の選手たちに『キャプテン翼』のファンがたくさんいた、というような話もありましたし、日本のアニメや特撮、いわゆる「オタク文化」は、本当に世界中で愛されているんですね。アメリカやヨーロッパでの「日本アニメの人気」は報道される機会も多いのですが、この影山さんの話を読むと、ブラジルやメキシコ、あるいは韓国にも、日本のアニメや特撮を愛している人がたくさんいるのだなあ、ということがわかります。 しかし、メキシコのオタクたちに予想外の曲をリクエストされて、日本から曲をダウンロードした、なんて話を読むと、世界というのはけっこう狭いものだなあ、という気もしますね。一昔前だったら、「今回は準備してきていないから歌えない」ということになるか、アカペラで歌っていたのでしょうけど。 そして、「ステージにパンツやブラが飛んできた」というのには、思わず笑ってしまいました。ファネスのステージで下着が飛んでくるというのは有名な話なのですが、こういうのを読むと、別にファネスが特別というわけではなくて、メキシコの女性たちは盛り上がるとそうする習慣がある、ということなのかもしれません。影山さんの『ドラゴンボールZ』の歌を聞きながら下着を投げるのって、いったいどんな想像力なんだ……と典型的日本人である僕にはよくわからないんですけど。
「オタク」というのは、日本では差別的に使われている場合が多いのですが、海外ではかなり「オタク」の地位は高いようです。彼らは「オタク」に憧れ、「オタク」であることに自信を持っているのです。少なくとも、「世間様に対して恥ずかしい」という意識はなさそうです。家からコスプレして槍を持って電車に乗っている日本のオタクは、さすがに少ないでしょうし。日本の場合は、電車が混雑するので難しい、という面もありそうですが、海外のコスプレーヤーたちには、会場内だけではなく、会場への行き帰りの間もコスプレを楽しんでいるのでしょう。
こういう話を読むと、日本のアニメというのは、間違いなく世界各国での日本への「親しみ」を増すのに貢献しているのだろうなあ、と感じますし、もしかしたら、偉い人たちの目先の「外交努力」よりも、日本にとってはアニメや特撮の輸出のほうが長い目でみればプラスになるのかもしれませんね。実際にこういう「世界のオタク」たちが世の中を動かしていくようになるかどうかはさておき。
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