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2006年11月30日(木)
デパートの「店内放送」は、君に語りかける

「週刊SPA!2006.11/28号」(扶桑社)の特集記事「業界別『隠語』辞典」より。

(デパートで使われている「隠語」の数々)

【ある百貨店では、店内放送で「【伊丹よりお越しの○○様】、3階婦人服売場へ」と流れた場合、婦人服売場でクレームが発生したことを全館に知らせる合図なのだ。中でも西武百貨店にはオリジナル隠語が多く、【西野守子】さんが店内放送で呼ばれたときは、店内に不審物があったときの合図。ほかに、火災の発生を意味する【西武守(にしたけまもる)】、事故発生時の【西新(にしあらた)】など、西武では「西」を多用しているらしい。
 また、高島屋、京王、京成百貨店では、食事で職場を抜ける際は、店員が【有久】と声をかける。「有」は八の隠語で、米という字を分解すると八十八になることから、有→八→米→食事を意味し、「パッパ(88)と食べてこい」が語源とか。ほかに、【はの字】(松屋銀座)、【きざ】(日本橋三越)、【ぎょく】(大丸)といったり、さまざま。
 食事よりお客の耳に入れるのが望ましくないのがトイレ休憩だ。【むらさき】【ピンク】【一番】とこちらも百貨店によって番号、色など、多種多様。
 では、お客のことを何と呼ぶのか?店員にとって一般的に喜ばしい客のことを【五八様】5×8=40と呼ぶそう。つまり、「しじゅう来てくれるお客様」から、常連客の意味で使うとか。
 反対に、喜ばれぬ客(?)といえば万引犯。山本リンダの歌『狙いうち』から【ウララ】と呼ぶ店も。
 また、警察用語の「ホシ=犯人」を引用して、万引犯を【スター様】と呼ぶ店もあり、逃げた万引犯を店内から逃がすまいと、従業員連絡として「ただ今スター様が3Fから降りていきました」などと放送するんだとか。かえって一般の客の注目を浴びやしないか!? 「【ただいま店内は大変混み合っております。お荷物には十分にご注意ください】」という店内放送。これが流れたときは、実際に店内で万引や置引が発生したとの合図だそう。ちなみに、店内放送で「雨に唄えば」が流れたときは、本当に雨が降り始めた合図のため、商品に雨よけをしたり、雨用の包装を心がけよということなんだとか。ボーッとしていたら聞き逃しそう!】

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 デパートで買いものをしていると、店内放送の多さに煩わしくなることもありますし、「なんでそんなことをいちいち全館放送しているんだ?」と疑問になることもあるのですけど、あれは実際は「隠語を使った業務連絡」なのだということのようです。日頃聞き流しているだけのあの放送も、こういうことを意識して聞いていると、けっこう面白く感じられるかもしれません。「スター様」なんていう店内放送は聞いたことがないし、かえって目立ちそうなので、本当に放送で使われているのかは疑問ですが。
 しかし、そんな「解読」にばかり夢中になっていると、逆に、デパートという場所のトラブルの多さに、うんざりしてしまう可能性もありそうです。
 それにしても、「食事に行く」とか「トイレに行く」なんていうことは人間にとっては生きるために最低限必要な行為であり、「やって当然」にもかかわらず、それは「お客様の前では、あまりおおっぴらに口に出してはいけないこと」だと、いまだに認識されているのですね。デパートなどでは、会社や工場のようにあらかじめ決められた「昼休み」がありませんから、店員さんたちは、みんな交替で休憩・食事を摂るということになるはずですし、「目の前のお客さんにモノを売るだけ」のように思われがちなデパートの店員というのも、そんなにラクな仕事ではなさそう。
 こういう「隠語」っていうのは、本来「お客にとっては知らないほうが幸せなこと」なのでしょうけど、やっぱり、気にはなるんですよね。
 



2006年11月29日(水)
「カーストを下げて、補助金を貰おう!」

「インド旅行記2〜南インド編」(中谷美紀著・幻冬舎文庫)より。

(中谷さんがインド旅行中に体験した、インドのカースト制の「なごり」についての文章)

【この国ではブラフマンに生まれついたがために僧侶の道を選ぶのが至極当然のように思われ、今では誰も使わなくなったサンスクリット語を頭が割れるような思いをして覚えなくてはならず、挙句の果てに少しでも感情的になれば、「僧侶のくせに」なんて、通りすがりの観光客にまで思われてしまうから気の毒だ。
 一方、不可触賎民に生まれれば、道端や汚物の清掃を余儀なくされるけれど、成績が優秀だった場合など、優先雇用制度も手伝って、ホワイトカラー職に就くことだって可能になった。そんなときは「不可触賎民のくせに」とこれまた疎まれることになるから大変だ。

(別項での、中谷さんとインド人の現地ガイド、シェカールさんとの会話)

「タミルナドゥーの州知事は女性なのを知っていますか?」
 男性優位のインドで女性が知事に?
「我々の州知事ジャヤラリタはかつて女優でしたが、同じくかつて俳優だった前任の州知事が亡くなると、そのガールフレンドだった彼女が、20年前のスクリーンでの人気と、社交界での人脈によってたちまち政界で力を持つようになりました。今では、タミルナドゥーの全ての大臣が彼女にかしづいています」
 ふーむ、女優が知事にねえ。少なくとも私は知事にはなりたくないし、望んだところでなれるはずもないが、そんな大変なお役目を請け負おうとする女優もいるとは……。今ではカーストの高低にかかわらず政治家になることができるようなので、女優でも政治家に転職することは可能なのだろう。
「私は、ブラフマンから数えて2番目のカーストですが、実は今度ひとつ位を下げようかと思っているんです。インドでは、カーストが低いほど、教育や医療のサポートがしっかりしています。大学受験や就職もそうです。高カーストの人間が、90点以上取らなければ入れないところに、不可触賎民の人々なら40点でも入れるような優待枠があるのです。良い成績でも入学や就職にあぶれる可能性があるのです」
 それは、不公平だとおっしゃるわけですね?
「正直に言うとそうです。私が子供たちに良い教育を受けさせようとすると、たくさんのお金が必要になりますが、今の仕事では11月から3月までの観光ハイシーズンにしか満足に稼ぐことができません。これで教育費を賄うことは不可能です。ですから、ひとつカーストを下げて、補助金を貰うことも検討しています」
 今は教育の機会がすべての子供に与えられているというけれど、就学年齢になっても道端で物乞いをしているのはなぜなのだろうか?
「親が子供たちを学校へ行かせないのです。学校は無料ですが、子供たちが物乞いをして1日に30ルピーでも稼いでくれたほうがいいと彼らは考えるのです。多くの貧しい子供たちは学校へ一度も行かないか、行ったとしても、途中で退学していきます。
 まるで「おしん」を見ているようである。】

参考リンク:カースト(Wikipedia)

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 インドでは、このヒンドゥー教の「カースト制」の影響が根強く残っており、それに対して、政府もさまざまな対策を立てているようなのですが、この中谷さんの文章を読んでみると、「平等」とか「公平」って、いったい何なのかな……と思えてきてしまいます。
 カースト上位の「社会的地位が高い人々」は、「医療や教育、就職などでは、低いカーストのほうが手厚い援助を受けている」ことに不公平感を抱いているようですし、その一方で、低いカーストの人たちは、目先のことを考えるのに目一杯で、その「援助」を有効利用できる人は、ごくひと握り。彼らの多くは、「教育を受けるメリット」をキチンと教えられることもないので、それを利用しようとも思わないのです。でも、上のカーストの人からみれば、「同じ就職試験で自分が80点で不可触賎民の受験者が50点だったとしても、採用されるのが50点のほう」だというのは、やはり、「不公平感」はありますよね。僕が同じ立場でも「こっちのほうが実力が上なのに!」と憤るはずです。「長い歴史的の『責任』を、どうして自分たちだけが取らなければならないのか?」と嘆きたくもなるでしょう。
 これを読みながら、「カーストを自分で好きなように下げることができるのなら、みんな経済的に有利な低カーストになりたがるのではないか?」などと日本人である僕は考えてしまったのですが、このシェカールさんがなかなかそれを実行できないのは、そういう「経済的なメリット」では埋められないような何かが、まだ、「カースト上位であること」に含まれているからなのかもしれません。
 本当は、「カースト制そのものをリセットする」ことができれば、それがいちばん良い「公平への近道」なのでしょうけど、現実は、連綿と続いている「伝統」というのは、そう簡単に消すことはできないのです。そして、もともと不公平なシステムの中で、なんとか「不公平」を無くそうというのは、結果的に、より一層それぞれの階層の人々の「不公平感」を複雑にしてしまう面もあるようです。 
 



2006年11月28日(火)
ゲーム制作者残酷物語(『G.O.D.』の場合)

「ユリイカ」2006年6月号(青土社)の「特集・任天堂/Nintendo〜遊びの哲学」より。

(鴻上尚史さんと八谷和彦さんの対談「僕らが任天堂に教わったこと」の一部です)

【八谷和彦:それで本題に入ると、今日はぜひ『G.O.D.』についてお話をうかがいたいと思っていたんです。

鴻上尚史:いきなりイタイところを突いてきますね(笑)。

八谷:と言いながらも、実は僕は『G.O.D.』はやっていないんですが。ただ、鴻上さんの『SPA!』の連載『ドンキホーテのピアス』でも、その大変さはよく書かれていたし、すごく気になっていたんです。
 あれは結局何年に出たんですか?

鴻上:あれを出したのは……スーファミ版が'96年で、プレステ版が'98年ですね。

八谷:制作期間もすごく長かったんですよね?

鴻上:5年ですよ! 最初にみんなが集まって「ゲーム出して、ひと山当てるぞ!」と大盛り上がりしたのが'91年で、当時は劇団も10年目くらいになって、お客さんも入ってくれるようになったけど、年間新作を2本作るのがしんどくて。ゲーム1本ヒットさせたら、3年くらい芝居やらなくてもいいんじゃないかと(笑)。それはいまも思ってるんですけれど。

八谷:一山当てるにしても、ゲーム制作って時間がかかりすぎるんですよね。

鴻上:本当にそう。その時間を考えると、簡単に「ひと山」なんて大間違いだった(笑)。その当時、若いプログラマーなんかとも話したんだけれども、RPG1本作るのに5年かかってしまうから、まず日本でRPGを作れるソフトハウスは10個以下になるだろうと。しかも5年に1本だから、スタッフだって25歳から40歳までの働き盛りの間にたった3本しか作れない。これでは経験も蓄積されないだろうし、ゲーム業界の将来を心配しましたよ。

八谷:その長い制作期間には、ずいぶんいろんなことがあったと思うのですが……。

鴻上:そう、結局僕らアイデア・サイドとプログラマー・サイドの間に、あるべき架け橋がなかったんですよね。それはいまも続く普遍的な問題なのかもしれない。だから、プログラマーさんが3日徹夜して作ったどんなに素晴らしいプログラムであっても、グラフィック=見た目がダメだったら、それはダメなんですよね……。

八谷:それはそうですね。

鴻上:そこで企画者の意図を、どう上手く翻訳して伝えるか、これができていない。この話をゲーム業界の人に言うとびっくりさせるんですけれども、4年半の間に6回くらい、容量変更があったんですよ。最初に考えていたのよりも、プログラム容量が10倍もオーバーしているとある日、突然言われ、それがやがて、5倍だと言われて、やがて3倍に、2倍になって、これなら行けるかと思ったら、また3倍になって……というのがあって、本当に「いい加減にしろ!」というようなことが何度もあった(笑)。堀井雄二さんが芝居を観に来てくれたときにその話をしたら絶句されてましたね(笑)。

八谷:でもきっと、熱狂の時代だったんでしょうね。

鴻上:そうですね。'80年代前半くらいに、NHKだったと思うんですが、「未来のクリエーターたち」みたいな番組があって、僕と堀井さんが呼ばれて、堀井さんがそこで「こんなの作ったんですよ」と披露していたのが『ポートピア連続殺人事件』だった。そして「いまこんなの作ってます」と見せられたのが『ドラクエ1』のデモ版で、ちょっとプレイしたんですよ。そこで「これは面白いですね。当たるといいですね」というような話をしたのをハッキリ覚えています。みんな「これから何が起こるんだろう?」って感じだったんでしょうね。

八谷:鴻上さんは『G.O.D.』で「もう懲りた」という感じですか? ゲームはもうお作りにならない?

鴻上:いや、懲りました(笑)。当時のめちゃくちゃなスケジュール……一番、激しい時は、夜10時から朝10時までゲーム制作の仕事して、仮眠をとって、昼の1時から夜の9時まで稽古して、この繰り返しを5年やって、やっと1本ですからね。RPGを1本も作ったことのないソフトハウスに発注して、1本も作ったことのないゲーム作家が乗り込んできたんですから、5年かかって当たり前なんですよ……後からいろんな人にいろんなことを言われました。

八谷:それで、売れてる期間はほんの1週間だったりするんですよね(笑)。】

参考リンク:『G.O.D.』(イマジニア)

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 僕は実際にこの『G.O.D.』というゲームで遊んだことはないのですが、このゲーム、思い返してみれば、監修・鴻上尚史、キャラデザイン・江川達也、音楽・デーモン小暮閣下という豪華メンバーが手がけており、制作発表時にはけっこう話題になっていたのですよね。結局、「そういえば、本当に発売されていたんだなあ……」というのが、今の率直な感想なのですけど。

 それにしても、ここで鴻上さんが語られている「ゲーム制作哀史」を読むと、僕たち「ファミコン世代」が華やかな職業として憧れた「ゲームをつくる仕事」というのは、けっして甘いものではないのだなあ、と痛感させられます。僕も中学生の頃は、友達と「ゲームを作って一攫千金!」なんて話していたものなのですが。
 RPGを作り慣れているメーカーであれば、この『G.O.D.』のように「制作期間5年」にはならないのかもしれませんけど、少なくとも1本のゲーム、とくに膨大なデータを必要とするRPGなどを作る場合には、数年間は必要だというのは間違いないでしょう。そして、「ゲームをつくる人」の「賞味期限」は、そんなに長くはない。シナリオライターやグラフィックを描く人はさておき、ハードには代替わりもありますし、時代によって主流となるゲーム機も替わってきますから、プログラマーの「全盛期」は、一般企業の社員と比べれば、けっして長くはないはずです。こんなふうに「5年に1本」だったら、たしかに、15年かけて3本、3年に1本だとしても15年間に5本しか作れないわけで、「人気ゲームのスタッフロールに名を連ねられる」というのは、ごく一部のゲーム制作者のみに与えられた「栄誉」なのです。
 八谷さんは、この対談のなかで、こんなことも仰っておられます。

【ゲームの人に話を聞くと2年3年は当たり前じゃないですか。人生で一番働ける時間を費やして、しかもリリースされないことまであるなんて……。】

 どんなに優秀なプログラマーであっても、ゲームデザインやグラフィックが悪ければそのゲームは売れないだろうし(逆に、ゲームデザインは素晴らしくても処理速度が遅かったり操作性に問題があって売れない可能性もあります)、制作したハードそのものが全然売れなかったり、新機種に切り替わってしまったりすれば、せっかく作ったゲームが「お蔵入り」なんてことも十分に考えられる世界ではあるのです。ゲーム制作会社そのものでさえ、倒産や統廃合を繰り返してきています。ゲーム制作者というのは、ある意味、オリンピック選手と同じくらい、あるいはそれ以上に「日頃の努力が報われるチャンスが少ない職業」なのかもしれません。最近、「監修」などの「アドバイザー的なもの」を別にすれば、昔ほど「有名人が手がけたゲーム」を見なくなったのは、こういう「ワリに合わないビジネス」であるというのが認知されたからなのかな。
 それでもやっぱり、「自分の手でゲームをつくってみたい!」という人は、これからもたくさん出てくるのでしょう。「ひと山」は、なかなか難しくても、昔みたいに「そんなわけのわからないものを作っている会社、いつ潰れるかわからないだろ!」なんて親から猛反対されることもないだろうし。



2006年11月27日(月)
「行列をつくるラーメン店」の舞台裏

「週刊ファミ通」(エンターブレイン)2006.12/8号のコラム『伊集院光接近につき、ゲーム警報発令中』(伊集院光・著)より。

【このあいだテレビのラーメン特番を観ていたら、ラーメン店の開業をプロデュースするプロと称するオヤジが、脱サラしてラーメン店を始めることにしたオヤジに、店舗の設計図を見ながらのダメ出し。「駄目だよ、こんなに座席を多くしたら、多少お客さんが入ったとしても空いてる感じがするし、行列もできないよ。座席はもう少し減らして入り口を広くする。そうすると外で待っている連中にもよく見えるし、臭いが行くでしょう」だとさ。何が言いたいかというと、「そろそろ”行列”=いい物、いいこと”という取り上げかたは終わりにしませんか?」って話。
 先日のプレイステーション3の発売のときもそうだったし、大人気ソフトが発売されるときはいつもそう。このさきWiiやWindows Vistaとかが発売されるときもきっとそうだろうけど、「○○がついに発売。家電量販店の前には長蛇の列ができました。大人気です!」みたいなニュースを必ず見かける。人気がなければ行列なんてできないだろうから、人気があるのは本当の話だろうけど、いまの世の中、工夫をすれば、行列なしで物を売ることなんてできるだろうに……。
 最初に書いたラーメン店よろしく、そういう現象を作り出してニュース番組で取り上げさせることで、それを見た本来その商品にまったく興味がなかった人にまで「すごいモノが出たらしいぞ」と思わせる。ここまで想定済みと思われる企業のやりかたに、マスコミがまんまと乗るのはどうなんだろう。中には「店頭で先着順に売ればこうなることはわかっているのに、近隣住民に迷惑をかけてまでお祭り騒ぎを演出するメーカーや店舗のやりかたに問題はないのでしょうか?」とか言う切り口だってあっていいと思う。まあ「テレビのスポンサーはどこ?」って考えれば絶対ないか。挙げ句の果てには、インターネットオークションで法外な値段で転売って……。
 ちなみに、プレイステーション3は10万台弱出荷したうちの約5000台がネットオークションに出品されていた。ニンテンドーDS Liteもいまだに店頭では品薄で、ネットでは転売の嵐だし……。どうにかならないのかね、人気ゲームの販売の現状は。】

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 この「ラーメン屋プロデューサーのオヤジの話」などを読んでいると、「わざわざ座席を減らして客を行列させるような店になんて、誰が行くか!本当に味に自信があるんなら、座席増やしたほうが儲かるはずだろ?」と憤ってしまうのですけど、「行列」には、たしかにある種の宣伝効果があるのも事実なんですよね。
 例えば、初めて行くデパートのレストラン街で、1件だけ大行列の店があって、残りの10件は閑散として店主が頬杖ついてタバコとか吸っていたとします。もしそのレストラン街の店について全く予備知識が無かったとしても、「行列している店がものすごくおいしい」のか、「それ以外の店がよっぽどひどい」かのどちらかだと、ほとんどの人が想像してしまうはずです。「行列のできる法律相談所」なんていう人気テレビ番組があるように、「行列」というのは、ある種の「信頼」だというふうに考えられてもいるわけです。
 それにしても、伊集院さんも書かれているように、現代の日本では、「発売日に朝早くから(あるいは、前日の夜から!)行列しなくてもすむような方法」というのは、いくらでもあるはずです。例えば、コンサートのチケットのように電話予約にして、予約番号を店頭で言えば引き取り可能にすることだってできるでしょうし、最初から予約のみの受付にしてしまうことだってできるでしょう。むしろ、発売時の混乱を避けるために、そうしている店のほうが多いはずです。
 でも、世間的に大きく「報道」されるのは、ごく一部の「発売日に大量に店頭販売をする店」のほうで、結局、量販店側にとっても宣伝になるために、「行列販売」は、「ドラゴンクエスト3」の時代から、ずっと続いてきているのです。たぶん、メーカー側も販売店側も、これを「改善」しようという意思そのものが、今のところはないのでしょうね。

 しかしながら、その一方で、買う側としても「行列してまで買う喜び」というのがあるのも事実。今回の「プレイステーション3」なんて、少なくとも今の段階では、「ハードを買っても、遊びたいゲームがない」という人がほとんどにもかかわらず、「とりあえずハードだけ買う」ために大行列する人があれだけいるのは、ちょっと信じがたい気もするのですけど。
 そういえば、僕が以前、仕事でディズニーランドの近くに行ったとき、平日にディズニーランドで遊べる機会があったのですけど、夏休みなどの長期休暇中でも週末・祝日でもないディズニーランドは、閑散とはしていないまでも人が少なく、あらゆるアトラクションに30分以内、大部分は待ち時間無しで乗ることができたのです。
 でも、あっという間に人気アトラクションを「制覇」した僕は、「なんかちょっと物足りないなあ……」と感じたのですよね。日頃、「目的の店に行列ができているだけでUターンしてしまうくらいの行列嫌い」なのに。
 たぶん、「行列」することそのものが、ひとつのイベントであり、そうやって何かを手に入れるというプロセスが大事だったりするんですよね、行列する人たちにとっては。考えてみれば、本当に「手に入れたい」だけだったら、早い時期にちょっと田舎の電器屋や玩具屋を回って予約できる店を探したほうが買える可能性ははるかに高いはずなのに、多くの人が、わざわざ「売る側の計画通り」に行列するのだから。
 どんな人気ゲーム機でも、いずれは、行列しなくても買える時期がやってきます。売るほうだって「商売」ですから、いつまでもビジネスチャンスを放置しておくわけもなく。

 伊集院さんはこんなふうに書かれているし、僕もその「行列なんて必要ないだろ!」という意見には賛成なのですが、もし僕に仕事がなくて、あんなふうに「プレステ3の発売日に朝から行列できる状況」にあったとしたら、1回くらいはあんなふうに行列して何かを手に入れてみたいな、という気持ちもあるんですよね。本当は「行列していられるヒマなやつらが恨めしい……」という妬みも少しはあるのです。あれも一種の「夜のピクニック」だよなあ。
 まあ、僕が行列できるくらいヒマだったときには、あんな高いゲーム機を買うためのお金が無かったわけで、いずれにしてもテレビの前で悪態をつくことしかできなかったのかもしれませんが。



2006年11月25日(土)
「偉い人の前で緊張しないためには、どうすればいいのでしょうか?」

『プレイボーイの人生相談―1966‐2006』(集英社)より。

(『週刊プレイボーイ』40年間の「人生相談」のコーナーをまとめたものです。柴田錬三郎さんの項から)

【質問者:先生にぜひ教えてほしいことがあります。ぼくは大学を卒業して、現在の会社に入って6年経ちます。この6年間、処世術のうまい同期の友人の何人かは、ぼくより一足先に出世して係長になっている。だが、ぼくはまじめに努力することでは他人に負けないが、上司にうまくお世辞がいえないので、出世が遅れています。この分では将来もまっ暗です。自分を殺し、うまく上司にとりいるにはどうしたらいいのでしょうか。

柴田(以降「」内は、柴田さんの言葉です)
「6年も経ってだよ、まだそんなことに迷って、教えてくれというのは、よっぽど性格的にダメなやつだな。だから、現在の地位で満足する以外にないね」

――でも、だから悩んでいるわけで……。

「いや、こういう性格の男は一生涯そうなんだ。こういう男は社長や専務の前に出ると、コチコチになるに決まっているんだ。
 ただねぇ、そういうときに考え方をちょっと変えれば、完全には変らないまでも、変えられる方法というのは、あることはある。

――はい。

「つまり、社長や専務の前に出たら、どうせこいつらも自分と同じことをやってる人間だと思えばいいのさ。
 あのねぇ、幕末から明治初年にかけて米沢藩士で雲井龍雄という武士がおったんだ。
 彼はね、30歳ぐらいで殺されたが、17歳ぐらいのとき江戸に出て、幕末の老中の前で、滔々と自分の意見を述べたり、すごいバイタリティを示していた。それと同時に勉強もしていたわけなんだが、たいへん勇気があった。
 17歳ぐらいのガキが、ときの高官を前に、天下国家を論じるなんてまねは、なかなかできるもんじゃないからね。
 周囲の者が、すっかり驚いて雲井龍雄に『お主じゃ、どうしてそんなに勇気と才能があるんだ』と聞いた。
 すると彼は『そんなものは何もない、ただ、あいつらだってやっていることは、自分と同じだ。便所でしゃがんでクソをたれている格好とか、夜這いをして女の上に乗っかっている格好を思い浮かべてやる。すると、老中もつまらねえ男にしか見えないだろう』といったというんだよ」

――うまい方法ですね。

「そうだろう。これが雲井龍雄の処世哲学だったんだね。
 この君もだね。社長の前に出たら、社長が愛人の上に乗っかっているサマを想像するんだよ。そうすればコチコチにならんし、社長も大した野郎じゃない男に見えてくる。
 つまり自分を鍛えるには、精神的に高邁なトレーニングは必要ないのさ。禅を3年間やるよりも、俗っぽいところから鍛えていくのが大切なんだねえ。ウン」】

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参考リンク:明治維新の志士・雲井龍雄

 「人前、とくに偉い人の前で緊張しないためには、どうすればいいのか?」
 ここで柴田さんが仰っておられる「雲井龍雄の処世術」を読んで、僕も、なるほどなあ、と感心してしまいました。いや、この手の話は何度か聞いたことがありそうなのですけれど、「相手も自分と同じ人間なんだから、緊張なんてする必要ないよ」という一般的な「アドバイス」って、いまひとつ実感できませんよね。そう考えられるんだったら、もうやってるよ!と言いたくなります。でも、こも「便所でしゃがんでクソをたれている格好とか、夜這いをして女の上に乗っかっている格好を思い浮かべてやる」というのは、具体的で、やや下品であるがゆえに、ものすごく実行しやすい方法なのではないでしょうか。逆に、「お前は、何ニヤニヤしてるんだ!」とか言われるかもしれませんけど。
 僕も人前、とくに偉い人の前だとすごく緊張してしまって、「もっと精神を鍛えて、何事にも動じないようにしなければ」と考えがちなのですが、実際のところ、何年も「修行」をしなくても、「相手のすごいところではなくて、自分と同じところを具体的に意識するようにする」だけでも、かなりの効果がありそうです。もちろん、精神的なトレーニングが無意味ってわけじゃありませんが、ちょっとしたコツを掴むだけでもかなり自分を変えることもできそうです。

 まあ、その一方で、実際に偉い人の前に出たときに、そういう「恥ずかしい姿」を想像できるくらいの心の余裕を持つことそのものが、けっこう難しいとも言えるんですけどね。それができるような人は、もともとそんなに緊張しない人なのかもしれません。

 ちなみに、雲井龍雄さんは、明治新政府への謀反を疑われ、27歳の若さで刑死されました。「緊張しない男」の「勇気と才能に溢れた人生」というのも、けっしてラクなものではないようです。



2006年11月23日(木)
ネット上の「みんなの意見」は正しいのか?

「週刊アスキー・2006.10/24号」の連載コラム「仮想報道 Vol.454〜『みんなの意見は案外正しい』というのはほんとうか?」(歌田明弘・著)より。

【ネットの役割が大きくなればなるほど、みんなの意見が正しいかどうかが重要になってくる。ショッピングサイト内などでは、利用者の感想を見て購入することが多くなってきたし、政治や経済の話もブログの意見を参考にしたりする。あるいは『教えて!goo』やカカクコム、メーカーサイトのフォーラムなどでは、利用者どうしが教えあう。
 金融関係のコラムニストのスロウィッキーが書いた『「みんなの意見」は案外正しい』の邦訳の帯には、梅田望夫さんの話題の本『ウェブ進化論』の一節が引用されている。「『次の10年』は『群集の叡知』というスロウィッキー仮説を巡ってネット上での試行錯誤が活発に行われる時代と言ってもいい」。たしかにネットは、「みんなの意見は案外正しい」かどうかの一大実験場と言える。この問題は、ネットの根幹にかかわる重大な問いになってきたし、今後ますますそうなっていくだろう。
 スロウィッキーの本では、見本市にやってきた雑多な人々が予測した牛の体重は、平均するときわめて正確だった、といった話に始まって、少数の専門家などよりも”みんな”が正しかった例がこれでもかとばかりに並び、次のように主張している。
「正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている。優れた集団であるためには特別に優秀な個人がリーダーである必要はない。集団のメンバーの大半があまりものを知らなくても合理的でなくても、集団として賢い判断を下せる」
 こうした主張は、少し前にこの欄で取り上げた企業の人事問題にも、おもしろい視点を投げかける。スロウィッキー仮説にしたがえば、有能でないと見なした人々を早期退職に追いやったり非正社員化するのは間違い、ということになる。「優秀な意思決定者とそれほど優秀ではない意思決定者が混在している集団のほうが、優秀な意思決定者だけからなる集団よりもかならずと言っていいくらい、よい結果を出している」からだ。
 こうした理屈からすると、映画『釣りバカ日誌』で、西田敏行扮する釣りしか能力のないダメ社員をかばい続ける社長は、社員の多様性を維持するための合理的な行動をとっている、ということになるかもしれない。
 エリート集団や専門家集団がなぜ間違いをおかすかというと、特定の分野について優れているに過ぎないにもかかわらず、他の分野についても過信しがちだからだとスロウィッキーは言う。さらに均質な集団は、多様な集団よりまとまっており、まとまっている分だけメンバーに対する圧力が強い。外部の意見や異論を排除し、自分たちは絶対正しいという幻想を持ちがちだ。そのことが間違いを引き起こすとのことだ。
 均質で、成員に対する圧力が強いと間違えるということならば、均質社会といわれる日本は間違える可能性が高い、ということになってくる。

『ウェブ進化論』でも、スロウィッキーの仮説を紹介しながら、ネット百科の『ウィキペディア』や『ミクシィ』、ソーシャルブックマークなど”群集の叡知”を集めたサイトをあげている。スロウィッキーも、”みんな”が張ったリンクによって、検索精度を高めたグーグルの例などをあげているし、ネットについても「みんなの意見は案外正しい」と言いたいようだ。ところが、この本の主張とネットの発展方向をあわせて考えてみると、まったく正反対の結論が導き出されるように思われる。
 スロウィッキーは、「みんなの意見は案外正しい」例をたくさんあげているが、やろうと思えば、みんなの意見が正しくなかった例も、同じぐらい並べることができるはずだ。重要なのは、どういう条件であれば「みんなの意見は案外正しい」のかをはっきりさせることだろう。
「みんなの意見は案外正しい」例に比べればかなりあっさりとではあるが、スロウィッキーはその条件にうちても触れてはいる。集団が賢くなるためには、多様性、独立性、分散性の3つが維持されていることが必要だと述べている。多様な人がいる分散的なインターネットは、まさにこの条件を満たしているように見える。しかし、インターネットの進化はすさまじい。いまのインターネットはこの条件からどんどんはずれていっているのではないか。
 というのは、インターネットの世界はどんどん狭くなっているからだ。もちろんネットの世界は量的にはすさまじい勢いで拡大している。にもかかわらず、インターネットは狭くなっている。必要な情報や人にただちにアクセスし、濃密なコミュニケーションを維持することが可能になってきた。SNSやメッセンジャー、あるいは携帯電話などを使って四六時中ほかの人と接していることができるし、まずます便利になり精度を高めている検索を使えば、必要な情報を以前に比べて格段に容易に探し出せる。また、はてなやテクノラティなどを使えば、同じことに関心を持っている人を見つけ出すことも容易になってきた。こうしたサイトを使って、関心の同じ人と容易に親しくなることができる一方で、また逆に、たたくべき相手を見つけてその情報を収集し、攻撃をしかけることもできる。

(中略)

 スロウィッキーはこう書いている。「メンバー同士がコミュニケーションを図り、お互いから学ぶことで集団の利益になる場合もあるが、過度に密接なコミュニケーションは逆に集団の賢明さを損なう」。
 この論理にしたがえば、検索精度がよくなり、コミュニティー機能が高まれば高まるほど、ネットの意見は総じて賢明ではなくなっていくことになる。】

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 先日、「口コミマーケティング」目的で企業からお金をもらっていた(そして、お金をもらっていることは閲覧者には知らされていなかった)女子大生のブログがNHKに取り上げられて「炎上」してしまいました。しかしながら、この事件、考えようによっては、日本でも、そういう「ネットでの口コミ」にお金を出そうという企業が出てくるくらいの影響力が出てきている、ということも示しています。僕自身も、次に観に行く映画を決めるときや、気になった本を買うかどうか悩んだときなどには、映画の感想がたくさん投稿されているサイトとか、Amazonの「ユーザーレビュー」などを参考にしています。誰か個人の意見に大きく揺り動かされることはないとしても、例えば、10人中8人くらいのユーザーが褒めていれば、「まあ、そんなに外れることはないだろう」というような、だいたいの傾向は掴めるのではないか、と思いますし。
 でも、この歌田さんによるスロウィッキーの仮説の解釈を読んでみると、そういう「みんなの意見」というのも、100%鵜呑みにはできないのだな、という気がしてきます。「集団が賢くなるためには、多様性、独立性、分散性の3つが維持されていることが必要」なのだというのはよくわかるのですが、その一方で、その3つがキチンと維持されている集団というのは、ものすごく希少なのではないでしょうか。ネット上で集められた映画のレビューであれば、それを書いている人は映画ファンが多いでしょうから、「一般受けするわかりやすい映画」よりも「多少難解でも、斬新な通好みの映画」のほうが評価されやすいような印象がありますし。そもそも、ネット上の「傾向」は、「インターネットに繋げる環境にある人」に対象が限定されてしまうという面もあるのです。もちろん、ひとつの学校とか会社とかいうような集団よりははるかに「多様性、独立性、分散性」は持っていると思われますが、それでも、「完全ではない」のですよね。それに、最近ではネット上でもヘタなことを言うと袋叩きにあってしまいますから、「多様な価値観のひとつ」でも、表に出るまえに「自粛」されている場合も少なくないはずです。まあ、そういうのは、「現実世界では日常的に起こっていること」でしかないとしても。

 たしかに、これだけネットが「一般化」してきて、その影響力も増してきているにもかかわらず、ネット上での『群集の叡知』がどんどん進化しているのかと問われたら、あんまりそんな気はしませんよね。
 結局は、「絶対に正しい意見」なんてネット上には存在しなくて、「どの意見を信じるのか?」という、個々の受け手の「選球眼」のほうが、より重要なのかもしれません。

 ただ、「正しさ」と「みんながそれに納得し、従うことができる」というのは、また別だったりするんだよなあ……



2006年11月22日(水)
「日本でもっとも長い駅名」の系譜

「場がド〜ンと盛り上がる、話のネタ・雑学の本」(日本雑学研究会編・幻冬舎文庫)より。

(「わが国の最短駅名と最長駅名とは?」という項から)

【日本の駅名の中でもっとも短いのはJR紀勢本線・近鉄名古屋線の「津」駅。漢字で書いても、ひらがなで書いても1文字である。ただしローマ字(ヘボン式)で表記すると、「TSU」と3文字になってしまうので、2文字の「AO」(JR加古川線の粟生駅)、「II」(JR山陰本線の飯井駅)などに抜かれてしまう。
 では最も長い駅名は、どこの駅だろう。昭和60年(1985)に開通した鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線に「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」という駅があり、平成2年に開業したとき、それが日本一長い駅名であった。平成4年、南阿蘇鉄道に「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅が開業した。かな書きでは両駅とも同じ22文字だが、漢字まじりでは前者の駅が1文字少ないため、後者がトップに立つことになった。南阿蘇鉄道ではトップを目指して、そうした長い名前を付けたのだが、やがてトップの座を譲ることになる。
 島根県の出雲市と松江市を結んでいる一畑電鉄の「古江」駅が、平成13年に「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」という名に改められた。「C」は「シー」と読むので、かな書きでは23文字、また「・」も1文字に数えれば漢字まじりでは18文字になり、「南阿蘇水の生まれる里白水高原」を上回る。現在、この「ルイス」駅が日本一長い駅名のチャンピオンである。】

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 「もっとも短い駅名」のほうは、言われてみればなるほどなあ、という結果なのですが、「もっとも長い駅名」のほうは、「かなりムリしてるなあ……」と思わずにはいられません。「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」というのは、なんとなく「許容範囲」のような気がするのですが、「南阿蘇水の生まれる里白水高原」の「水の生まれる里」って、明らかに、地名の一部ではなくて「修飾語」ですよね。プロレスラーやボクサーのリングネームじゃあるまいし。もちろん名前を付けたほうもそんなことは百も承知で、「日本一長い駅名狙い」で、こんな駅名にしたんでしょうけど。そして、その記録を更新した「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」というのもかなり無理矢理感に満ち溢れています。いやまあ、それが美術館の「正式名称」なのかもしれませんが、地元の人は誰もそんな長ったらしい名前では呼ばずに「ルイス美術館」とかいうふうに省略して呼んでいると思われます。そもそも「古江」から、わざわざ改名する必要があったのかも疑問です。
 しかしながら、これらの「日本でもっとも長い駅名」の系譜をみていくと、これらの駅名って、いずれも地方の小さな鉄道の駅なんですよね(ちなみに、JRの「最長駅名」は、JR東日本の「上越国際スキー場前」で、ほとんど「引き伸ばし感」はありません)。こんな不便そうな駅名というのも、小さな鉄道会社からすれば、「自分の鉄道に『日本一の駅』が!」という「誇り」につながるのかもしれませんし、営業的には、多少なりとも鉄道マニアへのアピールに利用できる面もあるでしょう。利用者にとっては煩わしいばかりなのでしょうが、この「長い駅名競争」というのは、地方の小さな鉄道の「意地」と「苦境」が窺えるような話ではあるのです。
 



2006年11月21日(火)
水中写真家・中村征夫さんの「いい写真、自分らしい写真をとるテクニック」

「週刊アスキー・2006.11/21号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。

(水中写真家・中村征夫さんと進藤さんとの対談の一部です)

【進藤晶子:そうそう、最近は必ずみんなカメラを持っていますよね。携帯にもついてますし。そこで、いい写真、自分らしい写真をとるテクニック、心構えを教えていただけますか?

中村征夫:よく、感性やセンスを磨きなさいとか写真の先生は言うけど、具体的にはなにをすればいいか、わかりませんよね。僕はね、まず自分の本当に好きな、愛するカメラを手にすることが第一だと思うんです。このコ、かわいくてしょうがないっていうようなカメラを手に入れて、それをかわいいかわいいって、いつも持ち歩く。そして今日は曇ってるから、悲しみ、さびしさというテーマを探してみようかなと思って周りを見てみたら、いろいろなものが見えてくるはずです。ふだんは気づかないものが。たとえば、恋人たちがベンチで会話もしないで、ちょっとそっぽ向いた瞬間にパチッと撮れば。

進藤:おぉ〜、なるほど!

中村:それが悲しいテーマの写真になる。逆に今日は晴れたから幸せなテーマでいこうと思えば、ちょっと花が二輪くっついてたら、パチッと撮ればいい。そうやっていろんなものが見えてくることが、センスにもつながると思うんですね。常に好きなカメラを持ち歩いて、なにかないかなーって見ていれば、なにかが飛び込んでくるものなんですよ。

進藤:なるほど!

中村:それを、撮っちゃえばいい。その瞬間がすごいものなら、ボケボケでもニュース写真になります。

進藤:そうですか?

中村:そうですよ! だってロバート・キャパにだって”ちょっとピンボケ”って写真集があるんだよ(笑)。

進藤:そりゃ、キャパだから(笑)。

中村:でも、それが世界に一枚しかない写真だったら、ダイヘンな瞬間だったらどうするんですか。

進藤:そうですね。中村さんはそういう瞬間に立ち会ったことは?

中村:いままでに? ない(笑)。

進藤:(笑)

中村:いや、でも今日の帰り道にあるかもしれない。チャンスっていうのは偶然でもなんでもなく、自分で引き寄せるものなんだと思うんだよ。そういうスゴイ瞬間を撮れるシャッターチャンスっていうのは、自分でなんとなく予感があるものだと思うから。だって、カメラをまず持ち歩いていること、そしてただ、そこに居合わせること自体がチャンスw自分で引き寄せたことになるんだから。

進藤:まずそれがスクープを手に入れる条件のひとつ。

中村:それから、カメラをそのときに手に持っていること。カバンやケースに入れていたら、間に合わない。

進藤:なるほど、それがステップ2。

中村:なにかないかなと思って、構えているところにフッと現われるから、撮れるんだよね。

進藤:スイッチ入れている間に、通り過ぎちゃうかもしれませんものね。

中村:だからこそいちばんいいカメラは”写ルンです”とか、レンズ付カメラ。巻き上げておけばその場で写せる、あんないいカメラはないよ。

進藤:うーむ、そういう心構えがセンス、感性につながるんですね!

中村:そういうこと(笑)!】

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 水中写真家、中村征夫さんが語る「いい写真、自分らしい写真をとるテクニック」。この話を読んでいると、「感性やセンスを磨く」なんて理屈を並べるよりも、まず、常にシャッターチャンスを狙ってカメラを構えることこそが大事なのだ」と中村さんは考えておられようです。そして、「道具への愛情」というのも重要なのだな、と。確かに、写真家はカメラを大事にするし、野球選手はバットやグローブを大事にする人が多いのですよね。逆に、自分の道具に愛情を持てないような仕事というのは、「自分に向いていない」のかもしれません。
 拡大解釈なのですが、僕はこれを読みながら、「どうして夫婦仲がうまくいかなくなるのか?」という質問に対して、失ってしまった愛情を修復するよりも、スタートの時点で「本当に好きな、愛するパートナーを選ぶことが第一」なのかな、とか考えてしまったのですけど。
 それにしても、現代ほど多くの人が日常的に「カメラ」を持ち歩いている時代はないと思います。あの「携帯電話のカメラ機能」も含めると、日本人の大多数が、「潜在的カメラマン」なんですよね。でも、そんなにカメラが身近なものであるにもかかわらず、「いい写真」というのはなかなか撮れないものです。自分で写真を撮ったあと、あらためて見直すと「手ブレしてるな…」とか「面白味がない、平板な構図だな…」とかガッカリしてしまうのですが、この中村さんの話によると、「何を撮るのかというテーマも決めずに、漠然と『いい写真』を撮ろうとしても難しい」ということがよくわかりました。
 それにしても、「良い写真」を撮るのって、技術だけじゃなくって、ある種の「積極性」が必要だよなあ、といつも思います。この人を撮ってもいいのかなあ、とか、ここで写真とったら田舎モノみたいだなあ(というか、本当に田舎モノなんですが)、とか考え込んでいるうちにシャッターチャンスを逃してしまうことが、けっこう多いんですよね。



2006年11月20日(月)
「人間って、実際は心の問題がすべてに近いと思うんですよ」

『ダ・ヴィンチ』2006年12月号(メディアファクトリー)の特集記事「ほぼ日刊イトイ新聞の謎。」のなかの「糸井重里ほぼ1万字インタビュー”教えて!糸井さん―「ほぼ日」ってなあに?”」より(取材・文は岡田芳枝さん)。

【インタビュアー:一軒屋だった通称・鼠穴からはじまって、現在は表参道の一等地のビルに「ほぼ日」の事務所はあるわけですが、とてもきれいですよね。とくに、トイレが。

糸井重里:トイレって、排泄物は汚いもの、汚いものを捨てる場所、だからこんなもんでいいや、というのが合理的な考えですよね。そこに関わっている時間というのはすごく短いし。でもね、野外フェスだって、トイレがきれいになったから行くようになった人もいるわけです。トイレをきれいにするということは一見ムダなことのようだけど、じつはムダじゃないんです。そういうふうに、ムダなことがとても大事なんだとぼくは思うんですよ。
 たとえば、文学はムダだと言う人がいる。でも、文学のなかにしか、人間がこういうときにはどういうふうにものを考えるんだろうというような心のことを書いてあるものがないんですよ。政治も経済もそれを応用して「人間ってこういうもんだよ」って大雑把に捉えて、「100円と1円があれば、人は100円のほうへいくもんだ」と考えている。でも、人が1円のほうへいくことは、よくあることです。そういうことについての先人の知恵の集積が文学であるとぼくは思うんですね。
 人間って、実際は心の問題がすべてに近いと思うんですよ。誰かに会いたいと思ってはじめて電車に乗るために時刻表を見る、みたいな。心がほとんどを決めている。そうして心について少しでも考えようとすると、いままで人がムダだと言ってきたことを、考えざるをえないんですよね。
「ほぼ日」の根っこにあるものは、消費とか休みとかムダとか、いままでの大量生産。大量消費の社会がやってこなかったことにこそ魅力がある、ということなんです。昔はしょうがなく食べていたおばあちゃんの芋の煮っころがしだけど、いまでは冷凍食品にすらなっている。でも、その冷凍食品のおいしさよりも、もっとばらつきのあるおいしさがあるはずと考えるのが、いまという時代じゃないのかな。ばらつきもあるし、当然はずれもある。でも、こっちにこそぼくらの求めていることがあるんです。ちょっとシンボリックに言うと、恋人の選び方かな。大量生産・大量消費の時代の、最高の美女たちがだーんっと並んでも、何の意味もない。隣に自分のことを好きだと言ってくれている、まあ見ようによってはかわいく見える子がいてくれることが、いちばん大事なんですよ。】

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 「ほぼ日刊イトイ新聞」についての糸井重里さんへのインタビュー記事の一部です。非常に面白い記事なので、興味がある方は、ぜひ原文を読んでみてください。
 ここで糸井さんが語られている「ムダなことが本当は大事なんだ」というお話、読んでいて、なるほどなあ、と思いました。とくに女性は、「あそこはトイレが汚いから行きたくない」と言うことが多くて、僕は内心「花火に行くのであって、トイレに行くわけないのに」とか「トイレの汚さなんて、ほんの数分間のガマンじゃないか」とか呆れ果てていたりもするのです。でも、「他にどんな面白いことがあったとしても、トイレが汚いところには行きたくない」と感じる人がいるというのは厳然たる事実なんですよね。そして、「トイレが汚いところには行きたくない人」を理屈で説得するのは、とても難しい。

 そして、この糸井さんの言葉のなかで僕がいちばん印象に残ったのは、「小説なんて読んで、何の役に立つのか?」という問いに対する糸井さんの「答え」でした。
【でも、文学のなかにしか、人間がこういうときにはどういうふうにものを考えるんだろうというような心のことを書いてあるものがないんですよ。】
 まあ、これは「文学」に限定しなくても、「文学的なもの」つまり、マンガとか映画、テレビドラマなども含んでいるのだと思いますが、確かに、そういう実用的ではない「文学」のなかにしか、人間の「計算式では推し量れないような感情の流れ」というのは含まれていないのです。ネット上での議論を見ていて僕がいつも感じている「この人の意見は理屈としては正しいのに、なんで素直に頷けないのだろう?」というような疑問に対する「答え」は、たぶん、経済学の教科書には書いてありません。そして、人というのは、「自分でも説明がつかない感情に押し流されて」しまったり、「どう考えても計算上は損をしてしまうこと」を自らやってしまったりする存在なんですよね。いまのところ、その理由をうまく「言葉」というかたちにして僕たちに教えてくれるのは、「文学的なもの」の蓄積しかないのです。友人・知人の経験談の積み重ねでは、あまりに効率が悪すぎますし。

 僕自身は、いわゆる「スローフード」や「隣にいてくれる見ようによってかわいく見える子」を大事に感じる心というのも、ひとつの「流行」でしかないのかな、という気もするんですけどね。そして、そういう「心の流行」を掴んでいるからこそ(あるいは、その「流行」をリードしているからこそ)、イトイ新聞は(経営的にも)うまくいっているのでしょう。



2006年11月17日(金)
あなたの名前には、「人名に使うべきではない漢字」が使われている!

『歴史の活力』(宮城谷昌光著・文春文庫)より。

【人名でも社名でも、あらたに命名するとなれば、やはりそれなりの注意をはらうべきであろう。
 漢字をもちいるのなら、字づらよりも字の正しい原義をふまえて名づけたいものだ。漢字とは外国の文字であったことをついつい忘れがちになる。たとえば三井や三菱などは、三という数字を社名にもっている。
「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」(『老子』)
 といって、三は無限大をあらわす数字なのである。『淮南子』にも、「物は三を以て成る」とあるから、この数字はそうとう吉い。
 奇数が陽、偶数が陰なので、事業にのりだす者がえらばねばならぬ数字は当然奇数である。
 あるいは、東西南北のどれかを社名にいれる場合は、社主がもっている徳を五行にあてはめてみたり、職種とのかねあいもあろうが、ふつう実りと収穫をあらわす西がよい。中国では周の武王も秦の始皇帝も漢の高祖(劉邦)も、すべて西方にいて天下をとることになった。
 人名についていえば、名としてもちいてはならないものが『春秋左氏伝』に列挙されている。それらは、

・国名
・山川名
・病名
・六畜名(牛・馬・羊・鶏・犬・豚)
・器物・玉帛(ぎょくはく)名

 である。山でとれる宝石を玉といって、海でとれる珠(しゅ)とは正確にはちがう。帛(はく)とは白のねり絹のことである。それらは病名をのぞいてすべて祭礼に関係があったからである。
 日本人は「美」の字をむやみやたらに女の子の名につけたがるが、この字は「羊」と「大」とが組み合わさってできたものである。大きい羊とは、神へのいけにえにふさわしく、たしかに清らかな羊ではあるにはちがいないが、やはり六畜名に入るとおもったほうがよい。注意を喚起しておきたい。】

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 ちなみに、「三」がついている「三井」は、「越後屋」を開いた三井高利という開祖の苗字からとられており、「三菱」のほうは、創業当時の幹部3人に「川」がついていたことから、「三川商会」という社名になり、それが、岩崎彌太郎の独裁体制になったときに、社名を船旗の三つの菱形にちなんで「三菱商会」と改称したそうです。「三菱」のほうは故事にちなんで縁起をかついで「三」をつけたのか、「三」がなんとなく座りがいい数字だったからなのか、それとも、単なる偶然だったのかは、調べてみたけどよくわかりませんでした。でも、長嶋茂雄選手の「背番号3」のおかげもあってか、今の日本人にとっても、「三」というのは非常に好まれる数字みたいです。

 最近はけっこうオリジナリティがあるというか、奇抜な名前の子どもが多いようなのですが、子どもの名前をつけるとき、字画にこだわりを持っている人は多くても、こういう「漢字の語源」についてまで考えている人というのは、ほとんどいないのではないでしょうか。僕もこのような「人名として用いてはならない漢字」があるというのははじめて知りました。
「悪魔」なんていうのはさすがに「常識としてありえない名前」だと思いますし、ここに挙げられているものの中でも、「病名」なんていうのはさすがに使おうという人はほとんどいないでしょうが、実は、ごく当たり前のように使われている漢字にも、「望ましくないもの」が含まれているようなのです。
 あれだけたくさんの人に使われていて、「やっぱり、親心としては『美しく』育ってほしいよね」と誰もが頷くはずの「美」という字も、あらためて「あの字は生贄の羊のことなのだ」と言われると、なんだかちょっと「イヤな感じ」ではありますよね。まあ、「知らなければ気になることもない話」なんでしょうけど。
 



2006年11月16日(木)
「エンターテインメント後進国」の「橋を渡れなくなった男」

「CONTINUE Vol.30」(太田出版)のインタビュー記事『電池以下』(吉田豪・文、特別ゲスト・掟ポルシェ)の「第31回・カイヤの巻」より。

(吉田豪さん、掟ポルシェさん、カイヤさんの対談記事の一部です)

【吉田豪:カイヤさんは毒舌キャラだと思われてますけど、実像は全然違うみたいですね。

カイヤ:私が芸能界へ入る前にそうなっちゃったから、急に「嘘でした」ってテレビで言えないし、それからは演技しなくちゃいけない。テレビ出たら演技しないとつまんないから。エンターテインメントは大事だと思います。でも日本人、そのギャップわかんない人は可哀相ね。だって、道を歩いてても「あなたの旦那、もっと大事にしなさいよ!」「テレビで見たわよ、あなた、旦那の物を捨ててるでしょ!」って始まって。「それ、テレビですよ」って言っても全然わかんない。全部信じてるからね。

吉田:もしかしてアメリカだとそういうことはないんですかね。たとえば向こうのプロレスはエンターテインメントだと理解されてますけど、日本ではずっとシュートファイトだと思われてきたし、テレビに関しても日本人は本気にしがちなのかなって。

カイヤ:全部本当と思ってるね、どうしてだろう? 私がプロレスリング始めたときも「大変!」「やめたほうがいいよ!」とか。

掟ポルシェ:「殺されちゃうよ」みたいな(笑)。

カイヤ:そうそう(笑)。テレビもそうだけど、全部信じてるわけね。わかんないのね、エンターテインメントっていうことが。他の国はどこでもわかると思いますけど。テレビ出てそういうことをするのは、エンターテインメントの仕事をしてるだけで。

吉田:特にアメリカはエンターテインメントの国ですからね。実はこの人(掟)もテレビに出たことで誤解されてるんですよ。

カイヤ:あ、ホント? どういうの?

掟:いままではライブの合間にちょっと面白い話をする程度のミュージシャンだったんです。そしたら面白い話の部分ばかりがクローズアップされてて、テレビで全国の川をフンドシ一丁で泳いで渡る「男は橋を使わない」って企画をやったら、どこに行っても「今日は川を泳いで来たのか?」って言われて。普段ちょっと橋を渡ったり、普通に歩いてると文句を言われるんですよ。

カイヤ:大変ねえ(笑)。】

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 【テレビもそうだけど、全部信じてるわけね。わかんないのね、エンターテインメントっていうことが。他の国はどこでもわかると思いますけど。テレビ出てそういうことをするのは、エンターテインメントの仕事をしてるだけで。】なんていうカイヤさんの発言は、なんだかいかにも「アメリカが世界標準!」みたいなアメリカ人的発想で、僕はちょっと嫌な感じはしたのですけど、確かに、テレビでやってることを全部「真実」だと思われたら、タレントというのは辛いですよね。ドラマで主人公を苛める役だった女優さんが、日常生活でも「酷い人」だと近所から思い込まれてしまったりすることもあるみたいですし。
 そりゃ、掟さんだって、橋に出くわすたびに泳いでいたら、身がもちません。

 しかしながら、ここでのカイヤさんの発言に対して、僕は正直「空気読めよ……」と感じてしまいました。いや、誰もカイヤさんに対してプロのレスラーたちが本気で闘うなんて思ってはいないのですが、それでも、本人の口から、「エンターテインメントなんだから……」と宣言されてしまうのは、なんだかとてもつまらないことのように思えます。100%のフィクションと、99%のフィクションの間には、(少なくとも日本人にとっては)非常に大きな壁があるのです。「カイヤは殺されちゃうかもしれない」と恐れおののく人たちこそが、日本のエンターテインメントを支えているのですから。僕は、どうせ騙すのなら、本気で騙して欲しいなあ。

 まあ、バラエティ番組での「鬼嫁伝説」を全部鵜呑みにされるのはかわいそうだし、テレビでやっていることは、現実とは分けて楽しめたほうがいいのでしょうが、それでも、「あれはテレビの中だけのエンターテインメントだから」っていうのは、やっぱり、多くの日本人にとっては馴染みにくい発想ではありますよね。



2006年11月15日(水)
なんとなくじゃない、クリステル。

「ダ・カーポ」595号(マガジンハウス)の特集記事「女性ニュースキャスター・研究&採点簿」の「人気ナンバーワン、滝川クリステルのすべて」より。

【滝川クリステル。通称、滝クリ。父をフランス人に持つその美貌、どこかアンニュイな語り口調。時に「やる気がないのか?」ととれるような気だるいオーラが、逆に、疲れて帰宅したビジネスマンに好評なのだ。
「あの和洋折衷なルックスにグッとくるんですよね。ニュース原稿の読みはしっかりしているし、落ち着いている。視聴者は癒やされ、”クリオタ(ク)”状態になっている。なにより”上目遣い””カメラ目線”というのが絶大な効果なのです」
 とは、芸能ジャーナリストの平林雄一さんである。また、自身のブログで毎晩の滝クリファッションを分析している会社員のfunaponさん(31)は、こう評している。。
「ボクはあの声が好きです。声質が落ち着いてて。それから、たまに見せる笑顔と、口をぎゅっと締めたときの顔でしょうか。他のアナウンサーと違って、終始緊張感ある表情ではないところもいいです。ちょっとした瞬間に見せる緩んだ表情が、キャスターらしくなくてかわいらしく感じますね。

(中略)

 最近、滝クリは、”45度の女王”と呼ばれる。カメラに向かって正対する報道番組の常識を破っての、”斜め座り”。3年前の番組スタート時からこの斬新なスタイルをとっている。
 この「45度」に秘密がある。名画「モナリザ」と同じ45度なのである。聞けば、番組スタッフが「一番美しい角度」として、欧米のニュース映画のスタジオセットや映像作りを参考にしながら綿密に計算したらしい。
「セットのイメージは『サンダーバードの秘密基地』だそうです。背景は、間接照明を使ったような感じで少し暗い。映画でも大ヒットしたドラマ『踊る大捜査線』の美術スタッフが細部にまでこだわって作り上げた」(フジテレビ関係者)
 仕掛けは他にもある。滝クリの右斜め前には男性キャスターが、左斜め前にはカメラがある。その陣形を図にすると二等辺三角形になる。
「普通は女性キャスターと男性キャスターとは横並びで”直線的”な会話ですが、変則的な配置にすることで視聴者を番組に参加させている感覚にさせる狙いがあるのです」(同関係者)
 滝クリに誘われている、引き込まれるような錯覚に陥るというのだ。】

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 僕も23時台にニュースを観るときには、この『ニュースJAPAN』を観ることが多いのです。この特集記事によると、いまや、23時台のニュース番組は『ニュースJAPAN』のひとり勝ち状態なのだそうです。まあ、他局は山本モナさんが「自滅」したりもしていますしね。
 滝川クリステルさんを最初に観たときには、正直言って、なんだかすごく緊張しているみたいで(たぶん、あの上目遣いのせいだったのでしょう)、そんなにニュースを読むのも上手くないし、この人、どのくらいもつだろうな……という印象でした。確かに「なんとなく気になる人」ではあったのですが。
 それがいまや、滝川さんは高島彩さんと並ぶ「女子アナ2強」のひとり。
 しかし、この記事を読むと、この「滝川クリステル人気」は、偶然の産物ではないということがよくわかります。滝川さん本人の魅力もさることながら、『ニュースJAPAN』という番組そのものが、「滝川クリステルさんを視聴者に印象づけるような番組作り」をしているみたいなんですよね。
 僕は今までそういう視点で観たことがなかったので気がつかなかったのですが、確かに滝川さんは、視聴者に対して「45度」で、松本さんより視聴者に近く見えるような場所に座っているんですよね。僕がなんとなく感じていた「違和感」の正体は、滝川さんの泣き笑いのような表情ではなくて、この独特のレイアウトだったのかもしれません。
 
 【「(『ニュースJAPAN』の)セットのイメージは『サンダーバードの秘密基地』だそうです。背景は、間接照明を使ったような感じで少し暗い。映画でも大ヒットしたドラマ『踊る大捜査線』の美術スタッフが細部にまでこだわって作り上げた」】なんていう話を読むと、もう、ニュース番組だからといって、ニュースの内容やキャスターの実力だけで勝負する時代ではないのだな、ということを痛感させられます。それが「正しい報道姿勢」なのかどうかはさておき、実際に「結果を出している」のは、まぎれもない事実。
 どんなに素晴らしいニュースでも、視聴者に観てもらえなければ、「伝わらない」ですしね。



2006年11月14日(火)
赤川次郎、「1億冊突破!!」伝説

「本の雑誌」(本の雑誌社)2006.12月号の「自在眼鏡」より。

【ただいまフェア中の角川文庫・赤川次郎作品についた帯を見て、ひゃあーっとぶっ飛んだ。
 なんと「1億冊突破!!」とあるではないか。1億冊だよ。1億冊といえば、100万部の本でも100点! 10万部の本なら、1000点も出ないと達成できない、それはもう天文学的な数字である。佐伯泰英の時代小説シリーズが累計1000万部突破!と各出版社が大騒ぎしているが、ええい、控えおろう。赤川次郎はその10倍。しかも角川文庫だけで1億冊突破なのである! まいったか。
 ちなみに角川文庫の目録によると、2006年2月現在、赤川次郎(「あー6」)は最新刊が『三毛猫ホームズの世紀末』で「227」番。つまり227点が刊行されている。最近の赤川次郎事情に詳しくないので、正確にはわからないが、2月以降も何点かは出ているだろうから、仮に230点として、おお、1点平均43万4782部だ!
 よんじゅうさんまんぶ。うーん、そういう本を一冊くらい当社でも出してみたいなあ。
 しかも赤川次郎は角川文庫ばかりじゃなく、光文社文庫から84点(2005年6月現在、意外に少ないよね)、講談社文庫から40点(2005年12月現在)、徳間文庫から39点(2005年3月現在)、新潮文庫から38点(2006年4月現在)、集英社文庫から31点(2005年2月現在)、文春文庫から26点(2006年2月現在)、中公文庫から8点(2005年4月現在)刊行されているのだ(ほかにもあったらすまぬ)。足し算すると、7社で266点。あれ、角川一社とそんなに変わらないのね。
 いや、つまり赤川次郎の文庫は各社累計で500点近く出ている(超えているかも)わけで、ということは、全文庫合わせると、2億冊突破していても、ぜんぜん不思議はないのである! いやはや、びっくりだ。】

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 「1億冊」というのは、本当に凄い数です。僕はこれを読んで、1000万部を突破しているという佐伯泰英さんを今まで自分が知らなかった、というのにも正直驚いているのですが。ちなみに、あの超人気マンガ『ドラゴンボール』全42巻の売り上げが、累計1億3000万冊だそうです。

 慢性的な「出版不況」「活字離れ」が叫ばれるなか、これだけの文庫本を売ってきた赤川次郎さんというのは、少なくとも商業的には、「偉大な作家」であることは間違いありません。以前も書きましたが、僕は中高生の頃から「赤川次郎しか読まない同級生の女の子」を「軟派な本ばっかり読みやがって」と内心バカにしているような感じの悪い人間だったのですが、赤川次郎さんの著作から「本好き」になった人も、けっこう多かったのではないかと思われますから、出版界への「貢献度」も多大なはずです。
 それにしても、角川文庫だけで累計1億冊。文庫と単行本という大きな違いはあるとしても、あのリリー・フランキーさんの超ベストセラー『東京タワー』の50倍もの数の本を、赤川さんは今までのキャリアの中で、角川文庫だけで売ってきているのです。赤川さんは『幽霊列車』という作品で1976年にデビューされていますから今年で作家生活30年、227点という多数の作品を発表してきて、その平均売り上げが平均43万部。平均点の売り上げの作品で、ミリオンセラーのほぼ半分をクリアしているのです。世のなかには、「一度でいいから、10万部くらい売ってみたい……」という作家がたくさんいるにもかかわらず。

 ちなみに、調べてみたところ赤川さんの作家生活30年間での執筆作品数は480作あり、累計総発行部数は3億冊にのぼるそうです。印税いくらになるんだ……と思わず計算してしまうような数字です。今すぐに「引退」しても、「ネバーランド」を建設して余生を遊んで暮らせるくらいのお金があるはずなのに、赤川さんは今でも精力的に締め切りに追われる生活をしておられます。
 ところで、赤川さんは、デビュー時の「オール読物推理小説新人賞」、2005年の「第9回日本ミステリー文学大賞」(これは、個々の作品にではなく作家に対して与えられる「功労賞」的な色彩が強い賞のようです)の他には、著名な文学賞とは全くといっていいほど縁がないのです。もう、ここまで「大家」になってしまうと、今さら文学賞でもないのでしょうけど、あまりに売れすぎてしまったために、かえって「作品」として評価されることが少ない作家のひとりなのかもしれませんね。



2006年11月13日(月)
「巨乳」という言葉はいつ生まれたのか?

「週刊SPA!2006.10/3号」(扶桑社)の特集記事「あの『ニックネーム』誕生の真実」より。

【ボイン・巨乳という愛称はいつ生まれたのか?

 グラビアアイドルからAV女優まで、石を投げれば巨乳に当たる巨乳インフレ時代の現在だが、そもそも「巨乳」という言葉はいつ生まれたのか……。オッパイの歴史をひもとくと、なんと'89年にまで遡る。当時、Fカップの乳房が人気のAV女優・冴島奈緒に、芸術評論家の肥留間正明氏が『FLASH』誌上で命名したのが始まりだ。ほぼ同時期には、”巨乳バカ一代”野田義治社長率いるイエローキャブの第1号タレント、堀江しのぶが人気を獲得。残念ながら彼女は夭逝したが、'80年代末期は日本の巨乳時代黎明期となった。もともとはAV女優につけられた「巨乳」の冠だが、以降、堀江の遺志を継ぐ形で、かとうれいこ、山田まりやらイエローキャブ勢が時代の空気にうまく乗り、日本の巨乳史を席捲する……。
 驚くことに、言葉としての「巨乳」誕生以前は、豊かなバストを指す言葉は、ほぼ唯一「ボイン」のみだった……。その誕生は、往年の人気深夜番組『11PM』内で、'67年と推測される。名づけ親は司会の大橋巨泉氏。アシスタントの朝丘雪路の胸が大きくてボインとした感じだというのがネーミングの理由で、彼女をよく「ボイン、ボイン」とからかっていたらしい。この擬態語の持つ重量感、弾力感を併せ持つ朝丘雪路の罰とは当時98cm!?(公称) まさに元祖「ボイン」に相応しい!? 巨泉氏は、その後も『クイズダービー』で、解答者の竹下景子に「三択の女王」、はらたいらに「宇宙人」など、造語感覚のよさを披露している。まぁ、彼は自ら「野球は巨人、司会は巨泉」なんて言ってるくらいですから……。】

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 あらためてそう言われてみれば、僕が子供の頃、胸が大きくて有名なタレント、河合奈保子さんとか榊原郁恵さんは、「巨乳」とは言われていなかったような記憶があります。「ボイン」という言葉は使われていましたが、どちらかというと深夜番組で山本カントクとかがニヤニヤしながら使うような言葉で、そんなに「一般的」ではなかったのではないでしょうか。むしろ、そういうことはあまり人前で堂々と言うべきことではない、という感じすらありました(当時、僕が子供だったからかもしれませんが)。

 当時に比べたら、いまは「胸が大きい」という事に関して、男の側はもちろん、女性もけっこう堂々と語っているようです。もちろん、大きくても小さくても、それで傷ついている人もたくさんいるのでしょうけど、少なくとも昔ほど「そんなことは言うもんじゃない」という雰囲気ではないようです。
 しかし、耳慣れてしまえばどうってこともないのかもしれませんが、「巨乳」って、かなり直接的というか、どぎつい言葉ではありますよね。その上のランクとして「爆乳」とかいうのもあるらしいのですが、どう考えても大橋巨泉さんが考えた「ボイン」のほうが間接的な表現です。時代とともに、かえってダイレクトな表現になっているというのは、なんだか不思議な感じもしますね。いずれにしても、世の男性は、女性の「胸」にこだわり続けている、というのは確かなのですが。

 ところで、この特集記事を書かれた『SPA!』の編集者の方は、「顛末記」として、こんな話を書かれていました。

【昨今の著名人のニックネームは、『ハンカチ王子』に代表されるように、ネットから発信されることが非常に多い。ほかにも、先日、痴漢容疑で再び逮捕された植草一秀容疑者の「ミラーマン」や、昨年、監禁容疑で逮捕された小林泰剛容疑者の「監禁王子」も同様である。
 しかし、ネットだと初出に辿り着くことが非常に困難である、
 例えば「ミラーマン」の場合、手鏡を使って女子高生のスカート内を覗こうとした事件が発覚した'04年4月12日の14時51分に『2ちゃんねる』のスレッドに「ミラーマンの唄」の替え歌が出ているが、これが初出か否かは確かめようがなかった。】

 「ボイン」の時代には、大橋巨泉という「カリスマ司会者」が、「ニックネーム」を発信していたのが、「巨乳」の時代には、写真週刊誌で一評論家が「名付け親」になり、現在は、ネット発のまさに文字通りの「名無しさん」が世間に広まる「ニックネーム」をつけていく。もう、特定の「カリスマ」だけが言葉を持っている時代ではなくなってきているのです。
 どんなに機転が利く「カリスマ司会者」も、ネット上の大勢の人々の知恵の集合にはかなわないし、「ハンカチ王子」はともかく、いきなりテレビで「ミラーマン」とは言えないでしょうしねえ。



2006年11月12日(日)
有能なリーダーたちに共通する「発想法」

「ドラッカーの遺言」(ピーター・F・ドラッカー著・窪田恭子=訳・講談社)より。

【では、優秀な経営者、優秀なリーダーとは、どのような存在なのでしょうか?
 先にもお話した通り、私は70年に及ぶ長い歳月の中で、幾人ものリーダーたちと交わってきました。彼らの誰もが個性的で、誰一人として似ている人はいませんでした。
 この経験から私が理解したのは、「人はリーダーに生まれない」という事実です。生まれついてのリーダーなど存在せず、リーダーとして効果的にふるまえるような習慣を持つ人が、結果としてリーダーへと育つのだ、と。

 ならば、リーダーとして効果的にふるまえる習慣とは、いかなるものなのでしょうか。
 まず誤解を解いておきたいのは、自分が先頭に立って事に当たり、人々を引っ張っていく姿勢など、まったくもって必要ないということです。
 有能なリーダーに共通する習慣の一つめは、「やりたいことから始めることはない」ということです。彼らはまず、「何をする必要があるか」を問います。

 第二次世界大戦が終幕を迎える直前、1945年の4月に大統領に就任したハリー・S・トルーマンの例を引きましょう。
 史上唯一、四選され、偉大な大統領と称された先代、フランクリン・デラノ・ルーズベルトの死に伴い、アメリカのトップに立ったトルーマンは、国内問題には非常に関心を持っていたものの、外交問題についてはまったく知識を欠いていました。しかし、スターリンやチャーチルらとの会談で外交政策の重要性を認識した彼は、すぐに経験豊富な人材を探し出し、国務長官と国防長官に任命、その後の4年間、毎日朝の2時間を外交問題のレクチャーを受けるために当てたのです。国務長官と国防長官からそれぞれ1時間ずつブリーフィングを受け、「何をすべきか」を考え抜いたのです。
 
 大統領に就任した時、トルーマン自身が最も実行したかったのは、ルーズベルトが志半ばでやり残していった「ニューディール政策」の完遂でした。先代の遺志を継ぎ、自らも信奉する経済政策を国内で推し進め、社会改革を実現する――トルーマンはアメリカ国内の問題にこそ、傾注したかったのです。
 しかし彼は、「自分がやりたいこと」への誘惑に打ち克ち、風雲急を告げる国際社会の難局を切り抜けるべく、喫緊の課題である外交政策――いますべきこと――を断行することを決意しました。
「何をしたいか」ではなく、「何をすべきか」を考えて行動したトルーマンは、最高にして最大の功績を残した大統領であると言えるでしょう。歴史はルーズベルトを讃え、トルーマンを過小評価するきらいがありますが、実際の序列は反対にすべきである、と私は考えています。】

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 ピーター・F・ドラッカーさんは、1909年オーストリア生まれの経営学者・社会学者です。「現代経営学」、あるいは「マネジメント」 (management) の発明者と呼ばれているそうです。ドラッカーさんが亡くなられたのは、2005年11月11日でしたから、ちょうど1年が経つのですね。
 ここで語られている「リーダーとして効果的にふるまえるような習慣」というのを読んで、僕はちょっと意外な感じがしました。いや、僕が日頃抱いている「リーダーの必要条件」って、「みんなを引っ張っていけるようなカリスマ性」とか「新しいアイディアを思いつくこと」だったものですから。
 ドラッカーさんは、そういう「目立つパフォーマンス」などは、リーダーにとってはあまり重要ではない、大事なのは、「自分がやりたいことではなくて、自分がやるべきことをやること」だと語っています。僕がメディアを通して知っている「カリスマ経営者」には、「自分がやりたいことを信念を持ってやっている」という人が多いような気がするのですが、結局それではまとめるべき組織が大きくなればなるほど、周囲との歪みが大きくなっていく、ということなのでしょうね。
 「やりたいことをやって成功させる」というのは、非常に心地よくて、正しいことのように思えるし、自分の立場が強くなればなるほど、その誘惑というのも大きくなっていくのでしょうが、「やりたいこと」というのはあくまでも「主観」の産物でしかありませんから、一度レールを外れてしまうと、現実とのズレも大きくなっていく一方だろうし。

 僕は「たくさんの人をまとめるリーダー」ではありませんが、これを読んで、あらためて、「僕は、自分が『やるべきこと』を意識しているだろうか?」と考えました。実際は、忙しい日常に追われ、「自分がやりたいこと」すらわからなくなっているのです。でも、今後は、少しずつでも「自分のやりたいことではなくて、やるべきこと」を意識してみようかな、と思っています。そのためには、自分をもっと客観的かつ大局的に見るようにしなければならないでしょう。

「自分は人をまとめたり、引っ張っていくのは苦手だから」と言い訳をしてしまいがちなのだけれど、本当の「リーダー」にとって大事なのは、他人に対する態度ではなくて、自分自身への「姿勢」なのです。



2006年11月10日(金)
「自費出版」は、美味しい商売!

「書店繁盛記」(田口久美子著・ポプラ社)より。

【出版界全体は不景気だが、自費出版はますます隆盛である。不景気な昨今、こんな美味しい市場がまだあるんだ、と古狸の私でさえうなずいてしまう。注文制で製作リスクも販売リスクもない、はっきり言って丸儲けの市場だ。しかも客単価が高い、最低でも1件50万は堅い。あとは客が来るのを待つばかり、小規模の出版社はホームページで募集、大規模になれば、新聞広告を大きく打って、待っていれば来る。「契約書店で販売も可能」とさらに重ねればもっと来る。「大型書店で相談会」と銘打てば、もっともっと来る。営業と編集、広告経費だけが原価。重ね重ね美味しい市場だ。ジュンク堂のように商売の邪魔するやつが現れたら、怒鳴り散らせばいい、客は書店でも読者でもなく注文主なのだから。

 先日ひょっこりと訪ねてきた友人が「母親が自費出版で本を出してね」と椅子に座るなり切り出した。へー、お聞きしましょう。
 彼女の母親は自費出版社界の最大手で出版した、という。最大手だけあって一つ一つ両者納得ずくで契約を結んでいる。「こんなにすばらしい原稿なんだから、きちんとハードカバーで、って担当編集者は言うのよ」ということでまず150万円位の見積もりから始まって、写真が入って、地図が入って、と少しずつ製作経費が高くなっていく。「それで、本になったら書店で売りたいかって聞かれたそうなの、売るならあと50万、営業マンが書店で販促するならあと50万、って高くなっていくみたい。広告を打つならあといくら、っていう具合に」なるほど、かかる経費はきちんと注文主の負担、というマニュアルができている。書店での経費が妥当な金額かどうかは別として。「私が反対して、書店で売ることはやめたの、誰が買ってくれるのよ、って言ったら母親は悲しそうだったけれど」
「本にするのが長い間の夢だったんでしょう。道楽にしてはそんなに高くはないと思うけれど、形になって残るから」「そうなんだけどさ、母親が不満なのは、ほら、自分は素人だから、ちゃんと原稿を直してほしかったみたい。編集部がきちんと手を入れてくれれば、いい本になると思っていたらしいの。それが原稿を渡して、次に編集者が来たときには、もう印刷に回したって言われてがっくりきたみたい」丁寧な創作指導、というのはまた別料金だったのかもしれない。
「お母さんは戦争中、天津で暮らしたんだ」「そう、だから子供の頃のことを書いて、もし万が一にでも当時の知り合いが読んで連絡をくれたら、って思ったらしいのよね。でも名前を全部KとかSとかに変えられちゃったらしくて、そこのところだけはきっちりと直されたみたい、あとは全然なのに」
 大手の出版社では月に150点から200点も出版している、という話しだ、いくらお客さんとはいえ、リピートはないわけだから、いちいち入れ込んで構成しなおしたり、文章を直したりしている余裕はないのだろう。なんといってもお客は次から次ヘと来る。
「分かった、この1冊を棚に入れておいて、売れたら連絡するわ」といって預かった。『天津租界の思い出』(豊田勢子 文芸社 04年)

 しかし、本のプロとアマを分けるのはこの編集力ではないか、とつらつら思う。私たちが「自費出版」という分類わけをするのも、そのへんに理由がある。出版社と著者の契約で「書店におく」と決められた本が取次から入荷し、小説なりエッセイの棚に入れるとなんだか浮くのだ、プロの作った他の本にはじかれてしまう。前述の怒鳴り込み事件のときに我らの担当者が本音を漏らしたように、一般小説の棚に入れるのを躊躇させる出来なのだ。
 もっとも、まとめると探しやすいという安易な理由もあるのだが(私たちのように自費出版物をまとめて棚にして販売している書店は多い)。専門書ジャンルにはお金にならない研究をコツコツとして、採算が取れるだけの市場がないための自費出版、というのはあるだろう。そんな実学・実用のジャンルと小説・エッセイのジャンルは読まれ方も買われ方も違う。市場は成熟している。どうやって読者に手にとってもらうか、買ってもらうか、読んでもらうか、編集者は本の中身はもちろん、頭を絞ってタイトル、レイアウト、装丁、帯の惹句を考える。とにかくお客さんにお金を出してもらわなければ、商売は成り立たない、と必死になる。
 一方自費出版本は出版社にはとうに採算の取れた本だ、売りたいというオーラは薄い。たとえ力を入れて作ったとしても、ほとんどが無名の著者、新人登竜門の扉は固い。勝負はハナからついているのだ。入社したてのアルバイトにも「あれっ? これは自費系?」などと簡単に仕分けされてしまう本まである、どころか、ほとんどだ。つまり自費出版社は読者に顔を向けていない、マーケットを全く考慮していない、という意味で一般の出版社との間に線が引かれている。
 著者のプロ・アマと出版(編集)のプロ・アマの組み合わせがポイントなのだ。「アマの著者と出版」組が販売力のない本を生み出しているのが現状で、それを私たちは「自費出版社系出版物」と呼んでいる。】

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 「ジュンク堂」池袋店の副店長であり、書店員として30年以上のキャリアを持つ田口さんからみた「自費出版者系出版物」について。
 ちなみに、ここで書かれている「怒鳴り込み事件」というのは、某出版社から出されていた本が、ジュンク堂のホームページで「自費出版者系出版物」に分類されていて迷惑している、というクレームがその出版社の社長を名乗る人物からつけられた、という「事件」です。ちなみに、その出版社は、ジュンク堂の担当者によると「自費出版物がメイン」で、このケースに関しては、「著者が出版社に『自分の本がそんなところに分類されるなんてけしからん』と抗議したため、出版社側も対応に苦慮して、書店にクレームをつけたのではないか、と田口さんは仰っておられます。
 しかし、あの『リアル鬼ごっこ』のような稀有な例はあるにせよ(いや、あの本があんなに売れたというのは、それはそれで凄いことだとも思うのですが)、この文章を読んでみると、「そりゃあ、自費出版本は売れないよなあ」と考えざるをえません。知らない作者が書いた文章をそのまま適当に編集して並べた本と、プロの作家と編集者が生計を立てるために作り上げた本とでは、「競争力」が違いすぎますよね。しかも、自費出版本は、むしろ割高な場合が多いですし。
 ここで挙げられている、田口さんの友人のお母さんの話にしても、「すばらしい作品だからハードカバーに」すると追加料金、書店で売るようにすると追加料金、販促をすると追加料金……と、なんだかものすごいシステムです。まるで、ぼったくりバーみたい。それでいて、個人名などの「問題になりそうな部分」だけはちゃんと証拠隠滅しておくという親切さ。いや、正直なところ、自費出版系出版社は、「出した本は、注文主からのクレームさえつかなければ、なるべく売れないほうがいい」と考えているのではないかと思えてきます。
 多くの「非自費出版社系」では、「本が書店に並んでからが勝負」なのですが、「自費出版社系」では、「本が完成して、注文主からお金を貰った時点で、もうほとんど仕事は終わっている」のですよね。そして、もし僕が自費出版系出版社の経営者だったら、そういう「競争力に乏しい本を頑張って売る」よりも、「注文主からなるべく多くのお金を引き出したり、なるべく手を抜いて出版するまでのコストを下げる」ほうを選ぶと思います。どう考えても、そっちのほうが「確実で効率的」だから。
 もちろん、「本にする」ということ自体に価値を見出せる顧客も少なくないし、「自分の本が書店に並ぶ」ということそのものが大きな喜びであるとうのは、「本好き」「書店フリーク」の僕にはよくわかります。でも、こういうのって「結婚式のアルバム」と同じようなものだと考えておいたほうがいいのかもしれませんね。自分にとっては大切でも、他人にとっては、重くてかさばるだけの障害物。
 実際には、こういう「自費出版系出版社」に対して、大手書店などが「相談会」などで協力(実際は書店のスペースを「間貸し」しているだけなのですが、それでも「あの○○書店で開催されるのなら安心なのでは…」というようなブランドイメージの付加には役立っているはず)しているのも事実ですし、「それでも自分の本を『出版』したい!」という人にとっては、けっしてマイナス面だけではないんですけどね。どうせ当たらないからといって宝くじすら買えないような世の中と、当たらなくても宝くじで夢を買える世の中とでは、後者のほうがいいような気もしますし。
 問題は、「自費出版」って宝くじとしては高すぎるのと、買う側も思い入れが強くなりすぎて、それが宝くじでしかないことを忘れてしまうこと、なのかもしれませんね……



2006年11月09日(木)
『エンタの神様』の「人気芸人のつくり方」

「日経エンタテインメント!2006.12月号」(日経BP社)の「『エンタの神様』生みの親が初めて明かす、人気芸人のつくり方と今後への不安」より。文:松野浩之、麻生香太郎)

【この番組(『エンタの神様』)を手がけるのは、日本テレビの五味一男プロデューサー。総合演出の肩書きで、企画から構成、演出までのすべてを担当する。過去に手がけた番組は『クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!』『マジカル頭脳パワー』『投稿!特ホウ王国』『速報!歌の大辞テン!!』など。ほぼすべてで視聴率20%を叩き出していることから、業界では”9割打者”と呼ばれる。『エンタの神様』は、五味氏にとって初めてのお笑い番組だった。
 なぜ、この番組だけが継続的に人気芸人を輩出できるのか。謎を解くべく取材した五味氏の言葉から浮かび上がった制作システムは、とてもテレビのお笑い番組とは思えないものだった。
 普通のネタ番組は、面白い芸人やネタを”探す”。だが、『エンタの神様』は”探す”だけではない。養成学校のように芸人を”育てる”。そしてバラエティ番組のようにネタを”演出する”。この違いは大きい。「ネタなら番組サイドで作れるはず」という五味氏の理念から生まれた組織構成と運営体制を順に見ていこう。
 番組スタッフは、五味氏を頂点に役割によって大きく3つのグループに分けられる。
 まずは(1)芸人を”探す”発掘グループ。10人近くのスタッフが、毎週、都内を中心としたライブハウスに足を運び、ビデオを撮る。集まった100本以上のネタを五味氏自らが毎週1回5時間以上かけて見て、可能性がありそうな1〜3組の原石を選ぶ。「『爆笑オンエアバトル』(NHK)など、ほかの番組での実績は全く参考にしない。面白いか面白くないかよりも、大衆の視点で、分かりやすいか、受け入れられるかどうかが判断基準」(五味氏)。例えば、友近は『オンエアバトル』では結果を残せなかったが、五味氏は将来性を見抜いて起用した。

 特異なのが、(2)芸人を”育てる”育成スタッフ。ベテランでも新人クラスでも芸人1組に、1人のネタディレクターと、1〜3人ほどの放送作家がつく。芸人と打ち合わせやトレーニングを重ね、二人三脚でネタを考える。できたネタは五味氏がチェックして、修正ポイントを指導。この作業を繰り返し、五味チェックをクリアしたら、ようやく出演に至る。
 所属するネタディレクターは15人ほどで、1人当たり2〜3組の芸人を担当する。番組に出演する前の段階の新人クラスも含めると合計50組近くの芸人を育てている。一方、かかわっている放送作家は30人前後。ネタディレクターや五味氏が、芸人ごとに目指す芸風に合いそうな放送作家を選ぶ。
 新人クラスが出演できるまでの期間はまちまち。「すぐにネタが固まって出演する人もいれば、摩邪のように女子プロレスラーのマイクパフォーマンスというネタの骨格が決まるまでに1年半くらいかかる人もいる」(五味氏)。
 スタッフがネタに関与する割合も芸人ごとに違う。「100%番組側が作るケースもあれば、芸人が99%作るケースもある。いずれにしても芸人のネタを100%そのまま放送するというのは、ほぼあり得ない」(五味氏)。
 最終的に映像を撮影して編集するのが、(3)映像を作る”演出スタッフ”だ。ここでの作業もほかとは一味違う。『オンエアバトル』など、一般的なネタ番組は芸人をスタジオに呼んで、順番に披露されるネタを撮影していくだけだ。
 だが、『エンタの神様』は、少しでも失敗したら何度でも撮り直しを求める。「過去には青木さやかが5回NGを出したことがある。最近では小梅太夫は撮り直しに時間がかかる」(五味氏)。
 ズームなど多彩なカメラワークを使ったり、テロップを多用したり、ネタの時間を1〜15分と調整したりするのも、この番組ならでは。ネタ番組というよりもバラエティ番組に近い演出手法だろう。

 実は、こうしたシステマチックな製作体制に、拒否反応を示す芸人は多かったという。「『エンタの神様』に呼ばれることを、赤紙が来たと表現する芸人もいた」(五味氏)。つまり最悪なところに呼ばれてしまったという意味だ。個性を押さえ込まれ、自分の意図しないネタをやらされる場合も多いからだろう。だが、最近では「95%の芸人が何でもやりますと言ってくれる」(五味氏)。それもそのはず。出演すると芸人としての商品価値が格段に高まるからだ。3回出演したら、5万円だった営業のギャラが100万円になったケースもあるという。】

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 五味一男プロデューサーおそるべし。
 僕も『エンタの神様』はよく観ているのですが、ここまでたくさんの人があの番組にかかわっていて、こんなふうに作り上げられているとは思ってもみませんでした。「面白いネタを発掘してきて紹介している」のではなくて、「面白くなりそうな芸人を見つけて、その芸人に制作サイドからネタを提供して出演させる」というのが、『エンタの神様』の制作手法なのですね。「ただ芸人を並べて、次々とネタを披露させていくだけ」のように見えて、実際は、とても大がかりなプロジェクトを組んで、次々に新しい芸人を生み出し続けているのです。そして、その「ネタ」には、その芸人のオリジナルをかなり尊重したものから、ほぼ100%番組側で用意したものをやらせるものまで含まれている、と。いずれにしても、『エンタの神様』でオンエアされているネタには、真の意味での「予想外のハプニング」というのは起こりえないわけです。

 しかし、こういう「制作サイド主導」の手法って、芸人側からすれば、たしかにあまり喜ばしいことではないでしょう。自分がやりたいものじゃないネタを押し付けられてしまう可能性も高いわけですし、もしそのネタで『エンタの神様』に出演してしまえば、世間のイメージはそれで固定されてしまうかもしれません。ネタによっては、『エンタの神様』以外のテレビ番組で見せることを禁じられている場合もあるそうですし。それでもやはり、この人気番組に出演するというのは大きなステータスであり、「1回5万円の営業のギャラが、3回の出演で100万円に!」なんていう話を聞くと、たいていの芸人は「なんでもやる」に違いありません。そりゃあ、もともとものすごく稼いでいるダウンタウンとかナインティナインのようなクラスならともかく、多くの芸人としては、「このまま売れないよりは、リスクがあってもチャンスのほうが大きい」ですしね。「赤紙」という言葉には、「不本意だし不安だけれども、出演しないわけにはいかない」という芸人側の本音が隠されているような気もします。五味プロデューサーは、「3年間で5000組1万人の芸人のネタを見てきた」と語っておられますから、「育成対象に選ばれる」だけでもたいしたものではありますし。

 そんなふうに考えていくと、この番組で成功できるかどうかって、本人のキャラクターも大事なのでしょうが、それ以上に、ネタディレクターや放送作家の「当たり外れ」って大きいのでしょう。なんだかよくわからない暴露ネタで非難轟々だったクワバタオハラとかも、ある意味、「言われたことをやっただけの被害者」なのかもしれないんだよなあ。
 



2006年11月08日(水)
武論尊が語る「『北斗の拳』に一片の悔いあり!!」

「オトナファミ」2006・AUTUMN(エンターブレイン)の記事「ヒストリー・オブ・武論尊」より。

(『北斗の拳』『ドーベルマン刑事』などの数々のヒット作を生んだマンガ原作者・武論尊さん(史村翔名義の作品も多数)へのインタビュー記事の一部です)

【武論尊は、キャラクターの設定についても、豪快に笑いながら語る。

武論尊「ケンシロウって本当にズルい男だよな〜。周りの人間、バタバタ死んでいくんだよ、アイツのせいで。まあ、そういう作り方したのオレなんだけど(笑)。胸の7つの傷も、とりあえずつけといてくれって言って、何でついたのか、理由は何も考えてなかったんだよなあ」

 とりあえず!?かなり周到な伏線としての傷跡と思いきや……。

武論尊「そ、とりあえずね。んで、それが最終的にシンがつけた、としたとき、オレは上手いなぁ、と。これだけウソがつければ大したもんだと(笑)」

 ならば、その後に明らかになる北斗四兄弟の存在については?

武論尊「話が詰ったときにね、ケンシロウだから、4番目だよね、兄ちゃんが3人いるはずだと。で、ジャギが出たとき、これをひとりにしようと。あとふたり居るけど、ひとりは仁王のようにでかい男。もうひとりは細めでかっこいい男と。でも、まだ何も決まってないからシルエットで!」

 鮮やかに繰り出される武論尊マジック。とはいえ人気が日毎過熱してゆく週刊連載は、まさに綱渡り。

武論尊「毎回ラストで盛り上げて、俺自身が先見えてないんだから、誰か教えてよ。どうするんだよこれって感じだよ。でもね、そのほうが読者も本気でワクワクするんだよね。それに俺の場合、どうしてもうまくいかなきゃ10回でサッと辞めちゃうし(笑)。」

 結果的に、連載5年全27巻に及ぶ長編作品となった『北斗の拳』だが、自身は、ケンシロウとの死闘の末「わが生涯に一片の悔いなし!!」の名ゼリフを遺して天に帰ったラオウの亡骸とともに、てっきり連載は終了すると思っていたという。

武論尊「連載の終了って、出版社側と作家側、両方がなんとなく同じタイミングで切りだすものなんだけど、『北斗』の場合は、オレも原(哲夫・作画担当)先生も絶対にラオウで終わると思っていたからね。で、いきなり続けるって言われて、少し休みをくれるかな、と思っていたら、休みなし! 次の週から新章よろしく。って、厳しかったよ。あのとき2ヵ月くらい休みをもらってたら、もう少し面白い話になっていただろうね。だから、ラオウ以降の話は、どうやって作ってたか、ストーリーも何も全然覚えてない!」】

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 いやまあ、この武論尊さんの話が、どこまで本当はわからないんですけどね。マンガの原作って、そこまで行き当たりバッタリでも大丈夫なものなのでしょうか。それとも、そういう「原作者すら先が見えていない感じ」というのが、意外な発想を生み出す原動力となっているのか。こういうのって、常人では話を思いつくことができないでしょうし、何より、「毎週絶対に続きを作らなければならない」というプレッシャーに耐えられないような気がします。
 でも、「10回でサッと辞めちゃう」っていうのは、ジャンプ的には「打ち切り」なんじゃないですか武論尊先生!

 ここで語られている『北斗の拳』連載時のエピソードを読んで、僕も、連載当時の周りの友人たちも、『北斗の拳』はラオウ編で終わる、と信じていたことを思い出しました。あの「夢想転生」のあたりは、すごい盛り上がりでしたし。そもそも、描いていた2人が揃って「これで終わり」と感じていたのですから、それが読み手に伝わってくるのは、ごく当たり前の話です。
 でも、結果的に、ジャンプの編集部としては、この超人気作品を「終わるべきときに終わらせる」ことができませんでした。それでも、「ラオウ以降」の『北斗の拳』だって、連載中は「すっかりパワーダウンしたなあ……」という感じだったものの、今あらためてまとめて読んでみると、けっして当時僕らが落胆していたほど「絶望的につまらない」わけでもないのですが。

 それでも、ラオウとの決着までの盛り上がりに比べたら、それ以降は、「強引に続けようとしているだけ」に思えたのは事実。これに関して、集英社は「名作を終わるべきときに終わらせなかった」ことを責められるべきなのか、それとも、「続けることによって少なからぬ利益を得ることができた」ことを賞賛されるべきなのかは、なんとも言えないところです。それぞれの「立場」が違えば、結論も異なってくるでしょうし、作者2人も「継続」を最終的には了承したのですから。たしかに、あのとき少しでも「休養」を挟んでいれば、『北斗の拳』はもう少し長く続いたのかもしれないなあ、とも思いますけどね。「覚えていない」という武論尊さんの言葉には、「自分としても不本意だったので、思い出したくない」というニュアンスを感じますし。



2006年11月07日(火)
「出会い指数」1%の厚い壁

「ダ・カーポ」594号(マガジンハウス)の特集記事「結婚への出会い学」より。

(『結婚する技術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)という著書がある、人事コンサルタント・梅森浩一さんの「どうすれば結婚相手と巡り合えるのか?」というアドバイスの一部です)

【結婚相手とはいつか知り合えると悠長に構えている人は多い。しかし、出会いは意外と少ないものです。このことを実感するには、自分の”出会い指数”を出してみるといい。これは友達の紹介や合コンなどで今までに知り合った女性のうち、恋人として付き合った女性の数、さらにその中から結婚相手として意識した女性の数を割ったもので、私の調査ではそれぞれ5%と1%くらいの低確率でした。あなたは100個の玉が入ったくじ引きで、1個しかない赤い玉を一発で引く自信がありますか? 出会いを積極的に求めなければ何も始まらない。こう意識することが第一歩です。

(中略。出会いを求めるために、習い事をしたり、ペットを飼ってみたりするのもいい、という話)

 このように出会いの場を積極的に利用するのと同じように、男性の場合はポジティブに行動することも大切です。嫌いという感情は態度だけでも伝わりますが、好きは言わなければ伝わりません。極端に言えば、電車の中で目が合っただけで「自分に気がある。アタックしないでどうする」と思い込むくらいのほうがうまくいく。実際にモテている男とは、チャンスがあれば積極的に挑戦している人のことなのです。もちろん、討ち死にすることも多いでしょう。それでも、いっぱい行動して、いっぱい傷つき、自分の恋愛経験値を上げること。それが結婚に近づく一番確実な方法です。】


(女性からのアドバイス。森三中の大島美幸さんの「運命なんて、どこに転がっているかわからない」より)

【結婚なんて一生できないと思ってました。このツラじゃ、どうせダメだから結婚なんてしなくていいやと。そんな私がひょんなことから結婚することになって……。一番驚いているのは私でしょうね。でも結婚して4年がたった今もしみじみ思います、結婚っていいもんだなあって。私たちは夫婦でありながら親友でもあり、理想のだんなに巡り合えました。ただ、だんなが私との結婚を本(鈴木おさむ著『ブスの瞳に恋してる』マガジンハウス)にしたときは驚いた。「なんでこんな赤裸々に書いてるんだよ!」と怒りましたよ。初夜のことまで書いてんじゃねえよと。でも、じっくり読むと不思議とうれしくなったんです。私への愛があふれていて、これは壮大なラブレターだと思いました。死んだら棺に入れてほしいと本気で思っているんですよ。
 結婚する年齢が上がって、お互いの生活を大切にする最近の考え方を否定するつもりはありません。でも、明らかに男が弱くなって、女が強くなってますよね。仕事が一番と言ってる女性も多いけど、でも本当に好きな人なら仕事なんてやめてもいいと思えるのが本物の出会いですよ。それと、いつか会えるなんて口ばっかりで出歩かない人もダメ。私だって最初は嫌だったけど、友人の飲み会に付き合ったおかげで今のだんなと知り合えたんです。運命なんてどこに転がっているか分かんないですよ。自分から動かなければ、運命に出会えない。これは本当。経験者は語るってやつです。】

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 ここで梅森さんが書かれている”出会い指数”というのはなかなか面白いですね。僕も「自分はどうだろうか?」と考えてみたのですが、「どのくらいの範囲を知り合った女性にするか?」によって、かなり指数は変わってきそうなんですけど。合コンとか紹介って、僕は今までほとんど経験がないのですけど、それこそ「同じ部活にいた」とか「同じ職場で働いていた」というようなものまで含めると、5%や1%よりはるかに低い確率にはなりそうですし。それにしても、恋人として付き合った人のうち、結婚を考えた相手って、「5人に1人」くらいなのか……僕の感覚では、「結婚を考えないような相手とは恋人にもなれない」のだけどなあ。そんなふうに「重い」からモテないのか……?

 まあ、そういう個人的な感傷はさておき、ここでお二人が仰っていることのなかで、男女に共通した「真理」というのは、「とにかく、自分から積極的に出会いを求めていくことが大事なのだ」ということのようです。悪い言い方をすれば「下手な鉄砲も数撃ちゃあたる」なのですが、確かに、ゴルゴ13でも、「撃たなければあたらない」に決まっています。大島さんの「自分でもあきらめていたし、嫌だったのだけれど、友人の飲み会に付き合ったおかげで今のだんなと知り合えた」なんていうのは、まさに「積極的に行動したこと」がきっかけだったんですよね。「どうせ自分はダメだから…」「そういう場は苦手だから…」と引きこもってしまう前に、「ダメモトで行動してみる」ことこそが成功への近道なのでしょう。
 梅森さんの【電車の中で目が合っただけで「自分に気がある。アタックしないでどうする」と思い込むくらいのほうがうまくいく】なんていうのは、ヘタすれば「ストーカー予備軍」になってしまいそうではありますが。
 
 それにしても、この「結婚相手は100個に1個の赤い玉」なんて話を聞かされると、「じゃあ、頑張って100回引いてみよう!」と思うより先に、「どうせ当らないんだから、めんどくさいし引くのやめようかな……」とか考えてしまうのも事実です。しかも、その玉は、実際は赤く塗ってあるわけでもないのだし、引いたつもりがしばらくしたら真っ黒になってたりするかもしれないんだものなあ……



2006年11月06日(月)
安野モヨコさんの「マンガを描くという『仕事』」

「CONTINUE Vol.30」(太田出版)の「特集・永久保存版50ページ!!働きマン」の「安野モヨコロングインタビュー」より。

(「働きマン」の作者・安野モヨコさんの盟友の女性編集者ふたり(『なかよし』編集部の鎌形圭代さんと『VOCE』編集部の寺田純子さん)を交えてのロングインタビューの一部です)

【インタビュアー:安野先生に「働く」ということを聞いてみたいんですけど、安野先生はマンガを描くことを「仕事」として認識したのはいつ頃からですか?

安野モヨコ:「仕事」として考えたのは、遅いほうだと思います。私は17歳でデビューしたんですけど(編集部注:『別冊フレンドDXジュリエット』に掲載された『まったくイカしたやつらだぜ!)、私が「マンガ」を「仕事」と考えたのは23歳ぐらいですね。

インタビュアー:「仕事」と捉える前の「マンガ」は、どんな風に捉えていたんですか?

安野:編集者からアドバイスを言われても、全然耳をかさなかったんですよ。「ふざけんな、バーカ」って思ってた。「プロ意識」がまったくなかったんですよ。編集者が読者のことを考えてアドバイスしてくれているのに、私自身の狭い視野で「ふざけんな」って思っている時点で、何もわかっていないわけです。私ってそうなんですよ。ダメ出しをする大人に対して、反抗するような子だったから。マンガを描かなかったら、もう本当に野垂れ死んでいたと思う。

インタビュアー:23歳のときに、何があったんですか?

安野:指導してくれる編集さんに対して、反抗的な態度を取り続けた結果「お前はいらん」と言われたんですよ。連載も打ち切りだし、専属契約で他の仕事もできないし。他の仕事といっても依頼ももちろんないし。『別冊フレンド』から本誌にも行けなかった自分がフリーになったとしても、活動できるわけがないし。「頑張らないといけないな」って思いと「いらない」と言われた思いが、ぐるぐると逡巡して。それまでになく、真剣に「マンガ」について考えたんですよ。

寺田純子:23歳で気づいたのは、早かったんじゃないの?

安野:いや、早くないよ。23歳ってヤバイ。マンガ家にとっては、若いということが大きな財産だから。若いと可能性に期待してくれるじゃないですか? でも、可能性がまったく開花しないまま23になると、だんだん誰も期待しなくなってくるし、自分の周りを見てみても23、24でだらだら描いてる人ってダメなんですよ。いまはマンガ家の年齢層が上がりつつあるから、そんなことないけど。当時は23歳くらいになると、商品価値は限りなくゼロになるんです。いや、マイナスと言ってもいいくらい。そのときに焦ったっていうのがありますね。

寺田:マンガ家って18、19でデビューする人も多い、ある意味、特殊な世界ですからねえ。

インタビュアー:別の仕事を探してみようとは思わなかったんですか?

安野:23歳ぐらいって微妙で。バイトとキャバ嬢とマンガ家のアシスタントしか当時の自分に選択肢がなかったの。キャバ嬢っていったって24歳にもなるとヤバイ。私は、大学も出てなければ、勉強もできないし、他の仕事は一切あり得なかったんですよ。最近、ニートが注目されているけど、私はその人たちを馬鹿にできない。自分もまったく同じだったから。水商売をバイトでやっていたときも、「本当は自分はここで仕事したいわけじゃない」なんて態度で仕事していたし。水商売って、やっぱり才能がある人がいて、その人が当たり前にやっていることが全然できなかったりするんですよ。

寺田:でも、モヨたんに「なんで絵が描けるんですか?」って聞いたら、「絵なんて誰でも描けるよ」って言うじゃないですか! やっぱり、そこは才能があったってことですよね。

安野:いやいや。それはそんなことないんだって。私の絵なんて、「読者に受ける絵を描かなきゃ!」って一所懸命ごちゃごちゃやってるだけだから。本当の才能とは違うのよ……。

鎌形:「受ける絵を描かなきゃ!」って気持ちになるほうが難しいじゃないですか。

寺田:本当ですよ。そこがマンガ家として、すごくプロフェッショナルなところのひとつだと思うんですよ。

安野:うーん……マンガ家になってなければ、本当にダメ人間だったと思うから。たまたま、自分がマンガという道を見つけたから、それだけは頑張んなきゃしょうがないじゃん。】

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 『週刊モーニング』で連載中の大人気マンガ『働きマン』の作者・安野モヨコさん。ちなみに、『働きマン』の主人公・松方弘子について、安野さん自身は、「私とはまったくの別人で、自分だったらそうは言わないけれど、松方だったらこういう風に言うだろう、ってやっているだけ」なのだそうです。もっとも、そういうふうに「松方だったら…」と想像できるというのは、安野さんの中に「松方的なもの」があるのだということでもあるのでしょう。
 僕などからみれば、安野さんは「才能のカタマリ」みたいに思えるのですが、御本人は「本当の才能とは違う」と仰っておられます。おそらく、「自分が描きたいものを描きたいように描いて、それで世間に受け入れられるのが真の『才能』なのだ」と安野さんは考えておられるのだと思います。そういう意味では、「読者に受ける」ということにこだわってしまう安野さんのなかには、ほんの少し「アーティストとしての後ろめたさ」みたいなものがあるのかもしれません。まあ、実際にはそういう「受け入れられるための努力」が、人気マンガ家、安野モヨコを支えているようにも思えるのですが。

 しかしながら、安野さんの「マンガ家人生」というのも、けっして平坦なものではなくて、23歳の頃には、大きな挫折もあったみたいです。マンガ家というのは、次から次へと若い新人が出てくる世界ですから、「態度が悪くて、編集者の言うことを聞かず、作品も売れない」という23歳は、もう「崖っぷち」になってしまうのです。おまけに「専属契約」なんて足枷もあって、ヘタすれば飼い殺し。この部分を読んでいて、たぶん、当時の安野さんと同じような境遇にあって、「好きでマンガを描いているのだから」という意識に縛られて自分を曲げることができず、そのまま消えていったマンガ家というのがたくさんいたのだろうなあ、と僕は想像してしまいます。いや、考えてみれば編集者というのは「売れるマンガ」や「読者の好み」のことを若いマンガ家よりもよく知っているはずなのだし、鵜呑みにはしないまでも「アドバイスを真剣に受け入れようとする」ほうがメリットが大きいはずなのです。でも、実際のマンガ家たちは、それを「妥協」だと考えてしまいがち。逆に、なかなか売れなかったりすると、かえって意固地になってしまったりもするのだろうなあ、という気もしますし。

 結局は、安野さん自身の「自分はマンガを描いて生きていくしかないんだ」という「覚悟」こそが、今の成功をもたらしているのでしょう。僕も読んでいて、その悲壮さに胸を打たれてしまいました。
 でも、わかっているつもりでも「甘さ」を克服するっていうのは、本当に難しいことなんですよね。ついつい、「まあ、この仕事じゃなくても、なんとか食っていけるだろう」とか考えてしまいがちだし。
 安野さんでさえ、本当に「崖っぷち」に追い込まれ、その崖下を目の当たりにするまで、気がつかなかったのだものなあ……



2006年11月04日(土)
「月は凄い悪、Lも若干悪、総一郎だけ正義…」

『DEATH NOTE』13巻(原作・大場つぐみ、漫画・小畑健:集英社)より。

(「大場つぐみ先生ロングインタビュー」の一部です。『DEATH NOTE』の「テーマ」について)

【インタビュアー:『DEATH NOTE』を通して表現したかったテーマはありますか?

大場つぐみ:特にありません。強いてテーマをつけるのであれば”人間はいつか必ず死ぬし、死んだら生き返らない”だから生きている間は頑張りましょう…と。その一方で月(ライト)の行いが正義か悪かなど、そういった善悪論はあまり重要だとは思っていません。個人的には、”月は凄い悪””Lも若干悪””総一郎だけ正義”…くらいの感覚でとらえています。

インタビュアー:つまり、『DEATH NOTE』に善悪論やイデオロギー的な意図はない?

大場:全く考えていません。ニアが終盤に語る”正義とは個々が自分で考えればいい”というのが私個人の考えに近いと思います。確かに善悪論は話題として盛り上がるのはわかりますが、どうしても思想的なものに行き着いてしまうので、少なくとも『DEATH NOTE』では描かないと、初期から決めていました。危険だし、漫画として面白いとも思えませんでしたから。

インタビュアー:あくまでもトリックや心理戦を楽しむ作品ということですね。

大場:だからジャンプで連載ができて、本当に良かったと思います。少年誌だから、自然と思想的な部分の歯止めが利いて、純粋にエンターテインメントに向かう事ができましたから。もし青年誌で連載していたら、善悪論の方が人気が出て、そちらに物語が傾いちゃったかもしれませんしね。】

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 昨日から映画の「後編」も公開されている、大ヒット作品『DEATH NOTE』。ちなみに、この本に載っている大場さんと小畑さんの対談によると、【「大人気」という表現はこの作品の世界観に合わないと担当編集者が判断しており、連載中は「大人気」という単語が使われたことは無かった】そうなのですが。
 先日、ある女性アーティストの「日記」を読んでいたら、「キラがんばれ」という記述があって、僕はちょっと驚いてしまいました。いや、僕も正直「キラ派」なのですけど、やっぱりキラって「人殺し」じゃないですか。でも、僕みたいな偏狭な人間じゃない若い女性にも「キラがんばれ!」って言いたくなるような気持ちがあるんだな、と。

 『DEATH NOTE』という作品を読むと、やはり、「キラは正しいのか?」ということをみんな考えざるをえないと思うのです。いや、個々のケースに関しては、FBIの捜査官を排除したりしていますし、問題も多いのはわかるのですが、全体として、「キラがいる世界」と「キラがいない世界」のどちらが「良い世界」なのでしょうか? 今の世界に生きている「普通の人間」である僕は、「キラがいたほうがいいんじゃないか?」と、つい考えてしまうんですよね。少なくとも「キラのおかげで」凶悪犯罪は減るだろうし。
 そしておそらく、キラが「絶対悪」であれば、『DEATH NOTE』は、こんなにヒットしなかったと思うのです。

 しかしながら、作者の大場さんは、このインタビューのなかで、『DEATH NOTE』は、エンターテインメントなのだ、と強調されていますし、それは、まぎれもない事実なのでしょう。そして、「あくまでもトリックや心理戦を楽しむ作品」として描いたがために、かえってそこに余計な「色」がつけられておらず、読者にはさまざまな思想的な解釈とか「思い入れ」が反映しやすい作品になったのです。逆に、最初から「説教じみた作品」であれば、拒絶反応を起こした人のほうが多かったのではないでしょうか。

 僕がこの大場さんの話のなかで最も印象に残ったのは、【個人的には、”月は凄い悪””Lも若干悪””総一郎だけ正義”…】の部分でした。そう言われてみれば、月はもちろんのこと、Lもけっこういろんな人を犠牲にして自分の目的を果たそうとしている人間なのですから、けっして「絶対的な善」ではないのです。そして、この物語のなかで、「正義」である夜神総一郎は、なんと無力であることか!

 結局、世界を動かしているのは、「悪」の力なのかもしれません。いやそもそも「正義」とか「悪」なんて考えることがナンセンスで、そこにあるのは「立場の違い」「価値観の違い」だけで、「勝者こそが正義」なのか?

 「どんなに頑張って生きても、夜神総一郎どまり(というか、この人もかなり優秀な人物のはずなんだけど)」とか考えると、「生きている間頑張る意味」についても、ちょっと悩んでしまいますけどね……



2006年11月02日(木)
「意味不明のお経」を皆の前で唱える意義

「吾輩ハ作者デアル」(原田宗典著・集英社文庫)より。

(「声という不思議」というエッセイの一部です。ここ数年、自分で朗読をやるようにもなって、”声”や”音”についての興味が湧いてきたという話の続き)

【そうやって改めて考えてみると、人の声というのはなかなかどうして面白い。へえ、と感心するような逸話も数多い。
 例えばもう5、6年前だったろうか、勝新太郎の最後の舞台で共演した役者から、こんな話を聞いたことがある。公演中の或る日、楽屋で勝新太郎が、
「おい、お前……客っていうのはアレ、何を聞いてんのか分かるか?」
 と唐突に尋ねてきたのだという。返答に詰まっていると勝新はこう言ったという。
「客はな、役者の台詞なんざ聞いちゃいねえんだ。アレはな、声を聞いてんだ――音を聞いてるのよ」
 なるほどなあ、とその役者は感心したそうだが、又聞きした私も感心した。そういう持論があるから、勝新は舞台上で時折わざと聞き取りにくい小声で、囁くように台詞を言っていたという――意味はわからなくても、歌うようなその台詞回しに、観客は酔っていたらしい。
 また昨年のことだったが、或るお坊さんにお経を唱える意義について尋ねてみたことがある。まったく内容の意味がわからないお経を、皆の前で唱えるのはどうしてなのか、と率直に聞いたのである。するとお坊さんは何でもないことのようにこう答えた。
「あ、お経はね、別に意味は分からなくていいんです。大事なのは声、音ですね。お経が聞こえる範囲に”音の空間”ができるでしょう? その空間の中に一緒にいる、ということが重要なのです」
 へえ、と私は感心しきりだった。まことに声というのは、奥深いものだと再認識した次第である。】

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 なるほど、「お経の意味」よりも、みんなで集まって、あの「お経という音」に包まれた空間を共有していることのほうが大事なのだ、ということなのですね。もちろん、全国のお坊さんがこれと同じ考えであるとは思えませんし、これは、あくまでもひとつの「考えかた」でしかないのでしょうけど。
 ただ、お経の意味なんて全然わからない僕にとっても、たしかにお経が流れている場にいると、普段は忘れていたいろいろなことを思い出したり、内省的な気持ちにはなるんですよね。習慣というのはもちろんあるのでしょうが、「お経というBGM」というのは、非常に大きな影響力がありそうです。
 まあ、お経があまり長くなってしまうと、「あ、足がしびれて……」というような物理的な苦痛に負けてしまいそうになるのですが。

 「新世紀エヴァンゲリオン」というTVアニメがあって、僕は最近そのDVDをまとめて観たのです。観ながら何度も感じたことは、「何これ?えらい聞き取り難い小声の台詞がたくさん入ってるな……」ということでした。
DVDであれば、巻き戻して聴きなおせばいいわけですが(実際にはあんまりたいしたことを言っているわけじゃない台詞がほとんどでした)、TV放映のときって、ああいう「聞き取り難い台詞の多さ」にクレームがつかなかったのだろうか?と疑問になったくらいです。
 でも、勝新さんの「持論」によれば、大事なのは「誰かが小声で喋っているという空間」であって、何を喋っているかには、そんなに意味はなかったのかもしれません。そして、観ている側にとっては、いくら聞き取りやすくても、ニュースのように同じ調子で淡々と喋られるよりも、小声でボソッと喋られたほうが、かえって「今、何を言ったんだ?」と興味を引かれることも事実ですし。
 僕はときどき、福山雅治さんが日曜日の夕方にやっているラジオを聴きながら「下ネタとかもさらっと言っちゃう福山ってカッコよくて親しみやすくって、なんだか同じ男として憎たらしいくらいだよなあ」などと黒い嫉妬に駆られるのですけど、実は、「下ネタやエロトークも福山雅治の声や喋り方だから許されている」だけなのかもしれませんよね。僕が同じことやったら、単なるエロオヤジだものなあ……

 「面白いことを喋れない」と思い込んでいる人は多いけれど、本当は、「喋り方が面白くない」場合が、けっこうあるのかもしれませんね。



2006年11月01日(水)
赤川次郎さんの『セーラー服と機関銃』執筆秘話

『ダ・ヴィンチ』2006年11月号(メディアファクトリー)の長澤まさみさんと赤川次郎さんの対談記事より。

【赤川次郎:『セーラー服と機関銃』はね、なんとなく薬師丸(ひろ子)くんをイメージしながら書いていたんです。彼女が当時、14歳くらいだったのかな? 映画化が決まったときに彼女が演じることになったと知って、大変驚いた記憶があります。

長澤まさみ:そうだったんですね。私にとって『セーラー服と機関銃』は、やっぱり薬師丸ひろ子さんが機関銃をぶっ放して、「カ・イ・カ・ン」と言う、あのシーンのことしか知らなかったんです。だから、台本を読んで、なぜ薬師丸さんが機関銃を持ったのか、その意味がはじめてわかりました。「ああ、そういうことだったのか!」って。

赤川:長澤くんは長澤くんの、新しい星泉ができたと思いますよ。

長澤:そう言っていただけて、安心しました(笑)。

赤川;映画から25年も経っているので、これまで何度かちらほらとドラマ化の話もあったんですが、前のイメージが強すぎることもあって、お断りしていたんです。こういうものはプロデューサーの熱意によるところも大きいですから、今回はそれがとても感じられたことと、主役が長澤さんだということで承諾させていただきました。

長澤:ありがとうございます。

(中略)

長澤:赤川先生が『セーラー服と機関銃』をお書きになったのは……。

赤川:28年前、あなたが生まれるずっと前です(笑)。いま読んで、28年前の本なんだなあと感じるのは、公衆電話がダイヤル式なんですよね。プッシュフォンですらない。

長澤:ドラマでは、携帯電話が出てきますよ。

赤川:いまは携帯電話を持っていないと、不自然になっちゃうよね。本のなかにはダイヤルを回す指が汗ですべっちゃうシーンがあるんだけど、ある年齢の人たちには懐かしいかもしれない。

長澤:でも、高校生の女の子がやくざの親分になることも、セーラー服と機関銃の組み合わせも、いまでも十分斬新な設定ですよね。

赤川:なかなかない役かもしれませんね。コメディの要素もあるし……。

長澤:サスペンスの要素もありますもんね。いったい、どんなふうにこの物語は生まれたんですか?

赤川:最初にタイトルを決めたんです。単行本で書き下ろすことが決まっていて、編集者から「タイトルだけ先にください」と言われたんですよ。ちょうどそのまえに映画のプロデューサーの人と話をしているときに「絶対に結びつかないものをくっつけると、面白いですよ」と言われて。はじめから主人公は女子高生にしようと考えていたから、それで女子校生にいちばん縁がなさそうなものってなんだろう……と考えました。そして思いついたのが、機関銃。『セーラー服と機関銃』なら、語呂もいいな、と。

長澤:えっ? じゃあ、最初から物語の構想があったわけじゃないんですか?

赤川:ええ。タイトルからお話をつくったんですよ。

長澤:本当ですか?

赤川:タイトルの次に考えたのは、どうやって機関銃を持たせようかということでした。女子高生が機関銃を撃ちまくっても自然になるようなお話にしなくちゃいけないから、それならやくざの親分にしちゃえ、という感じで。

長澤:逆の発想で生まれたんですね。それにしても、すごい。

赤川:もともとファンタジーとして楽しんでもらえればと思っていたんです。そもそも、女の子が機関銃を撃ったりしたら、重いのと反動とでひっくり返っちゃうでしょう(笑)。

長澤:撮影のときは、もちろん本物ではなかったので、重たく見せるのに苦労しました。あと、危ないものだから大切に扱っている感じを出そうと思って……。でも、機関銃のような危険なものは世のなかにないほうがいいなあと心のなかでは考えていました。】

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 裏番組として『デスノート』の映画版をぶつけられるなど視聴率的にはやや苦戦気味と伝えられている長澤まさみさん主演のドラマ版『セーラー服と機関銃』なのですが、この作品、薬師丸ひろ子さん主演の1981年公開の映画、原田知世さん主演の1982年のドラマから、24年目のリメイクということになるのですね。赤川さんの話によると、これまでにも何度かリメイクの話があったようなのですが、「映画のイメージが強すぎるから」ということで、ずっとリメイクを断られてきたそうです。まあ、薬師丸ひろ子さんが「ちょっとお姉さん」だった僕たちもすっかりいい大人どころじゃない年齢になってしまいましたから、さすがに「時効」だということでしょうか。

 2人の対談で僕がいちばん驚いたのは、赤川さんが、この大ヒット作品を「タイトルからつくっていった」というお話でした。それも、もともと女子高生が主人公の話を書こうとしていたところ、編集者に「タイトルだけでも」せかされたため、「面白いタイトルにするために、『女子高生』と最もかけ離れた単語と組み合わせてみた」のがきっかけだったなんて!
 それからの作品の組み立て方も、「まずタイトルありき」で、「じゃあ、女子高生に機関銃を持たせるにはどうすればいいか?」と考えた挙げ句、あの「目高組」という設定が生まれたのだとか。

 僕が普段考えているような、「まず登場人物と設定を考えて、ストーリーを練って、最後にタイトルをつける」というような流れとは、確かに「逆の発想」です。「まずタイトルが思い浮かんだ」場合でも、編集者にそれを伝える段階では、それなりのプロットくらいは準備ができているのが「普通」なのではないでしょうか。

 一般的には曲のほうからつくられることが多い歌謡曲にも「歌詞が先につくられるパターン」というのがあるそうなのですが、小説にも、こういう書き方があるんですね。もちろん、これは当代きっての大人気作家、赤川次郎さんだからできる「職人芸」なのかもしれませんけど、これを読んで、赤川さんがあんなに多作だったのも理解できるような気がします。まあ、赤川さんのすごいところは、そうやって生まれた作品たちが、軒並み大ベストセラーになっているところなのですが……

 僕は中学くらいのとき、赤川さんの作品ばかり読んでいる(というか、赤川作品しか小説を読まない)女子を「コバルター」(赤川さんの作品の多くは「コバルト文庫」から出ていたので。しかし、今から考えたら「コバルテス」かもしれないな)と名づけて内心バカにしていたのですけど、さすがに往時の勢いはないものの今でも現役で大活躍されている、この「ベストセラー職人」は、やっぱりタダモノではないみたいです。先入観抜きで読んでみると、けっこう面白い作品もたくさんあったものなあ。