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2006年10月31日(火) ■ |
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昭和天皇は、「ロックンローラー」だった! |
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「週刊SPA!2006.8/15・22合併号」(扶桑社)の「文壇アウトローズの世相放談・坪内祐三&福田和也『これでいいのだ』」第203回より。
(終戦後の昭和天皇の「ご巡幸」について)
【福田和也:記録映像に残っている、戦後の広島に行幸したときの昭和天皇は凄いよね。本当に神々しくて、まだ焼け野原で何も建っていないところにさ、バーと群集が集まってきて。
坪内祐三:神々しいしさ、ちょっとロックンロールしてるよね。
福田:戦前の天皇は堅苦しい存在で、白い馬に乗って軍服着たような写真でしか見ることができなかったわけだから。
坪内:天皇のイメージを固定するために国民には「御真影」という写真だけを見せて、生身を見せないようにしていたんだよ。それが戦後、「生で出るぞ」というかライブで行くぞと。そのライブのノリの、あの昭和天皇のロックな感じがスゴイんだ。
福田:昭和天皇が全国を行脚した「ご巡幸」って、最初は地方のライブハウスにちょっと行くみたいに横浜の小さな工場なんかに行きながら、国民の反応がいいから、ちょっと一発大きな所でやるかというので、広島に行ったりね。
坪内:炭鉱のオヤジみたいな帽子をかぶってみたり。
福田:あれは北海道かな、どこかの製鉄工場に行ったときは、やっぱり組合が強かったんだろうね。天皇の頭上に鉄骨をガーッと走らせてみたり、いろんなことをして……ひとりの労働者が、警備やおつきの人間を押しのけて天皇の面前に現れて「陛下、握手を」と言ったら、昭和天皇は「いや、日本人だから、挨拶をしよう」とお辞儀で切り返したり。
坪内:カッコいいよね。天皇って、戦後、ものすごく一般の人たちと近づいたんだよ。なのに敗戦から7〜8年で、もう距離が出はじめちゃって。それに対して、天皇の侍従長だった入江相政が昭和28年の『文藝春秋』に批判を書いたよね。「天皇をまた雲の上に乗せるのは誰だ」と。
福田:昭和天皇はあれだけ強力な人だから、吉田茂のような人間なら大丈夫だけど、ほかの政治家ならカシコまって、かえって戦前よりも天皇が神聖っぽくなっちゃうでしょ。
坪内:昭和天皇って1901年生まれだから、戦争が終わったとき44歳なんだよ。つまり、今の福田さんやオレより若いんだ。だから、焼け跡の戦後日本でロックンロールしていくわけですよ。】
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「第26回全国豊かな海づくり大会」に列席されるために、天皇・皇后両陛下が佐賀県をご訪問されたというのを昨日の夜のテレビのニュースで観ました。そのニュースでは、「地元の有名なお祭りの山車が勢揃いしているなか、祭囃子の演奏に耳を傾けられる両陛下」や「地元の窯元を視察される両陛下」のご様子が流れていたのですが、僕はそれを観ながら、やっぱり天皇っていうのは大変だなあ、と感じたのです。両陛下は、おふたりでまっすぐに立たれたまま祭囃子を聴かれていたのですが、ああいうのって、よっぽどの好事家じゃないと、辛そうだな、と。いや、昔「ハンマープライス」とかで、「有名ミュージシャンがあなたひとりのために熱唱!」とかいうのがありましたけど、実際にその場に自分がひとりで立っていたら、目の前にいるのがいくら大ファンのミュージシャンでも、なんとなく居心地が悪いというか、どうしていいかわからないものなのではないかな、というような気がします。ひとりでノリノリに踊りまくるわけにはいかないだろうし、さりとて、黙って腕組みしながら聴いているわけにもいかないだろうし。祭囃子というのは、人波にもまれながら遠くに流れているのを聴くことに風情があるのであって、目の前で演奏しているのを直立不動で聴いているのは、けっこうキツイのではないかなあ、と。窯元での「説明」というのも、よほど興味があれば面白いのかもしれませんが、興味がないようなジャンルの視察でも皇室の方々というのは、「さっさと切り上げて、帰ってビール飲もうぜ!」というわけにはいかないだろうし。
僕の子供の頃の天皇制へのスタンスは、「あんなふうに生まれつき偉くて、年間何千万円もお金が貰える人がいるなんてズルイ!」だったのですが、それからが年を重ねるにつれ、「好きなときにファミコンもできない不自由な人たち」というような見方になったり、「紀子さんはかわいいなあ!」になったりしていました、今の時点では、「皇族というのは別に幸福でも不幸でもない、『ああいう存在』であるだけなのだ」という感じです。僕自身が、ある面では幸福で、ある面では不幸であるのと同じように、ああいう存在であることへの恍惚と不安みたいなものが、たぶん皇室の人々にもあるのだと思いますし、それは、他人があれこれと簡単に解釈できるようなものではないのでしょう。
現代に生きている僕にとっては、「のどかな風景」に見える「ご巡幸」の光景なのですが、この文章での坪内さんと福田さんの話を読んでみると、このような行事がはじまった当時は、むしろ、すごくピリピリとしたムードだったみたいです。太平洋戦争後も昭和天皇は「国民的大スター」であり続けたのと同時に、「反天皇制」の人々からは、まさに「目の敵」にされており、不特定多数の国民の前に直接姿を現すというのは、非常に危険な行為でもあったはずです。実際に嫌がらせのようなことをされたり、突然目の前に暴漢(と言い切ってしまうのは問題かも)が出てきたりもしています。それでもあえて国民の中に切り込んでいった昭和天皇というのは、確かに「ロックンローラー」だったのかもしれません。命が惜しければ、皇居の中に篭っていて、参賀のときだけベランダから顔を出すくらいでも、誰も咎めなかったはずなのに。
巡幸先で突然握手を求められたときに【「いや、日本人だから、挨拶をしよう」とお辞儀で切り返した】なんて話を読むと、昭和天皇というのは、肝が据わっていて、しかも機転が利く人だったのだなあ、とあらためて感心してしまいます。この場合、あっさり握手に応じていれば鼎の軽重を問われることになったでしょうし、逃げまわったらみっともない。そして、周りの人がとりおさえたりしたら、「人間天皇」らしくない。いきなりそういう状況に置かれたら、普通は、動転してしまうはずです。それが、「昭和天皇のもともとの素養」によるものだったのか、「帝王学の研鑽の賜物」だったのかはわかりませんけど。 今も皇室の人たちが多くの国民から愛されているのは、戦前の「現人神」の影響を引きずっているだけなのではなくて、むしろ、戦後の「ライブツアー」の力が大きいのかもしれませんね。それにしても、しっかり警備されているとはいえ、こんなに数多く「ご巡幸」されているにもかかわらず、大きな暗殺未遂事件なども起こっていないというのは、凄いことだよなあ。
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2006年10月30日(月) ■ |
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日本に対して最も好感を持っている国 |
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「ダ・カーポ」593号(マガジンハウス)の特集記事「日本を好きな国」「日本が好きな国」より。
【日本に対して最も好感を持つ国といわれているパラオ共和国。この国の人たちの日本への尊敬の念はすさまじく「タロウ」「ヒロシ」「ミノル」「ケイコ」「アケミ」など、名前に日本名をつけてしまうほど。さらには「イチカワサン」「タニグチサン」など敬称付きで命名してしまうケースも珍しくない。 しかし、なぜミクロネシアにあるこの小さな国の人たちが、これほどまでに日本を愛してくれるのだろう? 「20世紀末に日本がパラオを統治していたからです。そのとき、日本の人たちはパラオ人にとてもよくしてくれました」 とは、パラオ大使館のロリリン・デルバイさん。1914年、日本は当ドイツ領だったパラオを占領し、1920年からは国際連盟によってパラオは日本の委託統治領となった。その後日本人は次々と移住し、1938年には首都コロールのパラオ人の人口が1287人だったのに対し、日本人は1万3700人! 11倍にまでなった。 しかし、ふつうに考えて、統治されるのはけっしていい気持ちがしないもの。現在日本の近隣国に起こっているような反感を持たれたとしても不思議ではないが……。
「パラオ人に対しては、日本人は優しかった。魚の捕り方、米や野菜の作り方やその料理法、植林などを教えてくれました。その当時の作り方を教わった大根やキュウリやスイカを、パラオ人は今も食べています。パラオにもともとあった主食、タロイモよりも日本食のほうが好まれているほどです。さらに、病院や学校や道路も日本人がつくってくれました。そして、たくさんの日本人がパラオ人と結婚しました。パラオには日本人のお年寄りや二世三世がたくさん住んでいるんですよ」(ロリリンさん・以下同) パラオでは今でも「センキョ」(選挙)、「ベントー」(弁当)、「ダイジョーブ」(大丈夫)、「チチバンド」(ブラジャー」など、多くの日本語が使われている。 太平洋戦争中、パラオは日本海軍の基地となり、アメリカの攻撃対象となる。そしてペリュー島などで大激戦が繰り広げられた。しかし、ことパラオと日本の関係について言えば、奇跡的に不幸な出来事は起こらなかった。日米に多くの戦死者を出した激しい戦闘の中にあって、パラオの民間人にはたった一人の死者も出さなかった。そのようなプロセスから、今もパラオ人は日本人に対しネガティブな感情を持っていないのだ。】
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この記事によると、パラオ共和国は人口2万人、面積は459平方キロメートルの200以上の小さな国です。主な産業は観光で、前大統領は日系人のクニヲ・ナカムラという方だったとか。
日頃、「日本に対する敵対心を露わにしている国」のニュースばかり耳にしていると、こういう「親日国」の存在というのは、なんだか心が洗われるような気がしてきます。パラオの場合は、現地の人々と日本人との血の交流が進んでいるというのも大きな理由のようですが、パラオ以外にも、親日国というのは世界にはけっして少なくないようです。この記事では、経済的な繋がりが深く、人的な交流も盛んなオーストラリア、ロシアの圧制に苦しめられていたため、日露戦争での日本の勝利以来、日本に好感を持っている人が多いというフィンランド、和歌山県沖で遭難したトルコの軍艦の乗組員達に対し、地元の人が献身的な救助活動を行って以来の親日国であるトルコなどが紹介されていました。アジアに限っても、一部の地域を除けば、日本はけっして「嫌われ者の国」ではないのです。「親日国」というのがメディアなどでとりあげられることはあまりないので、「日本の周りは敵ばっかりで、『味方』はアメリカだけだ……」というような印象を持ってしまいがちですが、実際は、そこまで自虐的になるほど「みんなに嫌われている」わけではないようです。
しかし、「チチバンド」なんて、日本人にとっても「ブラジャー」のほうが一般的になってしまった日本語が、こうして太平洋の小さな国で現在でも使い続けられているというのは、なんだか不思議な感じです。ちなみに、パラオでは宇多田ヒカルの曲が大人気で、一番有名な日本人は、首都コロールの首長の親友であるアントニオ猪木なのだとか。猪木が「日本人代表」というのも、なんだかちょっと偏っているような気もしなくはないのですけど。
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2006年10月29日(日) ■ |
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その場しのぎの「代行サービス」 |
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「週刊SPA!2006.10/31号」(扶桑社)の特集記事「最新代行サービス(得)便利帳」より。
(特集記事のなかの「鼎談〜冠婚葬祭出席から気まずい電話まで『便利屋が代行した(珍)実例集』」の一部です。参加している「便利屋」の方々は、大池孝さん(東京便利代行サービス)、松浦孝信さん(NANBERI)川端昴さん(便利屋・新世界)の3氏が「トンデモな依頼の実態」を語られています)
【大池孝:多いのは、気まずい電話の代行ですよね。ほとんどは、会社をズル休みしたいけど自分では言えないから、親のフリして電話してくれというケース。中には入院先のナースのフリでお願いしますっていうのもありました。実際はピンピンしているんだけどね。
松浦孝信:便利屋にお金を払ってまで会社を休んで何をしているかというと、単に彼女と温泉旅行したいだけみたいな。
川端昴:某スポーツクラブの社長なんだけど、不倫相手の女性を若い男に寝取られた腹いせに、その2人の関係を会社にリークしてほしいってのがありましたね。
大池:恋愛絡みは××のフリして△△に会ってほしいという”なりすまし代行”も多い。一番印象的だったのは、ある女性からの依頼で、彼に上司との不倫がバレそうになったので、その上司に扮して彼に会って、疑惑を晴らしてほしいと。そのときは、土下座して謝ったうえに、念書まで書かされて大変でしたよ(笑)。
松浦:僕は、中国人女性とのできちゃった結婚を彼女の両親に認めさせてほしいから、自分の父親のフリをして中国での結婚式に出席してほしいというのがありましたよ。無事に許してもらえたのはよかったんだけど、親族一同の記念写真に一緒に写るハメになって困りましたよ。
川端:彼を自分の親に紹介したいんだけど、本当の彼は茶髪で遊び人風のプーだから、まじめな会社員風の彼を装って挨拶に行ってほしいというのもありましたね。
大池:どちらの場合も、絶対に近い将来バレますよね。
川端:少し冷静に考えればそうなんだけど、当人は切羽詰まってるから、その場さえ凌げれば、後はどうでもいいみたいな感じなんだよね。
大池:冠婚葬祭の代理出席の依頼も、頻繁にありますよね。新郎側と新婦側の出席者の人数合わせのケースが一番多いんですけど、便利屋に頼んでることを実は新郎側は知らないなんている訳ありパターンも少なくない。
松浦:元風俗嬢の新婦からの依頼で、普通のOLだと信じ込ませるために、会社の上司役のフリしてスピーチしたこともありますよ。】
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世の中には、いろんなことの「代行」を頼む人がいるものだなあ、と半ばあきれ返ってしまうような話の数々。まあ、「会社のズル休み」なんて自分自身ではやりにくいし、いい大人としては親にも頼みにくい。かえって「赤の他人」にお金で依頼したほうが後腐れがないというのも事実ではありそうです。それにしても「入院先のナースのフリで」って、会社の人がお見舞いに来たらどうするつもりなのでしょうか。
しかし、こうしてみると、けっこう大事そうなことも「便利屋」に頼んでしまう人というのも少なくないようです。「中国人女性とのできちゃった結婚での父親の代理」とか「遊び人風の彼の代理」なんて、この文章にも書かれているように「そんなのすぐにバレるに決まっている」し、「今後のことを考えたら、そんな場当たり的な嘘は、将来的にはかえってマイナスにしかならない」としか思えません。それでも人間っていうのは、「とりあえず今のこのピンチをなんとか乗り越えられればいい!」と考えてしまうものみたいです。実際は、こんなふうに「バカだなあ」って書いている僕だって、本当に自分が切羽詰ってしまえば、同じようなことをやらないとは限らないんですけどね。いや、ズル休みの電話とか、誰か代わりにかけてくれないかと思うもの。 「そのくらいのことも自分でできないのか!」とあきれてしまう一方で、「会社を休んで彼女と温泉に行くくらいのことでも、そこまでやらないといけないのか」と、少しせつなくもあるのです。
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2006年10月28日(土) ■ |
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「カップヌードル」のロゴに隠された「配慮」 |
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「オトナファミ」2006・AUTUMN(エンターブレイン)の記事「ブランドマネージャーが語る、カップヌードルの現在・過去・未来」より。
(日清食品のカップヌードル部ブランドマネージャー・脇坂直樹さんへのインタビュー記事の一部です)
【インタビュアー:カップヌードルを思いついた原点は何だったんですか?
脇坂:世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明し、1958年に発売した当初から日清食品の創業者である安藤百福には「インスタントラーメンを世界の食品にしたい」という志がありました。実際、チキンラーメンは海外でテスト販売していたんですが、その合理性から期待以上の評価を受けました。そこで夢を実現するために、1966年頃に安藤が欧米に視察旅行に行き、そこで見た光景がカップヌードルの原点になっています。今でこそ当たり前ですが、向こうではコーヒーや水のディスペンサーがオフィスに置いてあり、使用済みの紙コップを捨てていたんですね。どんぶりと箸がないと食べられないチキンラーメンと、欧米の生活スタイルの簡便性との差に安藤はカルチャーショックを受けたそうです。そんなとき、アメリカ人のバイヤーがチキンラーメンを半分に割り、紙コップに入れてフォークで食べる姿に衝撃を受け、容器入り即席麺というアイデアを思いついたんです。
インタビュアー:35年間、愛され続けている最大の理由は何だと思いますか?
脇坂:商品の完成度が高いことだと思います。包装も調理器も食器も容器が兼ねていて、お湯を注ぐだけの究極の加工食品。発売からスタイルが完成されていた商品はないんじゃないでしょうか。
(中略)
インタビュアー:カップヌードルの生みの親である安藤創業者会長ってどんな人?
脇坂:現在96歳なんですが、とてもお元気です。チキンラーメンを発売したのは昭和33年、48歳のとき。開発当時は、朝5時から夜中まで研究に没頭し、平均睡眠時間は4時間だったそうです。こんな生活を丸1年間も続けてチキンラーメンを開発したバイタリティの塊のような人です。以前、世界ラーメンサミットの記者会見で「インスタントラーメンって体によくないのでは?」という意地悪な質問が出たんですが、「私は創業以来、インスタントラーメンを毎日食べてきましたが、90いくつになってもこんなに健康です」と(笑)。
(中略)
インタビュアー:(安藤会長は)まさに、ラーメンを創るために生まれてきたような人ですね!?
脇坂:現在、インスタントラーメン業界は、全世界857億食もの大産業になりました。「即席麺の歴史=安藤百福の人生」と世界中で認識されていますし、”ファーザー・オブ・ラーメン”と呼ばれています。それというのも安藤は戦後の闇市で、1杯のラーメンを求めて長蛇の列になっている光景を目の当たりにしています。事業に失敗し、無一文になったとき、その光景を思い出して、安くておいしく、手軽に食べられるラーメンを作る決意を固めた。ラーメンが食生活を新しくすることを確信して開発にとりかかったんです。
(中略)
インタビュアー:なるほど〜。これからも新商品期待してます! ……ところで、脇坂ブランドマネージャーは何味が好きですか?
脇坂:う〜ん。やっぱりレギュラーが一番。どうしてもあの味に帰ってきちゃうんだよなぁ〜。】
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あまりに「あたりまえの存在」になりすぎて日頃意識することはなかったのですが、あらためて考えてみると「カップヌードル」というのは、確かに「完成された究極の加工食品」ですよね。「カップヌードル」とお湯(と箸かフォーク)があれば、世界中どこにいても同じ味のラーメンが食べられるのだから。しかも、長期間の保存が可能。
カップヌードルが発売されたのは、1971年ですから、今年ちょうど発売35周年にあたります。ちなみに、世界初のカップラーメンである「チキンラーメン」が発売されたのが1958年ですから、袋入りで丼を用意しなければならなかった「チキンラーメン」から、容器付きの「カップヌードル」のあいだには、13年もの月日が流れています。たぶん、この13年間で、技術革新が進んでいったのと同時に「容器を使い捨てにするというのを受け入れられるくらいには、日本が豊かになった」という面もあるのでしょう。
発売以降35年間に、さまざまな「新製品」が登場してきましたが、結局、カップ麺の世界での「カップヌードル」の地位が大きく揺らぐことはありませんでした。そういえば、僕は高校時代寮に入っていたのですが、他の寮生たちと寮監に隠れてカップラーメンを食べるとき、文句なしの一番人気は、やっぱりのこの「カップヌードル・レギュラー」だったんですよね。その時点で、すでに発売から15年以上経っていたのに。この35年の間、日清食品自身からもさまざまな「新しい味」が出ているにもかかわらず、結局、「レギュラー」が35年間ずっとこれだけのセールスを記録しているのですから、「カップヌードル」なかでも「レギュラー」は、本当に奇跡的な製品なのかもしれません。そのセールスの陰には、常に斬新なCMを送り続けるマーケティングの力も大きいのでしょうけど。
ところで、この特集記事によると、「カップヌードル」のカップのロゴは、「ド」だけ他の文字より小さくされ、目立たなくされているそうです。これは、【発売当時の日本では「ヌードル」という言葉に馴染みがなく、消費者が「ヌード」と勘違いして敬遠しないよう、そっと配慮した】のだとか。現在の僕たちからすれば「そんなの勘違いするわけないだろ!」と笑ってしまうような話なのですが、そんなことを日清食品が本気で心配してしまうような時代からずっと売れ続けているというのは、本当にすごいことですね。
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2006年10月27日(金) ■ |
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いちばん「変わった」のは、新庄自身なのかもしれない。 |
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スポーツニッポンの記事より。
【涙が止まらなかった。新庄がウイニングボールをつかんだ森本と1つになった。七色の紙テープが左中間の2人を包み込む。プロ17年間のすべてが終わった。弟分の左肩に顔を伏せ、新庄の号泣は止まらなかった。 マウンド上で人さし指を突き立てたナインの輪も外野へ向かった。まさに新庄のためにあった日本シリーズ。誰よりも真っ先に二塁後方で4度、宙を舞った。 「(強運を)持ってるわ、オレ。ほんと、この漫画みたいなストーリー。出来すぎって思いません?今後、体に気をつけたいと思います」 涙が乾いた記者会見ではすがすがしい笑顔を浮かべて笑いを誘った。 前日、自打球を当てた左ひざは大きく腫れていた。1―1の6回1死三塁からセギノールの勝ち越し2ランに「凄い」と声を張り上げて稲葉と抱擁。直後の打席では二遊間の打球に全力疾走。内野安打にして両手を広げて万歳した。 「この仲間とできなくなるという気持ちが強くて、7回くらいからボール見えなかった」 8回、現役最後の打席。涙でボールはかすんだ。初球を見逃し。マスク越しに中日・谷繁が「泣くな、真っすぐしか投げないから」とつぶやいた。体がねじれるほど振った。こん身のフルスイングこそが、新庄が新庄である“証”だった。空振り三振。最後までらしさを失わなかった姿に、万雷の拍手は1分近く鳴りやまなかった。 今季の新庄は一挙手一投足がまさに「遺言」だった。投手が打たれて沈痛な顔を見せれば「誰も悲しんどらんよ」、高橋や稲田ら知名度は低くとも明るい野手には「もっと素を出していけ」。かつて身近にいてほしいと感じた経験あるベテランを自ら演じ、強いきずなで結ばれた集団をつくり上げた。「(小学)2年生から34年生までやった」野球人生の劇的フィナーレ。阪神入団1年目、地元福岡・平和台で行われた2軍戦は先発落ち。出番は来たが、ネームボードはペンキが垂れて読めなかった。00年オフ、FAでメジャー最低保証額の年俸20万ドルでメッツ入り。夢を追い、海を渡ってまで足りなかったものを積み上げた。 17歳の時に7000円で購入したグラブを今まで使い続けてきた。踏まれて破れ、相手につかみかかったこともある。阪神のマークと当時の背番号「63」が縫い込まれた黒ずんだグラブは、補修と毎日の手入れを繰り返し守備力が生命線の新庄を支え続けた。そのグラブ、大腿部に腰、アキレス腱と満身創いの体を休ませる時がきた。日米野球を辞退、アジアシリーズにも出場しない。ヒルマン監督は「これ以上一緒にプレーできないのは残念。でも最高の形でグラウンドを去っていける」と別れを惜しんだ。 4万2030の観衆、そしてブラウン管越しに日本中のファンが背番号1の雄姿を脳裏に焼き付けた。 「きょうが最高の思い出になります。背番号1?ひちょりにつけてもらいたい。僕の気持ちはそうです」 通算打率・254は平凡かもしれない。でも“凡人”とは対極にいたプロ人生17年間。あの時と同じように、スコアボードの名前がにじんで見えたのは涙のせい。永遠に色あせることのない強烈な記憶を残して、新庄が野球人生の幕を引いた。】
新庄剛志選手のこれまでの成績
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まさに「漫画みたいなストーリー」が、僕たちの目の前で展開されました。新庄選手がシーズン序盤に「引退宣言」をした日本ハムは、シーズン後半から信じられないような快進撃を見せ、シーズン1位、エース・金村投手の「監督批判」が大きな波紋を呼んだものの、プレーオフも2連勝で通過、そして、日本シリーズでも、専門家からは「中日のほうが実力は上」と言われていたにもかかわらず、1勝1敗で迎えた札幌ドームでの試合で3連勝し、ついに「日本一」になりました。一昨年、昨年は、パリーグのシーズン2位のチームがプレーオフを通過し、さらに日本シリーズでも勝って「日本一」になっていたのですが、やはり、「ペナントレース1位、日本シリーズでも勝利」というのは、「誰もが認める日本一」という気がします。
しかし、シーズン序盤の新庄の「引退宣言」の時点では、本当に新庄が最後のシーズンを日本一で飾るなんて思っていた人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。パリーグは、ソフトバンク、西武、ロッテの「3強」の争いで、日本ハムはそのうちの「一角」を崩してプレーオフに出られるかどうか、というのが大方の予想だったのです。 新庄の「引退宣言」というのも、結果的には「ドラマの幕開け」になったわけですが、もし今年日本ハムが下位に沈んだりしたら、「シーズン初めから『引退興行』にしてしまった新庄のせいだ!」なんていう声も出てきたはずです。 第4戦で「涙の勝利投手」になった金村選手にしても、もし日本ハムがプレーオフで敗退していたり、自身が登板していた第4戦でメッタ打ちにされていたり、シリーズで日本ハムが負けていたりすれば、「戦犯」の1人として今後も白眼視され続けることは確実だったわけで。 昨日のビールかけの映像を観ながら、朝のワイドショーで小倉さんが「ダルビッシュが20歳になっていて良かった!」と言っていたのにも苦笑してしまいました。そういえば、いつから「解禁」になったんだ?
終わってみれば、北海道のファンに後押しされて「圧勝」だったようにすら思える今年の日本ハムなのですが、実際はかなり「危ない橋を渡り続けて」これだけの結果を残したのです。逆に、勝負事というのは「とにかく勝ちさえすれば、いろんな問題はほとんど解決される」ものなのだなあ、と感心してしまうくらいです。
僕は阪神時代からメジャーリーグ移籍後までの新庄選手があまり好きではなくて、阪神時代にいきなり「引退宣言」なんてした年には、「何考えてるんだこいつは……」などと半ば呆れかえっていたものでした。 そもそも、参考リンクに挙げた新庄選手の毎年の成績を確認していただければ、新庄選手は今まで一度も打率3割あるいはホームラン30本を達成したことがない「記録には残らない選手」なのですよね。まあ、広い守備範囲と強肩、チャンスに強いバッティング、そして、なんといっても観客をひきつける「華」というのは、新庄選手の「記録に残らない」大きな価値ではあったのですけど。
3年前に日本ハムが北海道に移転してきたとき、新庄は、新しいチームの「目玉」としてメジャーリーグから移籍してきました。入団会見を大勢のファンの前でやったり、かぶりものやホームランの「命名」など、とにかく日本ハムというのは、「新庄がいるチーム」として北海道に浸透していったのです。そして、その陰には、チームの営業スタッフが、北海道のほとんどすべての地域を自分たちの足で回って、地道に広報活動をしてきた効果もあったはずです。考えてみれば、あの広い北海道のことですから、実際の「北海道日本ハムファイターズ」の「商圏」というのは、札幌近辺が大部分のはずで、網走や根室にどんなに「営業」に行ったところで、その地域の人たちが実際に球場に足を運んでくれる機会というのは、そんなにはなさそうなのに、それでも「北海道のチーム」として道民にアピールし続けた球団スタッフの努力が、まさに「結実した」優勝なのかもしれません。
僕は、新庄のあまりに何も考えていなさそうなキャラクターが好きではなかったのですけど、日本ハムに入団してからの新庄は、明らかに変わってきていました。それまでは「新庄剛志」個人が目立つことが多かったのですが、日本ハムに来てからは、「札幌ドームを満員にする」ことを公約に掲げ、パフォーマンスをやるときも自分ひとりだけではなくて、「弟分」の森本選手をはじめ、他の日本ハムの選手たちを「引き立てる」ことに心を砕いているようにも見えました。そして、昨日の優勝決定後の表彰式でも、いちばん端で、静かに喜びに浸っているように僕には見えたのです。 たぶん、「なんでアイツばっかり」というような雰囲気も、日本ハムのチーム内にはあったはずです。だって、成績そのものは、一年目の2割9分8厘、28本塁打は、かなりのものだとしても、それ以降は、「打撃だけなら、レギュラーも厳しいのでは……」というようなものでしたし、かなりの高年俸でしたし。 でも、日本ハムというチームで野球をしていくうちに、新庄自身も少しずつ変わっていったと僕は感じているのです。最近の新庄は、自分が目立つというよりは、チームの他の選手たちや日本ハム球団や北海道という土地の「引き立て役」であろうとしているように見えました。 派手なパフォーマンスとマイペースな生きざまで人々を魅了し続けた新庄だけれど、「17歳の時に7000円で購入したグラブを今まで使い続けてきた」なんていうエピソードの中にいる「自分のやるべきことにこだわり続けている、足元を見失わない男」が、本当の新庄なのかもしれません。 少なくとも「自分だけが目立てばいいと考えている選手」を、いくらスター選手だからといって、みんなは一番最初に、監督より先に胴上げなんてしなかったはずです。
「背番号1?ひちょりにつけてもらいたい。僕の気持ちはそうです」 おそらく、以前の新庄なら、自分の背番号が「永久欠番になること」を望んだのではないでしょうか。 こうして、みずから「後継者」まで指名して、北海道のファンに今後もファイターズを応援してくれるよう言い遺して引退していく新庄。なんだか、あまりにもカッコよすぎるよ。 この「北海道日本ハムファイターズ」の3年間でいちばん「成長」したのは、実は、新庄剛志自身だったのかもしれません。
引退会見で、新庄は、【北海道で種をまき、水を与え、3年目で金色の花を咲かせられたことがうれしい。夢を探して、みんなをあっと驚かせることをやり続けたい】と語っていました。まだまだ、この男の「成長」は続いていきそうです。
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2006年10月25日(水) ■ |
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書店のトイレに「引きこもる」人々 |
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「書店繁盛記」(田口久美子著・ポプラ社)より。
【ジュンク堂の女子トイレには「長時間のご利用はご遠慮ください」という趣旨のポスターが貼ってある。時々首をひねりながら読んでいる女性や、「なにこれ?」と笑いながら指をさしている二人連れを見かける。私だってよその店で見かけたら不審に思うだろう。 かなり前のことだが、『本の雑誌』で「書店に行くとどういうわけかトイレに行きたくなる」という投書が話題を呼んだことがあった。共感・反論の葉書がかなり寄せられて、紙面をにぎわせた。当時私は百貨店勤務だったので、たいした実感もなく「たわいもないこと」などと思っていたのだが、書店ビルに勤務すると「いや、根拠がないこともなかったようだ」などとしきりに思うようになった。 書店とトイレには怪しい関係があるに違いない。その極端な形が「ひきこもり」だ。 ポスターを貼って警告するなんて、ひきこもっている当人が気の毒ではないか、きっと心に病を抱えているのだろう、出たくでも出られないのだ、などとちょっと迷ったりもした。しかし、数時間も占拠されるよとちょっとね。それに心ゆくまで「よそんち」のトイレにひきこもって、その病気が(私は病気だと思う)治るのだろうか。「その人は行く場所を間違えていますよ、トイレじゃなくて病院へ行ったほうがいいですよ」と逡巡する私の背中を売場の社員が押してくれる。
(中略)
思い起こせば何年か前にも「ひきこもりオネエサン」がいましたね。あれは二代目の店長の山下繁のときだったから、2001年の増床より前だった。
(中略) あの頃私は1階が常駐フロアであった。女子トイレは3階で、一日に数度はお邪魔する。ある日ふと気づいたのだが、個室の隅にコンビニ弁当とお茶のボトルのカラが置いてある。一度目はアレっと思った程度だが、何日か続くと気になる。何でしょうね、トイレで食事とは。清掃員に聞いてみた。「気づきましたか? ここのところ毎日のように閉じこもるひとがいるんです。長いときには半日」「えっ? そんなに長く、何をしているの?」「知りません。いつ行っても掃除ができないんで、ドアを叩くんですが、返事がないんです。お昼ごはんだけじゃなくてタバコも吸っているらしくて、煙が出ているときがあるんですが」「姿を見かけたことは?」「はっきりとは分からないけれど、もしかすると、という人はいます」 店長の山下と相談して、いろいろ事情はあるかもしれないし、きっと哀しい人なのだろうが、とにかく出て行ってもらいましょう、ということになった。次にこもっていたら知らせてください、と清掃員にお願いした。 翌日か翌々日には「発見」の連絡が入った、と思う、とにかくそんなに日をおかずに「来襲!」とあいなった。開店してすぐに入った女性(多分)が1時間以上も出てこない、ということだ。山下と私はとにかく駆けつけた。山下は「すみません、僕は入るわけにいかないので、田口さんが」と、すがりつくように言う。まあ、そりゃあそうだろう、と思いながら、こんなときはどう言えばいいんだろう、と考えあぐねるのだが、どうしたっていい答えは思いつかない。なんといっても特定の方法がないのだ。誤認だったらどうする? トイレにこもるのは「犯罪」ではないし。 清掃員は時々ドアをノックしたけれど、反応がない、と個室に聴こえるように言う。もう2時間近くですよ、と。私は「中でタバコを吸っているって、本当?」などとこれも大きな声で言う。「困りましたね、警官を呼びましょうか」とわざとらしいことを言う。個室は相変わらずシーンとしている。「すみません、清掃の時間なので出ていただけますか」と清掃員はドアを叩く。シーン。 もう少し様子をみましょう。変化があったら連絡してください、と清掃員にお願いしていったん引き上げた。こんなことばかりに関わっているわけにいかない。「でも何とか今日中に解決したいですね。何かいい案はないでしょうか」と山下と顔を見合わせるのだが、いい知恵など出ようがない。知恵より「彼女」に出てもらわねば。 しばらくして「どうも出る気配がある」という連絡が入った。身体はおっとりがたなだが、頭はなんて言ったものやら、という状態で駆けつけた。ちょうどトイレから出てきた「彼女」と入り口で鉢合わせをした。「彼女」の向こう側で清掃員が指をさしてうなずいている。歳の頃は30代前半で、髪を肩までたらし、黒ぶちの眼鏡をかけたちょっと小太りの「彼女」であった。 頭がまとまらないまま、「すみません、トイレに長時間こもっていられると困るんですけれど」と直球で言ってしまった、かなりきつい調子だったと思う。「私じゃありません」と「彼女」は逃げの姿勢に入りながら答える。ここで逃げられたら、また来るかもしれない、と私は必死だ。いや「彼女」のほうがもっと必死だったようで、書棚の向こう側に逃げようとする。清掃員は盛んに指を指して「間違いない」というような合図を送る。「タバコを中で吸っているようですが」「だから、私じゃないです」と背中をみせながら「彼女」は怒鳴る。「こんどみつけたら、警察に行ってもらいます」と私もその背中に怒鳴る。 あっという間に「彼女」は去ってしまった。以来トイレは平穏に戻った。「彼女」はもっと気に入った「トイレ」を見つけたのだろうか。
今思い出しても明るい話題ではなかった、としみじみ思う。 今回のポスター騒ぎは「彼女」の再登場だろうか、という疑念がつきまとう。だが正体は突き止められないままになっている。とりあえずポスター効果があったのか、長時間の占領も止んでいる。 「彼女」の話を某大学出版の編集者にしたら、「ウチの大学では何人か常連さんがいるようですよ」と怖い答えが返ってきた。三年前に入社した社員に話したら、「私はアメリカに旅行したとき、マクドナルドのトイレに入ったら、個室に女の人がいて「ウェルカム」って言うんです。周りには生活用品が置いてあって、どうも住んでいるみたいで」こうなると個人の病というより、社会の病のようだ。 どうも「書店とトイレ」というよりトイレそのものに「魔」が住んでいるようだ。昔の人が「厠」の方角を気にしたというのもわけがあるに違いない。 最後にひとこと、トイレに携帯電話を落としたら、黙って帰らないで、すぐにお知らせください。】
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「ジュンク堂」池袋店の副店長であり、書店員として30年以上のキャリアを持つ田口さんが「書店員という仕事とそこで働く人々」について書かれた本の一部です。 僕もときどき「ジュンク堂」を利用するのですが、少なくとも僕が行く福岡店に関しては、「あのトイレに引きこもろうとは思わない」です。トイレそのものも、「個室」も狭いし、正直、あまり「清潔」でもありませんし。 「(書店として)売場面積日本一」のジュンク堂・池袋店には、福岡店よはもう少し広くて立派なトイレがあるのかもしれませんが、それでも、トイレというのは書店にとっては「無くては困るけれども、売り物になる場所ではない」でしょうから(むしろ、万引きの温床になりやすいそうですし)、少なくとも一般的には「すごく居心地のいい場所」ではないはずです。そもそも、「ジュンク堂」なら、座って本が読めるスペースがかなり広く設置されているはずですから、わざわざトイレに篭らなくても、という気がするのですが、この文章を読んでいると、こういう人は、この「彼女」だけではないようなんですよね。 「某大学には何人か常連さんがいる」そうですし、アメリカのマクドナルドには「住んでいる人」もいるのだとか。本屋であればトイレで本を読んで時間も潰せるでしょうが、マクドナルドのトイレで、どうやって生活しているのでしょうか?うーん、僕には想像もつきません。
僕もトイレで本を読むことはありますし、仕事に煮詰まったときに昼間に当直室に篭って本を読んでいて、外から清掃員さんにドアをノックされまくって気まずい思いをしたことがありますから(あれって、出てこい!って強く言われるほど出て行けないものなのです、本当に)、そういう「狭い空間に篭る快感」みたいなのはわからなくもないのです。それでも、トイレで食事をしようとまでは思わないけれど。 それこそ、引きこもりたければ家に引きこもればいいし、それでも家の外で弁当を食べたければ公園に行けばいいし、昼間に行くアテが無いとしても、図書館のほうがまだ気が利いているような気はします。
そう考えてみると、おそらく「仕方なくトイレに篭っている」というよりは、「トイレの個室の中にいるのが、いちばん快適だと感じている人」というのが、かなりの数、存在しているということなんですよね。それも、洋の東西を問わず。そう考えると、確かに、トイレというのは、「特別な場所」なのかもしれませんね。自宅のトイレじゃダメなんだろうし。
しかし、他のお客さんや書店側としては、混雑しがちな女子トイレの個室を占拠されるのは困ったものでしょうし、タバコまで吸われては防災上も問題があります。でも、「トイレに篭ってはならない」という法律があるわけでもないし、篭っている人も「ワケアリ」なのでしょうから、退去していただくのも「辛い仕事」ではありますよね。好きな本を売ってお金を貰えるのだからいい仕事だよなあ、なんて考えがちなのですが、書店員には、こんな「力仕事」もあるなんて……
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2006年10月24日(火) ■ |
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「コント」と「コメディ」と「笑いの多い舞台」の違い |
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「演技でいいから友達でいて〜僕が学んだ舞台の達人」(松尾スズキ著・幻冬舎文庫)より。
(松尾スズキさんが、さまざまな「舞台人」たちと対談されたものをまとめた本。ラサール石井さんの回の一部です)
【松尾スズキ:ところで石井さんは、コントとコメディと笑いの多い舞台の違いを、実際すべて経験している人間として、どう捉えているんでしょう?
ラサール石井:まずやっぱり、コントは時間的にも内容的にも圧縮されてますよね。で、笑わせることをまず目的としている。その度合いがいちばん強いのがコントですね。でもリアリティーは絶対なきゃいけない。下手な漫才が会話に見えないから笑えないのと同じように、リアリティーがないと絶対に笑えないから。ただ、その振幅の幅は極端なほうがいい。技術的に言うと、声が大きいほうがいいとか、できるだけ正面を向いたほうがいいとかね。コントは長くても15分だから、芝居をやるときみたいに、最初はわざとシリアスなトーンで入ってみるとか、ものすごく日常的な設定を見せるとか、そういう演劇的なことをやっていると、笑いまで届かない。笑いを求める度合いが強いだけに、その辺は省いていかないと。
松尾:コメディはどうですか?
石井:ある程度筋があるから、ストーリーに沿って進みますよね。そこでちょっと日常的なことは出てきますけど、まあコメディだったら、CMネタを言っても楽屋落ちがあってもOKだし、演者が先走っていることがあってもいい。でも、それが「笑いが多い芝居」ということになると、「そこにいるその人はそれは言わないだろう」っていう最低限のルールを守らないといけないと思うんですね。あえてそれを壊す喜劇もあるだろうけど、そしたらそれを満たすだけの計算が随所にないと、演劇として成り立たないから。いずれにしても、どれをやるにしろリアリティーは必要で、そのためには芝居がちゃんとできないとダメですよね。よく、コントと芝居は別だと思ってる俳優さんに、「僕もコントがやりたいな」なんてふざけて言われるんだけど、「いや、あなたはその前に演技をやったほうがいい」って、僕はいつも思うんですよ。
松尾:コントが上手い人って、基本的に芝居も上手いですからね。
石井:芝居をちゃんとしないと、人は笑わないんですよ。僕はときどきコントのワークショップをやるんだけど、だいたいいつもやる設定は、学校をエスケープしようとする不良学生と、それをやめさせようとする真面目学生。それをアドリブでやらせると、まず不良学生がそこに居ようとするんだよね。2人がそこにいることが予定調和になってしまって。で、「不良学生はエスケープしたいんだから、行けよ」って言って、袖のほうに行かせると、今度は真面目学生がそれをボーっと見てる。だから「それじゃダメだよ、止めなきゃ」って言って、引き留めさせて、「学校のどこがつまんないんだ?」とかいろいろ質問させて。ちなみに、さっきのコントとコメディの違いで言えば、このとき袖の近くで引き留めても、そこでそのまま芝居を続けるのがコメディ、不良学生をそこから中央にいちいち引っ張ってくるのがコントですよね。
松尾:なるほどなあ。
石井:ワークショップでは、そうやって僕がああしろ、こうしろって指図しながらコントを続けさせて、参加者はその間を覚えていくわけなんですが、じつはこれ、コントの練習じゃなくて、芝居の練習なんですね。要は、常にどうリアルさを保っているかっていうことなんですよ。芝居のワークショップとして、コントを使っているんですよね。】
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この石井さんのお話を読んでみると、「コント」と「コメディ」と「笑いの多い舞台」には、どれもその基本は「芝居」であるという共通点があるみたいです。「面白くないコント」を見せられたときに、多くの人は「ネタがつまらないから笑えない」と考えがちなのですが、実際は「芝居ができていないからネタが生かせない」ことも少なくなさそうです。 【よく、コントと芝居は別だと思ってる俳優さんに、「僕もコントがやりたいな」なんてふざけて言われるんだけど、「いや、あなたはその前に演技をやったほうがいい」って、僕はいつも思うんですよ】という部分などは、まさに「コント」と「コメディ」と「舞台」を長年やってこられた石井さんの真骨頂です。確かに「お笑い」をやってきた人が役者として大成功している例はけっこう多いですし、逆に、優れた役者というのは、人を笑わせる演技というのも上手なんですよね。
ここで石井さんが挙げられている「不良学生と真面目学生のコント」は、とてもわかりやすい例えです。もし僕がこのワークショップに参加して、不良学生の役をやっていたら、「舞台の上でどんな面白いことを言おうか……」ということばかり考えてしまって、学校をエスケープしたいはずの不良学生が、どんどん舞台の中央ににじり寄ってしまいそうです。そして、僕がどんなに舞台の中央で「面白いこと」を言おうとしても、観客には「何のための不良役なんだ?」と「設定を生かせていない」ようにしか感じられず、観客はかえってしらけてしまうのではないでしょうか。
「最近の『お笑い』は、同じような『あるあるネタ』ばかりだ」と嘆いている人はけっこう多いのですが、逆に「誰もが驚くような斬新なネタ」なんていうのがそんなにしょっちゅう世に出るわけもなくて、同じようなネタを「どんなふうに演じるのか」のほうが、「差別化」には重要なのかもしれません。あらためて考えてみれば、売れている芸人というのは、みんな自分の「型」を持っていますし、「芝居上手」なのです。
人を笑わせようと思うほど、送り手のほうは真面目に演じなければならないのです。確かに、自分の話に笑いながら喋っている人って、聞いている側にすれば、全然面白くないことが多いですしね。
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2006年10月23日(月) ■ |
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5億円使っても満たされない「渇き」 |
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日刊スポーツの記事より。
【宇多田ヒカル(23)の母で歌手の藤圭子(55)が今年3月、所持していた現金約42万ドル(約4900万円)をニューヨークのケネディ国際空港で差し押さえられていた件で、22日放送のフジテレビ系情報番組「スタメン」の取材に応じた。多額の現金はカジノで使うためだったと説明し、「カジノの利用者が大金を持つのは当たり前。(麻薬探知犬が現金に反応して)悪人みたいに思われたけど、麻薬なんて全く関係ない」と主張した。
また、ここ5年は欧州各国やオーストラリア、米国内を航空機のファーストクラスで移動して、渡航先では高級ホテルに数カ月連続で滞在する生活の一端を明かし、「5年で5億円は(銀行口座から)現金を下ろした」と説明。生活レベルから、多額の現金を持っていても不自然ではないとした。藤は宇多田の所属事務所役員を務める。同事務所代表で夫の宇多田照実氏は米検察当局に対し、差し押さえられた現金の返還を求める民事訴訟を起こすという。】
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5年で5億円…… 藤圭子さんは大スターですからお金持ちではあるんでしょうけど、さすがにこの大金には、娘の宇多田ヒカルさんの稼ぎの一部も含まれているのだろうと思われます。しかし、「ここ5年は欧州各国やオーストラリア、米国内を航空機のファーストクラスで移動して、渡航先では高級ホテルに数カ月連続で滞在する生活」というのは、一般人の感覚で言えば、やっぱり「まともじゃない」ですよね。 ワイドショーなどでは、この藤圭子さんの「ご乱行」を嘲笑するようなコメントが多発しているようなのですが、僕はこの記事を読んで、なんだかとてもいたたまれない気持ちになってしまったのです。僕もギャンブル好きだし、この週末もパチンコや競馬で惨敗してしまったばかりだったので。 いや、「いつか3億円が中るかもしれないと思って毎年10枚ずつ宝くじを買い続ける人」というのは、全然病んではいないと思うのですよ。そのレベルで「消化」できているのなら、十分許容範囲内だと思うから。
「人はなぜギャンブルにハマってしまうのか?」と考えることがあるのですが、僕自身に関して言えば、「お金が欲しい」というよりは、「気分転換」、もっと切実な言葉にすれば「現実逃避」だったりするわけです。長年競馬やパチンコをやっていて、ある程度の学習能力がある人間であれば、「こういうギャンブルというのは、なんらかの『ウラワザ』を持っていないかぎり、やればやるほど負けていくばかり」ということに気づかないはずがないのです。現実に、競馬のインターネット投票をするための銀行の口座からはどんどんお金が減っていき、入金することはあっても出金した試しはなく、勝つ頻度、勝つ金額に比べれば、負けたときのダメージはあまりに甚大なことばかり。でも、止められない。 藤さんの場合は、少なくとも数億円くらいは損をしていると思うのですが、いくらなんでもそれだけ負ければ「学ぶ」のではないかと考えますよね普通は。 でも、実際は、それだけ負けても藤さんは同じ生活を続けているのですから、これはもう「勝ちたいとか、取り返せるとか信じているのではなくて、ただただ麻薬に溺れてしまっているように、ひたすらお金を遣い続けている」ようにしか思えません。そして、彼女のような大スターにも(大スターだから、なのか?)、何億円ものお金を投げ捨てても埋められない、でも、それ以外に埋める方法が思いつかないような心の闇がある、というのは、なんだかとても怖い話なのです。僕などは、1回、100万くらい一度に負けたら、目が覚めるんじゃないか?と夢想することがあるのですが、たぶん、金額の大きさで解決できる問題ではないのでしょう。じゃあ、今度は200万円!とエスカレートしていくだけで。 負けることは頭ではわかっているはずなのに、生活に困って一か八かの勝負をしなければならないわけでもないのに(むしろ、経済的には大きなマイナスにしかならないのに)、それでもギャンブルは止められない。 「人生の何がそんなに面白くないんだ?」と問われても、僕自身にもよくわからないんだけどさ。 どんなにお金をばらまいても満たされないとき、人は、いったいどうすれば救われるのだろうか?
参考リンク:「借金は身を滅ぼす」
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2006年10月21日(土) ■ |
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「人を傷つけずに話すコツや相手に嫌われず楽しませるコツを教えてください」 |
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「週刊プレイボーイ」2006/10/30号(集英社)の「リリー・フランキーの人生相談・エロ話だっていいじゃないか!」(構成/吉田豪)より。
【――今週もハガキでの相談です!
「僕は、今まで他人から嫌われることが多かったように思います。その原因は、人と話すときに思いやりに欠けていて、人を傷つけていたことにあるのではないかと、最近、家族に指摘さて、25歳で初めて自分の欠点に気がつきました。こういう性格を直そうと相手を気遣うように心がけているのですが、どうしてもぎこちない会話になってしまいます。人を傷つけずに話すコツや相手に嫌われず楽しませるコツを教えてください」(匿名希望)
リリー:この人は、家族からお前のものの言い方はよくないよって言われたってことなんだけど、どんな言い方をしてたんだろう。「失せろ、バイタ!」みたいな感じかなあ?「お袋とヤッてろ!」とか(笑)。
――マザーファッカーの直訳(笑)。
リリー:でも、適度の毒っていうのは会話の面白さには必要だからね。特に男の子は。
――徹底した、いい人って困りますよね。
リリー:むしろ、悪意を感じるよね(笑)。まったく毒のない会話を100%成立させる人って、絶対、何かを売ろうとしてるでしょ。
―高い鍋とか洗剤とか(笑)。
リリー:よく「面白い会話教室」みたいなところでなにを教えてるのかって思うんだけど、たぶん相手の話をよく聞いてちゃんと答えてあげる、みたいないわゆるデート術でしょ? でも、男でそういう話し方するヤツって面白くないよね。
(中略)
――「人を傷つけずに話すコツや相手に嫌われず楽しませるコツを教えてください」っていうことなんですけど、それについては?
リリー:それは無理だよ。
――ダハハハ! 無理ですか(笑)。
リリー:だって会話をしていれば、絶対に相手が気に入らないことも少しは出てくるから。でも、絶対に同じ波長の人はいるよ。気を遣わないでも楽しく話せるような人が。
――リリーさんは他人に気を遣ったりします?
リリー:するよ。酔ってると特にいろんな人に冗談を言って、次の日に「ああ、変なこと言っちゃったな…」って心配したり、その後、気を遣っちゃったりすることがすごいある。まあ、なにを言っても冗談を言っているわけだから、そのことに目くじらを立ててほしくないけど、そんな自分の気持ちが伝わってないような人もいる気がする。だから、ノリが合う人同士じゃないとキツイ場合があるよね。
――とりあえずは自分とノリが合う人を探せ、と。
リリー:でも、こういう意識がある人は大して人を傷つけてないと思うけどなあ。…実際、コイツに会ったらひどかったりしてね。
――ダハハハ! ジカに呼んでみたらスゴかったり(笑)。
リリー:「おい、そこの死にかけ、スカしてんじゃねえぞ!」って感じで、あいさつからいきなり失礼だったりして(笑)。そりゃ親も言うな、みたいな。
――そうなると、親の教育から問題だったんじゃないかってことになりますよね。
リリー:そりゃそうだよ。親も指摘するのが遅えよって話だよ(笑)。】
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「人を傷つけずに話すコツや相手に嫌われず楽しませるコツを教えてください」 この質問をする相手として、リリー・フランキーさんが「適切」かと言うと、かなり疑問ではあるのです。だって、少なくとも僕がテレビで観ているリリーさんは、「別に人に嫌われたってしょうがないや」という感じでいつも喋っておられるので。 でも、確かに「25歳まで気づかなかった(あるいは、誰も指摘しなかった)のかよ!」と考えてしまう話ではありますよね。僕もリリーさんが仰っておられるように「こういう意識がある人は、大して人を傷つけてないと思う」し、年齢のわりに自意識過剰なだけなのではないかなあ、という気もするのですけど。 このリリーさんの「回答」のなかで印象深かったのは、【だって会話をしていれば、絶対に相手が気に入らないことも少しは出てくるから。でも、絶対に同じ波長の人はいるよ。気を遣わないでも楽しく話せるような人が。】という部分でした。まあ、問題のすり替えと言えなくもないのですが、リリーさんは「他人を傷つけない会話術を身につけようとするよりも、素の自分でラクに話せるような相手を見つけたほうがいい」とアドバイスされているのです。確かに「万人に通用する会話術」をマスターするには、人生はあまりに短すぎるのかもしれません。
僕がネットをやっていて感じるのは、人間の「性格」とか「話しかた」なんていうのは、その人の置かれた状況や受け手がどんな人かによって、全然評価が違ってくる、ということなのです。大勢の「理論家」の人たちが難しい話とか「論理的思考」を「人気ブログ」に書かれているのですが、あんな高度なことを緻密にチクチク書いて容赦なく他人を責めたてるような人と直接会って話をして楽しいか?とか、友達になって心地よいか?と言われると、僕は考えこんでしまいます。いやもちろん、彼らが友達の前でもそういうキャラクターだとは限らないのですけど、ディスプレイ越しに多くの人に「支持」されるキャラクターと、日頃接する友達として望ましいキャラクターというのは、必ずしも同じものではないんですよね。仕事とか付き合いとかでどうしても適応せざるをえない場面はあるとは思うのですが、それ以外は、むしろ、「相手に自分を合わせる」ことに消耗しきってしまうよりも、「自分に合った場所を見つける」ことのほうがはるかに有意義な場合も多いはずです。実際は、本当に「ノリが合う」相手かどうかというのもなかなか判断が難しいところがあるし、最初は合うと思っていた人でも時間が経つにつれてズレが目立ってきたり、その逆の「意外といいヤツだった」というパターンも少なくないのですが。 とりあえず、「結果を恐れて黙っているだけでは、何もはじまらない」ということだけは、間違いないのでしょうけど。
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2006年10月19日(木) ■ |
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それなら、「銀河鉄道999」もパクリではないのか? |
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スポーツニッポンの記事より。
【漫画家の松本零士氏(68)が代表作「銀河鉄道999」のフレーズを盗作されたとして、歌手の槇原敬之(37)に抗議していると、19日発売の「女性セブン」が報じており、松本氏はスポニチの取材に「私の言葉を奪われた。どうしてごめんと言えないのか」と怒りが収まらない様子。槇原側も「盗作呼ばわりされて嫌な気分。法廷で争ってもいい」と不快感をあらわにし、全面対決の様相だ。 問題となっているのは槇原の作詞作曲で人気デュオ「CHEMISTRY」が今月4日に発売した新曲「約束の場所」。スープのCMソングとしてお茶の間にも流れ、オリコンチャート4位に入るなどヒット中だ。 松本氏が「盗作」と断じているのは、「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」――というサビの部分。これが「銀河鉄道999」(小学館刊)の第21巻に登場する「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズに「そっくりだ」と主張している。 これは主人公の星野鉄郎のセリフとして使われるだけでなく、作品全体のテーマにもなっている言葉。松本氏は「私のスローガンのような言葉。これを題目に講演会などで若者にエールを送っており、ファンにはなじみ深い。彼が知らないわけがなく、勝手に使うのは盗作」として抗議した。 両者の話し合いが持たれたのは先週末。松本氏によれば、電話で2度話したところ「当初は“知らない”と言っていたが、2度目は“どこかで聞いたものが記憶にすり込まれたのかも”とあいまいな説明に変わった」という。さらに、16日にレコード会社幹部が謝罪に訪れ「槇原本人が“記憶上のものを使用したかもしれない”と半ば認めたとの説明を受けた」と強調。「本人の口からきちんと謝ってほしい」と求めている。 これに対し、槇原の所属事務所は「槇原が自分の言葉で作ったもの」と完全否定。「銀河…」を読んだことすらないとし「そこまで盗作呼ばわりされたら、先生の“銀河鉄道”というタイトル自体、先人が作った言葉ではないのかと言いたくなる」と不快感をあらわに。「ぜひ訴えていただいて…」とまで語り、法廷で争うことも持さない構えだ。】
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僕はこの記事を読んで、なんだかとても悲しい気分になってしまいました。確かに「銀河鉄道」という設定はパクリだから宮沢賢治に謝れ!とかいう話になってくると、もうこれは泥試合になってしまうことは目に見えてしまうわけで。 この「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」という歌詞が、松本零士さんの作品中の言葉に「酷似している」のは事実ですし、槇原さん側は否定しているようですが、「どこかで読んだり聞いたりして、影響を受けている」可能性は十分にあるはずです。でも、こういう言葉って、どこにでも転がっていそうでもあるし、「自分のもの」だと主張するには特殊性に欠けるし、「彼が知らないわけがない」と言えるほど「松本零士の言葉」として世に知られているかと言われると、ちょっと苦しいのではないかと思われます。 この記事の内容からすると、最初に槇原さん自身が「松本さんのマンガを読んだりお話を聞いたりしたときに、その内容が耳に残っていたのかもしれません」と直接「謝罪」していれば大きな問題にはならなかった可能性もありますが、槇原さん側としても自分の記憶にはっきり残っているわけでもないのに、そう簡単に「言葉を借りました」とは言えないでしょうし。まあ、少なくとも「ものすごく似ている」のは事実ですから、槇原さんは松本さんに直接「説明」すべきだったのではないか、という気はします。ただ、「あの歌詞はオレの作品からの盗用だ!」ってアーティストや小説家に抗議してくる人はものすごく多いらしくて、個別に対応していたら、キリがなくなってしまう、という話を聞いたこともあるのです。 あからさまな「盗用」ならさておき、このくらいならば、「ああ、オレの作品に影響受けてるんだな、このアーティスト」と、苦笑するくらいで良いのではないかな、と僕は思うのですが。 作家にとって「自分の言葉」っていうのが大事だというのはよくわかるのですけど、結局、「本当に誰の影響も受けていない表現」なんて、この世には存在しないのではないでしょうか。 しかし、「アーティスト」っていうのは、つくづく「自意識過剰な生き物」みたいです。僕には、そんなに珍しい言葉でも、わざわざ「盗用」するほどの表現でもないようにしか感じられないのだけれど。
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2006年10月18日(水) ■ |
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「俺が光GENJIで、あとはその仲間たち」だった頃 |
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「CONTINUE Vol.29」(太田出版)のインタビュー記事『電池以下』(吉田豪・文、特別ゲスト・掟ポルシェ)の「第30回・諸星和己の巻」の一部です。
【吉田:「芸能人がモテなくてどうするんだ」とも著書に書いてありましたけど、それはホントにその通りだと思うんですよね。
諸星:ですよね。変な話、モテなくてアイドルやってられますか? もともと、この世界にあんまり興味なかったし、レコード大賞取ったときにはもう辞めたかったの。そのうち僕が天狗になって、解散みたいになっちゃったんだけど。
吉田:ダハハハハ! 諸星さんが原因で!
諸星:でも結局、原因は僕のせいみたいになってますけど、裏は違うっていうか。ただ、それでも僕がジャニーズが好きなのは……いや、ホントは嫌いなんですよ(笑)。
吉田:どっちなんですか(笑)。
諸星:嫌いだけど、あの人の発想が好きで。僕が両足骨折したことがあるんですよ。スケート履けないからどうしようって話になったときに、ジャニーがなんて言ったと思います? 車椅子じゃないんですよ。「ユー、ギブスにタイヤ付けろ!」って(笑)。その発想は好きなんですよね。誉めたくはないけど、「すげえな、この●●」って。
吉田:載せられないですよ(笑)。まあ、著書でもハッキリ言ってましたよね、「ジャニーさんは俺のこと嫌ってたと思うし、俺自身も好かれたいと思わなかった」って。
諸星:そう、知ったこっちゃないし。でもいまそれを思うと、逆に僕は感謝してる。
掟:ジャニーズの方にお話を聞くと、ジャニーさんの悪口は全然言わないですよね。
諸星:僕だけですよ、悪口言うのは(笑)。
吉田:でも、ローラースケートを履かされるのって最初は嫌じゃなかったですか?
諸星:うん。それで合宿所でブラブラして、男闘呼組の成田昭次と一緒にギターいじったりしてたら、ジャニーが「田舎に帰れ!」って言うんですよ。「拾ったのはお前じゃねえか!」って言いながら、帰るフリして小田急線の小田原駅で寝泊りしてね。
吉田:またホームレスに戻って(笑)。
諸星:でも、それは別に嫌いじゃないんで。
吉田:最初の『夜のヒットスタジオ』出演でローラースケートで転んだとき、ジャニーさんに「お前がこんなのやらせるから恥かいたんだ、この野郎!」って噛みついた話も大好きだったんですけど、光GENJI時代の『根性(90年/集英社)って著書と比べると描写が全然違うんですよね。
諸星:これはやらせですもん。これこそ人を騙す本ですよ(笑)。あのときは「帰れ!」って言われても田舎に帰れないじゃないですか? で、「だったらテレビに出ろ!」って言われて、最初は光GENJIの一番端で踊ってたんですよ。そしたら『夜ヒット』で転んで、頭にきて泣きながらトイレでスケートを便所に流して。そしたら「ユー、よかったよ!」なんて言ってるから「なにがよかったんだよ、このタコ!」「てめえがこんなもん履かせるからいけねえんだよ!」って、大喧嘩ですよ。
吉田:よくそこから立ち直りましたよね。
諸星:そこでなぜか「また転ぶんじゃないか」って注目されるようになって、タレントさんから応援されたんですよ。それで、端から真ん中になって。で、やっぱり人って誉められたりすると調子に乗るんです。
吉田:調子に乗ったから、『紅白』の控室で少年隊の植草さんと大喧嘩したりして。
諸星:だって人の帽子にポコチンの絵描かれたら怒りますよね。いくら先輩でも……。
吉田:それで先輩に殴りかかって(笑)。
諸星:そのときは光GENJIがガーンッていっちゃってるから、「俺が日本を動かしてる!」ぐらいの気持ちだったんですよ。だって、そのとき言ってたのが「俺が光GENJIで、あとはその仲間たち」ですから。「誰だと思ってんだ!」「来い、コラ!」って始まって。TUBEの前田ちゃんが止めるわ、誰が止めるわで。「もう『紅白』なんて出ない!」「紅組勝ちゃいいんだろ! なんで大晦日に歌ってなきゃいけねえんだよ、口パクで。いい加減にしろ!」とか言って。
掟:正月くらい休ませろと(笑)。
諸星:「パクパクしてる場合じゃねえんだよ、金魚じゃねえんだから」って。そしたら南こうせつさんとさだまさしさんがきて「やめなさい。あんたたちはね……」て。
吉田:止め方も弱いですよね(笑)。
諸星:そしたらサブちゃんが「やめろぉぉぉぉ〜っ!」って。その年の大トリですから。「何時だと思ってんだぁぁ〜っ!」て腕時計を見せられたら、ダイヤモンドが大量に入ってて文字盤も見えなくて、何時かわかんあいんですよ。そのとき負けたと思って。
掟:北島三郎が日本を動かしていた(笑)。
諸星:でも、当時は自由すぎるくらい自由にやってましたね。みんなと楽屋も違うし。
(中略)
諸星:いまナオミ・キャンベルが家政婦やアシスタントを殴って裁判になってるけど、そしたら俺なんかとっくに刑務所入ってますよ。だってホテルぶっ壊しましたからね。
吉田:それも部屋が狭いってだけで(笑)。
諸星:だって狭いんだもん(あっさりと)。
掟:我慢って言葉はないんですか!
諸星:閉所恐怖症なんで(あっさりと)。
吉田:じゃあしょうがないですね(笑)。
諸星:「しょうがないんで、じゃあやります」「壁壊します」って穴開けちゃって。
吉田:ホテルで消火器をぶち撒けたときも、やっぱりそんな感じだったんですか?
諸星:そうですね。ワンフロア貸切なんで、廊下でタバコ吸ってるヤツとかいるんで、危ないから消火器を撒いとこうかなって。
吉田:無茶苦茶ですよね、ホント。追っかけの女子も殴るし、白タクも殴るし(笑)。】
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このインタビュー、昔、光GENJIに熱をあげていた女子たちが読んだら、いったいどう思うのでしょうか、あまりに凄すぎる、もと光GENJIの諸星和己さんの「全盛期」のエピソードの数々。
僕は以前、「X」の「ヨシキ伝説」として、「『カレーが辛すぎる!』という理由でステージをキャンセルして帰ってしまった」というのを聞いて驚愕したことがあるのですが、この「部屋が狭すぎる」という理由で壁を破壊したという話は、その「ヨシキ伝説」をはるかに凌駕しています。というか、ホテルの部屋の壁なんて、そう簡単には壊れないと思うのですけど、いったいどうやって壊したんだろう…… ここで書かれているさまざまな当時のエピソードは、今こうして読んでみると「武勇伝」のように思えなくもないのですが、当時諸星さんと実際に接していた人たちは、本当に辛かったと思います。「人気」があれば、芸能人ってこれでも許されるのか!と驚くばかりです。当時の僕たちは、こんな「裏話」なんて、全然知らなかったのですから。
なんだか、この話を読んでいくうちに、ワガママで無茶苦茶な人のようなイメージを持っていたジャニーさんに対して「こんな猛獣みたいなタレントたちを使っていかなければならないなんて、ラクじゃないよなあ」と同情してしまいまったくらいです。まあ、ジャニーさんも「ギブスにタイヤつけろ!」なんて言う人ですから、結局のところは、どっちもどっちというか、お互いに「懲りない人々」なのでしょうけど。 でも、多くの人が芸能人に求めるものって、実際はこういう「普通は絶対にできない(やらない)こと」だったりするのかもしれませんよね。ハリウッドのセレブの「奇行」を読むたびに、それもまた「商品」の一部なのかもしれないな、と思うようになりました。たぶん、当時光GENJIのファンだった女子たちは、「かーくん」が壁をぶち抜いても、「男らしい!」とかキャーキャー言って全肯定していたような気もしますし。 それにしても、こんなに他のメンバーに迷惑かけていたにもかかわらず、あの光GENJIのなかで今でもいちばん有名なのは諸星さんなわけですから、芸能界っていうのは、本当に怖い!
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2006年10月17日(火) ■ |
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上野樹里、「のだめ」を語る。 |
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「日経エンタテインメント!2006.11月号」(日経BP社)の「エンタ界を変える〜男と女の新モテ基準」より。
(「PART1・人気急上昇中!ちょいダメ男とアイタタ女」のなかの、「アイタタ女ケース1・テレビ「のだめカンタービレ」の一部です)
【「月9っぽくないかなと思いましたが、『西遊記』の流れで、逆に月9で勝負したいということでスタートしました。ただし従来のような単純なラブコメではなく、トンがったギャグドラマにするつもり。学生時代特有のキラキラしたものが出るドラマにしたい」と若松央樹プロデューサーは話す。そのための方策は3つある。 (1)斬新なキャラクターで引っ張れるドラマにする。のだめを筆頭に魅力的なキャラを生かす。 (2)クラシックという題材。意外とドラマで扱われていないので、そのど真ん中の面白さを追求したい。小気味いいギャグでつなぐ。 (3)もうひとりの主人公・千秋真一の成長ぶりを描く。「オレさま」キャラで、天才で、金持ちで…嫌われるはずなのに、お人よしさを失っていない。視聴者はその成長が楽しみになるようにしたい。 若松氏は日本テレビからの移籍組で、フジで最初に手がけたのが『電車男』。「こういうのが今はウケるんだな」ということを体得したことが今回につながった。 ただし、アイタタ女のだらしなさは、描き方によってはマイナス面になると若松氏は考えている。 「部屋の汚さは男の目線と女の目線では違う。だから演出するたびに女性スタッフに尋ねてます。ここまでヤルと引くのかどうか。女性ってシミはいいけど毛玉はイヤとか言うんだよね」】
(以下は、「のだめ」こと野田恵役の上野樹里さんのインタビューの一部です)
【インタビュアー:のだめにどこが似てる?
上野:私にとってののだめのイメージは、黄色とかオレンジとか暖色系の色。私自身も黄色が好きなんです。のだめはこんな濃いキャラクターなのに、どこかサラサラ演じなければならない。でも現実にこんな子がそばにいたら、超うざくて周りはたまらないと思います(笑)。だって、人の弁当を盗むし。自分で買え!(笑)。彼女は黙って食べて、何にも言わずに去るじゃないですか。でも誰も憎めない。ペットというか、動物的ですよね。頭臭いのと、同じ服3日着るのはやめてほしいかも(笑)。
インタビュアー:のだめみたいに、だらしない人は周りに増えてますか?
上野:どうなんでしょうか。でも共働きが増えているので、そういうことがあるかもしれませんね。千秋みたいに色々と経験して頭で考えるというよりも、感覚だけで生きている感じ。千秋の原石は整ってつるつるなんですけど、のだめの原石はとげとげでガタガタがちがち。とがっていて星型(笑)。それを千秋がきれいにしようとするんだけど、そのまま残しておいたほうがいいものもあったりして。のだめにとっていい演出家なのかも。
インタビュアー:アイタタ女がドラマの主人公になることが増えてきた。
上野:それは多分、親近感がわくからかな…。完璧なカップルなんて非現実的、そんなの、ありえないというのがあるんだと思う。】
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昨日からはじまった、TVドラマ『のだめカンタービレ』なのですが、プロデューサーは『電車男』を手がけていた人らしいです。そういえば、『電車男』のドラマのコンセプトは「エルメス側から描く」ということでしたから、今回の『のだめカンタービレ』での「千秋の成長ぶりを描く」という視点には、『電車男』での経験が生かされているのかもしれません。
それにしても、「原作モノ」のTVドラマというのは、「原作があるからドラマ化もラク」だと考えがちなのですが、実際はそんなに簡単なものではないみたいです。「のだめの部屋が汚い」というのは、原作では「お約束」なのですが、TVドラマでの「のだめの部屋の汚さ」は、「汚くなければいけないけれど、視聴者を不快にさせてはならない」という微妙な「汚さ」が要求されるのですから、制作者の苦労がしのばれます。実際に番組を観た印象では、「汚い部屋」というよりは、ぬいぐるみなどがゴロゴロしている「散らかった部屋」という感じでしたし、あんまり生々しいゴミは画面中にはみられませんでした。やっぱり、マンガでの「ものすごく汚い部屋」というのを実写で再現してしまうと、多くの視聴者は引くだろうなあ、とは思います。ゴキブリの大群がマンガに描かれていたら笑えても、実写でそれを観せられたら、「引いてしまう」人が多いでしょうし。 「汚さ」の基準というのは人それぞれ違いますから、「大部分の視聴者にとって、たしかに汚いけどチャンネルを替えるほど不愉快ではない」という落としどころというのは、けっこう難しかったはずです。 それは、キャラクターにもいえることで、濃いキャラクターでなければ「のだめ」ではないし、だからといって、あまりに濃く演じすぎると「超うざくて周りはたまらない」。そのあたりのバランスの見極めって、実際はかなり大変で、「ストライクゾーン」は、そんなに広くはないはずです。 まあ、のだめと千秋のカップルっていうのは、ある意味「完璧なカップル」以上に「非現実的」な気もするんですけどね。
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2006年10月16日(月) ■ |
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幻の「噂の刑事マツとトミー」 |
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「ぐっとくる題名」(ブルボン小林著・中公新書クラレ)より。
(小説、マンガ、映画、音楽などのさまざまな「面白い題名」について考察されているエッセイ集の一部です)
【「噂の刑事トミーとマツ」〜テレビドラマの題名
このドラマに主演した松崎しげる氏が、後年この番組を振り返ってこんなことをいっていた。 「最初、出演の依頼があったときに出した条件は、俺の名前を題名の最初にクレジットしてくれよということだった」 ところがドラマの相棒のニックネームが「トミー」、自分が「マツ」に決まった。「それじゃあ仕方ないと。だって『マツとトミー』じゃね。きまらないもの」と笑って述懐する松崎。 ちょっと待て。「俺の名前を最初にクレジットせよ」は依頼を受ける「条件」だったはずの事柄ではないか! それをも覆して納得させるほどの抜群の安定感が「トミーとマツ」という語の並びにはあったことになる。 「tomi-tomatu」にあるテンポのよさが、「matutotomi-」になるとto音が連続していまい、読みにくさとバタバタ感を生み出してしまうわけである。 韻を踏むという行為は、ちょっとバランスを変えるだけでまったく異なった印象になることに気を付けたい。 そういえば2002年の大河ドラマ「利家とまつ」。これは戦国武将とその妻の名からきた題名であると表向きにはいわれている。だが、明らかに「トミーとマツ」へのオマージュであろう。いや、まじでまじで。】
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「噂の刑事トミーとマツ」なんて、聞いたことないよ、と仰る方も多いのだろうとは思いますが、1972年生まれのブルボンさんとほぼ同世代の僕は小学生時代この刑事ドラマが大好きだったので、この項をニヤニヤしながら読みました。いや、当時の「トミーとマツ」のインパクトと人気ぶりは、本当に凄かったのです。
以下は、Wikipediaの「噂の刑事トミーとマツ」の項より。 【外見も性格も対照的な2人の刑事、岡野富夫(トミー)と松山進(マツ)の名コンビが時には衝突し時には協力しながら事件を解決まで導く。トミーは気の弱い刑事であるが優男で女性にもてる。マツは直情型の刑事で、女好きであるものの不細工で背が低く、シークレットブーツを愛用しており「世界一踵の高い靴の男」と言われている。 各話のクライマックスの格闘・銃撃戦シーンで怖じ気づくトミーにマツがしびれを切らし、トミーを「トミコ!」と怒鳴りつけると、トミーが耳をピクピクと震わせた後急に発奮し、あっと言う間に悪党をなぎ倒すと言う展開が定番となっていた。マツの場合も「マツコ!」と呼ばれると鼻がピクピク動き戦闘能力が上がる。】
クライマックスで、それまで怖じ気づいて何もできないでいた優男「トミー」が、マツの「お前みたいなヤツとオンナの腐ったのって言うんだ、おまえなんてトミコでたくさんだ、トミコ〜!」(って、今こうして思い出すとフェミニストの方々にムチャクチャ怒られそう…)という罵声を聞いたとたんに急に強くなり、悪党たちをなぎ倒すという「水戸黄門のような刑事コメディ」だったのですけど、そのトミーの豹変っぷりがとにかく面白くて気持ちよくって。小学校男子のなかでも「○○子〜!」というのが大流行でした。
それにしても、この松崎さんの「タイトルについての裏話」は僕も初耳でした。というか、「トミーとマツ」というタイトルにあまりに慣れすぎてしまって、「マツとトミー」だったら、なんて考えたこともありませんでした。そして、確かに松崎さんが「名前の順番」にこだわって「マツとトミー」になっていたら、あれほどまでの大ヒットドラマになっていたかどうか。確かに「マツとトミー」って、言いにくいものなあ。 もちろん、「そんな些細なことでは、人気は変わらなかった」可能性もあるのですけど、松崎さんのこのコメントからは、「やっぱりタイトルの語感って大事」だということが伝わってくるのです。たかが「名前の順番が替わるだけ」なのに。
ところで、この2人のコンビ、25年ぶりに映画で復活するらしいです。 日刊スポーツの記事より。
【ドラマ「噂の刑事トミーとマツ」で共演した歌手松崎しげる(56)と俳優国広富之(53)が、映画「ケータイ刑事 THE MOVIE2」(田沢幸治監督、来年3月10日公開)に、25年ぶりにトミーとマツの設定で出演することになり、16日、都内で会見を行った。 ともに「うれしい、楽しい」と笑顔。それでも、松崎は「昔は会えば女の話だったが、今は薬や病院の話」。国広も「夜、飲みに行くための栄養ドリンクが、今は純粋に翌日の仕事のため」と冗談めかした。】
いやまあ、昔のファンとしては非常に楽しみなんですけど、56歳と53歳の「トミーとマツ」を観る日が来るなんて、僕も歳をとってしまったものですね……
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2006年10月15日(日) ■ |
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10秒でわかる『機動戦士ガンダム』 |
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「人生激場」(三浦しをん著・新潮文庫)より。
【こんにちは。先日、一緒に飲んでいた人が、『機動戦士ガンダム』(俗に言うファーストガンダム)の物語を、「右も左もわからない主人公ががむしゃらに頑張り、最後についに、僕には帰る場所があったんだ、と気づく話」とまとめたのだが、これ以上簡にして要を得たまとめもあるまい、と私は目から鱗が二、三枚落ちた。 それを隣で聞いていたMちゃんが、 「え、でもガンダムってロボットですよね? 帰る場所を云々するようなロボットなんですか、ガンダムは」 と言ったので、私は、「そうか! 私の中ではガンダムって、朝に人と会ったらおはようを言いましょう、という習慣と同じぐらい体に染み込んだアニメだけど、それは私がオタクだからで、私より年下の二十歳そこそこの女の子にとっては、常識でもなんでもないんだな」と、これまた目から鱗が百枚ぐらい落ちた。 そこで、今も熱狂的ファンを持つ名作アニメ『ガンダム』について、Mちゃんに説明することにした。 「いやいや、ガンダムはロボットで合ってるよ。でも、主人公はアムロ・レイという悩める少年なのさ」 一緒に飲んでいた男性諸氏も、ガンダム基礎知識をMちゃんに伝授する。 「アムロが乗るロボットが、ガンダムなんだよ」 「えっ! ガンダムって人が乗れるんですか!」 と驚くMちゃん。 「うん。中に乗り込んで操縦するんだよ」 「ちなみにガンダムのことをロボットとは言わない。あたかも衣装を着て自由に手足を動かすごとし、という意味合いをこめて、モビルスーツと総称される」 「『ガンダム』の世界では、人間の乗ったモビルスーツが、宇宙で戦争するのだ」 私達が次々に繰り出す説明に、Mちゃんは「へえ」と目を白黒させた。 日本はアニメ大国と言われ、世界中のオタクたちから熱き視線を送られているそうだが、それはあくまでもオタクの世界でのことだったのね。私なんて、ガンダムの主題歌のみならずエンディングテーマも歌えるってのに、私と同じ町内に住むMちゃんは、アムロの存在すら知らなかったのだから。自分の中での常識を世の常識と思うな、という言葉を、改めて噛みしめねばなるまい。 それにしても実際、どれぐらいの人が『ガンダム』を見たことがある(または、だいたいのストーリーを知っている)のだろう。私の感触では、現在20代半ば〜30代後半で、子どものころに日本に住んでいた人(特に男性)は、なんらかの形で『ガンダム』という作品に触れたことがあると思われる。その人たちの親も、子どもと一緒にアニメを見たり、「プラモデル買って!」とねだられて困惑したりと、『ガンダム』の存在を把握できていそうだ。
(中略)
ところで、冒頭に挙げた『ガンダム』についての要約文は、どんな話でもそれなりにまとめてしまう魔法の要約文であることが判明した。 たとえばこれを『キャンディ・キャンディ』に当てはめると、「右も左もわからない主人公ががむしゃらに頑張り、最後についに、丘の上の王子様はアルバートさんだったんだ、と気づく話」となるし、『走れメロス』だと、「右も左もわからない主人公ががむしゃらに頑張り、最後についに、しまった!俺ったら裸だよ、と気づく話」ということになる。 いろいろと要約してみて気づいたのだが、名作と呼ばれる物語の主人公には、右も左もわからない人がやけに多い。その純粋さが人々の胸を打つ……のか?】
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三浦さんがここで書かれている「ガンダムを知る中心世代」の一員である僕としては、このMちゃんのリアクションというのは正直「『ガンダム』を知らないなんて、信じられない!」のですけれど、確かに、『ファーストガンダム』がTVで最初に放映されたのが1979年ですから、いくら何度も再放送されたり、映画のビデオやDVDが発売されているとはいえ、さすがに今の十代の人にとっては「アニメ歴史年表上の作品」になってしまっているのでしょうね。最近は「名作アニメベスト100」というようなテレビ番組も多いのですが、あのくらいの時間では、内容なんてわからないだろうし。
ところで、この、「右も左もわからない主人公ががむしゃらに頑張り、最後についに、○○だよ、と気づく話」っていうのは、実は、「名作」と呼ばれる物語のひとつの「王道」みたいなんですよね。『スーパーマン』みたいな一部の「最初からスーパーヒーローだった人の話」を除けば、多くの「名作」は、これで「要約」できてしまいそうなのです。『あしたのジョー』だってそうだし、『エヴァンゲリオン』だって、このカテゴリーに入ってしまいます。碇シンジが「がむしゃらに頑張っている」かどうかは微妙なところですが、まあ、がむしゃらにもがいている、とは言えそうですし。 逆に考えれば、こういう話を書けば「名作」になる可能性が高いということなのです。いやまあ、読む側も「がむしゃらにがんばるプロセス」とか「襲ってくるさまざまな障害」が面白くなければ、最後までつきあってはくれないのでしょうけど、「王道」には、そんなにバリエーションはないのかもしれませんね。
でも、本当に今の二十歳そこそこの女の子って、『機動戦士ガンダム』を知らないのが「普通」なのかなあ。理屈ではわかっていても、そんな「若さゆえのあやまち」を認めるのは辛いです。 僕にはもう、還る場所もないのか……
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2006年10月13日(金) ■ |
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癒されるのは実は受刑者の方なのだ。 |
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「できればムカつかずに生きたい」(田口ランディ著・新潮文庫)より。
(田口さんが、ある大学で「特別講師」として学生たちに話をしたとき感じたこと)
【教室に入っていくと、生徒さんたちはもうそろって席に着いていた。 50〜60人くらいいたかな。私は教壇に立つのが嫌だったので、教卓の前に椅子を出してそこに座った。みんなに見下ろされる格好になる。 学生たちを見て「わあっ」って感じたのは、お花畑みたいなインパクトだった。 若い子ってそこにいるだけでパッションなんだって思った。私はふだんはオジサンを相手にしゃべる事が多いのだけど、オジサンはいるだけで空気が淀んでるのに、20歳前後の子たちの周りの空気は透明でキラキラしていた。 きっとキルリアン写真で見たら、彼らのエネルギーはビンビン輝いて放出されてるんだろうなあと思った。存在してるだけで輝いてるのに、なんで元気がないなんて思われてるんだろうって不思議だった。 「こんにちは」と頭を下げて、自己紹介をした。ありきたりな事だ。 子供がいて主婦をやって、その合間にインターネットをしてて、それで本を書いている事。そしたらK先生が「ランディさんの18歳の頃はどんなことを考えていたんですか?」って話を振ってくれた。
「私の18歳の頃は、なぜ自分が自己表現できないのか、そのことをずっと苦しんでいました」
そういう言葉がなんとなく口から出てきた。 そうだったのだ。私は自分が演劇や映画、そういう文化的な事に関わりたいと思いながら、いつもその周辺をウロウロしていた。ミーハーで無能な少女、口ばっかりの頭でっかち女、それが私だった。 自分では何もできず、果敢に自己を表現している男の人たちの側にいて、それを手伝うことでかろうじて自分を満足させてた。 だけど、いつも思っていた。なぜ自分には「表現したい」という衝動が噴出してこないのか。こんなにも表現したいと願っているのに、表現がわき上がってこないのか。突き動かされるような衝動が起こらないのか。人の後ばかり歩いているのか、なぜこんなに自信がないのか、なぜ何をしたいのかわからないのか……。 非常に長い、個人的な話だったのに、話の途中で席を立つ人も、携帯を鳴らす人も、無駄話をする人も、一人もいなかった。とてつもなく真剣に話を聞いてもらった。申し訳ないくらいだ。こんな私の話を何だってみんな頷きながら聞いてくれるんだろうって泣けてきた。 話を終えて感じたのは深い優しさと共感だった。これまで私の青春なんかに誰ひとり共感してくれる人はいないと思ってた。だけれども、目の前にいる私のことを知りもしない子たちが、人生でもっとも劣等性だった頃の私を受け止めてくれてたのだ。 若い子たちの感応力の凄さに圧倒された。彼らは他人の話に深く共鳴できる感度のいい心を持っている。共鳴する力をもっているのだ。たぶんそれが若い精神の力なんだろう。 それにしても……。誰かに黙って自分の話に共感してもらうことの、なんという癒し。びっくりした。ここに座って、励まされたのは私の方だ。彼らは私のカウンセラーに等しい。長いこと自分の心の中にわだかまっていたコンプレックスを、彼らにぶちまけ、そして吸い取ってもらったような気がする。 私はもうあっけにとられて、そして何度も力説してしまった。「みんなは、大人の世代にはない力をもってる、それは感応する力だ。豊かな時代に生まれた世代にのみ与えられるすごい能力だ。森羅万象に自分の心を共鳴させることのできる力です」 そうだ。食うに困らない戦争のない国に生まれたことで得られる能力だ。闘いの多い時代には他人に感応していたら殺されてしまうもの。 「でも、世界にはあまりにも悲惨な事が多いからその力にブラインドを降ろしてるのかもしれない。だから無感動だと言われてしまうのかもしれない。本当は感応力がずば抜けているから自分を守るために感じないようにさせてるだけなんだと思うよ」 言葉を受け取ると教室の空気がぱーんって張りつめてブルブル震える感じがする。彼らが言葉に呼応するとそうなる。彼らがうれしいとき空気が花開くようにほころぶ。いろんな変化が一瞬に起こる。20歳ってこうなのか〜と、もう若くもない私は感激しながらその空気を味わった。
米国では受刑者が学校を講演して歩いて、ドラッグや暴力の恐ろしさを体験を元に語るプロジェクトがあるという。当初それは青少年の非行防止のために企画された。 ところが不思議な結果が出た。癒されるのは実は受刑者の方なのだ。若者に語った受刑者はみな非常に高い割合で更正していく。子供たちの魂は語る者を癒す力を持っているらしい。たぶん彼らは「罪」を犯したという過去に囚われず、純粋に目の前にいる「人間」に共鳴するんだろう。】
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僕も年に何回か、学生たちの前で「講義」をすることがあるのですが、僕の場合は田口さんが書かれているような「癒し」の効果は得られませんでした。まあ、内容も難しかったしなあ…なんて自分を慰めていたのですが、これを読んでいると、逆に「話をしていて拒絶される(教室は私語だらけとか、居眠りしているヤツばっかりとか)」というのは、とても精神的ダメージが大きいのだな、ということがわかったような気がします。やっぱり、どんな話でも真剣に聞いてくれるわけではないし、僕の講義には準備も情熱も不足していたよなあ、と反省しています。 この話を読んでいて僕がいちばん感じたのは、「自分の話、とくに自分にとってのコンプレックスや辛かった話を誰かに聞いてもらう」というのは、聞いている側よりも、むしろ「話している側にとっての癒し」になるのだなあ、ということでした。僕は、「どうせ人というのは他人のことはわからないし、話してよかったと思うようなアイディアが出たこともないから」と、あまり他人に悩み相談をすることもなく人生を過ごしてきたのですが、良いアイディアを教えてもらうことではなくて、「黙って聞いて、受け入れてもらうこと」によって、人は救われることはあるのだ、ということなのですよね。田口さんは「若い子」の話をしておられますが、そういう「共鳴する力」というのは、けっして若者たちにだけあるのではないはずです。
「どうしてこんなお金にも名声にも結びつかない文章をずっと書いているのだろう?」って、悩むことがときどきあります。でも、そう思いつつも今まで続けてこられたのは、たぶん、こうしてここに僕が考えているさまざまなことを「静かに受け入れて読んでくれる人」がいるからなのですよね。そして、その「自分の言葉を受け入れてくれている人がいる」という事実は、雑誌で紹介されたり、感想メールを送られたりするような、目に見える「賞賛」や「実利」以上に、僕を癒してくれているのだと思います。僕はドラッグや暴力には縁がない普通の人間なんですけど、それでも「語ること」によって、かなり救われているし、なかなか現実に適応できない自分を、なんとか日常に立ち向かわせていくためのエネルギーを得ているような気がします。自分のコンプレックスというのは、身近な人にはかえって語りにくいものですし。 それにしても、今の世の中って、「聞きたい」人に比べて、「語りたい」人があまりにも多すぎますよね。「なんでリアクションが無いんだ!」なんて不機嫌になってしまう人もいますけど、実は「黙って聞いてくれる人がいる」というのは、この上なく贅沢なことなのかもしれません。
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2006年10月11日(水) ■ |
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タージマハルの「完璧なシンメトリー」を崩した「異物」 |
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「インド旅行記1〜北インド編」(中谷美紀著・幻冬舎文庫)より。
(女優・中谷美紀さんがタージマハルを訪れた際に、ガイドさんから聞いたというタージマハルの由来をまとめたもの)
【昔々、インドには300年続いたムガル王朝の5代目の王であるシャー・ジャハーンという王様がいました。王様は、3代目のアクバル王が城壁を築き、4代目のジャハンギール王、つまり王様の父が宮殿を建てたという、アグラー城に住んでいました。 シャー・ジャハーンは、イスラム教の習慣に則って、お見合いで2人の妻を娶りましたが、そのどちらをも愛してはいませんでした。 アグラー城の宮殿内では、王族のための市場が開かれており、そこでは宝石などが売られていましたが、ある日、その市場を王様が通りかかった折に、ペルシャから物を売りに来た女性ムム・ターズの姿が目に入り、一目惚れをしてしまいました。お見合い結婚が常識だった当時、2人が逢瀬を重ねることは国中の噂になりました。しかし王様は何をささやかれようとお構いなしで、2年の後にはムム・ターズを3番目の妃として迎え入れました。王様にとって初めての恋愛結婚でしたから、ムム・ターズはとても大事に扱われました。 回廊式の宮殿の中庭部分には池があり、2人はそこで釣りをして過ごすことが多かったようです。どちらが多く釣ることができるかを競うのですが、王様はいつも負けてしまいます。なぜならば、ムム・ターズのあまりの美しさに見とれてしまい、ゲームのことなど忘れてしまうからでした。 一方のムム・ターズは、とても要領がよく賢い妃でしたから、次々に魚を釣り上げ、ゲームに勝った褒美にたくさんの宝石を贈られたといいます。 王様はいつでもムム・ターズをそばに置き、外交で旅に出かけるときはもちろんのこと、戦場に赴くときですら、彼女を伴って行ったそうです。 それだけ仲睦まじい2人のことでしたから、19年間の結婚生活で14人もの子供を授かりました。ところが残念なことに、1631年、その14人目の子供を出産してすぐに、ムム・ターズは病に臥せってしまいました。王様はあらゆる手立てを尽くして、愛する妃の病を治す道を探しましたが、そうした甲斐もなく、ついに永遠の眠りに就いたのでした。 しかし、賢い妃は、自分の命がもう長くないことを悟ってから、王様に2つのことを約束させました。1つ目は再婚をしないこと。そして2つ目は、アグラー城の宮殿からも見えるヤムナー川のほとりにタージマハルのような霊廟を建造することでした。 ムム・ターズ妃を失った王様の哀しみはとても深く、それまでは週末に通っていた宮殿内でのハーレムでの遊興もピタリとやんで、妃との約束どおり、全ての情熱と国力をタージマハル建造に傾けたのでした。 イスラム教圏の近隣諸国から優秀な建築家や技術者たちを呼び集め、お隣のラジャスターン州からは、インド随一の白い大理石を運ばせました。そのほかにもマラカイト、オニキス、コールネリア、ジャスパー、サンゴ、ラピスラズリといった貴石類を他の国から運ばせ、2万もの人員を動員して、22年もの歳月をかけた後の1653年には、いたるところに象嵌細工を施した美しい白亜のドームが完成したのでした。それは東西南北全てが均斉のとれた完璧なまでの美しさを誇る建物で、愛すべきムム・ターズにこそふさわしいものでした。 王様は妃の眠るその建物を直接眺めるよりもむしろ、敷地内に張り巡らせた運河と池に映り込んで揺れるタージマハルを好んだといいます。なぜならば、水面に移って揺れるタージマハルには情緒があり、亡き妃の顔を思い起こさせるからなのでした。池の東西南北にはいずれの位置からでも眺めることができるようにと王座が据えられ、太陽の角度や、月齢の変化とともに移ろいゆくタージマハルを見るためにその場所に座ったといいます。 タージマハルが完成してから5年後の1658年に、精魂尽き果てた王様も病魔に侵されました。するとデリーにいた王様の長男は王位を継承するための話し合いをしようと、インドの地方を治めていた3人の弟たちには「父が死んだ」と嘘の知らせを出して、帰郷を急がせました。 しかし、デリーに向かう道すがらアグラーに立ち寄って父の遺体に対面しようとした弟たちは、長男の嘘に気づき、王位継承に有利な企てを働いたのだと勘繰って、骨肉の争いは殺し合いに発展しました。 しかも彼らは全て王がムム・ターズとの間にもうけた子供でした。次男が長兄を、3男が次男と末っ子を殺すという凄惨な争いの果てに、病床へ父を見舞った3男のアウラングゼーブは、父の顔に憤りを見てとり、自分が王位を継ぐことを許されないのではないかと不安になったため、実の父をアグラー城に幽閉してしまったのでした。 望みどおり、王様はタージマハルの見える部屋に幽閉され、祈りのためにモスクを使用することも許されましたが、息子同士が血の争いをした挙句に帝位を奪われた孤独からか、緩やかに死に向かっていったのでした。 7年の幽閉の後にムム・ターズの死から数えて35年目の1666年に王様もこの世を去りました。本来であれば、ヤムナー川を挟んでタージマハルの向かい側に、正対称の黒い霊廟を造って眠るはずでしたが、王様のはかない夢は散り、ムム・ターズの隣に寄り添うように、タージマハルのドームに納められたのでした。 タージマハルはムム・ターズひとりのためにあれだけの歳月を費やして造らせたものでしたから、全てに均衡が取れており、ムム・ターズの墓も真ん中に据えてありました。ところが皮肉なことに、完璧を要求した王様自らの墓がドームの下、ムム・ターズの墓の左側に据えられることで、見事なシンメトリーは崩れてしまったのです。】
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インドと言えば、最初にこのタージマハル廟の白いドームと寝そべった牛を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。僕もそのひとりで、正直、インドという国に行くのはちょっと怖いような気がするのですが、このタージマハルは、一度くらいこの目で見てみたいものだなあ、と常々思っています。インドの人たちにとっては、そういうイメージは、日本に対する「フジヤマ、ゲイシャ、サムライ!」みたいなもので、あまり喜ばれてはいないそうなのですが。
あの「タージマハル」を「インドの王様が先に亡くなった愛する妃のために建てた」という話はかなり有名だと思うのですが、こうしてその話の詳細を聞いてみると、歴史というものをあらためて考えてしまうのです。19年間の結婚生活で14人の子供なんて、王様の家族でなければ「大家族スペシャル」というか、よくそこまで飽きずに…という感じでもあるのですけど。 ムム・ターズの「再婚しないこと」と「霊廟を建てること」という「2つの遺言」は、王への愛情と信仰心の深さから出たものなのかもしれませんが、考えようによっては、「王が新しい寵妃をつくらないこと」と「王の興味と情熱を閨房にではなく、大規模な建築のほうに向けさせること」によって、自分の子供たちの地位の安定をはかるという目的に適ってもいます。もし、この「約束」がなければ、次の王位に就いたのは、新しい寵妃の子供だったかもしれません。もっとも、シャー・ジャハーンにとっては、「タージマハルを造りながら、新しい妃を迎える」ことだって十分に可能だったでしょうから、やはり、ムム・ターズへの愛情が非常に強かったのは間違いないことなのでしょう。そして、ムム・ターズは賢い女性だったに違いありません。民衆にとっては「いい迷惑」だったとしても。
しかしながら、そのシャー・ジャハーンの後の王位を巡って争ったのが、同じ母親を持つ王子たちだったというのは、本当に皮肉な話です。まあ、世界の歴史には、そのような話はたくさんあるのですが、最終的に王位についた3男のアウラングゼーブには、【アウラングゼーブは死刑に処した兄ダーラーの首を(兄を後継者にしようとしていた)シャー・ジャハーンのもとに送り、その箱を晩餐の場で開封させるなど残酷な復讐行為を行った】などというような、目を覆いたくなるようなエピソードも残されており、シャー・ジャハーンの「余生」は、けっして幸福なものではなかったように思われます。文字通りの「骨肉の争い」を横目に、幽囚の身で妻のために建てたタージマハルを眺める前王は、いったい何を考えていたのでしょうか。 今もタージマハルは、インドの代表的な建造物として世界中に知られており、訪れる人は絶えません。しかし、その「均衡」を崩してしまう「異物」が、その「均衡」を最も求めていた人の墓だというのは、なんだかとても皮肉な巡り合わせのような気がしてならないのです。
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2006年10月10日(火) ■ |
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就職の面接で、「すごくおっぱいが大きいけど、得するの?」と聞かれたら…… |
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「週刊SPA!2006.10/10号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・587」より。
【ここんとこ、ワークショップっつうのをやったり、新しい劇団のオーディションをしたりしています。 ちょくちょく書いている、僕が司会の『クール・ジャパン』というNHKBS2の番組で、面接の違いについて欧米人と盛り上がったことがあります。 ドイツ人もイギリス人も、そしてアメリカ人も、就職の面接の時は、「かなり攻撃的なことを聞く」んだそうです。 ドイツ人の説明が一番過激でした。 「離婚歴なんかがあると、『どうして離婚したの?』って突っ込まれますね。会社をいっぱい変わっていると、『なにかまずいことでも起こしたの?』って言われますね」 ちょっと信じがたかったので、「それは、なんのためなの?」と、素朴に聞けば、「とにかく相手を怒らせるのが目的なんですよ。怒った時に、相手がどうふるまうか、面接官はそれが一番、見たいんです」と、教えてくれました。 セクハラまがいの質問も飛ぶそうです。 「すごくおっぱいが大きいけど、得するの?」 なんて質問です。 で、こんな失礼な質問に対して、どう反応するかを面接官は見るわけです。 「そんな質問してて、侮辱されたって訴訟問題にならないの?」と、びっくりして聞けば、「うん。よくなります」とドイツ人は普通に答えました。 イギリス人は、「一度、面接で、『どこから来たのか?』って聞かれたから、出身の地名を言ったら、そのまま、面接官はなにも言わないで、じっと僕を見るんだ。3人の面接官が、一言も言わないでじっとだよ。もう、ドキドキしてさ、なにが起こったのかと思ったよ。でも、それが面接官の狙いなんだ。黙ってじっと見られ続けるとどうするか、それがテストなんだよ」 と説明してくれました。 これ、長い間、面接を続けてきた僕が言うのもなんですが、目からウロコの画期的方法です。 普通の質問にニコニコしながら答えて、穏やかに面接を終わらせても、相手のことはほとんど分からないわけです。 マニュアルが一杯出ていますから、面接の間の何分か何十分かを演じることぐらい日本の若者の常識です。 で、そうやって入った新入社員が、危機に直面した時、意外な行動を取ります。その時、初めてみんな、「お前は、そういう奴だったのか!?」となるのです。 だから、面接官が一番知りたいのは、「パニックに陥った時に、あなたは、どうふるまうか?」です。 仕事のプレッシャーとか、対人関係のきしみとか、睡眠不足とか、仕事にはさまざまなストレスがつきもので、優秀な社員かどうかは、じつは、切れ者だとか仕事の処理がはやい、なんてことじゃなくて、ストレスにどううまく対処できるか、ということが一番なのです。 これ、部下を持っている人なら、みんな、うなづくと僕は勝手に思っています。 だって、仕事をバリバリやっても、ストレスに弱くてすぐにダウンするなら、本当の意味で戦力にならないでしょう。少々、仕事の速度が遅く、精度が低くても、タフで粘り強く仕事を続ける部下の方が、はるかに頼もしいのです。 だから、欧米の面接官が編み出した方法はすごいなと思うのです。】
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こういう「面接のときの質問」に関しては、欧米のほうが日本よりはるかに「セクハラ発言は慎むように」徹底されているのかと思っていたのですが、実際は「窮地に陥ったときの『パニック耐性』を知るために、あえてそういう質問をぶつけてみることもある」らしいです。 まあ、面接というのもいろいろな目的があって、僕の出身大学で面接官をしていた先生は、以前、「うちの大学の『面接』っていうのは通過儀礼みたいなもので、明らかに対人コミュニケーションに問題がある人を除外できればいいんだよ」と仰っていましたから、必ずしもすべてのケースで、この「攻撃的な採用面接」が必要というわけではないのかもしれません。あまりに対象の人数が多いところでは、時間もかかるし面接をする側も消耗しますから、この方法は、なかなか難しいでしょうし。
しかしながら、ここで鴻上さんが書かれている「優秀な社員の条件」は、僕にとってはパニックに陥りやすい自分自身への反省も含めて、大きく頷けるものでした。一瞬のキラメキの強さが重要な芸術家でもないかぎり、多くの「職場」では、「ストレスに強いかどうか?」というのは、本当に大事なことなのです。すごい才能があって、やる気があるときは素晴らしいアイディアをどんどん出せる人でも、締め切りが迫ると煮詰まってしまって周囲にあたりちらしてしまうとか、仕事を投げ出して逃げ、言い訳ばかりしている人では、安心して大きな仕事は任せられません。病院での仕事でも、いくら普段は患者さんに優しく接していても、キレたら悪態をつきまくるような医者では、「あいつはすぐにキレるからダメだ」と言われてしまいます。周囲にとっては「99%のがんばっている時間」ではなくて、「1%のキレている、ネガティブな時間」に対する印象のほうが、はるかに強くなりがちなのです。パイロットでも、本当に大事なのは「フライトが順調なときの仕事ぶり」ではなくて、「トラブルが起こったときに、いかに冷静に最善の対応ができるか」なんですよね。もちろん、トラブルを起こさないというのが一番なのですけど。 重要な仕事であればあるほど、「ストレスとどう付き合っていけるか?」というのは、非常に大事になってきます。「できるときは100の力だけれど、ダメなときは0になってしまう人」というのは、自分では100のほうを「実力」だと思い込んでしまっていることが多いだけに、周囲にとっては、扱いにくかったりもしますしね。 ちなみに、鴻上さんは、「おっぱいが大きいけど、得するの?」と聞かれたときの応募者のとるべき「反応」について、次のように書かれています。
【面接を受ける側は、怒ってもいいと、僕は想像します。 例えば、ドイツ式の「すごくおっぱいが大きいけど、得するの?」って言われた応募者のうち、「ふざけるな!」も「……(無視)」も不合格ですね。 「あははははっ、そんなあ」も、不合格です。 この方法だと、間違いなくストレスがたまり、仕事を続けていくことができないからです。 「御社のような立派な会社の面接官が、どうしてそんな質問をするのですか?まったく、納得できません。どうか、説明して下さい」と、怒りながら、論理的に抗議する人がいたら、即、合格ですね。 怒って席を立つのでもなく、愛想笑いで無理して受け入れるのでもなく、ちゃんと怒りの感情を持ちながら、相手とコミュニケイションしようとする人材ですから、かなり優秀な人材です。どこの会社も欲しがるでしょう。】
確かにそうなんだろうなあ、と僕も思います。実際に面接の場で臨機応変にそんな対応ができる人は、ごく少数なのだとしても。 「優秀な人材」には程遠い僕としては、一緒に働く人がこんなふうに理路整然と行動できる人ばっかりだったら、それはそれでキツイだろうなあ、という気もするんですけどね。
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2006年10月07日(土) ■ |
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「壊れたチャンピオン」皇帝シューマッハー |
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「Number.663」(文藝春秋)の特集記事「永久保存版・F1鈴鹿。」より、「皇帝の真価を問う〜ミハエル・シューマッハー『最後の戦争』」(赤井邦彦・文)の一部です)
【私は、シューマッハーがF1グランプリに進出する前から、いくつかの彼のレースを見る機会に恵まれた。ミカ・ハッキネンを負かしたマカオと菅生のレース。オートポリスで行われた世界スポーツカー選手権。たった一度のF3000レースであるスポーツランド菅生のレース。この中で菅生のレースにまつわる話は、現代のシューマッハーを彷彿とさせる。 そのレースでシューマッハーは、後にF1ドライバーになるジョニー・ハーバートと同じチームで走るのだが、予選を控えた前日の夕方、シューマッハーはガレージに立てかけてあるクルマの床板を見つけた。表面を手で触ってみる。スムーズだ。チームのスタッフにこの床板はどちらのクルマのものか尋ね、ハーバートのものだと分かると、自分のクルマの床板と取り替えさせたという。少しでも表面がスムーズな方が抵抗なく空気が流れるから、というのがその理由だ。 この行為が、今もなおシューマッハーを語る上で焦点になるポイントを含んでいる。それは二つの意見に分かれる。一つは勝利への貪欲なアプローチであり、他の一つは自らの要望を満たすためには他人の権利を奪い取ることを平気で行う我が儘だ。前者は称えられ、後者は非難される。しかし、彼の周囲を取り巻くスタッフは称えこそすれ非難はしない。それぐらいの貪欲さがなければチャンピオンにはなれない、と。そして、その評価は決して間違ってはいなくて、後にシューマッハーはF1グランプリでチャンピオンになるが、ハーバートはなれなかった。】
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日本ではあまり聞こえてこないのですが、ヨーロッパでは、「皇帝」ミハエル・シューマッハーの引退発表とともに、「彼は『壊れたチャンピオン』だ」というような中傷記事が多数噴出しているそうです。シューマッハーを非難する人たちは、彼の「勝つために行ってきた数々のアンフェアな行い」と取り上げて、「その勝利に価値はあるのか?」と問うています。
ここに例示された、シューマッハーがまだF1にステップアップする前の菅生のレースでの話なのですが、今の「絶対的ナンバーワン」である彼ならともかく、まだF1予備軍でしかなかった若手ドライバーとしては、あまりに「スポーツマンシップに欠けた行い」だと僕は思いました。自分の床板が傷んでいるのを替えさせたというのならともかく、チームメイトのものと交換させたわけですから、「自分が勝つためなら、チームメイトの『権利』すら奪い取ってしまう」ということなのですから。こんなヤツと組むのは、まっぴらごめんだなあ、と。もちろん、これは、あくまでも「シューマッハーの勝利への執念を示す一例」でしかないわけですし。 でも、シューマッハーを擁護する周囲の人たちが語るように、「そのくらいの貪欲さがなければ、チャンピオンになれない」というのも、まぎれもない事実なのかもしれません。少なくとも、そこで妥協したりチームメイト(そもそも、F3000のチームメイトなんて、彼にとっては単なるライバルのひとりに過ぎなかった、とも考えられます)に遠慮したりするようでは、彼は「優秀なF1ドライバーのひとり」でしかなかったかもしれないし。 こうして、シューマッハーの「壊れている」面を人々が語るのは、彼が「偉大なチャンピオン」だからというのも事実です。この菅生のレースの話に出てくるジョニー・ハーバートというドライバーは非常に才能があって、性格も明るい「ナイスガイ」なドライバーとして知られていましたが、今では、ハーバートのことを記憶しているのは、一部のF1フリークくらいのものでしょう。もし、シューマッハーとハーバートの「勝利への執念」が入れ替わっていたら、現在フェラーリに乗っていたのは、ハーバートだった可能性もあるのです。
ちなみに、ハーバートは、後にF1のベネトンで再びシューマッハーとチームメイトになり、2度の優勝も果たしていますが、あまりにチームが「シューマッハー中心」であったため、わずか1年でチームを去ることになってしまいました。なんかもう、ひたすらシューマッハーの踏み台にされてしまったようなレース人生。
「勝利に貪欲でありすぎるドライバー」ミハエル・シューマッハー。 「そんな勝利は無意味」なのか、「勝たなくては意味がない」のか? 答えが出ないまま、偉大なる皇帝の「引退」のときは、すぐそこに迫ってきているのです。
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2006年10月06日(金) ■ |
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「アウシュヴィッツの看守」とその娘 |
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「三四郎はそれから門を出た」(三浦しをん著・ポプラ社)より。
(ヘルガ・シュナイダーさんの『黙って行かせて』(高島市子、足立ラーベ加代訳・新潮社)という作品についての三浦さんの感想の一部です)
【自伝小説『黙って行かせて』の著者、ヘルガ・シュナイダーは、第二次世界大戦が終結したとき、十歳にもなっていなかった。だがそれから何十年も経って、戦争と深く向き合わなければならなくなった。彼女の母親がバリバリのナチで、かつてアウシュヴィッツの看守としてユダヤ人を殺しまくっていたからだ。 「党に忠誠を誓った」母親は任務を遂行するため、ヘルガが四歳のとき、家族を捨てて出ていった。収容所で「勤勉に」ユダヤ人を殺していた母親は、いまは年老いて老人ホームに入っている。ヘルガは何十年も没交渉だった母親に会いに行く。収容所で何をしたのか、自分の過去の行為をどう考えているのか、そして、かつて捨てたっきりの娘のことを思い出すことがあったのか、問いただすために。 ヘルガの母親が語る収容所の様子、そこで為された事柄は、残酷という言葉では足りないほどだ。しかしそれは、いままでにも多くの書物や映像が伝えてきた。この『黙って行かせて』が暴いた一番の戦慄の事実は、ヘルガの母親がまったく悔いていない、ということだろう。母親はいまでも、総統の栄光を信じている。ユダヤ人は殲滅すべきだと信じている。その「信念」を前にして、娘のヘルガは憤りと深い虚脱を味わう。 この親子は、一度も心がまじわることがない。戦争によって決定的に損なわれた彼女たちの関係は、何十年経とうとも、修復不可能なままだ。黒い夜の霧が、時間の彼方からいまも滲みだしつづけている。 救いはどこにもない。唯一の希望の光は、この本が書かれ、私たちはそれを読むことができる、ということである。】
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「感想の感想」を書くより、直接この本を読んでみるのがいちばん良いのだとは思うのですが、この三浦さんの感想を読んだだけでも、いろいろなことを考えさせられました。 僕は子供の頃、「戦争体験」を喜々として語り、「戦友」たちとの思い出話に花を咲かせる「戦争から戻ってきた人たち」に対して、すごく嫌悪感を抱いていました。「戦争って人殺しのはずなのに、そんなに自慢げに話すようなことなの?」って。 でも、今から考えると、彼らは「戦争」という辛い体験をした上に、自分たちが必死でやってきたことが「絶対悪」だと世間で判断されてしまっていることが、とても不安だったのだろうなあ、と思うのです。戦争なんて戦場の一兵卒たちにとっては「自分の任務をこなす」ことだけで精一杯で、「アメリカ・イギリス側」も「日本・ドイツ側」も、前線の兵士たちがやっていたことにそんなに違いはなかったはずです。「勝ち組」に属していたから、やったことが「英雄的行為」になり、「負け組」に属してしまったがために「戦争犯罪」になってしまっただけのことで。
ここで書かれている「ヘルガのお母さん」は、現代に生きている僕の感覚からすれば、本当に「酷い人」です。小さな子供を捨てて、ナチの「手先」としてユダヤ人たちを虐殺した挙句、何の「反省」もしていないというのは、「それでも人間か!」と言ってやりたいくらいです。 しかしながら、その一方で、「ヘルガのお母さん自身にとっては、その時代の『正義』に殉じただけ」であるとも考えられるんですよね。ユダヤ人虐殺は、人類にとって忘れてはならない「人道に対する罪」であるとしても、それを行っていた当事者には「悪意」はなかった。むしろ彼女は「ナチスに忠実なドイツ人」でしかなかったのです。 多くの人は、戦争のあと「改心」して、新しいドイツを作り上げました。でも、すぐに改心できた人というのは、逆に言えば「要領が良い人」や「利に敏い人」だったのかもしれません。その「罪の大きさ」が大きければ大きいほど、それを「悪いこと」だと認めてしまうと自分を見失ってしまうでしょうし、そういう「認めたくない気持ち」は、ナチスに忠実であった人ほど強かったはずです。 もし平和な時代で、ヘルガのお母さんの「意志の強さ」が本人や家族の幸せを実現するために用いられていれば、すばらしい妻や母親、ドイツ人として彼女は一生を終えられた可能性も十分にあったのです。あるいは、もしドイツが戦争に勝っていたら、彼女は「英雄」だったかもしれません。
どんな酷いことをやっていたとしても、やっぱり、親は親。本当に、どうすればいいのだろう、としか言いようがない現実に、僕も打ちのめされてしまいました。映画やドラマなら「娘との再会で改心してもとの優しい母親に!」ということになるのかもしれませんが、現実はそんなに簡単じゃない。 戦争が人類に遺していくものは、不発弾や地雷や放射線だけではない。それだけは、間違いないことです。
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2006年10月05日(木) ■ |
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「友達と一緒に働くこと」の難しさ |
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「三谷幸喜のありふれた生活5〜有頂天時代」(三谷幸喜著・朝日新聞社)より。
(映画『THE有頂天ホテル』の出演者が発表された際に)
【雑誌やスポーツ紙などに「三谷ファミリー」と書かれることがある。僕が同じ俳優さんに何度も出てもらうからだ。きっと今回も言われるだろう。この○○ファミリーという言葉、僕は好きではない。大御所的存在が中心にいて、その人を慕う仲間が周りに集まっている光景が目に浮かぶ。皆でホームパーティーをしたり、たまには海外旅行にも行ったり。 でも実際の僕は、役者さんたちとは、ほとんど仕事以外でのお付き合いがない。戸田さんとは、それこそ何本も仕事をしているが、かといって、オフの時に一緒に遊んだり、ご飯を食べに行くことはない。 劇団の頃からそうで、いまだに相島一之や小林隆がどこに住んでいるかも知らないし。「三谷ファミリー」と呼べるのは、僕と三匹の猫と一匹の犬だけだ。僕にとって俳優さんは、あくまでも仕事上のパートナー。現場ではもちろん仲良くさせて貰っているが、それ以上は踏み込まない。せっかくいい役者さんなのに、プライベートで、お互いの嫌な面を見つけて気まずくなってしまったら、もったいないから。さらに困るのは友達としてベストな奴が役者としてもベストとは限らないということ。やはり彼らとはいい意味で距離を置いていたいと思う。 今回も、馴染みの俳優さんが沢山出ているが、僕は彼らをファミリーだとは思ってないし、向こうだってそのはずだ。 第一、僕を慕って、皆さんが集まってくれたわけではない。製作発表では、これだけのキャストが揃ったのは僕に人望があったからです、とコメントしたがあれは嘘。実際は人望だけでは人は集まらない。彼らは台本を読んで、自分に振られた役柄を気に入ってくれたから、出演してくれたのだ。僕は自分の好きな俳優さんに出て貰いたいので、彼らが出たいと思えるようなホンを必死に書く。 つまり役者が僕と慕っているのではなく、僕が彼らを慕っているのです。】
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三谷さんは、照れ屋で、プロの脚本家で、ある意味孤独な人なのだなあ、と思いながら、僕はこれを読みました。おそらくこれは「橋田ファミリー」のことを思い浮かべつつ書かれたものだと想像しているのですけけど。 三谷作品によく出演している人といえば、香取慎吾さんとか、戸田恵子さんなど、さまざまな役者さんの名前が挙がってきます。三谷さんはもともと「東京サンシャイン・ボーイズ」という劇団を主宰されていたので、劇団出身の若手俳優なども、かなり積極的に登用されてもいますし。 でも、三谷さんは、これらの常連の役者さんたちとのプライベートな付き合いはほとんどないそうです。今の三谷さんの立場からすれば、それこそ「取り巻き」を作ろうと思えば、手を挙げる人はいくらでもいるはずなのに。 【せっかくいい役者さんなのに、プライベートで、お互いの嫌な面を見つけて気まずくなってしまったら、もったいないから。さらに困るのは友達としてベストな奴が役者としてもベストとは限らないということ。やはり彼らとはいい意味で距離を置いていたいと思う。】という件などは、当の役者さんたちが読んだら気を悪くするのではないかな、などと考えてしまうのですが、これって、別に芸能界に限らず、一般社会でも同じことが言えるのかもしれません。 やっぱり、「気の合う仲間と一緒に楽しく仕事ができればいいなあ」なんて感じたり、友人と盛り上がったりすることは誰にでもあると思うのですが、実際に一緒に仕事をしてみると、逆に、「仲が良すぎる人」と組むというのは、かえって難しかったりもするものです。お互いに「友人だから」ということで遠慮してしまい、仕事の分担がうまくいかなくなってしまったり、失敗を指摘しづらくなってしまったり。そして確かに、「友達としてベストな奴が仕事仲間としてベストだとは限らない」のですよね。「すごくいい奴で友達なんだけど、仕事が全然できない人」と組むというのは、本当に悲劇だと思います。「友達だから」邪険にもできないし。 僕自身はプライベートではひとりで居たほうが気楽なことが多いものですから、どんなに性格が良い人でも、しょっちゅう仕事のあとに引っ張りまわされるようだと、付き合いきれなくなって、次第に疎遠になってしまうんですよね。そして、人と人というのは近づけば近づくほど、お互いの「難点」も見えてしまうものですし。 僕は「人と過剰に仲良くすることが苦手な人間」なので、ここで三谷さんが言われていることって、非常によくわかるような気がしました。正直「誰かとずっと親友でいるためには、年賀状のやりとりくらいに留めておいたほうがいいのではないか」とか、いつも考えていますから。
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2006年10月03日(火) ■ |
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「アタック25」カンニング男と「クイズ番組の実力主義」の嘘 |
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ZAKZAKの10月3日の記事より。
【朝日放送(大阪)の長寿番組「パネルクイズ アタック25」で優勝した公立大医学部の少年(19)が、同番組の予選で「カンニングした」とネット上の日記に書き込んでいたことが3日、分かった。少年は賞金15万円と豪華景品を獲得。だが、自ら不正を暴露したことでネット上や予選敗退したクイズファンからは「詐欺だ」などと怒りの声があがっている。
少年は最近放送された番組に出演。15枚のパネルを獲得し、優勝した。番組終了直後、匿名掲示板にソーシャルネットワークサービス「mixi(ミクシィ)」のアドレスが書き込まれ、少年が6月19日午後に記載した日記の内容がリンクされていた。
「アッタクチャンス2」と題された日記の中で少年は「筆記試験受けてきましたよー」と予選の模様を振り返る。会場にいたクイズマニアを「気持ち悪かった」とバカにした上で、「自分は半分も解けませんでした」「勝つときは少々汚いことをしてもいい」と勝手な言い訳をし、「カンニングしました(笑)」「フツーに勝ちたいし、勝てばネタになるし。その結果 筆記通りました(爆)」(原文通り)とインチキの一部始終を自ら暴露した。
少年はすぐに日記を削除したとみられるが、ネット上の掲示板では現在も、「詐欺だ」などとカンニングを非難する議論が巻き起こっている。
実際、少年は番組で優勝はしたものの14問目で初めて正解し、好位置の「角」のパネルを獲得。運良く、他の学生のパネルを手中にしていった。
6問の正答に対し、誤答は7問。誤答では「北極圏内で1年の大半が凍結した大地を何というか」に「フィヨルド」(正答・ツンドラ)、「衆院は解散の日から何日以内に総選挙となるか」に「15日」(正答・40日以内)。そして「金産出量日本一の菱刈鉱山は何県にあるでしょう」(正答・鹿児島県)に「北海道」と答え、最近人気者になっている司会の児玉清さんに「またお立ちだ」と突っ込まれるほどだった。
優勝者のみが挑戦できる「充実のオーストリア・パリ9日間」獲得クイズは「国東半島」を「地元だから三浦半島」と答えてはずれたものの、パネル獲得分の賞金15万円と全国共通お食事券10万円分、ダイヤモンドネックレス、小型DVDプレーヤーを獲得した。
降って沸いたようなインチキ疑惑にかつて同番組の予選で敗退した男性会社員(29)は「誤答が非常に多かった。実力のない人が出てはいけない。予選はカンニングをしようと思えばできるが、そこまでして出場したくない。クイズが好きな人間にとって意味がない」と表情を曇らせる。
番組を制作した朝日放送広報部は「mixiの日記は本人のもの」としたが、カンニングに関しては「本人(少年)に確認を取ったが、2度否定した。予選を受けて通っただけでは面白くないので仲間内のウケでああいう表現をしたと話している」と疑惑を全面否定。同社は少年の弁を信じてこれ以上、追及しない方針を固めている。
また、少年が通う大学は「本人から事情聴取をする予定」(広報担当)と話している。】
参考リンク:アタック25で不正発覚?
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事実だとしたら、真面目に「挑戦」している他の応募者たちや視聴者には、失礼千万な話ではあるとは思うのですが、僕はこれを読んで、ちょっと疑問に感じてしまいました。 「アタック25」の予選って、そんなに簡単に「カンニング」できるの?って。
いや、高校や大学の入試のように、試験監督がついていてキッチリ見張っているというようなものではないのかもしれませんが、「アタック25」に出る問題って、そんなに奇抜なものはないし、特別な傾向があるようにも思えません。検索ができるパソコンセット一式でもあればかなり有利でしょうが、他の人たちと一緒に予選の筆記試験を受けたのだとしたら、一体どうやって「カンニング」したのでしょうか。それこそ、確実にカンニングをして勝とうとするならば、「パソコン」がムリなら「最近の新聞・雑誌」「百科事典」「現代用語の基礎知識」などを山のように積み上げておかなければ対応できなかったはずです。あらかじめ問題がわかっているのなら、他の人に気付かれないように小さな紙にでも書いておいた答えを見ることも可能でしょうが、そうでもないかぎり、他の参加者に疑われずに「カンニング」するのは、ほぼ不可能なのではないでしょうか。クイズマニアは、他人の不正にも厳しそうだし。
まあ、実際はカンニングをしていなかったとしても、「李下に冠を正さず」なんていう言葉があるように、自分から疑われるようなことをmixiに書いてしまったことは、確かに「失態」ではあるのでしょうけど。 そして、この記事では、【6問の正答に対し、誤答は7問。誤答では「北極圏内で1年の大半が凍結した大地を何というか」に「フィヨルド」(正答・ツンドラ)、「衆院は解散の日から何日以内に総選挙となるか」に「15日」(正答・40日以内)。そして「金産出量日本一の菱刈鉱山は何県にあるでしょう」(正答・鹿児島県)に「北海道」と答え、最近人気者になっている司会の児玉清さんに「またお立ちだ」と突っ込まれるほどだった。】なんて書かれていますけど、もし自分が「アタック25」に出演していたとして、あの解答席でこの問題に正しく答えられるか?と問われたら、僕は全然自信がありません。この3問でも「ツンドラ」しか答えがわからなかったし。 彼が「お調子者」で「失敗を恐れないタイプの人」であるというのは間違いなさそうなのですが、本当に「不正」をしたのかどうかは、僕は疑わしいと思っています。一応、6問も正答していますしね(7問間違えたらしいけど)。もしかしたら、みんな「釣られている」のかもしれませんよ。
ところで、「実力のない人が出てはいけない」という人のコメントが載せられているのですが、それは本当に「正しい」のかどうか? 僕は以前「ギミア・ぶれいく」という大橋巨泉さん司会の番組で、「史上最強のクイズ王決定戦」という企画を観たことがあるのですが、その番組に出てきた「クイズ王」たちは、「フランス革命の〜」と問題が読み始められた時点で早押しボタンを押し、「ナポレオン!」と正答してしまうのです。彼らによると、過去のデータから、「フランス革命『の』」で問題が始まると答えは「ナポレオン」で、「フランス革命『で』」から始まると「マリー・アントワネット」が答えになるのだとか。 いや、これはこれで、「究極奥義」どうしの対決は興味深かったのですけど、すべてのクイズ番組が「完全実力主義」になってしまうと、視聴者にとっては「面白くもなんともない」ものになってしまう可能性が高いのではないでしょうか。もし「アタック25」に彼らが出現して「超早押し」を連発すれば、会場もお茶の間も、かなり寒々しい空気で満たされるでしょう。視聴者参加型のクイズ番組が減ってしまったのも、そういう「一般解答者」と「クイズ王」との格差があまりにも開きすぎてしまったことが一因だと言われています。「実力主義」とか言うけれど、真の「クイズ王」たちは、もう、普通のクイズ番組には出られないのです。やっぱり「テレビで映えるか」なんていうことも予選のあとの面接で確認したりするようですし。
観ている側としては、「またお立ちだ」と突っ込まれるような解答者がいたほうが、「こいつバカだなあ!」と面白がったりもできるわけで、所詮、テレビ番組には「演出」がつきものだと割り切ってしまったほうが良いのかもしれませんね。
しかし、どんな問題だったか観ていないのでわかりませんが、「国東半島」なんて、地元の人じゃないと名前すら浮かんできそうにないですよね。 相変わらず「海外旅行獲得クイズ」の問題は難しいなあ……
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2006年10月01日(日) ■ |
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「韓国には白か黒しかない。灰色はないんだ」 |
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「週刊アスキー・2006.10/3号」(アスキー)の「今週のデジゴト」(山崎浩一著)より。
【あれは、そう、数年前に韓国のネット事情を取材したときのエピソードだった。当時、ネットで目の敵にされている某大新聞社の企画で、私は韓国の人気ニュースサイト主宰者のK君と出会ったのだった。K君はいわゆる386世代の末っ子に当たる30代後半。ご多分に漏れず、幼少期から反日教育を叩き込まれ、学生時代は過激な民主化闘争にのめり込み、主宰するサイトでも痛烈な保守批判に健筆をふるっていた。 ソウル江南区にあたる彼のオフィスで通り一遍の取材を終えると、なんだか話し足りない様子のK君は、私と通訳のY嬢を食事に誘ってくれた。せっかくのお誘いなので、彼の行きつけの韓定食レストランで昼間っから一杯やりながら話の続きを……てなことになった。 K君はいきなり焼酎のボトルを1本空けてしまうと、さきほどとはうって変わった韓国風べらんめえ口調でまくしたてた。びっくりする私に、Y嬢はあくまでも冷静に通訳してくれる。「どうも彼の身の上話を日本人に聞いてほしいみたいです」。ちょっと怖いけど、私も望むところだ。 '90年代前半、海外旅行が自由化されたばかりの韓国を出国したK君は、バックパックを背負って世界放浪の旅に出る。主に西欧方面を旅した彼は、そこで激しいカルチャーショックに襲われる。それは西欧文化に対するものではなく、なぜか日本に対するものだった。つまり「西欧での日本と日本文化の存在感の大きさ」に彼は打ちのめされてしまったのだ。言うまでもなく、それは西欧での韓国のそれと比較してのものだった。彼は思った「俺は国家にずっとだまされていた!」と。この言葉を彼は3回くらい繰り返した。 K君のテンションはますますエスカレートする。失意の放浪を終えて帰国したK君は、今度はひきこもりに転じる。自宅にひきこもってネットに明け暮れる生活を続けた。ほとんど1年間、パソコンの前から離れることがなかったほど。そして1年間のネット放浪から帰還した彼は、意を決して自らも情報を世界に発信すべく、件のニュースサイトを立ち上げるのである。 彼自身の物語を語り終えた頃には、K君の前に焼酎の空ボトルが4本転がっていた。もちろん私も1本分くらいは飲んだのだが。その間、彼はここにも書けないほど過激な自国批判を声高に語り続けた。昼時のレストランはほぼ満席である。それを聞いて激怒した(いわゆる「ファビョった」)愛国者がわれわれに殴りかかってきやしないかとヒヤヒヤものだったが、周囲の客の声もK君に負けないほど騒々しかったためか、事なきを得たのである。
(中略)
とまあ、K君が愛すべき人物であることはわかってもらえると思う。彼の身の上話を聞いて、K君の胸中に渦巻く苦悩の複雑さと深さも理解できる、ような気がする。でも、それでもやっぱりどうしても理解することができなかったのは、それほどのカルチャーショックを受け世界観がひっくり返るほどの体験をしながら、彼のサイトを見る限り、彼が反日・親北派であり続け、少なくとも発足当時の盧武鉉政権を熱烈に支持していることなのだ。韓国初の”革新”政権が誕生した時、オーマイニュースなどとともに彼のサイトもその誕生に少なからぬ影響力を持ったらしい、ということをある本で読んだ。 「韓国には白か黒しかない。灰色はないんだ」と彼は自嘲気味に言っていた。つまり保守(親米・反北)を支持しないのなら選択肢は革新(反米・親北)しかないのだし、”親日”が許されないのなら”反日”であり続けるしかないということか。彼と会う直前に会った韓国の著名な学者(K君に言わせれば西欧中心主義者だという)も、やはり自嘲気味に似たようなことを言っていた。「この国にはリベラルという言葉は存在しないんです」(実は日本にだって厳密な意味での”リベラル”政党はないのだが)と。そして彼もまた公の場では反日的な発言を繰り返している。】
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日本人である僕からすると、韓国の人々の日本に対するさまざまな反感は、なんだかとても理不尽なもののように思えていたのです。とくに盧武鉉政権になってからの韓国政府というのは、もう「話が通じない」ようにしか見えなくて。 でも、ここで山崎さんが書かれている「韓国の知識人たちのジレンマ」を読んでみると、彼らの気持ちもわからなくはない、と思えてきます。「灰色」のなかで「白に近いか、黒に近いか?」を考えるような日本的な感覚からすれば、こういう「白か黒しかない世界」というのには、すごく違和感があるのも事実なのですけど。だって、「バックパッカーとして世界放浪」の直後に「引きこもり生活」なんて、それはあまりにも対称的だものなあ。 それにしても、「K君」が、日本や韓国という当事国やアジア諸国ではなく、西欧方面に旅をすることによって、日本と韓国との「影響力の差」を目の当たりにしてショックを受けた、というのは、ものすごくわかるような気がするのです。今まで「酷い国」だと教えられてきた国の文化が、誇りに思っていた自分の国の文化よりもはるかに、遠く離れている関係が薄いはずの国で重んじられているというのでは、いままで築き上げてきた「価値観」も崩れ落ちてしまうでしょうし。海外に行ってみると、国内にいるよりもずっと、「自分の国」というものを意識せざるをえない機会が多くなるんですよね、本当に。日本にいるときには目を留めたこともないような「SHARP」とか「SONY」の看板を見かけただけでも、「日本企業ガンバレ!」と心の中で応援してしまうくらいに。
この文章に出てくるような「内心はわかっている人」ですら、自分が社会のなかで生き延びるために「反日」をアピールしなければならないような状況では、韓国の「反日感情」を緩和するのは、かなり難しいのだろうな、と暗澹たる気持ちになってしまいます。 まあ、「”親日”が許されないのなら”反日”であり続けるしかない」というのが国民性であるとするならば、逆に”反日”でなくなりさえすれば、みんなガラッと”親日”になってしまう可能性だってあるかもしれないんですけどね……
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