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2005年10月31日(月) ■ |
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「あきらめるな」と言う人々への手紙 |
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「ありがとう。」(鷺沢萠著・角川文庫)より。
【人はよく「あきらめるな」と言う。 「あきらめずに自分を信じろ」とも言う。 「人を疑うな、信じろ」などとも言う。 たぶんそこには「あきらめない」ことや「自分を信じる」ことや「人を信じる」ことは簡単なことではないから、苦しいことだから、たやすいことではないから、という前提があって、そういう難しいことだからこそ、やる価値があるのだ、というような考え方があるのだと思う。 それに「あきらめない」とか「信じる」ということばは、文句なしに美しい。少なくとも「敗北主義」や「不信」よりは、よほど耳にやさしいことばだろう。 けれど私は思う。 「あきらめない」ことはほんとうにそんなに難しいことだろうか。「信じる」ことはほんとうにそんなに苦しいことだろうか。 私は思うのだ。「あきらめる」ことは、実は「あきらめない」ことよりずっと辛いことなのではないか、と。「信じずにいる」のも「信じる」よりずっと苦しく難しいことなのではないか、と。「あきらめる」や「信じない」選択は、その逆の選択の、何倍もの苦渋を強いられるのではないか、と。 たしかに「あきらめる」ことや「信じない」ことは、ことばとしてはあまりキレイではない。けれど、「あきらめないことにしたから」、「信じることにしたから」と、真綿のように白く美しいことばの中にぬくぬくと埋まっているのは、それの何倍もたやすいことだ。 最後まであきらめるな、あきらめさえしなければ必ず望みは叶うものだ、というようなことを本気で口にする人は、きっと、奥歯を噛みしめて、額に血管を浮かばせながら、それでも「あきらめる」を選択するしかなかった、信じたいのに、信じられればそれほど楽なことはないのに、それでも「信じない」を選択するしかなかった、そういう経験のない人なのではないかと思う。その是非を問おうというのではない。あきらめずにいた結果その対象が手に入れば、信じた結果それが報われれば、それほど喜ばしいことはないのだから。
もう一度言おう。 「あきらめない」ことは、さして難しいことではない。さして難しくないことをするときに、殊更に胸を張って、声高に主張する必要はない。 世の中にはどうやってもあきらめる他ないことがたくさんある。山ほどある。厭になるくらいある。 そうしたことごとの瓦礫の山の上に途方に暮れて立ち尽くしながら、血をしたたらせて「あきらめた」経験が一度でもあれば、「あきらめない」をただキレイなことばとして受けとめることもないはずだ。 「あきらめるな」は他人に向かって言うことばではない。自分に向かって、黙ったまま言うことばだ。】
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この鷺沢さんの文章、僕の心には、とても強く響いてきました。誰かに「がんばれ」と言われたときに感じる、なんだか言葉にできない「違和感」みたいなものの正体はこれだったのか、というのを、あらためて思い知らされた気分です。 もちろん、誰かを励ますというのは、けっして悪いことではないのだというのはよくわかります。「あきらめるな」「信じろ」と言うほうだって、そういう言葉しか、かけようもない状況というのが厳然として存在するのは事実なのだし、それでも何かしてあげたい、という気持ちを、一概に否定することはできないでしょうから。 世界には、そういう「あきらめなかった人々」が、最後に報われる話が溢れているようなのですが、その一方で、そういうエピソードが人々の心に感動を与えるのは、それが「奇跡」だからでもあるんですよね。誰でも報われるのなら、そんなの、わざわざテレビで取り上げられたりしません。もちろん、奇跡というのは起こることもあるけれど、自分の目の前で簡単に起こるようなことは、「奇跡」ではないのです。 確かに、「信じる」というのは美しいことだし、「あきらめない」ことは正しいのだと思います。ただ、そういう「正しい人たち」というのは、結局、その正しさに溺れてしまって、そこで思考停止してしまっていることが、少なくないのです。だって、「あきらめないで最後まで頑張ったから」「信じぬいたから」というのは、それだけで、立派な「言いわけ」になりますからね。「正しいことをしたのだから、結果はダメでもしょうがないんだよ」って。 本当は、その「信じるということの美しさ」に、依存して、現実に眼をそむけているだけなのだとしても。 「あきらめない」っていうのは、そんなに立派なことなのか? 他人に対して、偉そうに説教できるようなことなのか?
鷺沢さんが自分の命を絶ってしまったのは、あまりに、いろんなことが見えすぎてしまったからなのだろうか……
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2005年10月30日(日) ■ |
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チャーチルも認めた、細木和子先生の真の「才能」 |
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「裏モノの神様」(唐沢俊一著・幻冬舎文庫)より。
(あの、「1999年に人類は滅亡する!」で一大センセーションを巻き起こした、「ノストラダムスの大予言」を回顧して)
【結局1999年は、いろいろ小さい事故はあったものの、何も起こらず平穏無事に過ぎてしまった。7月直前に五島氏にインタビューした新聞があったが、ここでの五島氏のコメントがよかった。「今回は大丈夫でしょう」。なんだ、「今回」って。チャーチルも言っている。「予言を当てるのに大して才能はいらない。才能がいるのは、はずれたときにうまく言い訳する方にである」と。予言者たちの才能をはかるのはこれからである。】
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僕も「30歳までは生きられないのだなあ…」と子供心に恐れていた、あの「大予言」ですが、結局、「人類滅亡」という災厄は起こりませんでした。まあ「今回は」ね… しかし、このチャーチルの言葉を読んで、僕は現在大活躍中の某H木和子先生のことを思い出してしまいました。確かに、細木先生は(って、もう仮名もめんどくさいし)、「あんたはすごい金を掴むよ!」とか言いまくっているわけなのですが、相手は芸能人が多いから数打ちゃ当たるだろうし、なんといっても白眉なのは、仮にその予言が「外れ」でも、「外れてよかったじゃないの!」と、かえって堂々とされているんですよね。いや、実際のところ、あの予言は必ずしも当たってばかりではないと思うのですが、それでもあれだけの人気を誇っていらっしゃるのは、予言そのものの信憑性というより、あの「自信に満ち溢れた態度」ゆえにではないでしょうか。 結局みんな、不安なときは何かに頼りたいし、どうせ頼るのなら、自信ありそうな人に頼りたいだろうしね。カリスマにとって大事なのは、まさにこの「言い訳の才能」なのかもしれません。 こういうのって、政治の世界にも言えそうなことで、小泉首相なんて、あれほど「言い訳上手」な人って、なかなかいないような気がします。 あんまり仕事もしていないのに会社からけっこうな給料をもらっていたのが発覚したときの「人生いろいろ、社長さんもいろいろ!」なんて、全然答えになっていないんだけど、つい「ま、そんなものかな…」とか思ってしまうものなあ。
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2005年10月29日(土) ■ |
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『パックマン』ができるまで |
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「CONTINUE Vol.24」(太田出版)のインタビュー記事「『パックマン』を創った男・岩谷徹」より。
(現在もナムコで教育現場でのクリエイター育成、新規事業のマネジメントを担当されている、『パックマン』の生みの親、岩谷徹さんのインタビュー記事の一部です。)
【インタビュアー:で、話をいよいよ『パックマン』に進めたいと思うのですが、まず最初にうかがいたいのは、本当に『パックマン』のアイディアは、ピザが元だったのかどうか、という(笑)。
岩谷:そうです。シェーキーズでピザを頼んで、そのときに「コレだ!」と。でも、まず”食べる”ってキーワードが先にあったんですよ。
インタビュアー:ああ、そうなんですか!
岩谷:最初に女性をターゲットにしようと決めてて、女性ならファッションとか男の子の話とかかかなあ、と。でもファッションじゃゲームにならないなあって考えつつ、「女の子って、ケーキとかデザートとか好きだよなあ」と。じゃあ、”食べる”ことが、なんかゲームにならないかなっていう。そのときにたまたまピザを頼んで、1辺取ったら、パックマンのような形になった。その瞬間に「あ、コレでいいじゃないか」と。キャラクターの動きが見えたんですよ。それで家に帰って、頭の中でばーっとシミュレーションしたのを紙に書いて。
インタビュアー:そこから一気にアイディアが固まる?
岩谷:自由に動いちゃうと操作しづらいな、とか。自由度が高いというのは、難しさに直結しちゃうんですよね。じゃあ、そこからもう制限をつけちゃえ、と。ターゲットが女性ですから、4方向にしか行けません。で、レバー1本。そうなると、当然迷路の組み合わせも決まってくるんで、だいたい構造ができあがった。あとは、ただ食ってるだけじゃダメなんで、追いかけてくる敵を配置して。
インタビュアー:もう、そこはたたみかけるように。
岩谷:一気ですね。アイディアはけっこう一気にできるんですよ。『リブルラブル』のときも、そうでしたし。
(中略)
インタビュアー:海外からの反響というのは、どうでしたか?作った本人としては。
岩谷:いや、どこが面白くてやってくれてるのか、正直よくわからないんです。『パックマン』をやってて「面白い!」と思ったことはない。1面クリアするまでは遊びますけど、次の面の途中くらいで飽きるんです。これでいいやって(笑)。
インタビュアー:それはやっぱり中身がわかってるから飽きるんでしょうか?
岩谷:(小声で)というか、そんなに面白いゲームだとは思わないんだよなあ……。
インタビュアー:いまの発言はすごい!(笑)】
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『パックマン』は、今年、「世界で最も成功した業務用ゲーム機」として、ギネスブックに載ったそうです。日本でも大ヒットしたゲームなのですが、とくに海外では人気が高くて、アニメ化されたり、キャラクターグッズの売り上げも凄かったのだとか。 そういえば、僕が小学校の頃にはじめて「ゲームセンターでテレビゲームをやっている女の人」を見たとき、その人がやっていたのが、この『パックマン』だったんですよね。当時は、「女性がゲームセンターにいる」ということ自体がけっこう珍しかったので、今でも覚えているのです。 『パックマン』のモデルが「一辺を取ったあとのピザ」だというのは、このインタビューではじめて知りました。当時はまだピザという食べ物そのものが、田舎では珍しい食べ物だったし、たぶん、あのころの僕が「ピザ」とか言われても、今ひとつイメージできなかったかもしれませんけど。 それにしても、あの時代に「女性をターゲットに」ゲームを作るというのは、けっこう冒険だったのではないでしょうか。女性のゲーム人口は非常に少ない時代だったしね。しかしながら、あの「レバー1本」という簡単な操作系は、ゲームに慣れていない女性に対する間口を広くするための戦略で、あのドットやパワーエサ、モンスターを”食べる”ということも、それなりの戦略があったようです。確かにあの頃は、「ゲームってなんだか破壊的」「野蛮」「不良製造機」というようなイメージを持っている人が多かったのですが、そんな中、「わかりやすくて殺伐としていない世界観」を持っていた『パックマン』は、女性たちにとっても、受け入れやすいゲームだったのでしょう。 しかし、あらためて「本当に面白い?」と言われてみると、僕も昔は、「同じような面ばっかりで飽きるなあ」と感じていたことを思い出しました。でも、ゲーマーにとってはそのくらいの難易度のほうが、きっと一般ウケするゲームになるんだろうなあ。 もちろん、【そんなに面白いゲームだとは思わないんだよなあ…】なんて言えるのは、みんなが「面白い」と言ってくれて、大ヒットしたからこそ言える「問題発言」なのですが。
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2005年10月28日(金) ■ |
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観てもらえない「クライマックス」 |
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「水族館の通になる」(中村元著・祥伝社新書)より。
【初めて訪れる水族館では、あるいは水族館が好きな人ほど、途中で時間がなくなって、一番楽しみにしているコーナーをじっくり見ることができなくなってしまう。残念なことに、水族館の最後のクライマックス展示コーナーを、足早に駆け抜けてしまう人はかなり多いのだ。 大きな理由は、水族館のアリの巣のように曲がりくねった通路に入ってしまうと、建物のどこにいるかが分からなくなり、距離感や時間間隔を失ってしまうからだが、それに輪をかけて、水族館を作った人の意図と、観覧者の気持ちに大きなズレがあることを知っておくといい。 水族館を作った人たちのほとんどが考える水族館の構成はこうだ。「最初のコーナーは序章、そこからコーナーを進むごとに驚きや面白みを強くしていき、一番のクライマックスは最後に持ってくる。そうすればもっとも満足度が高くなるはず」と。 ところが、客の立場になって考えれば、水族館にやってくるまでの長い道のりと時間のことがあって、それがすでに序章なのだ。一番最初に見るコーナーなり水槽なりは、すでにクライマックス。空腹時の肉まんと同じで、どれほどショボくてもおいしいのだ。 しかもその直前に払った決して安くない入場料のことが頭に残っているから、しっかりもとを取らなくてはならないと思う。子どもが、ペンギンだイルカだとお目当てに急ごうとすると、「しっかり見なさい!(もったいないから)」と、叱っているお母さんをよく見かけるだろう。 つまり、水族館側と観覧者の見学時間の想定が、まったく逆転してしまっている。だから、入り口付近は、どの水族館でも一番混み合う場所になっている。 これを解消するには、ひとつには、まず館内マップで、館内のことをしっかり把握すること。実際、水族館に入ったとたん、水槽でなくマップを見るのは、だれもが時間が惜しいように感じるのだが、そこを曲げてマップをじっくり見ていただきたい。 さらに、心と時間に余裕があるなら、まず最後までざっと見て、それから気になるところに戻る、という方法をとると、時間配分が楽になるだけでなく、見落としも少なくなる。】
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これは水族館に限ったことではなくて、美術館とか動物園でもそうですよね。確かに、入り口からすぐのアトラクションは、けっこう混みあっていることが多いのです。「どうしてこんな珍しくもなさそうな展示に、こんな人だかりが…」と思いつつも、せっかく来たのだから、水槽ひとつたりともおろそかにしたくないのもないですし。 でも、そういう情熱というのは、半分くらい観ていくうちに次第に薄れてきて、途中からは「めんどくさいから、とりあえずザッと流す」という感じになりがちです。 この文章を読んでいると、水族館の「創り手」と「観覧者」の感覚のズレというのが、よくわかります。現実にはありえないことですが、僕がもし水族館の設計をするとしたら、やっぱり「最初にちょっとした見せ場を作っておいて、少しずつ盛り上げていって、最後にクライマックスを…」というような創り方をすると思います。それが、いちばん「ドラマ性を高める演出」だという意識があるから。その一方で、観る側は、そのクライマックスにたどり着いた時点では、もう熱が醒めかけてしまっているのです。「もう足が疲れた」とか「時間が無い」とか。そして、肝心のクライマックスは、あまり熱心に観てはもらえない。 考えてみれば、こういうのって、文章を書く場合にも言えることで、書き手のほうは、「最初は導入部だから抑え目の調子で、後半に読ませるクライマックスを…」と意図していることが多いのですが、読み手の側は、「後半になったら面白くなるだろうから、前半は面白くなくても我慢して読む」という人は少数派でしょう。既知で「信頼している」作家の作品(あるいは、自分でお金を出して買った作品)でなければ、「少し読んでみて面白くなければ、投げ出してしまう」のが自然なのです。 創る側としては、そういう「受け手の感覚」を意識することが、非常に大事なのでしょうし、いくらクライマックスが素晴らしくても、そこまで受け手の興味を持続させて、読んでもらうことができなければ意味がありません。いきなりイルカや巨大ザメなどの「見せ場」を登場させなければならないこともありそうです。 小説などの場合は、「最初に全部流し読みして、面白そうなところに戻る」ってわけには、いかないだろうしねえ。
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2005年10月27日(木) ■ |
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『ゴルゴ13』最終回の謎 |
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「日経エンタテインメント!2005.11月号」(日経BP社)の飯島愛さんの対談連載「お友だちになりたい!」第43回より。ゲストは、マンガ家のさいとう・たかをさん。
【飯島:『ゴルゴ13』の連載はまだまだ続いていますよね。最終回は金庫に入っているというウワサですが、この金庫ですか?
さいとう:金庫になんか入ってないですよ(笑)。
飯島:そうなんですか? ゴルゴさんは先生よりも1歳上という設定だったんですよね。
さいとう:最初の設定だと僕よりも1歳上だから、今だとちょうど70歳ですね。
飯島:何年くらいマンガを描かれているんですか。
さいとう:ちょうど50年ですね。『ゴルゴ13』は描き出して37年。当初は10話くらいしか描けないと思って、それで終わるつもりで考えたんですよ。そのときから最終回はそのままです。最後を考えてあるから、連載してもその間にアイデアをはさんでいるだけです。 これだけ長くやっていると、よく聞かれるんですよね。ゴルゴは、要するに私の分身みたいなものかと。でも、私にとっては、ものすごく言うことを聞いてくれる役者と監督の関係ですね。
飯島:すごく客観的ですね。ずっとネタが続くのはすごいですね。
さいとう:ドラマをつくるのは、つめ将棋みたいなものですよ。でも、東西の壁がなくなったときに、「これで『ゴルゴ』のネタはおしまいだ」なんてよく言われました。だけど私は逆に、冷戦後にこそ人種問題やエネルギー問題が噴き上がって、世界は煮えた鍋みたいな状態になっていくと言ったんです。案の定、そうなりましたね。】
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結局、この対談でのさいとう・たかをさんのコメントからは、『ゴルゴ13』の最終回の「構想が完成している」ことはわかるのですが、その「完成原稿」が、今の時点で存在するのかどうかは不明です。この対談のなかで、さいとうさんは【『ゴルゴ13』は、37年間一度も原稿を落としたことがないのが自慢】と話されているくらいですから、万が一のときのために、「準備」してある可能性は、十分ありそうな気もしますけど。 それにしても、連載37年間というのは、本当に凄いですよね。ここまで来ると、よほどの『ゴルゴ13』フリーク以外は、同じ話を使いまわされても、全然気がつかないかもしれません。でも、マンネリと言われながらも37年続いているということは、やはり、根強いファンが多いのだよなあ。
マンガの世界には、「完結」した作品と、作者の都合(急病や死など)や雑誌の休刊などで、「未完」に終わった作品があります。小説などでもそうなのですが、僕の場合、やっぱり「未完」の作品に対しては、中途半端な作品という印象はあるのです。「どうせ途中で終わりなんだから、読んでもしょうがない」というような。もちろん「プロセスを楽しむ」ということもできるのですが、一般的に「名作」と言われる作品には「未完」のものはほとんどないわけですし。 いくら名作でも「ドラゴンボール」や「あしたのジョー」に「終わり」がなければ、なんだか消化不良な作品として扱われてしまうに違いありません。 その一方で、『ドラえもん』は、ネットでもさまざまな「最終回」が予想されていたりしたものの、結局、藤子不二雄Fさんによる「公式の最終回」が描かれることはありませんでした。ただ、そのことに関しては、僕は「最終回がなくてよかったなあ」と考えてみたりもするんですよね。 大河マンガ「ガラスの仮面」は、やっぱり「最終回」がないと、サマにならない作品だと思います。それとは逆に「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は、「最終回」がないまま、なんらかの原因で「終幕」となってしまっても、それなりに許されますよね、たぶん。「美味しんぼ」あたりとなると、まあ微妙なところというか、とりあえずちょっと消化不良だけど、まあいいか、という感じでしょうか。 『ゴルゴ13』に最終回は必要なのか?というのは、けっこう難しい問題です。連載当初は、それなりの「答え」を期待していた読者も、今となっては、「どうでもいい」と考えていそうな気がします。むしろ、「終わらない作品」として、ゴルゴの出生の秘密や正体は謎のままのほうがいいのかもしれません。 37年分の「期待感」を超えるような「最終回」なんて、ありえないような気がするので。 あんまり「最終回」がつまらないと、なんだか、作品全体が「どうせ最後は○○なんだし」というような目でみられてしまうものなあ……
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2005年10月26日(水) ■ |
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「とうとう銀座に来れるようになったわねえ」の傲慢 |
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「週刊SPA! 2005.10/25号」(扶桑社)の記事「キャバクラ考現学」(木村和久著)より。
(コラム「声に出して読みたい、キャバクラ迷言集」の一部です。)
【お言葉「とうとう銀座に来れるようになったわねえ」(昔、銀座で言われました。ほっとけよ)
銀座の高級クラブに行っていたころのことだ。信じられないが、当時は最低でも5万円を払って飲んでいた。今そんなカネがあるなら、液晶モニター2台買うって。 それはともかく、昔、六本木で働いていたコが銀座で働きだして、お呼ばれしたときに言われたセリフがこれだ。「木村さんも、とうとう銀座に来れるようになったわねえ」だと。喜んでいいんだか。女ってこういうふうに考えているのかと思うとイヤだね。たぶん客室乗務員も、ファーストクラスのなんかで出くわすと「とうとうファーストクラスに乗れるようになったんですぁ」と言われそうで怖い。 ここで勘違いしてほしくないのは、女のほうが単に高級クラブで働いているだけで、別に出世したわけではないのだ。厳密に言うと、出世した男たちの世話をしているだけの仕事である。なのに偉そうにさ。でも銀座にはそれだけの見栄という魔力があるのは確か。古い考えだが、いまだ「昨日、銀座で飲んでさあ」という虚栄の部分が必ずついて回る。】
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まあ、こういうのって、働いている女の子にとっても、「自分はこんな高級店で働けるようになったんだから」というプライドがあるんでしょうけどねえ。 でも、それを客に向かって「あんたも出世したねえ」というのは、ちょっと勘違いも甚だしいのではないかと。 実際は、こういう話は、キャバクラだけではなくて、「自分の所属している器の大きさ」=「自分の大きさ」だと思い込んで偉そうにしている人っていうのは、けっして少なくはないのです。たとえば、大学病院の若手研修医などが「そんな軽症の患者さんは、大学病院の適応じゃない!」とか横柄に答えている姿なんていうのは、同業者の僕からみても不愉快です。もちろん、大学病院のような高次病院には、その病院にしかできない医療があるのですから、あらゆる患者さんを受け入れて専門医療に手が回らなくなるのは困った事態にはちがいありません。でも、だからといって、「自分が大学病院で研修しているだけ」の人間が、そんな物言いをしていいということにはならないはずです。せめて、「申し訳ありませんが、今病室が満床で、うちでは受けられないので…」というくらいの「節度」があってしかるべきなのに。あるいは、「高級ブランド店」などでの、店員さんのお客をバカにしたような態度なんていうのも、この類でしょう。 偉い(あるいは、みんなが畏れている)のは、お前が所属している「イレモノ」あるいは「看板」であって、お前自身じゃない! そういう「虎の威を借る狐」みたいな態度の人って、本当に多いのです。自分が所属している「組織」の力を、自分の力だと勘違いしている連中。 そんな人に限って、その「組織」から離れてしまったら、急にシュンとしてしまったり、「ブランド批判」をはじめたりするのです。 本当にデキる店員さんというのは、適度な自信と謙虚さを併せ持っているものだし、自分が所属している組織を鼻にかけて自慢したり、威張り散らしたりするのではなく、「自分ができることで、どうやったら、お客を喜ばせられるか」と考えているものです。そして、「高級感」というのは、「店員のプライドの高さ」ではなくて、そういう「お客のプライドをくすぐる接客術」によって生み出されるものなんですよね。ああ、この店で、こんなに丁寧に扱ってもらえるなんて、自分は「高級な人間」なのだな、という甘美な錯覚。 僕もごくまれにブランドショップなんてところに行く(というか、引きずりこまれる)こともあるのですが、多くの場合、いちばん言葉遣いが丁寧で物腰の柔らかい人が差し出す名刺に「責任者」と書いてあるのですよね。
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2005年10月25日(火) ■ |
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塀の中の「世界に一つだけの花」 |
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日刊スポーツのインタビュー記事「日曜日のヒーロー〜第487回」槙原敬之さんへのインタビューの一部です。
【そんな大輪の花を咲かせる(「世界に一つだけの花」を大ヒットさせる)3年前の99年8月。覚せい剤所持の現行犯で逮捕された。22歳で「どんなときも。」が100万枚を突破し、音楽界のトップを走っていた。全国ツアーは中止。当時所属していたソニー・ミュージックエンターテインメントは、全CDを店から回収し、出荷停止にした。実家の両親もマスコミに追われた。 警察の留置場では4人部屋だった。中には同世代の人もいた。彼らから「槙原さんがこんなところにくるなんてビックリした。若くして成功して苦労がない人だと思ってたからさ」と言われた。その言葉にハッとした。
槙原「彼らからみると、そういう順風満帆にみえる人の歌を聴いても『どうせ、おれたちの痛みなんて分からない』みたいなものがあるのかな」。
それまでは作詞・作曲、アレンジなどをすべて1人でこなし「人の手はいらない」との感覚に陥っていた。閉ざされた空間。自殺予防のため、手紙を書くとき以外、自由に鉛筆を持つことも許されなかった。その中で毎日「何が正しいことか、何が間違っていたか」を考え続けたという。自己分析、両親、周囲の人のことも考えるうち、内面で化学反応が起きた。
槙原「ここまで人の気持ちに触れようと思ったことって、それまでなかったんですね。あの事件があったおかげで『僕は僕だけで生きてるんじゃない』『僕の歌を本当に聴いてほしい人に歌が届いていない』ということに気がついて。そこでまた、曲作りにポッと火がついた。これからは、サウンドとかじゃなくて、何が言いたいか、だって。それから、また曲作りが楽しくなりました」。
音楽は「食っていくもの」だったが、「ライフワーク」へと変化した。
槙原「歌が、人の心の中で、本当の意味で必要なものでありたいと思ってから、急にすべてが変わりました。だからこそ、SMAPの歌が書けたと思う。昔、ああいう曲を書いていたら、何となく大義名分を振りかざした、流行で終わっていたと思う。でも、今は心からそう思うし。」
公判では、検事が「僕もあなたのCDを何枚か持ってます。聴くと元気が出ますよね」と発言した。法廷での異例の発言に、槙原は「僕もびっくりした。しかと受け止めて頑張ろうと思った」と振り返る。逮捕から4ヵ月後に判決が出た。懲役1年6ヶ月、執行猶予3年。だがその直後に別のトラブルも起きた。当時の個人事務所の社長が、1億円を横領していたことが発覚。周囲は「もうこれ以上スキャンダルは嫌だから」と告訴などしてことを荒立てないよう、槙原を説得した。だが、槙原はあえて法廷闘争に踏み切った。
槙原「これから歌っていく上で『正しいことは正しい。間違っていることは間違っている。それが分かることだけでも財産』ということを伝えていくのに、スキャンダラスなことを言われるのは嫌だからと、その人のやった悪いことをなしにしたとき、僕の歌はうそになりますから」。】
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僕は槙原敬之さんよりほんのちょっと年下なのですが「どんなときも。」で華々しくデビューしたときから、ずっと槙原さんの「軌跡」を観てきていることになります。デビュー時は「あんまりカッコよくないのに…」なんて言っていた垢抜けない「先輩」が、ヒット曲を立て続けに出し、早くも円熟期に入ってきたと思われた時期の、あの「事件」のことは、今でもよく覚えています。当時は、槙原さんの性癖なども含めて、いわゆる「東京スポーツ的に」かなりセンセーショナルに報じられていましたし。 このインタビュー記事を読んでいると、その「事件」というのは、槙原さんにとってひとつの「転機」であったことがよくわかるのです。いや、普通のミュージシャンであったら、「転機」どころか「一巻の終わり」となってもおかしくないような事件ではあったのですが。 実は「再デビュー」のあとの槙原さんの歌は、それまでの「ほのぼの系のプライベートな恋愛ソング」から、いささかメッセージ性が強くなってしまったような気がして、僕はあまり好きではなかったのです。でも、その「変化」の陰には、これだけのさまざまな「きっかけ」があったのですね。あらためて考えると、あの事件の直前の槙原さんは、表面上「成功」していても、自分の居場所を失っていたのかもしれません。 再デビュー後も、いろいろな偏見(というか、「先入観」というべきでしょうね)にさらされ、バッシングを受けたにもかかわらず、こうして立ち上がった槙原敬之。僕も最初は、「またノコノコと『復活』してきやがって…」という気持ちだったのですが、それでも歌い続ける彼の姿には、なんだか、感動すら覚えてきたのです。「ああ、いろいろあったのに、負けずに頑張っているんだな」って。 「世界に一つだけの花」に関して、槙原さんは、こんなふうに話しています。 【僕が歌っていたら、こんなに売れなかったと思うんです。僕はいろいろあったし、偏見という目を感じるときだったと思うんですけど。自分という人間が歌うことで、この(曲の)考え方が汚いものだと思われるのは、耐えられない。そういう意味では、清潔感があって人気者のSMAPに歌ってもらえれば、聞こうと思ってくれる人がいっぱいいるだろうと思って。親に言われたらむかついて聞けないようなことでも、大好きな人から言われると『そうだね』って思える感じで、歌ってくれるだろうと。願いをこめて託しまし」。】
あの「事件」がなければ、「世界に一つだけの花」は、「歌い継がれる名曲」として世に出ることはなかったのかもしれません。そういう「アーティストとしての幸運」は、「人間としての苦悩」の上に成り立っているのだとしても、「ナンバーワンよりオンリーワン」というフレーズが小学生にも届いたあの曲は、「人間・槙原敬之」にとっての、ひとつの「克服」でもあったのでしょうね。
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2005年10月24日(月) ■ |
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「ホワイトバンド」をめぐる誤解と不快 |
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毎日新聞の記事より。
【世界的な貧困根絶キャンペーンに合わせて国内で300万個販売された腕輪「ホワイトバンド」に対し、購入者から批判が出ている。「売り上げの一部は貧困をなくすための活動資金となる」との触れ込みだったが、食料などを送るわけではなく、細かな使途も決まっていないため。事務局は「ホワイトバンドは『貧困をなくす政策をみんなで選択する』意思表示が狙い。分かりにくかったかもしれない」と説明し、店頭で、募金活動ではないことを強調する表示を始めた。 ホワイトバンド運動はアフリカの市民活動家らが、包帯や布などの「白いもの」を着けて貧困撲滅を自国政府や先進国に訴えたのが始まりとされる。今年7月に開かれたグレンイーグルズ・サミットへ向け、「ほっとけない 世界のまずしさ」をキャッチフレーズに、70カ国の市民団体が運動を展開し世界に広まった。 日本では約60の市民団体が事務局を結成し、PR会社「サニーサイドアップ」(東京都渋谷区、次原悦子社長)が協力。7月から、レコード店やコンビニエンスストアなどで1個300円の腕輪を発売している。 ところが、先月からインターネット上で、途上国を直接支援しないことへの批判が出始めた。事務局にも「途上国に募金が送られないと知っていたら買わなかった」「利益の使途を詳しく知りたい」などの批判や問い合わせが約500件も寄せられている。8月に購入した千葉県柏市の女子大生(22)は「募金にならないなんて知らなかった」と話す。 このため事務局は、店頭に「途上国へ食料や物を届ける運動ではありません」と書いた黄色いステッカーの掲示を順次進めている。ホームページも同様の説明を強調するよう変更した。 事務局によると、材料費や流通費などを除いた売り上げの44%を、活動の広告費や事務局の人件費、政策提言の研究費、PRイベントの費用などにあてる。今月末までに詳細な使途を決めるという。今田克司事務局長は「運動は『世界に貧しい国がある』と考えるきっかけを作るもの。政策提言や声を上げるために資金を使う。それが途上国への募金と同じような意味を持つことを理解してほしい」と説明している。】
参考リンク:ほっとけない世界のまずしさキャンペーン
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「ホワイトバンド」って、300万個も売れていたんですね。そのことにまず驚きました。僕は地方都市在住なのですが、本当に、ひとりもあれをつけている人を見たことがありません。もっとも、すれ違う人ごとに、ホワイトバンドの有無に注目していたわけではないので、なんともいえないところがあるのですけど。田舎では、あれを買ってもみんなの前で身につけるというのには、ちょっとした勇気が要りそうですしね。 「募金」とうものには、一抹の「いかがわしさ」や「偽善的である」という印象がつきまといがちで、僕などもコンビ二でお釣りを募金箱に入れるのにはためらいがあったりもするのですが(だって、「いい人」みたいなんだもの!)、この「ホワイトバンド」のキャンペーンは、「LIVE8」という、世界的な音楽イベントなども行われたりして、ある種の「ファッショナブルなボランティア活動」とされてきたイメージがあるのです。例えば「赤い羽根」をつけて歩いている人がほとんどいないことを考えると、この「ホワイトバンド」のキャンペーンは、単純に集まった金額のみならず、活動の世界的な認知度からしても、大きな成功をおさめたと言えそうです。 ただ、このサイトにある「ホワイトバンド300円の内訳」というのを見ると、これだけの大規模な活動となると「経費」の割合というのがかなり大きくなるのだなあ、と感じます。そもそも、「アレの材料費が69円もかかるのか?」という気もしますけどね。上の記事に出ている女の子には悪いけれど、そんなに直接的な寄付を確実にしたいならば、日本赤十字社とかに寄付したほうが確実で「中間に差し引かれる経費」もはるかに少ないと思われます。それだけお金をかけてプロモーションをしているからこそ、この活動がこれだけ大々的になっている、というのも事実なのです。有名人が参加していなかったら、「ホワイトバンド」は、ここまで流行らなかったはずだし、まあ、それでも「興味を持ってもらいたいし、興味を持たせることそのものが目的なのだ」というのが関係者の本音なのでしょう。 それにしても、「直接支援」にこだわる必要って、そんなにないと僕は思うんですよね。例えば、「がん撲滅基金」が、がんの患者さんたちの治療薬を直接援助することだけでなく、がんに対する新しい治療法の研究に使われたりするのには、みんな「妥当」だと思うのではないでしょうか。この「ホワイトバンド」のお金だって、「300円のうちの132円」が、いま飢えている人のための「目の前の食料」に使われるよりも、より効率よく将来的な貧困の根を絶つために使うことができるのならば、「政治的に」使われるのは、けっして悪いことではないと思います。「目の前の飢えている人たちを見殺しにするのか!」と言われれば、それはそれで辛いことではあるのですが、その一方で、そういう「対症療法」では、いつまで経っても同じことの繰り返しになりそうだし。 まあ、そういう「政治的な活動」みたいなのって、基本的には「なんかいかがわしい感じ」に思えてしまうのも事実だし、その活動内容にも、なんらかの「偏り」みたいなものが出てきてしまうのではないか、とも思うのですけどね。 それにしても、こういう「騒動」で、せっかくの「善意の芽」が摘まれてしまうとすれば、そんな残念なことはないですよね。たぶん、どちらにも悪意はないのだろうけれど、これでせっかくの「やる気」がそがれてしまっては、元も子もありません。 でも、そろそろ、「募金する側」も、流行に乗ったりや芸能人の真似をするだけじゃなくて、自分の目と耳で「何をどうやって支援すべきか?」を考えるべきなのではないかと思うのです。いや、何に使われるかわかんないような「資金集め」に、流行だからって何の疑問も持たずに協力するほうにだって責任はあるはずです。「騙された!」って言うけれど、こうやってネットで話題になるまでは、実際は何に使われるかなんて、全然興味なかったんじゃないの? 300円なら、「勉強代」としては、安すぎるくらいじゃないのかなあ。
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2005年10月23日(日) ■ |
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「十七歳であるが故」の完璧 |
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「インストール」(綿矢りさ著・河出書房新社)の巻末の高橋源一郎さんの「解説」より。
【『インストール』で、もっとも重要なのは、言葉が(日本語が)、ほとんど美しい音楽のように使われている(と感じられる)ことだ。それは、つまり、この小説が「完璧な日本語」で書かれているということだ。 しかし、十七歳の、当時、高校生の作者に、そんな「完璧な日本語」の作品を書くことが可能だろうか。 それは可能だ、それどころか、「十七歳であるが故」に完璧なのだ、とぼくは思うのである。 およそ十四歳から十七歳にかけて、青春前期とも呼ぶべき、この数年間を、ぼくは特別な時期だと考えている。そして、そのことは、ぼくにとって、とても大きな問題だったのだ。
ぼくが、「書く」ようになったのは、身近に、詩や批評を書く友人たちがいたからだ。およそ、十四歳から十七歳の頃にかけて、ぼくは、そのような友人たちと「書く」真似事を続けていた。その中に、「完璧」としか言いようのないものを「書く」友人がいた。 彼らが「書く」ものは、ぼくが「書く」ものとは根本的に違っていた。俗っぽい言い方をするのなら、彼らの言葉は光り輝いていて、「ほんもの」であるのに、ぼくの「書く」言葉は、贋金に過ぎない。ぼくはそう考え、それでも、たとえそれが「贋金」であっても、ぼくは書き続けたいと願ったのだった。 やがて、彼らは「書く」ことを止めた。ぼくは、懲りずに書き続けているが、自分の言葉が「贋金」ではないかという思いは、いまでも、どこかに残っている。 彼らの書いたものは、ぼくの手元にあり、たまに読み返すのだけれど、十代の青年(少年?)の思い過ごしではなく、やはり「完璧」な(しかも、当時感じていたより遥かに初々しい)ものだ、といまでも思う。つまり、十五歳や十六歳や十七歳の青年(少年)の書いたものとして「完璧」なのではなく、その時代の全表現の中においても「完璧」だった、といまもぼくは感じる。 昔と異なるのは、そのことを「異常」だとか、「天才」はいるものだ、と諦めるのではなく、冷静に受けとめることができるようになったことだ。 おそらく、どの時代にも、言葉(や音や色彩や形)に対して、異常に敏感で、自分の周りに存在する、それらの言葉(や音や色彩や形)を、「白紙」のように吸収し、そして、いったん吸収した言葉(や音や色彩や形)を、自分という「白紙」の周辺に、奇蹟のように結晶化することのできる人間がいるのだろう。 それを「才能」と呼ぶのなら、その「才能jは、我々が、通常、「小説を書く才能がある」とか「音楽家をしての優れた才能」と呼ぶときの「才能」とは異なったものだ、とぼくは考える。 そして、そのような「天才」たちを、ぼくは、ぼくの友人だけではなく、言語芸術(だけではないが)の歴史において、何人も知っているのである。】
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正直、僕にとっての「綿矢りさ」という作家の最初の印象は、「りさたん萌え〜」の域を出ないものでした。17歳の女子高生が書いた、「ネットのエロチャットの話」なんて、「話題性」だけのイロモノなのではないか、と。 でも、今回あらためて『インストール』を読み返してみて、この文章のテンポの良さは、やっぱり、タダモノではないなあ、と感じたのです。むしろ、「内容そのものに物珍しさが無くなってしまった今」だからこそ、この小説の「文体の凄さ」が伝わってくるのかもしれません。 この高橋源一郎さんの「解説」には、高橋さんが考えている「才能」について書かれているのですが、【十四歳から十七歳にかけて、青春前期とも呼ぶべき、この数年間を、ぼくは特別な時期だと考えている。】というのを読んで、僕も先日実家で、自分が高校の頃に書いていた文章を見つけて、その考えの「青臭さ」に苦笑しながらも、なんだか、その頃の文章のほうが「面白い」ような気がしてならなかったのを思い出しました。残念ながら、当時の僕の興味は、「読む」ことや「ゲームで遊ぶこと」に向いていて、「書く」というのは片手間の気分転換にすぎなかったのですが、それでも、僕なりに「あの頃にしか書けない文章」というのは、存在したのではないかと、今になって思います。「天才」とは程遠い僕にでも、そういう時期があったのです、たぶん。妙に分別くさくなってしまった今では、絶対に届かない「何か」が。 高橋さんは、この文章のあと、【デビュー作『インストール』の「完璧さ」(と初々しさ)は、彼女が、その「天才」たちの仲間であることを証明しているだろう。だが、それだけではないのでははないか、とぼくの(小説家としての)本能は告げるのである。】と書かれています。そしてそれは、何かの時代の終わり、あるいは始まりなのではないか、と問われています。 「たとえそれが『贋金』であっても、ぼくは書き続けたい」という高橋さんの言葉は、「才能」を形にするには、「一瞬のきらめき」とともに、一種の「執念」のようなものが必要であり、そういう持続力がないと、職業作家としてやっていくのは難しい、ということを示しています。「才能」があっても、それをうまく形にしていくというのは、本当に難しいことなのです。そういう「瞬発力」と「持続力」は、両立することのほうが珍しいのだろうし。 綿矢りささんは、そういう「一瞬のきらめきのような才能の時期」に現れ、これから、「では、その『きらめき』というのは、年齢を重ねたらどうなるのか?」というのを問われていくわけです。 正直、僕にはこの高橋さんが書かれている「才能」の正体は、はっきりとはわかりません。でも、綿矢さんには、すごいプレッシャーがかかっているのだろうな、というのは間違いないようです。
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2005年10月22日(土) ■ |
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会話上手な男、会話下手な男 |
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「週刊SPA! 2005.10/4号」(扶桑社)の連載マンガ『だめんずうぉーかー』(倉田真由美著)の「File.262 モテないトーク」より。
【ほんっと、どうでもいい男の長〜い夢語りは苦痛ですよねー 語ってる男はすごく気持ちよさそうだけど
夢語りに限らず話が下手な男って…… 相手にとって興味のない話をしすぎ
例えば私が以前取材に行ったあるセミナーで、80人ほどの人間が一人ずつ自己紹介をするというゴーモンみたいな時間があったのだが(正味2時間かかった)自己紹介ってトークのセンスが如実に出ることを発見した。
センスがない人って自分の紹介だけをだらだらする。
「○○晴彦といいます。『晴彦』は祖父がつけた名前で……晴れやかな大空のような男であってほしいと……」 ↑自分の名前の由来とか。他人にとっては死ぬほどどうでもいい話なんですけど……
聞いてる側は皆たいくつしてるのに全く気づきもせず
(中略)
「相手が自分の話に食いついてるかどうか」ってことに無頓着では会話上手になんてなれません。 ちなみに、女が食いつく会話上手の男の場合、会話の中に相手の話題を盛り込むことが多い。
「あれ?ちょっと見ない間になんか雰囲気変わったな。何かあった?」 ↑質問を投げかけ、きちんと相手に会話に参加する機会を与えたり(自分の話ばかりするオレトーク男は、基本的に質問をしない)
会話が楽しい時、女は全身で、楽しさを表現してるもんだ。 ・目をじっと見る ・表情豊か ・感情のこもった反応
逆につまんない時も、つまんないってダダ漏れる。 ・何を見るでもなく、視線が泳ぐ ・意味のない手遊び ・感情のこもらない適当な相づち】
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「傍目八目」なんて言うように、自分が傍観者である場合には、「ああ、この女の子、あきらかに退屈しているのに、こいつの話長くてつまんないなあ…そろそろ解放してあげたら?」と思うことも多いんですけどね。 でも、自分が当事者である場合には、なかなか相手の反応をうかがう余裕がなかったりもするのです。 この「自己紹介の話」なんてまさにその通りで、そもそも「自己紹介」を80人連続で聞かされることそのものが、ものすごく苦痛だと思うのですが、自分の番になったら、やっぱりこういう「オレトーク」をやってしまいそうな気がします。男同士の会話でも「自分語りしかできないヤツ」というのは、ものすごく話していて苦痛なんですけど、本人はけっこう「オレって話上手」とか思い込んだりしているのですよね。それで、ついつい相槌を打って聞いてしまう、おとなしい女の子が犠牲になってしまう。 「会話上手」のイメージというのは、「面白いことを自分から言える人」だと思われがちなのですが、実際のところ、お笑い芸人レベルでもなければ、「一方的に自分の話だけしていて、間をもたせる」なんていうのは、ほとんど不可能なのです。むしろ「相手がしゃべりやすいようにできる人」のほうが、「会話上手」なんですよね。どんなにおとなしくみえる人でも、「自分のことだってしゃべりたい」はずなのだから。 それでも「相手の反応を確認しながら話す」というのは、簡単なようで、自分が「当事者」になってしまうと、なかなかできないことなんですよね。 ヘタに確認すると、さらに落ち込みそうだしなあ…
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2005年10月21日(金) ■ |
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最高に真摯な「離婚の原因」 |
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「ダメな人のための名言集」(唐沢俊一著・幻冬社文庫)より。
【嫌いだから別れたんだ。
〜つかこうへいさんが、離婚したとき理由を問われて】
(以下は、この言葉についての唐沢さんのコメントの一部です。)
【「お互い良い関係を保とうと思って」 「それぞれの自由を尊重して」 「彼(彼女)の才能を束縛したくなかった」 などなど、離婚会見での自己正当化のコメントは数あるが、こういうのは全部ウソ八百のきれいごとである。そう思ったら最初から結婚などしなければいいのである。結婚とは相手の自由を制限して自分とのみつきあって欲しいと一方が望み、一方がそれを承諾した結果であり、夫婦になるとはそれぞれが一部分ずつ、自分の自由を犠牲にして、相手の生活に合わせることである。それは束縛であり不自由であるが、その障害を乗り越えるのが、愛情の存在であるはずだ。 それぞれの自由を尊重しようとか、束縛をしないというのは、二人の関係に愛情がなくなったからなのであり、 「まだ彼(彼女)を愛しています」 というのは矛盾なのである。そういう意味で、つかこうへいのこのコメントは、離婚の原因を問われてこれ以上の真摯な答はないと思わせるものであった。】
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このあと、唐沢さんは【もちろん、これは韜晦であって、インタビュアーはその嫌いになるに至った要因を質問したわけなのだが…】と続けています。確かに「嫌いになったから(あるいは、好きじゃなくなったから)別れた」というのは、「言うまでもないこと」なのでしょうけど、それにしても、芸能人の離婚報告などは、あまりに「粉飾決済」という感じがしますよね。まあ、そういうところにこだわるのも、芸能人の宿命なのかもしれませんし、観衆は、その「演技」を楽しみにしているという面があるのも否定できませんが。 しかし、僕の周囲の人々の話を聞いていると、結婚することと結婚生活を送ることというのは、100メートル走とマラソンくらいの違いがあるのではないか、という気もします。多くの人が「好きだから結婚した」はずなのに、その愛情というのがいつまで続くかというのは、やってみないとわからないのです。嫌いになろうと思って結婚する人は、いないはず。 「お互いに良い関係を保とうと思って」別れるなんていうのは、要するに「身近なところにいると、いざこざが絶えない」ということです。「大勢のなかのひとりの異性」としての評価と「パートナー」としての現実は、しばしば異なるのですよね。「つきあいのいい男」は、「家で待っている人のことは考えない夫」だったり、「金銭感覚がしっかりした女性」は、「ケチな妻」だったりするからなあ。 とはいえ、「嫌いになったから別れた」というよりは、「お互いのために…」くらいのことを言っておいたほうが、お互いの今後のためにはよさそうな気はします。「別れたパートナーに『嫌い』と言われた人」も「別れたパートナーを『嫌い』と言った人」も、第三者的には、「人間関係に容赦のない人」という印象になってしまうから。
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2005年10月20日(木) ■ |
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「黒澤天皇」のリアリズムとアバウト映画の2大巨匠 |
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「日経エンタテインメント!2005.11月号」(日経BP社)より。
(特集記事「DVDで発見!巨匠が赤面する珍場面集〜名作映画50本のミスを探せ!」より。)
【ミスのない黒澤映画の秘密
徹底したリアリズム描写で知られる黒澤明監督の作品には、ミスはほとんどない。 身代金誘拐事件を題材にした『天国と地獄』では、当時の東海道本線。特急こだまのトイレの窓が数センチだけ開くことに着目。わずかに開いた窓から投げられる幅のビジネスバッグを使い、犯人がまんまと身代金を手にするという緊迫の場面を生んだ。 事実を徹底的に追求するためにロケハンを重ね、納得するまで調べるのが黒澤流。トイレの窓からビジネスバッグを投げる場面では、こだま2両を借り切り、特別ダイヤで運行させたという。 ほとんど画面に映らないエキストラにもリアルさを求めた。 戦国時代の毛利一族の内乱を描いた『乱』では、エキストラのメイクに1人平均3時間を費やした。『野良犬』の撮影中は、数千本のタンポポを取り寄せ、撮影現場となった多摩川の川辺に1本ずつ、植えていった。 万が一ミスが見つかった場合、どんなにお金がかかろうと撮り直した。それが黒澤天皇とやゆされる一因ともなった。 『夢』にゴッホ役で出演したマーティン・スコセッシは、黒澤監督の完璧な時代考証に強く影響された。今年のアカデミー賞候補となった監督作『アビエイター』では、トイレットペーパーに至るまで、映画の背景となる1930年代から40年代の市販品を復元。黒澤芸術を踏襲した演出だったという。】
(一方、こういうアバウトな監督たちもいる、という話)
【アクション作品は多少の事実誤認が許されるが、度が過ぎるとあきれられてしまうことも。現実無視の2大監督がマイケル・ベイとレニー・ハーリンだ。 マイケル・ベイは『アルマゲドン』で、ブルース・ウィリスらに宇宙で地球と同じような重力がある感覚で作業させていた。 1941年を主な舞台に太平洋戦争を描く『パール・ハーバー』では、ベン・アフレック演じる主人公が海辺の酒場でウィスキーを飲むシーンで、瓶に当時はなかったバーコードが入っていたし、海辺で遊ぶ看護婦は戦後に発表されるビキニを着ていた。 レニー・ハーリンは『ダイ・ハード2』で空港にあるはずのないマンホールを描いたり、『クリフ・ハンガー』で雪山の高所にもかかわらず主演のシルベスター・スタローンをランニングシャツ1枚にしたり、『ディープ・ブルー』でサメを後ろに泳がせだりとめちゃくちゃな描写のつるべ打ちだ。】
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ちなみに、この特集によると、「2004年最も間違いの多かった映画」は、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』で、「歴代最も間違いの多かった映画」は、「パイレーツ・オブ・カリビアン」なのだそうです。 まあ、大ヒット作品だからこそ、観た人も、間違い探しをした人も多かった、という面もあるんでしょうけど。 それにしても、ここで語られている黒澤明監督の執念には、正直、驚かされます。「たかが映画じゃないか」と言うのは失礼なのですが、「新幹線2両を借り切って特別ダイヤで運行」なんて、今の過密ダイヤでは不可能な気もしますし、エキストラのメイクにひとり3時間なんて、そのエキストラにとっては良い経験なのかもしれませんが、商業映画としの「コストパフォーマンス」を考えると、正気の沙汰とは思えないくらいです。そんなことができるくらいの力を持っていたのは凄いのひとことですが、確かにそれでは敵も多かったのでしょうね。歴史に残る「黒澤作品」の陰には、こういう、数々の「献身」があるのです。 しかしながら、けっこうアバウトにやっている監督というのもいるみたいなのです。 マイケル・ベイ監督とレニー・ハーリン監督は、この特集のなかで、【過去には大ヒットを飛ばしたが最近はふるわない】なんて酷評されています。 作品の商業的な成功とリアリズムというのは、必ずしも一致するものではないとは思うのですが。 最近は、ビデオ、そして廉価なセルDVDの普及で、こういう「間違い探し」が行われる機会も激増してきているようです。以前「トリビアの泉」で、「ブルース・リーの映画の格闘シーンで、寝ている人がいる」というのが取り上げられて話題になりましたが、今のように「家で手軽に何度も観られる時代」でなければ、ほとんどすべての観客は、ブルース・リーに注目していて、そのひとりのエキストラの動きなどは気にとめることはなかったはずなのに。 この「めちゃくちゃな描写のつるべ打ち」なんていうのは、監督も狙ってやっているんじゃないかと錯覚してしまいますが。 現代に「黒澤イズム」を踏襲するのは商業的に難しいだろうし、逆に、あまりにアバウトな設定だとあきれられてしまいますから、結局のところは「バランス感覚」だということになるのでしょうね。
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2005年10月19日(水) ■ |
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こんなの、漫画界じゃ日常茶飯事なんだよ。 |
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日刊スポーツの記事より。
【講談社が刊行した末次由紀さんの少女漫画「エデンの花」の中に、人気バスケットボール漫画「スラムダンク」(集英社)から試合などの場面の構図を盗用した部分があることが分かった。このため講談社は18日、「エデンの花」全12巻と末次さんの全作品を絶版とすることを決め、回収を始めた。現在、同社の「別冊フレンド」に連載している漫画「Silver」は中止する。 読者からの指摘で講談社が調査、末次さんから事情を聴いたところ、盗用を認めたという。 同社はホームページに末次さんのコメントとして「本当に申し訳ありません。自分のモラルの低さと認識の甘さにより、多大なるご迷惑をおかけしてしまった」とする文章を掲載。同社広報室も「詳細は調査中だが、多くは事実が確認された。編集部として気付かなかったことを深く反省する」とおわびしている。】
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以下は、「業界の濃い人」(いしかわじゅん著・角川文庫)より。
(夢枕獏さんの項の一部です。)
【獏さんは、漫画も好きだ。それも、やはり、半端ではない。 ある晩、ぼくが仕事をしていると、獏さんから電話がきた。 獏さんは、凄いものを見つけた、というのだ。電話口の向こうから、興奮が伝わってくるようだった。 『あしたのジョー』を盗作している漫画があったんだ、と獏さんは早口でいうのだ。ああそう、と僕が軽く応えると、獏さんはますます興奮するのだ。 『今から現物をFAXで送るからさあ、とにかくちょっと見てよ」 そういったかと思ったら、もうFAXはぶりぶりと送られてきた。獏さんは、よほど怒っていたのだ。 FAXから吐き出されたものを取り上げてみると、それは、中堅出版社から出ている二番手漫画誌に掲載されたものだった。あまり売れてはいない中堅漫画家のIの描いた、つまらないボクシング漫画だった。その多くのコマに、確かに『あしたのジョー』から盗ったと思われる絵があった。 僕も漫画はかなり読みこんでいるし、『あしたのジョー』は好きなほうだが、そうひとつひとつのコマを記憶しているわけではない。では、どうしてそのIが描いた漫画がジョーを盗んだものだとわかったかというと、獏さんが送ってきたIの絵すべてに、真似したジョーの絵が並べてあったのだ。獏さんは、Iの盗んだ元構図や元絵を、ジョーの単行本を一生懸命繰って、発見したのだ。これはどこかで見たことがある、と確信して、本棚をひっくり返し、当該箇所をすべて見つけ、盗作した絵と並べて送ってきたのだ。 真夜中に、仕事もしないで、凄い情熱である。 Iの絵とジョーを比べてみると、トリミングしたり構図をちょっと変えたりしてはいたが、獏さんの目は誤魔化せない。確かにどう見ても、盗作なのである。言い訳のできない盗用なのである。 ぼくは、獏さんに電話をかけた。 いいかい獏さん。せっかくの情熱に水を差すようだが、こんなの、漫画界じゃ日常茶飯事なんだよ。俺だって、ずいぶんやられた。友人の漫画家にも、自分の絵を丸写しされたやつが何人もいる。小説は真似しにくいけど、絵とか構図って、真似するのは簡単なんだ。】
参考リンク:漫画家・末次由紀氏 盗用(盗作)検証
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巷で話題の漫画家・末次由紀さんの盗作騒動なのですが、参考リンクの「検証サイト」を見ると、確かにこれは言い逃れのしようもないうだろうなあ、とう気もします。最初にこの話を聞いたときには、「よりにもよって、今もっとも人気がある漫画家のひとりである、井上雄彦さんの作品をパクるなんて、いくらなんでもそりゃ誰か気づくだろ」と思ったのですが、どうも、「盗作・盗用」は今回だけじゃないみたいですし。 しかし、「どこまでが盗用なのか?」というのは、なかなか難しい問題ではあると思うのです。実際のところ、週刊誌の連載を抱えているような漫画家というのは、自分が書きたい絵を全部自分の頭の中で創りあげて書いているとは限らないでしょうし、「取材」をして作品の参考にしている人も多いはずです。みんな、必ずしも自分が知っている、頭の中だけで具現化できる世界ばかり描いているわけではないのだから。 ただ、編集者やアシスタントに「こういう絵が描きたいだけど」と言えば、それなりのデータが準備してもらえる人気漫画家ばかりではないのが現実でしょうし(それでも、自分で取材しないと気が済まないタイプの人も少なくないようですが)、こういう事例というのは、実際はけっして少なくないと思われます。そりゃあ、普通はもっと「元の作品の痕跡を消している」ものでしょうけど。 いしかわじゅんさんは、【こんなの、漫画界じゃ日常茶飯事なんだよ。俺だって、ずいぶんやられた。友人の漫画家にも、自分の絵を丸写しされたやつが何人もいる。小説は真似しにくいけど、絵とか構図って、真似するのは簡単なんだ。】と夢枕獏さんに言っています。このいしかわさんの発言が、たぶん「漫画界の悲しい現実」なのでしょう。そして、今回の事件であらためて思ったのですが、漫画にとって大事なのは「キャラクター」とか「ストーリー」だと考えられがりだけれど、実際は「構図」というのが、その絵、その作品にとって非常に大きな役割を担っているのだな、ということでした。手塚治虫さんの功績として、漫画における「映画的手法」の導入、というのが語られることが多いのですが、それはまさに「構図」の革命だったわけで。 まあ、そんなことを言いはじめるのなら、日本の漫画家は、みんな「手塚治虫チルドレン」なのではないか、ということになってしまうのかもしれませんが。 たぶん、今回の事件で、「次は自分が告発されたらどうしよう…」と戦々恐々としている漫画家は、けっして少なくないと思われます。ただ、そういうのは、漫画界の「慣例」みたいなものとして、お互いに目をつぶっていただけのことだったのかもしれません。ある意味「ネットが寝た子を起こしてしまった」わけです。 「盗まれた側」としては、今まで、本当に歯がゆい思いをしていたのでしょうけど…… 僕は末次由紀さんという漫画家のことはよく知らないのですが、今回の「業界から抹殺」というような処分については、正直、ちょっと厳しすぎるかな…という印象も持っているのです。いや、最近の企業というのは、なんでも「厳罰主義」「徹底主義」化してきて、例えば、「ジュースの成分表示が違っていたから」という理由で全部回収して廃棄、みたいなのって、果たして、そこまでやるべきなのだろうか?と思わなくもないのです。企業イメージを守るためとはいえ、なんか勿体ないんじゃないか、と。 今回の件で、末次さんが「クリエイターとしての反省」を求められるのは仕方がないとしても、「見せしめ」的な印象は否定できません。所詮、切ってもまた生えてくる程度の尻尾だったから、切ってしまったのではないでしょうか。 「漫画界では日常茶飯事」なんてことをわかっているのは、いしかわさんだけのはずもないのだからさ。
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2005年10月18日(火) ■ |
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水族館で死んだ魚は、食べちゃうの? |
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「水族館の通になる」(中村元著・祥伝社新書)より。
【ボクがかつて働いていた水族館は経営母体が水産問屋だから、オープンして間もないころは、出荷用の魚が水槽に入れられていたのだそうだ。大漁のときには、水槽内はラッシュアワーのようにタイが泳ぎ、出荷したとたんに、売り物にならないような魚が、わずかに泳いでいるばかりだったらしい。食う食わないというよりも、食うための魚を展示していたのだから分かりやすい。 しかし、そんな逸話のある水族館でも、近代の飼育係は水槽の魚を食べるなんて気持ちにはならないらしい。その理由のひとつには、病気予防のための抗生物質を大量に摂取しているのだから、それが理由のすべてではないだろう。もうひとつの理由には、何が原因で死んだのか分からないものを食べるのは気持ち悪い。そんなもの食えるか!ということらしい。 でも一番の理由は、飼育係にとって、飼育した魚と、飼育していない魚は、外見は同じでも中身がちがうからのようだ。つまり、ペットを食べる人はいないのと同じような理屈だ。 ある飼育係は、魚を手に入れた瞬間にその理屈のとおりになる人だった。漁師さんに近海魚の買い付けに行く。すると漁師さんが余分に、「これ晩飯のおかずにあげるよ」と、飼育用に買ったのとは別に、立派なカレイをくれたりするのだ。それは、まだ生きていて、ほかの飼育用魚類と一緒に生け簀に入れて持って帰る。僕の目には、飼育用のカレイと晩飯用のカレイ、どちらも変わるところはまるでないのだが、彼は水族館に着いたところで、晩飯用のカレイを見つけ出し、躊躇なくしめた。 ところが、飼育用として買ってきた魚は、水族館に到着したところで息絶え絶えになっていても、なんとか生かそうとする。そして死んだら、もう食べる気になんかなれないという。 彼にとって、飼育する魚として手に入れたらその時点で、大切な飼育動物として感情移入までしてしまう。しかし食うものとして手に入れたものは、同じ魚でもうまそうな食材として目に映るのだ。 しかしまあ、そのあたりの判断は、それぞれの水族館の文化があって、微妙にちがうのだろう。同じ水族館の別の飼育係は、飼育用の魚であっても、水槽に移すまでに死んでしまえば、それも食うものとして扱っていた。彼は水槽に入れたら飼育動物としての扱いが始まるのだそうだ。ボクもその判別の仕方で、輸送で弱った魚をずいぶん食べた。 なんの後ろめたさもなくおいしくいただくことができたのは、きっと魚は食べるものであるという気持ちが強いのだろう。 でも、そんなボクであっても、やっぱり水槽に泳いでいる魚を食べる気にはなれない。理由などないのだが、おそらく飼育係としての自覚のせいだったのだろう。】
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水族館に行くと、「美味しそう!」という声が聞こえてくることがあります。僕はどちらかというと、そういう発言に対して「生きている魚の前でそう言うのは失礼(?)だろう…」とか思ってしまうのですが、中村さんは、【多くの水族館は、国や県の養殖研究所や、海洋資源を研究する大学などの機関が運営し、経営者が海産問屋という水族館もあるのだから、むしろ「おいしそう」というのが礼儀ではないか】と書かれています。言われてみれば、それも確かにその通りです。日本人が「水産物」にこれほど親しんでいるからこそ、こんなに水族館がたくさんあるのでしょうし。 ちなみに、海外の水族館でのリアクションは「ビューティフル!」とか「プリティー!」が一般的で、外国の人たちが、日本人の「美味しそう!」を聞くと驚くのだそうです。 それはさておき、この「水族館で死んだ魚はどうなるのか?」という話、確かに僕も疑問でした。いわゆる「高級魚」だっていますしね。 この中村さんが書かれていたものを読むと、「死因がわからないとなんとなく気持ち悪いし、やっぱり思い入れがあるから、基本的には食べない」ということみたいです。 その一方で、「自分が飼育している魚」以外の魚に関しては、みんなけっこうクールというか、割り切っているのだなあ、とも感じます。水族館の飼育係になるような「魚好き」であれば、「魚を食べるなんて、とんでもない!」という「魚類愛」のカタマリみたいな人ばかりかと予想していたのですが、実際はそうとも限らない。もっとも、大型魚のエサとして、アジやサバ、金魚などの魚が日常的に与えられているのですから、「かわいいお魚さんの命を奪うなんて!」というくらいの「優しすぎる人」には、飼育係というのは勤まらないのでしょうけど。 それにしても、「同じカレイ」を見分ける眼があるなんて凄いですよね。僕だったら、一度眼を放したら、体に目立つ傷があるとか、よっぽど特徴がないかぎり、どれが「晩飯用」なのかわからないと思います。
飼育係という仕事には、「自分が担当している魚への愛情」と「自然の摂理への割り切り」が必要なようです。 よく言われる「美味しく食べてあげるのが供養」というのは、魚自身にとってはどうなのか、僕には想像もつかないんですけどね。
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2005年10月17日(月) ■ |
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山下達郎「バンドは無理」な理由 |
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「Quick Japan/Vol.62」(太田出版)の「総力特集・山下達郎」より、山下達郎さんと山口隆さん(サンボマスター)の対談の一部です。
(山下達郎さんと山口隆さんの初対談。2人の以下のやりとりの前には、山下さんから、「サンボマスターって、すっごい不思議なバンドだと思うのは、あのコード・プログレッションだったら、なんでキーボード入れないの?」という質問があって、それに対して山口さんは現在のメンバー構成へのこだわりを話し、「僕はメンバーと一緒に、三人で売れなくなりたい」と答えています。)
【山下:バンド志向なんだね。僕はバンドで一度挫折した人間だから、二度とバンドは作らない。シュガー・ベイブは僕のワンマン・バンドだったから。
山口:僕がやりたいことを伝えると、みんなやってくれるんですよ。
山下:それはあなたの人徳(笑)。メンバーとヴァイブレーションが合ってるの。
山口:そうかなぁ。達郎さん、合う人いませんでした?
山下:いなかった。今でも音楽的に100%合う人は、正直言っていない。
山口:それは音楽家にとって不幸ですね。
山下:不幸ですけど、それは、僕の趣味の範囲が広すぎるとか、ライヴでも要求度が高いとか、色々ありますので。リハーサルやって、翌日一曲一曲全部チェックしたレポート用紙を10枚くらい持って、バックのメンバーに対して「あの曲の三小節目のあの音はいらない、キーボードのあそこはとんがってるから低く」みたいな要求をするから。
山口:そりゃバンドは無理です(笑)。】
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これを最初に読んだときは、達郎さんの冗談なんじゃないかと思ったのですが、何度読み返しても、達郎さんにも山口さんにも編集部の人にも、「冗談らしい雰囲気」はありません。いやまあ、いかにも「音楽職人」山下達郎の面目躍如というお言葉なんですけど。 達郎さんが先日発売した新作アルバム『SONORITE』(ソノリテ)は、オリジナル・アルバムとしては、7年ぶりの新作になるそうなのですが、達郎さんは、ライヴのステージがその人気に比して少ないことでも知られています。たまにコンサートツアーをやると、ファンクラブだけで完売、という状況なのだとか。確かに、ここまで毎回やっているのだとしたら、そうそう気軽にライヴなんてできないでしょう。 それにしても、この「要求度の高さ」には、僕も読んでびっくりしました。こだわりの人だというイメージはあったものの、まさかここまでだとは! この御本人のコメントからすると、達郎さんは、リハーサルの段階で、一曲一曲どころか、一音一音のレベルで、きちんと「自分のイメージと同じ音なのかどうか?」をチェックしているということになります。それを翌日わざわざレポートにして持ってくるなんて、バックのメンバーとしてはたまらないですよね。彼らだって、プロのミュージシャンなんだし。まあ、達郎さんのその「こだわり」に応えてみせるのも、超一流レベルのバックミュージシャンたちの矜持なのかもしれませんけど。 リスナーとしては、その「こだわり」が魅力的でも、一緒に仕事をする人にとっては、なかなか大変みたいです。 「そりゃバンドは無理」だよなあ。
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2005年10月16日(日) ■ |
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韓国路線バスの過激な人々 |
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「ありがとう。」(鷺沢萠著・角川文庫)より。
(鷺沢さんが韓国留学中のことを思い出して。ちなみに、鷺沢さんが韓国のソウルに留学されていたのは、1993年の1月から6月までの半年間。)
【渡韓してまだ間もないころ、通学途中の幹線道路で私は物凄いものを目撃した。 蛇足ながら付け加えるが、この「渡韓間もないころ」というのが重要なポイントで、もうちょっとあとだったらそんなことぐらいでは私も驚かなかっただろうし、特別「物凄いもの」とも思わなかっただろう。 通学途中というくらいだから、朝のラッシュ時である。まあ東京もそうだが、ソウルの出退勤時刻の道路の混みようといったら「歩いたほうが早いかも……」と思うくらいである。そんな大渋滞の朝、幹線道路と幹線道路が交わる立体交差点のとことにあるガソリンスタンドで、私はそれを見た。 バス(ふつうの路線バスである)が、満員に近い状態で客をたんまり乗せたまま、ガソリンスタンドで給油をしていた。別のバスの窓からそれを見た私は息を呑んだが、問題のバスに乗っている客はみな、特に不満げな顔をするでもなくただ朝の渋滞に対してのみ苛立ちを表明する顔をそれそれ見せながら、給油が終わるのを待っていた。 学校に着いた私はクラスメイトの女の子に早速そのことを報告した。 「ねえねえ、あたし今朝スゴいもの見ちゃった」 私は勢いこんでそう話し出したのだが、話を聞き終えた彼女はパッパッツと手を振って言った。 「そんなの日常茶飯事。あたしが見たもっとスゴいものを教えてあげよう」 バスがとんでもないところに停車していたのだという。一応路肩に寄せてはあったが、韓国の路線バスはなにせ大きい。日本の観光バスを想像してもらうと判りやすいかも知れない。それで、そのバスの停車のせいで付近一帯に渋滞と呼んでも差し支えないほどの混乱が起きていたという。ちなみに、そのときもやはり、バスの中に乗客はたんまりと乗っていた。 どうしてこんなところに停まっているんだろう……。怪訝に思った彼女はふとバスの中を覗きこんでみた。すると、運転席にあるべき運転手の姿がない。こんなところにバスを停めてお客さんを放ったらかしにして、いったい運転手は何をやっているんだ、と思い、あたりをぐるっと見まわした彼女が発見したのは、近くの電話ボックスで楽しげに誰かと語りあっている運転手の姿だった。
(中略。上記のような話をしていた鷺沢さんと女友達に、「もっとスゴい話」として、男友達が直接の体験談として語った内容です。)
さて、夜のバスの事件である。乗客のひとりが、運転手に向かって「もっと安全運転しろ」というような野次を飛ばした。安全運転って、今さら……、とそのバスの運転手が思ったかどうかは定かでないが、まあそう思われても仕方のない野次ではある。おそらくその乗客も酔っぱらっていたのだろうと推察する。 しかし、そんな野次を飛ばされた運転手が黙ったままでいるわけはない。彼はバスをいったん停めて、立ち上がって言った。 「今、野次を飛ばした奴、ここに出てこい!」 運転手にそう言われて出てきた野次の乗客は、明らかに運転手の1.5倍は体重のありそうな巨漢であった。運転手はむうッと押し黙った。これはケンカになっても勝てそうにないと思ったのだろう。 次に運転手が取った行動がスゴい。彼はいちばん後方の横一列に並んでいる座席のところまで行ってそこに腰をおろし、腕を組んでふんぞり返ってのたまったそうな。 「もう俺は気分悪くなっちゃったから運転しないッ!」 仕方ない、乗客たちはぞろぞろとそのバスを降り、次のバスを待ったそうである。】
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韓国のバスに関するエピソードあれこれ。 ちなみに、鷺沢さんによりと【ソウルの運転手は、おしなべて運転が乱暴】で、【他の車との間隔わずか5センチですり抜けていく】そうです。 まあ、ここで書かれている鷺沢さんの「体験」は、今から10年以上も前のことですから、現在の韓国でも同じような状況なのかはわかりませんが、少なくとも日本のバスでは、10年前もこういうことは「日常的」にはなかったと思います。何年か前、日本で「生意気な子どもを無理やり終点まで連れて行った」なんていう話があって、そのことはメディアでかなり大きく取り上げられたのですけど、これを読むと、同じことが韓国で起こったとしても、そんなに大きな「事件」としては扱われないのではないような気がします。 こういう話を読んでいると、日本人の「公共心」というのは、必ずしも「世界標準」だとは限らないのだ、ということがよくわかります。日本では、タクシーで運転手とお客のケンカで「降りろ!」という話になったという話は時々耳にしますが、多くのお客さんが乗っているバスを運転している運転手が、ひとりのガラの悪い酔っ払いとのいざこざで、バスの運転そのものを放棄する、なんてことは、ちょっと考えにくいですよね。 そもそも、そんな状況になってしまえば、他のお客は、「仕方ない、とぞろぞろとバスを降りる」なんてことはなくて、車内は「おとなげない運転手」への非難、あるいは、運転手をなだめる声で満たされることでしょう。この韓国のバスでのできごとは、ある意味、そういう「公共交通機関」の運転手の「個人の事情やプライド」のようなものに、周りの人々も配慮している(あるいは、諦めている)、ということをあらわしているんですよね。 そういえば、僕は4、5年前に韓国の釜山に行ったことがあるのですが、日本に帰る日に船に遅れそうになったとき、「これは、映画『TAXI』か?」と思うほどの荒い運転のタクシーに乗ったのです。そのときはもう、あまりの怖さと車酔いに「船には遅れてもいいから、もう降ろしてくれ…」という感じでした。もちろん、遅れないようにという配慮はあったのでしょうけれど、普段からゆっくり運転してばかりでは、たぶん、突然ああいうアクロバティックな運転って、できないだろうなあと思います。 どっちがいいとか悪いというのは一概には言えないのでしょうけど、韓国というのは、「日本人には理解困難な過激さ」を持った国なのかなあ、と考えてしまいました。
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2005年10月14日(金) ■ |
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その「一線」だけは、越えろ! |
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「スポーツニッポン」2005年10月13日掲載の記事「イッツ笑タイム」より。
(メンバー全員が萩本欽一さん主宰の「欽ちゃん劇団」に所属しているという、「時代劇コント」で人気のユニット「カンカラ」の紹介記事の一部です。筆者は牧元一さん)
【「カンカラ」という名前は欽ちゃんがつけた。 「自分たちの考えを押しつけるのではなく、お客さんが何を求めているのかということを察する”感(かん)”から笑いが生まれるという意味。それに、舞台で大切な”間(ま)”が”かん”とも読めることも含まれている」 結成当時は欽ちゃんが直接指導した。その教えはもちろんいまも生きている。 「欽ちゃんは僕たちのコントを見て、面白いか面白くないかは言わなかった。言ったのは”それをやるんだったら、その演技は間違っている”とか、”その演技だと、そのオチには行かない”とか演技のことだけだった」 欽ちゃんの「コント55号」はテレビのカメラが追い切れないほどの激しい動きをして笑いを生んだ。「カンカラ」も時にカメラがすべてをとらえ切れないほどのアクションを見せる。メンバーは55号の全盛期を知らない世代だが、その遺伝子はしっかりと受け継がれている。 「55号のとき、欽ちゃんはテレビ局の人に”カメラの都合で、舞台のこの線からこの線の間でやってほしい”と注意されて、”この線だけは越えよう”と考えたらしい。そういう発想は同じ。僕たちの笑いを若い人に問いかけたいし、海外にも行きたい」 欽ちゃん、ドリフ、そしてカンカラや数多くの芸人たち、お笑いは継承され、さらに発展していく。】
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僕はこの「カンカラ」の舞台を観たことはないのですが、「爆笑オンエアバトル」で高得点を獲得するなど、最近注目されているお笑いユニットなのだとか。アイディア主流の最近のお笑い界のなかで、「動き」でみせるのが、彼らのポリシーなのだそうです。 彼らにとっての師匠である、「欽ちゃん」こと萩本欽一さんは、今では「欽ちゃん球団」のイメージが強いのですが、僕の子どものころは、まさに「テレビバラエティの王様」だったのです。僕が物心ついたときにはもう、「コント55号」ではなくて、「欽ちゃんのどこまでやるの」とか「欽ドン」とかの時代だったのですけど。 でも、僕の中では、むしろお笑い界では「保守派」というイメージがあった欽ちゃんなのですが、この記事を読んでいると、萩本欽一という人は、ものすごくいろんな計算をしながら「お笑い」というのをやっていて、しかも、その一方で、「型破りな面」も併せ持っていたのだなあ、と思いました。 普通、テレビに出演している芸人さんというのは、「ここからここまででお願いします」とスタッフに言われれば、流れによってはそこから出てしまうことがあるとしても、基本的には「与えられた枠内で」やろうとするものだと思います。そのほうが、「安全」だし、周囲との軋轢も生まないですむはずだから。でも、欽ちゃんは「あえてその枠を越える」ことを自分に課していたのです。そして、その「枠を越えてみせる姿」こそが、観客にとっては新鮮に映ったのでしょう。「コント55号」は、画面からはみ出してしまったのではなくて、わざと画面からはみ出していたのです。 こういう「逆転の発想」こそが、オリジナリティを生み出す源になるということなんですね。「制約」があるときこそ、本当は、チャンスなのかもしれません。
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2005年10月13日(木) ■ |
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「子どもの集中力を高めるにはどうしたらいいですか?」 |
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「決断力」(羽生善治著・角川書店)より。
【「子どもの集中力を高めるにはどうしたらいいですか?」 とよく聞かれるが、私は、集中力だけをとり出して養うのは難しいと思う。「集中しろ!」といって出てくるものではない。 子どもは、好きなことなら時間がたつのも忘れてやり続けることができる。本当に夢中になったら黙っていても集中するのだ。集中力がある子に育てようとするのではなく、本当に好きなこと、興味を持てること、打ち込めるものが見つけられる環境を与えてやることが大切だ。子どもにかぎったことではない。誰でも、これまでに興味を持って夢中になったものがあるだろう。遊びでもゲームでも何でもいい。そのときの感覚であり、充実感だ。それを思い出せば、集中力のノウハウはわかるはずだ。逆に、興味のないことには集中できない。誰でも、自分が集中できる型を自然につくっているはずだ。 何かに興味を持ち、それを好きになって打ち込むことは、集中力だけでなく、思考力や創造力を養うことにもつながると思っている。】
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棋士・羽生善治さんの「集中力を高めるためには?」という質問への回答です。なるほど、興味が無いものに対して、「集中しろ」というのは、根本的に間違っているのですよね。確かに、大人である僕も、暗い部屋で面白くないスライドとか見せられていると、どんなに「寝てはいけない場面」でも、ついつい居眠りしてしまったりもするんだよなあ。それで、自分に対して、「ここは集中!」なんて言い聞かせてみたりもするのですが、それでうまくいったためしがありません。むしろ、「全然関係ないことを考えるようにする」ほうが、外見上は「成功」していたりするわけです。 羽生さんは、まず、子ども時代に自分の好きなものに夢中になることによって「集中体験」を得ることの必要性を書かれています。このとき、集中する対象というのは何でもよくて(現実的には、あまりに周囲に迷惑をかけるものは許容されないでしょうけど)、それによって「集中しているのは、こういう状態なのだ」と学習していくことで、その状態に自分をもっていくトレーニングをする、ということなのですね。その「最初に夢中になるもの」が何であれ、まずは「集中している状態」を体験することが大事なのだ、と。その体験がない人には、ゴールが見えないわけですから、いくら「集中しろ!」と言われても、どうしていいのかわからないのが当たり前。
僕の大学の同級生には、学生時代には部活ばかりやっていて、試験はなんとかギリギリですべりこみ合格、という感じだったのに、社会人になって、優秀な成果を挙げている人というのがけっこういるのです。「どうしてあんなに部活ばっかりやっていたのに?」と疑問だったのですが、彼らはきっと「集中体験」をうまく自分の仕事に適用しているのでしょうね。逆に、真面目に勉強していたはずなのに仕事に就いてから「自分には向いていない」ということで、辞めてしまった人もいるものなあ。 それでも、現実問題としては、「どんなにトレーニングしても、全然興味がないことには、やっぱり集中できない」ものだろうし、このようなトレーニングをしなくても、「自分が興味を持てること」を生業にしている人は、正直、羨ましい。その「興味の対象」のなかには、「勉強」とか「接客」みたいな、「ツブシが効く」ようなものがある一方で、よほど才能がなければ、それで生活の糧を得るのが難しいような「興味の対象」もあるでしょうから。 いくら「集中」できても、その対象が「あやとり」とかだったら、それを生業にするのは、やっぱりちょっと難しいだろうし。
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2005年10月12日(水) ■ |
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女性編集者たちの「過酷すぎる」労働環境 |
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『ダ・ヴィンチ』2005年11月号(メディアファクトリー)の記事「それでも出版社で働きますか?」より。
(「働きマンはツライよ〜編集者匿名座談会」の一部です。参加者は、A(大手出版社ベテラン社員)、B(大手出版社若手社員)、C(中堅出版社社員)、D(フリーライター)の4氏です。)
【A;週刊誌は、憧れどころか嫌われることも少なくない仕事だから、肉体面だけでなく精神的なストレスもたまりやすいよね。
B:取材対象にとっては話しづらいことや話したくないことを聞かなきゃならないから、相手の玄関先で水をかけられたり、警察に通報されたり。下手すると殴られることもある。
C:私の同僚はデート中に呼び出されて、張り込みに駆り出されることもしょっちゅうだって言ってました。「自分のデート時間より他人のデートを見ている時間のほうが長い」って(笑)。
A:張り込み取材だと、1週間内車内で生活することもあるからね。
D:張り込み中は退屈なのに気が抜けない。あまりのストレスで車中で編集者とカメラマンがケンカになって、ターゲットを見失ったなんて笑えない話もある。
B:逆に尾行されたり、取材先で監禁されたりなんて危険とも隣り合わせ。「夜道に気をつけろ」とか「交通事故に気をつけろ」なんて脅しを受ける人もいる。
D:女性の編集者や記者だと、ホテルに連れ込まれそうになったという人もいるよね。「キスしてくれたらネタをやる」なんてセクハラまがいの要求も日常茶飯事。
C:いちいちセクハラだと目くじら立てていたら仕事にならないっていうか。「パンツをその場で脱いでくれたらネタをやる」と言われて、パンツを二枚重ねではいていったという女性の先輩編集者がいるんですけど(笑)、それくらいしたたかにならなきゃいけないのかなぁ。
D:それに、キスやセックスくらいでネタがもらえるならラッキーと思えるほどに、ネタを出さなきゃいけないプレッシャーはキツイ。会議前夜なんて「決定的なスクープを掴んだぞ!」と思って目覚めたら、夢でガックリってことも。
A:社会的意義はあるとわかっていても、「ファッション誌の編集者としてオシャレな毎日を送っているはずだったのに」「憧れの作家の本を作ってみんなに喜ばれたいのに」と思うこともある……難しいよね。】
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華やかな「マスコミ」というイメージがある編集者たちも、こうしてその実情を聞いてみると、けっしてイイコトばかりじゃないんだなあ、という感じです。とくに、女性編集者に対する、被取材者のセクハラまがい(というか、これは「セクハラ」そのものだろ!)の行為の凄さと、【キスやセックスくらいで(!)ネタがもらえるならラッキーと思えるほどのネタを出さなくてはならないというプレッシャー】の禍々しさには、なんだかもう「こんな仕事、オレの娘にはさせられん!」と固く決意してしまいそうです。「パンツ二枚重ね」なんて、そういうのが大人のしたたかさなのだと言い切っていいのかどうか……でも、結局はマスコミの人たちというのは、そういう世界の熱気に酔っていて(あるいは、酔わされていて)、事件の被害者やその家族たちにも、自分と同じ視点での「協力」を要求してしまうのかな、という気もするんですけどね。きっと「業界」では、「ネタのためなら『体当たり』だってアリ!」なんでしょうし。 こういうのが、本当に「笑い話」なのかどうかは、ちょっと微妙。 まあ、確かに編集者っていうのは大変な仕事みたいです。でもなんだか、こうして集めてきた記事を喜んで読んでいるのだと思うと、なんだか自分が情けなくも感じるのです。そういう「記事」がウケるからこそ、そこまでして「ネタ」を集めようとするのだろうから。
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2005年10月11日(火) ■ |
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世界は、「マゾヒスト」のためにある! |
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「ダメな人のための名言集」(唐沢俊一著・幻冬社文庫)より。
【『仕事ほど私を魅了するものはない。私はそれを座ったまま何時間でも見ていられる。』〜ジェローム・K・ジェローム(イギリスの小説家)】
(この言葉に対する、唐沢さんのコメントの一部)
【「世の中に寝るほど楽はなかりけり 浮き世の馬鹿は起きて働け」 という、人間の本音をあからさまに言った(言い過ぎた)歌があるが、正直な話、こう思わぬ者はいないだろう。戦後のエログロ雑誌の投稿で、マゾヒズムの性癖がある読者の体験記として、 「仕事は肉体労働できついものでしたが、もともとマゾヒストの私にはそのつらさが快楽だったため、現場監督にも認められて、出世が出来ました」 というものがあり、報復絶倒したことがある。労働を愛するなどというのはマゾヒズムでしかない。ライオンや虎のような猛獣だって、獲物を仕留めて腹が満腹になると、次に腹が減るまでは、なんにもしない。だから動物園でエサが十分に与えられることがわかると、もう、あとは昼寝ばっかりしているのである。怠惰は決してダラクではない。生物としての本能なのである。 もちろん、その怠惰を許される状況を得るために、人は努力をしなければならぬ。江戸時代の商人たちは若いうちは食うものも食わずに努力して身上を増やすことに努め、四十くらいになるとさっさと隠居して、余生を趣味三昧に暮らした。】
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まあ、こういうふうに「労働を賞賛する姿勢」というのが人間の人間たる所以なのかもしれませんけどね。しかし、そういうのって、考えようによっては、確かに「自然の摂理に反すること」です。自分が生きていくのに必要な量以上の「獲物」を求めるのも、基本的には人間だけですし。 僕も正直、「ラクして寝て暮らせたらいいなあ」と思うことばかりなのですが、万が一、実際にそういう立場になってみると、「社会の役に立っていない自分」を責めたりしそうなのです。もともとそんなに「社会の役に立っている」わけでもないのだろうけど、そういうレールから外れてしまうというのは、やっぱり怖い。 それにしても、この「労働好きのマゾヒストの話」というのは、なかなか凄いというかなんというか。でも実際に「仕事中毒」の人というのは、「真面目だから」というだけじゃなくて、それが「快楽」なんだろうなあ、と思うことも多いのです。そして、人間社会では、「勤勉」=「正しいこと」という解釈が一般的ですから、「この人は好きで働いているみたいだけど、それに全部付き合わされてはかなわないなあ…」という、「マゾヒスト」ではない人間としては、なかなか辛い状況というものがあるのです。「俺は夏休み無しで働くけど、オマエはどうする?」なんていう上司がいたりすると、それはそれで社会人としては辛いんですよね。 今の世の中というのは、定年まで働いても、死ぬまでの生活の保障なんてないわけで、いくら江戸時代の平均寿命が短かったとしても、「40歳くらいでさっさと隠居」は、ちょっと羨ましい気がします。 世界は、どんどん「マゾヒスト向け」になっていく一方なのです。
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2005年10月10日(月) ■ |
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ある「起業家」が、アルバイト経験から学んだこと |
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「週刊SPA! 2005.10/4号」(扶桑社)の対談記事「おちまさとプロデュース〜『社長の腹』」より。おちまさとさんと四宮玄介社長(株式会社エグゼコミュニケーションズ)の対談の一部です。
【おち:そもそも社長が起業しようと思ったのはいつなんですか?
四宮:高校時代の2つのアルバイト経験が大きかったですね。そこで、よい経験と悪い経験をしまして。まずよいほうですが、地元の鳥取砂丘にある土産物店で働いたとき、上司から「とにかく駐車場を満杯にしろ」というむちゃな命令を受けたんです。でも、どうやったらできるだろうかと考えていたら、実に楽しくて(笑)。それで、店は砂丘の入り口付近に位置していたので、「この先、満車」という看板を持って立ったんですよ。
おち:店はその先にもあるのに? 社長、なかなかズルいこと考えつきますね〜(笑)。
四宮:それでめでたく駐車場を満杯にすることができて、3倍の給料をもらえたんですよ。そのとき「認めてくれる人」と「やるネタ」と、それを「やらせてくれる環境」が整っていればビジネスはできるんだ、と思ったんです。で。悪いほうも経験は、ファミレスで働いていたとき、料理を出すのを後回しにしてでも席を埋めることを優先した店長とケンカになりまして。私は「店に入れておいて長い時間席で待たせるよりは外で待たせたほうがいい」と主張したんですが、まるで話にならず。最後は「隣の空き地に同じ店をつくったら、俺のほうが絶対勝つ」と言ってクビになりました(笑)。それが17歳のときです。
おち:やはり若いうちから起業家の素質があったんですね。
四宮:いや、単に理不尽なことに耐えられないんですよ。「これなら自分で起業するほうがいい」と決めたのはそのときですね。
おち:で、大学に入学して……。
四宮:すぐにでも起業しようと、入学式当日に秋葉原にFAXを買いに行きました(笑)。大学で勉強するつもりはまったくなかったので、トータルで40日くらいしか通ってないですね。
おち:そのときがまだ18歳。】
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四宮玄介社長は、このあと、「熱帯魚の水槽をホテルや病院にレンタルする会社」を立ち上げ、大学3年の終わりに自主退学、現在は「データベースを利用した、個人情報の貸金庫ビジネス」をなさっているそうです。2005年3月期の年商14億3000万円。 この話を読んで僕が思ったのは、やはり「起業」するような人というのは、若い頃からタダモノではないのだなあ、ということでした。いや、 土産物屋の駐車場を満杯にするために、『この先、満車』の看板を持って立つなんてことは、正直、そんなに難しい「発想」ではないような気がするんですよ。でも、その「発想力」とそれを実際にやってしまう「行動力」を併せ持つというのは、なかなか難しいのだと思います。この場合、それを褒めて、給料3倍にしてくれた上司の「理解」というのも大事なんでしょうけどね。 それにしても、そんなことをやって、周りの土産物店と揉め事にならなかったのでしょうか? 「悪いほうの経験」というのに対しては、「外で待たせたほうが本当に良いのかな?」と僕は疑問なのです。だって、同じ待つのなら、店の中で椅子に座れていたほうがラクなんじゃないかと。「行列名物」の名店ならともかく、ファミレスだし。ひょっとしたら、お客の心理というのは、行列で待つのは自分の責任、テーブルに座ってもなかなか料理が出てこないのは、店の責任、というようなものなのかなあ。こちらのほうは、正直、よくわかりません。でも、17歳でバイトの身分でありながら、店長に対して自分の主張をきっちりするなんていうのは、なかなかできることじゃないですよね。僕だったらたぶん、とりあえず言うとおりにしてバイト代もらっておこう、という感じだと思うのです。 やはり、「起業」に必要なのは、何よりも「行動力」なのでしょう。ちゃんとしたアイディアができてから…なんて考えこんでしまうようなタイプの人は、いつまで経っても起業なんてできないのです。そして、「行動力」がある人のなかで、時流に乗れて運があった人が成功していくのでしょうね。
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2005年10月09日(日) ■ |
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「昔は、かまうんじゃなくて大事にしたの」 |
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「赤塚不二夫のおコトバ〜マンガ人生50周年記念出版」(二見書房)より。
(マンガ家・赤塚不二夫さんの身近な人たちへの言葉を集めた本の一部です)
【親がね、ダメなの。 子どもを大事にしないの。
田中順子(フジオ・プロ スタッフ)〜仕事場にて/平成11年頃
(以下は田中さんのコメント) 未成年や子どもが事件を起こしたとき、何度か聞きました。 「昔のお母さんは子どものことを一番大事にした」と先生が言うので、「昔のお母さんは忙しくて子どもをかまっていられなかったけど、今のお母さんは余裕があるし、それなりに大事にしているのでは?」と聞くと、「昔はかまうんじゃなくて大事にしたの、今はね、あれは大事にしているんじゃないの、ダメにしているの」。 「大事にする」の意味を今でも考えています。】
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僕もこの言葉を読んで、「大事にする」の意味を考えました。なんだか、すごく本質をついた言葉だなあ、という印象があったんのですが、実際に子育てをしたこともない僕には、自分が正しい解釈ができるという自信がありません。でも、この言葉を紹介してみたかったのです。 昔のお母さんに比べて、今のお母さんのほうが「余裕がある」のかと言われると、今の時代は今の時代なりに、「お母さんの仕事」は増えているのでしょうし、「お母さんの仕事」と同時に「社会人としての仕事」を持っている人も多そうです。それでも、「かまうのと大事にするのとは違う」というのは、確かにそうなのかなあ、と感じます。親にも「自分の人生」がある、というのは間違いではないし、「子どものことを一番大事にする」という考え方も、時代にそぐわなくなっている面はありそうですが、少なくとも、「してあげる」ことだけが「大事にする」ということではないのだろうなあ、という気はします。いや、僕も大人になってみてわかったのですが、自分の子どもへの接し方というのは、親にとっては試行錯誤の連続なのだろうし、自分の親もきっとそうだったのでしょう。 本当に「大事にする」っていうのは難しいなあ、と思うし、「かまう」というのは必ずしも悪いことばかりではないのだろうけど、結局は、形式ではなくて、親の気持ちの問題だということなのかなあ……
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2005年10月08日(土) ■ |
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「のび太のくせに!」誕生秘話 |
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「週刊アスキー・2005.10.14号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。
(26年間「ドラえもん」の声をあてられていた、女優・声優の大山のぶ代さんへのインタビュー記事より)
【進藤:いまや、世界中どこに行っても、ドラえもんに出会いますものね。大山さんは声をアテるにあたって、日本語の美しさを伝えることにとても注意を払ってらしたそうですね。
大山:そうなの。子どももいつかは「バカヤロー」とか「コンチクショー」を覚えるかもしれないけど、小さいときからそんな悪い言葉を教えることもないでしょ。まず、ドラえもんは子守用ネコ型ロボットだし、子守用のロボットにスラングをはじめからインプットしないでしょうし。
進藤:なるほど。そうですね。
大山:だから、ドラえもんとのび太の初対面のときも、「やあ、オマエがのび太か」なんて、絶対に言わないはずだと思ったの。
進藤:最初の台本では、セリフはそうなっていたんですか。
大山:そう。でも私は「ドラえもんは、こんなこと言わない」と思って、「こんにちは、ぼく、ドラえもんです」と言ったんです。
進藤:うれしいっ! 「ぼく、ドラえもん」を生で聞けちゃった(笑)。
大山:そこからずっと、目上の人には「はい、そうです」、「ちがいます」と、いい言葉をつかうようにして。友だちどうしでも”ぼく”とか”きみ”って呼びかけるようにしてね。ほかの声優さんにも、きちんとした言葉をつかいましょうよと言っていたんだけど、困ったのがジャイアンね。「てめえ、このやろ、バカヤロ」って、いつものび太くんを追っかけ回さなきゃいけないから(笑)。
進藤:アハハ、確かに!
大山:私がそんな言葉はダメって言っちゃったから、ジャイアンも困ったのね(笑)。それまでは「待てーっ」とか「ウォーッ」とか言っていたのに、あるときから「このー、のび太のくせに!」って言いはじめたの。
進藤:悪口なのかどうなのか、わかるような、わからないような(笑)。
大山:でも、言われたのび太がエーンと泣けば、これは罵倒の言葉でしょ。それでジャイアンはその後ずっと「バカヤロー」を使わず、「のび太のくせに!」だけできたのよ(笑)。】
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「ぼく、ドラえもんです」というのは、ドラえもんの声真似をするときには必ず使われる、「ドラえもんのいちばん有名なセリフ」なのですが、これは、大山さんのオリジナルだった、ということなんですね。それも、「なるべく『美しい日本語』を使いたい」という配慮から生まれた挨拶だったのです。そういえば、「ドラえもん」では、ずっとのび太は自分のことを「ぼく」、相手のことを「きみ」(あるいはその相手の名前・愛称)と呼んでいたのですが、それは、当時子どもだった僕の実感からしても、やや「よそよそしい呼び方」だったような気がします。当時、学校で「ぼく」とか「きみ」なんていう人称を使っていたら、クラスメイトに「何カッコつけてるんだ!」とバカにされていたでしょうし。「都会ではそうなのか?」とか、田舎に住んでいた僕は思っていたんですけど。 ところで、これを読んでいちばん意外だったのは、「このー、のび太のくせに!」というジャイアンの「のび太への罵倒の言葉」が、「悪い言葉を使わないために」という善意から生まれた、ということでした。僕の感覚としては「バカヤロー」よりも「のび太のくせに!」のほうが、はるかに「全人格を否定されている」ような印象があって、これは本当に容赦のない、インパクトの強い「罵倒」だなあ、と感じていたものですから。だって、「のび太」は、自分が「のび太」であることから、どうやっても逃げられないのだもの。 言葉っていうのは、本当に難しいものです。「汚い言葉」のほうが意外と後味がスッキリしていて、「きれいな言葉」のほうが心に突き刺さることって、けっこう多いのかもしれませんね。
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2005年10月07日(金) ■ |
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あたしは家族はつくらない。 |
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「空中庭園」(角田光代著・文春文庫)より。
【あたしは家族はつくらない。専門学校を出た二十歳のとき、どんな仕事をするかは決めていなかったけれど、それだけはつよく決意していた。二十三歳になり、二十五歳をすぎ、来月の二十七歳を待ち、家族をつくらないという決意はあいかわらずあるが、ならば何をするのか、何をして生きていくのか、つねにそう問われるようになった。周囲の人々からも、自分の内側からも。ならば何をするのか、何をして生きていくのか。家族を持つというのはたったひとつの選択なのに、家族を持たないと決めると無数の選択肢が生じはじめるのはなんでだろう。】
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小説内でのこの独白の主は、ミーナという女性で、彼女は19歳の頃に、家族の「秘め事」を目の当たりにして、深く傷ついてしまいます。そして、「家族をつくらない」ことを決意するのですが… 正直、僕も二十歳の頃は、「家族なんて要らない」と思っていました。でも、年を取るにつれて、いろいろ考えさせられる機会も多くなってきたのです。「何のために生きるのか?」と問われたときに、僕には明確な答えというのがなかなか見つからず、これからどんどん年をとっていくのだとしたら、それはなんだかひどく寂しいことなのではないか、という気がしてくるのです。「家族のため」とか「子どものため」というような親の科白に、「他人に責任押し付けやがって」と子どもの頃は憤ったものだったけれども、自分が大人になってみると、「家族のため」とでも考えないとやっていけないのも、わからなくはないんですよね。だって、今さらノーベル賞を取れるわけでもないし、SMAPのメンバーに入れてもらえるわけでもない。
年をとっていくにつれ「ひとりで生きる」ということに対して「理由」を問われるようになっていきます。「仕事がしたいから」とか「束縛されたくないから」というような、「積極的な理由」がなくて、「なんとなくひとりでいいかな、と思っている」人間に対しても、その「理由」は、問われ続けるのです。そんなにあなたたちの家族は、幸せには見えないんだけどねえ、とか言いたいような場合でも、「家族を持っていること」というのには、反論の余地がない「真実みたいなもの」が含まれています。 それに、自分の年齢というのを考えると、「家族を持つ」という選択肢が目の前にあるのは、あと何年なんだろう?とか思えてくるときもあるんですよね。今はひとりでいいけれど、一生ひとりでいることができるだろうか?と、ものすごく不安な気分になります。例えば、僕が40歳になってから、新しい「家族」を作っていくことは可能なのだろうか?いや、物理的に不可能ではないのだろうけれど、僕自身はそれに耐えうるだろうか?とか。出産、ということを考えれば、女性の場合は、さらに切実な問題と感じる人も多いのではないでしょうか。 「家族を持たないこと」よりも、「家族を持つという選択肢が無くなってしまうこと」のほうが、もしかしたら、怖いことなのかもしれません。そして、「タイムリミット」は、少しずつ迫ってきます。
本質的には、「結婚しているかいないか」と「どのように生きるか」というのは、必ずしもシンクロしているものではないし、結婚していても「何をして生きていくのか」に迷う場合もあると思うのです。でも、「とりあえず家族を持っている」ということは、それだけで、ひとつの「理由」なんですよね。 「理由」に追われて生きるのは辛いけれど、「理由」もなく生きていくには、人生の後半戦というのは、ちょっと長すぎるのだろうか?
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2005年10月06日(木) ■ |
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日本人男性と韓国人男性の「優しさの質」の違い |
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「ダ・ヴィンチ」2005年10月号(メディアファクトリー)の韓国で大人気の日本人漫画家、たがみようこさんへのインタビュー記事より。
(たがみさんへの日本と韓国の違いについての質問)
【Q1:一番驚いたことは?
たがみ:年齢にすごく厳しいところ。上下関係に厳しい韓国では、年齢や言葉遣いをとても重視します。相手が自分より年上か年下か白黒ハッキリつけるので、初対面でもバンバン年齢を聞いてくる。 ちなみに韓国では満年齢より1,2歳多い数え年でいうのが普通。お正月に全員揃ってせーので一つ年をとるんです。おかげで日本では28歳だったのに、韓国に来たらいきなり三十路扱い、胸を引き裂かれる悲しい思いもしました。私の20代最後の貴重な2年間はどこに行ってしまったんですかって……。で、目上の人にはぜったい敬語です。親にもそうです。シュワちゃんがテレビの吹き替えで「〜イムニダ! 〜イムニカ!(〜です! 〜ですか?)」って言ってました。アクション映画なんですが。年上の敵だったんでしょうかね(笑)。
Q2:恋愛で違うなと思うことは?
たがみ:愛情表現ですかね。お花もくれるし、口でも頻繁にほめてくれるみたいだし。全員石田純一さんみたいな感じ? 嘘です(笑)。そんな直球ストレートな愛情表現されたら、慣れていない日本人女性は衝撃が多いんですよねえ。何しろ体当たり恋愛。駆け引きなし、裏表なし。押してもダメなら押してみる。わかりやすくていい…かな? でも冷めやすい人も多いからいきなり音信不通のパターンもあるみたいです。 あ、あと「優しさの質」が違う気が。日本の男性が個人主義で、彼女の意思や自由を尊重してくれる「人としての優しさ」があるとしたら、韓国男性は彼女の送り迎えとか、プレゼントとか、優しい言葉とか「男らしい優しさ」なのかも。】
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たがみようこさんんは、東京都出身の日本人女性。留学先の北京で韓国人のヨン吉氏と出会い、5年間の遠距離恋愛の末に結婚、現在はソウルでヨン吉さんと結婚生活を送っておられます。韓国での生活ぶりをハングルで出版した本がベストセラーになって、いまや、韓国では有名人なのだそうです。
最近は、「韓流ブーム」の一方で、竹島問題や「マンガ嫌韓流」という本のベストセラーなど、「近くて遠い国」という印象も強まってきているのですが、こうして日本と韓国の「違い」を読んでいくと、いくら距離的に近いとはいっても、そう簡単に「相互理解」ができるなんて甘いものじゃないなあ、と思い知らされます。映画の吹き替えひとつにしても、「年上だから、敵に敬語(丁寧語)を使う」というのは、一般的な日本人にとっては、ものすごく違和感がありますよね。でも、韓国ではそれが「常識」。 それに、「男がみんな石田純一みたいな国」なんて! まあ、「石田純一」は極端な例えだとしても、日本と韓国の男性の「優しさの質」というのは、そんなに違うのか、と感じます。考えてみれば、韓国の男性の優しさって、日本の男性のちょっと昔の「優しさ」と似ているような気もするし、日本の男性の「人としての優しさ」というのは、単なる優柔不断なのかもしれないなあ、とも思うんですけどね。
それにしても、僕も子供の頃は、「2人の間に愛情があれば、言葉の壁がある国際結婚だってそんなに難しくない」と思っていたのですが、実際に起こるさまざまな「文化の壁」による問題を聞いてみると、いくら好きな人と一緒でも、そう簡単にはいかないよなあ、と、あらためて考えさせられます。
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2005年10月05日(水) ■ |
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綾瀬はるかの“とりあえず3年” |
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日刊スポーツのインタビュー記事「日曜日のヒロイン〜第483回」綾瀬はるかさんの回の一部です。
【透けるように肌が白く、水栽培の花のように繊細な印象だ。
綾瀬「とんでもない。納豆食べる時は、家の横の畑からネギとってきて『はいよ!』って感じの子でした。川で遊んだり、男の子と自転車で遊んでドブに落ちてねんざしたり。足には小さい傷がたくさんあります」。
15歳の時に、友達に誘われてホリプロスカウトキャラバン広島予選に応募した。「かわいい子たちを見学に行くノリ」だったが、4次審査を突破。東京での決勝大会まで進み、応募総数4万221人の中で審査員特別賞を受賞した。芸能界入りに両親は大反対。受賞した瞬間、会場にいた母親はショックで泣きだしてしまった。
綾瀬「まさか特別賞もらってデビューなんて、誰も考えてなかった。普通は半年で上京するのに、ウチは1年半も家族会議してました(笑い)」。
とりあえず3年、というスタンスで高2の夏に上京した。広島の高校時代は、宝物のような思い出になっている。
綾瀬「朝は先生が校門にバーッと立ってて、遅刻すると1週間のトイレ掃除。携帯が見つかったら1週間没収。厳しい校則生活がいかにも学生、って感じで大好きだった。合唱祭に向けてクラス全員で『優勝するぞ』って猛練習したり。すっごい熱い高校でした」。
上京前日、合唱祭に出られない綾瀬のために、クラスの男子生徒たちが歌で送りだしてくれた。
綾瀬「歌詞の『君のために』って部分を私の名前に替えてハモってくれて…。もう号泣でした」。
上京したら、広島弁コンプレックスで無口になってしまった。グラビア時代は同世代アイドルと一緒のイベントに出ることが多かった。取材はほとんど集団で受けた。
綾瀬「誰かがしゃべってくれるからいいや、なんて人任せで。広島にいた時は、有名なグラビア雑誌も知らなかった。ビキニの撮影で『私、エロいことさせられてる〜』って恥ずかしくって(笑い)。あとは事務所に言われたオーディション受けて、ドラマにちょっと出たり。自分が何をやりたいのか分からない“とりあえず3年”は、すごく長かった」。
(中略)
今年8月、終戦60周年の節目に広島、長崎への原爆投下を検証するドキュメンタリー番組に、筑紫哲也氏と出演した。広島出身の彼女は「おばあちゃんのお姉さん」を原爆で亡くしている。番組内で初めて祖母から原爆にまつわる話を聞いた。「何も知らなかった自分が恥ずかしい」と大粒の涙を落とす姿に、広島の人たちから「あなたが伝えてくれて良かった」と多くの声が寄せられた。
綾瀬「京都は歴史の街とか、北海道はグルメとか楽しそうなのに、広島というと『修学旅行で原爆ドームに行きました』みたいな。そういうイメージを不満に思っていた自分がすごくバカ、最低って思った。おばあちゃんがどんな気持ちで私に話してくれたのか。私が生まれた街で何が起こったのか。もっと重く受け止めるべきだったと…」。
涙声になった。】
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まさにいまが旬の女優・綾瀬はるかさんなのインタビュー記事の一部です。この記事の内容が100%の事実ばかりではないとしても、なんだかほのぼのするというか、がんばってほしいなあ、と。 小さい頃から「芸能界ロード」を歩んできたのではなく、ごく普通の高校生から「芸能人」になってしまったという困惑と苦悩、そして、「伝える仕事」に対して喜びを感じはじめているんだな、ということがしみじみと伝わってくるインタビューです。 いや、グラビアアイドルの人って、「ビキニ上等!」みたいなイメージだったんですけど、【ビキニの撮影で『私、エロいことさせられてる〜』って恥ずかしくって(笑い)】なんて言われると、観る側としては、その初々しさにかえってそそられたりするような気もしますし。 ところで、綾瀬さんは広島出身だそうなのですが、僕も広島に住んでいたことがあるので、この【広島というと『修学旅行で原爆ドームに行きました』みたいな。そういうイメージを不満に思っていた】というのは、非常によくわかります。地元の「見どころ」が原爆ドームって、なんか辛気くさいよなあ…とか、子供心に感じてしまうんですよね。 でも、いま大人になった僕は、綾瀬さんに、あらためて教えられたような気がするのです。若者にだって、教えていけば、ちゃんと伝わる(人もいる)のだなあ、と。正直、あれだけ子供の頃に繰り返し教えられた「原爆の記憶」を、僕は忘れかけていたというのに……
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2005年10月04日(火) ■ |
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パイロットたちの3S(スリー・エス) |
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「機長からアナウンス」(内田幹樹著・新潮文庫)より。
【国際線で長距離を飛んでいると、何時間もの巡航時間―水平飛行で安定して真っすぐに飛んでいる―がある。そのあいだ、パイロットはコックピットという狭い場所に閉じこめられている。A社の場合、かりに12時間の飛行時間であれば、4時間操縦して2時間休憩、そしてまた4時間の操縦、2時間の休養というシフトである。 休憩時間はクルーバンク(別室)で横になったり雑誌をながめることもできるが、眠れない人は徹夜の勤務とほとんど同じ状態になる。一方コクピットにいるときは、眠気覚ましの意味もあって、どうしても飲んだり食ったりばかりになってしまう。しかもコクピットがある意味特等席で、ボタン1つでスチュワーデスがなんでも届けてくれる。
(中略)
ヨーロッパで12時間近く、アメリカ東海岸で14時間ほど。はっきり言ってみんな退屈しきっている。お客さんはテレビ、音楽ありで退屈をしのげるが、コクピットでレーダーを見続けたところで問題は解決しない。 そうしたなかでいったいどんな話をしているのか。 昔から言われている話題といえば、3S(スリー・エス)だろう。これはスケジュール、サラリー、セックスの意味で、もとはアメリカで言われていたものだが、いまではほとんど世界共通といっていいと思う。 自分の経験から言うと、いちばん多い話題は乗務スケジュールと休日、訓練、審査ではなかろうか。次に家族や趣味の話題という具合だろう。これに組合と会社が労働問題でもめていたりするときには、組合関係や乗務手当の話でもちきりとなる。日本の場合はあまりあからさまなセックスの話題はほとんどなく、せいぜい泊まりに行ったらどこに飲みに行くか、いい娘がいる新しい店を見つけた、などどまりで、だから3Sといわれても、あまりぴんとこないのが正直なところだ。
僕は海外の航空会社の便を乗客として使うときにはコクピットに挨拶に行く。 そのときもいつものようにコクピットに行ったが、そこでジェネレーター(発電器)が2基アウトになっているのが目についた。ジェネレーターは全部で4基ついていて、そのうちの2基がアウトになってしまうと、なにかあったときには心もとない。とくに北極に近いアラスカ北部地帯ではなおさらだ。 そこで機長に「どこかに降りて直すのか?」と聞いたところ、 「いや、このあたりだと降りて直せるところがないんだ。アラスカに降りても部品がないだろうしな。だからこのままアメリカまで行っちゃう」と言う。 そんな会話のあとで、 「ところで日本のパイロットは給料をどのくらいもらっているのか」ときて、「休みはどれくらいあるんだ?」それから「スチュワーデスにいい娘はいるか?」ときた。まさしく3S。
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考えてみれば、パイロットというのも大変な仕事ですよね。戦闘機のパイロットに比べて、定期便のパイロットは命の危険少ないのでしょうが、こういう記述を読んでみると、逆に「退屈こそが最大の敵」なのかもしれません。最近の飛行機はオートパイロット化がかなり進んでいますし、コクピットにずっと座って周りの状況に気を配りながら、万一のときにはすぐに対応できる精神状態でいるというのは、ものすごくきつそうな感じです。もちろん眠くなることだってあるでしょうし、副操縦士と馬が合わなくて空気が張り詰めていたりすることもあるでしょうし。 ここで紹介されている「パイロットの3S」なのですが、これって、僕の身のまわりにおいても、ごく一般的な「初対面、あるいは疎遠な人たちの世間話の定番」なんですよね。「今の仕事どう?」とか「けっこう稼いでるの?」とか。まあ、さすがに「給料いくら?」というような露骨な聞き方はしませんけど。 確かに、世間の男にとっては、政治の話とか野球の話なんていうのはイデオロギーの衝突が起こる可能性がありますから、なかなか自分のポジションを表明しにくいのです。 その点、この「3S」は、やや下世話ではあるものの、みんなそれなりの一見識を持っていながら、比較的他者の嗜好に対して柔軟になれるところですから(そりゃ、あまりに給料や待遇に差があれば、嫉妬の対象にはなりそうですが)、初対面の会話にはもってこいです。むしろ、同窓会で久々に会った昔馴染みの友人たちと盛り上がるのって、この「3S」の話題だし。 この「3S]は、職業、洋の東西を問わない、「男の興味のグローバル・スタンダード」なのかもしれません。 ところで女性は、このような、ちょとギクシャクした状況のとき、いったいどんな話をはじめるのでしょうか…やっぱり、食べ物とか?
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2005年10月03日(月) ■ |
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現像のボーダーラインとフォトプリンターの正しい使い方 |
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「GetNavi・2005年11月号」(学習研究社)の連載コラム「浅草キッドの新選組!」より。
(コンパクトフォトプリンターについての話の一部です。話しておられるのは、「浅草キッド」の玉袋筋太郎、水道橋博士の両氏)
【水道橋:あと、これは両方(この記事では、CanonとKodakのコンパクトフォトプリンター2機種が比較されています)に言えることなんだけど、プリントが仕上がるまでの時間が正直まだ長い。昔のプリンターに比べたら、これでも格段に進化しているんだろうけど。
玉袋:Canonの方がLサイズ1枚出すのに約57秒、Kodakの方は約75秒。デジカメってほとんど枚数の限りがないし、いっぱい撮っちゃうから、このプリンター1台だけで全部をプリントするって考えるのはなかなか難しいよね。特に俺なんかは普段、ネットから注文するプリントサービスを使ってるから、余計に待ち時間が長く感じられる。
水道橋:「ガチャン! ギー、ガチャン!」ってずっと鳴ってるのは、さすがに耳障りだしな。だから大量にプリントする時はネットのサービスを利用して、少しの枚数だけほしい場合にはフォトプリンターを使うっていうふうに、目的に応じて併用するのがベストな使い方なんだろうね。
玉袋:ただネットで注文するヤツにも問題があってさ。ある時すごい大雑把に100枚くらい注文しちゃったんだけど、偶然その中にせがれが風呂上りにチ○コ出してる写真が混ざってたのね。そしたら、それはプリントできないって言われちゃってさ! 俺は子どもの成長記録として撮ったのに、そういうのはどうやらダメなんだって。
水道橋:そんな時こそ、このフォトプリンターを使えばいいんだよ(笑)。】
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僕もデジカメを持っているのですが、正直言って、この「コンパクトフォトプリンター」というのは、あまり食指が動く商品ではないんですよね。そんなにみんなに写真分けるわけでもないし、いざとなれば、デジカメならデータそのもののをCDに焼いたりするほうが使い勝手がいいような気がしますし。でもまあ、せっかく撮った写真を、デジタルデータではなくて、プリントした昔ながらの「写真」として残しておきたい、という気持ちもよくわかります。実際、デジタルデータというのも、果たして永遠のものかはわからないですしね。カセットテープからMDへとか、VHSからDVDにとか、メディアの変化によって、再生されなくってしまった「残骸」が、僕の家にはたくさんあるので。 ところで、玉袋さんの話を読んでいて思ったのですが、「家庭用ビデオの普及には、いわゆる『アダルトビデオ』が大きな役割を果たした」といわれています。そして、デジカメの「撮ったものをその場で確認して、他人の手を介さずにデータとしてパソコンに落とせる」という特性は、一般的な用途にも便利なのですが、いわゆる「エロ写真撮影目的」にも、非常に有用だとも言われているのですよね。まあ、確かに、それまでの「そういう写真」というのは、ポラロイドカメラで撮る、あるいは、撮った本人に写真を現像するまでの技術があれば良いのでしょうが、「写真屋さんに現像を頼む」というのは、それはそれで「難関」だったと思われます。今はほとんど機械が現像をやってくれるのかもしれませんが。 「卑猥な写真(と言っていいのかどうか、この玉袋さんの話の場合は、グレーゾーンだとは思うんですけどね)は、プリントできない」というような噂は、確かに僕も耳にしたことがあるのですが、そういうのは「建前」であって、実際は見て見ぬふりをして、普通にプリントしてくれるものだと考えていたんですけどね。 そういえば、僕も撮った写真の中で、あまりにピンボケだったり、真っ暗で何も写っていないようなものに関しては、写真屋さんが「これは外しておきました」と言って、「削除」していた記憶はあります。 ただ、「卑猥なもの」が写っている、という理由は、それはそれで、なんだかしっかり「確認されている」みたいで感じ悪いよなあ、とも思うのです。世間を騒がせる「芸能人流出写真」のなかには、「写真屋さん経由」で出回ってしまうものもあるらしいですし。でも、一枚一枚確認しないと、ちゃんと現像できているかわかりませんしね…それこそ、まともに現像されていなくても、クレームが来るでしょうから。 卑猥な写真や「盗撮」による写真などの可能性もある場合、それをプリントしてしまうと罪に問われるためにプリントしないのか、それとも、写真屋としての「良心」からなのかというのは、僕にはよくわからないのですが。 そもそも「どこからが卑猥か?」なんていうのは、簡単に結論が出ることでもなく、素っ裸の人の写真でも「芸術だ!」という場合だってあるのだろうしねえ。 まあ、今回の玉袋さんの息子さんの立場からすれば「そんな写真、現像されなくてよかった…」というところなのだとは思いますけど。
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2005年10月02日(日) ■ |
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「彼女と浮気相手がハチ合わせしたとき」の行動学 |
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「週刊SPA! 2005.10.7号」の特集記事「災害心理学大全」より。
(恋愛の修羅場〜「彼女と浮気相手がハチ合わせ!の非常事態にとるべき行動とは?」という例題に対する、セラピスト・平準司さんの回答です。)
【「浮気の現場を押さえらえたとき、女性は開き直る傾向があるのに対し、男性はまず間違いなく否定やウソに走ります。これはフロイト心理学でいう、男性の慢性的な罪悪感によるものです。ペニスを持つ男性は、それを持たない女性に対して意識下で申し訳ないという気持ちを常に抱いているんです。そんな男性は、浮気がバレてしまったことでその罪悪感を刺激され、咄嗟に否定やウソという逃避行動で、どうにかごまかそうとしてしまうんです」 セラピストの平準司氏は、ハチ合わせという修羅場において、男性がついついウソをついてしまう理由をこう説明する。 「しかし、実はそれが一番マズい行動なんですね。ペニスを持たないことにコンプレックス(無価値感)を持つ女性たちは、自分を欺き否定する行動であるウソを一番嫌います。では、どうすればいいのかというと、どちらかの女性を肯定し、そのコンプレックスをフォローしてあげる。この期に及んで白々しいウソを並べると、どちらも失うだけですから、即座にどちらかを選んでください」 なるほど。でも、それだって2回も3回も続けていたら、さすがに通用しないのでは? 「浮気を重ね、奥さんから離婚を突きつけられた男性でも、本当に絶体絶命というケースは全体の5%ぐらい。なぜなら、女性は必ず決断の前に『もしあなたが3か月で変わらなかったら……』というふうに執行猶予をつけますから。そこで少しでも努力する姿勢を見せれば離婚までは至らない。そして、もうどうにもならない状態なら、思い切って過去から現在までの浮気を全部告白する。一見無茶な行為ですが、ほとんどの女性はここに”ウソ”の対極である”本気”を感じ取り、私のところに来る相談者でも7割以上が成功を収めています」 これぞまさに”死中に活を求む”捨て身ワザというやつか。】
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こ、こんなのでセラピストっていうのは、務まるのか? なんて僕は絶句してしまいました。 いや、フロイト心理学って、ほとんど「性的欲求不満」とか「ペニス」とか、そんな話なんだし、あまりにも非現実的なのでは。でも、「相談者」たちは、そういう有名な学者の名前が出てくるだけで、けっこう納得してしまうものなのかもしれません。 そもそも、「即座にどちらかを選んでください」って、即座に選べるような状況なら、浮気なんてしなくてもいいんじゃなかろうか。 でもまあ、これを読んでいて思うのは、「結局、女性のほうも、そういう男性を選んでいる」のかもしれないな、ということなんですよね。確かに世の中には、「結婚前は浮気癖なんて、全然見せなかった」という男だっているのでしょうけど、多くの場合は、その「兆候」みたいなものは、初期からあるのではないでしょうか。とくに「繰り返す人」なんていうのは。 しかし、男と女の感情の機微なんていうのは難しいものですね。「正直に告白」されたら、本当に、その「誠実さ」にうたれて、許してしまうものなのでしょうか?そんな「告白」などしなければ「9割が自然経過で成功を収めて」いたりするのではないかと、僕はギモンで仕方ないんですけど……
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