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2005年11月30日(水)
古本屋さんの「本当の規模」とは?

「古本道場」(角田光代・岡崎武志著・ポプラ社)より。

【五十嵐書店を出たところで、若き店長のおとうさんにばったりと会う。このおとうさん、ものすごく陽気な人で、近くにある倉庫を見せてくれると言う。古本屋の倉庫! はじめての体験である。
 地下の倉庫に案内されて、言葉を失った。広いフロアの四隅には可動式の棚があるのだが、フロアのほぼ全域、天井近くまでうずたかく本が積まれているのだ。知識の壁どころか、知識の巨岩である。
 何がどこにあるのか把握しているのでしょうか、と訊いてみると、してる、との答え。コンピュータより彼の頭のなかは精巧なのだそうだ。
 実際、本と本のあいだのけもの道をずんずん進み、「掛け軸見てみる?」と掛け軸を広げてくれたり、またジャングルを進むように道なき道に分け入って入り「これは拓本」と、文学碑の拓本を見せてくれたりする。海外の大学に送る本も、大量に梱包されている。
 古本屋さんの規模というのは、お店ではなくて、倉庫なのだとおとうさんに教わった。たとえばひどくちいさな店が、巨大倉庫を持っていることもある。お店をぐるりと見て、目当ての本がここにはない、とあきらめるのは早計で、だから店主と言葉を交わしたほうがいい、らしい。三楽書房における河上さんみたいに。
 「河上さんの夢って、こういう倉庫みたいな部屋をつくること?」と河上さんに訊いてみると、「いやあ、ああなりたくてなるというよりはああなっちゃうんだよね」と言った。河上さんの部屋は、すでに本で埋もれ、来客はひとりづつ細いけもの道を歩かなければならないらしい。】

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 この「五十嵐書店」というのは、早稲田の古本屋街にあるのだそうです。残念ながら、僕は東京の地理には疎いので、具体的な場所はイメージできないんですけど。
 それにしても、この【古本屋さんの規模というのは、お店ではなくて、倉庫なのだ】というのは、ものすごく奥が深い言葉なのかもしれません。僕たちは「古本屋」というものの規模を、単純に店の大きさや目に見える書籍の数で判断しがちなのですが、実際は、「目に見えないところのストック」こそ大事なのですよね。とくに今の時代は、店舗は小さくても、ネット販売などでたくさんの本を売っている店なんていうのも、たくさんあるのでしょうし。
 そして、これって、人間に関しても言えることなのではないでしょうか?
 僕たちは、「周りにアピールしている知識」で、その人を判断してしまいがちですが、実際のその人の実力とか知識というのは、必ずしもひけらかされているものだけではないのです。見た目はおとなしくて慎ましいけれど、実はすごい「実力」を秘めている人は、少なくないはずなんですよね。ちいさくみえる店の地下の「巨大倉庫」のように。
 まあ、裏を返せば、「巨大倉庫」なんかなくても、見せ方しだいで「立派な店」だと周りに思わせることだって可能、ということでもあるのですが。



2005年11月29日(火)
村上春樹さんの健康的な日常

「クーリエ・ジャポン」001.創刊号(講談社)より。

(NYタイムズに掲載された、村上春樹さんに関する記事の一部です)

【村上の生活は規則正しい。夜9時ごろに就寝し(彼は夢を見ることがない)、目覚まし時計なしに午前4時ごろに起きる。起床したらすぐに、マッキントッシュに向かって午前11時まで執筆する。1日の原稿料は、400字詰め原稿用紙10枚ほど。
 初稿執筆時は、まるで性格が変わってしまうみたいだと妻に言われるそうだ。文章を練っているときは、無口で気難しくなり、もの忘れも多くなる。

村上「毎日、決まった枚数を書きます。休みはとりません。一度書いた箇所に手を入れたり、物語の先を前もって書いたりすることは決してありません。ヘミングウェイもそうだったと聞いています」

 だが、ヘミングウェイと異なるのは、村上の生活が健康的な点だ。午後になると、執筆に必要なスタミナをつけるため、1〜2時間ほど体を動かす。また渋谷の古いレコード。ショップも訪れるという。ちなみに、渋谷が舞台だと思われる小説『アフターダーク』が昨秋に出版されている。
 英訳が待たれる『アフターダーク』は、カメラアイを通して、数名の登場人物たちの一夜を淡々と突き放すように語る作品である。村上のほかの作品と異なり、映画化に向いているかもしれない。自作の映画化に抵抗し続けてきた村上ではあるが、ウディー・アレンやデヴィッド・リンチが監督であれば、無条件で映画化を承諾するそうだ。】

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 いまや「日本でいちばんノーベル文学賞に近い作家」などと言われている村上春樹さん。この記事を読んで感じるのは、村上さんという人は、今まで僕がイメージしていた「作家」という人たちのイメージとは対極にあるような生活をされているのだな、ということでした。
 作家はみんな夜型で、締め切りに追われて朝まで机に向かい、夕方まで寝ている、というわけではないんですね。夜は文壇バーで飲み明かす、なんていうことも全然ないみたいだし、それどころか、この記事の中では、【「僕は日本のいわゆる文壇というところからは離れて仕事をしてきました。文壇づきあいは一切していません。今でもやはり、そういうものに対立する立場にいると思っています。】なんて仰っているくらいです。
 まあ、この村上さんの「健康的すぎる生活」というのは、少なくとも日本人作家としては稀有なものなのだろうとは思います。「いろんな人生経験を積むのが創作には必要」ということで、けっこう奔放な生活を送る作家が多いのに、【執筆に必要なスタミナをつけるため、1〜2時間ほど体を動かす。】なんていうストイックな生活は、あまりに「普通の作家」とはかけ離れている印象があるのです。「11時まで書く」っていうのを読んで、そのくらいで仕事は終わりなんて気楽な商売だなあ、と僕は一瞬思ったのですが
、朝4時から休みなしに7時間ですから、かなり集中して仕事をして、あとは頭を休めないと、身がもたないのかもしれません。
 しかし、村上さんは、こんな生活をしていて、いったいどこから小説のアイディアが浮かんでくるのでしょうか?もう、村上さんの頭の中には、「人生経験」で蓄積する必要がないほどのアイディアが満ち溢れているのかなあ…

 それにしても、僕はこの村上さんの「あまりに健康的な生活」に、「几帳面さ」と同時に「強迫観念的な、ある種の不健康さ」みたいなものを感じずにはいられないし、そういうところも含めて、やっぱりタダモノではないなあ、という気がするのですけどね。
 



2005年11月28日(月)
亜也さんを傷つけた、寮母さんのことば。

「1リットルの涙」(木藤亜也著・幻冬舎文庫)より。

【できるだけ、”歩こう”の精神で、車椅子は外へ出るときしか乗らないようにしてきたが、急ぐ時、遠い図書館に行く時は、車椅子を使って、時間をつくり出そう。
 車椅子で登校しよう(本当は、車椅子に乗ると、「もうだめだ、わたしは歩けない」と思ってしまうことのほうが悲しい)。
 寮母さんと廊下で会う。
「おはよう」
「おや、車椅子で行くの? ラクチンでいいわね。亜也ちゃん!」
 胸がつまって息ができなくなるくらい悔しかった。何がラクチンだ! 歩きたいのに、歩けなくなったと苦しんで、苦しみぬこうとしているのに、好きで車椅子に乗るとでも思っとるんですか! 楽したいから車椅子に乗るとでも思っとるんですか!
 頭をかきむしりたい気持ちになる。
 わたしの病状が一歩後退したのか、母の白髪が目立ってきた。】

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 現在、沢尻エリカさん主演でテレビドラマ化もされている、「1リットルの涙」の一部です。
 これを書いている木藤亜也さんは、脊髄小脳変性症という不治の病と闘い続けた女の子です。この文章は、彼女が16歳のときに書かれたもので、次第に歩くのが不自由になってきて、転んでしまったり、移動に時間がかかって学校・寮での生活についていけなくなってきたため、やむをえず車椅子を使うようになったときの出来事が書かれています。
 僕はこの文章を最初に読んだとき、「なんてデリカシーのない寮母さんなんだ!」と憤りました。だって、あまり障害を持つ人と接することのない「健常人」ならともかく、養護学校の寮の寮母さんなのですから、そういう配慮は、あって当然なのではないか、と思ったから。
 でも、何度か読み返していくうちに、たぶん、この寮母さんには、全然「悪意」はなかったのだろうな、ということがわかってきたのです。寮母さんは、ずっと何度も転びながら歩いていた亜也さんを見て心配していたのだけれど、車椅子で転ぶ不安もなく移動している姿を見て、単純にホッとしたのではないか、と。
 もちろんこの言葉は、実際には亜也さんを酷く傷つけてしまっていますし、そういう言い方はすべきではなかった、と僕も思います。
 しかしながら、「じゃあ、寮母さんはどう言えばよかったのだろう?」と考えると、僕にはなかなか、良い答えが出せないのです。

「車椅子になんか乗ってないで歩きなさい」
「車椅子に乗らなければならないなんて残念ね」

 やっぱり、どちらにしても、違和感があります。
 黙って見守るしか、なかったのかもしれません。

 たぶん、僕たちだって、この寮母さんと同じように、自覚のないままに、毎日誰かを傷つけているのです。そんなふうに考えると、口を開くことすら怖くなってしまうのですけれども。
 何を言っても誰かを傷つけてしまうのに、何かを言わずにいられない。
 そんな状況が、世の中には溢れています。
 ことばで誰かを傷つけるというのはこんなに簡単なのに、ことばで誰かを救うというのは、なんて難しいことなのだろう……



2005年11月27日(日)
フィギュアスケートという競技の最大の問題点

「明るいクヨクヨ教」(東海林さだお著・文春文庫)より。

(「冬季オリンピック大批判」というエッセイの中の、フィギュアスケートの項より)

【オリンピック関係者や、フィギュアスケート関係者は、グルグル回っている選手を見て美しいという。
 一般民衆も美しいという。
 グルグル回っている人間は、本当に美しいのか。
 もし道ばたで、誰かが急にグルグル回り出したとしたら、周りにいる人はどう思うだろう。
 どうやらこの人は急に災難に見舞われたらしい、急に個人的にたつ巻きに襲われたらしい、かわいそうだ、と思うのが健康な人間の考え方ではないだろうか。
 災難に見えるスポーツ、体によくないスポーツ、それがフィギュアスケートなのだ。
 体によくないスポーツなんて、そうざらにあるものではない。
 フィギュアスケートには、さらにもう一つ問題点がある。
 それはマタの問題である。
 マタが見えてしまう問題である。
 このマタの問題は、この競技が生まれたときからずうっと曖昧にされ続けてきた。
 競技中の、ここが見せ場、というときにマタが見えてしまうことが多い。
 大きく開いてしまったあのマタ、あれは見てもいいものなのか。
 それとも本当は見てはいけないものなのか。
 そこのところがいまだに曖昧にされたままなのだ。
 だから人々は、そこのところで大きくとまどい、見るような見ないような、嬉しいような嬉しくないような、曖昧な態度をとらざるをえないのだ。
 見ちゃいけない、というなら見ません。
 見ていい、というなら見ます。
 フィギュアスケートの歴史は長いのだから、このへんでそろそろ結論を出して欲しい。
 オリンピック当局、及びフィギュアスケート当局は、次のうちのどれかに○をつけてほしい。
 (1)見ないで欲しい。
 (2)できたら別のところを見て欲しい。
 (3)競技の性質上、やむをえずああいうことになってしまうが、あそこだけ期待するのはやめて欲しい。
 (4)そこのところだけ、軽く目を伏せて欲しい。
 (5)じっくり見てやってください。】

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 僕はたぶん、(3)なのではないかと思うのですが…
 これぞまさに、フィギュアスケートという競技に関する禁断の問いなのではないでしょうか。いや、ヘタに考えてしまうと、男としては、女子のフィギュアスケートをどんな顔で見ればいいのか悩んでしまいそう。もちろんあれは、ああいう競技であり、とくに女子の場合には「女性としての美を競うもの」であるという大前提があるとしても、「あんまり一生懸命観ていては、エロオヤジと思われるのでは…」とか心配にもなってくるのですよね。やっているのは、若い女性ばかりだしねえ。
 まあ正直なところ、「そういう視線」って、まったくゼロにはできないし、やっている側も、それはきっと意識しているはずです。「そこのところに注目されたい」かどうかはさておき、少なくとも「見られてもいい」ような格好でやっているようですし。
 わざわざあんな格好しなくても…という気がしますが、あの氷の上の状態で、身体を使って表現するとすれば、足を上げないというのは、動きの大きなバリエーションをひとつ失ってしまいます。
 基本的には、局所にではなくて、身体全体の動きに注目してね、ということなのでしょう。ただ、このフィギュアスケートという競技が冬季オリンピックの中でも非常に人気があり、メダルを獲った有力選手が、その後もプロとして大きな収入を得ることができるというのも、そういう「エロスの要素」があればこそ、なんだろうしなあ。

 そういえば、以前演技中に衣装が脱げてしまって、上半身が丸見えになりながらも隔すことなくそのまま予定通りの演技を続けたという選手がいました。彼女は、演技を終えたあと、控え室で号泣していたそうです。
 選手たちは、魅せたいけど、見せたいわけじゃないのです。多くの選手は、10代半ばから20代の女の子なんだから、内心、恥ずかしさもあるんじゃないのかなあ。
 本当に、フィギュアスケートというのは、そういう「美しさ」と「エロス」のギリギリのところにある競技なのだなあ、と思います。そして、そういう微妙さや儚さが、人々の心をとらえているのでしょうね。



2005年11月26日(土)
こんなに怖い奴見たことないと思ったのは、西川きよし。

「月刊CIRCUS・2005年12月号」の福田和也さんと石丸元章さんの対談記事「揚げたてご免!!」より。

【石丸:最近考えるんだけど、年上の立場の人が「威張る」のはいいことだと思うんだ。カラッとした気持ちのいい威張り方。

福田:本当はえらいのに慇懃丁寧な奴は気持ち悪いよね。こんなに怖い奴見たことないと思ったのは、西川きよし。吉兆をつくった湯木貞一が、「味噌汁はここにはかなわない」と言った大阪の福喜鮨という店がある。そこに西川夫婦が来ていて、鮨食べながら、「すみません、すみません。次、エビお願いします」って、職人に謝りながら食ってるの。

石丸:そういえば、赤坂のカラオケ館で、西川きよしが自分で受付の申し込みをしているところを目撃したな。どうも、男の秘書と時折カラオケしに来てたらしいんだけど、やっぱり、そこでも腰が低かったからね。

福田:あの人、2時間前にスタジオ入りするでしょう。あのクラスだったら直前でもいいのに。

石丸:弟子になったらタイヘンだと思うよ。やさしいから怒鳴られたりはしないだろうけど、あちこちに対して、師匠以上にうんと腰を低くしなければいけないわけだから。

福田:横山のやっさんだってイチコロだったと思う。威張っている人って、厄介だけどたいして悪い人いないんだよね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これを読んで僕が思ったことは、西川きよしさんというのは、ウラオモテなく誰に対しても腰が低い人なんだろうなあ(いや、自分の弟子とかにはわかりませんが、少なくとも対外的には)ということと、こういう「腰が低すぎる人」と、つきあっていくのは、ものすごくタイヘンだとうなあ、ということでした。
 本当に、「あのクラス」の人がそんなに腰が低かったら、弟子とか部下は、それこそ地面に這い蹲るつもりで周りに接しないと、「あなたの上司はあんなに丁寧な人なのに、それに比べて…」と言われてしまいます。そんなの比べるほうが間違っている、と嘆いても、それは、どうしようもないことで。
 もちろん、上司というのはアバウトな人より、しっかりしてくれている人のほうがいいわけなのですが、それもここまで来ると、もう、「ついていけない」状態になってしまいそうです。松平定信の寛政の改革の際に、「白河(定信が白河藩主だったため)の清き流れに魚棲まず もとのにごりの田沼(意次、将軍に重用され、賄賂が横行した)恋しき」という狂歌が流行したように、普通の人間にとっては、やっぱり、適度に「濁っている」くらいのほうが、生きやすいのは間違いないようですし。無礼な人は、一瞬の礼儀正しさで見直されますが、いつも礼儀正しい人が失望されるには、一度の威張った態度で十分なのですよね。
 これを読んでいると、確かに、西川きよしさんに対して「言いようのない怖さ」を感じてしまうのは事実です。本当に怒ったときに怖いのは、いつもカッカしている人より、いつもは穏やかな人だったりしますし。
 普通の人間としては、あまりに丁寧で穏やかな人に対しては、かえって、「腹の中では、何を考えているやら…」というような、不安を抱いてしまいます。自分ができないことをやってしまう人には、畏敬の念と同時に、ある種の居心地の悪さも感じてしまうのです。それがどんなに、素晴らしいことであっても。そういう人に対しては、こちらも「失礼があってはいけない」なんてプレッシャーを感じながら接することにもなるしなあ。
 本当は、西川さん自身にとって、「威張るより、腰を低くしていたほうがラクだし、心地よい」だけなのかもしれないんですけどねえ。



2005年11月25日(金)
現代『ウルトラマン』事情

「ネットランナー・2005.12月号」(ソフトバンク)のコラム「ちゆは××を応援しています」(文・ちゆ)より。

【全50話ほどの予定だった『ウルトラマンネクサス』が、人気がなくて37話で打ち切られました。
 新しいウルトラマンを創造しようと、子供たちが期待する方向性からあえて逆走してみせたような内容。最終回にしてついに初めて主人公がウルトラマンに変身するなど、クライマックスの内容は凝ってて熱くてカッコいいのですが、打ち切りのせいで展開の早いこと早いこと……。
 その商業的な失敗を受けた後番組『ウルトラマンマックス』は、反動で超ベタベタな路線に。バルタン星人やゼットンなど、おなじみの怪獣を毎週の敵として登場させるという最終兵器まで投入してきました。あと、前作は主題歌も子供置き去りの楽曲で、歌詞に「ウルトラマン」「ネクサス」という単語すら入りませんでしたが、今回は歌い出しから「マックス!マックス!マックス!マックス!マックス!マックス!ウルトラマンマ〜〜〜〜〜ックス!」と連呼します。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕の記憶にある『ウルトラマン』というのは、『ウルトラマンレオ』から、せいぜい『ウルトラマン80』、あるいは「ウルトラセブン」の再放送、という感じなのです。それでも、当時の「普通の子供」として、ケイブンシャの「ウルトラマン大百科」くらいは読んでいましたし、怪獣消しゴムとかを集めていた記憶もあります。
 それにしても、最近のウルトラマンというのは、なんとも凄いことになっているみたいですね。僕は『ネクサス』も『マックス』も実際に観たことはないのですが、これを読んでいて、『ネクサス』というのは、なんて前衛的な『ウルトラマン』なのだろう、と感動しました。いや、この文章だけ読んでいると、そういう『ウルトラマン』に興味津々になったとしても、たぶん、実際に毎週観ている子供だったら、「なんなんだこれは…」としか言いようがなさそうですけど。
 しかしながら、大人というのは、ある意味、ものすごく単純なのかなあ、とこれを読みながら僕は考えました。いくら、「前衛的な路線」で大失敗したからといって、ここまでベタベタな路線に回帰してしまっては、あえて冒険をした意味がないんじゃないだろうか?と。まあ、そんなふうに思うのには、僕たちにとっての「大事な怪獣」であるゼットンとかバルタン星人とかが、「番組を盛り上げるための掴み」として、安っぽく投売りされていることへの不快感もあるのですが。続編で、前作の登場人物が簡単にやられてしまったりするのって、前作ファンとしては、けっこう腹立たしいものではないのかなあ。もう、「時効」なのかなあ。でも、「時効」だったら、そんな「有名怪獣」を登場させる意味も、あんまりないだろうし…
 主題歌にしても、「ウルトラマン」も「ネクサス」もない曲から、いきなり、「マックス、マックス、マーックス!」は、ちょっと極端すぎます。こういうのって、ダメなら「無節操」で、うまくいけば「臨機応変」。結局は、「結果しだい」なんでしょうけど……

 



2005年11月24日(木)
こんなお客は嫌われる!〜レストラン編

「ダ・カーポ・573号」(マガジンハウス)より。

(特集「あなたは嫌われている!!」の「レストラン編」の一部です)

【食事中のコレが嫌!
<男>
1位:店員にやたら態度が横柄
2位:くちゃくちゃと音をたてて食べる
3位:つばを飛ばしながら会話する
4位:ズルズル音をたててスープや汁ものを飲む
5位:平気で食べ物を残す

<女>
1位:くちゃくちゃと音を立てて食べる
2位:つばを飛ばしながら会話する
3位:店員にやたら態度が横柄
4位:ズルズル音をたててスープや汁ものを飲む
5位:食後、つまようじでシーハーする

例えばランチタイム。営業時間が過ぎても、店の人は出て行ってくださいとは言えない。それをいいことに、延々とおしゃべりに興じる、なんてのは店の人にとっては困り者。営業後には、掃除や食事の時間、夜の営業の準備が控えている。
「限られた予算内で楽しみたいのは分かるけど、時間が押してしまうのに気づかないのはどうかと。予約の電話をいれるにしても、忙しい時間帯は避けるなど、タイミングをはかれないのは嫌がられます」
 温かい料理なのに、手をつけない。極端に食べるのが遅い。皿を下げるに下げられない状態にしている。そんなテーブルが一つあるばっかりに、仕事の流れが滞る。と、次の料理にとりかかれず、周りのテーブルにも連鎖して影響する。
 レストランは非日常を楽しむために集う場所。誰もが期待して訪れる。だからなおさら「その場に居合わせた人が楽しめるかどうか、相手を気遣える大人でないといけないと思う」と犬養さん(レストランジャーナリスト)は言う。それと最近、気がかりなことがある。
「クレームを言うと店の人に嫌われると思うかもしれないけれど、クレームに答えるのも仕事のひとつ。ニコニコと『おいしかったです』と言いながら、店を出た後、インターネットで悪口を書く方がよほど悪質。店に嫌われたくないあまりに卑屈になって、店の外で文句を言うほうが、嫌われます」】

〜〜〜〜〜〜〜

 レストランで「こんなお客は嫌われる」という話なのですが、確かに、こういうのは興ざめだなあ、と思うようなことがたくさん書かれています。吉野家や近所のラーメン屋で、雰囲気がどうのというのは筋違いな気もしますけど、レストランでの食事には、「雰囲気代」も含まれているものでしょうし。しかしながら、こういうのって、店側の対応だけではなくて、「隣にやたらと大声で騒ぐおばちゃんたちが!」とか、「グルメ気取りで薀蓄ばかり垂れているグループが!」というような、不可抗力的な悲劇も、けっして少なくはないのです。残念ながら、店は選べても、隣人は選べません。まあ、空いていれば席を移動することだってできるのでしょうけど。
 お客としては、自分が楽しむためには、店のほうにもある程度は配慮してあげるべきだ、ということなんですよね。「サービスが悪い!」と一方的にまくしたてる前に、「良いサービスを提供しすい環境」をつくってあげるというのも、大事なことなのでしょう。
 でも、ここに書かれていることを読んでいて僕は思ったのですが、【予約の電話をいれるにしても、忙しい時間帯は避ける】と言われても、正直、飲食店業の時間割に疎い僕としては、「ランチタイムの最中」とか「夜の7〜8時くらい」というのは、「忙しい時間帯」なのだろうなということはわかるのですけど、実際には、外からはわからない「仕込みの時間」とか「休憩の最中」というのも、電話を受ける側からはあまり歓迎されないだろうし、その「忙しい時間帯を避ける」というのも、なかなか難しいんだよなあ、という気もするのです。いっそのこと、「予約は○時〜○時の間にお願いします」とか書いてあれば気がラクなのになあ、とすら思うんですよね。
 それにしても、この文章で気になったのは、「ネットで悪口を書かれること」というのを、店側はかなり嫌がる時代になってきたのだな、ということです。ただ、実際に店の中で直接クレームをつけるほうがいいって言うけど、正直、同じ店で食事していていちばん不快なのって、「クレームばっかりつける客」なんですよね。そんなに文句あるんだったら、食べなきゃいいのに…とも思うのです。それに、「クレームに答えるのも仕事のひとつ」と言うけれど、そこまで意識の高い店員さんばっかりとは限らないような。
 確かに、レストラン側にとっては、「迷惑」だし、嫌われるのかもしれませんが、「悪質」よばわりされるのはあんまりなのでは……



2005年11月23日(水)
「シスの復讐」と映画産業の「ダークサイド」

「週刊ファミ通・2005/12/2号」の「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」のDVD発売特集記事より。

(10月にロンドンとロサンゼルスで行われた、DVD特典紹介のための記者会見に出席した3名のコメントの一部で。ちなみに、出席者は、EP1〜3のプロデューサーのリック・マッカラム、パルパティーン役のイアン・マクダーミド、そしてアナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)役のヘイデン・クリステンセンの3名です)

リック・マッカラム
「DVDの収益は、ご馳走にかかったソースみたいなものだろうね(笑)。でも、映画産業が生き延びていける命綱なんだよ。映画を作るための努力、その過程のすべてを収めたかったから、製作には18ヶ月もかけたんだ。ふつうの人に映画作りがいかにたいへんかを知ってもらうのは難しいからね。購入者の90パーセントは特典映像を観ないというが、観てくれる10%の人たちが重要なんだ。彼らをたいせつにしたいんだよ」

イアン・マグダーミド
「ダース・ベイダー役のヘイデンを見るのは不思議な気持ちだったね。私は、ダース・シディアスのマスクを着けて、メイクアップも済んでいたから、『やあ!』と言って手を振って声援を送ることも、雰囲気に合わなくてできなかった(笑)。DVDでそのシーンを観られて嬉しかったよ。ジョージの感激した様子も見れたしね」

ヘイデン・クリステンセン
「カットされて残念だったシーンは、水に浸かりながら床に穴をあけて脱出するシーン。撮影も数日かかったし、巨大な水のタンクを作り、冷たい水の中に入っての演技だった。デジタル化すると一瞬のシーンだったり、アイデア自体が編集で全部カットされることもあるけど、ひとつのアイデアにどのくらいの時間と費用をかけたか、という事実には心底驚かされるよ。マーク・ハミルとは、撮影終了後に会ったんだ。『息子よ』って挨拶したよ(笑)」】

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 日本では、本日発売の「スター・ウォーズ エピソード3」のDVDなのですが、海外では、「DVDの特典紹介のため」に、プロデューサーや主要キャストが出演しての記者会見までやっているんですね。プロデューサーのリック・マッカランさんがコメントしているように、いまや、DVDのセールスは、「映画産業が生き延びていける命綱」になってきているようなのです。
 それにしても、「特典映像」を観る人が、購入者の10%くらいだという話には驚きました。たぶんこれはアメリカでの話で、日本ではどうかな、とも思うのですが、考えてみれば、僕も「特典映像」を一生懸命観た記憶って、あんまりないんですよね。それでも、DVDを購入するときには、つい「豪華特典映像つきのスペシャル・エディション」とかを買ってしまうのです。1000円の差で、こんなに「特典」がついているんだったら、こっちのほうが得だよな、ということで。実際に観なければ、あんまり意味ないんですけどねえ。
 それにしても、この「特典映像」というのは、観られていないけれど、そのわりにはDVDの単価を上げる理由にはなっている、ということなのでしょう。
 「メイキング映像」というのは、確かに興味深いのですが、その一方で、舞台裏がわかると、かえって夢が無くなるような気もします。
 ダース・シディアスがにこやかに笑いながら、ダース・ベイダーに声援を送るシーンなんていうのは、ネタとして面白いのかもしれないけど作品の世界観を壊してしまうものかもしれませんし。
 まあ、「スター・ウォーズ」ほどの長寿シリーズになれば、観客もみんな、おおらかな気持ちで舞台裏も含めて楽しんでいるとは思うけれど。

 ところで、この「シスの復讐」のDVD、僕は正直、「もう出るのか…」という印象もありました。「映画産業」にとっては、いいことばかりのようなDVDなのですが、実は、作品を上映する映画館にとっては、こういう「早すぎるDVD発売」は、頭の痛い問題となりつつあるそうなのです。最近では、レイ・チャールズの生涯を描き、ジェイミー・フォックスがアカデミー主演男優賞を受賞した映画「Ray」が、アカデミー受賞により動員が再度アップすることが期待された矢先にDVDの発売がアナウンスされて、結果的に映画館の観客動員が伸びなかったことが問題になりました。確かに、「DVDが出るなら、わざわざ映画館に行かなくてもいいかな」と思う層は存在するのです。制作サイドとしては、まだ話題性があるうちにDVDを出したいでしょうが、上映館にとっては、まさに死活問題。それこそ、「映画産業は栄えても、映画館が無くなっていく」ことにもなりかねません。それは、「映画産業」にとって、長い目でみて、プラスになるのかどうか。
 DVDこそシスの暗黒卿なのだ!というのは、さすがに極論かもしれませんが……



2005年11月22日(火)
セックスやメシやテレビや足の臭い以下の「人生」

「いつかパラソルの下で」(森絵都著・角川書店)より。

【そんな人の気も知らずに、ぽっと別れ話なんて持ち出した上、勝手に逆ギレをしている達郎の無神経さはさすがに腹にすえかねた。
「つまり、私が一緒じゃ安定した生活を送れないってことだよね。達郎らしい」
「らしいって、なんだよ」
「達郎はいつもここじゃないどこかに行くためにお金を貯めてるとか言うけど、どこかなんてどこにもなくて、そのうちマンションとか買う頭金にでもするんだろうなって思ってた。今時、ベルマークを集めてるのなんてPTAの会長と達郎くらいだろうし、達郎のお財布はスタンプカードでいっぱいだし、年金改革の記事とかもしょっちゅうスクラップしてるし、この人は、絶対、老後に困ることはなさそうだなって」
「悪いかよ」
「悪いなんて言ってない。達郎のそういうとこ、いやだなんて一度も思ったことなかった。でも、達郎は私のことがいやだったんだよね」
 達郎は聞こえよがしな息をつき、再び淡々と頭を垂れた。
「どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、たぶん、違うんだ。確かに気は合うよ。一緒にいると安らぐし、楽しい。でも、人生に対する考え方があまりにも合わないっていうのかさ。だから、今のうちに別れたほうがいいのかもしれないって……」
 私はうなずいた。うなずくしかなかった。
「わかった。なんかバカみたいだけど、達郎がそう思うならしょうがないよね。次に住むところ見つけたら出ていくから、ちょっと時間ちょうだい」
「それは全然構わないけど、バカみたいってどういうこと?」
「だって、人生に対する考え方の違いから別れるなんて、バカみたいじゃない。それならセックスがダメだとか、食の好みが合わないとか、観たいテレビが違いすぎるとか、足が臭いとか、そんな理由のほうがよっぽど納得できる。でも、達郎は人生のほうが大事なんだよね」
「当たり前じゃねえか。あんた言ってることおかしいよ。じゃあ何か、あんたにとって人生は、セックスやメシやテレビや足の臭い以下つうことか?」
 まさしく売り言葉に買い言葉だ。不毛を悟った私が口をつぐむと、達郎はまるで勝ち狼煙でも上げるように言った。
「つまり、そういうところだよ。あんたのそういう人生に対するなめきった姿勢つうか、全然本気出してなさそうなところが見てていらつくんだよ」
「本気出すってどういうこと? お墓のこととか考えること? よくわからない。私はいつでも本気だし、人生をなめてなんかないよ。ただ就職とか、結婚とかに縛られるのは怖いだけで……。二十歳までさんざん父親に縛られて生きてきたんだから、しょうがないじゃない。修道院みたいな家から自由になってまだ5年目なんだから、ちょっとくらい羽目を外したっていいじゃない」
 思わずほとばしった父への恨み言に、自分でもハッとした。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「人生」って、何なのだろう?
 僕は最近、そんなことを考えています。大学時代などは、「いろんなことを我慢して自分を磨き、社会に貢献し、後世に名を遺すのが「人生の目標」だとシンプルに思いこんでいたのですが、現実というのは、そんなに簡単ではないのだということを、あらためて感じます。
 子どもの頃から「大きくなって困らないように」一生懸命勉強をして、大人になったらなったで「老後に困らないように」と、いろんなものをガマンして資格を取ったり、貯金をしたり。それでいざ年をとってしまったら、家族には厄介者扱い…というような「人生設計」というのは、考えれば考えるほど虚しい気がするのです。「アリとキリギリス」の話は、「将来に備えて地道に貯蓄することの大切さ」を教えていますが、でも、一生ガマンしつづけて、「とりあえず生存するのには困らない人生」を送るのが、本当に「一度しかない人生を、真面目に過ごすこと」なのかどうか、僕は最近わからなくなってきています。いや、そんなふうに「生存していくこと」そのものがけっこう大変で、価値があるのだとは思うけれど、そういう「平凡な幸せ」っていうやつに安住して自己満足に浸っているのは、ある意味、「人生を投げている」のではないか、という気もしなくはないんですよね。
 地道に、コツコツやることはもちろん大事なのだろうけれど、それが「人生に対して真面目に向かっていくこと」なのかどうか。
 むしろ、地道に生きて、貯蓄とかして、先のことを考えてさえいれば、それでいいのか?とも思うんですよね。すべての価値を「未来」に置くとするならば、現在は、いったい何のためにあるだろうか。
 まあ、そういう刹那的な発想は、多くの場合、人を不幸にします。でも、その一方で、「まだ見えない、あるいは、一生見えない何か」のために生き続けるというのは、なんだか、騙されているような感じもするのです。美味しいものは後にとっておくのはいいけれど、とっておいても、いつかは腐ってしまいます。もちろん、「まだ残っている」ということそのものが快楽なのかもしれませんが。
 アリは、はたしてキリギリスより幸福だったのだろうか?短い夏でも、楽しく過ごせたキリギリスは、「人生」(人じゃないけど)の全体で考えれば、そんなに「不幸」ではなかったのかもしれません。そもそも、アリだってみんなが冬まで生きられるわけではないだろうし。

 ただ、こんなことを考えてしまうのも、僕が所詮、「キリギリスにはなれない人間」だからなんですよね、きっと。いつか来るはずの、「飢えたキリギリスが食べ物を乞いに来るとき」だけが生きがいなんて、寂しい「人生」だとは思うけど、それを否定してしまったら、僕はなおさら生きる意味がわからなくなってしまうのです。「人生設計」っていうけどさ、「設計通りの人生」なんて、つまらないのは確実なのにね。



2005年11月21日(月)
押井守監督の「アニメの真相」

「週刊アスキー・2005.11.22号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。

(「うる星やつら」「機動警察パトレイバー」「イノセンス」などの作品があり、いまや日本を代表する映画監督のひとり、押井守さんのインタビュー記事の一部です。)

【進藤:監督は、観た方からどんなことを言われると、いちばんうれしいですか。

押井:やっぱり、自分が全然想像もしていなかった見方をされると、うれしいですね。「えっ?」ということ、ありますから。とくに僕の作品を好きだっていう30代、40代の男どもはですね、根がまじめな人が多くて、一生懸命考えるんですよ。

進藤:作品に秘められた意味を?

押井:僕の仕掛けた罠をなんとか突破して、真実にたどり着こうとする。そのために何度も観てくれたり、DVDを買ってくれたりするから、ありがたいんだけど(笑)。なぜか彼らには、アニメにはなにか真相が隠されているんじゃないかと思い込んでいるフシがあるんですね。

進藤:ふむふむ。

押井:でも、そんなものはない。

進藤:そんなキッパリ(笑)。

押井:いや、あるんだろうけど、つくった人間でもよくわからないもので、何年かたたないとわからない。そう言うと今度は「煙に巻いてる」とか言われるんだけど(笑)。

進藤:ホントに、ホントに押井さんもわからないんですか?(笑)

押井:基本的には、いい思い、楽しい思いをしたいからつくるんであって、なかば無意識でつくっているんですよ。しかも、そういうときのほうが絶好調だったりするからね。】

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 「そんなものはない」と言われると、「『そんなものはない』なんてことはないはずだ!」とか、つい考えてしまいます。このインタビューそのものも、なんだか読んでいる僕たちが煙に巻かれているような気がしますし。
 「それは、受け手の考えすぎ」だと、押井さんは笑うのかもしれませんけど。
 でも、あの「イノセンス」のような、いかにも「意味ありげ」な作品を、「真相なんてない」と言われても、やっぱり、いまひとつ納得できないですよね。そこに「隠された意味」みたいなのを探して、「解釈」しようとする気持ち、「僕の作品を好きだっていう30代、40代の男ども」の一員として、非常によくわかります。
 本当は、「正しい答え」よりも、その答えを探すプロセスや、それを同好の士と話し合ったりすることのほうが、はるかに大事なのかな、とも思うのですが。
 おそらく、「想像もしていなかった見方をされること」に対して、「うれしい」というのは、押井監督自身も、「結論」というより「素材」を提供することによって、受け手と一緒になって楽しんでいる面もあるのでしょう。「何年たたないとわからない」というのは、結局、押井監督自身も、そういう自分の作品の「受け手」の1人なのかもしれませんね。

 それにしても、受け手というのは、確かに、作品というのをあまりに「解釈しようとしすぎ」なのではないかなあ、と僕も感じることはあるのです。映画監督というのは、「意味のないことに意味がある」という場合を除けば、意味のないシーンというのを作品に入れることはほとんどないのでしょうが、だからといって、すべての作品、すべてのシーンに、あらかじめ「重要な真相」が隠されているわけでもないはずです。
 
 ほんと、アニメに対するのと同じくらい、人生とか現実とか言うものに対して、「真相」を追い求めていれば、もっと違った生き方ができるのかもしれないのに。
 まあ、「無意識」のときのほうが絶好調というのは、現実でもそうなのかな、という気はするんですけどね。



2005年11月20日(日)
結果が出ないことを「年のせい」にしてはいけない

「Number.641」(文藝春秋)の記事「200勝への階段。〜桑田真澄、21年目の現実」より(文・石田雄太)。

【たった一個だけ、桑田真澄が大切に持っているサインボールがある。メジャー通算318勝の”精密機械”、今シーズンも13勝をマークしながら15勝以上の連続記録が17年でストップした、シカゴ・カブスのグレッグ・マダックスのサインボールである。珍しく桑田から頼んで手に入れたそのボールには、”TO MASUMI、BEST WISHES!”と書き添えられている。
「どうしてもマダックスが現役で投げている間に欲しかったんですよ。ほら、第一感って、あるでしょ。あれはハタチの頃だったかなぁ。テレビでマダックスのガッツあるピッチングスタイルを見て、この人は僕と同じ野球観の持ち主なんじゃないかって、そう思ったんですよね」
 39歳になったマダックスは、6月の時点でまだ1勝もしていなかったトウキョウ・ジャイアンツのベテランピッチャーに対し、メッセージを託した。結果が出ないことを年齢のせいにしてはいけない、結果が出ないことには必ず技術的な理由があり、そこを乗り越えられないのは年齢が理由ではないはずだ、と―。
「あれほどのピッチャーだと、言うことも違うよね」
 桑田は、嬉しそうにサインボールを眺めていた。

(中略)

 マダックスの言葉を借りれば、37歳だから0勝だったのではない。思うようなボールが狙ったところにいかなかったから、0勝だったのだ。ということは、逆に考えれば38歳になっても、思うようなボールを狙ったところに投げることはできるはずだ。そう信じて、桑田はそのためのトレーニングも始めている。篭もってきた山を下りた職人は、0を1にするために、そして1をやがて28にするために、あえて反対側から山を登ろうとしている。】

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 ああ、このグレッグ・マダックス投手のメッセージ、桑田投手のみならず、最近ことあるごとに「年なのかな…」とつい自分に向かって呟いてしまう僕にも、ものすごく響いてきました。
 もちろん、人間というのは、年齢とともに衰えてくる基礎的な能力というのはあると思うのです。筋力とか、持久力とか、記憶力とかに関しては、やっぱり、「高校生の頃に比べたら…」と実感することは、たくさんあります。でも、僕たちは、実際の「年齢的な衰え」以上に、いろんなことを「年のせい」にしてしまって思考停止している部分があるではないでしょうか。
 例えば、年だから体重が増えたとか、年だから記憶力が悪くなった、という人は、たくさんいるはずです。本当は「年だから(と自分に言い訳をして、運動しなくなったわりに、食べる量は変わらないから)体重が増えた」とか「年だから(と自分に言い訳をして、覚えるための勉強をやめてしまっているから)記憶力が悪くなった」はずなのに、その間の「自分でそれを防ぐ、あるいは向上するための努力をしなかった」ことを意識するのがイヤだから、「年だから」という理由で自分を納得させてしまっているのです。
 確かに、いくら努力しても追いつけないような、肉体的な衰えというのはあると思います。20歳と80歳の差が「努力の差」だけだなんて、僕だって思いませんし。でも、少なくとも30歳と35歳の間の基礎的な能力の差なんて、トップアスリートならともかく、普通の生活をしている人のレベルでは、そんなに大きなものではないはずです。それはたぶん「どこが足りないのか」「どこが衰えているのか」を自覚してトレーニングすれば、埋められるくらいのものではないでしょうか。少なくとも「年齢のせい」だけにして、その「衰え」を克服することを諦めてしまうのは、ちょっともったいのかな、と。

 「年齢」っていうのは、多くの人にとって、これ以上のものはない「説得力」を持っているのも事実だし、高齢の患者さんの慢性疾患に対して、「まあ、年ですからね…」というのは、患者さん自身も医療者も救っているという事実もあるのですけれど。

 追記:今日の高橋尚子選手の復活優勝を観ていて、「もう33歳だし」「2年ぶりだし」「怪我もしているみたいだし」と「これが引退レースかな…」と思っていた自分が恥ずかしくなりました。
 まだまだ、僕にもできるよね。



2005年11月18日(金)
レイザーラモンHGが、「ノーフューチャー、ノーテレビ」だった頃

「日経エンタテインメント!2005.12月号」(日経BP社)のレイザーラモンHGさんへのインタビュー記事より。

【インタビュアー:人気を得るまでに意外と時間がかかってますが、当初は、どんな反応だったんですか?

レイザーラモンHG(以下「HG」):テレビ局では、とにかく「使いにくい」って言われてました。ちょっとキャラを見せるだけで「やめてくれへんかなぁ」って。吉本の社員にさえ「(顔がわからないから)サングラスはあかんでしょ」とか、新喜劇では「土曜の昼にハードゲイは無理」とか批判意見ばかり。「ノーフューチャー、ノーテレビ」って感じでしたね(笑)。

インタビュアー:その逆風の中で、このキャラをよくやめませんでしたね。

HG:自分の中に確固たるものがあったんです。売れるとは思ってなかったけど、バッファロー吾郎さんやケンドーコバヤシさんといった一部の先輩芸人がすごく面白がってくれていて、それがモチベーションになってました。

インタビュアー:今年になって火がついたのはなぜでしょう。

HG:きっかけになった『バク天』も初回収録の時はディレクターにけげんそうな顔をされていたんですよ(笑)。土下座する勢いでお願いして、ハードゲイをやらせてもらったんですが、ほぼカットされました。もともと後輩のなかやまきんに君への出演依頼だったので、結果的には僕はきんに君の後ろでチラチラ映るだけになったんです。でこれが逆に視聴者にとっても気になる状況になったようです。

インタビュアー:一気に問い合わせが殺到?

HG;ほとんどがクレームだったと思いますけどね(笑)。番組で子供とからむようになってからは「なんで子供の前で腰を振ってるんだ!」って、さらにクレームが激しさを増したそうです。

インタビュアー:今ではよい子のアイドルで、親世代にも人気。下ネタを連発するのに親にも支持されるのは珍しいケースです。

HG:ほんとですか?(笑)だとしたら、きっと一般的な芸人がやる下ネタと僕のはちょっと性格が違うからかなぁ。僕は存在自体が下ネタだから、響きが違うのかもしれない。隠微なものでなく、明るい下ネタっていう…。「ペニス、フォー!」とか言うのも、考えてみれば、ずい分許されてますよね。】

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 今をときめく人気者レイザーラモンHGのインタビューの一部です。HGさん(というか、当時はHGじゃなかったけど)がお笑いの道に入ったのは1997年。漫才コンビ「レイザーラモン」を結成して、2001年に吉本新喜劇入り。そして、この「ハードゲイ」こと「HG」のキャラクターは、3年前からやっていたそうなのです。ということは、少なくとも2年以上は、売れないのにこのキャラを貫き通していたのですよね。「石の上にも3年」とは言うし、本人に「確固たるもの」があったとしても、けっこう辛いこともあったのではないでしょうか。
 このインタビュー記事のなかにも、「やめてくれへんかなぁ」と言われたとか、「土曜の昼にハードゲイは無理」とか言われていたという「下積み時代の話」が出てきます。まあ、売れてしまった今となっては、「見る眼がない」と言うこともできますが、客観的にみれば、そりゃあ、「土曜の昼にハードゲイは無理」だと僕も思います。そもそも、HGさんが名前を出している「面白がってくれていた一部の先輩芸人」も、僕は名前を聞いてもどんな人なんだか、全然わかんない…
 それでも、「評価してくれる人」がいればこそ、なんとか続けてこれたのは事実。それこそ、ここまで売れるとは、本人も全然予想していなかったみたいなのですが。
 そういえば、先日テレビで、ある女性芸能人がHGに「もう!あなたのおかげで、ウチの子供たちもずっと腰ばっかり振っていて困る!」とクレームをつけていました。もちろん、番組中のことですから、「悪口」というより、あまりの人気ぶりにあきれている、という調子で。でも、僕も子供だったら、絶対にマネしてたと思います。こういう、「親が嫌がるネタ」ほど、子供にとっては面白いものだし。
 ちなみに、HGさんには、「マンガ家を目指した時期もあり、イラストもかなりの腕前」で、「大学卒業後に生協に就職し、結局は芸人の夢を追って4ヶ月で退職したが、当時から配達先の主婦や子供に人気で『4台の販売ノルマがあった冷蔵庫を8台売った』」などの逸話もあるそうです。もとプロレス同好会所属で、「ハッスルハウス」でも素晴らしいパフォーマンスを見せており、実は、かなり器用な人なのかもしれません。
 しかし、あのHGさんの「フォー!」って、ものすごく感染力が強いですよね。僕も先日、雑誌『ダ・ヴィンチ』の裏表紙の「アジアごはん」が紹介されていたビールの広告を見ていて、無意識のうちに、「あさりの『フォー!』か…」と呟いていた自分に驚いてしまったものなあ…



2005年11月17日(木)
僕たちが行きたかった「秘宝館」

「しをんのしおり」(三浦しをん著・新潮文庫)より。

(筆者が、「横浜トリエンナーレ」に行ったときのエピソード)

【展示物の中には「秘宝館」というブースもあった。秘宝館……懐かしい言葉との再会だ。私は幼き日に思いを馳せた。
 田舎道を車で走っていたら、田んぼに秘宝館の看板が立っていた。私はその看板を見て、「ねえ、秘宝館ってなに。秘宝館に行きたい!」とかなり真剣にダダをこねたものだ。「おねだりをするなんて恥ずかしいわ、ふん」などといきがっていたガキだったのに、「秘宝館」という文字を見ると途端に自制と自尊の心を忘れた。秘密の宝でいっぱいの館。あからさまに怪しげな字面が魅力的だった。しかし大人たちはみな、私の魂の底からの欲求をきっぱりと無視したのであった。
 手の届かなかった憧れの秘宝館。その秘宝館の宝すらも「現代美術」として出品されているとは。私の胸はいやがうえにも高鳴った。秘宝館とはいったいいかなるものなのか。その内部にはどんな秘宝が飾られているのか……。
 実際に見た秘宝は、予想していたよりもはるかにはるかに私の好みだった。秘宝館の収蔵物を初めて見ることができて感無量である。素晴らしいよ、秘宝館。ああ、私は大人たちを恨む。この素敵な宝を子どもに見せようとしなかった大人たちを恨む。
 秘宝館のブースの入り口には、「県の指令により、6才以上18才未満の入場をお断りします」というプレートが掲げられていた(実際の秘宝館にあったものらしい)。6歳未満ならあれを見てもいいのか。その微妙な年齢指定には、ロリコンならずともときめくこと請け合いである。感動と興奮のあまり、何を言いたいのかよくわからなくなってきた。】

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 ちなみに「横浜トリエンナーレ」とは、こういうイベントらしいです。「現代美術の祭典」なんですね。しをんさんが行かれたのは2001年に開催されたもので、ちょうど現在、2005年のトリエンナーレが開催されています。
 それにしても、その「現代美術の祭典」に、「秘宝館」のブースがあるなんて、驚いてしまいました。というか、現代美術というのは、どうも僕には理解不能のものが多いのですけど。
 御存知ない方もいらっしゃると思いますが「秘宝館」というのは、こういう施設なのです。
 このしをんさんの文章を読んでいて、僕も子ども時代に、道ばたの「秘宝館」の看板を見て「行ってみたい!」と言って親を苦笑させたことを思い出しました。いや、だって、子どもだったら、「秘密」の「宝」の「館」だなんて、いったいどんなスゴイものがあるんだろう?って、ものすごく知りたくなりますよね。
 結局、僕がはじめて(そして唯一)、この秘宝館という場所に行ったのは、大学の部活の旅行で、それまでは、何が飾られているのか全然知らなかったのです。どうして秘宝館に寄ることになったかというと、そのときの旅行の幹事だった後輩の、「だって、面白そうじゃないですか!」という気まぐれだったのだけど。
 いや、そのときの「同じ部活の女の子たちと、秘宝館に入るという状況」というのは、今から思い出しても、そりゃあもう「悲劇的」ではありました。
 「気持ち悪い!」とダッシュで館内を駆け抜ける女の子たち(一部興味深そうに観て回る人もいましたが)。そして、気持ち悪いながらも、幹事として一生懸命計画を立てた(はずの)後輩たちの手前、余裕をかまして観て回るふりをしていた僕。とはいえ、あまり一生懸命眺めていては、かえって僕の株を下げる羽目に陥ってしまうので、バランスが肝心。でもなあ、20歳過ぎたばっかりの、自意識過剰かつ比較的真面目な青年たちには、「秘宝館」というのはあまりに退廃的すぎて、正直、ついていけませんでした。今でも、あの薄暗い館内の澱んだ空気を、なんとなく覚えています。
 帰りの車の中は、そりゃあもう修羅場になりました。
 なんであんなところに行くの!と罵声を浴びせられ、うつむく幹事たち。アレをネタとして笑い飛ばすには、あの頃の僕たちは、若すぎたのです……
 もし今なら、恥ずかしがる女の子たちを観賞するという、やや倒錯した楽しみかたもあるとは思うのですけどねえ。

 僕が行ったのは、もう10年前の話なのですが、不思議なもので、今やあれも「現代美術」になっているみたいです。本当に、なんでもアリだな、現代美術って。



2005年11月16日(水)
上京症候群

「ダ・ヴィンチ」2005.12月号の特集記事「作家の上京ものがたり」の「わたしたちの上京事情」より。

(長編第2作「さくら」が17万部のベストセラーとなった、作家・西加奈子さんの「上京事情」についてのインタビュー記事の一部です。)

【大阪・天王寺で彼氏と喫茶店を営んでいた25歳の頃、暇を持て余した西加奈子さんは、言葉遊びの感覚で12作の短編小説を書き上げた。その後、初めて真剣に小説に取り組もうとした作品が『あおい』。そのときの感覚と「初めて脳みその中のことをちゃんと書いた感じ」と表現するから面白い。

(中略)

 おそらく西さんは、小説を書かなければ上京することもなかった。大阪という街が大好きだったし、「彼氏さえいれば何もいらないタイプ」と自身で分析するように、どんな所でも、自分なりの幸せや楽しみを見つけられる人。しかし、自分の頭の中のことを書く、という行為が、彼女を行動へと促した。

「大阪にいたら書けないことってあると思うんです。ぬるま湯で居心地がよすぎて、脳みそがどんどん柔らかくなるような感じでした。ここにいたら書けないかもなぁ……て思いましたね。大阪ってちょっと東京に対してライバル心があるんです。周りに相談しても、大阪でできん奴が東京行ってできるか、ということをよく言われた。でも、そう言われると、よけい行きたくなったんです。彼氏に、どうする?って聞いたけど、行かへん、て言うから私一人で行くことにした。友達もおらん東京で、私が何を書くか、自分でも読んでみたかった。それこそ、もっと脳みその中にあるものを書けるんじゃないか、って思ったんです」

 それからの西さんは朝からテレアポとスナックの皿洗いのアルバイト、夜はフリーのライター仕事をし、2ヵ月間で40万円の上京費用を貯めた。親には「彼氏とは長距離でがんばる」「フリーのライター仕事で東京に呼ばれた」と嘘をついた。すべてを振り切り、その先に見つめていたものは、出版社が集中する東京で、新たな表現を生み出していくことだ。

「そのときのことはあんまり記憶にないんです。2ヶ月間、ほとんど寝てなくて、怒涛というか、トランス状態になってて、自分でも意味がわからないくらい」

 辿り着いたのは下高井戸駅徒歩30分のアパート。電気もガスも水道も、トイレまでもがすべて故障という最低の状態だった。

「着いた瞬間、ヤバイ、もう寂しい……と思いました。そのときになって、何も考えてなかったなぁと思いましたね。何の当てもないし、仕事も決まってない。テレビもネットもなくて、1日音楽だけ聴いてました。親には『東京は楽しいで!』と嘘メール送って、本当は泣いてましたね」】

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 男としては、「彼氏さえいれば何もいらないタイプ」だったはずの彼女が、突然「小説を書くこと」に目覚め、「東京に行きたい!」と言い出すなんて、彼氏はさぞかし困惑しただろうなあ、とか、つい考えてしまいます。「書くこと」「表現すること」の魔力というのは、本当に何事にも替えがたい場合もあるのですね。
 西さんの場合は、やはり「上京したこと」が、現在の小説家としての成功(の過程)に繋がっているのだと思いますが、僕はこの記事をはじめて読んだとき、「大阪じゃ書けなかったのかな」とか「その『幸せ』を捨てなくても、両立できたのかも…」というようなことも、頭に浮かんできました。
 たぶん「小説を書く」というのは、何かの片手間にできるほど、簡単なことではないのでしょうけど。
 そして僕は、自分が「上京したかった頃」のことを思い出しました。田舎の高校生(しかも男子校!)だった僕は、「やっぱり、世界に通用する立派な人間になるためには、東京に行かなくちゃな」とか、思い込んでいたものです。周りにも「大学も学部もさておき、とにかく東京にある大学!」という同級生が、けっこうたくさんいたのです。まあ、田舎の進学校の男子の受験勉強のモチベーションとしては、「東京の大学に入ったら、都会で遊べる!」というのは、最高に単純明快かつ現実的、でしたし。
 結局、さまざまな(というか、偏差値的な)事情で、僕は地元の大学に行くことになったのですが、同窓会で高校時代の同級生が語る「東京体験」は、ものすごく刺激的だったような印象があります。ああ、東京では、いろんなことがなりゆきまかせで、けっこう簡単に「寝て」しまったりするのだな、とか。そういうのは、「都会」というより、「個人」の問題なのかもしれませんが。
 今となっては、「僕にはあんなに人の多いところで生活するのは無理」だと半ば悟ってしまっているのですけどね。
 それでも、「都会コンプレックス」って、まだ、僕の中には、ちょっとだけ残っているような気がしています。実際に行った人たちは、そんなに良い事ばっかりじゃないよ、と口を揃えて言うけどさ。
 西さんの場合には結果的にうまくいったけれど、同じようにいろんなものを捨てて東京に行って、後悔している人もたくさんいるのだろうし。ただ、一度そういう「上京病」にかかってしまったら、上京せずに「平凡な幸せ」を得ても、一生後悔してしまう可能性もありますよね。

 西さんは、このインタビューのなかで、次のように語られています。

【最初の頃の東京の印象を西さんは「森」にたとえる。人が大勢いるのに、誰も人に関心を示したり、関わろうとしない。西さんが育った大阪とはまったく逆だ。

「不思議なところやなぁと思いましたね。最初は寂しいと思ったけれど、そういう森みたいな所で誰かと仲良くなったりすると、その人への愛情も倍になるんです。今は誰もこっちを気にしてないことが、逆に楽ですよね。】

 田舎の人間関係に、「お互いをよく知っているという気楽さ」と同時に、ある種の「息苦しさ」があるのと同じように、東京には、「東京にしかない愛情」があるのでしょうか?



2005年11月15日(火)
「トレビの泉」のトリビア

日刊スポーツの記事より。

【ローマの観光名所「トレビの泉」に投げ込まれた硬貨を、清掃業者の社員が定期的に持ち帰っていたことが分かり、ローマ市警は14日、横領容疑で18〜50歳の男4人を逮捕した。4人は捕まった際に総額1200ユーロ(約17万円)の硬貨を隠し持ち、年間で11万ユーロ(約1500万円)以上を稼いでいたとみられる。
 硬貨は毎日、清掃業者が回収し慈善団体に寄付することになっているが、4人は一部を掃除用具などに隠して着服していた。慈善団体は地元紙に「観光客が減っていないのに、寄付金が最近減ったので不思議に思っていた」と話している。
 トレビの泉は映画「ローマの休日」や「甘い生活」の舞台にもなった。背中越しにコインを投げ込むとローマに戻って来られるという言い伝えがあり、連日多くの人でにぎわっている。】

ちなみに、トレビの泉とは、こんなところです。

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 あの、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」にも登場した(というか、そのおかげで一層有名になった、という面もあるのですが)「トレビの泉」、背中越しにコインを投げ込むとローマに戻ってこられるという言い伝えとともに、日本でもよく知られている観光スポットです。僕自身は一度も訪れたことはないのですが、「行ってみたら何の変哲もない泉だった」という話もよく聞きますけど。
 でも、「投げ込まれたコインは、どうなるのか?」というのを、僕はこの記事ではじめて知りました。日本の神社仏閣などでは、当然「神仏に捧げられたもの」ですから、お賽銭はその施設のものとなるはずなのですが、「トレビの泉」の場合は、泉の周りにさまざまな神の像が立ち並んではいるものの、それはあくまでも「飾り」であって、宗教的な意味あいはほとんどなく、「ローマ水道の末端部のひとつ」でしかないのです。
 となると、そこに投げ込まれた、たくさんのコインは、ローマ市の収入になったりするのかな、と思いきや、慈善団体に寄付されていたのですね。確かに、それがいちばん理想的な形なのかもしれません。投げ込んだほうとしても、それなら、悪い気はしないでしょう。
 この不届きな「賽銭(じゃないのか)泥棒4人組」、よく17万円ものコインを隠す場所があったと思います。もしからしたら、代々受け継がれたノウハウみたいなのがあるのでは?と勘ぐってしまいたくなるくらい。そもそも、「一部を清掃用具などに隠して着服」というレベルで年間1500万円以上荒稼ぎできるのですから、これはもう、かなりオイシイ仕事だったのでしょうし。
 それにしても、一部で1500万円ということは、1年間の総額では、ものすごい金額があの泉に投げ込まれているんですねえ。せっかく「またローマに来ることができますように」と泉にコインを投げ込んでも、その日のうちに回収されてしまうのでは、なんとなく御利益も薄いような気しますけど。
 ところで、あれって、みんな誰に「ローマに戻ってこられるように」お願いしているんでしょうか?
 やっぱり、オードリー・ヘップバーンなのかな。



2005年11月14日(月)
「ウイダー in ゼリー」に隠されたテクノロジー

「GetNavi(ゲットナビ)」2005年12月号(学習研究社)の記事「名品誕生vol.9 ウイダー in ゼリー」より。

(大ヒットゼリー状飲料・ウイダー in ゼリーに関する、森永製菓食品事業本部・食品マーケティング部の松崎勲さんへのインタビューの一部です。)

【米国では純粋に飲料だったものを、森永製菓はゼリー状という付加価値を付け、世に発信したのである。ウイダー in ゼリーのブランドマネージャーの松崎勲さんは語る。

「ゼリー状にすることを思い立ったのは、あるスケート選手からのリクエストがきっかけでした。その内容は腹持ちがし、トレーニング前に摂取してもお腹がだぼつかず、さらに食べた感覚が得られること。
 この三つの条件を満たす商品を考えたとき、我々が行き着いた結論がゼリーでした。飲料は水分でお腹がだぼつきますが、ゼリー状ならその問題もなく、腹持ちもし、また食べた感覚も与えてくれると考えたんです」

「飲むゼリー」を展開していた同社は、ゼリーについてのノウハウは持っていたものの、ウイダー in ゼリーの開発にあたり、ゼリーのゲル状の安定化が課題であると判断した。

「四季を通してゼリーの状態を均一に保つのは、実はとても難しいんですよ。どのような努力をしたかに興味を持たれると思いますが、それは企業秘密です。残念ながらお話することはできません(笑)」

 それでは味についてはどのような考えをもっているのだろうか。

「エネルギーやビタミンを補給するのが目的の飲料といっても、味についてもこだわりがあります。それは毎日摂取しても飽きないこと。そのためユーザーの嗜好については入念なリサーチを行っています。
 最近はアルコールも含め、キレが求められる傾向にあります。カロリーをある程度確保するためには糖質を増やすことは不可欠。しかし甘すぎると消費者は飽きてしまうんです。そこで糖化メーカーと共同で、適量のカロリーが摂れる甘すぎない糖質を開発。これにより後味をすっきりさせることに成功しました。また来春のリニューアルでは、果汁感をより際立たせることを考えています」

 絶えず改良を重ねてきた結果、当初ターゲットに据えていたアスリートはもちろん、一般消費者にもウイダー in ゼリーは浸透している。

「飲料を飲む場合、顔を上に向けないとうまく飲めないですよね。でもウイダー in ゼリーは、ゼリー状のため口をちょっとすぼめて吸い込むだけで正面を向いたまま摂れます。危ないのでおすすめはできないんですが、走りながら飲むことも可能。時間のないときにすぐ摂取できる。これが愛されている理由のひとつだと思います」】

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 「ウイダー in ゼリー」が最初に発売されたのは、1994年、いまから10年以上も前のことです。考えてみれば、清涼飲料水業界というのは、非常に入れ替わりが激しいわりには定着するのは難しいようで、この10年間に新しく「定番」となった商品は、ごくわずかなのではないでしょうか。お菓子業界でも、同じことが言えるようなのですが(参考:暴君ハバネロの話)。
 それにしても、あの「ウイダー in ゼリー」1パックの中には、これだけの研究の成果とテクノロジーが詰め込まれているのです。いつも同じようなゼリー状なのが当たり前だと思っていたけれど、確かに、日本のように四季がある国では、夏でも冬でも同じようなゼリー状の形を保つというのは、けっして簡単なことではないですよね。あの味も、「飽きないように」ということで、味の加減だけではなく、糖質そのものまで新しく開発されていたとは。しかしながら、おそらく、同じように精魂こめて開発されてきたはずなのに、実際に店頭に並んではすぐ消えてしまう「新製品」が多いというのも、またひとつの現実なのです。消費する側としては、「これ、ほんとうに発売前に誰か飲んだの?」と言いたくなるような「独創性がありすぎる商品」なんていうのも、けっこう多いんですけどねえ。そんな画期的なものでなくても、「新しいコカ・コーラ」だけでも、さて、この10年間に何種類出たことか…
 まあ、アスリートには程遠い僕としては、「走りながらまで、わざわざ飲みたくない」とは思うんですけど、そこまでできるようにするっていうのは、それはそれで凄いですよね。
 



2005年11月13日(日)
「生協の白石さん」のゆくえ

ITmediaニュースの記事より。

【「お騒がせしてすみません」「お待たせして申し訳ありません」――生協の白石さんは、心から恐縮した様子でこんな言葉を繰り返した。
 11月12日、東京農工大学の学園祭で「生協の白石さん」サイン会が行われ、整理券配布前から100人近くが列を作った。同書の著者で農工大生協の職員・白石昌則さんは、サインを求める1人1人に声をかけながら、「ひとことカード」に「ありがとうございました」などと書き入れた。
 「生協の白石さん」は、農工大生協のアンケート用紙「ひとことカード」の内容をまとめた本。その絶妙な受け答えがネット上で話題になり、11月2日に書籍化された。Amazonの売り上げランキングは常に1位。ネット書店だけでなく実店舗でも売れ、紀伊国屋書店でもランキング1位に。テレビや雑誌、新聞でも続々紹介されている。
 当の白石さんはこの状況に「お騒がせして申し訳ない」とひたすら恐縮する。サイン会でも1人1人に「お待ちいただいてすみません」「どちらからいらっしゃったんですか? 遠くから来ていただいてありがとうございます」「(もっとかっこいい人を想像していただろうに)がっかりさせちゃってすみません」などと話し、「学園祭をぜひ楽しんでください」と声をかけていた。
 サインを求めて並んだのは、在校生や在校生の母親、卒業生、近所に住む親子連れ、白石さん人気をネットで知ったIT企業の社員など実にさまざま。白石さんに「大変そうですががんばってください」「いつも楽しみにしています」などと話しかけ、プレゼントを渡す人もいた。
 前日からたっぷり眠ってサイン会に備えていたという白石さんは、サイン会終了後、「みなさん『大変ですね』などと言ってくださって、気を遣っていだたいているのが痛いほど分かりました。風も強くなってきて肌寒いのに、ずっと待っていただいて申し訳なかったです。学園祭も楽しんでいただければと思います」などと丁寧にコメント。テレビのインタビューや新聞の取材に次々に応じていた。
 これまで顔を出していなかった白石さんは、「みなさんをがっかりさせるのが申し訳なくて」今回も顔出しNG。「外に出て何かを話すたびに、みなさんのイメージを崩してしまう」と恐縮していた。
 本が売れても私生活に特に変化はないという。しかしテレビなどで取り上げられるたび、ひとことカードに、生協の業務とは関係ない“ネタ”的な投稿が増えると少し困った様子だ。「あくまで生協への要望を伝える掲示板ですので、まじめな投稿をお待ちしています!」】

参考リンク:「がんばれ、生協の白石さん!」

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 書籍化された「白石さん」ですが、本のほうもすごく売れているみたいです。個人的には、この本の印税はどうなるんだろう?とかいう下世話な興味もあるんですけど。
 僕がはじめてこのサイトを読んだときの印象では、白石さんは「村上春樹フリークの30歳くらいの女性」なのではないかと予想していたのですが、実際は男性だったので、ちょっと意外でした。それにしても、この「白石さん」の魅力というのは、「たぶん質問者意外のほとんどの人が真面目に読んでいないはずの『ひとことカード』に、大マジメに機知を利かせた答えを返している」という点にあると思われるので、正直、こんなふうに大きな話題になってしまうと、質問する側も答える白石さんも「カードの向こうの大勢の人」をイメージしてしまって、本来の味が無くなってしまうのではないかという気もします。もっとも、こういうやりとりそのものが、そもそも「一瞬の輝き」みたいなもので、それをうまくWEBで世界に広めたという意味では、ものすごく意味のあることなのかもしれませんが。
 一躍「時の人」になってしまい【これまで顔を出していなかった白石さんは、「みなさんをがっかりさせるのが申し訳なくて」今回も顔出しNG。「外に出て何かを話すたびに、みなさんのイメージを崩してしまう」と恐縮していた。】というのもよくわかります。いままでは、生協の「閉じた世界」でのやりとりだから気楽に、自由に書けていたのに、こんなふうに一挙手一投足に注目が集まってしまっては、プレッシャーもかかりますしね。それに、周りの職員の目も、けっして温かいものばかりではないでしょうし。
 まあ、これを期に、ああいう「お客様の声」への対応が、紋切り型のものばかりではなくなっていくのは間違いないでしょうし、そういう地味な仕事にスポットライトが当たったという点では、非常に有意義な面もあるのだと思います。僕もときどき某ジャスコなどに貼ってある「お客様の声」などを読むのですが、なかにはかなりお客側からの「言いがかり」的なものもあって、「担当者もかわいそうだな…」と思ったりもするんですよね。「生協の白石さん」だって、「マジメにやれ!」というクレームがついていたら、もしかしたら、あっというまに「改善」されていたのかもしれません。そういう意味では、平和な学校、理解のある職場だからこそ、許容された「遊び」なのかも。
 おそらく、これから全国に「白石さんのような」回等者が続出してくることが予想されますが、こういうのって、二番煎じに対する世間の評価は、ものすごく厳しいからなあ…



2005年11月12日(土)
あなたにとって「理想の旅」とは?

「またたび」(さくらももこ著・新潮文庫)より。

(巻末の「おまけのQ&A」での、さくらさんへの質問の1つ)

【さくらさんが「旅」を好きだなあ、と思うときはどんなときですか。さくらさんにとって、理想の旅―場所、交通手段、道連れ、出会いetc.etc.―は、どんな旅でしょうか。

さくら:やっぱり、おいしい物を食べた時が一番「旅っていいなア」と思っていると思います。理想の旅は、気の合う仲間と、スケジュールも決まってない、呑気な旅がいいです。適当に散歩したりカフェで休んだり、街の様子を見るのが好きなんです。あと、ホテルは良いホテルじゃないと、やだなアと思います。わがままですよね。わかっているんです……】

〜〜〜〜〜〜〜

 あなたにとって、「理想の旅」とは?
 もともと出不精の僕は、「旅」というのがけっこう苦手だったのです。計画をする時点で、頭の中でいろいろと考えているうちは愉しくてしかたがないのですが、実際に旅に出てみると、乗り物に長い間閉じ込められたり、あんまり口に合わないものを食べさせられたり。家にいれば、眠くなったら寝ればいいけれど、旅先では、少なくとも「眠れる場所」まで移動しなければならないし。
 でも、実際に旅に出てみると、持ち前の貧乏性で、「もう二度とここには来ないかもしれないから、観られる名所・旧跡は全制覇しなくては!」という強迫観念めいた考えにとらわれてしまって、過密スケジュールを組み、かえって自分を苦しめたりするわけです。「せっかくここまで来たんだから、何もしないのはもったいない!」とか。「現地の人との、心あたたまるふれあい」とかに対しては、怖さのほうが先に立ってしまうし。近づいてくる人は、まずスリじゃないかと。そもそも、「のんびりするための旅行」っていうのは、近くの温泉とかならともかくねえ。
 なんだか、そういう自分を顧みてみると、いかにも「日本人観光客ってやつは…」と海外通の人に後ろ指をさされるような「典型的な日本人観光客」なので、また自己嫌悪に陥ってしまいます。そもそも、海外では、土産物屋や免税店でも、自分ひとりで取り残されると、ものすごく不安になってしまうんですよねえ。
 それと、旅先で「おいしいもの」って、なかなか旅先ではめぐり合えないような気がするんですよね。ただそれは、僕がガイドブックとかに頼った旅行しかしていないからで、現地に留学している人に教えてもらった店は本当においしくて「地元で生活している人が薦める店」には、確かに、おいしい店があるのだなあ、と痛感したこともありましたが。
 僕にとっての「理想の旅」というのは、とりあえず、「珍しいものや綺麗なものが観られて、食事が不味くはなくて、単独行動しなくていいけれども、あんまりベタベタと集団行動を強要されるわけでもなく、寝るところが清潔で、スケジュールが決まっているけれども時間的な余裕はそれなりにある」という感じです。って、こうして書いてみると、贅沢言わないつもりがけっこうワガママかな、と、あらためて実感。旅というのは、特別な時間のようで、かえって、その人の「日常の好み」っていうのが反映されるみたいです。
 「その人を知るためには、一緒に旅行をしてみればいい」と言うのは、確かに当たっているのかもしれませんね。



2005年11月11日(金)
編集者泣かせの「漫画の神様」

「お笑い 男の星座2〜私情最強編」(浅草キッド著・文藝春秋)より。

(「序章」で紹介されていた、漫画家・手塚治虫先生のエピソード。担当編集者との会話の一部です。)

【「じゃあ、聞くけど、出版社が乱発する屁タレント本のどこが、俺たちの『男の星座』より面白いのか、ちゃんと説明してくれ!」

「そんな、編集者泣かせの手塚治虫先生じゃないんですから、勘弁してくださいよぉ!」

「確かに、かつて手塚治虫は、梶原一騎の『巨人の星』を見て、アシスタントや編集者に、こう怒鳴り散らしたよ、『このマンガのどこが俺のマンガより面白いのか。分かる奴は説明してくれ!』と」

「しかしですねぇ、結局、手塚治虫先生でさえも最終的には、作品にスポ根テイストなんかも取り入れて、見事スランプから脱出して立ち直ったわけですから、キッドさんも、他のタレントさんの本なんかも見習ってですね……」】

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 巨匠・手塚治虫先生の「低迷期」のエピソード。いまでは、現役のマンガ家時代はずっと「偉大な人気マンガ家」だったと思われがちな手塚先生ですが、実際は、「劇画」の時代になってくると、「もう古い、終わったマンガ家」という目でみられていたこともあったようです。まあ、そこから「ブラックジャック」や「ブッダ」などで再び蘇ってくるところが、「巨匠」たる所以なわけですが。
 それにしても、このエピソードは、業界内では「天皇」なんて呼ばれていた「偉大すぎる作家」の秘められた一面を映し出していますよね。手塚治虫というマンガ家は、本当にマンガ・アニメーションという文化に大きな功績を残した、唯一無二の人なのですが、その一方で、天才の宿命として、周りの多くの人を犠牲にしてしまったこともあったようです。
 あの宮崎駿監督は、手塚治虫逝去の報に対して、その偉大な功績をしのびながらも、「あの人のやり方は、間違っていたところもあったのではないか」とコメントされたそうです。少なくとも、「アニメーション」という世界を「好きな人間がやるのだから、食べていけないのもしょうがない」という業界にしてしまったのは、確かに、手塚先生の「罪」なのかもしれません。いや、御本人は、ただ、自分の理想につきすすんでいっただけなのだと思うけれども。
 今の僕からすれば、一世を風靡したものの、あまり現在では顧みられることのない「巨人の星」というマンガと、いまでも新しい読者に読み継がれている「火の鳥」や「ブラックジャック」を比較すれば、歴史の評価としては「手塚作品のほうが面白い」(というか、普遍性がある)のだと思うのです。でも、当時の「時代の空気」というやつは、どんなに多くのマンガに接してきたアシスタントや編集者でも、「言葉にする」のは難しかったのではないでしょうか。そもそも、「天皇」に、「ここがあなたのマンガより面白い」なんて言えるはずもないだろうし。当り散らされる周囲の人々は、たいへんだったはずです。
 実際は、当り散らしながらも、ちゃんと「研究」していたというのが手塚先生のすごいところでもあるのですが、「巨匠」と付きあうのは、なかなか辛いことも多いようです。それでも、人を惹きつけてやまないのが、「天才」なのかもしれませんけど。



2005年11月10日(木)
スナフキンの言葉「子どもみたいになる大人たち」

「ダ・ヴィンチ」2005.12月号の特集記事「スナフキンにさよなら。」の「スナフキン名言集」より。

(『ムーミン』のなかでも、とくに人気が高い、永遠の旅人・スナフキンのことばを集めたものの一部です。)

【君たちも大人になればわかるさ。ある意味で、大人は、子どもよりもっと子どもみたいになることがあるんだよ。

         『新ムーミン』第10話「署長さんがいなくなる」


 事件も事故も起きない平和なムーミン谷の生活に、警察署長としてのやりがいをなくし、自分は谷に必要がない人間だと嘆くヘムル。谷を出るという彼の憂鬱に感染したムーミンパパ(無職・小説家志望)とヘムレンさん(趣味は昆虫採集)も、リュックを背負って家出してしまう。みんなを必死で引き止めようとするムーミンたちの陰から、「大事件を扱うだけが、警察官の仕事ではないはずです。ヘムルさん、困っている村の人の頼みを聞いてやるのも立派な仕事ですよ。十分に価値のある生き甲斐ですよ」とスナフキン。その言葉に打たれたヘムルはムーミンパパとヘムレンさんを説得、3人で堂々とムーミン谷の平穏を生きていく決意をする。出ていくと言ったり一生出ていかないと言ったり、大人って分からないなぁと不思議顔のムーミンにスナフキンが投げかけた一言が、これ。「君たちも大人になればわかるさ」という言葉からは、自分が大人であると認識していることが分かる。でも、「子どもよりもっと子どもみたいになることがある」と気付き、それを子どもたちにこんなふうに教えられる大人はなかなかいない。スナフキンは、子どもでも大人でもない、特別な領域を生きているのかもしれない。】

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 カッコいいですよね、スナフキン。僕も子ども心に憧れたものです。それにしても、この「ダ・ヴィンチ」の特集を読んでみると、もっとのどかで平和でメルヘンチックだったようなイメージがあった「ムーミン」の世界は、けっこう「大人向け」だったのだなあ、とあらためて知りました。
 僕も自分が大人としか言いようのない年齢になってようやくわかったのですが、大人というのは、必ずしも「子どもがイメージしているような、頼りがいがあって、分別や理性を持っている存在」ではないようなのです。
 僕自身に関しても、むしろ、中学とか高校のときのほうが、「そんな子どもじみたことをしてはいけない!」という、強迫観念的なプライドを持って生きていたような気がします。ネットの世界をみても、「世界」とか「人生」に関して大上段に立ち向かっているのはむしろ「子ども」が多くて、「大人」のほうは、自分の日常に追われている人が多いような印象があるのです。子どもというのは、自分の理想のために何かをガマンすることができるし、実際に堕落しようとしてもそのためのお金や力がなくてできない、という場合もありますしね。
 それに比べたら、大人のほうが、「子どもじみた行為」をやりやすいのは確かなのです。例えば、お菓子のオマケを集めるための「大人買い」なんていうのは、子どもにとってはやりたくてもできないことでしょうし、不倫なんていうのも、子ども時代に「不倫は文化だ」なんて考える人は、ほとんどいないと思います。「そんなバカバカしい、人の道に反する行為」と考えていたものを、実際にやってしまうのが「大人」なわけです。どうせ、この先の人生にもあんまり面白いことはなさそうだし、とりあえず今が楽しければいいや、とか。
 子どもっていうのはむしろ「大人っぽさ」を指向し、大人というのは、ときどき、とんでもなく「子どもっぽく」なってしまうことがあるのです。

 それにしても、この話、僕も身につまされました。やっぱり、「風邪の人しか来ないような田舎の病院」よりも、「難病の人や救急車がひっきりなしにやってくる大病院」をみんな指向しがちだし、そういう「起伏がある」ほうが偉いと考えてしまいがちだから。正直なところ、この「スナフキンの説得」くらいで、「やりばのない向上心」みたいなものがずっと抑えられるとも、思えないんですけどねえ。
 で、忙しいところに行ってしまってから、平和なムーミン谷が懐かしくてしかたなくなる、と。ああ、大人っていうのは、本当に子どもっぽい!



2005年11月09日(水)
「幕張のファンタジスタ」、ロッテ・初芝清伝説

「Number.640」(文藝春秋)の日本シリーズ特集記事「初芝清〜笑いと涙の野球人生。」より(文・村瀬秀信)。

【その日は、3日前に引退を表明した、初芝清のセレモニーが試合後に予定されていた。
 6回の裏、代打に初芝の名が告げられると、満員のスタンドからは悲鳴にも似た大声援が轟く。「これが現役最後の打席になるかもしれない」。球場全体の視線がゆっくりとグラウンドに現れる背番号6を追いかける。
 ソフトバンク三瀬が投じた初球。痛烈な打球が三塁線を襲う。だが、惜しくもファール。
「まだやれるぞ!」「やめないで!」
 引退を惜しむ叫び声がスタンドのあちこちから上がった。
 3球目――。悲壮な空気が一転、笑いに変わる。バッターボックスの後方、左足にデッドボールを食らった初芝が、円を描くようにピョコタンとグラウンドを跳ねまわっていた。
「やっぱり、アンタはサイコーだよ!」
 笑いながら涙を流すファンの姿。それは、初芝清の野球人生そのものを物語っていた。引退の定番である涙と感動。しかし、初芝の場合、そこに、予想を覆すことが起こり、人々は笑いに包まれる。
 そして試合後。引退セレモニーを告げる「4番サード初芝」の声がグラウンドに響く。スポットライトを浴びた初芝は、マイクの前に立った。しかし、スピーチの音声を拾わない。マイクをあたふたと小突く初芝の姿が大型ビジョンに映し出されると、場内はこの日、二度目の笑いに包まれた。
「あの打席でデッドボールを食らうなんて……僕自身も自分らしいなって思った(笑)。昔、『プロ野球選手は怖くて近づきづらい』というファンの声が耳に入りました。僕は少しでもプロ野球選手に親しみをもってほしいと思ったから、できるだけ笑いをとるよう心がけてきた。だから、どんなときでもファンの人に笑ってもらえるのは嬉しいんですよ」
 日本シリーズ第1戦を翌々日に控えたマリンスタジアム。初芝は照れくさそうな笑顔を浮かべてそう話してくれた。

(中略)

 まずもってルックスからして初芝はプロ野球選手にあるまじき愛らしさがある。ベビーフェイスに悪意のないメガネ。ずんぐりむっくりとした体型に、“田吾作スタイル”と呼ばれたストッキングを目一杯引き上げた’80年代のスタイルは、商店街の草野球チームに紛れ込んでいても違和感はない。ファンは、近所の陽気なオッサンをからかうが如く、気軽に野次や声援を初芝に飛ばすことができた。
 また、初芝には彼の野球人生を彩る逸話が数々存在し、ファンの間で伝説のように語り継がれている。

・1995年の最終戦。本塁打を放ち、打率・3割を達成。さらに80打点というパ・リーグ史上最低の数字で打点王を獲得する。

・1996年から極度のスランプに陥るも、メガネを掛けたら復活。「あ〜、ボールってこういう風に見えるんだ」と目を丸くする。

・1999年、シドニー五輪アジア予選で古田、松中を抑え、なぜか日本の4番に指名される。

・2001年、床屋で「ブリーチでもします?」と勧められたが意味がわからず、「聞くのも悪いし」と了承。結果、いきなりド金髪になってOBの有藤氏を激怒させる。

・同年夏、甲子園に和歌山県の初芝橋本高校が出場を果たしたことを知ると「親近感が湧く」との理由で同僚の橋本と共に差し入れをする。

・2002年、米国のニュースで「マイケル・ジョーダンかプレスリーのような存在」と紹介されたイチローの写真が、何故か初芝になっていた。
 
 そして、初芝を語るうえで欠かせないのが、千葉マリン名物にもなった、ファールフライをあさっての方向に追いかけていく姿。珍プレー番組の定番にもなったこのお家芸は、全国に初芝清の名を知らしめる契機となった。

(中略)

 最後に初芝は今シーズンの印象的な場面として8月の本拠地9連戦、そしてプレーオフのソフトバンク戦をあげた。
 いつもなら試合前に、マシン打撃で調整を行う初芝は、「連戦だから体力を温存しようかなって甘い考えがあって」練習をサボった。8月9日の日本ハム戦。4−4で迎えた9回裏2アウト満塁、一打サヨナラの場面での代打。しかし、初芝は見送り三振を喫した。
「マサヒデ(小林雅英投手)と話したんですよ。やっぱり野球の神様はちゃんと見ているんだよな。当たり前だけど、サボっちゃダメだよなって。それからは、サボらずにバッティングの練習に打ち込むようにした。いつ代打で呼ばれても後悔のないようにね。
 プレーオフの最終戦、代打で呼ばれた僕が内野安打で塁に出れたのは、やっぱり野球の神様が見ていてくれたからだと思う。野球の神様が僕にご褒美をくれたんですよ、きっと」】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、「Number」のこの記事を読んだだけで、僕は初芝選手が大好きになってしまいました。イチローみたいに、求道者のイメージがあるスーパースターはもちろん素晴らしいのですが、この初芝選手の愛すべきキャラクターと真面目に野球に打ち込む姿勢は、すごく魅力的ですよね。いや、本人は「笑ってもらえればいい」と仰っておられますが、日本ハムの新庄選手のような「天性のカリスマ」なわけでもなく、本人が一生懸命やればやるほど、なぜか笑いを誘ってしまう、そんな感じの好人物。
 初芝選手がいままでに遺してきた成績は、ロッテ一筋17年間の現役生活で、生涯打率2割6分5厘、通算1525安打、232本塁打。これだけ長い間現役でやってきたことそのものが凄いのだとしても、まあ、そんなにびっくりするような、目立つ成績ではありません。いや、僕も今年のプレーオフで初芝選手を見て、「まだ現役だったんだな」と失礼ながら思ったくらいです。
 2勝2敗で迎えた、ソフトバンクとのパ・リーグのプレーオフ・セカンドステージの8回の表、1対2で劣勢だったロッテは、初芝選手を代打に送りました。僕はちょうどテレビを観ていて、この選手起用に「この大事な場面で、今年で引退するベテランの『記念打席』だなんて、バレンタイン監督も勝負を捨てるつもりなのかな」と思ったのです。でも、打席に立った初芝選手が放ったボテボテのサードゴロは、あまり速くない(というか遅い)足を飛ばして、一生懸命走った初芝選手の執念が実って内野安打になり、その1本の内野安打をきっかけに、ロッテはパ・リーグを制覇し、日本一にまで上り詰めたのです。
 派手なホームランとかでなく、ボテボテの内野安打。でも、あれは確かに、今年のプロ野球の大きなターニングポイントでした。本当に泥臭くてカッコ悪かったけど、初芝選手にふさわしい「野球の神様からのプレゼント」だったのですね、あれは。
 長年のロッテファンからすれば、「そんなら最初からメガネかけとけよ!」とか「その金髪、何なんだ…」とか、きっと、やきもきさせられる選手だったのではないでしょうか。それでもみんな、絶対に初芝選手を嫌いになれないのです。
 「雲の上のスーパースター」だけじゃない、こんな「親近感がわく」魅力的な選手がいるかぎり、日本の「プロ野球」も、まだまだ捨てたものじゃないのかもしれませんね。



2005年11月08日(火)
ビラを受け取ってくれない人

「しをんのしおり」(三浦しをん著・新潮文庫)より。

【一つの法則を発見した。
 ヴィトンのバッグを持っている女性は、街で配っているビラと決して受け取らない。いや、「古本屋のビラ」と限定したほうがいいのかもしれないが、とにかく彼女たちは絶対に手を出してこない。ここ二ヵ月ほどビラ配りをした結果の、法則発見である。
「古本屋でーす。安売りしてまーす」と言って、道行く人にビラを配るわけだが、一番もらってくれるのはオバサンだ。「安売り」という言葉に敏感に反応する彼女たちの姿を見ると、なんだかこちらが照れちゃうような、安心するような、そんな気持ちになる。
 反対に、もらってくれないのはアベック(死語)。その理由は、1、手をつないでいる。2、自分たちの世界に夢中。の二点にあるのではないかと推測する。しかし、そんなラブラブアベックをも上回り、「ビラをもらってくれない度」堂々ナンバーワンに輝くのが、ヴィトンのバッグを持った人なのだ。街にはこれほどヴィトンのバッグを持っている女性が大勢いるというのに、この二ヶ月間でビラをもらってくれたヴィトン保持者は、なんと一人もいない。
 ヴィトンじゃないバッグを持っている時には、ビラを受け取ることもあるのかな。それとも、ヴィトンを買うという選択をした時点で、「もう私は一生ビラは受け取らない」という決意が芽生えるのだろうか。たとえば中田(サッカー)は、ビラを受け取ってくれるかしら。】

〜〜〜〜〜〜〜

 うーん、中田選手は、あんまりビラとか、受け取ってくれなさそうな気がします。もちろん僕の勝手な想像ですが。芸能人でいうと、小池栄子とかは、ビラ配りの人を睨みつけたりしそうな感じ、安達祐美なら無視しそう。山口もえなら貰ってくれそうな気もするなあ。もちろんこれも、僕の想像なんですけど。
 僕はこのビラ配りの人というのがものすごく苦手で、この「眼の前にビラを差し出されるシーン」を想像するだけで、都会の繁華街に出ることをためらってしまうのです。あれは、僕みたいに気が弱くて、ええ格好しいの人間にとっては、ものすごく心臓に悪い。
 眼の前に差し出されたビラを周りの人が無視しているにもかかわらず、自分だけ受け取ってしまうと、なんだかとても自分が「気が弱く、ビラすら拒絶できない、悪質リフォームにもすぐ引っかかってしまいそうな人」であることがバレバレになってしまいそうな不安を感じる一方で、ちょっと可愛い女の子が寒空の下、けなげに(思い込み)誰ももらってくれないビラを配っているような状況に遭遇すると、まるで「マッチ売りの少女」に遭遇してしまったかのように、「ここは、僕が貰ってあげなくてはっ!」とか、つい考えてしまうこともあります。でも、実際のところ、ビラの多くは貰っても邪魔になるだけなんですよね。そもそも、僕にとって役に立ってくれるようなビラなんて、30年以上も生きていて、見たことがない。
 隣に女の子がいる状態(しをんさんが仰るところの「アベック状態」ですね)だと、ヘタにそんなビラを貰ってしまうと、「この人は、ああいうビラ配りすら断れない、心の弱い男なのか…」と値踏みされてしまうような気がして、あるいは「あの女の子に色目使ってるんじゃないの?」と誤解されるのではないかという危険も感じて、毅然として、そのビラを断ろうとするわけです。いや、気合を入れて貰わないようにしているというのは、それはそれで気疲れするし、傍からみたら「そんなに緊張しなくてもいいじゃない」という話になったりもするんですけどね、やれやれ。
 バカじゃない?配るほうは、あんたのことなんか、いちいち気にしてないよ!そう、すべては自意識過剰のなせるわざ、なのですよ。でも、ああいうのって、自分が通ったときだけ目の前に差し出されないと、それはそれで、なんだか悔しかったりしますよね。女性用エステのチラシであることを横目で確認して、ちょっと安心しているなんて、もうほんと、自分でもどうしようもないと思うのだけどさ。
 



2005年11月07日(月)
1967〜2005年のマリリン

2005年11月7日付の「日刊スポーツ」より。芸能担当・梅田恵子記者の本田美奈子.さんへの追悼のことばの一部です。

【本田さんの担当記者はみんな、彼女を「美奈子」と呼ぶ。取材対象者との適度な距離感を大切にするこの仕事では異例のことだ。「本田さんは…」と呼びかけると「美奈子でいいです」と笑顔で催促する。底抜けにフレンドリーな彼女の人柄に乗せられて、結局みんな「美奈子」と呼ぶようになる。彼女が望んだように、この原稿も「美奈子」と書かせてもらう。
 悪意や猜疑心とは無縁の人だった。食事会でも、初参加の私を気遣って隣に座り「おいしいね」と気を配る。「またこの店に来たい」と意見がまとまると、携帯電話も普及していない時代に、あっさり「ウチの電話番号は…」と教えてくる。社交辞令だと思っていたら、後日本当に電話がかかってきて面食らった。

(中略)

 前向きで、無類の頑張り屋だった。92年7月、ミュージカル「ミス・サイゴン」出演中に右足の指4本を骨折した。「大事な舞台に穴をあけた。お客さんに申し訳ない」。担当医も心配するほどのハイペースでリハビリをし、わずか28日で復帰した。3度の化学療法と臍帯血移植という過酷な治療も、あの美奈子だから耐えられたのだと思う。昨年11月に「本田美奈子.」に改名した。1画増えたせいで運気が変わったのだと周囲は案じたが「この病気も、歌手としてもっとはばたくためのハードル」と受け止め、元に戻そうとしなかった。
 アイドル歌手として曲がり角を迎えても、持ち前の頑張りと歌唱力でミュージカル、童謡、クラシックなどチャレンジの幅を広げていった。事務所社長が最後に聞いた言葉は「レコーディング頑張ろうね、ボス」。からだ全体で歌が好きな人だった。
 抗がん剤の副作用で髪が抜け、星模様がついたバンダナを巻いた美奈子の闘病写真を見た。不安で毎日泣いていたというのに、それを見る人が心配しないように、笑ってピースしていた。いろんな勇気をもらいました。ゆっくり眠ってください。】

〜〜〜〜〜〜〜

 とくに彼女のファンではなかった僕にとっても、本田美奈子.さんの訃報には、大きな衝撃を受けました。いや、不躾な話なのですが、「ザ・ベストテン」で彼女が音程を外していたシーンや、「ヘソ出しファッション」になんとなく居心地が悪そうだった親の顔や、彼女がミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションに合格したというニュースを聞いて、「けっ、客寄せに落ち目の元アイドルが主役か…真面目にミュージカルやってた人は、かわいそうだな…」と思ったことだとかを、なんだか急にいろいろ思い出してしまって。今から考えれば、本当に失礼な思い込みだったのですけど。
 梅田さんのことばの中には、いつも明るくて前向きだった美奈子さんの姿が浮き彫りにされていますが、傍からみていると、彼女の「芸能生活」は、けっして順風満帆な時期ばかりではなかったはずです。「アイドル歌手としての曲がり角」を迎えたあと、同じくらいの世代のアイドルたちが、過去の遺産で食いつないでいこうとするなか、「歌」にこだわり続けた彼女の姿は、むしろ壮絶なものですらあるのです。その一方で、この日刊スポーツの芸能面では、病に倒れる前の2004年の11月末のインタビューで、【「来年(2005年)は記念ツアーを予定しているんです。クラシックから演歌まで、もちろん『マリリン』もやりますよ」などと目を輝かせて語っていた】というエピソードが紹介されていて、「アイドル時代」とか「昔の曲」というのを嫌がるミュージシャンが多いなか、サービス精神旺盛で、こだわりのない人だったのだなあ、ということもうかがわれるのですが。
 僕はこの訃報を聞いて、記事での「本田美奈子.」さんの「.(ドット)」のことが少し気になっていたのです。彼女が病に倒れたのは、この「改名」の直後だったし、速報記事では、「.」がついてないものばかりだったので、きっと「縁起が悪いから」と外してしまったのだろうな、と思っていました。でも、美奈子さんは、この悲劇すら、プラスに考えようとしていたのですね…
 「本田美奈子.」さんは、享年38歳。あまりにも若すぎるし、御本人にも、やり残したことが、たくさんあっただろうと思います。それでも彼女は、多くの歌と、逆境に負けない生き方を、この世界に遺していきました。死して「永遠の歌姫」になるよりも、生きてひとりの歌手でいたかったのかもしれないけれど、あなたは、同世代の僕たちにとって、「本物」のマリリン・モンロー以上にマリリンでした。

 素晴らしい歌を、そして勇気を、本当にありがとう。



2005年11月06日(日)
「将棋プロ編入試験」が生み出す「残酷な希望」

読売新聞の記事より。

【61年ぶりに将棋界の重い扉を開いたのは35歳の会社員だった――。1944年以来の実施となった将棋プロの編入試験。アマ強豪で会社員の瀬川晶司さん(35)が6日、六番勝負で3勝目をあげ、プロ棋士四段の資格を獲得した。
 午後5時51分、対戦相手の高野秀行五段が投了を告げると、将棋の取材では異例ともいえる29社の取材陣が一斉に対局室になだれ込んだ。目を真っ赤にした瀬川さんは「まだ(プロ入りの)実感がわかない。勝ててうれしいです」と話すのがやっと。
 2勝2敗で臨んだ第5局。後手番となった瀬川さんが、得意の「中座飛車」戦法を採用。飛車角が飛び交う空中戦となり、形勢が二転三転した。慎重な棋風の瀬川さんは5局連続して秒読み将棋に追い込まれながらも、最終盤は的確な指し手を続け、プロの座を手中にした。
 終局後、記者会見した瀬川さんは、「今まではプロ試験にいつも追われている気持ちだったのでほっとした。温泉にでも行ってのんびりしたい」と話した。
 一方敗れた高野五段は「プロとしての責任を感じるが、精いっぱい指したので悔いはない」ときっぱり語った。
 将棋連盟に棋士の兼業を禁止する規定はないが、瀬川さんは現在勤務している会社を退職して将棋に専念することになりそうだ。
 試験規定によって、瀬川さんは名人戦の予選を除く9つの公式戦に参加できるが、今後10年間のうちに規定の成績を上げないと公式戦の参加資格を失う。】

〜〜〜〜〜〜〜

 瀬川さんは、14歳から26歳まで、唯一のプロ棋士養成機関である「奨励会」に所属してプロ棋士を目指していましたが、結局、夢破れてプロ棋士には届かず、大学の二部(夜間)を卒業し、30歳でコンピューター関連会社に就職されました。奨励会退会後は、アマチュアとして数々の大会で活躍し、プロ棋士との交流戦で17勝7敗という驚異的な戦績を残し、自ら将棋連盟に「挑戦状」を送り、今回、ついにプロへの門戸をこじ開けたのです。
 今までのプロ棋士の世界の「鉄の掟」を破る、この「特例措置」は、非常に大きな話題となりました。
 将棋連盟の米長邦雄会長は、「瀬川さんが買っても負けても、これだけ話題になれば、将棋連盟としては『勝ち』だな」と仰ったそうですが。
 そもそも、奨励会自体が、いわゆる「将棋エリート」の世界なのですけど、その会員のなかで、実際にプロになれるのは2割くらいなのだそうです。要するに、残りの8割は、26歳(あるいは、もっと若くして諦める人も多いのでしょうが)という若さで、プロへの道のりを絶たれてしまいます。なかには、今回の瀬川さんのような「晩成型」の成長過程をたどる人も少なくないでしょうから、考えてみれば、「26歳」という年齢制限というのは、理不尽極まりないような気がします。この話題を取り上げたニュースなどでも、そういう論調が多かったようですし。
 ただ、将棋連盟としては、今回の措置はあくまでも「特例」であり、今後「門戸開放」を積極的にしていくつもりはない、とコメントしています。いや、将棋界そのものの全体のパイはたぶん一定のものなのでしょうから、プロ棋士の数が増えすぎるというのは、或る意味、既得権益の低下につながり、「プロが多くなりすぎれば、食いっぱぐれる者も出てくる可能性がある」のですから、それは致し方ないことなのかもしれません。
 僕は今回の瀬川さんの「偉業」に大きな拍手を送りたいのですが、その一方で、この「偉業」は今後、たくさんの「悲劇」を生み出すのではないかという気もしているのです。
 今まで「プロ棋士」になるためには、「奨励会」経由でなければなりませんでしたし、26歳という年齢制限が大きな関門となっていました。しかし、今回のことを契機に「自由化」が広がっていくと、「可能性が残る」一方で、「可能性を捨てきれない」人が増えてしまうのではないかと思うのです。「26歳」というのは残酷な年齢制限のようですが、逆に、「26歳の若さなら、まだ、人生の方向転換ができる」という面もあるのですよね。若くしてプロ棋士への道が絶たれるのはものすごく辛いことでしょう。でも、ずっとその可能性にしがみついてしまって、プロにもなれず、諦めることもできない、宙ぶらりんの人生を送ってしまうことと、「無理やり諦めさせられること」のどちらが残酷かと考えると、僕は正直、「可能性が残されてしまうことのほうが、かえって残酷なこともあるのではないか?」と感じます。たぶん、瀬川さんのような「晩成型」の棋士は少なくないと思うのだけど、実際にそれが制度化されてしまえば、その「晩成型の才能」を拾い上げるために、多くの「自分を晩成型だと信じてしまう人」の屍の山をつくってしまうのではないか、と。
 将棋の世界は、「プロになれなくても将棋で食べていける」ようなものではないですし……野球などとは違って、「年齢の壁」みたいなものが比較的無さそうなイメージがあるのも、かえって「諦め切れない人」を増やしてしまいそう。
 「希望」というのは、もしかしたら、より深い絶望を連れてくるのかもしれません。光によって、闇の深さが際立ってしまうように。「夢を追って生きる幸せ」は、「夢を捨てきれない不幸」と背中合わせなのです。
 



2005年11月05日(土)
「思想の人」野村監督と「行動の人」星野監督

「野村ノート」(野村克也著・小学館)より。

【星野政権2年目に優勝したとき、用事があってオーナーに面会を求めたこおとがあった。ひととおり用件が終えたあと、
「やっぱりよかったですね。星野で正解でしたね」というと、こんなことをいわれた。
「野村くんと星野くんには決定的な違いがある。野村くんは詰めが甘いよ」
 私は「4番を獲ってくれ」「エースを獲ってくれ」と言うだけで、実際に誰を獲ってほしいのかもいわなければ、FA交渉に積極的に乗り出して選手を口説いたり、長嶋監督のように選手の家まで出向いて口説き落とすことなどしなかった。いや、できなかった。
 オーナーに「今の制度下でチームを強化するにはお金がいるんですよ」といいながら、「いくら出してほしい」「そのためには何億円いります」などといったことがない。
 外国人もせいぜいビデオを見るぐらいで、阪神監督の1年目などは、なぜなのかいまだに理由がわからないが、当時の球団社長や編成部長は獲得候補選手の名前さえ教えてくれなかった。私が知ることで何か不都合でもあるのか不満に思ったが、それでも監督権限で無理やり話させるようなことはしなかった。そういったことは監督の仕事ではなく、フロントの仕事だと思っていたのだ。
 だが星野監督は違う。金本を自ら口説き、そしてフロントに伊良部を獲らせ、自身の持つパイプでトレイ・ムーアら外国人を獲得し、さらにコーチ、選手などチームの3分の1近くを入れ替えた。私が指揮を執っていた阪神とはまったく別ものといってもいい阪神タイガースをつくりあげた。
 私が補強するために口を出したのは、赤星、藤本、沖原ら新人選手、それもドラフトの下位で獲れる選手ぐらいしかいない。
 野村は詰めが甘い。考えてみれば久万前オーナーの言葉は的を射ている。】

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 名将・野村克也監督が、自身の阪神監督時代のことと後任の星野監督について書いた文章の一部です。ちなみに、野村監督が3年で阪神の監督を辞任した際に、星野監督を後任に勧めたのは野村さん自身だったそうです。
 この本を読むと、野村さんという人は、野球というスポーツを本当にさまざまな角度から分析して、技術的・心理的に「どうすればより勝てる可能性が高くなるのか?」を追求していたということがよくわかります。ただ、ここで引用した文章には、野村さんの弱点が、赤裸々に明かされているのです。
 「思想の人」である野村さんには、一種の「甘さ」というか「優しさ」というのがあって、例えば選手を獲得するのはフロントの仕事だということで、自分が直接手をくだすものではないと考えていたり、「お金が要る」ということがわかっていても、その事実をオーナーに伝えるだけで、具体的な要求はされていなかったのだそうです。
 いや、御本人は「甘さ」と仰っておられますが、僕は、これって、野村さんの「照れ」なのかなあ、とも思うのですけど。
 天性の「野球理論家」である野村さんは、きっと、自分の「監督」としての才能に対する自信と周囲のスタッフのプライドなどを考えてしまい、なんとなく「この戦力でも、自分なら、なんとなかるんじゃないか」と思ってしまいがちだったのかもしれません。「勝ちたい」と口にしながら、「そんなにしゃかりきになって『勝ちにいく』姿をみせる」ということが、恥ずかしいという気持ちがあったのではないでしょうか。どうすれば勝てるかがわかっていたはずなのに、結局、野村さんがやったことを基盤にして「実際に勝ってみせた」のは、「行動の人」である、星野監督だったのです。
 星野監督のやったことは、本質的には「監督としての越権行為」だと言えなくもありません。「与えられた戦力で、いい結果を残すのが監督」だというのが野村さんの「監督観」であるとするならば、自分で動いて「戦力」そのものを直接アップすることによって結果を残すのが、星野流だったというわけです。ただし、この方法というのは、一時的には劇的な効果を示すことはあっても、周りのスタッフのレベルアップが難しく(だって、自分の仕事を奪われてしまうわけですから)、長期的にはマイナスになってしまうかもしれません。もちろん、あの時期の阪神というチームには、星野監督という「劇薬」は、うってつけの存在だったわけなのですが。

 この「野村ノート」を読んでいると、その理論の素晴らしさに感動すると同時に、人間というのは、うまくいかないものだなあ、と思うのです。もし、野村さんがあんなに愚痴っぽくてイヤミったらしくない人で、この素晴らしい理論を爽やかに多くの選手に説くことができていれば、とか、もし、「照れ」を捨てて、星野さんのように自分の「職責」を飛び越えてチームの編成にまで口出しできていれば、とか、つい考えてしまいます。
 そんなことは、たぶん、野村さん自身が、いちばんよくわかっているんでしょうけど、やっぱり、「わかっていてもできない」ものなのでしょうけれど。
 



2005年11月04日(金)
「美宝堂」のCMを、知っていますか?

「地球のはぐれ方」(東京するめクラブ(村上春樹・吉本由美・都築響一)著・文藝春秋)より。

(都築響一さんが、名古屋の有名な宝飾店・美宝堂を取材して、書かれた文章の一部です。)

【そんな美宝堂を一躍有名にしたのが、なんといってもテレビ・コマーシャルである。社長と孫がカメラに向かって語りかける素朴なスタイルは、すでに二十年近く続いているそうで、はじめは幼児だった孫も、いまでは大学生。名古屋人は美宝堂の孫の成長を、リアルタイムで目撃しつつ長年過ごしてきたわけだ。派手派手の衣装に身を包んだおじいさん(実は社長)と若者(実は孫)が、「買〜ってください、お願いします」「名古屋市清水口の美宝堂へどうぞ」と、セリフ棒読みで語りかけるCFは、すべての名古屋人のDNAに刷り込まれているといえよう。
 ちなみにCFはいっさいプロダクションや代理店を通さない、社内手作り。原案、演出、セリフ、絵コンテ、衣装まですべてを専務が手がけ、登場するのも関係者のみ。年間十パターンのCFを放映し、基本的には1パターン1.5ヵ月の放映期間だが、効果がなければ1〜2週間で新しいものに変えてしまうというフレキシブルなシステム。自社制作ならではの強みだ。「CMというのは会社のほんとうの姿をわかっていただくためのメッセージであると考えます。そのためには、会社のことをよくわかっているものが出演して、嘘偽りのない真実の言葉で話すことが当然です。会社のことをよく知らないタレントがいくら勧めても、意味のないことです」(同社ホームページより)という正論に、おしゃれ広告業界人たちは謙虚に耳を傾けていただきたいものである。こうした宣伝戦略によって、同社は一店舗あたりの売り上げ日本一の記録も達成しているのだ。】

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 たぶん名古屋の人にとっては「一般常識」なのだと思いますが、僕はこの「美宝堂」のこと、この文章を読んではじめて知りました。いや、おじいちゃんと孫が出てくるCMに関しては、どこかの「CMの裏話」みたいな番組で、観たような記憶もあるのですが…
 それにしても、このCMのコンセプト【「CMというのは会社のほんとうの姿をわかっていただくためのメッセージであると考えます。そのためには、会社のことをよくわかっているものが出演して、嘘偽りのない真実の言葉で話すことが当然です。会社のことをよく知らないタレントがいくら勧めても、意味のないことです」】というのは、まったくもって「正論」と言えば「正論」ですよね。確かに、いくら松浦亜弥がテレビの画面で美味しそうにお菓子を食べていても、それは彼女にとっては「仕事」なわけですから、「美味しそうに食べるのなんて、当たり前」ではあるわけです。まあ、ああいうのはまさにイメージの世界であって、「フィーノ」のCMには宮沢りえが出ているからこそ、世間の女性たちの購買意欲をそそるのであり、どんなにその商品を愛しているとしても、資生堂の無名の社員の人が出演していては、なんとなく「華がない」のも事実なのです。もしかしたら、それはそれで「使用前・使用後」みたいにやれば、評判になったりするのかもしれませんが。
 でもまあ、自分にもその商品にも直接関係のないタレントが勧めている、なんていうのは、考えてみれば、その商品の内容とは「全然関係ない」ですよね。にもかかわらず、そのCMのデキで、商品の売り上げにはものすごく影響があるわけですから、結局僕たちは、詳細な情報よりも、イメージで買い物をしている部分が大きいのでしょう。
 「イナバ物置」みたいに、視聴者へのアピールと同時に、CM出演の権利をかけて、営業の人たちが切磋琢磨している、なんていうケースもあるんですけどね。
 「美宝堂」の場合は、ありがちな社長の自己満足CMだったのに、長年続けることによって「ドラマ性」を持つようになった、稀有な例だとも言えるでしょう。

 ちなみにこの美宝堂には、【CFと同じくらい有名なのが、店の奥にある「100万円以上の品をお求めになる方だけをお入れするVIPルーム」。ごらんのとおり(注:原文には写真も載っています)、天井から壁、床、置物、絵画、電話、電卓、コンピュータにいたるまで、ことごとくが金一色! めくるめく豪華空間というか、名古屋に咲いた20世紀末のウルトラ・バロックというか、とにかく空前絶後の室内である。】という名物もあるそうです。なんだか、堅実なんだか派手好きなんだか、全然わかりません……

 



2005年11月03日(木)
ディスプレイの中の「劇場」

毎日新聞の記事より。

【静岡県伊豆の国市の県立高校1年の女子生徒(16)が母親(47)に劇薬のタリウムを飲ませたとして殺人未遂容疑で逮捕された事件で、女子生徒の自宅から押収されたパソコンの日記に、母親の入院後も病室でタリウムを飲ませたという記述があることが2日分かった。母親は入院後も体調が悪化し、意識不明に陥っていることなどから、県警は記述の信ぴょう性を慎重に調べている。また、県警は同日、少女を静岡地検沼津支部に送検した。
 これまでの調べでは、女子生徒はパソコンで克明な日記をつけていた。その一部を今年6月から10月中旬にかけて、インターネット上に開設した自分のブログ(日記風サイト)に転載していた。日記には、病状が変化していく母親を撮影した複数の写真もあった。県警は撮影に使用したとみられるデジタルカメラも押収している。
 少女の部屋にはタリウムなどの薬品のほか、理科実験用の器具もあった。また、動物の標本やハトの死がいなどに加え、家族らを連続して毒殺した英国犯罪史上有名なグレアム・ヤングに関する本も発見された。
 少女は「父親に親しみを感じていたが、母親は好きでも嫌いでもない」などと供述している。県警は少女がなぜ母親を狙ったのかについて、少女から話を聴くとともに、押収品を分析するなどして調べている。】

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 この事件のニュースを聞いて、僕は、こんなことを考えました。 
 さて、この16歳の女の子は、自分の「ブログ」を持っていなかったら、こんな恐ろしい行為を延々と続けることができたのだろうか?と。
 僕自身、こうして毎日ネット上に文章を書いていると、自分の行動に対して、一種の「客観的な視点」を持つようになってきました。例えば、何か日常生活において失敗をしたときに、それまでは、ただひたすらに「悲しい」とか「悔しい」という感情で満たされていたはずなのに、心のどこかに「さて、これをどうやって書こうかな」と、考えている自分がいるのです。こういうのを続けていると、「失敗に対してもポジティブな要素を見出せる」というメリットがある一方で、なんだか、自分のことすら他人事のように思えてくるんですよね……リアルでの出来事が、すべて「ネタ」に思えてくるような錯覚。
 もちろん、この手の「異常な犯罪」というのは、必ずしもネットがあるから起こるというものではなくて、19世紀後半には、ロンドンに「切り裂きジャック」と呼ばれる連続殺人犯が現れています。おそらく、そういう「犯罪的な性癖を有する人間」というのは、どんな社会にも存在していたのでしょう。石器時代にもいたのか?とか、その割合は、有史以来一定なのか?なんてことは、僕の知識の範囲ではなんとも言えないのですが。
 ただ僕は、この女の子の行動を持続させ、エスカレートさせていったのには、「ネットで発信すること」の影響もあるのかもしれないな、という気がするのです。
 ネット上で不倫とかを告白しているようなサイトを読んでいると、だんだん、「この人は、こうして『告白』するために不倫をやっているのではないか?」というふうに思えてくることってないですか?ドラマチックな人生をブログに書いているというよりは、ブログに書くために、無理矢理、自分の人生を「ドラマチック」なものにしてしまおうというような違和感が、そこにはあるのです。例に挙げるのは失礼ですが、まるで、柳美里さんの小説と人生のような。
 人間の「表現欲」みたいなものってキリがないのですけど、今までは、グリコ・森永事件の「かい人21面相」みたいに、新聞社に細心の注意を払って「脅迫状」を送りつけるなんてことをやらなければならなかったのに、現代では、誰でもネットを通じて「かい人21面相」になることができます。もっともこれは諸刃の剣で、普通のプロバイダー経由でブログを作っていれば、簡単に「足がつく」なんてことは自明の理なんですが。この女の子は、そんなことも考えずに「暴走」してしまうほど、歪みきってしまっていたのでしょうか。彼女が踊っている舞台は脆く、一度その奈落の底に落ちてしまえば、もう、二度と戻ってくることはできないのに…
 それにしても、いろんなサイトやブログが「祭り」で叩かれて、ちょっとでも問題があることを書いたらオシマイ、なんて恐れおののいているのだけれど、こういう事件が起こってみると、このネットという広い広い世界では、ちょっとくらい「問題がありそうな記述」があったって、そう簡単には、誰も気づいてはくれないんだな…と、あらためて感じました。
 ネットという「劇場」の闇は、まだまだ暗く、そして深いようです。



2005年11月02日(水)
本当は楽しくない「セレブ生活」

「日刊スポーツ」2005.10/23号のコラム「見た聞いた思った」より。

(このコラムは、日刊スポーツの10人の記者が、毎日交代で書かれているものです。永井孝昌記者が、サッカーの欧州チャンピオンズリーグの取材で、ドイツのミュンヘンに行かれたとき。試合直前に取材許可が下りたため、宿が見つからず、唯一見つけた5つ星ホテルの1泊4万円の部屋に泊まったときの話。)

【値踏みされたな、って実感した経験、ありますか。

(中略)

 当日。取材を終えてホテルに到着したのは、午前1時前だった。重厚な入り口の扉を開け、フワフワのカーペットの上をトランク引きずりながらフロントに向かうと、待っていたのは50歳ほどの、深夜にもかかわらず一切の乱れなく高級スーツを着こなしたコンシェルジュ。で、この人がオレを見る。とにかく見る。なめ回すようにオレを見る。ジャケット、時計、ズボンに靴。「今、ここを見てます」とはっきり分かるくらいあからさまに見る。あぁ、値踏みされてるな〜」と実感して立ち尽くしていると、いきなり高圧的な口ぶりで「名前は?」と言われたからカチン、ときた。
 「あなたは当ホテルにふさわしいお客さまではございません」といちいち感じさせるような口調と態度。頭に血が上った。「ポーターが必要か」という素っ気ない声をきっぱりと断って、部屋に入ると前夜は徹夜だったというのになかなか寝付けなかった。
 だが一夜明け、冷静になって気付く。「あなたはこのホテルでは快適に過ごせませんよ」と言っていたかのようなコンシェルジュの応対は、朝、ネクタイを、化粧をした紳士淑女ばかりに囲まれたレストランでの朝食ではっきりと感じた居心地の悪さをあらかじめ伝えていたのだと。値踏みしていたのは財布の余裕ではなく、心のゆとりなのだと。そこでは、4万円払えば4万円分の快適が約束されるわけではない。代価では手に入らない精神性と格式が、そこにはあった。
 代償を求める風潮。何かをすれば、それに見合うものが帰ってくるのが当然、という思考。その甘い認識にどっぷり漬かり、心の豊かさを失っていたのかもしれない。
 「あいさつされても、あいさつを返さない先輩とはいかがなものか」と嘆くのは、目上に対して敬意を表現するという、あいさつの持つ本来的な精神性を忘れていないか。「メシをおごってやったのに礼もない」と怒るのは、おごった相手が悪いのではなく、おごる相手を見誤った自分の眼力不足ではないか。「そう考えられないのが、今のあなたの器量ですよ」。気高きコンシェルジュに、そう教えられた気がした。】

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 値踏みされたな、って実感した経験、ありますか?
 例えば、今日は贅沢しようということで入った高級レストランで、マナーを意識して緊張することばかりで、肝心の食事をあまり楽しめず、「やっぱり、気軽に食べられるいつもの店のほうがいいね」なんて、ネクタイをゆるめながら話した経験を持っている人というのは、けっして少なくないと思います。もちろん、「高級」にもいろんな理由付けがあって、「とにかくお客を楽しませることに全力を尽します!」というタイプの「高級」もあるのかもしれませんが、僕の経験上、「一流」と自他共に認めている店というのは、お客の側にもある種の「覚悟」が求められることが多いようです。そう、どこで「値踏み」されるているかわからないから。
 テレビなどで、IT社長の「セレブ生活」の一部を目にして、ああ、あんな高級店をハシゴするような生活を送ってみたい!なんて思うこともあるのですが、実際にそういう生活をするには、お金があることは当然ながら、それと同時に、常にそれなりの緊張感を持つことが要求されるのですよね。
 毎晩有名人と高級店で会食、ともなれば、あんまりラフな格好もできないでしょうし、お酒に飲まれて醜態をさらすわけにもいきません。ましてや、「セレブなIT社長」というのは、「子どものころから、セレブ生活に慣れている人々」ではないでしょうから、そういう生活が続くのって、けっこう辛いのではないかと考えてしまいます。堀江さんのように、自分なりのスタイルを世間に周知させてしまえば、どうにかなるのかもしれませんけど。

 ここに1本の超高級ワインがあったとしましょう。ワイン通なら、全財産と引き換えにしてしてもいい、というほどの逸品です。でも、ワインの味がわからない僕にとっては、そのワインを口にするための、テイスティングとか、周りのワイン通のお洒落な薀蓄とか、どう飲んだらいいのだろうかというプレッシャーとか、とにかくいろんな煩わしいことがついてまわるそのワインを飲むくらいなら、気が合う人たちといつもの生ビールを飲むほうがよっぽどいい、ということになってしまいます。いや、「それでも、そのワインを自分は飲んでみたい」という人は多いのだろうし、それは別に、間違ったことではありませんが。

 誰でも一度は「職業を持たずに崇拝され、年間数千万円もお金をもらえる皇族はうらやましい」「いや、あんな制約の多い生活は不幸だ」なんていうことを話題にしたことがあるのではないでしょうか。
 皇族たちは、生まれてから「礼儀作法」に関する教育を受け続けているからまだしも、「成金」なんて呼ばれてしまう人たちにとっては、「上流生活」なんていうのは、けっこう辛いことも多いはずです。そして、そういう歪みみたいなものが、【4万円払えば4万円分の快適が約束されるわけではない。】ことに対して、「じゃあ、400万円ならどうだ!」というような行動に走らせるのでしょうか。
 たぶん、「銀のスプーンをくわえて生まれてきた人々」を除いては、セレブにはセレブなりのストレスがいろいろあるのでしょうし、「セレブ生活」なんて、実際にやってみたら、そんなに楽しくないのかもしれませんね。
 少なくとも、僕は「セレブ」には、向いていないよなあ……



2005年11月01日(火)
くりぃむしちゅーが語る『捨て身恋愛術』

「週刊SPA! 2005.10/25号」(扶桑社)の特集記事「男30歳『捨て身恋愛術』戦況報告」より。

(人気お笑い芸人・くりぃむしちゅーが語る、恋愛下手でも大丈夫。成功率を高める”捨て身”のコツとは……?というインタビュー記事)

【以前、バラエティ番組『くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ン』で、自身の恋愛術を披露した有田哲平氏、それは計算された”捨て身”のワザでもあった。
「好きになった相手とキスがしたいとき、『タバコを根っこまで吸って、灰が下に落ちなかったらキスをさせてくれ』と言うんです。普通に吸ったら灰は途中で落ちるんだけど、シャーペンの芯をあらかじめタバコに仕込んでおくと絶対に灰は落ちない。で、『君とキスがしたかったから、奇跡が起きたんだ』と言い、灰皿でタバコをもみ消すと芯の燃えカスも証拠隠滅できます。まぁ、姑息な手段ですけど(笑)」
 恋愛下手の人ならば、「キスをさせてくれ」と提案する段階で、すでに捨て身なのかもしれない。
「結局、捨て身のワザは紙一重。バラの花束を捧げるとか、一歩間違えれば笑い話になりかねない。もう、失笑を買うのは前提でいかなきゃいけないですよね。でも、大逆転できる可能性も秘めている。成功すれば、いきなりキスができるわけですから」
 とは言いつつも、「本気で惚れたら、考えすぎて『好き』と言い出せないことも多い」と嘆く有田氏。そんなとき、相方の上田晋也氏に相談するのだとか。
「恋愛に消極的なヤツが多くて腹が立つんですよね。じゃあお前は待ちの姿勢かと、待ってても来るわけねぇじゃねぇかお前みたいなヤツに、と思います。基本的に恋愛って”先行逃げ切り”が一番強い。”追い込み”ができるのは金持ちか男前だけです、だから、一番最初に捨て身でもなんでもとにかく『好き』って言う。7番目に言われてもピンとこないじゃないですか。でも、そんな自分が実は7番目の可能性だってある。それを『自分が一番最初』だと思い込むことが肝心なんです。あと、捨て身の恋愛術に大切なのは客観性。女のコと同じ目線で、『今どき、こんなことするヤツもいないよね』みたいな気持ちで、どっぷり感情こめてやっちゃうから、気持ち悪いって言われる」(上田氏)
 なるほど、有田氏曰く「恋愛では相方が師匠」という奇妙な関係は、しばらく続きそうだ。】

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 この上田さんの【じゃあお前は待ちの姿勢かと、待ってても来るわけねぇじゃねぇかお前みたいなヤツに、と思います。】というコメントは、僕にはかなり効きました。そう、そうなんだよ確かにその通り!競馬でも恋愛でも、「追い込み」っていうのは決まればカッコよく見えるけど、実際はよっぽど実力差があるか、展開に恵まれでもしないかぎり、”先行有利”に決まっているのです。「別れたタイミングを狙う」なんて「必勝法」を説く人もいますが、それじゃ所詮「他力本願」だしね。
 でも、そんなことはわかっていたとしても、「キスをさせてくれ」なんて、そんなに簡単に言えるわけもありません。待っているというよりは、先行したくても足が前に出ないんだよなあ。
 もちろん、そんな言い訳なんていいから、玉砕覚悟で前に出ろ、話はそれからだ!という意味なのは、わかっているんですけどねえ。
 僕のようなモテない男としては、「カッコ悪いやつが、自分から突撃していっても…」とウジウジと考え込んでしまうわけですけど、それは確かに、「ただでさえモテない上に、さらに自分を不利な状況にしている」には違いないのです。自分の「実力」が劣っているというのを本当に自覚していて、なんとか勝ちたいと本気で思っているのなら、「待ち」の姿勢なんて、ありえない話。
 相手が朝青龍にもかかわらず、立ち合いで「受け」にまわる十両の力士やディープインパクト相手に直線の同じところからスパートする弱小馬を見て、観衆はどう思うでしょうか?
 「それでも強い相手に勝つ可能性」を求めるなら、猫だましをやったり、立ち合いに変化をつけたり、大逃げをうってみたりするのが、当然の作戦のはずなのに……
 現実には、そんなことすらできないのが「ごく普通の雑魚」なんだというのは、同じ「雑魚」たる僕にはよくわかります。それこそ「自分が勝っちゃったらどうしよう…」なんて悩んだりするんですよね、本当にバカバカしい話ですけど。
 自分では、「横綱じゃないことを自覚している」はずなのに、実際にやっていることは、他人からみれば「横綱相撲」なんですよね。