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2005年08月31日(水)
「ヤンキー先生」が語る”いい先生”論

「週刊アスキー・2005.9.6号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。

(現在は北星学園余市高校を退職されて、横浜市の教育委員をされている、「ヤンキー先生」こと義家弘介さんとの対談の一部です。)

【進藤:北星学園余市高校(以下、北星余市)をお辞めになるまでには、誹謗中傷などもあって、たいへんだったとうかがっています。辞職を決意されたきっかけはなんだったんでしょうか。

義家:結局、私のことをめぐって教師集団が揺れたことですね。これはいつも言っていることなんですが、”いい先生”なんていないと思うんです。誰かにとって素晴らしい先生でも、その先生と相性が悪ければ、どうでもいい人にしかすぎない。

進藤:ふむふむ。

義家:みんなにとっていい先生になるよりも、いい教師の集団をつくっていくことが教育の核だと思うんです。でも気づいたら、自分の存在が、その集団を動揺させる原因になってしまっていて。あと、北星余市の教師集団に対する信頼もあったから、自分がいなくなっても大丈夫だろうという思いもありました。

進藤:揺れるきっかけは、義家さんの活動が本やドラマ、映画にもなり、全国的に注目を集めたこともあったからと報道されました。

義家:ただ、活動せざるをえない状況があったんです。’01年に北星余市の生徒79人が絡む”大麻事件”がありまして、それで生徒がまったく学校に来なくなってしまったんです。だから、母校である学校を守らなければという思いと、先生た生徒たちが、どんな思いで問題と向き合っていったのかを伝えるために。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「ヤンキー先生」こと、義家弘介先生。僕は正直、あの手のドラマに対しては、「そんなの、ヤンキー経由じゃなくて、地道にがんばっている『普通の先生』のほうが、はるかに立派なんじゃないか?」と言いたくなるのですが、この対談記事を読んで、彼に対するイメージがけっこう変わりました。
 まあ、途中のプロセスはさておき、「ヤンキー先生」は、「教育」というものに対してキチンとした自分の考えを持っているし、その一方で、先生という存在を客観的にみているところもあるのだなあ、と感心したのです。
 この手の「いい先生」って、「自分」を相手に押しつけたがる人が多いような気がしていたので。
 【”いい先生”なんていないと思うんです。誰かにとって素晴らしい先生でも、その先生と相性が悪ければ、どうでもいい人にしかすぎない。】という言葉に、同じように人間相手の仕事をしている僕は、深く頷きました。世の中には、「とにかくかまって欲しい」人もいれば、「なるべく放っておいて欲しい」人もいるし、しかも、そのどちらの人でも「放っておいて欲しい」と思うこともあれば「かまって欲しい」と思っていることもあるのです。怒られると萎縮してしまう人がいれば、しかられると相手の「熱意」に感動する人もいます。それこそ、ケースバイケースで、その相手ごとに自分のキャラクターを変えられればいいのかもしれませんが、現実的に、それをすべての人間に対して完全にやっていくのは不可能です。
 「ヤンキー先生」は、そういう現実に対して、【みんなにとっていい先生になるよりも、いい教師の集団をつくっていくことが教育の核だと思うんです。】と仰っています。確かにそうなんですよね。ひとりの何でもできる「スーパーマン」がいるより、それぞれがレベルアップして、お互いの不得意な部分をカバーしあっていくほうが、誰かが抜けたとしても「教育」の全体としてのレベルはずっと保たれていくし、生徒も「自分に合った先生」を見つけてしまえばいいわけです。
 そういえば、僕も高校時代、みんなが「いい先生」と言っていた先生となんとなく馬が合わず、気まずい関係だったことを思い出しました。客観的にみて、教育熱心で優秀な人で、面白い先生でもあったのですが、なんとなく僕にとっては煙たい存在だったんですよね。もちろん「気まずい」と言っても、僕は目立たない生徒で、先生も大人でしたから、お互いに罵り合ったりすることはなかったのですが。当時は、他の生徒の大部分が「あの先生はいい」と言っていただけに、僕は、その先生を素直に受け入れられない自分に不安を感じていたものでした。
 そういうのって、結局は「相性」だとしか、言いようがないのではないかと、今は考えているのですけど。
 残念ながら、教育や医療の現場では「相性が悪いからうまくいかない」という理由は、今のところなかなか受け入れられないようです。
 本当は「ひとりひとりがオールマイティーをめざす」より、「それぞれがレベルアップしつつ、情報を共有してお互いにサポートし合う」ほうが、はるかに確実な方法かもしれないのに。
 



2005年08月30日(火)
一般人とプロモデルの「美肌」意識の違い

「日経エンタテインメント!」2005年9月号(日経BP社)の記事「一般人vsプロ 美のテクニック十番勝負〜芸能人・モデルはなぜキレイ?」より。

【(1)美肌のために心がけていることは?
一般人:化粧品に気を使う
プロ:睡眠時間をたっぷりとる

 シリアルメーカーのケロッグがOLを中心に「美肌と食生活」に関するインターネット調査を実施したところ、「女性の美しさに必要なもの」のトップは「肌の美しさ」だった。プロのモデルを対象とした調査でも同様の結果となり、一般人、モデルともに「美肌」への関心が高いことがわかった。
 しかしながら、「美しい肌をつくるために心がけていること」の項目で、両者に大きな違いが出た。
 OLのトップは、「化粧品に気を使う」で全体の74.6%。一方、プロのモデルは「睡眠時間をたっぷりとる」が最も多く70.5%、「化粧品に気を使う」は、43.8%で半数以下の結果となった。また、OLは「ビタミン・ミネラル等の栄養バランスを考えた食生活にする」(OL50.8%、モデル61.0%といった食生活に関する項目で、モデルよりも数字が低い。
 一般女性が肌を「外側」からなんとかしようとがんばっている一方で、プロのモデルたちは「内側」からケアすることに目を向けているのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、この調査でのOLとプロモデルの「美肌のための心がけ」のそれぞれのベスト3は、

<OL>
第1位:化粧品に気を使う(74.6%)
第2位:睡眠時間をたっぷりとる(52.6%)
第3位:便秘にならないようにする(51.9%)

<プロモデル>
第1位:睡眠時間をたっぷりとる(70.5%)
第2位:ビタミン・ミネラル等の栄養バランスを考えた食生活(61.0%)
第3位:便秘にならないようにする(51.4%)

 以上のようになっています。プロモデルほどではなくても、一般のOLさんたちも、「美肌のために」なるべく睡眠をとったりしているんですね。ネットは、まさに「美肌の大敵」といったところでしょうか。

 ところで、男の立場からすると意外に感じられるのは、女性にとって【女性の美しさに必要なもの」のトップは「肌の美しさ」】なのだということでした。まあ、これにはアンケートとる側に、ある種の作為があった可能性もありますが、男が「造型」にこだわりがちのなのに比べて、女性はディテールにこだわっている、ということなのでしょうか。
 それにしても、ここに書かれている「一般人」と「プロ」の意識の持ち方の違いというのは、何も「美肌」に限らず、いろんなことにあてはあるような気がするのです。
 普通の人は、「自分はちゃんとこだわっている」つもりで、高価な「自分を磨くアイテム」を購入しようとするけれど、専門家の目からすれば、「そんなことよりも、ちゃんと睡眠をとるほうが大事」なんですよね、きっと。そのほうが、お金もかからないし確実なはずなのに、結局みんな「簡単にキレイになれる」という幻想にとりつかれて、かえってまわり道をしてしまうのです。こういうのって、ダイエット食品や健康食品、「頭がよくなる勉強方」なんていうのにもあてはまるはず。
 いやほんと「内側」からケアするって、大事なことなんだよね、きっと。

 と、これを夜遅くに書いている僕が言っても、説得力ゼロなんですけど……
 



2005年08月29日(月)
ヒョードルは、「電車男」だった!

日刊スポーツの1面、「PRIDE29」の結果を伝える記事の一部、エメリヤ−エンコ・ヒョードル選手の人となりを伝えるコラムです。

【人類60億最強の男は、アキバ系だった!? ヒョードルは来日すると、必ず東京・秋葉原に立ち寄る。ガイド役のDSE社員によると、宿舎ホテルのある新宿から普通に電車に乗って行く。秋葉原デパート1階にあるお気に入りの食堂で焼きそばをつまみにビールを1杯。トイレを探すDSE社員に「2階だよ」と教えるほどで、街の中も知り尽くしていて細い道もスイスイ。電化製品だけでなく、お土産を安く売っている行きつけの店もある。万華鏡を勧めると「もう持ってる」と断られるほど。店を見て回るのが楽しいらしく、完全な「秋葉原オタク」だ。
 「オタク検定試験」が話題になったが、暗いイメージより1つのことをとことん突き詰める強みが注目されている。ヒョードルもオタクの資質があるからこそ自分の腕力に慢心することなく、勝利のための練習、戦略に徹底的な準備ができるのかもしれない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 昨日の「PRIDE29」で、ミルコ・クロコップ選手を降して、まさに「人類最強の男」となったヒョードル選手なのですが、プライベートには、こんな一面もあるんですね。まあ、とくに「オタク」というよりは、海外から日本に来る外国人にとっては、秋葉原というのは魅力的な街で、観光や買い物に訪れる人の数はものすごく多いようですが。確かに、ロシアには、秋葉原のような「品物が豊富なショッピングの街」は、あんまりなさそうですし。それにしても、あのヒョードルが、「電車で秋葉原に行って」「焼きそばをつまみにビールを1杯」なんて姿はちょっと想像しにくいですよね。万が一そんな姿をみかけても、気軽に声はかけづらいだろうしなあ。
 先日の「トリビアの泉」での「アキバ男は、絡まれている女性を助けるのか?」という実験で、メイドカフェに行こうとしていたヒョードルが被験者になったりしていたら、それはそれで面白そうなのですが(絡む役の男性は、かなり悲惨な目に遭いそうだけど)。
 それにしても、こういう格闘家というのも、「オタク的」であることは間違いないですよね。彼らの「強くなる」「相手を倒す」という目的に対するストイックさというのは、やっぱり常人にはそう簡単にはマネできないところでしょう。普通の人間が「まあ、このくらい鍛えればいいだろう」と思うようなところから、苦しいトレーニングに耐えてさらにレベルアップしていくためには、強迫観念的なものが必要になりそうだし。何の世界でも、頂点を極めるような人というのは、「オタク的な、ある種異常なまでの探究心」というのを持っていることが多いのです。偉大な学者は「研究オタク」だし、サッカー日本代表だって、「サッカーオタク」がほとんどのはずです。結局は、そのジャンルが、世間に認知されていたり、世の中で役に立っているかというだけの違い。
 まあ、「一芸を極めた人には、オタク的な要素がある」のは確かだとしても、「オタク的な人」が、必ずしも一芸を極めているとは限らない、というのが現実なんですけどね。



2005年08月28日(日)
隣席の「気になるふたり」

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年9月号の連載エッセイ「もしもし、運命の人ですか。」(穂村弘著)より。

【喫茶店などで、隣席のカップルの様子に興味をもつことはあまりない。彼らがラブラブだろうとリラックスしていようと退屈していようと、私には関係がないのだ。ところが、ふたりがなんとなく険悪な雰囲気というか、喧嘩っぽいっモードになっていると、急に気になり始める。
 何を怒ってるの。うんうん。うわ、そんなことしたんだ。恋人の妹にちょっかい出すなんて。最悪。うんうん、でも、ちょっとわかるかも。姉妹といっぺんにつきあうなんてどきどきするじゃん。彼女ももうちょっと落ち着いて話をきいてくれればいいのにね。本当に好きなのはおまえだけだ、って云った方がいいよ、などと心のなかで双方にランダムな相槌をうちながら、さらに詳しい状況を把握するために聞き耳をたてる。
 男女がふつうに話しているだけで、そのような喧嘩モードと同じくらいこちらの興味を引くケースもある。それはふたりが敬語で喋っている場合だ。明らかに仕事上の打ち合わせなら、ああ、そうかと思ってすぐに納得する。だが、プライベートな関係らしいのに、お互いにどこかぎくしゃくした敬語を使っていると、なんだか気になってくる。
 そう、敬語のふたりはまだ男女の関係性の着地点を見出していないのだ、まだやっていない男女には独特のオーラというか、緊張感がある。そのスリルが観客(私のこと)の気持ちを惹きつける。どの辺りに関係性を着地させたいかについての、男女の意図と駆け引きに興味があるのだ。着地点は果たしてどこになるのか、自分なりに予測したくなる。】

〜〜〜〜〜〜〜〜

 たとえば、レストランなどで、近くの席にカップルが座っていたとします。ここで穂村さんが書かれているように、「恋人同士」の場合には、そんなにその2人のことは、気にならないんですよね。そりゃあ、あまりにベタベタ、いちゃいちゃしていれば、「よくこんなところで、そんなにベタベタできるようなあ、まったくもう…」なんて、あきれ返ったりはするのですが、そういうカップルへの興味というのは、すぐに失われてしまうような気がするのです。
 その一方で、確かに「お互いに敬語(あるいは、丁寧語、くらいの場合もありますが)で喋りあっているカップル」というのは、なんだか、すごく気になりますよね。「いったい、このふたりは、どういう関係なんだろう?」って。自分たちのテーブルのことはそっちのけで、ふたりの間に流れる微妙な空気というやつを探ってみたりするわけです。
 たとえば、ふたりが仕事の話とか共通の友人の話をしたりしていれば、「友達」なんだろうか、とも思うのですが、逆に「純粋な友達」なのに、男女が敬語で喋りあうという状況は考えにくいし、世を忍ぶ不倫カップルなどでもなければ、恋人同士なのに敬語を使いあうなんていうことは、あまりないように思われます。なんだか、すごく微妙な関係。
 実際のところ、「敬語」を使うのには大きく分けて2つの理由があって、ひとつは言葉どおり「尊敬」をあらわしている場合、そして、もうひとつは、「遠慮」している場合です。そして、後者の「遠慮」というのは、ある意味「敬して遠ざく」というか、「距離をある程度とって様子をみている、警戒している」という状態でもあるのです。まあ、この両者は、並立している場合もあるのですけど。
 だから、そういう「男女間で敬語」というのは、「尊敬する上司や先輩と食事に来られてうれしい」という状態か、「どちらかが(たいがいは女性のようですが)、内心嫌がっているにもかかわらず、相手が断れない人(上司とか)なので、付き合わされて一緒にここにいる」という状態か、というのが、一般的なパターンだと思われます。まあ、傍目八目というか、第三者として聞いていればその「敬語のニュアンス」は、ものすごく伝わってくるのですが、当事者のほうは、いい気分で延々と説教とか自慢話とかしていたりするものなんですよね。
 ああ、もういい加減に解放してあげろよ!とか、心の中で憤ってみたり
、そんなミエミエの口説き文句に引っかかっちゃダメだよお嬢さん、とか、心配してみたり。
 
 まあ、そういう「微妙な敬語の時期」っていうのは、当事者にとっては、けっこうドキドキして楽しいものなかもしれないけど、周りにとっては、けっこう気になるものなのです。
 所詮、店を出てしまえば、きれいさっぱり忘れてしまう程度の「興味」ではあるのですけど。



2005年08月26日(金)
驚愕の「涙そうそう巻」

「ファミコン通信 2005/8/19号」(エンターブレイン)の「みずしな孝之のいい電子(314)」より。

【サイン会後の打ち上げは寿司!米どころであり、港のある新潟では、ベトチョイスと思われ!

(ガラガラガラ)「らっしゃーい!!」

ギャグ寿司の店に入ってしまい、これ以上ないバッドチョイス。

・寿司マリーナ
・軍艦ポチョムキン
・み寿司ま新司
・さかい巻
・巻くろうど

えーと…じゃあ、叶姉妹巻き…

「あい!叶一丁!」

「見た目がゴージャスな叶姉妹巻きです!」
(イクラ・ウニ・トロ・金箔)

その他にも「ホールインワン巻」(グリーンにみたてたシソの中にタマ(ゴ)焼、「軍艦ヤンキース」(焼ナス・松の実)など、大爆笑必至のギャグ寿司を御披露(味はふつう)。

沖縄料理好きな僕は、なんとなく「涙そうそう巻」を注文。でも、これのどこが涙そうそう?(具が見えない)


中身が全部ワサビ寿司…】

〜〜〜〜〜〜〜

 この話を読むと、「アボガドでカリフォルニア・ロールなんて、気持ち悪い!」なんて言っていた昔の僕は、いったい何だったんだろうなあ、と思います。いや、「カリフォルニア・ロール」って、新鮮な材料で作れば、けっこう美味しいんですけどね。
 それにしても、僕がはじめて寿司屋に足を踏み入れた二十数年前に比べたら、「巻き物」の種類というのは、だいぶ増えたような気がします。
 「巻き寿司」「鉄火巻」「かっぱ巻」「新香巻」「納豆巻」などの定番は生き残っているのですが、「エビフライ巻」とか「サラダ巻」なんて、昔はものめずらしかったのに、今ではけっこうスタンダードなメニューになっているのです。さきほど挙げた「カリフォルニア巻」みたいな「輸入物」もけっこうありますし。最初に見たときは、「シーチキン巻」ですら、「邪道だ!」と思ったのになあ。
 しかしながら、こういう「ギャグ系の食べ物屋」って、店主のほうはいい気分で「面白いでしょう!」なんて料理を出してくれるのですが、食べる側としては、ちょっと引いてしまうようなときもあるのです。店にひとつやふたつくらい、こういう「面白メニュー」があるのはいいとしても、この店みたいに「あからさまに狙っている店」というのは、「危険だなあ…」と感じてしまうんですよね。珍しいものが、必ずしも美味しいとは限らないし、イクラとウニとトロを一度に巻くより、別々のほうがいいよなあ、と思う人は少なくないはず。まあ、僕が基本的に、食べ物に対して「保守的」であるという面はあるとしても。
 ところで、この「涙そうそう巻」って、最初に読んだときには「こんなのありえねえ!」と感じたのですが、実際にこういう「ワサビ巻き」っていうメニューがある寿司屋もけっこうあるようなのです。「ワサビと海苔とシャリの味がわかる」とかいって、通が注文するのだとか。
 なんだか、居酒屋チェーン店の「ロシアンたこ焼き」(8個くらいのたこ焼きの中に、1個だけタコの代わりにワサビが入っているメニュー。もっぱらパーティーゲーム用)みたいなんですけどねえ。まあ、確かに「涙そうそう」になりますよね、これは。



2005年08月25日(木)
ジョン・レノン vs 物質文明

「我が妻との闘争」(呉エイジ著・アスキー)より。

【かのジョン・レノンは、息子のショーンに、いかにも彼らしいしつけをしたそうだ。
 ショーンがある日、おもちゃを欲しがった。ジョンはお金持ちだからすぐに買ってくる。ショーンはおもちゃに飽きて、新しいおもちゃをせがむ。ジョンはまた買ってくる。そしてだんだん飽きるスピードが速くなっていったある日、ショーンが自室のドアを開けると、そこにはおもちゃが部屋いっぱいに山積みされていた。なんと、ジョンはおもちゃ屋を一軒買い取ったのである!
 おもちゃの山を見たショーンは、物質文明の不毛を見抜いた。それからはおもちゃをねだることもなくなり、海に行って貝を大切にしたりするような子になったそうだ。
 このエピソードを聞いた私は、「私もジョンのような父親が欲しい」と、なーんもわかっとらん受け止め方しかできず、教訓にもならなかったのだが……
 それにしてもさすがはジョン・レノン。やることが豪快である。しかしながら、彼の息子でも何でもない私はまったくもって物質文明の虜である。「消費文化に流されてはイカン。大切なのは『心』だ」と思いつつも、浮いたお金は「モノに換えておこう」の心理が働いてしまう悲しい性……。】

〜〜〜〜〜〜〜

 このジョン・レノン親子のエピソードには、僕も感動してしまいました。愛する息子に「物質文明の不毛さ」を教えるために、お説教や叱責ではなく、ごく自然に、息子が自ら悟るようにお膳立てをしたジョン!そして、それに応えたショーン!ああ、なんてすばらしい親子関係!!

 …なわけないだろ!
 よほどの「信者」でもない限り、このエピソードを素直に「美談」として受け入れられる人は、少ないように僕には思えます。まあ、一般的な生活レベルの親達は、いくら「教育」のためだからといって、「おもちゃ屋を一軒買い取る」なんてことはできませんし。
 そもそも、「おもちゃ屋のおもちゃが全部入る部屋」って、いったいどんな部屋なんだろう…?しかも、相手は子どもなのに。
 「教育」というよりは、「どっきりカメラ」に属するのではないか、とすら思うんですけどね。ジョンの方だって、ショーンはどんなリアクションをするのかな」とワクワクしていたのではないでしょうか。
 
 確かに、これはひとつの「方法」ではあるんですよね。欲望なんていうのは行き着いてしまうと、かえってむなしくなってしまう場合も多いのだろうし。それこそ「結婚する前に遊びつくしておいたから大丈夫」みたいな胡散臭さも無きにしもあらず、なのですが。
 でも、「今度は、このキレイな貝が獲れる海を自分のものに!」とか、果てしなく野望が広がっていくとか、そういうことってないのかなあ。

 お願いだから、誰かこういう方法で、一度でいいから僕にも「物質文明の不毛」を教えてほしいものだ、とか考えてしまいます。なんでも手に入る人生というのは、それはそれでつまらないものなのかもしれないけど。
 だから「心」が大事だとかいうことで、新興宗教にハマってしまうというのも、またそれはそれで不毛だし。

 たとえばビル・ゲイツさんとかは、何が楽しみで生きているのだろう?



2005年08月24日(水)
「1万円カレー」と、1億円でも食べられないカレー

毎日新聞の記事より。

【1杯1万円のカレーライスが9月、「横濱カレーミュージアム」(横浜市)で発売される。米沢牛や北海道・十勝の玉ネギ、スパイス40種類を使うなど、食材にこだわった。通信販売も行う。
 「究極の萬カレー」と名づけたカレーは、同ミュージアムが4月ごろから最高級品を作ろうと準備を開始。食材は肉だけでなく、米は山梨県の武川米、ニンジンは群馬産、セロリは長野産と最上級品ばかりを集め、スパイスも10カ国以上のものを使用。その結果、値段が跳ね上がった。「スパイスを豊富に使っているのに、上品なコクを楽しめる味に仕上がった」という。
 1日から30日まで提供するが、2日前までの予約が必要。また、小学館の雑誌「ダイム」のホームページを通じて1日から15日まで、限定1000食で通信販売の申し込みを受け付ける。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこの年になってもカレーが大好きで、「味覚がオコサマ」なんて、いつもバカにされてしまうのですが、僕がまだ子供だった20年以上前に比べると、「カレー」という食べ物の性格は、ずいぶん変わってしまったような気がします。
 僕が子供のころ、もっとも馴染み深かったカレーは、あの西城秀樹がCMをやっていた「リンゴとハチミツ入り」の「ハウスバーモントカレー」でした。ときどき友達の家に遊びに行ったときに出てくる「ジャワカレー」なんていうのもそれはそれで大人の味っぽくて新鮮ではあったのですけど、やっぱりバーモントカレーが「定番」。僕の好みに合わせて、ジャガイモがたくさん入って、ニンジン少なめのカレーは、最高のごちそうだったのです。
 「なんでカレーなのに、リンゴとかハチミツなんて入ってるの?気持ち悪いなあ」とか、子供心に考えていたりもしたんですけどね。
 そして、同じ「バーモントカレー」でも、家によって微妙に味が違っていたような気もします。
 僕が一人暮らしをするようになったころには、カレーライスは「日常の食事」になりました。もちろん、今みたいに専門店がたくさんあるわけではないので、家で食べていたカレーの仲間みたいなものを学食とか定食屋、あるいは家でレトルトカレー、というパターンが多かったのですけど。
 最近では、Coco壱番屋などのカレー専門店でカレーを食べる機会が増えましたが、「本格的でスパイスが効いたカレー」というのは、美味しいと思う一方で、正直、ちょっと胃が痛くなったり、食べ飽きたりもするのです。「本格的なインドカレー」なんていうのは、僕にとっては「ごくたまに食べれば満足な食べ物」であり、僕の中の「カレー」とは、違ったポジションにあるのですが、家で昔食べていたような「昔ながらのドロリとしたカレー」というのは、30過ぎの独身男にとっては、なかなか「近くて遠い味」だったりするのです。
 なんでも「おふくろの味」なんてことを言うのは、なんだか情けないように思えるけれど、ことカレーに関しては、僕にとってのナンバーワンというのは、やっぱり、母親が作ってくれた、何の変哲もない「バーモントカレー」なんですよね。本当に、作る側ですら「またカレーでいいの?」なんて、あきれながら作ってくれていたっけ。
 僕はこの記事を読んでいて、この1万円のカレーも悪くないけれど、それよりも、もう一度でいいから、母親が作ったカレーをおなかいっぱい食べたいものだな、と思っていました。
 今はもう、1億円積んだって、母親の作ったカレーを食べることはできないのですけれども。
 失って初めてわかる、最高のカレーの味。

 



2005年08月23日(火)
僕の思う優しさには、どこかうそがある。

佐賀新聞のコラム「本へのいざない(11)」で、みうらじゅんさんが、松本清張さんの「ゼロの焦点」について書かれた文章の一部。

【一人っ子で両親の愛情を一身に受け、何の不幸なこともなくヌクヌクと育った僕は、楽しく陽気な人間になれたけれど、他人の気持ち、特に弱者の痛みが分からずにきた。みんな、自分と同じと思い込んでいたからだ。
 世間知らずと言われればそれまでだが、僕の思う優しさには、どこかうそがある。僕もまた、その優しさを問われるのが怖くて、必死でその話題を避けてきたように思う。
 何もかも、うまくいっている状態が正しくて、自分の力ではどうすることも出来ない不幸な状態は運命であり、決して僕には起こらないものだ、と信じて生きてきた。
 他人の身になってものを考える。これが優しさの起源なのに、僕はいつだって、他人とどうかかわるかについてばかり考えてきたように思う。

(中略)

 出来ることなら、優しい人間でいたい。そのためには、弱者の気持ちに少しでもなれる訓練をしなければならない。人間の犯す罪の裏に、どれだけの悲しみがあるのか、それを僕は、松本清張から学んだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 イラストレイター、エッセイスト(なんてわざわざ書かなくても、たぶん「知っている人は知っている」と思うのですけど)、みうらじゅんさんが書かれた文章です。
 「相手の身になって、ものを考えましょう」というのは、それこそ、小学生時代から言われる「優しさの秘訣」ですし、そんなこと、みんな知っているはず。でも、この文章を読んであらためて考えてみると、僕は「いかに相手の身になって考えるか」ではなくて、「いかに相手の身になって考えているように、相手(あるいは周りの人)に思わせるか」を、ずっと計算し続けてきたような気がするのです。
 僕の「優しさ」というのは、結局「誰にも後ろ指をさされたくないから、優しい態度をとってみせる」というだけのもので、それこそ「偽善」だったのではないかと思うのだけれど、でも、やっぱり誰かにそれをあらためて指摘されれば、とても悲しくてつらかったと思います。だったら、どうすればいいのか、所詮、僕は僕以外の何者にもなれないじゃないか、と。
 結局、「優しいこと」じゃなくて「優しく見えること」を選んでしまっているだけなのだ、なんてこと、心の中ではわかっていたはずなのにね。
 僕もそれなりに普通の人生をすごしてきましたから、それこそ、「どんなにがんばっても報われない状況というのがあるのだということもわかりますし、そういう壁が僕の目の前にあらわれることがあるというのも、頭では理解しているつもりです。
 でも、その一方で、たぶん、【自分の力ではどうすることも出来ない不幸な状態は運命であり、決して僕には起こらないものだ、と信じて生きてきた】のです。生きるというのは、知らず知らずのうちに、そんなロシアンルーレットの引き金を日日引き続けているのかもしれません。そして、弾が出てはじめて、自分が握っていたものが拳銃だったということに気がつく。
 本当に「優しくなる」というのは、難しいことですね。「偽善」でも、それで助かる人がいるならば、それはそれで無価値なものではないのかもしれないしさ。
 「うそのない優しさ」って、いったい、どこにあるのだろうか?



2005年08月22日(月)
「全国高等学校演劇大会」の閉会式での悲劇

「週間SPA!2005.8/16,23号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・531」より。

(鴻上さんが「全国高等学校演劇大会」の審査員を務められて考えたこと)

【閉会式で、最優秀校1校と、優秀校3校が発表になるのですが、会場を埋めた高校生たちは、演劇部ごとに集まり、発表の瞬間、祈るような気持ちで待っています。実際に、両手を合わせて祈っている生徒もたくさんいます。
 そして、作品名が読み上げられた瞬間、悲鳴のような歓声が上がるのです。僕は、全国大会の審査員をするのは、今回で2回目なんですが、この瞬間は、いつも、厳粛な気持ちになります。
 ぶっちゃけていえば、もらい泣きしそうになります。
 数十名の演劇部員が、いっせいに歓声というか悲鳴というか雄叫びを上げるのです。そして、次の瞬間は、お互いの肩を抱き合って、喜び合うのです。ただし、閉会式の最中ですから、みんな、ぐっと自分を抑えています。席に座ったまま、隣同士、握手をして、肩を抱き合い、泣きながら喜び合うのです。
 今回、発表の直前に、あっと思うことがありました。
 新聞やテレビのマスコミは、事前に、最優秀校を知らされています。たぶん、喜びの瞬間を撮りたいという要求なのかもしれません。
 結果、発表の直前に、その生徒たちの前に、カメラマンが集まり、テレビカメラも向いているのです。そして、カメラマンは生徒の間近で構えているのです。
 カメラを向けられた生徒は、もう興奮しています。そして、そのことに気づいた他の学校の生徒達は、一瞬、嫌な予感に顔を曇らせるのです。
 困ったことですが、ことはそう、単純ではありません。
 喜びの声を上げる感動的な表情を撮ることは、大会の感動と喜びを伝えます。そうすることで、2500校以上の高校が参加しているわりには、知名度の低い『全国高等学校演劇大会』を知らせることが可能になります。
 会長さんが、スピーチで、
「顧問の先生方、日頃の活動、ご苦労さまです。どんなに努力しても『好きでやってるんでしょ?』としか言われない苦労、よく分かります」と話されていました。
 演劇部の顧問は、「新卒の先生か、転任してきたばっかりの先生」に押しつけられるのがパターンだそうです。その中で、一生懸命やっている人は、「変わり者」とか「好き物(?)」と言われるのだそうです。
 なので、マスコミの報道は、理解の向上のためにとても必要なのですが(今回の最優秀・優秀の4校は、8月29日NHKのBS2で放送されます。どれも名作です)、それでも、困ったものだなあ、なんとかならないのかなあ、と思うのです。せめて、一台のカメラは、ダミーで別な方向を向いているとか、ニセモノのカメラマンを別な場所に立たせるとか、出来ないのかと思うのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、今回の最優秀作品は、こんな作品だったそうです。

 ここで書かれている鴻上さんの感慨に対して、読んでいる僕も「なんとかならないものかなあ」と思いました。いやまあ、実際にその場にいる演技者たちは、自分たちの作品の優劣を敏感に感じ取って、「いけるはず!」とか「今回は厳しいかな…」とか、ある程度の「予想」はできているのだとしても、せっかくのクライマックスに「一縷の望み」すら持てないような「暗黙の通告」がなされているとしたら、それはとても悲しいことですよね。
 スポーツの試合であれば、勝敗というのは現場で決まるわけですから、表彰式のときには「決着はついている状況」なのでしょうが、こういう「他者の評価で順番がついてしまうもの」の場合、その発表の瞬間まで「勝負はついていない」はずなのに。
 ただ、運営側からすれば、こうして事前に結果を知らせておいて、「感動の場面」を撮るというのは、この「全国高等学校演劇大会」を世間にアピールするためには「必要なこと」ではあるのですよね、たぶん。その場面に引き寄せられて演劇を始めようとする新入生だって、きっといるのでしょうし、何より、2500校も参加しているわりには地味な大会を世間にアピールするには、その「感動の場面」は、格好の題材になるはずです。
 各校ごとにカメラが密着でもしていれば、「最後まで希望が持てる」のかもしれませんが、実際、こういう「世間一般の関心がそれほど高くないイベント」のために、そんな大規模な製作スタッフを用意してくれるわけもなく、「取材してもらうためなら、当事者の多少の失望もやむなし」というのが、現実的な選択なのだと思われます。僕がその場にいる「負けてしまった高校」だとしたら、最優秀校の周りをカメラが囲んでいる姿には、けっこう傷つきそうな気もするんですけどね。
 それでも、この「お約束」は、「全国高等学校演劇大会」そのもののためには、プラスになることなのでしょう、きっと。なんだかせつない話だけれど。
 ダミーのカメラで撮られてぬか喜び、なんていうのも、それはそれで救われないだろうしなあ……





2005年08月21日(日)
オイルショックと「歴史」の嘘

「まれに見るバカ女との闘い」(別冊宝島編集部・編)より。

(小田嶋隆さんが書かれている「『女性差別広告』への抗議騒動史」の冒頭の部分です。)

【オイルショックをご存じだろうか。
 若い人たちは知らないはずだ。
「いや、知っている」
 という君は間違っている。
 というよりも、君の知識のモトになっている「スーパーのトイレットペーパー売り場に客が殺到するVTR」は、ありゃウソです。
 そう、この二十年の間に、のべ何百回か再生されたにちがいない、あの「主婦殺到映像」は、ヤラセとまでは言わないが、「演出上の意図に沿って極端な場面を切り取って見せた、世相の一断面」
 ちなみに、私は当時高校生だったが、あのニュース映像に出てくるような場面に出くわしたことは一度もない。
 にもかかわらず、メディアの中では、「昭和48年=オイルショック=トイレットペーパー消滅」というひとかたまりの図式が歴史的事実として認定されている。たぶん、この先、この漫画じみた連想作用は「米騒動→一揆打ちこわし→ええじゃないか」あたりの大河ドラマ的記憶とごっちゃになって、新たな歴史教科書問題を形成していくのだと思う。
 かくして、歴史は歪曲され、私や同年の友人たちが個々人の頭の中に蓄えている記憶は、公式の文書や局内ビデオライブラリーの映像に圧迫されながら、徐々に無視黙殺看過放置されて、50年もするうちには、完全に消滅するにちがいない……のである。たぶん。】

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 一般的に「歴史」というのはノンフィクションだと思われているのですが、僕も30年以上生きてきてわかったのは、やっぱり、時間が経てば経つほど、その歴史が現在進行形だった時代とは、かけ離れたイメージが植えつけられていく面もあるのだということです。もちろん、「時間が経って、はじめて客観的にみられること」というのもあるのだとは思いますが。
 この文章の中で、小田嶋さんは「オイルショックのときのこと」を書かれているのですが、確かに僕も、オイルショックといえば、トイレットペーパーを争って買い占める人たちの映像が頭に浮かんでくるんですよね。その時代にリアルタイムに生きていた人たちにとっては、それは、ごく局所的、かつ一時的な現象だったのかもしれないのに、全国的に、ああいう大パニックになっていたと、後世の僕たちは思い込んでしまっているわけです。
 まだ記憶に新しいところでは、2002年のワールドカップなんて、まさにそういう「事実の一部が切り取られて増幅されてしまう歴史」になりそうな感じがします。もちろん日本中で非常に盛り上がったイベントだったのは確かなのですが、その一方で、あんなに若者が街中で大暴れしていたのは、都会のごく一部の地域だけだったのに、「ワールドカップの記憶」として流される映像の大部分は、そういう「暴徒化した人々」のものですから、おそらく、今から30年先の人々は、「当時の日本人はみんな、あんな感じで大フィーバーしていたのか…」と思うことになるのでしょうね。
 「歴史」は真実だと僕たちは思い込んでいるけれど、それは、あくまでも「一面の事実」でかなくて、リアルタイムで体験している人たちとの「実感」とか異なっていることも多いのでしょうね、きっと。
 そういう意味では、個人サイトやブログでの記述というのは、将来的には貴重な資料になるのかもしれません。まあ、そういうのを全部集める気力がある人がいればの話ですが。



2005年08月20日(土)
売れる表紙、売れない表紙

「日経エンタテインメント!」2005年9月号(日経BP社)の特集記事「ベストセラーの暗号」より。

(「05年上半期ベストセラーのデータ編」の一部です。)

【次に表紙を見てみよう。出版会でよく言われるのは「白い表紙は売れる、黒い表紙は売れない」という法則だ。なるほど、今回の調査でも白45%に対して、黒10%。白優勢という結果になった。黒い表紙は書店の平台で目立たないため避けられることが多いそうだ。
 注目すべきは、水色を含めた青系統の表紙が急増している点。90年代の0%から一気に30%へとシェアを広げた。青系表紙のセカチュウ(『世界の中心で、愛をさけぶ』)や綿矢りさ『蹴りたい背中』がベストセラーになった影響がうかがえる。さらに「かつてはタブーとされていた」という、写真表紙の小説の増加もセカチュウ以降の現象といわれている。】

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 ちなみに、2005年上半期のベストセラーランキングには、ノンフィクションでは「頭がいい人、悪い人の話し方」「問題な日本語」「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」「電車男」(ノンフィクション、なのか…?)などが含まれており、フィクション(小説)には、「ダ・ヴィンチ・コード」「もっと、生きたい…」「半島を出よ」「対岸の彼女」などが含まれています。この「日系エンタテインメント!」の特集記事には、実際にこれらの「ベストセラー」の表紙が並べられているのですが、確かにこれらの本が並んでいると「表紙が白っぽい本が多い」のですよね。「電車男」とか「夜のピクニック」なんて、「真っ白」な感じだし。逆に「黒っぽい表紙のベストセラー」は、江國香織さんの「東京タワー」くらいでした。
 これだけ「白っぽい表紙の本」が多いとすれば、かえって黒系統のほうが目立つんではないかという気もするのですが、確かに、こうやってたくさん本を並べられてみると、白っぽい表紙に濃い字でタイトルが書かれている本のほうが、タイトルがスッと目に入ってくるような感じがするんですよね。有名作家の新刊本ならともかく、書店で平積みにされた本を手に取ってもらうためには、「表紙の色」というのは、けっこう重要なファクターみたいなのです。とくに「実用書」には、白っぽい表紙の本が多いようです。
 ところで、僕はこれを読んでいて、そういえば「世界の中心で、愛をさけぶ」の表紙って、どんな感じだったかな」と考えていたのですが、なかなか思い浮かびませんでした。(ちなみにこれが「セカチュウ」の表紙
 うーん、これって青系?とか思うのですが、この本の場合は、帯の柴咲コウさんの推薦文が効いたといわれていますし、そういう意味では「青系」なのかなあ…『蹴りたい背中』や『いま、会いにゆきます』は、確かに「青い表紙」なんですけど。
 それにしても、「本の表紙」というのは、思った以上にいろいろな要素を考えてつくられているものなんですね。単に「キレイならいい」というものでもないみたい。CDみたいに「ジャケ買い」されるようなことは、あまり無いような気がするのだけれども、実は、「第一印象」に、けっこう影響されているものなんですね。



2005年08月19日(金)
辻元さん、宗男さん、さっさと「絶滅」してください!

ともにasahi.comの記事です。

【社民党が衆院大阪10区の公認候補として擁立を決めた元衆院議員・辻元清美氏(45)が16日、大阪府高槻市で記者会見し、立候補を正式に表明した。比例近畿ブロックにも重複立候補する。辻元氏は「敗者復活のきく社会をつくる役割を担わせてほしい」「地方から聞こえる悲鳴みたいな声をきちんと国政に届けたい」と意欲を語った。
 会見には福島党首(49)が同席した。立候補する理由について、辻元氏は「福島さんが憲法問題などでテレビで孤軍奮闘しているのをみて、『ほっとかれへんわ』という気持ちが強まった」と説明。社民党に復帰する理由を「衆院は政党政治のぶつかり合い。1人で国会に行くのは難しいと思った」「社民党は小さい。絶滅危惧(きぐ)種が国会にまだいると思われてるかも知れんけど、絶滅危惧種は大事なんです。多様性ですわ」と述べた。
 秘書給与詐取事件で有罪判決を受けて執行猶予中だが、辻元氏は無所属で立った昨年の参院選で落選したことに触れ、「参院選の71万8千票(次点)が励み、後押しになった」と語った。】

【鈴木宗男元衆院議員(57)は18日、札幌市内で北海道内の地域政党「新党大地」の旗揚げを表明し、支持者の前で「弱い者、力のない者の政党でありたい。政治はめぐまれない人たちや立ち遅れた地域のためにある」とあいさつした。自らの立候補に加え、比例北海道ブロックで複数の擁立を検討しており、道内の各党は「保守票」の食い合いや、無党派層の行方に警戒を強めている。
 新党の名前は、長年の友人の歌手松山千春さんが、北海道をイメージしてつけたという。官僚政治の打破やアイヌ民族の権利確保、ロシアから天然ガスや石油をパイプラインで北海道に輸入することを公約にあげた。 】

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 いやもう、「厚顔無恥」というのは、この人たちのためにある言葉なのではないかと。ほんと、辻元さんとか、パフォーマンスばっかりで他人の文句を言うことしか能がない人で、元気と自己過信だけしかないのだし、鈴木さんには「ムネオハウス」建設というのは、「弱者のための政治家」がやることなのか?と聞いてみたい。しかしながら、この人たちは、実際に前回の参議院選挙でたくさんの票を集め、危うく当選してしまいそうになったのですから、まったくもって困ったものです。
 僕が辻元さんを支持しないのは、彼女が汚職をしたからというわけではなくて、そのキャラクターそのものが苦手だからなのです。「敗者復活のきく社会」というなら、あなたは鈴木宗男さんを許容するのですか?と聞いてみたいものです。
 僕は医療の仕事をしているわけですが、医療というのは、「敗者復活がきく社会」とは言い切れないところがあります。もちろん、軽い医療ミスなら医師免許の期間限定の停止処分や注意で済むのですが(それでも、そういう「評判」は、ずっとついてまわります)、大きな医療事故を起こして免許を剥奪されてしまっては、「敗者復活」とかいうわけにはいかないのです。もちろん、当人がどんなに泣いて謝っても、社会はそれを許してはくれないでしょう。当たり前です。そんな医者には、誰も診てもらいたくない。
 僕が辻元さんに聞いてみたいのは「政治というのは、そんなに『甘い』ものなんですか?」ということなんですよね。そりゃあ、事業に失敗した経営者に「次のチャンス」があるというのは、正しい社会の姿だと思うし、失職した人に次の雇用の機会が与えられるべきだとは思います。でも、政治というのは、そんなに甘いものであってほしくないし、ましてや、その事件の当事者が「敗者復活」なんて言うのは、おこがましいと思わないのでしょうか。そもそも、「敗者」というか「失格者」なのだし。
 それとも、衆議院なんていうのは、ウルトラクイズみたいなものなの?
 もちろんこれは、辻元さんだけではなくて、多くの「選挙に当選したら、禊を済ませた」なんて言っている、多くの「政治屋」たちにも尋ねてみるべきことだと思うのですが。
 世の中には「敗者復活」を許すべきではない職種というのが、厳然として存在しているのだと思います。目に見えないところで、多くの人の命と生活を預かっているはずの「政治家」というのは、まさにそういう仕事なのではないかと。それこそ「一度でもミスをしたら、二度と復帰できない」というくらい厳しい責任を持つべきでしょう。それこそ、代わりは、いくらでもいるのだから。飲酒運転で人を殺めたドライバーに二度と運転してもらいたくないと思うのなら、辻元さんや鈴木宗男さんが「復活」するなんて、あってはならないことのはず。
 
 まあ、僕は基本的に「政治をやりたがる人」というのは大嫌いで、国会議員になりたがる人なんて、みんな好きにはなれないんですけどね。そして、この人たちは、そういう「自分が目立つために議員になりたい人」の典型なんですよね。
 でも結局、「地元の人の温情」とかで当選したりするんだろうなあ、ああイヤだな本当に。そもそも、自分で「多様性」とか言っているくらい自信のない考えしか持っていない人を当選させて何になるのか全然わかんないよ。
 



2005年08月18日(木)
儲からない「マグロ漁船乗組員」

「裏ハローワーク」(アンダーワーカー・サポーター・編、永岡書店)より。

(「マグロ漁船乗組員」に関するレポートの一部です。)

【『マグロ漁船に乗れば高収入を得られる』という話をどこかで聞いた人も多いと思う。しかし、誰に聞いても、どこで、どうやって参加すればいいか知らないのだ。そんなところに”裏的”な妄想を抱いてしまう。というわけで、いろいろ調査したところ、宮城県の某漁港で漁師を務め、数年前にマグロ漁船に乗船した経験があるという漁師歴12年の鈴木義郎氏(仮名・30歳)に話を聞くことができた。
「家業が沖合漁業をやってて、オレも高校を卒業したら当たり前のように漁師になった。でも、もっと大きな船に乗ってみたい!と思って、知り合いの船主を紹介してもらって、マグロ漁船に乗ることになったんだ。初めて乗ったときは感動したね!
 マグロ漁船に乗るには、オレみたいに縁故関係だったり、日本全国にある船主協会に問い合わせるとか、農林水産省が補助している機関のHPで求人を公開してたりとか……そういうとこから集まってくるみたい。オレが乗った船にはいろんな人がいたけど、ほとんどが外国人だった」

(中略)

 冒頭にも書いたが、マグロ漁船といえば”儲かる商売”というイメージがある。実際のところはどうなんだろうか?と素朴な疑問を彼にぶつけてみた。
「収入は……多いのかどうかわかんないね。オレの乗った船の場合は毎月の保証(月給)が食費込みで30万だったよ。でもそこから、保険が引かれる。船に乗る前には2年分の身支度をしなくちゃなんないからね、その支度が大変だよ。
 船によっては別途支給というところもあるみたいだけど、オレのところはなかった。タバコや酒とか、自分の嗜好品も準備していかなきゃなんないし。単純に考えて、1日約20時間も働いて、月に30万。ってことは1日1万、時給にしたら500円だよ!?今どきそんなバイトもないよな〜(笑)。
 ただ、マグロがたくさん釣れれば、ボーナスっていうか、給料にプラスされるんだよね。オレのときは大してもらえなかったけど、噂で聞いた話だと月給とボーナス合わせて1回の漁で600万円ももらったって人がいたみたいだね」
 それはつまり、一山当てるチャンスもあるというわけだ。ホントに金に困っていたら、チャレンジしてみるのもいいかな、とも思うのだが……。
「テレビとかでたまに『マグロ漁船に密着!』とかやってるけど、あんなに甘いもんじゃないよ。”借金返すために乗せられてる人もいる?”とかもよく聞かれるけど、実際にはそんな人聞みたこともない(笑)。たくさん釣れればいいけどね、大変なわりに給料もよくないでしょ?実際に乗ってみないとどれだけ金が入るかもわからないし」
 船は10〜20代の若い乗組員が中心。今も漁師を続けているという彼だが、「もう1回乗ってくれって言われたら、考えちゃうな……」とつぶやいていた。】

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 鈴木さん(仮名)によると、「自分が乗った船は、外国人がほとんどだった」とのことです。確かに、今の日本で「時給500円」で24時間拘束されて逃げ場のない海の上、なんていう仕事をやりたがる若者が、今の日本にそんなにいるとも思えませんし。もちろん僕もちょっとできそうにありません。「魚がいれば、24時間いつでも働かなくてはならない」というのは、かなり辛い仕事だろうし、ずっと同じ仲間と顔を合わせ続けて生活するというのは、息がつまりそうです。
 「1回の漁で、運がよければ600万円!」と言われても、「600万円」というお金は、簡単に手に入る金額ではない一方で、そのために10ヶ月〜2年間を船の上で過ごすには、ちょっと物足りないかな、という金額でもありますしね。
 それにしても、僕もこの「マグロ漁船の船員」という仕事は「借金のカタにやらされる」というイメージがあったので、この元船員の「そんな人、見たことない」というコメントには意外な感じがしました。大きな借金を抱えてしまった場合、女性の場合は「フロに沈める」(by「ナニワ金融道」)、男の場合は、「マグロ漁船に乗せられる」(こっちは「カイジ」の影響か?)ものだと思い込んでいたのですが。というか、そうでもなければ、そんなキツイ仕事、やる人はいないのではないか、と。
 今は「月30万円でも大金」という国の人たちが雇われているのが「実情」のようです。
 まあ、考えようによっては、ずっと海の上だと遣い道がないから、お金を遣わないですみそうですし、そういう面では「お金が貯まる仕事」ではあるのでしょうけど。
 月に30万円稼げる仕事というのは、そんなに珍しくはないのかもしれないけれど、マグロ漁船の船員ほど「お金を遣わなくてもすむ生活」っていうのは、なかなかないでしょうしねえ。
 「稼ぐ」ことも大事なのだろうけれど、「いかに使わないか」というのが、お金を貯めるためには大事なのですよね、きっと。
 実際は、節約のために「マグロ漁船生活」というのは、あまりにハードだとは思うのですが。



2005年08月17日(水)
宮里藍選手の「強さ」の源

「Number・633」(文藝春秋)の記事「全英直前インタビュー・宮里藍〜すべてを変えたあの日。」より。

(プロゴルファー・宮里藍さんがアマチュアながら初優勝を飾った2年前のミヤギテレビ杯のことを振り返った記事の一部です。)

【教員仲間の披露宴を抜け出して、13番ホールから駆けつけた東北高校ゴルフ部監督の川崎菊人は、隣にいた報道関係者に「絶対、決めますよ」と耳打ちした。
 沖縄から来た一人の少女は、名門ゴルフ部の雰囲気を変えてしまった。練習も食事も終えた後、月明かりだけを頼りにパターをうち続ける1年生の姿に、上級生たちも自然とひっぱられたのだ。その影響力をみてきた川崎は、男子も含めたゴルフ部の主将に宮里を指名した。女子が主将をするのは初めてのことだったが、まったく異論は出なかった。
「肉体的な資質ではあ、宮里より恵まれている部員はいます。でも、ゴルフの強さは結局、メンタルに左右されるんです」と川崎は言う。「彼女はゴルフで落ち込むことがあっても絶対に他のことに逃げない。調子が悪くても、一打一打を大切にする。その積み重ねだから、すべての経験が力になるんです」
 目の前で繰りひろげられる大混戦を実況していた三雲は、いつのまにか不思議な感情が胸を支配しているのに気づいた。
「藍さんのオーラに、ギャラリーや私たち放映スタッフも自然と魅きこまれていく感じでした。ギャラリーの多くは、自分の娘や妹が一人で戦っているのを見守るような気持ちで応援してたんじゃないでしょうか。私の仕事はもちろん、公正中立が原則なのですが、この時ばかりは『決めてくれ』と心のなかで祈っていました」】

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 宮里選手は、この「まっすぐなラインの2mのパット」を決めて、一躍、栄光への道を歩きはじめました。僕はそんなにゴルフというスポーツに詳しくないのですが、それでも、「宮里藍」という若き天才ゴルファーの名前は知っています。
 でも、この「若いのにすごい」というイメージの裏側で、宮里選手は、非常に濃密な時間を過ごしてきたのだなあ、ということを、この記事を読んで、あらためて感じました。
 「名門ゴルフ部」なんていうのは、腕に覚えがある人たちばかりが集まってくるところなのですから、みんなそれぞれプライドもあれば、「一癖ある」人も多いはずです。でも、その中で、宮里選手が示した「自分の努力する姿を見せることによる存在感」というのは、ものすごいものがあったんですね。高校生の男子なんて、ミエの塊みたいなもののはずなのに、それでも彼らに「女子が主将を務める」ということに依存が出なかったのですから。
 そして、「練習に対する姿勢」というものについてもあらためて考えさせられました。僕は学生時代に弓道をやっていたのですが、弓道というのも「メンタルスポーツ」なのです。どこに行っても、道具も同じなら、的の大きさや的までの距離も同じ。的に矢を1本当てられる力があり、同じことを延々と繰り返せれば、的に全部当てられるはずです。そこには、超人的な跳躍力とか瞬発力なんて、必要ないのに。
 でも、実際にその場に立つと、すべてが変わらないはずの状況の中で、自分の精神状態だけは変わってしまうのです。「これは当てなくては」というようなプレッシャーや、「たくさんの人が見ている」という緊張感。そんな中で、「いつもやっていることを同じようにやる」というのが、どんなに難しいことか!
 そして、いかに練習のときに本番と同じような精神状態に自分を置かずに、「練習のための練習」しかやっていなかったのか、ということを痛感させられるのです。「100本練習で矢を射たから、練習した」と自分では思っていても、それは、「ただ筋肉を動かしただけ」だったのですよね。もちろん、そういう筋肉の動きのトレーニングだって、全くのムダというわけではないのでしょうが、宮里選手の「濃密さ」とは、比べるまでもありません。
 「天才」というけれど、たぶん「天才」だけじゃあ、本当の頂点にはとどかない。僕には何の才能もないけれど、せめて、その「練習のときの姿勢」くらいは、少しでも見習っていきたいものです。



2005年08月16日(火)
マクドナルドのセコセコ伝説!

「はじめてだったころ」(たかぎなおこ著・廣済堂)より。

(いろいろな「個人的な『はじめて体験』が集められた本の一部です。マクドナルドがはじめてだったころの話)

【そんなある日のこと…

なんて水泳教室の入り口で、ポテトのタダ券が配られていたのだ。

そして同じ水泳教室の子達と一緒にポテトをもらいに行くことになったのだった。

やがて水泳教室も終わり、いつものハラペコおなかを抱えていざマクドナルドへ。

店内はいつも外からかいでいたあのたまらないいいにおいが充満していた。

店員「いらっしゃいませ〜」

一緒に行った年上のお姉さん「あの…この券でポテトください。」

店員「ポテトとご一緒にハンバーガーやお飲み物はいかがですか?」

お姉さん「あ……いえ ポテトだけで……」

「タダ券だかで他は何も買わんやなんて、もしかしたらせこかったんやろか……?」
……と、子ども心に思う】

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 たかぎさんは1974年生まれだそうなので、僕より少し年下です。たぶん、この「お姉さん」あたりが、僕と同世代なのではないかなあ。
 今のマクドナルドは「低価格戦略」にシフトしているみたいなのですが、僕が子どものころのマクドナルドは、学校や塾の前などで、この「サービス券」を配りまくっていたような記憶があります。まだまだ「ハンバーガー」という食べ物自体が田舎では珍しかった時代のことですから、この「タダ券」は、僕たちの食欲と好奇心を大きく揺り動かしたのです。「ポテト」なんて、今となっては珍しくもなんともなかったのだけれど、当時はハンバーグステーキの付け合せかマクドナルドに行かないと食べられない、「魅惑の食べ物」だったのですよね。
 でも、その反面、この「タダ券」を使うのは、ものすごく勇気が要ることでした。子どもっていうのは、妙なところに自意識過剰だから、タダ券だけ出すなんて「貧乏だと思われるかもしれない…」とかいうような危惧をしてしまうし、「お店の人に悪いんじゃないか…」なんてことも考えてしまうんですよね。そんなの、子どもは貧乏で当たり前だし、店だってそれも商売なんだからとオトナ的には思わなくもないですが(まあ、今の僕の年になって、タダ券のみでマクドナルドに潜入するのは、なかなかハードではありますけど)。
 この「タダ券」のみならず、昔のマクドナルドというのは、いろんなイベントをやっていて、その中でも僕たちの心を熱くしたのは、「銀はがしクイズ」でした。これは、マクドナルドで何か商品を買うともらえる、答えが4択で銀はがしになっているクイズに2問とも正解すると、最低でもコーラS以上の商品がもらえる、というもので、クイズ好きな中学生だったこともあり、僕たちはみんなで一人一人マクドナルドのカウンターに並んで「コーラのS」と注文し、ひとり一枚ずつ、そのクイズのカードをせしめたものでした。店員さんからすれば、「まとめて買えよお前ら…」という感じだったのでしょうが、それだと全員で一枚ずつになってしまうので。
 そして、家に帰って、今まで開いたこともなかったような百科事典をひっくり返して、なんとか「正解」にたどり着こうとしたものです。今のようなインターネット時代では、あの企画は難しかったと思うのですが。ちなみに僕の知り合いには、商品欲しさが高じて、一度削ってしまった銀の部分をハンダ付けしてごまかそうとした剛の者まで出現しました。さすがにその計画は、「銀の色が違いすぎる」ということで挫折したのですが。
 他にも、「ハンバーガー100円」の時代に「ハンバーガー30個!」と高らかに宣言し、店員さんの「ポテトやドリンクは…」との定型句を「要りません!」と一蹴した人とか、マクドナルドの種々の「サービス」に関しては、僕の周りにもいろいろな「伝説」があるのです。ほんと、マクドナルドという店は、お客さんがみんな「ハンバーガー以外は高くつくから、絶対に買わない!」というクールな人ばかりだったら、経営が成り立たないのではないのかなあ。そう考えると、僕のような「小心者で見栄っ張りの客」が、マクドナルドを支えてきたのかもしれません。
 それにしても、ハンバーガーって、いつの間にか「普通の食べ物」になってしまったんですよね。はじめてピクルスを食べて、そのなんともいえない酸っぱいような食感に驚いたのは、ついこの前だったような気がするのになあ。



2005年08月15日(月)
天下国家を語ることでストレスを発散している人々へ

「靖国論」(小林よしのり著・幻冬舎)より。

【平成14年6月11日の(国立追悼施設の)反対集会に出席してくれた政治家は励まされなくてはならない。国政の場に戦没者や、遺族の方々の思いを反映させてくれる仲間だ。
 なのに、せっかく参加してくれた政治家たちに無礼なヤジを飛ばす者がいたのだから、信じられない。
 中川昭一氏に対するヤジは特にひどかった。
 中川氏はとうとうキレて、話を中断し、席に戻ってしまった。

 わしは思わず立ち上がって、会場の人々に訴えた。中川氏は教科書運動のときもわしに協力してくれた。愛国者で論理も確かで頭のいい男だ。
 最近『正論』とか『諸君!』を読み込んで、保守オタク化した者が自分が主張したくてたまらなくなっている。「保守言論オタク」は、政治家を軽んずる言動をする。激励のヤジならいいが、話を妨害するだけのフーリガンみたいなやつが、保守と言えるのだろうか?

 わしは、天下国家を大上段から語ることで私的なストレスを発散する「保守言論オタク」はダメだと思う。
 『わしズム』を作った理由のひとつは、そこにある。
 とにかく「つくる会」シンポでもこの集会でも、やっぱりヤジの暴走で不愉快な思いをした。本当はもう、こういうのには出たくない。
 しかし、終わって降壇した時、遺族の方が、わしの手を取って懇願されるのだ。
 「あんなワルイ人もいますが申し訳ありません。おねがいします。おねがいします。」
 私心を捨てるしかない。】

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 今日は終戦60年にあたる日なのですが、太平洋戦争についての「評価」というのは、今でも(というか、今になって、というべきなのでしょうか)揺れ動いています。僕は、小林さんたちが言われるところの「自虐史観」の影響を強く受けた世代ですので、「戦争は悪い、アジアの国々を侵略した日本の軍国主義が悪い」というイメージをずっと持ち続けていたのですが、最近は、そういう意識も揺らいできています。この本で紹介されているような、特攻隊員の遺書などを読んでいると、やはり、この先人たちを「悪人」だとは思えないのです。鹿児島の知覧というところにある特攻隊の基地を訪れたときに見た「遺書」は、本当に忘れられないものでしたし。ちょうど大学生だった僕と同じくらいの年頃の若者たちが、自分の死に臨んで遺した言葉というのは、とても重いものでしたし、そういう犠牲の上に、僕たちは生きているのだと思うと、感謝、あるいは申し訳ないような気持ちでいっぱいになりました。
 「行き過ぎた平和教育」に対する揺り返しなのか、最近では「あの戦争は間違っていたのか?」という議論がしきりになされています。先日僕が観ていたテレビ番組では、共産党の人に「あの戦争は正しかったと思いますか?」と問われた安倍幹事長が、先人の言葉として「それは、歴史が決めることだと思う」と答えられていました。
 まあ、それは「うまい言い方」だし、立場上そう言うしかないという面もあるのでしょうが、考えれば考えるほど、「わからない」としか言いようがないような気もするんですよね。今の僕たちからすれば「もっといいやり方があったんじゃないか?」とも思えるのですが、その「もっといいやり方」を当時の人たちだって、切実に模索していたのでしょうし。
 ただ、僕自身の考えとしては、20歳そこそこの若者が、自分の命を捨てて「特攻」しなければならないような状況は、やはり「あってはならないこと」だと思うのです。もちろん彼らだって「歴史の被害者」なのですけど、その一方で、その特攻した飛行機のために命を落とした敵兵だっていたでしょうし。
 たとえそれがどんなに美しく見えても、「失われた命の尊さ」を「戦争という行為の正当性」と同一視してはいけないと思うのです。
 先日、僕が休憩室でお昼のニュースを観ていたら、ちょうど靖国問題がテレビで取り上げられていました。その場に入ってきた掃除のおばちゃんが一言「どうしてあんなふうによその国に『お参りするな』とか言われるんですかねえ…私の父親も戦死して靖国にいるのに…」と呟いたのですが、僕はそれに対して、返す言葉がありませんでした。正直「日本という国の『お家事情』です」としか、言いようがなかったし、そんなことを訳知り顔で口に出すのは、とても恥ずかしく感じたので。
 そういう、遺族たちの「実感」というのは、「靖国問題」を「大極的」にみたがる「保守言論オタク」の「正論」よりも、僕にとっては、はるかにリアルなものに思えます。あそこに自分の大事な人が眠っているのだから、お参りして何が悪いのか?というのは、ものすごく自然な感じなのです。
 だいたい、戦争になれば、「特攻」しなければならないのは、安倍幹事長でも、小林よしのりでもなく、僕や「保守言論オタク」の諸君なのに、「覚悟」もなく、ただ、「天下国家を大上段から語ることで私的なストレスを発散する」というのは、自滅への道でしかないように思えるのです。
 戦没した先人に対する感謝の気持ちを持つのは当然のことなのですが、それを「戦争賛美」にすりかえられないようにしなくては。そりゃあ、ガンダムに乗れればいいけどさ、普通の兵士は、「ジャマだ!」とかガンダムに蹴られて爆発するジムとかボールに乗るのが関の山なんだから。
 ネットで天下国家を語るのもいいけどさ、まず、自分の手の届くところで、やるべきことをやることからはじめるべきではないのかなあ。



2005年08月14日(日)
気付かないところで、いろいろ守られているってこと

「幸福な食卓」(瀬尾まいこ著・講談社)より。

【「中原にいいこと教えてあげる」
「何?」
「俺、本当は鯖って大嫌いなんだ。昔ばあちゃんが鯖寿司食べて顔が腫れたんだよね。ぱんぱんに。鯖に棲んでいる虫のせいだったらしいけど、三日くらい腫れっぱなしだったんだぜ。それ見て以来、俺鯖って食べられないの。気持ち悪くてさ」
 坂戸くんの告白に私はかなり驚いた。鯖は彼の大好物だったはずだ。
「でもいつも私の分まで食べてくれたじゃない」
「すごいだろ?気付かないところで中原っていろいろ守られているってこと」
 坂戸君はそう言って、私の手を握った。坂戸君に手を握られたとたん、私は急激に悲しくなって、泣きそうになって、坂戸君と離れたくないと思って、そして早く家に帰りたいって思った。】

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 この物語の主人公の中学生の女の子と、その同級生の男の子の最後のやりとり(男の子が転校してしまうので)。
 中原さんは給食に頻繁に出てくる鯖が苦手で、その鯖を坂戸君は「俺、鯖好きだから」と言って、いつも食べてくれていたのです。ごく自然に。
 でも、このとき初めて、坂戸君は「鯖なんて好きじゃなかった」ということを中原さんに「告白」するわけです。まあ、こういうときに「告白」せずに黙って去るのも美学かな、とオトナ的には思わなくもないんですけど。
 この年になって、あらためて自分の子供時代のことを思い返すと、僕も本当に自分では気付かなかったいろいろなものに「守られていた」ことに気がつくのです。あの頃のリアルタイムの感情では、自分が「束縛」されたり、「詮索」されたりしていることばかりに苛立ちがあったのだけれども、その一方で、親や学校の先生、友達が僕のことを守ろうとしていてくれたことに、目を向けることはほとんどありませんでした。いや、そういう傾向は、今になっても変わりないのかもしれないのですが……
 本当に、「親だから、そのくらいのことをしてくれるのが当たり前」とか「友達なんだから」と自分では感謝すらしていなかったことなのに、相手は一生懸命に頑張って、自分を守ろうとしてくれていた。年を重ねてくるにつれ、僕もようやくそういうことに気がつくようになってきました。
 でも、そのときには、もう恩返しするべき相手は手の届くところにいない…
 結局は次の世代や今、自分の周りにいる人たちの鯖を笑って食べられるようにしていくしかないのでしょう。たとえその「意味」が、すぐに相手に伝わることはなくても。
 そういう「意思」の連鎖というのも、先人の「遺産」なのだと思います、きっと。



2005年08月12日(金)
「犬が死んだら、そこで飼うのをやめてはだめだ」

「ばななブレイク」(吉本ばなな著・幻冬舎)より。

【ひとり暮らしをはじめてから、私は病気の犬を飼っていた。それは私がはじめて自分だけの責任で飼った生き物であり、手がかかるぶん本当に愛していた。しかしいつもどこかで死のことを考えていた。
「もしも死んだら、私はどうするのだろう」と考えるとどうしてもわからなかった。「もう犬は飼えない」と決心するか、また犬と暮らすのか、絶対決められないような気がした。
 そういう時何かの雑誌で、ムツゴロウ氏が「犬が死んだらそこで飼うのをやめてはだめだ、二匹目には一匹目の、三匹目には一匹目と二匹目の面影が重なっていくのだから」と書いていたのを読んで、「動物のことでこのひとの言うことは確かだ」と信頼した。納得したが、目の前に愛犬がいるのだからそうそう死ぬことばかり考えてはいられなかったので、すぐに忘れてしまった。
 数年後、その愛犬が闘病の果てに急死した朝、なぜか「実際」に私の頭に真っ先に浮かんだのがその言葉だった。本当にその言葉を読んだことをずっと忘れていたのに。
 私は大変世話になった獣医師が愛犬の死を確認に来た際、泣きながら「先生、私は犬と暮らしてとても楽しかった、また犬を飼います」と自分が妙にはっきり言ったのを覚えている。
 現在私はまた犬と暮らしている。
 本当に彼の言うとおりだった。その鼻の形やちょっとした仕草や、食べ方、喜び方、大きさ、背中。あらゆるシーン、あらゆる時に前の犬の面影を日々感じ続けている。
 感じたくて情で感じているのではなく、大型犬であるかぎり本当に特質が似ているのだった。そしてその「似ている」という感情は犬全般というものの特質への愛につながっているのがわかる。
 あそこで悲しみのあまりに飼うのをやめたらそうとは意識せずとも、いつのまにか私は死んだ愛犬を擬人化し、偶像化して本当に葬り去ってしまっただろうと思う。
 真実の言葉は人間に染み込むのだ。】

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 吉本さんは、これを犬を飼った経験の話として書かれているのですが、僕はこれを読んでいて、「愛情」というもの一般には、こういう面もあるのだよなあ、と感じました。「いなくなっても、同じ人を思い続ける」という気持ちは確かに美しいものだし、愛犬が亡くなった直後に、「新しい犬を飼います」というのも、その場で聞いていたら、なんとなく不思議な光景ではあったような気もしますけど。
 人と犬の場合は、お互いの寿命が違うわけですから、ずっと犬を飼っていれば、悲しい別れの場面というのは多くなるはずです。でも、多くの愛犬家たちが、最初の愛犬と別れてしまったあと、「こんな辛い気持ちになるのなら、もう犬なんて飼わない」と決心しながら、やっぱりまた新しい犬を飼ってしまうというのもまた事実なのです。うちもずっと犬を飼っていたので、この「犬全般というものへの特質への愛」というのは、よくわかります。僕は基本的に動物は苦手だったのだけれど、自分の家で犬を飼うようになってから、少なくとも犬という生き物一般に対して(そして、それを「飼っている人々」に対しても)、親近感を抱くようになってきましたから。
 恋愛というのも、あるいは、経験を重ねていくたびに、「本質」が見えてくるようになるのかもしれません。確かに「前の相手と比べる」というのも、仕方が無いことなのでしょうし、それもまた「恋愛経験を積むことによる喜び」なのかもしれません。もちろんそれは、「いいかげんな恋愛」を数だけ増やしてもダメなのだろうし、「相手よりも、恋愛そのものを求める」ようになってしまうリスクがあるのだとしても。
 ただ、一人の男としては、「あなたの面影を生かすために、他の男と恋愛するね」とか言われたら、それはそれで、かなり不貞腐れそうな気もするのですが。



2005年08月11日(木)
荒木飛呂彦さんがマンガ家になった「奇妙なキッカケ」

ジャンプコミックス『ジョジョの奇妙な冒険・30巻』(集英社)の表紙の裏に書いてあった、作者・荒木飛呂彦さんのコメントより。

【〔子供のとき}
 母親がカゼをひいたので、ぼくに「悪いけど、(近所の)お医者さんへ行って、お薬もらって来てちょうだい」とお使いを頼まれた。ぼくが待合室で待っていると、先生が出てきて――。
「さ!荒木君、そでまくって注射するから」
「え!ぼくじゃないよ!」
「うそだよ」
 すごく恐ろしかった。でも、とてもおもしろいと思った。これがマンガ家になるキッカケだったと、今、思う。】

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 これって、相手の子供によっては、トラウマになってしまうような「タチの悪い冗談」だと言えなくもないような気がします。そもそも、診察もしないで薬だけなんて感心できんなあ、とかも思うんですけど。
 まあ、そういう話は抜きにして、あの「ジョジョの奇妙な冒険」の作者・荒木飛呂彦さんの【マンガ家になるキッカケ】が、こんな、どこにでもあるようなエピソードだったというのに僕はちょっと驚きました。この「冗談」を言った医者にとっては、たぶん一晩寝て起きたら忘れてしまっているような話のはずなのに。
 でも、このエピソードの「言われのないトラブルが自分の身にふりかかってくる恐怖」と「そこから解放されるという『笑い』の要素を含んだ安心感」みたいなのって、確かに、荒木さんの一連の作品そのものなのではないかなあ、と僕は思ったのです。最近「ジョジョの奇妙な冒険」を読み返しているのですが、高校〜大学時代にリアルタイムで読んでいたときに比べて、今の僕には、この作品の中の作者の「遊び」というか、自分の作品自体を客観的に見ている視点を感じることができるようになってきました。
 「恐ろしいことというのは、ユーモアの要素も併せ持っているのだ」
 それに気がつくのが「才能」というものなのかな。
 まあ、「笑えない恐怖」というのも、世の中にはたくさんあるのでしょうけど。
 



2005年08月10日(水)
「出張ホスト」を利用する女性たち

「裏ハローワーク」(アンダーワーカー・サポーター編・永岡書店)より。

(「有名出張ホスト」へのインタビューの一部です。)

【出張ホストを利用する客にはどんな女性が多いのだろうか?
「オレのお客の場合、年齢は20歳くらいから50代後半までで、そのうち半分以上が既婚者。風俗嬢も多いけど、旦那とセックスレスの主婦とか、出会い系はコワくて出来ないっていう普通の女性とかも多いよ。
 出張ホストのお客っていうと、金持ちや風俗嬢ばっかりってイメージがあるかも知れないけど、実は、遊び慣れていない人のほうが多いんだ。例えば30歳超えて処女で、その事に負い目を感じてる人が”自分を変えるため”って言って一大決心してホストを呼ぶ場合もあるし」
 また、女性が出張ホストを呼ぶ目的は、性欲を満たすためばかりではないのだそうだ。「お客の話を聞いたり相談に乗ってあげるのはしょっちゅう。日常生活でストレスたまってて、だけどそれを話せる相手がいないっていう女性は多いからね」
 では、接客で大変な事はなんだろう?
「喋る事。特に無口なお客の場合は、なんでもいいから話題を見つけなきゃって思って必死になる。あとやっぱり、本番が二人以上連続で続いていると体が辛い。ほら、女の人って、男がイカないと満足しなかったりするでしょ。モチロン、辛くてもその場では全然平気な顔してるけどね(笑)」】

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 知られざる出張ホストの世界。
 僕は出張ホストを利用したことはないし、いわゆる「ホストクラブ」というところに入ったこともないのですが、確かに「出張ホストを利用するお客の女性」というのは、お金持ちか風俗嬢というイメージを持っているような気がします。あの「買い物依存症」の中村うさぎさんのような人(というか、中村さんは「ホストクラブ通い」を自分でネタにされてますしね)が、ホストクラブの「メインユーザー」なのだろうな、と。
 僕の感覚からすると、「出会い系」が怖いからホストを呼ぶ普通の女性なんていうのは、それはそれで違和感もあるんですけど。えっ?ホストのほうが怖くないの?って。
 でも、考えてみれば、そういう「プロ」の人たちは、「金の切れ目が縁の切れ目」である一方で、「後でめんどうなことにならない」という要素もあるわけです。出会い系の怖い話なんていうのは、いまや巷にあふれているわけで、「ストレス解消」が目的なら、遊びなれていない、「ハズレ男」を出会い系で引いたり危険な目にあうリスクを負うより、お金はかかるけれど、遊びなれたホストのほうが効率はよさそうです。
 僕がときどき耳にする男性側の理論として、「職場の女性に手を出してトラブルになるよりは、お金を出して風俗に行ったほうが、『安全』じゃないか」なんていう話もあるんですよね。まあ、僕も実際に、職場で「複数の純愛」を並行させようとしたために、とんでもない修羅場になってしまった例も知っていますし、「友達の夫と浮気するよりは、ホストと遊んだほうが『真面目』なのだ」と言えなくもないのかな。もちろん「そんなこと、しないにこしたことはない」のですけど。
 ただ、これを読んでいて思ったのは、今の世の中というのは、「真面目な人ほど寂しい」のかもしれないな、ということでした。「話を聞いてもらうために、ホストを呼ぶ」なんていうのは、やっぱり普通じゃないよなあ、と。相手はもちろん「親身に聞いてくれているように見える」のだろうけど、本当に「親身」になんてなれないということは、相談しているほうだって、わかっているはずなのに。
 まあ、これを読んでみると、ホストっていうのもラクじゃなさそうですよね、実際のところは。



2005年08月08日(月)
選挙の当選は、「顔の良さ」で決まる!

「ダカーポ・565号」(マガジンハウス)のコラム「こころのあおぞら・第79回」(林公一・著)より。

【科学的に分析した結果、選挙の当選は顔の良さで決まることが判明した。
 政策でも政党でもない。
 カネも人脈も関係ない。
 まして人柄や実績なんか問題外。
 顔の良さがポイントなのだ。
 この研究結果が公表されてから、立候補者は選挙前に美容整形手術を受けるのが常識になったという……。
 でたらめにしてももう少しましなことを書いたらどうだ。
 と言われるかもしれませんが、最後の一文以外は真実です。サイエンスという立派な科学雑誌に載っていた最新の論文の結論である。「信じたくないが、当選の決め手は顔の良さだったのである」と重々しい論評も添えられている。
 しかし「顔の良さ」といってもいろいろありますよね。
 その論文では、「ロリ顔(ベビーフェース)」と「おとな顔」を比較していた。
 ベビーフェースと一言でよくいうけど、その内容を分析すると、次のような特徴を持った顔のことになるらしい。
(1)丸顔
(2)目が大きい
(3)鼻が小さい
(4)額が広い
(5)顎が小さい
 こういう顔は選挙では不利で、反対のおとな顔の方が有能そうに見える。様々な職業・年齢の人に一秒間だけ顔写真を見せて、そちらの顔が有能に見えるかを質問した結果である。
 それだけならどうということはないが、アメリカ上院議員の選挙前に、候補者の写真でこの実験を行ったら、当選者の70%をこれで正確に予測できたというのである。
 選挙の当選の70%は顔で決まるんですよ。
 選挙運動に注がれる時間と金はいったい何だったのか。】

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 僕は英語が得意じゃないんですが、この「ベビーフェース」というのは、「子供顔」というより、「善人顔」というようなニュアンスなのではないかなあ、という気もします。しかしながら、この文章を読んでいると、少なくともアメリカでは、有権者たちが意識しているかしていないかにかかわらず、「こういう顔のほうが有利」というような傾向はあるみたいです。とりあえず、いろんなバイアスがありそうなデータでもあるんですけどね。
 これを読んで、あらためて考えました。「政治家って、なんか『悪人顔』してるよねえ」というように僕は思っていたのですが、それは逆に「悪人顔だから、選挙で当選しているのかもしれない」と。そもそも、いろんなしがらみがあるにせよ、政治家を選んでいるのは有権者なのですから、結局、僕たちが政治家に「悪人顔」を望んでいるということになるのでしょう。テレビに映る政治家の顔を見ながら「この人、裏では何やってるかわかんないよね」とか言いながらも、そういう人のほうを、政治をやる人間としてふさわしい、と考えて、選んでいるわけです。
 まあ、「思っていることがすぐ顔に出る」ような人は、確かに政治家としてやっていくのは難しいんだろうし、周りもなんとなく不安な感じもするんだろうけどさ。
 



2005年08月07日(日)
リアリティーがない顔の人

「ワルの知恵本〜マジメすぎるあなたに贈る世渡りの極意」(門昌央と人生の達人研究会[編]・河出書房新社)より。

【リアリティのない顔の人を信頼してはいけない

 リアリティーがない顔の人は信頼できない場合が多い。
 どういう顔かというと、何十年も人生を生きてきて、人並みの苦労や努力、体験が色としてにじみでていない顔だ。生きている実感が表に出ていない顔、汚れがない顔でもある。
 色がつきすぎた顔、つまり、苦労やうさん臭さが露骨にでている顔も問題ありだが、リアリティーがないのもそれに劣らず問題がある場合がある。
 こういう顔は、エリート官僚であるキャリア、アマチュアスポーツのエリート(出身)、ボンボンの二代目社長、医者などによく見られる。
 公務員の場合、地方公務員やノンキャリアにも時々見られる。男性に多いが、まれに女性にもいる。
 顔つきとしては、ツルンとした表情で、表情に乏しい。喜怒哀楽があまり表にでないのが特徴だ。

(中略)

 なぜ、こういうリアリティーがない顔ができあがるかというと、努力はしてきたかもしれないが、たいした苦労をせずともすんなりと高学歴や社会的地位が得られ、それなりに評価されているからだ。しかし、人間性の底が浅い。だから顔に味がない。
 公務員の場合には、キャリアであろうがノンキャリアであろうが、一生生活が保障されている。生活の糧を得るための苦労はあんまりしないですむので、感情、情緒が欠落した人がいるのかもしれない。いずれにせよ本質は薄情な人であることが多い。
 そのため、社会的地位もあり、いっけんまともな人間に見えるが、ときとしてとんでもないことをしでかすし、平気で人を裏切ったりする冷酷さももっているのだ。】

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 この「ワルの知恵本」って、ベストセラーになっているらしいですね。今日仕事場の本棚に置かれているのを読んで、思わずひっくり返ってしまいました。そりゃ、けっこう厚い本が500円だから、お得感はあるのかもしれないけれど、書いてあることは、こういう偏見のオンパレードなのだもの。
 まさかとは思いたいけれど、これを読んで「そのとおり!」とか頷いている人がけっこういるのだとしたら、なんだか悲しくなってきます。
 要するに「なんでもかんでも疑え」って内容ですからねえ。
 この文章にしても、「リアリティのある顔」って何だよ?としか思えないのですが、そういう曖昧な概念を出しておいて「エリートや二代目社長や医者には、そういう人が多い」とか言われても、「ハァ?」としか感じません。確かにね、「リアリティのある顔」という概念そのものは、わからなくもないのです。僕が最初に頭に浮かんだ「リアリティのある顔」の人は、作家・椎名誠さん。ああいう大人の男になりたいよなあ、なんて憧れます。でも、僕は今までの人生において、「自堕落な海の男」とか「アルコール依存症になってしまった苦労人」とかもたくさん見ていますから、必ずしも「顔に苦労が出ている人のほうが無害」だとは思えないのです。
 汚職をする官僚がいる一方で、善良な人々を悩ませる(苦労してきた)チンピラだってたくさんいるんだし。【いっけんまともな人間に見えるが、ときとしてとんでもないことをしでかすし、平気で人を裏切ったりする冷酷さももっているのだ。】っていうのは、別に顔とかに関係なく、本質的に、人間というのは「そういうもの」ではないかと。
 あと、【なぜ、こういうリアリティーがない顔ができあがるかというと、努力はしてきたかもしれないが、たいした苦労をせずともすんなりと高学歴や社会的地位が得られ、それなりに評価されているからだ。】って書いてありますが、いわゆる「エリート」=「苦労知らず」っていうのは、あまりに短絡化された思考でしかないわけで。というか、それなりに評価される人の多くは、それなりに苦労しているわけですよ、僕の知る限りでは。
 それこそ、「リアリティのある顔」とかいう人たちが、酒場でクダを巻いているあいだも、仕事をしたり勉強をしたりしているわけで。僕はむしろ自分の感情をコントロールしなくてはならないために「喜怒哀楽を顔に出せなくなってしまった人」の内面に潜んでいるもののほうに、深みというか「リアリティ」を感じることがあるのです。

 まあ、いわゆる世間的に「エリートとされている人々」を叩いたほうが売れるんでしょうけど、これがベストセラーとは、世も末、という感じです。
 こんなの書いている人や売っている出版社のほうが、よっぽど「リアリティがない」のでは。
 どうしてそんなに「他人は苦労してない」と思いたがるのだろう?
 



2005年08月06日(土)
「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった」

読売新聞の記事より。

【広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」元乗組員3人が原爆投下60年を前に、「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった。我々は後悔していない」とする共同声明をインターネット上に発表した。
 声明を出したのは、エノラ・ゲイ乗組員12人のうち、生存するポール・ティベッツ元機長(90)ら3人。声明は、原爆投下がなければ、連合軍による日本の本土上陸作戦は避けられず、「日本人や連合軍の多数が犠牲となっていた」と主張している。声明は、英BBC放送など欧米メディアで報道された。
 ティベッツ元機長は声明の中で、「私は、日本の退役軍人や市民からも感謝された。(原爆投下がなければ)彼らは、捨て身の本土防衛をせねばならなかったからだ」との意見を記した。】


共同通信の記事より。

【ドイツ週刊誌シュピーゲル(電子版)は5日、広島に原爆を投下した米爆撃機エノラ・ゲイの乗組員だったセオドア・バン・カーク氏が同誌との会見で「原爆を投下するまでもなく(当時の)日本は敗戦国だった」と述べた、と伝えた。
 カーク氏の証言は、米軍の実行部隊レベルでも原爆投下前の日本が事実上、敗戦状態だったとの認識があったことをうかがわせる。
 カーク氏は「日本は国土の85%が焼き尽くされ、投下しなくても工業基盤は崩壊していた」と回想。ただ「日本はそれでも戦争を継続しようとしていた」とも強調した。
 同氏はまた、同機のティベッツ機長が撃墜された時の自決用に乗員全員分の青酸カリを持っていたことを後に教えられたとしたが、もし撃墜されても「私は日本人と何とかやっていけると思っていた」と述べた。】

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 今日は、広島の「原爆の日」です。広島の小学校に通っていた僕としては、最近核兵器のことが全然語られなくなってきたような気がする上に、「日本の核武装すべきだ!」なんて意見を公の場で述べる人まで出てきて、ちょっと不安な気持ちになっていたのですが、今年は60年目ということもあって、メディアでも、あらためてこの原子爆弾という兵器と、それが人々にもたらした災厄について、語られることが多いようです。昨日はゴールデンタイムに検証番組をやっていましたしね。ああいうのって何年ぶりかに観たような。
 とりあえず「火垂るの墓」を放送しておけばいい、というのも、さすがに希求力が低下しているなあ、と思いますし。
 ただ、70年目の「原爆の日」は、どうなっているだろう?原爆のことがこんなに取り上げられるのは、これで最後なのではないか、とか、そんなことも考えてしまうんですけどね。

 さて、この「エノラ・ゲイ」の搭乗員たちの「証言」なのですが、彼らがあえて「自分たちは正しいことをした」という声明を出しているということそのものが、「迷い」の表明でもあるのだと僕は感じます。たとえば、溺れた子供を助けた人が、わざわざ「自分は正しかった」なんてあらためて発言する必要はないわけで。
 僕は小学校の社会見学で、原爆資料館に行ったとき、そのあまりに凄惨な展示物の数々に衝撃を受けました。その夜は、怖くて眠れなかった。それは「原爆を落としたアメリカが憎い」とか、そういうレベルのものではなくて、どうしてこんな恐ろしいことが、人間の歴史に起こってしまったのだろう?という怒りと、これを再現できるものが、地球上にまだたくさん存在しているのだという恐怖感、とにかく、ここで見たもののことはすぐに忘れてしまいたい、と切実に思ったものです。結局、ずっと忘れられないのですけど。

 僕は、日本への核の使用は、「戦争犯罪」に値するのではないか、と考えてます。だって原爆があの日無差別に消してしまった命の多くは、非戦闘員だったのですから。そういう意味では、ナチスのホロコーストと、やった側が勝ったか負けたかの違いだけしかないのでは?とすら思うのです。
 でも、その一方で、こんなふうにも考えます。もしあのまま戦争が続いていたら、僕の父親や母親も戦争で命を落としていたかもしれないのだから、ひょっとしたら僕が今生きているのは、「原爆のおかげ」なのかもしれない、と。
 たぶん、そんなはずはない、そう信じたいけれど、僕個人、いや、現在生きている人たちにとっては、そういう側面があるのも否定できません。もし原爆投下がなければ、戦争終結までに原爆の犠牲者以上の人が命を落としたかどうかはわからない。でも、少なくとも、今、僕はこうして生きている。

 本当に耳を傾けるべきなのは、「死者の声」でなければならないはずです。生き残った人たちにとては、少しずつでも「過去」になっていくことでも、それで命を失ってしまった人たちにとっては、あの一瞬ですべてが止まって、終わってしまったのだから。
 原爆の犠牲になった人たちには、「戦争」という非常事態の中にあったとしても、今の僕たちと同じような夏の、戦時下なりの「日常」を過ごしていただけなのに。
 エノラ・ゲイの搭乗員たちを責めても仕方ないとは、僕も思うのです。彼らは一兵士だったのだし、彼らが人道的な理由でこの任務を拒否したとしても、他の兵士がそれをやっただけのことだろうから。そして、彼らだって、あの光景を目にして、何も感じなかったとは思えないけれど、自分や家族を守るため、という自衛の気持ちだってあったはずです。現場の兵士にとっては、「自分が死ぬかもしれない、人道的な兵器」よりも「自分は安全な、非人道的な兵器」のほうが、好ましい場合だってあるでしょう。戦争はオリンピックじゃありませんから。「日本がどうせ負ける」とは認識していても、戦争が終わるまでに、自分が死ぬリスクは少なくしたいはずだし。

 「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった。我々は後悔していない」
 今の僕には、正直「あの瞬間」に原爆が必要なかった、と言い切る自信はないのです。
 でも、今、この瞬間、2005年8月6日、世界に核兵器が必要だとは、僕には思えない。少なくとも、原爆の犠牲者になった方々は、人類にそれを教えてくれたはずなのに……




2005年08月05日(金)
ある名門高校野球部の悲劇

日刊スポーツの記事より。

【甲子園春夏通算24回目の出場を決めていた名門・明徳義塾(高知)が4日、あす6日開幕の第87回全国高校野球選手権大会(甲子園)の出場辞退を発表した。部員の喫煙、部内暴力が判明したためで、馬淵史郎監督(49)は辞任を表明した。夏の大会で代表校が出場を辞退するのは初めて。前日抽選会が行われ、対戦相手が決まったばかりだった。規定により高知大会準優勝の高知が出場し、大会5日目第3試合で日大三(西東京)と対戦する。
 戦後新記録の8年連続出場を決めていた明徳義塾が、戦わずして夢舞台を去った。この日午後、大阪市内の日本高野連で会見した馬淵監督は「生徒のことをいろいろと考えた揚げ句の私の判断だったが、結果的に報告遅れということになってしまい、選手には大変悪いことをした。非常に反省しています」とうつむき加減に話した。前日に対戦相手が決まり、あとは2日後の開幕を待つばかりだったことが、衝撃をさらに大きくした。同校の連続出場は7年で途絶えた。
 馬淵監督によると、4月から7月にかけて2年生3人、1年生8人が寮内のボイラー室で喫煙していたことが7月上旬に発覚。暴力事件については3年生4人、2年生2人が1年生に対し格闘技のK−1をまねたような暴力を4月に1回、5月に2回行っていたことが7月15日に発覚した。これを学校長や高野連へ報告せず、部内で1週間の謹慎処分を科すなどして解決を図ろうとしていたという。
 だが、事件に関する匿名の投書が1日に高知高野連に、3日に主催の朝日新聞社に届いた。これを受け、日本高野連が3日夜に宮岡清治部長(45)と馬淵監督に事情を聴取。事態を重く見た学校側が4日午前9時に高野連に出場辞退を申し入れた。吉田圭一校長(58)は「1日の投書を受けて、馬淵先生から初めて事件のことを聞いた。87回を迎える歴史ある大会に出場するのは不適切と判断した」と説明した。
 日本高野連も出場辞退を了承。臨時審議委員会を開き、宮岡部長と馬淵監督に有期の謹慎処分を科すことを決めた。今後、日本学生野球協会審査室(開催時期未定)に上申される。】

【まさに異例の事態だ。甲子園の常連校である明徳義塾が開幕2日前に出場を辞退。「生徒を思ってやったことが、嫌な結果に」「情状酌量の余地はあると…」。馬淵監督はしきりに釈明した。隠ぺいする意思はなかったと信じたいが、指導者の認識の甘さが悲劇を呼び込んでしまった。
 日本高野連ではかつてのような連帯責任を求める姿勢は取ってはいない。不祥事の質の問題はあるが、高野連に報告し、その加害部員を登録メンバーから外すことで、各地方大会への参加は可能になっている。現に暴力行為があった日本航空は山梨大会開幕前に山梨県高野連に事態を報告していたため、出場を認められた経緯がある。
 今回の不祥事は決して悪質なものではない。日本高野連が問うているのは不祥事自体ではなく、あくまでも報告が遅れたことについてだ。それだけに適切に対応していれば、警告処分ですんだかもしれない。馬淵監督は「(不祥事があった)時点で対処しておけば、こういう問題にはならなかったかも」と悔やんだ。】

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 最近あまり大きな話題になったことがない高校野球で最大の「話題」が、この不祥事だったというのは、なんだかなあ、という気もするのですが、僕の感想は、「高校の野球部の裏側なんて、まあ、こんなものだろうな」というものでした。明徳義塾高校は高校野球界の名門で、選手たちは、いわば甲子園出場を義務付けられた「プロの高校球児」たちでしたから、この件では、選手やその周囲の人たちは、ものすごく落胆したことでしょう。「甲子園に出場するための越境入学」なんていうのは、あんまり感じのいいことじゃないけれど、それはそれで、中学を卒業したばかりの青年たちが、親元を離れて生活するということだけでも、けっこう大変なことではありますしね。そこまでして「野球が上手くなりたい」「甲子園に出たい」と切望していたのに。考えてみれば「不祥事を起こさないことも含めてのプロの高校球児であるべきだった」ということなのでしょうが。
 都会ではたぶんどうでもよくなってしまっていることなのでしょうけど、田舎では「甲子園に出る」というのは、ものすごいニュースなのです。僕が前に働いていた病院では、「地元の高校が10年前に甲子園で優勝したときのピッチャーの消息」というのをみんな話していて、そんなに長い間「ヲチ対象」になってしまうものなのか、と驚かされたものです。あんな若い時期が「人生のピーク」になってしまうというのはリスキーな感じもしますけど、考えてみたら、僕をはじめとする市井の人々には、「ピーク」すらないんだし。
 実際に「野球界」というピラミッドの頂点にいるはずのプロ野球の選手たちをみていると「スポーツが健全な精神を作る」なんていうのは、嘘っぱちなんだなあ、ということがよくわかります。某球団の耳にピアスをしている強面の「番長」さんに、なんであんなに人気があるのか僕にはさっぱりわからないし、甲子園から鳴り物入りで北のほうに入団した選手なんかは、キャンプでタバコ吸いながらパチンコですからねえ…前にも「喫煙疑惑」があったことだし、あのたたずまいは、「社会人デビュー」だとは思えません。
 もっとも、そういう不健全さも含めて、現代的には「高校生らしさ」なのかもしれないんですけどね。
 そして、喫煙・暴力が日常茶飯事の選手がいる一方で、真面目に野球をやっている選手がいることも事実なのでしょう。だから「高校野球なんてこんんもんだ」と言うのではなく「高校野球にも、こういうやつはいるのだ」と考えるべきなのでしょう、きっと。

 それにしても、インドア派高校生だった僕としては、高校野球は所詮「競争」なのに、どうしてあんなに美化され続けているのか、納得いかない気分だったのです。あいつらが勉強せずに一生懸命野球しているのが「青春」なら、野球をせずに(というか、やれと言われてもできないけど)勉強ばかりさせられている僕の今は、何なのか?と。どうして高校野球は「美しい勝負」で、受験は「戦争」なのか?と。あいつら野球エリートなんて、実際は感じ悪いやつばっかりなのに。所詮、僕の人生には、浅倉南はいなかったし。
 もともと「転勤族」なので、地元の代表には愛着なんてサラサラない、というのもあるし、自分の子供が高校生くらいになれば、また違ってくるのかもしれませんけどね。

 たぶん、ああいう「旧き良き青春のひな型」みたいなのが、この日本のどこかに残っているのには、資料的価値だってあるのでしょう。
 そして、某新聞社とか某国営放送とかが、その幻想で商売をしているかぎり、「甲子園に出たい!」という若者が絶えることはなさそうです。

 同じ日刊スポーツに、こんな記事が載っていました。
【明徳義塾ナインは4日午前10時ごろ、西宮市内の宿舎食堂で馬淵監督から出場辞退を告げられた。食堂からはすすり泣く声が聞こえ、部屋に戻った選手たちは「何でだよ…」と泣き崩れた。今回の不祥事にかかわった控え選手3人は、返事もできないほど落ち込んだ。
 午前8時半からは西宮市内の津門中央公園で練習を行った。ただ「最後の練習を見てやろうと思ってましたが、見ててかわいそうになってきた」(馬淵監督)と、予定の2時間を30分に短縮して切り上げていた。
 チームは、関西出身の選手が多いことから、夕方6時半ごろに宿舎で「解散」した。関西出身の選手は家族が迎え、他は新幹線やバスで帰宅した。全員無言で憔悴(しょうすい)しきった表情だった。】

 第三者的には、こういう「悲劇のドラマ」が、また甲子園を必要以上に「聖地」にしてしまっているのかな、とも思うんですけど、やっぱり、当事者たちはかわいそうだよね…

 ところで、僕は、当事者だけ外して、甲子園に参加してもいいのではないかと思うのですが、「高野連は連帯責任を以前のようにはとっていない」というのを今回はじめて知りました。選手たちも知らなかったのではないでしょうか(あるいは監督も?)
 でも、この件に関して「当事者だけの処分でいいじゃないか!」と憤る人々の多くは「だから公務員はダメだ!」とか「雪印の社員はみんな悪人!」とか思っていたり、末端の社員を罵倒していたりするんですよね。良心的な人々だっていて当然のはずなのに。
 というか、「高校の野球部」という狭い世界で、そういう「校風」がまかり通っていたとしたら、個々の部員の責任というのは、大企業の末端構成員の比じゃないと思いませんか?
 少なくとも、高校野球という世界の(表面的な)清浄化、という観点からは、この出場辞退劇は、効果があるのだと思います。せめて、そうであってほしい。



2005年08月04日(木)
私はこうして人気ブログを作った!

「はじめよう!みんなのブログ・Vol.4 2005 Summer」(インプレス)より。

(「私はこうして人気ブログを作った!」という記事での、「実録鬼嫁日記」の作者・カズマさんへのインタビューより。

【インタビュアー:カズマさんがブログを始められたきっかけは?

カズマ:2〜3年前ですかねえ、もともとスロットのホームページをやってるんです。自分のおこずかいが、ゼロ円になっちゃったんですよ。で、現金収入がほしくて、ここはスロットで稼ごうと。そのスロットの収支を日記に書いてたんですね。

インタビュアー:稼げますか?

カズマ:まあ、そこそこ(笑)。でも、たとえば、自分がスロットで5万円勝ったら、財布から3万円抜かれているんですよ! もう辛くて辛くて。で、憤懣やる方なくて、そのことを日記に書いたら、すごくウケたんです。
 そのうち、スロットはやらないけど、嫁の話だけ読みたいっていう読者の声が届くようになったんです。それで嫁の話だけ独立させて、ブログにしました。

(中略)

インタビュアー:これだけ人気者になると、ああ、更新しなくちゃっていうのが辛くないですか?

カズマ:プレッシャーは、ありますよ。でも、自分が好きでやってることですから。

インタビュアー:コメントやトラックバックは全部読みますか?

カズマ:だいたい1つの記事に200くらいコメントがつきますけど、自分は全部、ひとことでもいいから、必ず返事を書くようにしてます!読者の意見って大事なんで。

インタビュアー:たとえば、コメント欄の読者の意見を見て、くじけそうになったりは…

カズマ:よくない意見のコメントを削除したりする人がいますけど、自分は絶対に消しません。悪い意見にも、必ずコメント返します。「なんだつまんないじゃないか」って書いてあったら、「すみません、次はもっとがんばります」って。】

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 ここであらためて御紹介するまでもない超人気ブログ「実録鬼嫁日記」の作者へのインタビューの一部なのですが、これを読んで僕が考えたのは、やっぱり、人気ブログを作るためには「マメさ」みたいなものって必要なんだなあ、ということでした。カズマさんは、さらっと「必ず返事を書く」と答えられていますが、実際にそれをやるというのは、ものすごく大変なことだと思います。中には「レスしようがないようなコメント」や「誹謗中傷」も混じっているのですから。そして、そういう姿勢というのは、来訪者の親近感も呼ぶのでしょうし(だって、「あのカズマさんがレスしてくれた!」っていうのは、読者にとっては、ものすごく嬉しいことだと思うから)、そうやって、ひとりひとりの読者の「囲い込み」にも成功しているんだろうな、という気もするのです。そもそも、スロットで「嫁にお金を抜かれるほど勝てる」というのは、やっぱり研究熱心さやマメさの証拠なのだろうし。知らない人のサイトは、ブックマークからすぐ外せても、一度でも交流があれば「情が移る」ものですしね。
 「つまんないじゃないか」なんて書かれたら、僕なら5秒で「イヤなら来るな!」とかレスしそうなんですけど、こんな人気ブログの作者であるにもかかわらず「次はもっとがんばります」だものなあ…
 そんなふうに書かれたら、「荒らしさん」も、「じゃあ、その努力の跡を読んでやろうか」なんて、いつのまにか愛読者になってしまうのかも。
 そういう「マイナスな事象」をプラスに転じてしまう力というのも、ひとつの才能なのでしょう。まあ、今となっては、「鬼嫁日記」は、「お金になるブログ」ですから、そういう意味での「プロ意識」がそうさせるのかな、とか考えなくもありませんけど。

 あと、これを読んであらためて思ったのですが、サイトのコンテンツというのは、書いている側が気合を入れて「狙った」ものより、ちょっと力を抜いて適当に書いたもののほうが、周りにはウケる傾向があるみたいですね。
 この「活字中毒R。」も、最初は、その日に読んだ本を羅列するだけの「おまけ」のつもりが、なぜか、こんなに続いてしまっているし。



2005年08月03日(水)
「陰毛と書かないほうが恥ずかしい」人気女性作家

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年6月号の記事「角田光代ロングインタビュー」より。

【インタビュアー:ところで角田さんは、女性作家の中では格段に「陰毛」の頻出度が高いんですよ。セックスも「性交」。そこに角田さんの確固たる意志を感じるんですが(笑)。

角田:なにか逆自意識みたいになっているんです。自分に見えるものを自分の言葉で書くということをずっとやってきて、然るべき所に陰毛と書かないことのほうが恥ずかしいというか。
 直木賞の後、あちこちに写真が出て、「写真がすごくお好きなんですね」と言われて、ショックでした。人は露出が好きだというふうに取るんだな、と。でも「写真はお断りです」と言う自意識のほうが恥ずかしい。私はエッセイで物の値段のこともよく書くんですけれども、たとえばそれが380円だとして、その380円という値段を恥ずかしいよなと思うことのほうが、恥ずかしい。(小さくなって)カッコよさげなものが苦手なんです……】

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 そう言われてみれば、「対岸の彼女」で直木賞を受賞されて以来、角田さんの写真をいろんなところで見かけるなあ、と思いました。「負け犬vs勝ち組」みたいな構図で語られることが多かった「対岸の彼女」は、ものすごく話題になってベストセラーにもなりましたから、「時の人」としての露出として僕はあまり気には留めていなかったのですが。
 確かに、角田さんは客観的にみて「雰囲気がある人」ではありますが、綿矢りささんみたいに「萌え」を煽るようなルックスの方ではないですから、あまりにも顔を露出されることに対しては、なんとなく違和感もあったのは事実です。見かけで本が売れるタイプでもなさそうなのに、けっこう目立ちたがりなのかな?とか。
 実際に角田さんが書かれる小説は、むしろ、そういう「目立とう精神」みたいなものとは極北の位置にありそうなイメージもあったんですけどね。
 しかしながら、このインタビューでの角田さんの言葉を読んでいると、御本人としては、「露出したい」というよりは「露出しようとしないほうが、カッコつけているように思える」から、「露出をあえて避けたりはしない」ということのようです。作家の中には、顔写真を世に出したがらない人もけっこういますから(最近はそういう人は少ないみたいですけど)、文壇という世界では、それはそれで「風当たり」みたいなものもあるのかもしれません。「角田光代は、そんなに美人ってわけでもないのに、どうしてあんなに露出しまくってるんだ!」とか某老大家に言われていたりするのかな。

 これを読んで、僕はずっと考えているのですが、なかなか結論が出ません。さて、「写真はお断りです」という自意識と「写真はお断りです、なんて言う自意識は恥ずかしい」という自意識とでは、どちらがより「自意識過剰」なのだろうか?と。恥ずかしがるほうが恥ずかしいのかもしれないけれど、やっぱり自分に自信がないと、顔写真なんて大っぴらには出せないんじゃないか、とか、いくらそこにあるものでも、日常会話で「陰毛」は使いにくいよな、とも思いますしね。

 ただ、ひとつだけ言えるのは、作家という職業には、こういう「こだわり」っていうのは大事なのだろうなあ、ということです。
 それはもう、「正しい」とか、「間違っている」とか、そんなことは関係ないのかもしれません。



2005年08月02日(火)
結局、「自殺の理由」なんて、生きている側の都合次第なのか

読売新聞の記事より。

【東京都世田谷区の自宅で首つり自殺した自民党の永岡洋治衆院議員(54)(茨城7区)が昨年末ごろから、精神疾患で投薬治療を受けていたことが1日、警視庁成城署などの調べで分かった。同署は、病院側から詳しく事情を聞き、自殺と疾患との因果関係を調べる。
 同署の調べや関係者の話によると、永岡議員は昨年末ごろから体調不良を訴え、都内の病院で診察を受けたところ、うつ症状とみられる精神疾患と診断されたという。通院しながら、投薬治療を続けていたといい、自宅からも治療薬が見つかったという。
 同署は自殺とみているが、これまでに自宅などから遺書は見つかっていない。
 永岡議員の自宅には1日夕から、自民党関係者らが沈痛な面持ちで次々と弔問に訪れた。島村農相は同日夜、「非常にまじめな男だった。残念だ」と繰り返し、永岡議員が所属していた亀井派会長の亀井静香・元政調会長は、「あってはならないこと」と言葉少なだった。
 武部幹事長や谷垣財務相らは、報道陣の問いかけに無言で、硬い表情を崩さなかった。】

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 「ついに、郵政民営化問題で死人が出た!」なんてマスコミは大騒ぎをして、与党の民営化賛成派は「反対派のイビリが原因だ」と叫び、反対派は「意にそまない賛成票を投じさせられたからだ」と主張し、野党は「とにかく小泉政権が悪い」と繰り返しているのです。「自分たちのせいかも…」と思う人は、誰もいないのでしょうか?そりゃあ、思っても口には出せないのかもしれないけどさ。
 こういう一連の「反応」を見ていて思うのは、結局、「誰かの死」に対する解釈というのは人それぞれで(遺書がなかったことも、その理由なのかもしれませんが)、「他人の死を自分の都合のいいように利用しようとする人たち」というのが、こんなにたくさんいるのか、ということです。「永岡議員の弔い合戦」みたいなことを言い出す連中がたくさん出てくるのだろうなあ、と思うと、本当にうんざりします。
 そんなことを考えていたら、この「精神疾患で治療中」という話が出てきて、今度は「病気のせい」という話になってしまいそうな感じだし。
 「自殺」の原因には、病苦とか経済難などもあるのですが、その多くには、うつ病などの疾患が関連しています。単に「悩みがある」というような状態くらいでは、自ら死を選ぶというまでには、なかなか至らないもののようです。「すごく真面目な方だった」ということですし、おそらく、うつ状態(あるいはうつ病)になられた理由には、仕事によるストレスもあったのでしょうが、少なくとも「郵政民営化法案」だけが、永岡議員を自殺に追い込んだのではないと思います。それが、ひとつの「要因」にはなったとしても。
 僕がこのニュースを聞いていちばん感じたのは、きっと、永岡さんは「休みたかった」のだろうなあ、ということでした。何かを主張したいがための死というよりは、何もかもが嫌になってしまっての衝動的な選択だったのかなあ、と。
 それにしても、ワールドカップ誘致合戦の影響で自殺してしまった公務員やドラフトで指名した選手が入団してくれなかったために自殺してしまったスカウト、鳥インフルエンザで社会的に非難されたために死を選んだ経営者夫婦に対して「あれはワールドカップのせいだ」とか「野球というスポーツのせいだ」「誰があの経営者をあそこまで追い込んだんだ」というような声があまり聞かれなかったことを考えると、結局「自殺の意味」なんていうのは、生きている側の都合しだいで、どうにでも変えられてしまうものなのかもしれませんね。公務員やスカウトだって、あるいはあの経営者夫婦だって「自分なりに仕事を全うしようとして、行き詰ってしまった人々」なのに、「利用できない死」「都合の悪い死」に関しては、みんな口をつぐんでしまう。
 板ばさみになった状況には同情しますが、国会議員なんていうのは、基本的に「板ばさみになるのが当然の仕事」なのですし、「休職」とかいう選択肢はなかったのかなあ、とか、そんな状況なら、辞めてしまえばよかったのに、とか思わなくもありません。逆に、そんな追い詰められた状況の人たちが、国政に携わっているというのは、ちょっと怖い気もしますから。
 でも、実際には「辞められない」のですよね、きっと。みんなギリギリのところを歩いているのでしょうし、責任感の強い人にとっては、行き場のない状態だったに違いありません。
 結局、「死ぬ気でやれ!」と「死ぬくらいならやるな!」を、うまく使い分けているんですよね、生きている側は。



2005年08月01日(月)
サザンオールスターズの『真夏の果実』ができるまで

日刊スポーツの記事「歌っていいな・夏の名曲(5)〜真夏の果実(サザンオールスターズ)」より。

【サザンオールスターズが野外コンサートで「真夏の果実」を演奏するとき、必ず花火が上がる。桑田圭祐の依頼だ。スタッフは「曲名の『果実』とは、花火のことなんじゃないかって思うんですよ。一瞬で消えちゃうけど、強く心に残るという意味で」という。桑田にとって「真夏の果実」は、特別な思いがこもった曲だった。
 89年9月から約1年。桑田は人生で最も忙しい日々を送っていた。映画「稲村ジェーン」で初めて映画監督に挑んだ。

(中略)

 撮影は89年10月5日に伊豆、弓が浜でスタートし、12月14日にクランクアップしたが、編集作業を進めるうちに、次々と新たな情景が桑田の中に浮かび、90年5月に追加撮影を行うこととなった。映像だけでなく、音楽でも1つの思いがあった。映画で使う「忘れられたBIG WAVE」「希望の轍(わだち)」などは完成していたが「クライマックスに向かう前の場面で、もう1曲、へそになるようなグッとくるバラードがほしい」。
 追加撮影の準備のため、桑田はスタッフと伊豆・下田を訪れた。その時に、わずか2、3日でつくったバラードが「真夏の果実」だった。桑田は同行していたスタッフに「四六時中も好きと言って〜」のサビの部分をギターで弾きながら歌って聴かせた。桑田が出来上がったばかりの曲を聴かせるのは、きわめて珍しい。それほど会心の出来だったのだろう。当時を知るスタッフは「桑田さんは基本的に曲を先につくって後で作詞をするのですが、聴いた時にもう詞がついていた。映像を通じて、イメージが頭の中にあったのではないか」と推測する。

(中略)

 桑田は当時「映画の公開前で、忙しくもあり何か寂しくもありって時で。でも妙に充実している時期にフッとできた曲」と語っている。】

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 「サザンの曲の中で、いちばん好きな曲を」と問われたら、この「真夏の果実」を挙げる人というのは、けっこう多いのではないでしょうか。この曲は、ちょうど大学に入った年の夏にものすごく流行っていたということもあって、僕にとっても、とても思い出深い曲なのです。
 「稲村ジェーン」という映画に関しては、当時も毀誉褒貶がありましたし、僕も正直、そんなに面白い映画とは思えなかったのですけど、それでも、あの映画のサントラは今でも夏になると引っ張り出してきて聴きますし、この「真夏の果実」という曲が、あの映画を忘れられないものにしている、と言えるような気もするのです。まさに映画の「へそ」になっている曲。名曲がたくさんあるサザンのなかでも、まさに「名曲中の名曲」と言えるのではないでしょうか。
 このエピソードを読んでみると、桑田さんにとっても、「真夏の果実」というのは、まさに「特別な曲」なのだなあ、ということが伝わってくるのです。これを読んでいて思い出したのですが、僕は以前一度だけサザンの野外ライブに行ったことがあって、確かにこの「真夏の果実」が演奏されたときに、花火が上がっていたような記憶があります。確かそのとき「こんなしみじみとしたバラードなのに、何で花火なんだろう?」と、ふと考えたような。あれは、桑田さんのリクエストだったんですね。それにしても、夏の夜の「真夏の果実」は、本当に心に染み渡るようでした。
 以前「映画を撮るのが夢だった」と語っていた桑田さんがメガホンを握ったのは、今のところ、「稲村ジェーン」だけです。そして、今後、新しく映画を撮るという話も聴きません。映画製作に「色気」を持ってしまったがために、借金を背負ってしまった「アーティスト」がたくさんいるなかで、興行的にもそれなりに成功をおさめていたにもかかわらず、これ一作しか撮っていないというのは、ひょっとしたら、この「真夏の果実」のような曲は、そうそうできるものじゃないと、桑田さん自身も考えているのかなあ、とも思うのです。ひょっとしたら、あの曲そのものが「真夏の果実」だったのかもしれません。

 …蛇足なんですが、僕が「真夏の果実」を忘れられない理由のひとつは、あの曲を聴きながら車を運転していて、はじめて車をぶつけてしまったことなんですよね。名曲にもいろんな思い出があるものだ、ということで…