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2003年01月31日(金)
カンボジアとタイとイラクとアメリカ。


西日本新聞の記事より。

【カンボジアのプノンペンでタイ大使館などが焼き打ちされた暴動は、事実上の国交断絶という深刻な事態に発展した。デマの可能性が高いタイ人女優の「アンコールワット強奪」発言報道がなぜ、ここまでカンボジア人の怒りを駆り立てたのか。背景として、両国間の大きな経済格差や「歴史的に複雑な国民感情」(タイ・ネーション紙)が指摘されている。

 女優の「強奪発言」そのものは今月十七日、プノンペンで大量にばらまかれた出所不明のビラが発端。これをカンボジア各紙がそのまま報じ、女優も発言自体を否定しており、デマの疑いが濃厚だ。

 カンボジアでは、ビラがばらまかれたのと同じ十七日から、七月の総選挙に向けた有権者登録作業が各地で始まったばかり。タイ国立タマサート大東アジア研究所のスラチャイ・シリクライ助教授は「総選挙妨害を狙って、何者かが政治的混乱を起こす意図でデマのビラをばらまいたのではないか」とみる。

 隣り合うタイとカンボジアの関係は複雑だ。内戦終結から十年以上たった今も復興途上にあるカンボジアには、タイ企業が次々に進出。タイの国民総所得約二千ドル(約二十三万円)に対しカンボジアは二百六十ドルという経済力の差を背景に、カンボジア国民の間にはタイによる「経済・文化侵略」への反発が強い。

 また、今回焦点になった世界遺産アンコールワットは十二世紀前半、インドシナ半島一帯を支配していたカンボジア人のクメール帝国が建立したが、十五世紀にタイ人のアユタヤ王朝軍が侵攻し、帝国は滅亡。同王朝も十八世紀にビルマ(現ミャンマー)軍の猛攻を受け、滅びたとされる。

 カンボジア人の心の象徴でもあったアンコールワットに関するタイ人女優の「強奪発言」報道は、こうしたカンボジア人の根強い反タイ感情を一気にあおった格好だ。】

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 「女優の発言で、カンボジアとタイが国交断絶!」というようなセンセーショナルな見出しで語られることが多いこのニュースなのですが、実際はたぶん、「有名女優のアンコール・ワット強奪発言」というのは、単なるきっかけにすぎなかったということなのでしょうね。
 確かに、隣の国なのに、収入格差が8倍もあって、企業の進出による経済支配も盛んになっているという状況では、カンボジアという国が潜在的に反タイ感情を持っていても不思議はないでしょう。とくに東南アジアには仏教が生きている宗教であり、アンコール・ワットは、彼らの誇りとする場所ですから。
 僕の友人が、卒業旅行に東南アジアに行ったのですが、各国の印象を語るときに、「カンボジア…う〜ん、アンコール・ワット以外はとくに何も…」と言っていました。それも、アンコール遺跡のなかには、まだまだ立ち入りが危険な場所もあるらしくて。
 
 第3者的には「そこまでしなくても…」と思われるこの暴動なのですが、おそらくカンボジアの人たちとしては、「タイの連中は、お隣さんのくせにいつも贅沢して俺たちをこき使って、その上、俺たちの唯一最大の宝にまで触手を伸ばそうってのか!」
と怒り心頭に達しているんでしょう。

 タイから、日本からみれば「そんなことでこんなに怒らなくても…」と感じてしまうこの問題ですが、小さな国(人口や潜在能力としては、戦乱がなければカンボジアはけっして「小国」ではないと思いますが)には、小さな国なりのプライドがある、というのは歴史的事実。でも、それに大国は気づかない、もしくは気づかないフリをしている。

 それにしても、こういう経済格差や文化的侵略が背景にある混乱のニュースを聞くと、日本という国もきっと他の国から恨まれたり、妬まれたりしてるんだろうなあ、と思ってしまいます。
 日本企業が生き残るための海外進出が、どんどん進んでいけば
「浜崎あゆみが万里の長城は日本のものだと発言した!」なんて記事が出たりするのかなあ、まあそれは、あまりに根拠がない主張で、影響される人がいるとは思えないけれども。

 ただし、「そんなことで熱くなるなよ!」というのが、まさに大国の論理であるわけで。
 人間にとって、うるさくて刺されると痒い蚊をパチンと潰すのは、造作もないことかもしれませんが、潰される蚊の側からすれば、巨大な物体が、自分の存在を消し去るために飛んでくるわけですから、切実な問題です。
 でも、僕たちの目に触れるのはだいたい、人間側からの視点だけなんですよね。
 



2003年01月30日(木)
DVDが普及していくことの悲劇。


毎日新聞の記事より。

【電子情報技術産業協会(JEITA)が29日発表したAV(音響・映像)機器の需要予測によると、03年のDVD機器の国内出荷台数は450万台と、370万台のVTR機器を逆転する見通しになった。02年は、DVDが337万台(前年比97.7%増)に倍増、VTRの472万台に近づいた。

 DVD機器は、HDD(ハードディスク駆動装置)を内蔵し録画するタイプが伸びており、05年には半分以上が録画再生機になる見込みだ。

 一方、世界の出荷台数は、02年がDVD4504万台(同51.1%増)で、VTRの3426万台を上回った。JEITAは、DVDプレーヤーの世界的な低価格化や、DVDソフトの充実が理由だと分析している。日米欧でDVDとVTR一体型への買い替えが急速に進んだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 たぶん上の数字には、プレステ2は入っていないのでしょうが、僕は、まだVTRのほうが多く出荷されていたのか…と思いました。
 レンタルショップは今までの蓄積があるからさておき、セルの作品ではDVDがビデオテープを完全に逆転してしまった感がありますね。パソコンで出先でも観られますし、かさばらないし、巻き戻し、早送りは一瞬だし、テレビ番組の録画もできるということであれば、これからDVDの時代になることは、まず間違いないでしょう。
 最初に、CDと同じ大きさのDVDを見たときは「これに動画が2時間も入るんだろうか?」と疑問に思ったくらいだったのに。
 
 ただ、DVDが普及することについて、僕には心配があるのです。
 僕は基本的に「モノが捨てられない人間」でして、家には昔のゲーム機やカセットテープがあります。実家には、記憶媒体がカセットテープだったり、ペラペラの5インチフロッピーディスクだったりのパソコン(当時は「マイコン」と言ってましたが)があったりするのです。
ベータのビデオデッキ、なんてのも現存。
もう何年も電源を入れてませんから、たぶん、もう動かなくなっているでしょうけれど…

 実際のところ、こうしてハードが切り替わっていくことによって、今はもう観られなくなった保存版のビデオとか、思い出のゲームって、けっこうあると思うのです。
 僕たちが今重宝しているデジカメは、デジタルデータで、何年経っても画質が変わらない、というのがメリットなのですが、考えようによっては、そのデータの規格が変わってしまったら、もうどうしようもないんですよね。
 そういう意味では、たとえ色褪せていくにしても、媒介を必要としないプリント写真は、一度現像してしまえば残しておくことができるわけで。
 まあ、たとえ旧いビデオやゲームが残っていても、それを実際にやるかどうかは、別の話なんですけどね。
 それでも、自分の子孫に「ああ、このビデオテープとかいうやつに、お前のおじいちゃんのメッセージが入ってるんだよ。今はもう、見られないけどね」とか言われるのは、ちょっと悔しいような気がしませんか?

 ちゃんとデータを移していけば問題ないことなのかもしれませんが、いつでもできると思うと、意外とやらないものなんだよなあ。
 



2003年01月29日(水)
我々は不用意にハンバーガー屋を信用しすぎていたかも!


「幽玄漫玉日記」第6巻(桜玉吉著・ビームコミックス)・巻末の「玉屋『ビーム』救済四コマ」(タイトル「信用」)より抜粋。

(ハンバーガー屋での老人と店員さんとのやりとりから)

【店員「それではお会計の方お先に」
 老人「イヤだね!」
 店員「えっ?」
 老人「モノ出せよ!モノと交換で、銭払う。当然だろがっ!」
 筆者「確かに当然だ!
今まで我々は不用意にハンバーガー屋を信用しすぎていたかも!」】

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 確かに、この老人が言うことは、もっともな気もします。
 僕も、例えば弁当屋でさんざん待たされているときに、「先にお会計を」なんて言われると、ちょっとムッとしますし。
 先に商品持って来いよ!というような憤り。
 しかしまあ、ファストフードにはファストフード側の事情もあるでしょうし(まあ、大概はレジ前の混雑を避ける、という目的でしょうが)、先に会計をしたあと、店ごと蒸発したファストフード店なんて話は聞いたことがありませんから、そこまで神経質にならなくても、とは思うのですけどね。
 でも、取引の基本的な原則に反しているのは確か。
 そう考えていくと、今の世の中、消費者側からいえば、クレジットカードなんてのもそうですし、けっこう理不尽で危うい取引をお互いに信じてやっているわけで。
 まあ、何でも物々交換なんて現代では不可能だし、お金という存在そのものが、「信用しないと、タダの紙切れ」ではあるんですけどね。
 



2003年01月28日(火)
普通に死なせてもらえない「音速の貴公子」セナ。


日刊スポーツの記事より。

【“音速の貴公子”と呼ばれたF1ドライバー、アイルトン・セナ(享年34=ブラジル)が94年事故死した件で、イタリア最高裁は27日、ウィリアムズ・チーム責任者の無罪判決を破棄し、再審理を命じた。99年11月の控訴審で、ウィリアムズ・チームのテクニカル・ディレクターとデザイナーは無罪とされたが、検察側が上告していた。

 この事故死は世界にショックを与えF1の安全性に問題を投げかけたほか、地元での葬儀は国葬規模、後追い自殺する女性も現れた。F1での生涯成績は161戦41勝。】

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 「音速の貴公子」の事故死から、もう9年目になるんですね。
 「納豆走法」(しかし、これってけっこう失礼だなあ)の日本人初のフル参戦のF1ドライバー中島悟の登場で始まった日本のF1ブームは、マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとともに加速し、セナの事故死とともに収束してしまったような印象があります。もちろん今でも日本にF1ファンはたくさんいるのですけれど、セナがホンダを駆っていたときのような、みんな日曜日の夜は夜更かしをしてF1を観て、朝学校や職場でその結果を話す、なんてことは、ほとんど無くなってしまいましたし。

 アイルトン・セナの事故死については、当時からいろいろな説や憶測が流れ、「事故死の寸前に、セナは精神的に不安定だった」とか「何者かの陰謀説」とか、「自殺説」なんていうのも根強くありましたね。
 トップを走ったまま、誰にも抜かれないところに行ってしまったセナ。
 僕は、リアルタイムでは、あまりに感傷的なセナが好きではなく(強すぎたし、ちょっとワガママなところがあったし、女の子にモテモテでしたからねえ…)、「神を見た」なんてコメントには、選民思想かよ…とか感じてました。
 レースでは、プロストやマンセルを応援していたのですが、居なくなってしまうと、セナがいないレースでプロストやシューマッハを応援するのは、何か味気ないのです。

 あのセナが亡くなったレースでのクラッシュは、まったくウイリアムズのマシンが曲がらずにコーナーをまっすぐ進んで、壁に突っ込んでいったのですから、不思議な事故ではありました。セナが曲がろうとしなかったか、それとも、マシンが曲がってくれなかったのか?
 どちらにしても、生きている人間にとってわかるのは、アイルトン・セナは死んでしまって、もうこの世にいないということ。
 僕は、セナが死んでしまったのは、ほんとうに「単なる事故」だという気もします。あの車の挙動からして、おそらくマシントラブルによる。
 しかし、それを一概にチームの責任にできるかといえば、たぶんそうではないでしょう。当時のウイリアムズ・チームは、ミハエル・シューマッハのベネトンに連勝を許しており、負けられないレースでしたから、限界ギリギリのセッティングをしていたのでしょうし、絶対に故障しない車などありえません。
 少なくとも、チームにはセナを殺したい理由はなさそうです。
 元々、そういったリスクを承知していないF1ドライバーはいないでしょうし、危険もサラリーに反映されているはずで。それに、絶対に安全なF1には、あまり魅力はないかもしれない。

 セナの生涯は、事故死によって、よりドラマティックなものになりました。
 そして、僕たちは偉大なドライバーであるセナの事故死に何かの意味づけをしようとしがちです。
 でも、特別な人だから、特別な死に方をするとは限らないですし、名も無いドライバーの事故だったら、ここまでの問題になっていたかどうか?
 
 それにしてもセナは、なんと多くのものを乗せて走っていたのでしょうか。
 そろそろ、セナを楽にしてあげてもいいような気もしますね…
 



2003年01月27日(月)
パンダがいない、上野動物園。


朝日新聞の記事より。

【繁殖のためにメキシコ市のチャプルテペック動物園に貸し出される上野動物園のジャイアントパンダ、リンリン(雄、17歳)が27日、現地へ向けて出発した。今回で3度目だが、繁殖年齢の上限が迫っており、関係者は「今回こそ」と期待している。帰国は4月の予定で、それまでは上野動物園では、パンダが見られなくなる。
 27日正午、リンリンは輸送用のケージに入って通用口に到着。飼育係が好物のサトウキビを与えると、おいしそうに平らげた。菅谷博園長は「次の世代に種を残すのは大切な仕事。今回はぜひ成功に導きたい。リンリンもやる気十分ですので期待していただきたい」と報道陣に語った。

 チャプルテペック動物園では、雌3頭とお見合いをし、相性が良ければそのままペアリングさせて自然交配を待ち、うまくいかない場合は人工授精に切り替える。

 同園は01年以来、リンリンを2度迎え入れ、繁殖を試みたが、いずれも失敗している。パンダは発情期が短く、繁殖は非常に難しいという。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「リンリンがやる気十分」っていうのは、ちょっと疑わしい気もするのですが。
 さて、今年の1月2日に、僕は上野動物園に行きました。実に約20年ぶり。
 あまり東京に縁が無い地方在住者である僕にとっては、上野動物園は、20年前でも今でも、まさに「パンダがいるところ」以外のなにものでもないのです。
 そして、久々に寒空の中動物園に入園したのですが、正直、そのセピア色の光景に物悲しい気がしました。
 前は、あんなに広い空間だったのに!とか、あんなに珍しい動物がたくさんいたのに、とか。
 もちろん、動物園そのものは、20年前とそんなに変わっていないどころか、むしろ、動物の数は増えているのかもしれませんし、真冬ですから、屋内で過ごしている動物が多かったためなのかもしれません。
 でも、前日遊びに行った東京ディズニーランドと比べると、上野動物園は、あまりにも時代に取り残された場所のように、その時は思えたのです。

 「そんなことも知らなかったの?」と言われるかもしれませんが、僕は、上野動物園のパンダのいる場所に着くまで、「上野動物園には、今、ジャイアントパンダは1頭しかいない」という事実を知りませんでした。
 僕の記憶の中では、ランラン・カンカンから始まって、ホアンホアンとか、フェイフェイとかいたよなあ、そういえば…と途中から時系列も滅茶苦茶になって、ただただ「上野動物園には、パンダがいるはず」という思い込みだけが残っていた状況。ただ1頭でせわしなく檻の中を歩き回るリンリンは、なんとなく、疲れきっているように見えました。

 パンダが日本に来て、もう30年。各地の動物園は、経営難に苦しんでいます。これだけさまざまなメディアが発達してしまうと、「生きた動物を見る」ということに、人々はあまり刺激を感じないのかもしれません。実際に上野動物園にいた人たちは、明らかにTDLにいた人たちよりも年配か、小さな子供たちばかりでしたから。
 でもなあ、だからこそ、リンリンには、これからも元気で頑張ってもらいたいものです。僕と一緒に行った人は、「パンダに始めて会えた!」といって、ものすごく喜んでいましたし。いやほんと、悔しいくらい可愛い動物なんですよ。

 ある檻の前で、子供が発した言葉に、僕は驚きました。
「このキリン、リアルだねえ〜」

 今の世の中、「実像」と「虚像」の区別なんて、無くなってしまったのかなあ。
 「これがリアルな戦場かあ!」「これがリアルな銃か」
 「やっぱり、リアルな銃で撃たれると、痛いんだなあ…」

 戦争の話は極端な例えかもしれませんが、僕らは、「本物」が何かわからないまま、すべてを「知っている」つもりなのではないでしょうか。

 まあ、動物園というのは、動物にとっては迷惑千万な施設かもしれませんし、リンリンだって、独身主義のパンダだったりしてもおかしくないですが。

 とりあえず、彼女の旅の無事を祈ります。パンダのいない上野動物園は、やっぱりちょっと寂しいけれど。

 リンリンが日本に帰ってきたら、たまにはリアルなパンダに逢いにいきませんか?
 列に2時間も並ばなくていいし、たまには、のんびりとお弁当でも抱えて。
 



2003年01月26日(日)
「夢のある広告」vs「不純な才能」


「あの娘は石ころ」(中島らも著・双葉文庫)より抜粋。

(中島さんが、印刷会社の営業マンをやりながら、コピーライターの学校に通っていたころの話)

【毎日、宿題が出る。次の週までにコピーなりCFの絵コンテなりを作らねばならない。商品はいろいろである。ウイスキー、紙おむつ、胃薬、インスタント・ラーメン、バスケットシューズ、英会話教室、香港ツアー、たわしETC。
 大学生諸君は、その商品に合わせて夢のある広告を提出した。が僕は違った。僕はその日その日の講師の人となりに注目し、分析していたのだ。二時間半も一人の人の話を聞いていればその人についていろんなことがわかる。
「あ。この先生は、ほんとはギャグの広告が好きなんだけど、化粧品メーカーを担当させられて、ちょっとスネてるんだ」
といったことが読めてくる。読めてしまうのは、僕が五年間営業マンをしていて、ヤクザから一流会社の社長まで、いろんな人に会ってきたからである。
 で、ギャグ好きの講師には徹底してばかばかしい企画を出す。反対にリリカルなものが好きな人には、美しい、詩のようなコピーを出す。
 結果的には半年のうちに僕は一等賞を八つ取り、賞状と時計をもらって卒業した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 結局、中島さんは印刷会社に辞表を出して、フリーのコピーライターとしてやっていく覚悟をすることになるのです。

 彼の姿勢は、ある意味「純粋じゃない」という批判を受けても仕方がない面を持っています。だって、中島さんは「自分が良いと思うもの」を書かずに、「相手に認められやすいもの」を狙って書いていたわけで、文学作品でいけば「読者に媚を売っている」という類のネガティヴな評価を受けそうです。
 確かに、広告というのは「消費者の好みに合ったもの」でないといけない、という面が強いですが、それは芸術の世界でも、それを生活の糧にしようとすれば、同じことがいえるわけで。

 しかし、僕が思うに「人間の才能」というのは、それを高く評価する人がいてはじめて世間に認められるものです。
 歴史上、ごくごく一部の人間には、大多数の人々を認めさせる絶対的な才能があったのかもしれませんが、大部分の「天才」(とくに芸術の分野)には、その人が表現したいものが、その時代の世間の人々の嗜好に偶然一致した、という「運」の要素があるのだと思います。
 
 それに、中島さんのようは「相手の好みに合わせる」という技術について、自分で「汚い、ずるいと思う人がいるだろう」と書かれているのですが、対象者の好みを理解し、それにマッチしたものを作る、というのは、ある意味すごい才能だと思います。誰にでもできることじゃありませんよね。

 僕たちは、簡単に「才能がある」「才能がない」と決め付けてしまいがちだけれど、実は、人間の才能なんてそんなに個人差はなくて、その人のやりたいこと、できることと受け手の嗜好が合っているかどうかのほうが大事なことなのかもしれません。
 
 「僕には才能がない」とあきらめがちだけれど、足りないのは「才能」じゃなくて、自分の能力と世界の現状を見極める客観性であるということは、意外に多いんじゃないかなあ。やっぱり、受け入れてもらうための努力も必要だと思うし。
 
 どんなに素晴らしいサイトでも、観てくれるひとがいなければ、存在しないのと同様であるわけで。



2003年01月25日(土)
「さよなら」を言える幸せ、言えない幸せ。

「はらだしき村」(原田宗典著・集英社文庫)より抜粋。

【結婚して間もなく購入したのは、中古の白いコロナだった。
 本当は少年時代からの憧れであったセリカが欲しかったのだが、高くて手が出なくて、その兄弟車というふれこみだった二ドアのコロナを買ったのだ。
 私とカミサンになりたてのカミサンは、この車を「コロ太」と名づけてずいぶん可愛がった。好い車だった。別に遠出をしたり、峠を攻めたりするわけではない私にとって、コロ太は何の過不足もない、乗りやすい奴だった。その後、子供が生まれて、四ドアの車に買い換えようという話になり、中古車屋の人間が下取りに出したコロ太に乗って走り去った後、カミサンは「淋しい」と言ってしばらく泣いていた。彼女にとっても、それくらい愛着のある車だったのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 長年乗った愛車との別れ。僕は、この文章を読んでいて、その淋しさが伝わってくるのと同時に、なんだか羨ましいような気持ちにもなりました。
 僕は、普通免許歴12年。原田さんと同じように、峠を攻めたりもしないし、車で遠出をすることもほとんどない(ただし、当直に車で行くことは多いので、走行距離はけっこう長いのですが)、ごくごく一般的なドライバーです。
 僕が今まで乗ってきた車は、計4台なのですが、実は、今乗っている車以外の3台とは、こういう感動的な別れのシーンはありませんでした。
 初代の車は、走行中、道路に転がっていた岩にラジエーターが激突し、親に牽引してもらって家に戻るとき、家の壁に激突して廃車。
 2代目は、高速道路を走行中にエンジンが焼きつき、直してもらおうと試みたもののどうしてもダメで廃車。
 3代目は、当直明けで友人を家に送って行った帰りに、居眠りしてしまって路肩に激突してクラッシュ。エアバックが開くような自損事故で、これも廃車。
 つまり、僕の彼女は、みんなつらい別れを経験することなく、この世を去ってしまったのです。どの車にも、それなりに愛着はあったのですが…

 だから、この文章を読んだとき、原田さんの愛車とのつらい別れに、少しだけ「羨ましいなあ」と感じたのです。こんなつらい別れを経験しないで済んだのも逆によかったのかもしれないけれど。
 まるで、「さよなら」を言えずに別れた彼女のことを思い出したような気分。

 コロ太は、きっと涙を流してくれた人たちの心の中で走り続けているに違いありません。

 それにしても、最初に買った車のことって、どうしてこんなに心に残っているんでしょうね…

 



2003年01月24日(金)
『犬屋敷の犬60匹安楽死』、その救いようのない教訓。


読売新聞の記事より

【京都府亀岡市で100匹近い犬を自宅で飼っていた1人暮らしの女性(57)が交通事故で重体になり、放置されていた犬のうち約60匹を大阪府内の動物愛護NPO(非営利組織)のスタッフが安楽死させていたことが、24日までにわかった。引き取り手のあった10匹程度を除く残り約30匹も同じ運命になる可能性がある。

 女性は先月8日、道路脇に停車中、追突されて頭を強く打ち、意識不明で入院した。NPOが世話することになったが、大半は自宅敷地内のプレハブ小屋に押し込められるか、敷地で放し飼いされていて、皮膚病を患うなどして回復の見込みもなかった。

 このため、引き取り手がない犬は、女性の長女の同意を得て安楽死が始まった。週2回、大阪府内の動物病院で5匹ずつ、「せめて人の腕の中で死なせてやりたい」と話すNPOスタッフに抱かれて息を引き取っている。

 女性は4年前から犬を飼い始め、数が増えて近隣住民から苦情が相次いだ。地元の保健所は3年前、女性に注意したが、「飼い方まで指導できない」として飼育実態などは調べていなかった。

 動物愛護法は、業者に多頭飼育の届け出を義務づけているが、愛玩(あいがん)目的の飼育は対象外。このため、指定区域で10匹以上の犬猫飼育を禁止する条例を制定した鳥取県のケースもある。】

〜〜〜〜〜〜〜

 なんとも、いたたまれない話です。
 この犬たちを飼っていた女性、たぶんこれまでも近所とのトラブルがいろいろあったと思われます。たぶんそのときは、「私の家で何を飼おうと、私の勝手!」とか「近所に迷惑なんてかけてない」とか「この犬たちは、私が面倒をみてなかったら死んでしまっている」とか言っていたんでしょうね。
 まあ、一番最後の科白は、確かにその通りかもしれません。

 僕の実家でも犬を飼っていたのですが、その犬が前に子犬を出産したことがあったのです。父親の見当はついたのですが、犬相手に認知訴訟を起こすわけにもいかず、うちの親は、その6匹の子犬たちの貰い手を、ほんとうに一生懸命探していたのを記憶しています。
 欲目もあったかもしれませんが、誰もが一目みたら欲しがるような可愛い仔犬たちだったので、「全部うちで飼おう」と子供たちは他所にあげることに反対していたのですが、今から考えると、もしあの犬たちが、一軒の家でみんな成犬になっていたら、恐ろしいことになっていたと思います。やっぱり、親は大人の判断をしたわけで。
 それにしても、テレビに出てくるような血統書つきでない犬の貰い手を探すというのは、非常に大変なことなのです。今の住宅事情や家庭環境(家に人がいなくなる時間が、昔に比べたら格段に長くなっているでしょうから)から考えても、それはやむを得ないことで。

 この記事を読んで、「犬たちがかわいそう」と僕も思いましたが、動物愛護NPOのスタッフも可哀相です。好きな動物を安楽死させるために、動物愛護団体に入ったわけでもないでしょうに。こんな嫌な仕事を無報酬でやっているわけですから、彼らも被害者といえるでしょうね。
 
 しかし、この飼い主だった女性も、自分の責任ではない不慮の事故で、重体になられているわけで…「犬飼うなら、事故に遭うな」とか「一人暮らしで、動物を飼うな」というのは、暴論でしょうし。
 100匹は、あんまりですが。
 もちろん、安楽死に同意した娘さんだって、母親の年齢からいけば30歳前後くらいだと思うのですが「犬100匹をひきとってください」といきなり言われれば、誰だって悶絶するでしょうし、どうしようもない。

 まあ、最大の被害者は、もちろんこの犬たちなのですが、ひょっとしたら、彼らもこの女性に飼われていなかったら、野良犬として、のたれ死んでいた可能性もあったでしょう。でも、僕が犬なら、自分の運命を弄んだ人間に「せめて人の腕の中で」なんて言われたくないと思います。僕なら腕に噛み付きまくりそう。
 「殺されるくらいなら外に出してくれ、野良犬になる!」というのが、本音なのでは。
 でも、人間サイドとしては、そうしてやれないのが現実。

 結局、人間というのはワガママな生き物で、ときに、こうして「どうしようもなく、ただ、いたたまれない出来事」を引き起こしてしまいます。

 この話から2つだけ学びうることがあるとすれば、まず、この飼い主が100匹も犬を飼うようになった元凶には捨て犬の存在があると思うので、ひとりひとりの飼い主のモラルの向上が必要だということ。
 
 そして、人間いつどうなるかわからないから、急に死んだとしても、極力他人に迷惑をかけないように、いつも身辺の最低限の整理はしておくべきだ、ということです。僕自身も、今死んだら困ることだらけなのですが…

 ああ、それにしても救いようのない話だ…

 メメント・モリ。



2003年01月23日(木)
「女子中高生7割、ゆきずりSEXを容認」という記事の正しい読み方。


日刊スポーツの記事より。

【中高生の7割近くが「同年代の女子が見知らぬ人とセックスすること」を容認していることが、警察庁の青少年問題調査研究会の性に関する意識調査で22日、分かった。「同年代の女子が見知らぬ人とセックスすること」に、9・6%が「してもかまわない」と回答したほか、58・1%が「問題だが、本人の自由」と答え、セックスを容認する中高生が全体の67・7%に上った。「してはいけない」と回答した中高生は31・8%だった。
 「女子が見知らぬ人とのセックスで小遣いをもらうこと」は、ほぼ半数の49・1%が「してはいけない」と回答したが、「してもかまわない」が5・9%、「問題だが本人の自由」が44・8%に上った。特に女子高生の場合は、3・9%が「してもかまわない」、50・5%が「本人の自由」と答え、「してはいけない」の45・3%を上回った。さらに「同意があれば、誰とセックスしてもかまわない」という考えについて「そう思う」が44・4%、「思わない」は23・9%だった。

 「セックスをしてもいい時期」は、「分からない」と答えた22・9%を除くと、「高校1年」と回答したのが最も多く21・2%を占め、次いで「中学3年」10・0%、「高校卒業後」9・3%の順だった。

 調査は01年11月から約3カ月間、宮城、千葉、石川、岡山、大分の中高生計3133人を対象に、学校を通じて行った。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この統計、3000人の高校生(男子も含む)を対象に、比較的地方の県で行われているんですね。東京でのアンケート結果だと思ってました。
 しかし、この記事の見出しは「中高生の7割、ゆきずりSEXを容認!」なのですが、回答の内容をよく見てみると、「してもかまわない」が10%で、「問題だが、本人の自由」というと回答した人が58%、「してはいけない」が32%ということで、問題だと思っている人が、10人に9人。
 積極的肯定派は、10人に1人だけなんですよ。いやまあ、それでも多い、という向きもあるでしょうけれど。
 「問題だが、本人の自由」というのは、要するに、「私はしないけど、やる人にいちいち干渉する気はない」と意訳していいのではないかと思います。
 僕は逆に「絶対にダメ!」という人が32%、つまり、学生(つきつめれば、人間という人もいるでしょう)は誰でも、そんなことしちゃダメ!という人が3人に1人もいるということです。この結果、僕は逆に安心したくらいなんですけど。

 なんでもセンセーショナルに書きたい気持ちはわかりますが、例えばですよ、僕たちが「同年代の男性が不倫すること」の是非を問われたらどうでしょうか?
 やっぱり、「問題だが、本人の自由」に○をつける人が多いんじゃないかなあ。
 そういう意味では、中高生のモラルが低下したというよりは、世の中の個人主義の浸透度が、この回答に出ているといえるでしょう。
 「私はやらない。でも、他の人のことまでは面倒みきれない」
 だいたい「絶対に良い」とか「絶対に悪い」なんてことは、なんとなく言いにくいのが今の世の中ですしね。

 それにしても「いくつになったら、SEXしてもいいと思いますか?」という質問は、愚問だなあ、いったい誰が考えたんだろう?



2003年01月22日(水)
文章を書くときに、必要な環境。


「はらだしき村」(原田宗典著・集英社文庫)より抜粋。

【よく新刊が出たときのインタビューなどで、書いているときの時の私は一体どういう状況下にあるのか、ということに関して質問されたりする。

(中略)

 私の場合、非常にしばしば訊かれる質問の中に、
「書いてらっしゃる時は、音楽は流しているのですか?」
というのがある。
 なるほどもっともなギモンである。物書きというのは、しいんと静まり返った書斎で机に向かって書いているのか、それとも例えばドラマチックなクラシックとかを大音響で聴きながら書いているのか−−−そういえばかの『失われた時を求めて』を書いたプルーストは、金持ちであったため、専属の弦楽四重奏の楽団を待機させておいて、執筆の際には背後で演奏させていたというくらいのものだ。
 ちなみに私の場合、答えはイエス、である。
 何かを書くときは、必ず何かの音楽がないと、どうも気分が出ないのである。この性癖は、もう高校時代から続いているものだ。文学なんかよりはずっと原始に近い音楽によって、気分を自分の中で高めてゆき、そのエネルギーを使って書きものに取りかかる、というのが私のいつもの執筆パターンであった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕の場合も、イエスでしょうか。
「活字中毒。」は、いつもカラヤンのベルリン・フィルをBGMにしていますし、もうひとつの日常日記のほうは、ロシア民謡が流れていないと、執筆意欲が起きないのです。
 
 すみません、ウソです。
 音楽がないと書けないわけじゃないし、別に僕が書いている環境に興味があるひとがいるとも思えませんが。
 音楽は、聴きたいときもあれば、うるさく感じるときもありますから、千差万別。それに、書いているときにBGMが流せる環境にあるかどうかも、一定していませんからねえ。自分で環境を設定できる職業的作家ではないですし。

 何かをするときにはBGMがあったほうが都合がいいという人と、音がすると五月蝿くて集中できないという人がいると思います。
 もちろん、現実的には、その2極に分裂しているわけじゃなくて、集中して書きたいときにはBGMを消したり、悲しいことを書きたいときには、泣けるBGMを流したりと、ケースバイケースの人がほとんどなんでしょうね。
 実際には、僕のように自分でBGMを好きに流せない場合も多いでしょうし。

 ただ、BGMと内容の関連については、僕の場合は、ほとんどないです。
 聴きたいものを聴くし、その曲調とは関係なく、書きたいものを書きます。
 でも、きっとBGMによって内容が変わってくる方とかも、いらっしゃるんでしょうね。

 ちなみに、原田さんは「小説の深刻な場面を書いている時に元気のいいロックを聴いていたり、笑わせようと文章を綴っている時に陰気な前衛ジャスを聴いていたりするのだ」と書かれていました。

 ああそうだ、僕の場合、書くときに大事な環境というのは、「周りに人がいないこと」なんですよね。いや、ちょっと離れたところから画面を見られたって、内容なんてわからないとは思うのだけれど、自意識過剰な人間としては、とても気になって書けないのです。これだけは、必要条件。

 まあ、こういうのは個人個人の嗜好であって、なかには「他人に見られてないと、書く気になれないっ!」という人がいても、おかしくないとは思うのですが。



2003年01月21日(火)
復活した「西部警察」の抱える問題点。


日刊スポーツの記事より。

【石原裕次郎さん(享年52)が制作したテレビ朝日の人気刑事ドラマ「西部警察」が今夏、スペシャル版として19年ぶりに放送されることが20日、分かった。新人発掘オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」で芸能界入りした徳重聡(24)が初主演する。

 伝説の刑事ドラマ「西部警察」がよみがえる。都内で会見した渡は「目の肥えた視聴者の皆さんにも満足していただけるドラマを必ずつくります」と意気込みを語った。

 かつて東京・銀座で装甲車を走らせ、九州沖で漁船を大爆破するなど常識破りと言われたアクションも復活する。脚本家と連日打ち合わせをしている渡は「ドラマ性を大事にしながらアクションをうまく融合させたい」と、より現実に則した「21世紀型の西部警察」を目指す。凶悪テロに立ち向かう内容になるという。】

〜〜〜〜〜〜〜

 あの「西部警察」が復活!懐かしいなあ…
 テレビで放送されていたのは、もう20年も前の話なんですね。
 子供心に、なんて無茶なことをする番組なんだろう、と毎週思っていたのですが。
 同じ石原プロ制作の「太陽にほえろ」が、刑事という人間ドラマだったのに対して、「西部警察」は、破壊のドラマだったという印象があります。
 どの刑事がどんなことをした、というより、ただただ、パトカーが横転したり、車が爆破されたりのド派手なシーンのオンパレード。うちの親は、観ながらいつも「この車、壊すんなら俺にくれんかなあ…」と毎週画面に向かって呟いていました。
 
 しかし、銀座で装甲車を走らせたり、漁船を爆破したりしてたんですねえ。というか、どこで何を壊したかなんて、いちいち覚えてませんよね、西部警察。

 ついこのあいだ5歳年下の友人に「西部警察って、石原裕次郎が出てたの?」と言われてショックを受けているところにこのリニューアルかあ。
 今度は、「石原裕次郎の出てない『西部警察』なら観たことある!」とか言われそうだ…

 それにしても、「テロリストと戦う西部警察!」っていう設定だと、どっちがテロリストだか区別がつかないのではないだろうかと、それが最大の心配。



2003年01月20日(月)
「週刊朝日」の不可解な謝罪姿勢。


毎日新聞の記事より。

【北朝鮮による拉致被害者の福井県小浜市の地村保志さん(47)、富貴恵さん(47)夫妻に聞いた話が地村さん側の意向に反して週刊朝日(朝日新聞社発行)に掲載された問題で、同誌は1月31日号(21日発売)に1ページを割いて、地村さん側の主張を全面的に認める鈴木健編集長名の謝罪記事を掲載した。保志さんの父保さん(75)は20日、同市を通じ「仕方なく了解するが、今後、このようなことが二度とないよう厳重に注意してほしい」との談話を発表した。

 週刊朝日側は当初「(地村さん側から)取材の承諾を得た」としていたが、謝罪記事では取材の経緯を明かし「全体のやりとりを踏まえると、承諾していなかったことは明らか」と主張を覆した。取材した記者が無断で会話をテープに録音していたことも認めた。

 朝日新聞社の内海紀雄・専務広報担当は「取材は基本ルールを逸脱し、信義に反するもので、ご夫妻らに多大なご迷惑をかけ、心からおわびします。また、読者の信頼を損なう結果になり、申し訳ありません。関係者を厳しく処分し、再発防止に努めます」などとする談話を出した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「書かない」と約束して書いたのですから、「週刊朝日」の今回の記事については、まったく弁護の余地はないと思います。
 でも、僕はこの謝罪記事について、ちょっとひっかかるところがあるのです。

 「週刊朝日」に限ったことではないのですが、マスコミだって構成員は人間なのですから、あってはならないこととはいえ、誤報やミスはありうることでしょう。
 でも、今までのこういった記事で、1ページにもわたって謝罪文が掲載され、編集長が平謝りしたケースがそんなにたくさんあったでしょうか?
 僕の記憶の限りでは、マスコミの「おわびの記事」というのは、ほんとに「どこにあるかわからない」「なるべく目立たない」ようなものがほとんどです。

 たとえば、松本サリン事件で犯人呼ばわりされた河野義行さんに対して、彼を犯人呼ばわりしたメディアは、その犯人扱いの記事と同等のスペースを彼の人生を台無しにしてしまった記事の謝罪のために費やしたでしょうか?

 事の深刻さという点では、河野さんのケースのほうが、「オフレコ」という約束なのに掲載されてしまった拉致被害者の方々の談話(雑談に近いもの)より、はるかに上だと思います。
 にもかかわらず、今回の件においては、「週刊朝日」は、謝罪の記事に1ページを費やしました。河野さんのときは、冤罪の主犯だったメディアの謝罪は、ほんの小さな囲み記事だったのに。

 一度人間が受けた心の傷は、謝罪記事などで埋まるはずがありません。
 でも、少なくとも報道被害にあった人に対して、1ページの記事で報道したのなら、10ページの謝罪をするくらいでないと、まっとうなメディアと認められないような気がします。あんな小さい謝罪記事なんて、誰も見つけられないって。
 
 「一個人の人生を台無しにしても、困るのはその人だけだからいいや。でも、今の状況で拉致被害者たちを敵に回すと、読者から反感を買って、バッシングされちまうからなあ…とにかくここは、平謝りしとこうっと」そんな「週刊朝日」の打算的な心の声が、聞こえるような気がするのです。
 
 「ペンは剣より強い」本当にそう思っているならば、その「剣より強い」武器で人を傷つけた者は、相応の報いを受けるのが当然ですよね。

 次の謝罪記事、楽しみにしています。



2003年01月19日(日)
「2ちゃんねるは自由なメディアである」という幻想。

「2ちゃんねる宣言〜挑発するメディア」(井上トシユキ+神宮前.org著・文藝春秋社)より。

【情報を知りたい人がいて、情報を言いたい人がいる。そこに場所さえあれば情報の流通が始まり、コミュニケーションがスタートする。
 元来、メディアの姿とは、そのようなものだったのではないだろうか?
 武田信玄についての逸話がある。
 信玄が、甲斐の領内にいくつもの防御のための石垣や壁をつくったことは良く知られた事実だ。
 ところが、領民や領内を通行する人々が、次第にその石垣や壁に信玄についての上方や他領での評判、領民による告発や戯れ話など、さまざまなことを書き記すようになった。
 これを知った家臣たちは、けしからんと怒り、落書きするものは捕え、書き込みは消してしまえと命じた。だが信玄は、その落書き自体が貴重なインフォメーションであると気付いていたので、そのままにさせたという。
 つまり、信玄は情報と情報を自由に流通させるメディアの重要性を知っていた。
 もって学ぶべし、という話である。
 どうだろう、現在の「2ちゃんねる」の姿にそっくりではないか。】

〜〜〜〜〜〜〜

 情報を自由に流通させるメディアの重要性、という話なのですが、まあ、若干持ち上げすぎの感もあるような気がしますけど。
 確かに、既成のメディアというのは、どうしても「伝える側の都合」によって、フィルターがかけられてしまう部分があると思います。
 朝日新聞の拉致事件に対する対応でも、たぶん、内部の記者の中には「これはおかしい」と思っていた人もいるはずなのですが、結局、それは、伝える側の都合で押しつぶされてしまったわけで。
 信玄は、領民の自由な落書きを100%信じていたとは考えられません。
 それこそ、誹謗中傷レベルのものもたくさん存在していたでしょうから。
 でも、その中には取り上げるべきものがたくさん含まれていたんでしょうね。下から上への自由な情報伝達なんて、到底考えられなかった時代のことですし。
 それに、当時の大名としては、「そういう落書きに対しても寛容である」という評判は、プラスになっていたはずで。

 ただ、最近のインターネットについて僕が思うのは「知識が容量オーバーしつつある」ということなのです。「2ちゃんねる」などはとくに、あまりにその情報量が多すぎて、読み手が処理しきれなくなっている部分があるかもしれません。
 たとえば、今日のニュースを知りたいときには、ニュースサイトを見れば、その概略はつかめますし、学校や職場での会話にはついていけるでしょう。
 その一方、本を読んだり、他人に聞いたりすることが減って、系統的な理解が乏しくなったり、対人コミュニケーション能力が低下していくのではないか?ということを最近ちょっと危惧しているのです。
 インターネットでは、さまざまなことが簡潔にまとめられており、それはすごく便利なことなんだけれど、「歴史年表を覚えただけで、歴史がわかったような気になっているのではないか?」と。
 歴史というのは、むしろ「どうしてそうなったのか?」という流れを知ることに意義があるのではないでしょうか。
 このまま本や新聞を読む人が減っていって、ネットで仕入れた情報をただそのまま吐き出すだけの情報操作されやすい人間が、かえって増えていきそうです。

 「2ちゃんねる宣言」が出されてから、もう1年余りが経っているのですが、インターネットは自由なメディアである、という幻想を持っている人は、確実に減ってきていると思います。ニュースサイトにだって、取り上げる人の好みもあれば、立場の違いや戦略がありますし。
 結局は、受け手がいかに賢く情報を取捨していくか、そして騙されないために自分を磨いていくか、ということに尽きるのです。



2003年01月18日(土)
「ブラックジャックによろしく」だった頃。


「ブラックジャックによろしく」(佐藤秀峰著・講談社)より。

(重症で、助かる見込みのない患者に最後まで延命治療を続けようとする主人公の研修医・斉藤英二郎と彼の指導医である外科医・白鳥先生との会話より)

【白鳥「どうして、そのまま死なせてやらなかった…?斉藤先生…
    やるなといった腹膜透析まで行うなんて…
    くどいようだが、単なる延命処置は国民の医療費の無駄遣いだ」
 斉藤「……
白鳥先生…
医者が患者を助けようとするのが、そんなにいけないことですか…!?」
 白鳥「私はこういう患者を何百も見てきた
    死にゆく者は、静かにみとるべきだ
 斉藤「それじゃあ、だまって死ぬのを見てろって言うんですか…?
 白鳥「その通りだ…」】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕にも、研修医の時期がありましたから、この場面を読んで、当時のことを思い出しました。主治医として、最初に看取った患者さんのこと。
 その方は、肝硬変の末期の患者さんで、もう意識もなくて、検査データの数値も厳しいものだったのです。GOTやGPTは4ケタで、感染症も併発。血小板も数万で、出血傾向顕著。さらに、静脈瘤の破裂も起こされて、手の施しようがない状態で。
 まだ医者になりたてだった僕は、指導医の先生ついて、家族説明の場にいたのです。
 なんとかならないんですか!というご家族に、指導医の先生は、ご家族に「こういう理由で厳しい状態です。延命治療を行っても、ご本人が苦しまれるだけで、あまり意味はないと思います」と説明されました。
 それから、病室に戻って、僕は「治療マニュアル」などを斜め読みして「透析はどうですか?」とか「輸血は?」「γ―グロブリンは?」などと指導医の先生に相談したのですが、先生は「必要ないよ。まあ、昇圧剤くらいは、家族が間に合わなさそうだったら、使っていいけど」と言われました。僕は、それが不満で不満で。
 患者を助けるために最後まで全力を尽くすのが医者の責務ではないか、って。
 指導医の先生に、この漫画のようには反論できませんでしたけど。
 ただその夜、指導医の先生が、当直でもないのに「何かあったら呼んでいいから」と言って、一緒に病院に泊まってくれたことは、よく覚えています。
 その夜に、患者さんは御家族に看取られて亡くなられたのですが。

 あれから、もう6年が経ち、僕自身も指導医として患者さんと研修医の間に入ることがありました。
 そして、その立場から考えると、あのとき延命治療をする必要がないと言われた指導医の先生の気持ちも、よくわかるのです。それは、医療経済的な面だけでなく。
 命を助けるための治療はともかく、延命治療というのは、医者にはもちろんですが、家族の側にも負担をかけるものです。経済的にももちろんだし、精神的にも。
 もちろん、延命治療をしないことによっても、精神的負担がかかる場合もあるでしょうが、苦しんでいる様子の患者さんの傍についていると、積極的な安楽死は志向しなくても、「楽にさせてあげたい」という気持ちも出てくるようです。
 それに、命が途切れる瞬間に、医療関係者が家族に部屋から出てもらって、バタバタと心臓マッサージや人工呼吸を行うというのも、なんだかせつないことのような気もします。
 「正しい尊厳死」なんてのが存在するのかどうか、僕にはよくわかりませんが、少なくとも家族や周りの人たちにとって悔いが少ない亡くなり方というのはあると思うのです。

 そういえば「医者は命を救う職業じゃなくて、患者さんにいい死に方を提供する職業なんだ。助かる人は、その人の生命力で助かるんだよ。医者の力じゃない」と僕に言った先輩がいたっけ。

指導医としては、「延命治療をしたい」という研修医は、「けっこう見所があるな、コイツ」と思ったりするのですけれど。



2003年01月17日(金)
ミッキーマウスの延命治療。


読売新聞の記事より。

【米連邦最高裁は15日、映画や音楽などの著作権の保護期間を20年間延長した「著作権延長法」をめぐる裁判で、延長法はアメリカの憲法に違反していないとする判断を下した。裁判では、ネット書籍の発行者らが「延長法は過去の著作物の引用を妨げ、自由な創作活動を阻むもので、憲法で保証された表現の自由を脅かす」などとして、司法省に延長法の運用をやめるよう求めていた。

 1998年に成立した延長法は、従来は作者の死後50年間、企業が権利を持つ場合は作品の誕生から75年間とされていた著作権の保護期間を双方ともに20年間延長する内容だった。この結果、2003年に期限が切れる予定だったミッキーマウスの著作権(企業が保有)の保護期間が延長されることになり、延長法は別名「ミッキーマウス保護法」とも呼ばれた。一部の米メディアは、今回の判断について「ミッキーマウスの延命が最高裁からも認められた」などと伝えている。

 最高裁は、著作権の保護期間の決定権は議会にあり、その議会が決めた延長法の制定自体に問題はなく、延長法の内容も表現の自由を損ねるものではないとしている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「ミッキーマウス保護法」というより、「ディズニー社保護法」なんでしょうけどね。
 世界でいちばん有名なキャラクターである「ミッキーマウス」のキャラクター使用料は、きっと莫大な額のはずでしょうから。

 ウォルト・ディズニー社は、世界でもっとも有名なエンターテイメント企業であると同時に、世界でもっとも著作権に対してシビアな企業だといわれます。
 たとえば、日本のある中学校(小学校だっかかも)の卒業制作で、生徒たちが巨大なミッキーマウスの壁画を造ったら、ディズニー社はこれに「著作権違反だ!」とクレームをつけ、壁画の絵を消させたなどという話が、まことしやかに伝わっていますし。
 それに、ディズニーキャラクターは、イスラム原理主義の勢力からは、「堕落したアメリカ資本主義の象徴」として目の敵にされており、ディズニーランドがテロの標的になるという噂も流れていました。確かに、ディズニーランドは、ミッキーマウスという「偶像崇拝」の場所と彼らには思われるのかもしれません。中に入ってるのは人間だと、みんなわかっているはずなんですけどねえ。
 ミッキーがいなかったら、横浜ドリームランドも潰れずに済んだかもしれないし。

 話はちょっと脱線しますが、僕はこの年にして、このあいだ初めて東京ディズニーランドに行ったのです。
 凍死するかと思うほど寒いし、周りは鼻にピアスとかしてる人が多くて、どうなることかと思っていたのです。でも、そんな心配をよそに、行ってみるとけっこう面白かった。
 ディズニーランド内には、さまざまなディズニーキャラが(もちろんヌイグルミ)巡回していて、それぞれのキャラらしい動きを再現しています。
 でも、ミッキーはイベント時以外は、「ミート・ザ・ミッキー」というアトラクションの自分の家の中にいて、ゲストは、ミッキーに会うためにその家の前で1時間とか待たされたりするわけです。
 なんでヌイグルミに会うために、待たないといけないんだ!と最初は思いました。
 しかしながら、待っているうちに、なんだかワクワクしてきて「待たないとミッキーに逢えない!」というのが、実は重要なんだということに、気がついたのです。やっと逢えたら、喜んで写真撮ったりして。

 ヌイグルミひとつだって、精巧なものであれば、けっして安い価格ではないでしょうが、ディズニーランドの経済力をもってすれば、ミッキーマウスの一個中隊くらいを組織して、お客様を待たせないようにすることは、十分可能だと思われます(実際は、中に入る人間を養成するほうが大変なのかもしれません)。
 
 あえてそうしないのは、露出を抑えることによって、そのキャラクターの価値が高まるということがわかっているからだと想像されます。
 もし、ウォルト・ディズニー社が、目先の利益にとらわれて、キャラクターのイメージを使い捨てにしていたら(たとえば、「ご利用は計画的に」とニッコリするミッキーとか)、今まで人気が維持されることは無かったはず。
 日本でも、あまりに露出しすぎたために、すぐ飽きられてしまったキャラクターなんて、掃いて捨てるほどいるのですから。

 人気キャラクターを誰もが自由に使えるようになるメリットと、それによって消費されつくしてしまうことのデメリット。
 僕たちは、どちらを重視すべきなのでしょうか?
 
 もし、今回の法案が認められなかったら、ミッキーマウス使い放題!という状況になっていたのでしょう。もしそうなったら、どんなミッキーマウスが世間やネット上に登場していたかと考えると、それはそれで興味深いものではあるんですけどね。

 さて、ドラえもんは、僕より長生きするのかな。 



2003年01月16日(木)
旧正田邸より、後世に残しておくべきもの。


毎日新聞の記事より。

【皇后さまのご実家、東京都品川区東五反田5の旧正田邸の解体工事が、16日朝から始まった。

 開始予定だった昨日は家屋の保存を求める「旧正田邸宅を守る会」のメンバーらによって解体業者の敷地内への立ち入りが阻まれたが、午前6時50分過ぎ、警備員20人が警戒する中、業者のトラックが敷地内に入り、周囲にシートを張って足場を組む作業を始めた。

 正田家の意向を受けての解体だが、門の前には同会のメンバーら約15人が集まり、「昭和の名建築、旧正田邸を守ろう」などと書かれた横断幕や国旗を掲げて、作業の中止を訴えた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 最近連日報道されているこのニュース、僕は毎回観ていて思うことがあります。
 それは、この「守る会」の人たちって、けっこうヒマなのかなあ、ということ。
 だって、平日の朝からプラカードをかかげて、抗議行動をやっているわけですから。
 彼らの主張は「皇后様の御実家であり、昭和の名建築である旧正田邸を残そう」ということなのですが、実際、皇后さまは「残してほしい」とは、一言も仰っていないようです。
 でも、守る会の人々は「口ではそうは仰ってないけれど、本心は違うはず。きっと生家を残してもらいたいと思っているはずです!」と口を揃えて言われるのです。たぶん皇后さまも、自分の生家が取り壊されてしまうことに一抹の寂しさは感じておられるだろうと思います。でも、公人としての立場から(だって、「偉い人の家は、税金のカタに召し上げられても、保存されるのか?」とか人々に思わせるのは、皇后さまにとって全く本意ではないはずですし。かなり老朽化のひどい建物で、地域の人たちの迷惑にならないようにと、取り壊しを容認されてもおられるようです。
 だいたい、「口に出さないけど、本心は違うはず!」なんて、まさに余計なお世話というべきことだと思うのですが。
 
 それに、僕は思うのです。皇后さまにとって、旧正田邸は、懐かしさを感じる場所ではあっても、それはそんなに切実なものではないんじゃないかと。
 皇后さまは、ご結婚されてからは、ほとんどの時間を皇室の一員として皇居で過ごされていますし、実家にもほとんど帰っておられないはずです。
 つまり、もう記憶の中にだけある場所なのではないでしょうか?
 例えば、僕は自分の生家には、25年くらい(つまり、引っ越して以来ってことですね)行った事はないのですが、もし、その家が取り壊されるときには、一抹の寂しさを感じるだろうと思います。
 でも、それが老朽化した家で、家族がみんな他所で無事に暮らしていて、という状況ならば、きっとこれも時代の流れなのだなあ、と納得できると思いますし、ましてやそれが自分の持ち家でなければ、もう仕方がないとしか考えようがありません。
 みんな、美智子さまを「平民の娘が皇后に!」ということで、よりいっそうの愛着を感じているのなら、その平民としての感覚を理解してあげればいいのに。
 美智子さまが、一言でも「残してほしい」と仰ったなら、あの家を取り壊すことは、できなかったはずなのです。

 僕は、あの家を取り壊したくなかったのは、きっとご近所として旧正田邸の傍で過ごしてきた人々だと思います。自分たちがずっと自慢してきた皇后さまの生家が無くなってしまうということは、寂しいことでしょう。
 彼らが旧正田邸と過ごしてきた時間は、皇后さまがあの家で過ごされてきた時間より、ずっと長いのですから。

 きっと後世に残しておくべきことは、旧くなって倒壊の危険すらある家そのものよりも、一抹の寂しさを感じつつも毅然として取り壊しに同意された皇后さまの人柄の記憶ではないでしょうか?



2003年01月15日(水)
大横綱・貴乃花が引退できない理由。


読売新聞の記事より。

【大相撲初場所を、左肩のけがで3日目から休場した横綱貴乃花(30)が、5日目の16日から再出場することになった。15日午前、師匠で審判部長の二子山親方(元大関貴ノ花)が明らかにした。1度休場した横綱が、場所の途中から再出場するのは、大相撲が1958年に年6場所制になってから初めて。

 二子山親方は、午前11時半から会見。「朝、横綱と話をした。肩がだいぶ回復した。再出場したいという本人の強い意思を尊重した」と語った。しかし、貴乃花と話し合った前夜、親方は「相撲を取る状態にない」と話すなど、再出場には慎重な姿勢を見せていた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 平成の大横綱・貴乃花、引退の危機ですね。
 世間では、もう引退すべきだ、という声が多いようですが。
 横綱というのは、休場してもかなりの額の給料ももらえますし、実際、この大横綱の最近の成績表は「休場」ばかりなのですから、ある意味「給料泥棒!」と思われても仕方がないところはあるんでしょうけれど。

 しかし、最近斜陽の相撲界において、世間の人々が注目する点といえば、貴乃花の去就と朝青龍の横綱昇進くらい。それも、朝青龍のほうは、18時前にテレビをNHKに合わせるくらいの集客力には、まだまだ欠ける気はします。
 貴乃花も、辞めるに辞められない状況なのかなあ、などと思ったりもします。
 実際、いくら強いといっても、満足に稽古もできていない状況で幕内の力士に買勝ってしまうというのは、なんだか信じ難い話でもあるのですが。
 
 今の貴乃花は「辞め時」を求めているのかな、という感じがします。
 ひょっとしたら、小泉首相を「感動した!」と言わせた、あの優勝のときに引退していればよかったなあ…と後悔しているかもしれません。
 貴乃花自身は、あの大横綱千代の富士に引導を渡しています。
 それは「世代交代のドラマ」として、今でも語り継がれる伝説になりました。

 でも、今の貴乃花には、そんな「負けるべき相手」がいないみたい。
 結局、他に話題にするべきことがないために、彼が本場所に出ないことが批判されてニュースになり、出れば、引退するかもしれない、ということで、今の土俵の主役になっているのです。
 
 今回の再出場は、世論もあるのでしょうが、「引導を渡される」ために出るのかなあ、という予感もするのです。
 誰か、俺を引退させてやってくれないか?というのが本音なのかもしれません。
 
 それにしても、こんなに毀誉褒貶の烈しい土俵生活を送ってきた横綱は、もう出ることはないでしょうね。

 実は、土俵をなかなか捨てられないのは、お兄さん「元横綱若乃花」の引退後のどこにも行き場の無い姿を見せられているからなのかも…



2003年01月14日(火)
幸せな新成人たち。


朝日新聞の記事より。

【「成人の日」の13日、成人を祝う式典が各地で開かれた。今年の新成人は全国で152万人。首都圏の式典会場にも、晴れ着に身を包んだ新成人らが、久しぶりに再会した旧友らと新しい門出を祝った。
 東京都品川区の成人式は午前11時からJR大井町駅前の区立総合区民会館で開かれ、約1800人が参加した。

 新成人から公募で選ばれた実行委員による手作り感を強調。記念式典の司会も同委員が務め、区長らのあいさつは演壇なしの立ちマイクというカジュアルなスタイルだった。出身小学校別の掲示板や記念撮影用のプリクラ機の周りには、あっという間に人だかりができた。

 「振りそでが着たくて参加した」という大学2年の先崎裕子さん(20)は「この後は友達と遊びに行きます」。

 一方、千葉県浦安市は東京ディズニーランドで式典。昨年に続き2度目の試みで、配布される1日パスポートやキャラクターショーを目当てに、新成人約1300人が参加した。】

〜〜〜〜〜〜

 新成人の皆さん、おめでとうございます。
 「成人の日」には、友人と旧交をあたためたり、振袖姿で写真を撮ったり、楽しい1日を過ごせたことだと思います。
 僕にとっての「成人の日」は、もう11年前の1月15日でした。
 当時はまだ、1月15日固定でしたから。
 でも、結局行かなかったんですよね、成人式。堅苦しい格好をして、偉い人の長い話を聴きに行くなんてことに、まったく魅力を感じなかったし。
 そして、僕の家は引越しが多くって、「ここが故郷!」と言い切れるような場所もなかったし、ほとんどの同級生が地元の公立高校に進学するなかで、ひとり全寮制の進学校に行ったので、中学時代の知り合いのほとんどとは音信普通。
 そして、高校時代の同級生は、いろんなところから来て、いろんな大学に散っていったので、成人式でもほとんど高校のあった町には帰ってこず。
 まあ、とどのつまり、どこに行っても寂しい思いをすることが予測されたため、あえて行かないことにした、ということです。
 あの成人式の会場で、昔話をする相手がいないことほど辛いことって、あんまりないと当時は思いましたし。
 実家に引きこもることにした僕に、親は「それなら、成人式に行ったつもりで」といつもより御馳走をつくって、小遣いをくれました。けっこう大きな額だったと思います。
 だから、僕にとっては、成人式は「参加しなかった」記憶しかないイベント。

 今年も全国で成人式が行われたようですが、マスコミが期待していたような、しょうもない新成人たちのトラブルは、少しずつ減ってきているようです。
 自分が20歳のときに、どうして成人式に出ようと思ったのか(だいたいは、故郷の友達に会うため、女の子なら着物を着るため、といったところでしょう)を思い出せば、偉い人のありがたい話を聞かされるよりは、少しでも旧友と話したいというのは、多くの世代の共通の本音なのではないでしょうか?
 そこで、ガマンして偉い人の話を聞いたふりをできるかどうか?というのが、もっとも大きな違いなのでしょうけれど。
 いや実際、暴れるために成人式に出るほど暇な人なんて、ごくごく少数の割合だと思うのですよ。たぶん、たいがいの会場では、偉い人の話を聴きたがらないだけのごくごく普通の新成人が大多数。

 僕は、成人式を11年も過ぎて、最近こう思うようになりました。
 こんなふうに成人式を(まあ、幾ばくかのトラブルも含めて)迎えられる今の日本人は、けっこう幸せなのではないかと。
 成人式というと、昔の日本では「元服」がこれにあたると思いますが、侍の子弟にとっての元服とは、「戦場に駆り出される年齢になった」ということです。
 女性にとっては、家庭に守られる年齢から、自分が家庭を守り、育てていく年齢になったということで。
 「成人」というのは、めでたさと同時に、死への覚悟を決める行事。
 昔の話だと思われるかもしれませんが、世界中には徴兵制度を持つ国が、まだたくさんあります。むしろ、無い国のほうが少数派。
 そういった国では、成人というのは、兵士としての員数に加えられるということで、兵役自体が成人としての通過儀礼である国も多いのです。
 
 「成人式」は、めでたい行事。オトナになれば、酒もタバコも許される(いまは、大学生は黙認、というのが現実なのですが)、そして選挙権も得られる。
 自分でお金をかせいで、自分の人生を切り開いていくことだってできます。

 でも、忘れないでもらいたいのです。
 オトナには、得るものばかりじゃなくて、失わなくてはいけないものも沢山あるのだということを。そして、オトナには、自分と自分の周りの人を守るという責任があるということを。
 
 こんなバカバカしく、無意味な「幸せな成人式」がずっと続いていってくれることを僕は祈らずにはいられません。
 「戦場に行く前のつかの間の祝祭」に、なってしまわないように。
 そしてそれは、間違いなく僕の仕事であり、「幸せな成人式」を経て、今オトナになったばかりの人間のつとめでもあるはずです。

 新成人の皆さん、オトナにようこそ!






2003年01月13日(月)
恋愛は、ホラーだ!


「ダ・ヴィンチ2月号」(メディアファクトリー)での島村洋子さんへのインタビューより抜粋。

(恋愛とホラーを結びつけたアンソロジーのテーマについての印象を尋ねられて)

【島村「恋愛自体がホラーでしょう。どこの誰かもわからない人を好きになるわけだし、ちょっと尋常でないような状態じゃないと、やっていけないところもあるし。一人の人がすごく好きだとしても、向こうがちょっと拒否し始めると、途端に怖い話になっていきます」】

〜〜〜〜〜〜〜

 恋愛はホラーだ!というのは、なかなか鋭い発想だなあ、と思います。
 恋愛に伴うさまざまな行為というのは、冷静に考えると「素面じゃそんなこと、できないよなあ」というようなことが多いですし。
 誰しも子供のころ、「えっ、子供ってそんなふうにしてできるの?」と信じられなかった経験があるのではないでしょうか。
 子供心には、ホラー的な行為なのです。

 恋愛にそれに纏わるトラブルというのは、ほんとうに多くて、昔の禁酒法の時代には、「歴史上、恋愛によるトラブルで死んだ者と酒によるトラブルで死んだ者では、どっちの数が多いかなんて自明の理じゃないか!どうして酒を禁止する前に恋愛を禁止しないんだね?」という皮肉を言った有名な作家がいたくらいです。
 まさに、恋は最高の麻薬。

 たとえば、「好きな子と一緒に帰りたくて、さりげなく帰り道で出会うように待っている」なんてのは、二人の間に好感情があれば、微笑ましいエピソードなのですが、相手の女の子が彼のことを嫌っていた場合「ストーキング行為」になってしまいます。当人は一生懸命でも、相手の感情や行為の程度の問題で、同じことをやっても、いくらでも「怖い話」になってしまうのです。
 「勝てば官軍」とは言いますが、どんな恋愛でも、美しい純愛ドラマになる可能性もあれば、恐ろしいホラーになってしまう可能性もあるんですよね。

 だから恋は麻薬であり、人類共通かつ最大の娯楽なのかもしれませんけど。






2003年01月12日(日)
黒い髪の女の子は、絶滅危惧種?


読売新聞の記事より。

【15歳から59歳までの女性で茶髪にしている人は、70%にのぼることが、毛染め用品トップの「ホーユー」が昨年実施した調査で明らかになった。

 約1000人を対象にした調査で、茶髪率は99年の57%から2000年64%、2001年68%と年々アップしている。特に20―29歳は昨年、77%に達した。

 茶髪率の増加は、成人式の振り袖にも影響が出ており、着物レンタル「愛染蔵」(大阪市中央区)によると、黒地や桃色地が敬遠される一方、青系統やパステル調が増え、模様もチューリップやユリなどの洋花や幾何学模様など茶髪向きに変化している。】

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 20代の日本人女性の茶髪率は、なんと77%!
 4人のうち3人は茶髪なんですね。
 しかし、実際に知り合いの女性や街を歩いている若い女性を見ていると、髪の毛を全く染めていない人って、4人に1人どころか、もっと少ないような印象があるのですが。
 この統計からは具体的な数字はわかりませんが、実際は茶以外の色に染めている人もいるでしょうし、今の若い女性で全然染めていない、真っ黒な髪の人って、ほとんどいないんじゃないでしょうか?
 アメリカ人よりも日本人の方が茶髪の割合が多いくらい。

 一昔前は、茶髪にすると顔の雰囲気が明るくなるとか言われていたものですが、これだけみんなが茶髪だと、とくにそんな感じもしないけれど。

 最近、かえって真っ黒な髪の女性を街で目にするとハッとさせられます。
 ちょっといいなあ、とか思ったりして。
 今は「染めないこと」のほうが逆に自己主張になる時代なのかもしれませんね。

 前から不思議なのですが、女性が美容院で最初に髪を染めてもらうときって、美容師さんに「染めましょうか?」と聞かれるものなのかな、それとも自分から「染めて!」って頼むものなんでしょうか。






2003年01月11日(土)
ブラックジャックの生存証明。


漫画「ブラックジャック」(手塚治虫著・秋田文庫他)「ふたりの黒い医者」より。

(ブラックジャックは、不治とされる病気で安楽死をドクター・キリコに依頼した患者を家族の依頼で、安楽死実行寸前に救出し手術を成功させる。
 しかし、その患者は救急車で搬送中に事故に遭い、子供たちも一緒に事故死してしまう。
 その話を聞いて高笑いするドクター・キリコにブラックジャックが叫んだ言葉)

【B.J.「それでも、わたしは人を治すんだっ 自分が生きるために!」】

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 今月号の「ダ・ヴィンチ」は、「ブラックジャック特集」だったのです。
 それを読んでいて、思い出したのがこの科白。

 僕がこの漫画を最初に読んだのは、小学校高学年くらいでしたから、そのときはこの言葉を文字通りにとっていたような気がします。
 「ああ、ブラック・ジャックも金のため、生活のために仕事をしているんだな」と。

 医者という仕事をやっていると「どうして医者になろうと思ったの?」と聞かれること、けっこうあるのです。学校の面接的には「人の役に立ちたかったから」「人間が好きで、興味があるから」というのが一般的なのですが、僕も、面接のときにはその手のことを言った記憶がありますが、内心、しっくりきませんでした。
 われながら嘘くさいなあ、と。

 大学時代に、ある女の子に同じ質問をされたとき、一生懸命考えて出た言葉は「自分に自信がなかったから、自分が他人の、そして世界の役に立つことを証明したかったから」というものでした。
 実際に仕事を始めてからは、「生活のための収入を得るため」というのも実感できますが。
 お金をもらえなくても医療という仕事をやれる人は、そんなにいないと思うのです。
 まあ、望む収入のレベルは、人それぞれでしょうけれど。

 そういうふうに考えるとき、この「手術の鬼」であり「金の亡者」である無免許の天才外科医の科白は、単に「生きるための糧を得るため」ではないのだなあ、と思えてきます。
 ブラックジャックにとって、「人を生かす」ということは、彼自身の生存証明なのではないかと。
 高額の手術料も、「相手が絶対払えない金額」というのを要求したことはありませんし。
 もちろん、あの手術料は高すぎますが、それは彼自身の「命の値段」であり、「プライドの値段」なのでしょう。
 
 人を生かすという行為で、自分の生きている価値を実感するという生き方。
 人間というのは、どこまでいっても「100%他人のため」には生きられないのかもしれませんね。
 「人を治す」「人を癒す」ということは、結局「自分を治す」ということなのではないかなあ、と僕は思うのです。






2003年01月10日(金)
ほんとうに「医療ミスが最近増えた!」と思いますか?

読売新聞の記事より。

【全国の国立病院や国立療養所など194の国立医療機関が「医療ミス」だとして患者や遺族から訴えられた訴訟は、昨年1―9月で32件に上り、大きな医療事故の報告も昨年4―9月で62件と、いずれも過去最高のペースであることが10日、厚生労働省が公表した集計で分かった。同省が長妻昭衆院議員(民主)の質問主意書に回答した。

 集計によると、過去10年の訴訟件数は、2000年と2001年の28件が過去最多。昨年は9月末までに32件に上り、過去最多を9か月で超えた。

 一方、事故報告は、昨年4―9月で62件。

 血液型を間違えて輸血したり、手術でガーゼや医療器具を体内に置き忘れたケースなど、基本的なミスの事例が多いが、同省はプライバシーなどを理由に、患者の容体などを公表していない。

 同省の集計について、医療事故情報センター嘱託の堀康司弁護士は「訴訟が増えたのは、大きな医療事故の報道などで、自分のケースも医療事故だと気づくようになってきたからではないか」と話している。】

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 ほんとうに「医療ミス」は増えたのか?
 この記事の最後で、弁護士が「自分のケースも医療事故だと気づくようになってきたからだ」とコメントしていますが、僕も、その通りだと思います。
 医療事故そのものは、たぶん以前より目に見えて減ったりしてはいないでしょうが、特別に増えてもいないのでしょうか。
 たぶん、それが表面化する機会が増えているということなのでしょう。
 医療の現場において、近年までは患者さん側には医療知識がほとんど無くて、なんでも医者の言いなりというのが当たり前でした。でも今は、患者さん側も勉強して来られていますし、インフォームド・コンセントは常識です。
 それに、医療界も自浄努力を最近は行っており、とくに国立病院などでは、問題事例を隠蔽せずに報告するように義務づけられています。
 輸血を行う前にも、血液型をダブルチェック、トリプルチェックして間違いが起こらないように注意してもいますし、手術室の前でも、くどいほど患者さんの姓名を確認するようになりました。
 
 やりたくて医療ミスをする医療者なんていません。万が一親の仇でも運び込まれてくればともかく、そんなことをしても全く得になんかならないからです。
 孟子は、彼の持論である性善説を「人は目の前で子供が井戸に落ちようとしていたら、必ず助けようとするはずだ。それを惻隠の情という」と説明しています(僕は全面的に人間の性は善だと信じているわけではないですが、この例そのものは理解しやすいと思いますのでここに挙げました)
 別に医者じゃなくても、自分が医者という仕事についたらどうか想像していただければ、好んでミスをするわけないということは、理解していただけると思うのですが。

 最近現場で困っているのが、何でも「医療ミス」だと言い張っているクレーマーみたいな患者さんが増えてきたことです。
 血管が細い患者さんに点滴を失敗すれば「医療ミス」だと怒り、検査の説明をすれば「それは100%安全なのか?」と質問して「たとえば手技中に大地震が起こって針が他の臓器に刺さってしまう可能性だって0ではないんだから、100%はありえない」と説明すると、「100%成功すると保証しないとやらない。失敗したら『医療ミス』だ」と言い出す人もいるのです。
 予想されるリスク「事故」と「ミス」は違うのだということを理解してもらうのは、ほんとうに難しい。
 マスコミは、そんなこと報道してはくれませんから。

 医者は、あらゆる処置を成功させようと願いつつ、力及ばないことだってあるのです。
 医療の進歩が速くなりすぎて、医療者がついていけなくなっているところもある昨今ですし。
 もちろん、ほんとうの「ミス」は責められてしかるべき。
 でも、何でも面白がって、勉強もせずに「医療事故」を「医療ミス」という言葉を使うような報道のしかたは、考えてもらいたいものです。
 ほんと、そんなに失敗したら責められるんなら、成功したらもっと賞賛してくれよ。
 ブラックジャックみたいに「手術料は3千万円!」とかさ。

 医療不信が言われていても、現場では医者も看護師も患者さんも頑張っているのです。
 医療界も隠蔽体質からの「生みの苦しみ」を味わっているところ。 「医療ミス」したら責めてもらって当然ですから、その前にちゃんと話を聞いて、まずは信じてみようとしていただきたいのです。
 もちろん、「こいつは信じられない」と思ったら、他に行かれてかまいませんから。

 真偽のほどはわかりませんが、こんな話を聞いたことがあります。
 アメリカのスラムの病院で、行き倒れになって死にかけていた男を献身的な治療で助けた医者がいたそうです。しかし、その男は助かった後、医師にこんなふうに言ったとか。
 「先生、助けてくれてありがたいが、俺はあんたを訴える。そうしないと、俺も治療費が払えないからな。悪く思わないでくれよ」
 
 僕は臨床医時代(たぶんまた、将来的にはそうなるでしょう)、「自分が何も考えない医療マシーンだったら、どんなに楽だろう」と考えていました。
 医療者だって、けっして強者ではないのです。



2003年01月09日(木)
新幹線に、まだ「ビュッフェ」があった頃。


朝日新聞の記事より。

【東海道・山陽新幹線の車内で、総菜や弁当などを販売している「カフェテリア」が今秋、廃止される。高速化が進み、所要時間が短くなるにつれ、座席を離れて買い物に出向く煩わしさが敬遠され、売り上げが減ったためだ。食堂車も00年に姿を消しており、車内はワゴン販売や一部の車両に設置された自動販売機が中心になる。時代とともに新幹線の食事情も変わりつつある。 】

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 東海林さだおさんの食べ物エッセイには、食堂車を扱ったものや駅弁を取り上げたものが沢山あります。僕が心に残っているのは、駅弁を食べる人を描写した一節で、「駅弁を食べる人は、不思議なことに電車が止まると箸を止めて食べるのを止め(食べるという行為は、停まっているときの方がはるかにやりやすいにもかかわらず)、電車が動きだすのを待ってまた食べはじめる」というような話でした。
 動いているところで落ち着いて食事をするというのは、実際、けっこう珍しいことですよね。
 それもまた、旅情のひとつ。

 僕がいちばん最近新幹線を利用したのは、一昨年の秋。
 仕事で京都に往復したのですが、そのときには、食堂車という存在が無くなってしまっていることすら気付きませんんでした。
 子供のころは、家の近くに新幹線の駅があって、もう少し頻回に新幹線に乗っていた記憶があるのですが、食堂車の記憶といえば、やたらと混雑していて、カレーの値段がものすごく高くてびっくりした(でも、その割にはそんなに美味しくなかった)というくらいしかありません。

 実際、乗客としての立場では、新幹線のカフェが無くなってものすごく困るという人はほとんどいないと思います。今では駅の近くのデパートで平均的な駅弁より良質で温かいお弁当を安価で買うことができますし、コンビニで買い物をしてから列車に乗れば、とくに不便もありません。
 せいぜい、冷えたビールが呑みたいときに車内販売があればいいかな。
 それに、ガマンしようと思えば、「のぞみ」であれば東京−大阪間は2時間もかかならいくらいですから、目的地まで辛抱することだって、そんなに難しいことではないでしょう。

 いまや「食堂車」とか「駅弁」というのは、必需品ではなくて、旅情を味わいたい人のための嗜好品となってしまっているということなんでしょうね。
 「食堂車(僕が子供のころは「ビュッフェ」とか言ってました、そういえば)が消えてしまうのは寂しいけれど、これもまた、時代の流れなのかな。どこでもドアが実用化されるようなことがあれば、旅情も何もあったもんじゃないでしょうし。

 今に「食堂車で移動中に食事をするというツアー」とか「車内で駅弁を食べるツアー」なんてのが、出てくるんじゃないでしょうか。
 現代は、時間をかけて旅をするということが、むしろ贅沢になった時代なのですね。

 でも、無くなるとわかっていたら、もっと行っておけばよかったかなあ、などと、子供時代の食堂車に行く興奮を想い出して、少しだけ感傷的な気分に浸ったりもするのです。
 



2003年01月08日(水)
「さっぽろ雪まつり」のちょっと通な楽しみ方。


 日本航空グループの機内誌「winds」のコラム「気になる町・好きな町〜北海道・札幌」(千夜あいき著)より抜粋。

(札幌雪祭りの紹介記事の一部です)

【そんな雪まつりの、地元の人たちはみんな知ってるちょっと通な楽しみ方を最後にひとつ書き添えておこう。それは、開催前夜の散策だ。すでに完成された大小の雪像たちが、舞い散るパウダースノーのなか、静かにオープンを待っている優美なたたずまいを眺めながら歩く気分は、また格別なものである。
 開催前に会場に入れるのを意外に思うかもしれないが、大通公園という開かれた場所で行われる雪まつりは、囲いがあるわけでもないし入場料も必要ない。
 前夜どころか、雪像の製作過程だってそこを通りかかれば自由に見ることができるのだ。ツーリストも、日程に余裕があるならちょっと早めに札幌入りしてみてはいかがだろうか。】

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 「さっぽろ雪まつり」一度は行ってみたいイベントなのですが、こういう楽しみ方があるとはちょっと意外でした。確かに、地元の人はみんな知っているんでしょうね。羨ましいなあ。
 僕は、祭りの雰囲気は嫌いではないのですが、正直人ごみは苦手なのです。
 こういう話を聞くと、前日の大通公園を散策して、雪まつりの当日には帰ってこようかなあ、という気にすらなります。
 そんなにひと気が多くない中、会場を恋人と歩くのは、確かにいいでしょうね。
 祭りというのは、こんなふうに地元の人にだけの楽しみというのがあるのかもしれません。僕が昔住んでいた町でも毎年秋に大きなお祭りがあって、よそものである僕としては、かえってその祭りの当日は疎外感を抱いたものですが(お神輿には、さわらせてももらえなかったから)、祭りの前に近所の人々が神社で笛の練習をしている音を聴くのは、なんとなく心が踊ったような気がします。
 「さっぽろ雪まつり」前夜は、笛も太鼓も神輿もありませんが、こういう静かな高揚感をいつか味わいに行ってみたいものです。
 いちばん楽しいのは、祭りが始まる前、なのかもしれません。




2003年01月07日(火)
モーニング娘。編入生ミキティのプラスマイナス。


スポーツニッポンの記事より。

【12人組で再出発した「モーニング娘。」にアイドル歌手の藤本美貴(17)が新メンバーとして正式加入することが6日、発表された。今年春に副リーダー保田圭(22)の卒業を控えた「モー娘」だが、大胆な補強がスタート。藤本の加入に加えて新メンバーのオーディションも現在進行中で、今月19日にも最終結果が出る見込み。これで03年の「モー娘」はグループ史上最大の編成でリニューアルされることになる。

 昨年大みそかのNHK「紅白歌合戦」に初出場して“トップバッター”を飾った「ミキティ」こと藤本が「モー娘」入り、とのファンもビックリの“補強策”が発表された。

 藤本は「加入することができると聞いて超感動です。やっと合格できた!って感じですね」と大はしゃぎ。ソロ活動も「モー娘」優先を前提に続行する。2月からは初のソロコンサートツアーも控えており飛躍の一年になりそうだ。】

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 ミキティ逆輸入!とは、思い切ったことやるなあ!と思う一方で、正直、モーニング娘。もそろそろ末期症状なのでは…という印象もあります。
 だいたい、第5期のメンバーは、僕には既に顔と名前が一致しませんし。
 「モーニング娘。」の初期メンバー5人というのは、要するに「平家みちよに負けた人たち」だったんですよね。実際、「みんなそんなにものすごくカワイイってわけじゃないんだけれど…」という評価を聞くことも多かったですし。
 でも、その「負け組」が、台本どおりなのかもしれないけれど、努力してのし上がっていく姿に、みんな一喜一憂していたわけです。
  第2期の新メンバー3人が入って、ようやく人気が安定してきたと思っていたら、すぐに出るアルバムの収録曲で鈴木あみと勝負させられて、ボロ負け(そりゃ、みんなアルバムで聴けばいいや、と思いますよね)してしまったり。
 歌も、なんだか夜の街で好まれそうな(実際、モーニング娘とMAXは、飲み屋での2大定番シンガーだったような気がします)感じで、まだ若いのに、なんかちょっとかわいそうだな…と思わなくもありませんでした。
 まあ、当人たちはそんなこと微塵も考えてなかったかもしれませんが。
 
 それが、プロデューサーのつんく氏がいうところの「絶対的な勝利者」である後藤真希の加入から、モーニング娘。は「勝者の集団」に変遷していきます。
 なかでも大きかったのは、ASAYANでの舞台裏の放送が無くなっていったこと。これにより、娘。は、みんなが心配する明日をも知れない寄せ集めグループから、エリート集団に変わっていったのだと思われます。
 それに、人数が増えることによって、ひとりひとりの輪郭はぼやけてしまうし、歌手としての曲も、メンバーには小学生もいるということで、ソフト路線&みんなで歌えるけど、何が言いたいのかよくわからない曲が(とくにシングルでは)多くなってしまって、正直なところ、ごく普通のアイドルグループになってきてしまった印象があります(自分を切り売りしなくなった、という意味で)。

 今回の藤本美貴(ミキティ)編入は、果たして意味があるのかどうか実質的にはよくわかりません。ひとりであれだけ売れてるんだから、名目上だけでは?という気もしますし。もしかしたら、今度発表される第6期のメンバーに、あまりいい娘がいなかったのでは?などとも勘繰ってしまいます。

 でも、そうやって「勝者の集団」になっていっても、人気というのは比例して上がっていかないというのは不思議なものですね。むしろ、人々がモーニング娘。に求めたものって、欠落の美学ではないかという気がするのです。
 藤本美貴に求めたものも、「モーニング娘。になれなかったけど、ソロで頑張ってる女の子」というイメージで、彼女が「勝者」としてモーニング娘。に入ることが引き起こす効果は、かならずしもプラスの作用だけではないのでは。

 そういえば、2年前くらいは、お正月番組にどこを回してもモーニング娘。が出ていた記憶があるのですが、今年はあんまり観なかったような印象もありますし。メンバーが大人数すぎると、かえって小回りが効かないところも多いのでは。

 やっぱり「加入!」というのは、「脱退!」ほどドラマチックではないしなあ。




2003年01月06日(月)
中高年層のための「セブン・イレブン」


毎日新聞の記事より。

【コンビニ利用客の主役が若者から中高年へと変わり始めている。セブンーイレブンの40歳以上の顧客は90年2月末の20%から02年2月末に33%に増え、ファミリーマートでも30歳以上が53%になった。若いころからの利用者が通い続けているほか、商品やサービス拡充で、高齢者も利用し始めているようだ。各社はこうした年齢層の開拓に力を入れている。

 ローソンは店頭端末で人間ドックの申し込みができるサービスが人気で、00年6月の開始当初の5倍程度に伸びている。生活習慣病などの検診が自宅で簡単にできるキットの申し込みも好調という。

 セブンーイレブンは、テレビCMに女優の吉行和子さん(67)を起用。若者だけの店ではないことを積極的にPRしている。02年10月から販売しているヘルシー志向の野菜発芽玄米弁当も中高年に人気で、「最近では、店がお年寄りの井戸端会議の場にもなっている」と変化を指摘する。】

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 僕のコンビニ初体験は、大学に入ってすぐの頃でしたから、いまから13年くらい前になります。もっとも、その当時、九州の人口約20万人弱の地方都市では、コンビニエンスストア自体がものめずらしく、今とは違って営業時間も文字通りの「セブン・イレブン(7時開店、23時閉店)でしたけれど。
 ちょうど20歳くらいのとき、24時間営業のコンビニが大学の近くにできました。これはもう、生活習慣を変えるくらいのパワーがあったのです、ほんとうに。
 それまでは、夜中にプリンが食べたい!と思っても、冷蔵庫に入っていなければ明日の朝まで待たなければいけなかったものが、「コンビニに買いに行く」という選択肢ができたわけですから。高校生が台所で残り物を盗み食いする、なんて光景は、コンビニの普及によって壊滅したに違いありません。
 一昔前は、残った味噌汁とかをすすったりしていたものなのに。

 コンビニの登場とともに一人暮らし歴を送ってきた僕のような人間にとっては、まさにコンビニは家の台所のようなものだったのです。
 
 しかし、この記事を読んでいて、僕が一番ショックを受けたのは、「若いころからの利用者が通い続けている」というところなのです。
 ああ、まさに自分のこと。そして、僕ももう若くはないのだな、と。
 31だから、当然なんだけど。

 先日、紅白歌合戦に演歌歌手が激減したことについてコメントを求められた北島三郎が「寂しいねえ、演歌がないと年を越せないよ」と発言したことに対して、僕は「もう演歌の時代じゃないのに、いつまでも演歌がないと寂しいとか言ってもねえ…」と思ったのです。
 しかし、僕が古くさいと思っていた演歌は、確かに今のところ時代の波にさらされていますけれど、よく考えてみれば中島みゆきのようなポップスやサザンオールスターズのようなロックが、今の大人たちの演歌のような存在になっており、それを支えているのが僕たちなのではないかと。
 自分たちにとってリアルタイムで若者文化であることも、時代の変化によってオールディーズになっていってしまう、それもまたひとつの現実。

 コンビニは若者が利用するところだ、という概念も、きっと過去の思い込みであり、僕たちが利用している時点で、もうコンビニは若者だけのものではないのでしょう。
 考えてみれば、広くない店内で生活必需品のたいていのものが揃うというコンビニは、若者よりも足が弱った高齢者により適した買い物の場であるような気もしますし。

 本当は、吉行和子さんのCMよりも、店の前で怖いお兄さんたちがたむろするのを止めてくれれば、もっと利用しやすくなるとは思うのですが。




2003年01月05日(日)
最高級キャビアの値段


日本航空グループの機内誌「winds」の浅田次郎氏のエッセイより。

(ロンドンのヒースロー空港で、家族と秘書へのお土産として最高級キャビア250グラム+50グラムを購入したときのエピソード)

【キャビアの250グラム缶というのは食いでがある。飯のおかずにならぬせいもあるのだろうが、いざ開けてみるとメンタイコやイクラの一樽くらいの食いでが合あった。
 で、当初は家族4人でクラッカーの上に載せ、オニオンなどを添えて上品に食べていたのだが、しまいにはスプーンで丸食いをし、飽きてからは猫どもにくれてやった。九匹の猫はうまそうに一粒残らずたいらげた。
 事件が起こったのは翌月のことであった。
 配達されてきたカード会社の請求書をひとめ見て、私の目はキャビアのような点になってしまったのである。
 1096ポンド。日本円換算で21万2624円。
 とっさに考えたことはただひとつ〜店員が一ケタまちがえて勘定をし、私もレシートを確認せずにサインをした。】

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 結局、このお話は、この1096ポンドが正規の価格である、というファックスが送られてきて、一件落着(お金を払った方としては、無念きわまりないでしょうけれど。猫にも食べさせてますし)となるのです。
 それにしても、世間には高い食べ物というのは、あるものなんですねえ。
 300グラムで21万!とは。
 高いと言えば、マグロのトロなんかも、信じられないくらい高価ですよね。
 あれをひとつ食べるだけで、並が一人前食べられるくらいの値段のことも多いです。
 世界3大珍味として、キャビア・フォアグラ・トリュフというのが挙げられているのですが、僕もこういうのは結婚式やら何かのパーティーの折などに口にするくらいで、「高い」という印象はあっても、実際にどのくらいするのかというのはよくわからないのです。自分では買わないなあ、ということだけははっきりしていますが。
 しかし、年を重ねて困ることというのは、子供のころはトロなんて油っぽくて苦手だったのに、いつのまにか赤身より美味しいと思うようになってしまうこととか、マツタケを良い香りだと思えるようになってしまうことでしょうか。
 残念なことに、オトナになればなるほど、値段が高いものが美味しく思えてしまう傾向があるみたいで。

 まあしかし、値段を知らなければ猫に食べさせてしまうくらいですから、「高い!」ということを考えなければ、値段ほど美味しいものでもないのかも…という気もしなくはないですね。




2003年01月04日(土)
それでも餅を食べずにいられない…


毎日新聞の記事より。

【年末年始に東京都内で餅をのどに詰まらせ救急車で運ばれる人が急増し、東京消防庁が注意を呼びかけている。昨年12月26日〜2日午後10時の間に31人が運ばれ、このうち6人(男5人、女1人)が死亡、12人が意識不明の重体になった。東京消防庁は「過去3年で最悪のペース。高齢者は、餅を小さく切って汁物といっしょに食べてほしい」と訴えている。

 同庁によると、救急車で運ばれた31人は全員が50歳以上で、特に70歳以上が26人と大半を占めている。死亡したのはいずれも80〜90代。】

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 もう、年末年始恒例のニュースとなりつつある「餅をのどに詰まらせて亡くなる高齢者」の話題。僕も毎年、「どうしてそんなに危険な『餅』を食べるんだろう?」という疑問を抱いていました。そんなに餅にこだわる必要はないのではないか、と思いませんか?
 僕自身がそんなに餅好きではないこともあり、かねがね疑問だったのですが、最近になって、ようやくその理由がわかってきたような気がするのです。
 
 まずひとつは、高齢者にとって「餅」というのは、正月を象徴する御馳走であったということ。今のように食べ物が豊富でなかった時代では、餅というのはほんとうに正月しか食べられなかったもののようです。
 たとえば、僕の親の世代(ちょうど今還暦前後)に、「バナナを一本まるごと食べるのが子供のころの夢だった」と耳にタコができるくらい聞かされるのと同じですね。
 そして、もうひとつの原因として、高齢者が置かれた環境の変化というのがあるのではないでしょうか。
 高齢化、核家族化がすすんだ現代では、高齢者のひとり暮らしが多くなっていますし、そういう状況での高齢者の「正月らしいこと」って、テレビの正月番組と餅くらいしかないんですよね。
 たとえば、おじいちゃんがいて、お父さんがいて、孫がいて、という家庭では、餅がなくても充分正月気分を味わうことだってできるでしょうし、仮に餅を喉につまらせても、蘇生のための処置は可能な場合が多いと思うのです。
 でも、現実は、ひとりぼっちで、せめて正月気分だけでも味わいたいという人ばかりが増えてきているのです。
 
 「餅を食べないと正月が来た気がしない」というのは、正月にすら置いてけぼりにされた高齢者のささやかな抵抗なのかもしれません。
 別の意味で満たされていれば、そんなに餅にこだわる必要はないのかもしれないのにね。




2003年01月03日(金)
誰かに決められたメモリアル・イヤーじゃなくて。


電車で見かけた車内広告より。

【1999年・世紀末
 2000年・ミレニアム
 2001年・21世紀
 2002年・サッカー
 2003年は、どんな年になるでしょうか?】

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 新年あけましておめでとうございます。

 さて、この広告を見ながら、僕は考えました。
 確かに、この何年かは、何もイベントがない年というのは、なかったんですよね。
 とくに2000年前後は、恐怖の大王だとか(今となっては、笑い話になってしまうのですが)、ミレニアムだとか、21世紀最初の年だとかで、毎年何かのメモリアル・イヤーだったような気がします。
 そんな呪縛から解放されたと思ったら、去年はワールドカップ開催年ということで、また特別扱いされる1年でしたしね。
 2003年というのは、終わってみるまでわかりませんが、少なくとも今のところは、一言で言い表せるようなイベントは予定されていない、平凡な年。

 しかし、大部分の人々にとって、「世紀越え」を体験できるのは一生に一度のことでしょう。「機械の体」でも開発されないかぎり、僕たちはたぶん22世紀は迎えられません。
 そういう意味では、僕たちは、あまりにメモリアル慣れしてしまっているのかもしれませんね。
 生きていくという意味では、2000年も2003年もとくにその難しさに大きな変化はありませんし、むしろ、平凡な年が大部分なのです。年号そのものも、キリスト教の文化に基づいたもので、どこまで普遍性があるものか、わからないですし。
 ただひとつ言えることは、2003年は、まだ真っ白な年だということ。
 楽しいことがあるかもしれないし、哀しいこともあるでしょう。
 でも、世界にとっては平凡な1年でも、自分にとっては充実した年になるようにがんばっていきたいと思います。

 誰かに決められたメモリアル・イヤーじゃなくて、自分にとって、いい年として記憶に残る1年になるように。

 そして、皆様にとっても、素晴らしい1年でありますように。

 2003年もよろしくお願いいたします。