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■ 忘れられないキャラ
最近よく思い出すのが3歳から10歳まで過ごした街。 大阪の中でも都会の方で、梅田に近かった。 私の両親は喫茶店を営んでいて、1階が喫茶店、2階が住居になっているところに住んでいた。
そこに来る客層は実に多彩で、子どもの私でも知ってるような芸能人がたくさん来ていた。 お笑い芸人がやっぱり多くて、事故で亡くなった林家小染さんとか中田カウスボタンとかB&B(島田洋七・洋八)も来てたね。
私にとっては喫茶店が自宅の玄関で、学校の行き帰りは喫茶店から”いってきます’ただいま”を言っていた。 なので、学校から帰ってくると、そのまま店のカウンターでジュースやおやつをもらったり、そこで座ってお絵かきしたり、常連客に遊んでもらったり、なかにはマジックを見せてくれる人もいたり、ほんと楽しい思い出がある。
あの頃の両親は… 父がDVで、2階の自宅ではよく母を殴って泣かせていたけど、店では客から慕われているマスターだった。 母も、私と妹の手があまりかからなくなると、店に出て手伝っていた。
そんな感じではあったけど、まだあの頃の両親は友人・知人に囲まれて、幸せそうに暮らしていたかな。 特に、父が機嫌よく出迎える親友と呼ぶ人がいて、それが佐藤蛾次郎さんだ。
父は昔、俳優をやっていたことがあって、その頃の同期なんだとか。 父の方はモノにならず、すぐに辞めてしまったらしいけど、蛾次郎さんは寅さんの映画にも出て、もう有名でしたね〜 TVとかでも、よく観てたような気がする。
だけど、店には度々来てくれてて、あのモジャモジャ頭とあの憎めない笑顔で、店内がパ〜っと明るくなってた。 蛾次郎さんが来ると、いつも店の角の方でおとなしく遊んでいる私を『お嬢ちゃん〜お嬢〜』と言って呼んで、『パパママには内緒やで〜』と言って、私の手に100円玉を握らせてくれてた。 『ありがとぉ〜』と言うと、に〜っこり笑って頭をなでなで撫でてくれてた。
実は、私は天パ(天然パーマ)で子どもの頃は特にモジャモジャ頭でね〜 『おっちゃんと一緒やなぁ〜』と言って可愛がってくれた。 でも当の私は、そのモジャ頭がコンプレックスで…でも蛾次郎さんもモジャ頭だし、こんな頭イヤヤとも言えず、引きつった笑顔になってたかも。
今でも時々、蛾次郎さんのことは思い出す。 ネットで見ると、蛾次郎さん、今は銀座でバーをやっているんだね。 先月、東京に行った際に銀座の辺りをうろちょろしてたんだけど、行ってみたい気もする。 たぶん、私の顔を見てもわからないと思うけど、あの時の子どもだって言えば思い出してくれるような気がする。
なんか懐かしさが込み上げてくるなぁ〜 うちの家族が、まだ家族らしかった頃を思い出して…
2008年09月11日(木)
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