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■ 教師
先日、中学生の娘、息子の3者面談に行った。 なかなかこんな機会もないだろうからと思って行ったのだが、 どうも子供たちには不評らしい(笑) やはり父親には知られたくないことが色々あるようだ。 最も…自分もまた中学生の頃、そんなこと思っていたかもしれない。
面談で先生と色々話す。 息子の担任は、生徒個人個人のことを良く見ており、 安心して任せられる感じであったのだが、 問題は娘の担任。 事なかれ主義で、目配りがきかない…というか、何もしないタイプ。 実際、娘がクラスで嫌がらせを受けている事実を「知らなかった」と言い張り、 「今度相手に確認しておく」と… 一体確認ってどうするつもりなんだろう???
ところがである。 この娘の担任は去年3年生を受け持ったらしく、 卒業生の母親たちには至極評判がいいらしい。 女房が色々聞いてきたところによると… 結局「何もしない」「干渉しない」=「問題が起こらない」=「良い先生」 ということらしい。 「何もしない」ということが、先生の評判をあげているとは… これが皮肉ではなく、当たり前のように語っているらしい。 一体どうなっているんだろう。
結局今の世の中、当り障りのないことをしていれば評価を受け、 目立ったり、熱血タイプは嫌われてしまうようだ。 これでは、教師の質も向上しないのではないだろうか?
教師といえば、大学で教育課程・専門課程を経て、教員免許を取得。 そして教師になるという。 まぁ細かいことが色々あるだろうが、大雑把に言ってそうであろう。 つまり…社会に一度も出たことのない人たちが、 これから社会に出て行こうとする子供たちに物事を教える。 道徳心のかけらもないような教師までもが、子供たちに君臨する。 現在の教育制度は、はたしてこれでいいのだろうか?
子供の人格形成を左右しかねない大事な時期を、 そんな教師に託してしまうことに問題はないだろうか? よく聞く教師の「当たり」「はずれ」 良い教師に恵まれた子だけが得をして、駄目な教師にあたった子供は損をする。 勿論人間教育に損得はないかもしれない。 が、現実に「良い教師」「駄目な教師」が存在することも事実である。
今こそ教育制度の改革が必要なのではないだろうか? 教師を教育する教師が居てしかるべきであるし、 社会に出た一般人が、色々な事を子供に教え伝えることも出来る。 つまり教員免許にとらわれず、 知識と経験を豊富に持った人が、教師と成り代わって行く事は出来ないだろうか? 主要な科目には勿論専門が必要ではあるものの、 もっと思い切った手段をとることが、必要なのではないだろうか。
更に思うことは、人の心身に携わる職業、教師・医者・弁護士など、 いわゆる免許制度の上に成り立つ職業であるが、 この免許制度を更新制度に出来ないものなのか? 年を追うごとに慣れも生じ、隙も生まれる。 そうしたものよって、腐敗が進んでしまう。 生涯免許として最初に与えてるだけで終わらせるのではなく、 運転免許のように更新制度を取り入れ、更新ごとの適正試験を受けさせるべきだと考える。 そうしたことが、各人の人間性向上にもつながるのではないだろうか?
「良い先生」は今でも大勢いらっしゃる。 「良い」の基準は人それぞれであろうが、 とにかく何事にも真剣に取り組んでくださる先生は多い。 が、その一方で、無責任な教師が増殖していることは否めない。 そんな「駄目教師」がクローズアップされるたびに、 「教師」という枠でひとくくりにされ、 同じ目で見られてしまう「良い先生」たちのためにも、 教育制度の大改革は必要なことであると思う。
2003年12月18日(木)
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