風のひとり言
kaze



 運命

先日亡くなった友人の初七日にあわせ、
女房と次男を連れて、事故現場に花を手向けに訪れた。

近所ということもあり、過去何遍となく通った交差点。
事故の詳細がわからないのだが、
見通しの良い交差点、しかも一方通行出口での事故。
4メートルも飛ばされた割りには、自転車が無傷だったとか、
頭を打った以外に外傷はほとんど見受けられなかったとか、
そんな噂が飛び交っている事を総合していくと、
どんな状況だったかが皆目見当もつかない。
然しながら、間違いなくその場で彼女が事故に遭ったのは事実であるし、
そしてまた、彼女が既にこの世に居ないことも事実として認識しなくてはならない。

女房が言うには、
「まったく、ドジしちゃってさぁ〜」
「もう〜、いつまでもメソメソしないでよね!」
そんな彼女の明るい声が脳裏をよぎるらしい。
確かにそういうキャラであり、自分にも聞こえてきそうだった。

事故というものを考える時、いつも思うことがある。
全くの赤の他人同士。
その両者がいつものようにそれぞれの朝を迎え、
それぞれの生活から家を出る。
そしてその事故が起きる現場、
その何時何分何秒というそのタイミング、
その「時」に向かってそれぞれの道を進んでいく。
その先に何があるのか、
そんな想像も出来ず、何もわからないまま・・・

そんな当たり前と言えば当たり前のことであるが、
それが妙に「不思議」(という言葉が適切であるかどうか定かでない)と言うか、
妙な気持ちに感じてしまう。

たった1秒、いや0.5秒でも構わない。
どこかで時間を費やすことがあったならば、
どこかで時間が早まることがあったならば、
その事故に遭遇しないかもしれないのだ。
すんでのところで、回避できたかもしれないのだ。

その、点と点を強制的につないでしまう。
見えない糸によって導かれた結果の事故。
それが「運命」というべきものならば、
なんだかやりきれない思いにとらわれる。
これが「運命のいたずら」とでも言うことなのであれば、
人間なんてそんな「運命」に逆らえないのかもしれない。

人の命のちっぽけさ、儚さを、改めて思ってしまう。

もっともこれは、「事故」に限らず、
色々なシチュエーションも考えられることなんだけど。
人との出会いに関してもそうだろう。
そのタイミング、その一瞬に向けて、
人は見えない糸で操られているのかもしれない。

そういえば引越しをして、落ち着いたら彼女を招く予定であった。
実現不可能になってしまった約束事が、
心残りであり、非常に残念な気持ちで一杯だ。




2003年10月23日(木)
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