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■ 訃報
女房の親友の訃報が届いたのは、自分が出張中のことだった。 切羽詰った感じのメールに、すぐに折り返し電話を入れると、 2日前に幼稚園の運動会で会ったばかりの、Nさんの訃報の知らせであった。
原因は交通事故。 聞くところによると、自転車に乗ったNさんはバイクと車の両方に跳ねられ、 4メートル近く飛ばされた後、頭部より落下。 死因は脳内出血によるものだという。
Nさんとは、娘が幼稚園時代からの付き合いである。 長女とはずっと同じクラスであり、中学2年になって初めてクラスが分かれた。 そして、現在うちの次男と同じ幼稚園に通わせている5歳になった娘さんも居る。 世話焼きのこの娘さんに、次男はいつも面倒を見てもらっていたようだ。 さばさばした性格で、屈託のない笑顔が印象的。 誰にでも平等に接し、とても気軽に声をかけてくる・・・ そんな明るい女性だった。 女房ともウマがあうのか、かなり仲良くしてもらっていたようだ。
そんなNさんの突然の訃報。 簡単には信じられない現実が、そこにはあった。 通夜・葬儀と参列した今でも、Nさんの笑顔、声が頭の中を駆け巡る。
5歳のHちゃんは、「母親の死」を知ってか知らずか、 ニコニコと参列者を出迎え、園の友達らに手を振ってくる。 それが幼児特有のものなのか、 それともいつもと違う周りの大人たちの姿に、 天性の感覚でその場を明るくしようとしているのか・・・ いずれにしてもその姿は痛々しく、さらに参列者の涙を誘う。 聞けば、母親が遺体となって自宅に戻った後、 母親のそばで「ママ起きてよ〜一緒にお風呂はいろう〜」と言っていたらしい。 「ママが起きてくれない」と言うHちゃんを目の前に、 周囲の大人たちは何を語れるだろう。
一つの幸せな家庭が一瞬にして壊された。 そして、恐らくは加害者側の家庭もまたこれから一生苦しむことになるだろう。 加害者を怨むことは簡単なことかもしれない。 しかし、輪禍の犠牲となったNさんの死を無駄にしないためには、 ハンドルを握るものとして、明日は我が身と考えなければならない。 被害者にも加害者にもなりえる立場として、 『自分だけは事故を起こさない』などという過信は捨て、 『いつ起きても不思議ではない』ことを念頭に入れ、運転に勤しまねばならない。
彼女の死を、ただの不幸な出来事として風化させるのではなく、 その犠牲を無駄にしない意識をもつことが、一つの供養にもなるだろう。
Nさんのご冥福を心よりお祈りします。
2003年10月19日(日)
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