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■ 演技
通勤電車の車窓から、映画「9デイズ」のポスターを見かけた。 主演アンソニーホプキンスが真中に写っている写真。
アンソニーホプキンスと言えば、古くはヒッチコックの「サイコ」に主演し、 その名演技に喝采を浴びた。 最近では、「羊たちの沈黙」「ハンニバル」のレクター博士役といえば、 思い浮かぶ方も多いのではないだろうか? そう・・・そのレクター博士役があまりにも強烈な印象を残しているため、 「9デイズ」のポスターを一見した限り「ハンニバル」の続編かと思った(笑) こんな勘違いって多いだろうなぁ。。。
映画そのものはCIA諜報員役のホプキンスがテロリストと戦うという、 アクション映画(実はホプキンス自身、本格的なアクション映画ははじめて) ハンニバルのようなサイコ的な様相など一欠けらもないようだ。
役者たちの苦労というものに、その役柄が先行してしまうということがある。 長寿番組になればなるほど、その役柄のイメージがついて廻ってしまう。 例えば、藤田まことはいまだに「中村主水(必殺シリーズ)」であり、 故・石原裕次郎は「ボス(太陽にほえろ)」の愛称が使われる。
その「太陽にほえろ」シリーズほどの長寿番組ともなると、その役名(愛称)が、 他のドラマに出ていても、役者名より先に浮かんでしまったりする。 古いもので言えば、 「萩原健一(=マカロニ)」「松田優作(=ジーパン)」「勝野洋(=テキサス)」 「小野寺昭(=殿下)」「竜雷太(=ゴリ)」「露口茂(=山さん)」などなど・・・ こうした愛称で呼び合う番組自体、放送開始当時は少なかったのか、その印象は強烈だった。 役者側も、そうして作られた(その番組での役柄という意味)イメージから脱却するのに苦労した。 そんな話を聞いた事もある。 小野寺昭などは「殿下」のイメージが付きまとい過ぎたのが嫌で、自ら番組内での殉職を申し入れたらしい。 そうした役柄・イメージが先行してしまう事は、いかに役者と言えども辛いものかもしれない。 色々な役をこなして、演技の幅を広げたい・・・これが役者たちの共通な意見であろう。 が、作られたイメージがそれを阻む。 確かに我々がキャスティングする際も、そうしたイメージで選考する事が多い。 それは・・・ある意味「安全策」でもあるんだけどね。
と・・・役者の事ばかり考えていたが、これは役者に限らず誰にでもいえること。 人は、他人の前では多かれ少なかれ「素」ではない自分を演じていると思う。 それにより作られてしまったイメージがあり、そのイメージに反するような事をしてしまうと、 「どうしたの?」と問われたりする。 「自分はこんな奴だ!」と叫んでみても、イメージが浸透している以上、誰も信じない・・・ 役者でなくても・・・人が作ったイメージから脱却することは、難しいもんだ。 所詮・・・人の一生は、演じる事の連続なのだろうか?
2002年10月24日(木)
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