月のシズク
mamico



 オレンジ色のトレンチコート

贅沢なことに眼がない私だけど、所有することは苦手だ。
日々の生活の中で、本当に必要なものは、思いのほか少ない。
大人になり、歳を重ねるにしたがって、そう感じるようになった。

先日、某有名アパレルメーカーのファミリーセールへ行ってきた。
学生時代からの男トモダチが、スーツを買いたいというのでお供したのだ。
会場は、男性衣料品と女性のものとが別会場になっていた。音楽業界に
勤務する友は、それなりに身なりに気を遣う必要性もあり、いつ会っても
きっちりとした服装をしている。そして、スーツを二着、お買い上げ。

友の買い物が終わってから、申し訳程度に女性の会場にも入ってみた。
ゴージャスなファーの付いたコート。めまぐるしい数のセーターやスカート。
ブーツや鞄などの小物もある。けれど、私は何も必要がなかった。美しい
布地の、すべらかな肌触りを楽しむだけで十分。

「むかしは、よく、こんな恰好していたのにね」
私の学生時代を知っている友は、お洒落なスーツを着たマネキンを見てそう云う。
そう。あの頃の私は、今よりぜんぜん大人っぽかった。いつも踵のある靴を
履き、仕立ての良い服をまとっていた。虚勢を張りたかっただけかもしれない。
大人の女に見せかけたかっただけかもしれない。と、今になって思う。
高価なスカーフやジャケットは、あの頃の私には不釣合いだったはずだ。

会場をぐるっと見回すと、鮮やかなイタリアン・オレンジが目に付いた。
細身のトレンチコートは、眼を細めたくなるほど、強く主張していた。
私はそれを手にとって「着てみるだけ」と云い、袖を通す。

鏡をのぞくと、子どもじみた顔が、どこかしら気障に映った。
こういう服は、40か50代になったとき、本当に似合うようになるだろう。
イタリアやパリで見たマダムたちのように、歳を重ね、服に負けない迫力が
ついたときに初めて、洋服と自身が馴染むのだ。そう思うと、年齢の重ね方
も少し楽しみになる。たった、それだけのことなんだけどね。

2003年12月15日(月)
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