|
|
■■■
■■
■ オレンジ色のトレンチコート
贅沢なことに眼がない私だけど、所有することは苦手だ。 日々の生活の中で、本当に必要なものは、思いのほか少ない。 大人になり、歳を重ねるにしたがって、そう感じるようになった。
先日、某有名アパレルメーカーのファミリーセールへ行ってきた。 学生時代からの男トモダチが、スーツを買いたいというのでお供したのだ。 会場は、男性衣料品と女性のものとが別会場になっていた。音楽業界に 勤務する友は、それなりに身なりに気を遣う必要性もあり、いつ会っても きっちりとした服装をしている。そして、スーツを二着、お買い上げ。
友の買い物が終わってから、申し訳程度に女性の会場にも入ってみた。 ゴージャスなファーの付いたコート。めまぐるしい数のセーターやスカート。 ブーツや鞄などの小物もある。けれど、私は何も必要がなかった。美しい 布地の、すべらかな肌触りを楽しむだけで十分。
「むかしは、よく、こんな恰好していたのにね」 私の学生時代を知っている友は、お洒落なスーツを着たマネキンを見てそう云う。 そう。あの頃の私は、今よりぜんぜん大人っぽかった。いつも踵のある靴を 履き、仕立ての良い服をまとっていた。虚勢を張りたかっただけかもしれない。 大人の女に見せかけたかっただけかもしれない。と、今になって思う。 高価なスカーフやジャケットは、あの頃の私には不釣合いだったはずだ。
会場をぐるっと見回すと、鮮やかなイタリアン・オレンジが目に付いた。 細身のトレンチコートは、眼を細めたくなるほど、強く主張していた。 私はそれを手にとって「着てみるだけ」と云い、袖を通す。
鏡をのぞくと、子どもじみた顔が、どこかしら気障に映った。 こういう服は、40か50代になったとき、本当に似合うようになるだろう。 イタリアやパリで見たマダムたちのように、歳を重ね、服に負けない迫力が ついたときに初めて、洋服と自身が馴染むのだ。そう思うと、年齢の重ね方 も少し楽しみになる。たった、それだけのことなんだけどね。
2003年12月15日(月)
|
|
|