月のシズク
mamico



 「怒りの理由」について

私は普段から、滅多に人に対して怒りをぶつけるようなことはしない。
もともと鈍感なのか、周囲に無関心なのか、怒りを感じる場面も少ない。
ただ漠然と不快を感じることはあるけれど、よほどの理由がない限り、
それが「怒り」へと姿を変えることはない。

よほどの理由。
それはたとえば、実質的な被害を被ったり、理屈の通らない言動をなすりつけ
られたりする場面。中でも責務放棄して逃げられることに関しては、ひどく怒る。

私の本業というのは、大部分が社会の経済活動の枠組みの外に位置している。
つまり、労働の対価が発生しないことが多い。なので全ては自己管理と責任
の基に営まれる。でもそれでは生活できないので、副業としての労働も兼業
している。私の場合、両者があるからバランス良く生きていられるのだ。

ところで、怒りの理由。
私は本業の仲間とチームを組んで仕事(副業)をしている。
でもその相手が、今週のアタマから突然姿をくらました。
本業の原稿の〆切が過ぎても現れず、仕事の時間帯になっても来ない。
連絡を入れても返答がない。逃げられた、と思った。

今回の原稿に関しては、私たちの懐に原稿料が入ってくるわけではなく、
本になることで業績に追加されるだけのことだ。それは個人の問題に属すので
辞退するのは一向に構わない。早い話、そんなの私の知ったことではない。

問題は(同業者の甘えか何なのか)、連絡もなく今週前半の仕事をすっぽかされた
ことだ。私はふたり分の作業を、ひとり分の報酬でやり抜いた。実質的被害。
そんなわけで、週も半ばというのに、私はひどく疲弊している。
労働そのものより、怒ることで消耗してしまったのだ。やれやれ。

せめて、「ごめんなさい」と「ありがとう」の言葉が欲しい。
それさえもできないような人間に、私はもはや言葉すらかけたくない。

2003年12月03日(水)
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