月のシズク
mamico



 カレー屋の女主人

昨日みんなで近所にできたカレー屋に行ったんですよ、という話を
教授としていたら、「あそこ、私も気に入ってるのよね。清潔で、手ごろで」
なんて、新しいものに敏感な彼女が言った。

「それに比べて、駅へ行く通り沿いを二階にのぼっていくカレー屋。
 無愛想な女主人が・・・」と続いて、驚いてしまった。
その店は私もよく知っている。もちろん店を仕切っている女主人のことも。
無愛想な女主人、という台詞に、私は思わず小さくわらってしまう。

急な階段をのぼった先にある、青や黄色のペンキで塗られた店。
カウンター席だけで、南イタリアのさびれた海岸沿いにあるような店だ。
「いらっしゃいませ」も「こんにちは」の挨拶もなく、カウンターの椅子に座ると、
無言でメニューと水が出される。メニューを読み上げると、女主人は小さく
うなずき、調理にとりかかる。スパイスをたくさん使った、複雑な味のカレー。

いつ行ってもあまり客はおらず、たまに休日に足を運ぶと、ちらちらと
カップルや近所のひとらしき姿をみかける。店が忙しいときには、若い
男のひとがカウンターの中に入って手伝っている。恋人にしては若すぎる
気がするし、息子にしては歳を取りすぎる気もする。顔つきが似ているか
と思えば、そうも見えるし、でも、ぜんぜん他人にも見える。
ふたりの関係は謎めいていて、私には見当がつかない。

さておき、私は一時期、この店によく男のひとを連れていった。
理解のある男ともだちだったり、恋人になりかけの誰かだったり、同僚だったり。
私の顔をちらりとも見ない女主人だけれど、彼女は絶対判っていた、という
確信がある。どの男が友だちで、どの男が恋人かを。そして私自身のことも。

まだ会社勤めをしていた頃、残業に追われ終電間際で帰ってきたときのこと。
駅からの帰り道、ひとりとぼとぼ歩いていたら、夜道で彼女とすれちがった。
きっと店を閉めた後なのだろう。カウンターの中にいる若い男と一緒だった。

「見覚えのある顔だな」と、頭の中のデーターベースを探っている最中に、
彼女と眼が合った。そして、軽く会釈された。にこりともせず。無表情のままで。
はたと、彼女がカレー屋の女主人だという事実を知る。理由もなく嬉しかった。

教授が言うところの「無愛想な女主人」は、私にとって、秘密を共有しあう、
かつ、信頼のおける(心の中の)女ともだちのような存在である。

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2003年10月08日(水)
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