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■ お盆をすぎると
夕方、よく冷房の効いたコンビニから出たとき、なまあたたかい風にお線香 の匂いがかすかに混じっていた。その匂いを確かめようと、鼻腔を膨らませ てみたが、もうそこに香りの所在は消えていた。空を仰ぐと、勢いの弱まった 夏の空に、日が暮れてゆくところだった。
お盆をすぎると、とたんに夏が気配をうすめる。 殊に今年は、雨ばかりで肌寒く、華奢なサンダルも、露出の多い夏服も あまり登場することはなかった。日焼け止めさえも、まだたっぷり残った ままである。暑ければ「暑い」と文句を言うくせに、夏という季節の使命感 を放棄したような中途半端さは、余計に苛立たしく感ぜられた。 異常気象などと云う、大義名分を持った言い訳は、この際さしおいて。
子どもたちは、どうしているのだろう?と、してもしょうがない心配を抱き、 向かいの兄弟(小学校高学年くらいの男の子たち)をベランダから観察した。 背丈が同じくらいの彼らは、どっちがお兄さんだか弟だか、はたまた双子 なのかは判らないが、よく一緒に遊んでいる。マンションと彼らの家を挟む 一方通行の細い道路でキャッチボールをしたり、ふたり揃ってどこかへ出か けていったりする彼らの姿を、私はしばしば目撃していた。
お昼近くに、珈琲カップを片手にぼんやりベランダで煙草をのんでいると、 彼らが何処からか帰ってきた。ふたりともよく日に焼けて、半ズボンを 履いていた。兄とおぼしき方が、お勝手口の上に点きっぱなしになっていた 夜灯をパチンと消して、「ただいまー」と家の中に入っていく。 弟(とおぼしき方が)、兄の後に続き「腹へったー」と叫んでいる。
夏の子供らしい彼らを見て、よしよし、と思った。 学校からも、宿題からも逃れて、退屈そうに遊んでいる彼らの夏やすみを、 よしよしと思う。どこか身をもてあまし気味で、とことん退屈しつくしていた、 あの頃の私と彼らは、さして変わらないように見えた。そして、お盆を過ぎた 頃に突然襲ってくる、学校へ戻らなければならない小さな喜びと、長いお休み が終わってしまう焦燥感に、何度も愕然としたことを覚えている。 彼らも身体のどこかで、そう感じているのだろうか?
2003年08月20日(水)
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