月のシズク
mamico



 雷が鳴る前に

思えば、空ばかり見ていた。

と、やおら認識したのは、南から北へと吹き払われてゆく雨雲を眺めていたときだ。
梅雨明け宣言が延ばし延ばしになってしまった東京上空には、夕暮の刻にもまだ
灰色がかった薄雲が空を覆っていた。かなり強い風が吹いているのだろう。
沈みかけ太陽の光を浴びながら、雲は次々と形状を変えて流れてゆく。

雷はまだだろうか、と思い、そして去年のあの日のことを思い出した。

気象庁が東京上空に雷雨警報を出した、夏の終わりのある夕方。
いかにも暗雲立ちこめる空を、ベランダに出てみんなで見上げながら、
それでも、これから始まる非日常的自然現象を心待ちにしていた。

「電車が止まると帰れないから」と、仲間たちはそわそわと、でもこのイヴェントを
皆で見届けることができない心残りな表情をして、次々と研究室を後にしていった。
気象庁のサイトを覗いて、積乱雲の位置やら気象速報をチェックしては、「今、
どこそこの地区が豪雨らしいよ」と、不謹慎にも声が小躍りしていた、あの日の夕方。

「雨が来ないうちに帰りまーす」という妹ちゃんの声に振り返ると、さっきまで
履いていた華奢なサンダルはスニーカーに履き替えられ、小ぶりなバックの代わり
に、机の下に放置されていたバックパックという出で立ちで、傘を手に立っていた。
「どうしたの、その恰好?」と訊くと、「だって、今から雨ですもの。立ち向かわねば」
と、勇ましいふりをしてみせてくれた。可愛い子だ、と思ったことを憶えている。

気が付けば、研究棟には誰も残っておらず、窓の外には、はるか遠くに閃光が
雲に反射していた。ほどなくして、バケツをひっくり返したような雨が空から落ちて
きて、ガラス窓を振るわすほどの雷鳴が、間髪入れず轟いていた。
私は、ただただ呆気に取られて、ぽつねんと、その光景を眺めていたっけ。

今年は、雷が鳴る前に、私もどこかへ帰ってゆきたい。

2003年07月29日(火)
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