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■ 梅雨とはいえ・・・夏の記憶
ひがな一日よく降る雨に、半分あきれ、半分感心してしまう。 今年はざぶざぶと、やぶれかぶれに降る雨よりも、 ミスト状の細かい霧のような雨ばかりが多い気がする。
傘をさすべきか、ささぬべきか、ちょっと悩んでしまうような雨なのだ。 そして、私はいつも後者を選ぶ。これくらいの雨ならば、不自由に傘を 広げるよりも、霧雨の中を濡れて歩く方が気持ちがよい。 上等の服や靴を纏っているわけでもないことだし。
気晴らしに、夏の予定を手帳に書き込んでみた。 「ライブ/太宰府@福岡」「結婚式@台場」「避暑@箱根」「オーラス@宮城」...etc その他、もろもろ。週末ごとに、東京(つまり現実)を離れることになり、 想像しただけでわくわくするような高揚感に包まれる。
ヨーロッパやアメリカなどは、「夏=ヴァカンス」という略式が成立しているけれど、 日本の夏というと(私くらいの年代ではまだ)、脳天気に遊び回るというよりは ちょっと過去を振り返る季節、だと感じている。カラダのどこかで。
原爆記念日や終戦記念日、お盆という伝統行事も、過去や故人を振り返らせる。 そこには深い悲しみというより、乾いた痛みのような感触が残っている。 「風化させない」という言葉が刻まれた石碑やスローガンを眼にするたびに、 私は乾ききってしまった、つまり、我々からは到達不可能な何かを感じる。
それと、夏にはお葬式が多い。 私の祖父が亡くなったのも、暑い夏の日のことだった。 むせかえるような暑さの中、弔鐘のクラクションが、青い空に突き抜けていった こと。その彼方に、夏の入道雲が地平から起きあがったこと。黒いジャケットを 脱ぎ、それを見ながらハンカチで汗をぬぐったこと。今でもよく憶えている。
「わたしも夏に死ぬだろう」 そう思ったことも、よく、憶えている。
--- ■後日談 この日記を書いた後に思い出したのですが、7/10は祖父の命日でした。
2003年07月10日(木)
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