私が米国に学んでいた頃は、歳がばれるのであんまり言いたかないんだけど「ブッシュお父ちゃん」の頃だ。(爆)
ロサンゼルスの最初は私立の英語学校に入り、のちに経済事情から授業料の安価なロサンゼルス州立の公立学校に転入した。
帰国するまでの大半をその学校で過ごしたので、すごく思い入れが深い。
80カ国の人種が集まるその学校は主に、東南アジア系とヒスパニック系の生徒が大半だった。
クラスメートには一人だけ、おフランス人の男の子がいたが、年中、鼻をぐすぐす言わせていて、なんだかよくわかんないヤツだった。
そのクラスでの隣席の男子はベトナム人。 ベトナムやタイランドの言葉の発音は、喉の奥に詰まる音だ。 そうね、サザエさんが「また、来週〜♪ッンガ・ウグッ」と食べ物を喉に詰まらせる音を想像していただければ一番早いかな。
クンパック(だと憶えている)という名のその男の子のベトナムなまりの英語は、非常に聞き取りにくいモノだったが、じきに慣れてきた。
身長が157cmそこそこの私とあまり大差ない小さな穏和な顔立ちの男の子だ。
それはそれは真面目で宿題をサボったことのない彼。 よくうつさせてもらった♪ ヾ(-д-;)ぉぃぉぃ
勤勉でとても成績の良かった彼。 テストの回答も、よくうつさせてもらった♪ Σ(゚д゚)オイオイ×2
クラスの半数は、タイ・ベトナム・中国・韓国・日本の東南アジア系が占めていたが、とりわけ、ベトナム人は勤勉でよく働いた。 アルバイトを2つも3つも掛け持ちするのは彼らには当たり前のことだった。
1年が雨期と乾期の真半分に分かれる国。
戦争禍は、国民の間に深く静かに浸透していて、例えば教育においても「勉強せずして、生きるか死ぬか?」の両極端な切迫感があるらしい…。 あまり豊かではない国から、アメリカへ留学させる費用を捻出する親族は大変だったろうと思う。
タイの女の子がこぼしていた。「私が国に電話するたんびに“金・かね!”って言うから母がいやがるの。(・・。)ゞ 」
一度、このタイ人の部屋に遊びに行ったことがあるが、2LDKのマンションに男女取り合わせて6,7人ざくざく出て来たから、驚いた。 日本人やアメリカ人の感覚では、ルームシェアはせいぜい、一人一部屋あたるような割合だったからだ。 タイ人の女の子は、居間の一画をパテーションで仕切って寝起きしていた。 人数が多ければ多いほど、家賃も安くなるからそれは合理的と言えるのだけれど…。(笑)
さて、ベトナム人の隣席の彼にはさすがに「どらえもん」のジャイアンよろしく、こづいたりまではしなかったが(笑)さんざん、いじりまくったのは確かだ。
だって、あんまり小さくて可愛いんだもん♪ いつでもニコニコして柔和だった彼。
1年が過ぎ、クラス替えでお別れする日になんとなく話しの間があいて、彼に尋ねてみた。 「How old are you?」(おいおい…それが、さんざん世話になった人への言葉かよ?)
その時、彼の実年齢を初めて知った。
なんと! Σ(@∀@-;)
私よりも 6つも年上だったのだ!
衝撃のあまり… ちょっと卑屈になって別れた学期末。
そう言えば、彼は私がどんなに無礼をはたらいても怒ったことがない。 生涯、会う機会はないだろうが、もし会えたら、あの時のお詫びをしたい。^^;
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