子曰、後生可畏也、焉知來者之不如今也、四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已矣 ------------------------*----------------------- 孔子先生が言わはるには、自分より若者を馬鹿者呼ばわりしてバカにしててはあきまへんぇ。意外や意外…侮れへんもんどすぇ、あんさん!あいつらはうちらよりあとから生まれてきただけで、うちらより劣っている保障はおまへんのんどす。せやけど40歳、50歳にもなってこれといった特徴がおへんようでは、さほど恐るるに足らしまへんよってにな…。 <<あやしい京都弁に超・意訳>> ------------------------*-----------------------
最近、<論語>に興味があったりします。(笑) 若い頃は、蘊蓄たれることは好きだけれど、たれられたらむやみやたらに反発したい気持ちが湧いてきたものです。
孔子の教えを優しく漫画にした文庫本をみつけました。
PHPから出されているカセット文庫は『人間通(にんげんつう)になるには…』という、うさんくさい表題がついているが、至極まっとうなことを教授先生が仰っていらして、論語を引き合いに出されている部分もあります。
各々違うソースから、3回同じ話しを聞いたので、思わず書き留めておくことに。
歯医者のジィ様先生は、よく言われていた。
「人間はなぁ…鉛はどこまで行ってもなまりやし、金はきん!」
それは、DNAからして運命が決まっているような、容赦ない言いようだ。(笑)
その理念にかねてからの疑問も絡めて、禅問答のような質問をしたことがある。 時間の概念を付加してみたらどうなるだろう。
私:「先生、それでは、歳取った“なまり”と、若い“金”と、どちらが賢いですか?」
先生:「うーん、むずかしいな、それ。“なまり”にもランクがあるしな。」
(+。+)あちゃ- まいった。(笑) 自分の若かりし頃を思い起こしてみる。
30歳代、40歳代が、えらく大人で臈長けたふうに思えてならなかったね。
自分には、若さ以外に取り柄が何もない。(仮に若さを取り柄と呼ぶのなら。)
経験してない未知の世界がいっぱいある。
知らないということは不安である。
今、「チッ(・д・)若さしか“売り”がないもんだから…。」とか「若さを“売り”にしやがって。」とか、
自分の若い頃を忘れて、ひがんでみたりする。
若さだけが“頼みの綱”だったことをすっかり忘れている。
『若いと言うことはエネルギーに満ちあふれていて、時間的な余裕もあるし、体力もある。生半可な生き方をしていては、追い越されるのは目に見えている。』と、いうことを孔子先生は仰いたいのかな…と、ふと思う。
時間を浪費することが、にちにち惜しくなってきました。
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