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2009年04月08日(水)
野村監督の「ID野球」の真実

『あぁ、監督』(野村克也著・角川oneテーマ21)より。

【もうひとつ私がヤクルトに持ち込んだのが、のちに「ID(インポート・データ)野球」と呼ばれるようになったように、データをはじめとする”無形の力”を最大限に活用することだった。そして、これこそがいまも変わらぬ野村野球の最大の特長だといっていい。
 というのは、技術力のような目に見える力には限界があるからである。この考えは、前にも述べた選手時代の私自身の経験に基づいている。プロ5年目に突然スランプに陥った私は、おのれのバッティング技術の限界を知り、テータを活用することで壁を破ることができたという、あの経験である。
 そのために力を注いだのが、スコアラーの教育だった。
 みなさんは、スコアラーの仕事をどのように考えておられるだろうか。
「相手チームのバッテリーの配球をチェックして記録する」「バッターの得意・不得意コースや球種を調べて分析する」……。
 たしかに、大雑把にいえばそういうことである。それは正しい。だが、それだけでは不十分なのである。そうして得たデータを、いかに「表現」するか。そこがスコアラーには問われているのだ。
 それまでのヤクルトのスコアラーが監督やコーチに届けていた情報の大半は、パーセントで示した数字だった。「このピッチャーは100球投げたら、ストレートが何パーセントでカーブが何パーセント云々」というように……。それを見た私は彼らにいった。
「パーセントなんていらん。そんなものはテレビ局のアナウンサーだって持ってるわ!」
 私がほしいデータとは、たとえば「あるピッチャーはストレートを何球続けて投げるのか」「牽制は何球まで続けるか」「0−0から2−3まで12種類あるボールカウントごとの配球はどうなっているか」「こういうボールカウント、アウトカウント、ランナーの状況では、どんな球種を投げてくるのか」といったような情報なのだ。
 あるいは、「どういう状況でキャッチャーのサインに首を振ったか」「このバッターは空振りしたあと、どのようなスイングをしたか」「甘いストレートを見逃した次のボールにどのような反応を示したか」というような心理面に関する情報なのである。細かいデータほど戦力になるのだ。
 たとえば、その当時はほとんどピッチャーがストレートは2球までしか続けなかった。とすれば、3球目は8割以上の確率で変化球がくる。そこに狙いを絞ればいいのである。3球までしか牽制を続けないピッチャーなら、4球目はピッチャーがモーションを起こすのと同時にスタートを切ってもかまわないということになる。
「なくて七癖」という言葉があるが、どんな人間にも必ずクセがある。「そこを見つけ出してこい」と私はスコアラーに命じたわけだ。
 とりわけ「キャッチャーをターゲットにしてほしい」と依頼した。彼らが何を根拠にサインを出しているのか。単純に勘だけなのか、成り行きなのか、打者の動きを見て出しているのか、ピッチャーの特長を引き出そうとしているのか。「そこを見破れ」と――。現代野球において今スコアラーは大変重要な存在である。】

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 ヤクルト時代の野村監督の「ID野球」は流行語にもなりましたが、この本を読んで、僕が当時イメージしていたものよりも「野村野球」はずっと緻密で実戦的だったのだなあ、と思い知らされました。
 野球ファンであれば、よく「自分が監督だったら……」という想像をすると思います。しかしながら、「もっとデータを重視しろよ!」などとテレビに毒づいている人の多くは、「相手チームについてのデータを集めろ」と言われれば、「このピッチャーは100球投げたら、ストレートが何パーセントでカーブが何パーセント云々」というレベルの「分析」をして、「データを集めた気分」になってしまうのではないでしょうか。
 たしかに、それでも「次にどんな球が来る確率が高いか」くらいはわかるでしょうし、何も考えずにバッターボックスに入るよりは、打者がヒットを打てる可能性は増すはずです。
 でも、そういう「誰もが簡単に思いつくレベルのデータ」では、差をつけることは難しいのです。

 ここで述べられている、「野村監督がほしいデータ」というのは、カウント別の配球の傾向だとか、牽制球を何回まで続けるかという癖のように、「より具体的な状況に対応したもの」なんですよね。
 「この投手は(あるいは捕手は)、全体の投球のうちストレートが50%で……」という「データ」よりは、「2−2でランナーがスコアリングポジションにいるときには、ストレートが50%」というデータのほうが、より精度が高いのはまちがいありません。
 そして、大事なことは、「同じ試合をみていても、その人の視かたによって、得られるデータの質や量は全く違う」ということなのです。
 「このピッチャーは100球投げたら、ストレートが何パーセントでカーブが何パーセント云々」というレベルで「データを集めたつもり」になって安心しているケースというのは、プロ野球の試合だけではなくて、僕たちの普段の仕事でもけっして少なくありません。

 「データを重視しているつもり」なのに結果が出ない場合には、「自分はそのデータを本当に突き詰めて分析しているのだろうか?」と疑ってみるべきなのかもしれません。
 実際にやると、これはかなり「めんどくさい作業」のはず。でも、こういうのを徹底的にやれる人というのが、最後に笑うことができるのでしょう。
 やっぱり、「そんなにお金も戦力もないチーム」で「巨大戦力」に立ち向かおうと思ったら、せめてこのくらいは努力しなきゃいけないのだなあ。