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2009年04月10日(金)
昭和天皇のサンドイッチ

『昭和天皇のお食事』(渡辺誠著・文春文庫)より。

(宮内庁大膳課の和食担当として大膳厨房係に26年間勤めた著者の「昭和天皇のサンドイッチ」の思い出)

【そうそう、サンドイッチのサイズで思い出したことがあります。後に美智子皇后から、もう少しサイズを小さくしてほしいというご要望がありました。お客様とお話をしているときに、口の中に食べ物を入れてお話をするわけにはいかないので、うんと小さくすればさりげなく食べることができるということで、それまでの九つ切りから十二切りにしました。しかし、これにはかなりのテクニックを必要としました。切りづらいため、つい力が入りパンの表面に指のあとがついたりしたら、作り直しということになります。
 大膳のサンドイッチへのこだわりは、当然ことながら箱に詰めたときの美しさにもあります。
 切り口を見せずに真平らになるよう、切り口が横を向くように詰め込みます。表面がデコボコになってはいけない。切られていない一枚の白いパンがそこにあるように見せなければいけないといった具合です。
 ということは、サンドイッチの中身によって厚さがそれぞれ違いますから、それを全部調整するわけです。例えば、ジャムを他の具と同じ厚さに挟むと甘すぎることになるますから、パンの厚みで調整します。
 そして、大高檀紙の紙箱に、隙間がないように、きれいに詰めます。この箱から取り分けるのが主膳の役目ですが、新人がこのサンドイッチを初めて見たときは、パンとパンの境目がわからないように、あまりにびっしりときれいに入っているので「本当に切れているんでしょうか」と聞くのが定番の質問でした。
 このサンドイッチで、昭和天皇をますます敬愛することになったエピソードがあります。大膳にはいりたての若い頃の話です。先輩がサンドイッチを作り、私はそのサンドイッチを持って初めて陛下のお供をして那須の山をほかの皆さんと歩きました。
 主膳さんが侍従に「そろそろお時間でございます」と伝え、侍従が陛下に「そろそろお時間でございます。いかがでございましょう」と申し上げると、陛下は「じゃあお昼にしようか」というようなことをおっしゃいます。そこで私たちはすぐにテーブルを出してセッティングします。旅先のことですから、ごくごく簡単なテーブルです。
 そのときに、生まれて初めて陛下のもとにサンドイッチをお持ちしました。本来は主膳さんがするべきことですが、主膳さんはテーブル・セッティングをしていて、旅先ということもあり、「渡辺さん、あなた自分で持っていきなさい」と言われ、そのときは私が主膳さんのかわりに、女官さんのもとへ運びました。
 おそばで女官さんとのやりとりをうかがっていると、陛下は、「イチゴジャムを」とおっしゃいました。
「他にはいかがでしょうか」
「イチゴジャム」
 とまたおっしゃる。
 生まれて初めて陛下のおそばにいたので、私はブルブル震えるぐらい大変に緊張していましたが、そういう雰囲気の中でも、陛下はジャムだけをとおっしゃるので、陛下はイチゴジャムがよほどお気にいりなのだと思った記憶があります。
 そうして、イチゴジャムのサンドイッチを三切れほど、陛下のお皿にお箸でお取りしたら、「あとは、皆に」とおっしゃるのです。残ったものを皆で分けるようにというのではありません。陛下はまだお食事の前です。私は聞き間違いかと思い、きょとんとしていたら、女官さんから「皆さんに回してあげてください」と指示がありました。
 サンドイッチの箱には結構な数が入っているとはいえ、随員が三十人ぐらいいるわけですから、一切れずつ分けたら、陛下が召し上がる分がなくなってしまうわけです。
 職員には弁当の用意があることは、陛下はよくご存じのはずです。しかし、女官さんからの申しつけですから、私はそのサンドイッチを皆さんにお持ちし、一切れずつお取りいただきました。そして、「皆さんにお取りいただきました」と女官さんに伝えました。
 女官さんが陛下に「みんなの手元にいったようです」といった意味あいのことをお伝えになったのではないでしょうか。「あ、そう」というお声が聞こえました。
「じゃあ、食べようね」とおっしゃって、陛下がご自分の好きなイチゴジャムのサンドイッチをお口に入れられた瞬間に「美味しいね」というお声が耳に入りました。私が作ったわけではありませんが、自分に言われたことのようにうれしくなりました。
 たぶんそのときは、私の記憶に間違いがなければ、皇后陛下のほうを向いておっしゃっておられたように思います。
 私はそのとき、陛下が残りものをみんなで分けるという発想ではなく、ご自分が召し上がるときに、ご自分のものを一口ずつでも分け与えて、同じものを食べようという、まるで家族のようなお気持ちの温かさに心を打たれたのです。
 これがきっかけで、昭和天皇のことをとても身近に感じると同時に、憧れが尊敬に変わり、陛下にお仕えする臣下としての誇りをさらに強く持つようになりました。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「天皇、皇后両陛下ご結婚50年」ということで、最近読んだ『昭和天皇のお食事』という本のなかから。
 渡辺さんが宮内庁に入られたのは1970年のことだそうですから、これは、昭和天皇が70歳くらいのときのエピソードになります。
 
 僕がこれを読んで驚いたのは、「天皇陛下のためのサンドイッチのつくりかた」でした。食材はもちろんのことなのでしょうが、皇室では、「サンドイッチの見た目」にもこんなにこだわっているんですね。
 僕のとってのサンドイッチは、具の厚みによって、全体の厚みが不揃いになるのが当たり前というか、「厚みを揃える」という発想そのものがありませんでした。
 ところが、「天皇陛下のサンドイッチ」は、「本当に切れているんでしょうか?」と聞かずにはいられないくらい、パンとパンの境目がわからないように、びっしりときれいに入っているのです。それも、「具の量を調節して合わせる」のではなく、味を落とさないように「パンの厚みを調節」し、「パンには指のあとが残ることは許されない」という厳しさ。
 こういうのを読むと、本当の「贅沢」というのは、食材や食器の豪華さではなくて、「徹底的に丁寧な仕事をさせる」ということなのではないかな、と考えさせられます。

 後半の「那須の山を歩いたときのエピソード」では、晩年の昭和天皇の日常がうかがわれます。
 太平洋戦争のあと、「人間天皇」として時を過ごしてこられたとはいえ、やはり「最高権力者」としての習慣は残っていたのだろうな、と想像していたのですが、ここで描かれている昭和天皇は、「皇室というひとつの家族を見守る優しいおじいちゃん」のように感じられました。
 僕は子供のころ、「天皇なんて約束された地位の人間が、民主主義で平等な国の日本にいるのはおかしいんじゃないか?」などと憤っていたのですが、こうして大人になってあらためて考えてみると、いまの皇室というのは、「普通の日本人にとっては遠いものになってしまった、伝統的な日本人の家庭生活を時代をこえて示しつづけているタイムカプセル」みたいなもののようにも思われます。
 この「おいしいね」が、皇后陛下に向けての自然な言葉だったことが、よりいっそう渡辺さんを喜ばせたのでしょうね。