初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2008年12月26日(金)
『GTA(グランド・セフト・オート)3』に影響を与えた「日本ゲーム界の歴史的失敗作」

『洋ゲー通信 Airport 51』(エンターブレイン)より。

(『キラー7』や『ノーモア★ヒーローズ』など、独特な作風で知られるゲームデザイナー須田剛一氏と、謎の洋ゲー(外国メーカーのゲーム)冒険家マスク・ド・UH氏による『週刊ファミ通』の人気連載を単行本化したものの一部です)

【マスク・ド・UH:『GTA(グランド・セフト・オート)3』の自由度の高いゲーム性には、じつはモデルが存在していたんです。ロックスター(GTAの制作メーカー)の社長であるサム・ハウザー自身が「あのゲームのコンセプトはよかった」と言っているシロモノが。

須田剛一:何ですか、そのゲームは?

UH:それは……『シェンムー』です!

須田:はああああ!! 『シェンムー』があったからこそ『GTA3』は作られた……

UH:日本が誇る大作『シェンムー』と、この”公共の敵ナンバー1”とまで言われたビデオゲームがリンクするんです!ふつうに考えれば、その2タイトルに関連性はないんですが、制作者レベルで考えると、根がいっしょということになるんですね(笑)。

須田:見かたを変えれば確かに『シェンムー』には『GTA』っぽいところがありますね。そこに生活があるんですよね。誰も行かないようなアパートの裏庭まで造ってある。

UH:僕は『シェンムー』で遊んでいたとき、あの限られた自由度の中で、どれだけ無法ができるか試しました。朝からパチスロするとか、中国人には絶対にジュースをおごらないとか。ネコには必ず油揚げ(笑)。いちばん好きだったのは、フラワーショップの女の子に無言電話をかけることですね(笑)。

須田:ダハハハハ! そのプレイ最高です!

UH:そんな無法レベルが、すごくワイドになったのが『GTA3』ということですよ!

須田:急にワイドになりましたね(笑)。

UH:本当に『GTA3』は『シェンムー』に似ているんです。街を自由にウロつくことを前提にした、3Dのフルマップのゲームは、『GTA3』以前には『シェンムー』ぐらいですよ。

須田:なるほどなるほど! これはスゴい話を聞いてしまった。

UH:また『GTA3』は、日本を舞台にした、あるハリウッド映画の影響を色濃く受けているんですよ。

須田:ほぉ! そのタイトルは?

UH:『ブラックレイン』です!

須田:松田優作!!

UH:『GTA3』の舞台になるリバティシティにはヤクザが”YAKUZA”という名称で登場するんですが、この設定が『ブラックレイン』そのままなんですよ。

須田:松田優作演じる”サトウ”っぽいキャラクターも登場するということですか?

UH:そっくりではありませんが、近い雰囲気のキャラクターは登場します。サム・ハウザー社長も優作の演技を見て、「あいつは本当にスゲぇカッコいい!」と絶賛していました。

須田:ロックスターの人たちは映画が大好きですよね。いろんな映画のシークエンスをミッションやミニゲームという形で自分たちのゲームに取り入れて、それをひとつの大きなゲームとして構築するという、ちょっと特殊な制作手法をとっていますよね。自分たちの好きなテイストが”遺伝子”としてゲームに入り込んでいるという感じでしょうか。】

参考リンク(1):『シェンムー』(Wikipedia)

参考リンク(2):『GTA(グランド・セフト・オート)3』(GTA3日本語サイト)

〜〜〜〜〜〜〜

 たぶん今回の話は、ここをいつも読んでくださる方の8割くらいは「何それ?」という感じなのではないかと思うのですが、僕にとってはすごく印象深かったので御紹介しておきます。

 『シェンムー』というゲームが最初に発売されたのはセガのドリームキャストだったのですが、このゲームは、当時プレイステーション2に圧倒的に押されていたドリームキャストの「逆転の切り札」として開発されていたものでした。
 ところが、その「切り札」は、こだわりのあまり、開発が遅れに遅れてしまいます。ようやく全16章のうちの「第1章」が発売されたときには、すでにドリームキャスト陣営は、プレステ2に圧倒的な差をつけられてしまっていたのです。

 セガが社運をかけてこのゲームに投入した開発費は、なんと70億円!
 一時は、「世界でもっとも開発費がかかったゲーム」として、ギネスブックにも登録されていたそうです。
 しかしながら、販売本数は100万本にも届きませんでした(それでも、当時のドリームキャストのゲームとしてはものすごく売れたんですけどね)。
 ゲームのデキは賛否両論あったのですが、セールス的には間違いなく「大失敗作」。

Wikipediaの記述から引用すると、 
【発売前の情報では「行きたいところに行き、見たいものを見て、触りたいものを触る」というコンセプトを発表していた。実質的に触れたり操作できるものはオブジェクトの多さと比較すると少ないが、それでも発売当時としては膨大な量だった。
 一方で膨大なモーションキャプチャーによるリアルな演出、街をぶらつく脇役まで声のある完全フルボイス。全ての町並み、キャラクター、イベントシーンを実機ポリゴンで表現。天候が刻々と変化し、朝から夜に至るまでの時間の経過。登場キャラクター達が「生活習慣プログラム」によって日々を営む世界観は、各方面から評価され、「アニメーション神戸作品賞」や「文化庁メディア芸術祭 インタラクティブ部門優秀賞」など数多くの賞を獲得した。】
というように、当時から「破格のゲーム」であり、特に海外では評価が高かったようです。スピルバーグ監督もこのゲームを絶賛していた、という話もありますし。

 当時セガマニアだった僕にとっては、まさに「セガの黒歴史」「ドリームキャスト敗北の象徴」であった『シェンムー』。
 セガの「御用雑誌」と言われていた『BEEP』で大募集されたヒロインは結局『シェンムー(1)』では出番もないまま忘れられてしまい、あまりに発売延期が続いたため、本当に発売されたとき、誰も信じなかったというという「負の記憶」しかない作品。
 でも、その「セガの無謀すぎる意欲作」が、こうしてゲーム界の「遺産」として、世界的に大ヒットした『GTA3』に生かされているというのは、なんだかとても嬉しいエピソードだったのですよね。

 こういうときに「パイオニア」として先鞭をつけながら、美味しいところは後続のメーカーに譲ってしまうのが、セガらしいところではあります。
 これでドリームキャストや、あのヒロインの女の子も少しは報われた……とは言えないか、やっぱり……