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2008年12月07日(日)
北島康介選手を「わざと負けさせた」コーチの作戦

『見抜く力』(平井伯昌著・幻冬舎新書)より。

(アテネ、北京五輪で続けて金メダルを獲得した北島康介選手のコーチとして知られる(現・競泳日本代表ヘッドコーチ)の平井さんの著書の一部です)

【すべてにパーフェクトな選手などいない。
 選手と出会ったときに、「身体的特性」「泳ぎ」「精神力」のどこが優れているかと、まず見るようにしている。
 もちろん選手の個性は、それぞれに千差万別である。もともと泳ぎがよくて、体も柔らかいが、精神的なものがまだまだ磨ききれていない選手もいるし、反対に泳ぎのセンスはいまいちでも、精神力が強く、素直な性格のため技術を人一倍体得できている選手もいる。
 体が大きくて筋力があれば、簡単に習得できるテクニックもあるし、また、精神力で引き上げていかなければならない挑戦もある。それを、どんなふうに補っていくかが問題なのだ。
 そうした要素がいくつかあるなかで、「身体的特性」「泳ぎ」「精神力」のそれぞれを掛け算して、いちばん大きくなりそうな育て方を選択している。
 康介の場合も、実は心・技・体の中で「体」である「身体的特性」の部分が、いちばん劣っていた。
 他の少年よりも痩せていたし、体は硬いし、故障も起こしやすかった。その欠けているところ、足りないところをうまく補いながら、時間をかけて残る「心・技」を伸ばす指導をつづけてきたのだ。
 若いうちは体力とかパワーで泳ぐことはできるが、ある程度の実力がついてくると、こんどはその体を心が支えていかないと伸びていかない。
 水泳競技では、記録が先行してしまうケースが意外に多いのだ。たとえばある選手の場合、記録と成績が先行してしまい、心の部分がついていかないということがあった。伸びが途中で止まってしまったのだ。
 指導する立場としては、つねに「心・技・体のバランス」に気をくばり、強くなった理由を見つけて話しあったり、目標を与えて努力を促していくことが大切だと思っている。
 康介が中学3年生のときの、こんなエピソードがある。
 当時、康介の練習を見ていて、ジュニア・オリンピックで中学記録が出そうになったことがあったのだ。周りの人たちも、
「この調子でいくと、中学記録が出るだろう」
 と騒ぎはじめた。
 だが、それまで学童記録を出した選手を何人も教えていた私の経験からして、変に注目を浴びてほしくなかった。チヤホヤする外野が増えると、かえって面倒なことになる。
 そこで、試合前の練習を厳しくした。うまく泳げていると思っても、
「やり直し!」
 と声をかけ、いつもより負担をかけて疲れさせる作戦を実行した。
 調子をわざと落とさせたおかげで、試合では中学記録にも及ばず負けてしまった。康介には申し訳ないことをしたが、正直に言えば「負けてよかった」と思う。
 ストレートにオリンピックをめざさなければいけない時期だった。中学記録程度で浮かれている暇はなかった。四年間弱という短期間でオリンピックを狙う選手をつくることが先決で、寄り道している場合ではなかったのだ。
 このとき中学記録を獲らせていたら、おそらく「心・技・体のバランス」は狂ってしまっただろう。
 私たちは、もっと遠くを見つめているんだ、という気持ちがあった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 このエピソードを読んで、「オリンピックを狙い、そこで勝つこと」の壮絶さをあらためて思い知らされたような気がしました。
 僕は運動音痴で、アスリートの世界のことは全く実感できないのですが、「ここまでやらなければならないのか」と。

 この平井コーチの「作戦」、もし北島選手がこれだけの「結果」を残せなかったら、当然批判の対象となるはずです。
 素人目では、「オリンピックが目標だからといって、目の前のジュニアオリンピックで『わざと負けさせる』必要なんてない」と思いますし、そもそも、ジュニアオリンピックは、ほとんどの同世代の選手にとって、ひとつの「目標」のはず。
 そこで「負ける」ことで自信を失ってしまうかもしれないし、試合前にハードな練習でコンディションを崩してしまったことで、コーチへの信頼が薄れてしまうかもしれません。

 それでも、平井コーチは、「北島康介をわざと負けさせる」ことを選んだのです。
 大人だったら、「慢心させないために負けさせる」というのもアリかもしれませんが、当時の北島選手はまだ中学3年生。これはあまりに「危険な賭け」だなあ、と思うのです。
 もちろん、平井コーチは、「相手が北島康介だからこそ、それが将来的にはプラスになる」と判断していたのでしょう。
 平井コーチは北島選手のいちばん優れた特性を「精神力」だと評価していたそうですし。
 他の選手にも同じように接していたわけではなく、「その選手の個性に合った指導」をされているというのも、この本にはちゃんと書かれています。

 それでも、「やっぱりスポーツの世界も『結果を伴わないと意味がない』『結果を出すことによって、プロセスが正当化される』のだなあ……」と僕は考えずにはいられませんでした。
 もしその大会で「記録」を出していたらどうなっていたのかは、結局のところわからないのですが、北島選手に関していえば、これが「正解」だったのでしょうね。
 「オリンピックで2大会連続で2個の金メダル」という以上の「成果」というのは、想像もつきませんし。