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2008年12月05日(金) ■ |
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「この業界で成功するには、一に体力、二に人柄、三四がなくて、五に才能」 |
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『週刊SPA!』2008/12/2号(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・693」より。
【大学時代、テレビで久米宏さんが「この業界で成功するには、一に体力、二に人柄、三四がなくて、五に才能」と言うのを聞いて、体の力みがスーッと消えたことがありました。 その当時の久米さんは、歌番組やバラエティー番組を飛ぶ鳥を落とす勢いで司会していましたから、「ああ、この人でもそう思っているんだ」とほっとしたのです。 その当時の僕は、劇団を旗揚げしたばかりで、「自分には才能があるのか。ちゃんとした作品を書けるのか、ナイスな演出ができるのか」と、見えないものだけを心配していましたから、「なんだ、まずは体力なんだ。で、次が人柄なんだ。才能は、そのずっと後なんだ」と思っただけで、うんと楽になったのです。 体力は、目に見えることですから、周りが睡眠不足で音を上げても、踏ん張ればすむ話でしたし、人柄も、周りがキレたり怒ったり負けたり不満を言ったり文句を言ったりグチを言ったりしている時に、ただ、積極的に仕事をすればすむ話でした。 その当時、成功した社長の人生訓とか座右の銘とかを読むと、じつに平凡なことが書かれていることに気づきました。「時間を絶対に守る」とか「嘘をつかない」とか「他人の噂話は、直接、本人に確認しない限り信じない」とか「感謝の気持ちを忘れない」とか「積極的にあいさるをする」とか「感情に振り回されず、穏やかに微笑む」とかです。 最初は、「なんだよ、成功した人間でも、こんなことしか言えないのかよ」と思っていたのですが、ある日、「待てよ、こういう一番平凡で基本的なことさえできないのが人間で、こういうことができた人間はそれだけで成功するんじゃないか」と気づいたのです。 結局は、経営手腕だの経営戦略だの言うまえに、体力と人柄の勝負なんだと納得したのです。 この年まで生きてきて、本当の才能勝負の時も、もちろんありますが、それは、百回の勝負のうちのほんの数回で、それ以外は、体力と人柄なんだとようやく分かります。 特に、演劇なんぞをやっていると、個人の才能の力なんかはたかが知れていると思わされます。それより、集団作業ですから、どれだけ才能のある人達に集まってもらえるか、いろんな人がどれだけ力を発揮してくれるか、にかかっていると分かるのです。 で、才能ある人に集まってもらうために、やっぱり、体力と人柄だと気づくのです。
今、僕は『虚構の劇団』の第2回公演『リアリティ・ショウ』の稽古の真っ最中です。12月の12日から始まるのですが、平均年齢22.5歳の若者たちの毎日のガンバリを見ていると、「ああ、やっぱり、体力と人柄だよなあ」と思うのです。 ずば抜けた才能なんてのは、そんなにあるわけじゃないのです。そんな天才がごろごろしていたら、かえって困ります。 そうではなくて、次の日に稽古する脚本の部分を、ちゃんと覚えてきて、役の心情を深く想像、理解して、なおかつ、面白いしゃべり方と動きを考えてきて、そして、それを実行する。という、きわめて基本的なことをちゃんとやっている俳優だけが、生き残るんだよなとしみじみするのです。 毎日、1時から9時までの稽古で、生活も不安定ですからバイトをしなければいけない奴もいて、ヘトヘトになってしまうのですが、それでも、毎日、ちゃんと次のことを考えて、次の日の課題を疲れと眠気に負けずにやってきた人間だけが、次のステップに行けるのです。 それは、「目の醒めるような演技をした」とか「才能溢れる完璧な演技」ということとまったくかけ離れています。 当たり前のことを当たり前にする、それだけのことなのです。】
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僕はこれを「鴻上さん、けっこう厳しいことをサラッと書いてるなあ……」と思いながら読みました。 久米宏さんがそんなに「人格者」かどうかは知りませんし、どんなに才能がなくても、「体力と人柄」さえ優れていれば良いっていうのは極論でしょう。おそらく、この話には「ある程度の才能、あるいは能力を持っている人のなかで競争する場合」という前提条件がつくはずです。 僕のいままでの経験からも、「最後に勝負を決めるのは体力と人柄」だというのは納得できるし、逆に「才能はあるのに、体力や人柄の問題で失敗してしまった人」もたくさん知っています。
いや、順風満帆のときって、意外と「体力」や「人柄」ってどうでもよかったりするんですよ、その人に「能力」があれば。 ところが、逆境に置かれたときには、「そういう生物としての基本的なポテンシャル」みたいなものって、すごくものをいってくるのです。
以前、不祥事が発覚した雪印の社長が、記者たちにむかって「私は寝てないんだ!」と「逆ギレ」して大バッシングされていました。 僕はあの映像を観るたびに、社長がちょっとかわいそうになったんですよね。 病院で働いていると、「当直」という業務があります。 これは、「日中仕事をしたあと、そのまま病院に泊まって時間外の救急患者に一晩中対応する(もちろん翌朝からも通常業務)」という仕事なのですが、一睡もしていないのに、朝の4時とか5時になっても患者さんが途切れない、という状況は「そういう仕事だと頭では理解していても」やっぱり辛いものなのです。 イライラして集中力が途切れそうになったり、スタッフに対して声を少し荒げてしまったりすることもあります。 それでも、「寝不足だからといって患者を断ったり、ミスをすることが許されない仕事」なんですよね。 「頭はいい」のだけれども、そういう「肉体的なキツさ」に耐えられなかった人を、僕は何人も見てきましたし、自分自身、いまでもけっこう綱渡りだなあ、と感じています。
あのときの雪印の社長は、本当に体力的にも精神的にもキツかったんだろうと思うんですよね。 記者たちは「私たちも寝てないんだ!」と言い返していましたが、そりゃあ、同じく「寝ていない」のだとしても、一晩中周囲から責められ続けている人と、他者のミスを責めるだけの人の「疲労度」を比較するのは不公平ってものです。 僕だって、ずっと呼ばれる心配もなくゲームやってていいのなら、徹夜だってそれほど苦にならない(ってことはないけど、当直で寝られないよりははるかにマシ)。 でも、「他人からの評価」って、そういう「特別な状況」のときに定まってしまいがち。 普段は「いい人」なのかもしれないし、そもそも、「普段からどうしようもない人」であれば、あれだけの大企業の社長にはなれなかったはず。 それなのに、あの社長への世間のイメージは、「『私は寝てないんだ!』の人」になってしまいました。
人間の「体力」と「精神力」っていうのは、それなりにリンクしていて、「疲れはてているとき」に他人に普段と同じように接することができるというのは、それだけですごいことです。 かならずしも正比例とはいえないのでしょうが、やはり、体力がある人のほうが、過酷な仕事のときにも「キレないで普段と同じ仕事をできる」可能性は高い。
鴻上さんは、【成功した社長の人生訓とか座右の銘とかを読むと、じつに平凡なことが書かれていることに気づきました】と書かれていますが、僕も学生時代にそういうのを読んで、「みんなつまんなことしか言わないなあ、『時間を必ず守る』って、小学生かよ!」と内心毒づいていたのです。 ところが、こうして大人になってみると、「時間を必ず守る」って大変なことなんですよね。 いつも好天に恵まれ、道路も渋滞せず、事故にも巻き込まれないなんてことはまずありえないし、お酒を飲んだ翌朝などは「起きたくない」。体調が悪い日だってあるでしょうし、気乗りしない約束には、ついつい足が重くなります。 そういうときでも「時間を守る、守り続ける」というのは、日頃からよっぽど注意していないとできるものではありません。もちろん、体力があるに超したことはありません。偉くなればなるほど、スケジュールは肉体的にもハードになっていくものだから。
「当たり前のことを、当たり前にやり続ける」ことができる人って、本当に、ごくごく一握りだけであり、「成功」する人というのは、その「難しさ」を理解できる人なのでしょう。 でも、頭では「理解」しているつもりでも、それを「実行」するというのは、またさらに高いハードルなんだよなあ……
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