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2008年09月25日(木) ■ |
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北野武監督「下町だったらさ、いいんだよ、お前バカなんだからで終わるから」 |
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『DIME』No.19(小学館)のインタビュー記事「DIME KEY PERSON INTERVIEW vol.24・北野武『芸術の危うさ』」より(取材・文は門間雄介さん)。
(「」内は北野武監督の発言です)
【その著作で、北野武は「才能があると思っているやつは最悪だ」という趣旨の言葉を残している。『アキレスと亀』の主人公・真知寿も、才能があると勘違いしてしまった最悪な男のひとりだ。では、お笑いでも映画でも頂点を極めた北野武という男は、自分の才能をどのように自覚しているのか。
「才能のあるやつっていうのは、変な言い方をすれば、ランクが上がるごとに自分の才能のなさに気づくやつのことでさ。自分で上手いって言うやつはたいてい下手だね。自分の才能のなさに気がついていないから。お笑いに関して言うと、おれはいまの若手によく言うんだよ。おれを尊敬しろ、でもいまのおれはお前らより全然おもしろくないって(笑い)。現役時代ならおれの芸のほうが数段上だけど、陸上競技でも昔の記録がそのまま残っているわけじゃないじゃない。その時代では一番だったけど、いま100mを12秒台で走っても遅いわけで、いまのお前らより下だよって。そういうふうに理解しないとダメだよね」
そう言うと、彼はちょっと上を向いて、どこからか取り出した目薬を右目にさした。お笑いに関して、あの北野武が何かを終えたという自覚を持っている。そのことになにより強い衝撃を覚える。しかし、自分を客観視するその技術こそ、彼が言う「才能」なのだ。
「でもさ、どんな負けず嫌いだとしても、あきらめたあとの楽しさっていったらないと思うよ(笑い)。ランキングから外れるんだもん。悪口は言えるしさ、これほどうれしいことはないよ。もちろん勝ち負けの楽しさも感動もないし、なんて言うんだろうな、やっぱり現役のほうがいいに決まってるよね。でも、それをどうやってごまかして楽しくするのかが、年寄りのテクニックだから(笑い)」
(中略)
この日、北野武はCNNの密着取材を受けていた。”キタノ”の作品を、世界が手ぐすね引いて待ち構えている。
「あなたの国で一番影響力のある宗教団体はどこですか? いますぐその信者になるから」
海外でのヒットをあざとく狙う彼のジョークに、CNNの取材クルーがたまらず吹き出す。 その姿を見ていると、彼は『アキレスと亀』の主人公と違って、小さい頃からの夢をすべてかなえてしまった人物のように思える。
「いや、小さいときにやっちゃいけないって言われたことを、気がついたらやってるんだよ(笑い)。完全にトラウマだよね。絵を描いちゃ親に殴られたし、小説を読めば怒られて、遊びみたいなのもいっさいダメだった。うちの母ちゃんは誇り高かったからさ、人に笑われるようなことが大嫌いなわけ。恥ずかしいって。だから、他人様に笑われるようなことをやるんじゃないって言われていきて、結局おれがやってるの(笑い)。でも、お笑いをやってない人生は想像できないから、運命みたいなところもやっぱりあるんだろうね」
今回の映画からも、その言葉からも、彼が「子どもの夢」について特殊な――でも、実に真っ当な――考え方を持っていることがわかる、北野武の新作が胸を打つのは、僕はその点だと思った。
「いまの時代は夢を持っているやつのほうが、なんの夢もないやつよりよっぽどいいとされてるじゃない。だって、夢を持っているんだからって。でも、現実は同じなんだよ。いま何もやっていないことに変わりはない。それなのに、いまの時代は強制的に夢を持たせようとし出したから、夢のないやつがそれを社会のせいにして、ナイフで刺しちゃったりするでしょう。でも、夢なんて持たなくていいんだって言わなきゃいけないんだと思うよ。下町だったらさ、いいんだよ、お前バカなんだからで終わるから(笑い)。別に、人に誇れるものなんてなくていいんだよね。ないやつだっているし、ない自由だってあると思うよ」】
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「でも、夢なんて持たなくていいんだって言わなきゃいけないんだと思うよ」 僕は北野武監督の新作『アキレスと亀』は未見なのですが、この北野武監督(あの『ひょうきん族』『オールナイトニッポン』のビートたけし、という呼びかたのほうが、僕にとっては「しっくりくる」のですけど)の言葉を読んで、2つの相反する感情を抱きました。 「なるほどなあ」という共感と、「それはそうかもしれないけど、芸人として、映画監督として『夢をかなえた人』の代表である北野武がそんことを言うのは、あまりに残酷なのではないか」という反発と。
しかしながら、「夢があること」が唯一にして最高の価値である時代というのは、幸福である反面、「生きづらさ」を感じる人も多いのだろうな、と僕も思うのです。 北野監督の「下町だったら『いいんだよ、お前バカなんだから』で終わる」という言葉は、別に下町をバカにしているわけではなくて、「カッコいい夢なんて追わなくても、堅実に目の前のことをやって生き続けていく」というのを許し、認める「包容力のある文化」を語っているものです。そうやって、「ただ日々の仕事をこなし、家族とともに暮らしていく」という人生は、けっして「悪いこと」ではないはずなんですよね。 でも、今の時代は、「そんなのは夢がない」と否定される場合がほとんど。 その一方で、北野監督は、「夢だけを持っている人」に対して、こんな厳しいことも仰っておられるのです。 「でも、現実は同じなんだよ。いま何もやっていないことに変わりはない」 実際には「何もやっていない人」が、ただ「夢を持っている」ということだけで、「夢を持っていない人」をバカにできるのか?それは、正しいことなのか?
僕は、北野監督が「夢を持つな」と言っているとは思いません。 でも、これを読んでいると、もしかしたら、「夢」をかなえようとする人生のつらさ、寂しさを北野監督自身も感じているのかな、と考えずにはいられませんでした。 「夢」って、そんな単純なものじゃないんだよね。 たとえば、僕のまわりには「子どもの頃から憧れていた医者になれた」という人がけっこうたくさんいるのですが、彼らの多くは、「でも……俺がなりたかったのは、『こんな医者』じゃなかったのに……」というギャップに悩んでいます。「夢」っていうのは、基本的に完璧には叶わない。「自分を客観的にみる人」であればなおさら。医者になったらなったで、もっと大きな研究実績を残したいとか、教授になりたいとか、あるいは地域でもてはやされたいとか、もっと患者さんに評判を得たいとか、「夢」という山は、登ってみればまた新たな頂上が目の前にあらわれてくるのです。そして、大部分の人は、いつかは競争に負けたり、諦めたりせざるをえない。 「歌手になること」が夢だった子どもでも、実際に歌手になってみれば、「売れない歌手」なんてまっぴらでしょう。
いまや世界的な名声を得ている北野武監督でさえ、自分の作品や現在のポジションに「完全に満足」しているわけじゃないと思うのですよ。「自分の映画が興行的にうまくいかない」ことをよく自虐ネタにされてますし。 もちろん「売れる映画より撮りたい映画」なんだろうけれど……
なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、「夢がない自由」というのは、確かに、いまの時代には必要な考えかたなのかもしれませんね。 「夢なんて持てない、生きていくのが精一杯」の若者だってたくさんいるこの世界では、なんとも贅沢な「自由」ではありますが。
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