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2007年10月06日(土) ■ |
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「常連客」になってしまうことの憂鬱 |
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『箸の上げ下ろし』(酒井順子著・新潮文庫)より。
(「『個人商店』……微妙な距離感」というタイトルのエッセイの一部です)
【思い起こしてみれば子供の頃、まだ町には個人商店というものがたくさんあったのでした。たとえばお小遣いをもらってお菓子を買いに行く時は、近くになったキフク屋さんというお菓子屋さんまで行ったものです。 キフク屋は、駄菓子屋さんでもなければコンビニでもない、普通のお菓子にパンやケーキが少し置いてあるというお店。 「キフク屋で何か買ってきていいわよ」 と親に言われると、とても嬉しかったことを覚えています。 キフク屋があった場所にはマンションが建つ今、気付いてみると私は、個人商店で買い物する機会がとても少ないのでした。何でも売っているスーパーに、足は向かいがち。 私は元来、個人商店における対面商売という形態があまり得意ではなかったのです。比較的おとなしくて人見知りをする性格であった私は、積極的にお店の人と仲良くなるタイプではありません。そんな私は、八百屋さんでもお肉屋さんでも、特定のタイプのお店に何回か行って、”もしかしたらそろそろお店の人に顔を覚えられているかも……”と思う頃になると、急にそのお店に行くのが気が重くなってしまうのです。 なぜかといえば、絶対に顔を知られていないわけでもなく、また完璧な常連客でもないという曖昧な顧客としては、どんな顔で、そしてどんな態度で買物をしたらいいか、迷ってしまうから。 お店の人とアカの他人のような顔でいるか。それもあまりに愛想が悪いような気もするけれど、「こんにちはぁー」なんて突然言い出して、お店の人に「どちら様でしたっけ?」みたいな顔をされるのもいたたまれない。さらには、何も買わずにお店の前を素通りする時にはどんな顔をしていればいいのかとか、ネギが1本だけ欲しいなんて言っても許されるのかなどと考え出すとまた面倒になって、結局はスーパーへ行ってしまうことがしばしばだったのです。 そんなある日、下町に住む友達の家に遊びに行った時のこと。友達と一緒に近くの商店街に行くと彼女が、 「先日はどうも!」 とか、 「この前の、おいしかった!」 などと、ほうぼうのお店の人とやりとりしつつ、歩いているではありませんか。お惣菜屋さん、酒屋さん、和菓子屋さんに定食屋さん……とお店のバラエティーも実に豊か。それぞれの店が活気にあふれていて、商店街が全く発達していない町に住む私にとっては、お祭りをやっているようですらある。まるでドラマに出てくるような下町的世界が実在していることに私はびっくりすると同様に、色々なお店の人と親しく挨拶を交わしつつ歩を進める友達が、ちょっと格好良くも思えたのです。】
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「ドラマに出てくるような下町的世界」って、現代の日本にも実在するんですね…… 僕はあれって、「テレビの取材だから、みんなあんなに愛想よくしているんだろうな」とか「あれは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の中に封じ込められている、過ぎ去りし昭和の日本の幻影みたいなものにちがいない」と思っていたので、これを読んでちょっと驚いてしまいました。
しかしながら、あらためて思い返してみると、僕自身が最近「個人商店」で買い物をしたのがいつだったかさえ、記憶にないくらいなんですよね。デパートやショッピングモールに入っているような店は別として、本当に街中の「個人商店」には縁がありません。やっぱり、日中はずっと仕事で、週末以外は一人暮らし、というような生活だと、コンビニや夜まで開いているスーパーなどで買い物をする機会が多くなります。それに、あまりお客さんがいない個人商店は、一度入ってしまうと何も買わずに出るのがちょっと気まずかったりして、ちょっと敷居が高く感じることもありますし。
個人商店で買い物をした経験のなかで、僕にはとくに記憶に残っている「出来事」がふたつあるのです。
ひとつは僕がまだ幼稚園に通っていたときのこと。ここで酒井さんが書かれている「キフク屋」のような、おばあちゃんが店番をやっている、お菓子から雑誌、日用雑貨までがひと通りはそろう小さな個人商店でのこと。 母親から100円玉を1枚もらって、「これで好きなものを買っていいよ」と言われ、通いなれたこの店にやってきた僕は、何を買おうかと迷った末、なかなか買いたいものが見つからず、結局、10円のお菓子をひとつだけ手に取り、それをレジに持っていきました。 すると、店番のおばあちゃんは、不機嫌そうに 「たった10円で100円玉……」とか言いながら、いかにもめんどくさそうに90円のお釣りをくれたのです。 いや、こうして書いてみると、たいしたことないことだったようにも思えるのですけど、当時の僕には、とても嫌な経験でした。その後、その店にひとりで買い物に行ったことは一度もないくらいに。
もうひとつは、大学時代のこと。ある昼下がり、近所のマイナー系の(セブンイレブンやローソンやファミリーマートなどのチェーン店ではない、という意味です)コンビニ的な個人商店に入った僕は、そこで食料品をたくさん買ったのですが、店番をしていた中年のおじさんが、「ひもじかったんでしょう?」とレジで声をかけてきたのです。 方言なのかもしれないけど、「ひもじい」っていう言葉の語感が、その時の僕にはひどく不快に感じられたんですよね。まあ「お腹すいてたんですねえ」って言われてもムカついたとは思うのですが。これも、今から考えれば、接客に慣れていないおじさんの精一杯の「お客とのコミュニケーション」だったのだろうな、という気がするのですが、正直、僕は自分の空腹度について店員さんにコメントして欲しくなんかないんですよ(かわいいお姉さんだったら、また別の感想を抱いたかもしれませんが)。でも、こういう 「よけいなお世話」と「コミュニケーション」だと勘違いしている店員さんって、けっこういるんですよね。
僕は「常連」になるというのがどうも苦手なのです。「常連」になると「特別扱いしてもらえる」というのがメリットなのかもしれませんが、その一方で、「常連」というのは、店の人から注目される存在です。 たとえば料理店で、「いつも来てくださるので、これサービスです」って何か一品出してもらったら、その「サービスしてくれたもの」に対して、何かポジティブな感想を言わなければならないし、不味くても残すのは悪いですよね。そういうのって、僕にとっては、ものすごくプレッシャーなのです。本音を言えば、「特別なサービス」なんてしてくれなくてもいいから、僕を面倒なことに巻き込まないでくれないか、と思います。 まあ、こういうのって、僕が「自意識過剰」だからなのでしょうけど……
コンビニですら、毎日同じ店に行くのはなんとなく嫌で、わざわざ遠くの店に行ったりもしているというのは、ちょっと病的なのではないかと自分でも思います。 というわけで、僕は下町には絶対に住めそうにないです。ドラマとしての「下町情緒」には、憧れの気持ちもあるんですけどねえ。
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