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2007年07月23日(月)
「艇王」植木通彦に引退を決意させた「ファンの言葉」

『スポーツニッポン』の記事より。

(「艇王」とファンに畏敬された競艇選手・植木通彦さんが「引退」について語ったインタビューより)

【――引退を決めた時期と理由は?

 植木 心の中で20年間が大きかった。(桐生で)ケガをしたときに20年やろうと。この数字が頑張る支えになっていた。12年前にカミさん(節子夫人)と結婚したときも“(選手生活21年で迎える)40歳までは走るよ”と言っていた。

 ――家族は引退をどう受け止めている?

 子供は3人いるが、1番下の子(二男)は“ディズニーランドにでも行くの?”という感じだった。

 ――もし3月の総理杯(平和島)を優勝していたら?

 優勝しても辞めていたと思うし、F休み明けで平和島を走れたのがうれしかった。6日間走れたことに悔いはない。

 ――引退の相談は?

 恩師(田中靖人さん=小倉商野球部の当時の監督)には相談して「(辞めたら)一般社会は厳しいぞ」と言われたが、賛成も反対もされなかった。

 ――グランドスラムに届かなかった(MB記念を除く7冠制覇)ことは?

 選手としては達成したかったが、人生で1個くらいはできないことがあってもいいかな…と。人生は長いので、これから足りない分を補えればいいかなと思っている。

 ――印象に残るレースは?

 特にない。お客さんが記憶に残ればいい。

 ――20年走って競艇で学んだことは?

 普通の男が街を歩いていて、サインしてくださいと言われるようになったのは競艇のおかげ。

 ――ファンからかけられた言葉で印象に残っているのは?

 最近、若松(4月の周年記念2日目)で落水した。普通はヤジが飛ぶところだが「植木、大丈夫か?」と言われた。そのときに「もう乗れんかな?」と思った。お客さんの優しい言葉に甘んじたらいけないのかな…と。

 ――引退後のプランは?

 しばらくは外でいろんな方と出会って競艇以外の知識を身につけたいし、競艇界に役立つことがあればやってみたい。評論家?しゃべるのはうまくないから(笑い)。ただ、いろんな可能性があると思う。

 ――20年間は長かった?

 よくもったな、という感じ。波瀾(はらん)万丈だったと思う。SGは1つ目は運。2つ目からはお客さんと家族の支えで獲らせてもらったと思う。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「競艇選手」というのは、一般の人にとっては、ちょっと馴染みが薄い存在なのではないでしょうか?
 同じ公営ギャンブルの名選手でも、武豊を知っている日本人は多くても、植木通彦という名前を知っている人はそんなにいないのではないかと思います。いや、僕も競艇にはあまり詳しくないので、正直「名前くらいは聞いたことがある」くらいなのですけど。

 植木選手は、マンガのタイトルとしても知られる競艇のコーナリングのテクニック「モンキー・ターン」の名手として一世を風靡し、公営競技で初の年間獲得賞金2億円を達成するなどの多くの記録を残しているのですが、その「艇王」が、このたび、競技生活20年を機に引退することが発表されました。
 競艇が、お金が賭けられているギャンブルという一面もあるため、植木選手の「引退レース」は、大々的に周囲の選手や観客に発表されることもなく、植木選手がそのレースに勝利したあとに「これが最後のレースだった」ことが発表されました。競馬などでは騎手の「引退レース」で盛り上がることも多いので、ファンサービスとしてはどうなのだろう?とも感じるのですが、この去り際も「艇王」の美学によるものだったのかもしれません。

 僕がこのインタビューを読んで最も印象に残ったのは、植木選手が「ファンからかけられた言葉で印象に残っているのは?」という問いに対して、【最近、若松(4月の周年記念2日目)で落水した。普通はヤジが飛ぶところだが「植木、大丈夫か?」と言われた。そのときに「もう乗れんかな?」と思った】と答えたところでした。

 お金がかかっている競艇場では、選手たちはかなり激しいヤジにさらされることが多いのですが、「艇王」植木選手にとっては、「ファンに優しい言葉をかけられるようになってしまったこと」というのは、勝負師としての自分の限界の象徴のように感じられたのでしょう。
 汚いヤジを浴びて嬉しく感じる人はいないとは思いますが、「ヤジも浴びせられなくなる」というのは、それはそれでせつないことなのかもしれません。誰からも期待されていなければ、ヤジられることもないはずです。
 もちろん、これまでも植木選手が失敗をしたときに、優しい言葉をかけるファンが皆無だったわけではないのでしょうけど、その落水のとき「ファンの優しい言葉」が耳に残ってしまったというのは、やはり、植木選手自身にも「そろそろ限界かな」という意識があったような気もします。

 「ファンの優しい言葉」に「自分の限界」を悟ってしまった植木選手。
 このファンには悪気は全然無かったと思うのですが(むしろ、イヤミっぽく言われていたら、植木選手の心には残らなかったでしょう)、勝負の世界というのは、本当に厳しいものなのだな、とあらためて考えずにはいられませんでした。