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2007年05月16日(水)
女の子の部屋が必ずしも綺麗だとは限らない

『日々是作文』(山本文緒著・文春文庫)より。

(山本さんが、『TOKYO STYLE』という「東京で暮らしているごく一般的な人々の部屋の写真集」を見て考えたこと)

【みっちり眺めていくるか気がついたことがあった。ひとつは、私が思っているより多くの人がパソコンを持っていることだった。マックが沢山写っている。洋服や牛乳パックの山に埋もれ、ちゃんとおとなしく座っているマック。あと十年もしたら、東京は「今時マック持ってないの?」という状態になるのかもしれない。
 そしてもうひとつ、ある感銘を受けたのは、女の子の部屋が必ずしも綺麗だとは限らないということだった。

(中略)

 よくインテリア雑誌に載っているような、お洒落な部屋に住んでいる人を私は知らない。どんな女友達の部屋に行っても、掃除の程度には差はあっても、キメにキメてアンアンのグラビアみたいに生活している人はいない。もしかしたら、頑張って探せば一人ぐらいはいるかもしれない。でも、頑張らなければ探せないのだ。
 この写真集の中で、これが本当に女の子の部屋? という部屋がいくつかあった。軽蔑しているわけでは決してない。ただ私は驚いているのだ。殆どの女性は、ある程度掃除というものをするのだと私は思い込んできたからだ。
 女性は掃除好き、という意味ではない。私だって掃除なんか嫌いだ。あれは生産性がない。せっかく払った埃も、三日もすれば再び溜まるのだ。磨いた窓も一週間もすれば曇ってくるのだ。
 けれど、放っておくのはもっと気持ちが悪い。お風呂掃除は面倒だけれど、湯垢で汚れたお風呂に入るのはぞっとする。スリッパが嫌いで、家の中では素足でいたいから、廊下や階段に埃が溜まっていると気持ちが悪い。だから、仕方なく掃除をするのである。
 それが何故か、男の人というのは「汚くたって全然平気」という人が多いようだ。
 大昔、私は恋人だった男の人のアパートに行き、よく掃除をした。その人はトイレまで磨いてくれたのかと感激していたけれど、それは別に彼のためではなかった。汚いトイレで用を足すのが私は死ぬほど嫌だったから掃除したのだ。
 何故男の人というのは、汚れていたり散らかっていたりしても平気なのだろう。私は常々疑問に思っていた。
 ところが、それは男だから女だから、というわけではなかったのだ。女の人でも「散らかっててもぜーんぜん平気。ゴミの袋なんか溜まっても新聞が積み上げられても平気なの」という人がいるのだ。ということは、そういう事態が我慢できない男の人というのもきっと存在するのだろう。
 男女差ではなく、人間のタイプの問題だったのだ。なるほどねえ。
 汚れていると落ちつかないタイプと、汚れていても全然平気なタイプの人間は、たぶん一緒には暮らせない。
 世の中の未婚女性よ。あなたがどんなに尽くすタイプで、好きな男の人のためなら掃除なんかいくらでもしちゃうわと思っていても、それは恋愛のごく初期のことだけだと肝に銘じてほしい。汚くても平気な人間は、汚くても平気なわけだから、あなたが一生懸命掃除したところで「へぇ、掃除したのか」ぐらいにしか思わないのだ。そしてあなたは、汚くても平気なタイプの人のお尻にくっついて、永遠にゴミを拾い続けるのだ。必ずや、愛想をつかす日が来ると私は推測する。
 さて、その大昔の恋人がこの前結婚をして、私はその新居に遊びに行ったのだが(いや別にやましいことは何もない)、彼らの新居を見て私は内心「あーあ」と思った。
 その人はもう散らかし放題散らかす人で、その上”物を捨てる”ということを知らない人だった。本もCDも服も雑誌もあらゆるパンフレットも何もかも捨てずに取ってあり、かと言って整理するわけではないから、そりゃもう本人以外は手の付けようがないような状態の部屋だった。
 それなのに、彼の新居は整然と片づいていた。3LDKのマンションのぴかぴかの部屋には、本もカセットテープもきちんと整理されて並び、服はクローゼットに掛けられ、彼のコレクションのミリタリーグッズは、プラスチックの衣装箱に押し込められていた。
 これは彼の部屋ではない。私はそう思って悲しくなった。かつて彼が一人で住んでいた部屋は、まさに彼の「巣」だった。こんな住宅展示場のモデルルームみたいな部屋で本当に彼はくつろいでいるのだろうか。
 そして奥さんになった小柄で可愛い女の子は、これから先、彼がぽいぽい散らかして生きていく後を、雑巾を持って一生ついていくのだろうか。
 性格の悪い私は、三年後あたりを楽しみにしている。彼が奥さんに感化されて綺麗好きになるとは思えないので、奥さんが彼に感化され、いっしょに散らかし放題散らかすようになったらいいのになと私は思う。その方が「愛の巣」の名にふさわしいような気がするのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 離婚の理由として「価値観の相違」というのが挙げられることが多いのですが、これを読んでいると、確かに、「どのくらい部屋が汚くても耐えられるか?」ということだけでも、かなりの個人差があるのではないかという気がします。
 そして、重要なことは、「部屋が汚くても気にしない人」というのは、綺麗好きなパートナーがどんなに頑張って掃除をして環境を綺麗に保っても、【「へぇ、掃除したのか」ぐらいにしか思わない】ということなんですよね。
 掃除をする側にとっては、「一生懸命掃除して、あんなに汚かった部屋を掃除してあげたのに、全然感謝してくれない、それが当たり前だと思ってるの? こっちはキツイ思いをして片付けたのに!」というような状況であっても、こだわらない人にとっては、もともと部屋の綺麗さというのは「どうでもいいこと」なわけですから、反応が乏しいのは「当たり前」。多くの女性がパソコンのCPUの処理速度や車のアクセサリーに興味がないのと同じように、「部屋の綺麗さなんてどうでもいい」という男性は少なくありません。それでいて、片付けてもらったにもかかわらず「オレのあの雑誌、永久保存版だったのに、まさか捨てたのか?なんで勝手に片付けるんだ!」などとキレたりもするんですよね。ああ、なんだか書いていて僕も申しわけなくなってきたよ……

 そもそも、自分で真剣に片付けた経験がなければ「片付けることの大変さ」もわからないわけですし。当人にとっては、「いつのまにか片付いていて、ちょっと気持ちいいかな」くらいでしかないのです。
 こういうことが毎日積み重なっていけば、そりゃあ、離婚の原因にもなりそうなものですよね。

 僕はあまり数多くの女性のプライベートな部屋にお邪魔したことがないものですから、「女性は一般的に部屋が片付いている」というイメージを持ち続けているのですが、実際はそうでもないようです。まあ、写真集には、「一般人の部屋」でも、中途半端に小奇麗な部屋などは面白くないので載らないものなのかもしれませんが。
 綺麗好きな人と汚くても平気な人の組み合わせというのは、周りからみれれば「バランスがとれていていいんじゃない?」とか言われがちなのですが、実際は、一緒に生活していけばいくほど、お互いが「自分の努力をわかってくれない!」「どうしてそんなに整理整頓なんて些細なことにこだわるの?」という「価値観の溝」は深まるばかり、というケースも多いみたいです。
 「綺麗好きな人」に憧れる男性は多いのかもしれないけれど、自分が「こだわらない人間」であれば、「部屋が汚くても耐えられる人」と一緒に暮らしたほうが、実際は幸せなのかもしれませんね。

 僕はここに出てくる山本さんの「大昔の恋人」の散らかしかたを読んでいて、「山本さんと付き合ったことあったっけ?」と、ものすごく身につまされてしまいました。いや、「ある程度の溝なら、当事者の努力で埋まるはず」と信じたいのだけれども……