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2007年04月24日(火) ■ |
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『ゲーメスト』を創った男たち |
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『CONTINUE Vol.33』(太田出版)の「ゲーム雑誌クロニクル〜第2回『ゲーメスト』編(中編)」より。
(伝説のゲーム雑誌『ゲーメスト』の2代目編集長・GOD鈴木さんと「ゲーメストアイランド」初代担当・御旅屋喜久さんへのインタビュー記事の一部です。(文:石埜三千穂、構成:大塚ギチ)
【――GODさんが(『ゲーメスト』に)参加されたのは5号からですね。
GOD:そうですそうです。創刊10ヵ月目ぐらいだったと思います。参加のいきさつが『ロードランナー 帝国からの脱出』の「死の手書きマップ」で(笑)。元々『ロードランナー』の担当者は別にいたんですよ。でも、その担当者が「やっぱり自分は全然プレイしてないから攻略を書けない。ゲームセンターでGODっていう人がいるからあの人を連れてくる」って勝手に話を進めたらしくて。それで編集部に行ったんですよ。自分はそれまで普通にゲームセンターで遊んでいる単なる一介のゲーマーで、『ロードランナー』も筐体の脇に方眼用紙を置いて、普通に手書きでマップを描きながらプレイしてただけなんですよ。
――普通にマップをね(笑)。
GOD:(笑)。それで編集部に連れて行かれたんです。「原稿を書いたこともないんだけど、どう書いたらいいんですか?」みたいな話をしたら、原稿用紙を渡されて縦16文字だったっけ? 「そうやって書いてください」って言われて。最後に「ところでこれっていつまでに書いたらいいんですか?」って聞いたら「いや、じつはいますぐ書いて欲しい」って言われたり(笑)。どうやら本当に締め切りの直前まで「どうしようかどうしようか」って悩んだ末、自分を無理やり連れてきてなんとかさせようっていう話だったらしいんですよ(笑)。
――もう完全に『メスト』のスカウト・システムだ(笑)。
GOD:「いいのかなあ」と思いながらその場でガーッって書いて。しかも自分を連れてきた人間は「じゃあ僕、そろそろゲームセンターに出勤なんで悪いけど……」って帰っちゃって(笑)。さらにビックリしたのは、自分は素人だから「あとで編集の人がいろいろ手直しとかして載せてくれるのかな」と思ったら、それがそのまま載って(笑)。「いいのかな、こんなのが載って」って、それが『メスト』に初めて関わり出したきっかけですね。
(中略)
――GODさんは9号では早くも編集長になられてますよね。御旅屋さんは10号でも一度。
御旅屋:編集長手当てが出るんだよね。編集長のときは座談会の司会をやらなきゃいけないとか、そういった罰ゲーム的なノリがあって。
――罰ゲーム(笑)。じゃあ、ある種、面倒くさい……。
御旅屋:だから当時は「みんなにとりあえずやらせてみて……」みたいなところがあったんです。編集長って言いながら、やってることって普通のライターの延長でしかなくて。
――学校の「日直」みたいな。
御旅屋:だって「お当番制編集長」ですからね。
GOD:これは……言っていいのかどうかわからないけど、『メスト』が本当に売れなくて、初代編集長だった伴北さんが――ハッキリ言えば辞めてしまったというか、逃げてしまったというか(笑)。
御旅屋:投げ出したんです(笑)。
GOD:それで、編集長不在になって。で、おたやんが言ったようなライターひとりひとりにお当番編集長みたいな感じでやらせるか、っていう苦し紛れの企画が始まって。ひと通りやった頃に、自分たちは「オバやん」って呼んでましたけど、社長の奥さんで専務だった高橋(己代子/T.Mとして編集にも参加)さんから「GOD、編集長やってくれよ」みたいな感じで言われて。それで2代目編集長になったんです。でも、なにか政治的な権限があるわけじゃなくて本当にお飾りというか。自分が「編集長やってくれよ」って言われた背景にはたぶん……これは自慢話でもなんでもないですけど、自分は高橋さんに一度、褒められたことがあるんです。それが「GODは『明日10時から取材だから10時に来て』って言ったらちゃんと来てくれる」って内容で(笑)。当時は時間も守れないような人間ばっかりだったんですよ。来いって言っても来ないし、遅刻ばっかりだし。 御旅屋:当たり前のことが当たり前でなさすぎたよね。
GOD:だって「来い」って言われたら行くのが当たり前じゃないですか(笑)。だから普通に行ってただけなんだけど、高橋さんはそれが新鮮だったというか、ビックリしたらしいんですよ。
――だから2代目編集長(笑)。理由はそれだけじゃないにせよ、まわりは酷かったんでしょうね(笑)。
御旅屋:『ASO』の攻略のときもSNKに取材依頼をしたら「千葉の松戸市のゲームセンターの『ゲームinメクマン』に『ASO』入ってますから、そこでやってください」って言われて、みんなで行ったんですよ。そしたら、『ASO』の横に『べんべろべえ』があって、みんな『べんべろべえ』やり始めちゃって(笑)。
――ダメだ、ダメすぎだ(笑)。
御旅屋:「なにしに行ったんだよ」みたいな(笑)。
GOD:だいたい「本の発売日の何日前に原稿を書いてるんだよ?」っていうような雑誌でしたから。ミクシィでぜんじさんが年明け早々「『コンティニュー』で『メスト』特集とやるんで取材を受けた」って書いてて「発売は2月17日」っていうのを見て、ふたりで言ったよね? 「なんかぜんじさん取材受けたらしいよね」「2月発売号ならちゃんと1ヵ月前か2ヵ月前に取材して準備するんだねえ」って(笑)。
御旅屋:「そんなもんだよねえ……」って妙に感心して。
GOD:「普通の雑誌はそうなんだよねえ」「やっぱり『メスト』とは違うよねえ……」って(笑)。】
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『ゲーメスト』は、1986年創刊のアーケードゲームを中心としたゲーム雑誌です。当時は『ログイン』『マイコンBASICマガジン』などの「マイコン雑誌」が全盛で、徳間書店の『ファミマガ』、アスキーの『ファミコン通信』などの「ファミコン雑誌」も乱立しはじめていた時期です。そのような出版界の情勢のなかでも、ゲームセンターに置いてある「アーケードゲーム」に特化した雑誌である『ゲーメスト』というのは、かなり異色な存在ではありました。僕も『ゲーメスト』の創刊号を買った記憶があるのですけど、正直、「この安っぽいつくりのゲーム雑誌は何なんだ?」と驚いたものです。あの時代でも、「手書きの攻略マップがそのまま掲載」なんてことは、他の大手雑誌ではまずありえませんでしたし。しかし、いくらなんでも、ここまで切羽詰りながら作っていたとは、夢にも思っていなかったけれど。
『ゲーメスト』は、創刊当初はとにかく売れなくて、この対談での御旅屋さんの話によると「創刊号は3〜5万の部数で実売2割(返本が8割!)」という、かなり厳しいスタートだったそうです。しかし、そのわりには、と言っては失礼なのですが、このあまりにのどかというか、まるで大学のサークルのような危機感のかけらも感じられない雑誌作りの光景には、なんだか逆に感動すらしてしまいます。僕はあの頃中学生から高校生だったのですけど、大学に入ったらゲーム雑誌の編集部でアルバイトしたいなあ、って、ずっと思っていたんですよね。昔の『ログイン』の編集部とかも、ものすごく楽しそうだったものなあ。
もしこの現場にいたとしたら、中途半端に几帳面な僕などは、こんな猛者たちと一緒に仕事をするのは、かえってくたびれるような気もしますけど。「GODさんが編集長に推された理由」なんていうのも、どこまで事実なのかはさておき、かなりマイペースな人ばかりだったのは間違いなさそうです。「2月発売号ならちゃんと1ヵ月前か2ヵ月前に取材して準備するんだねえ」って、いつ取材していたんだ『ゲーメスト』! まあ、そういう「本当に好きな人たちが、趣味の延長でやっている」という雰囲気こそが、当時のゲーム雑誌の魅力でもあったのですよね。 それにしても、ゲーマーっていうのは、いつの時代も「困った人たち」みたいです……
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