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2007年04月23日(月) ■ |
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カモちゃん。死んだから言うわけじゃねえけど、オレもお前を許すよ。 |
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「週刊SPA!2007/4/24号」(扶桑社)の「板谷番付!」第20回(ゲッツ板谷・文)より。
【この原稿を書く5日前、ある男が腎臓ガンを患って他界した。オレとはタイ、ベトナム、インドなどを一緒に回ってくれたカメラマンで、漫画家の西原理恵子の元夫だった鴨志田穣である。
(中略。ゲッツさんと一緒にインドへ取材に行った頃から酒の量が増え、仕事にならない日も出てきた鴨志田さん。インドから帰ってきてからは鴨志田さんの酒量を増やさないためにも取材旅行をしばらく断ろうと思っていたものの、勢いに押されて韓国に一緒に行ったゲッツさんなのですが……)
案の定、韓国旅行は散々だった。昼間から酒を飲むカモちゃんにオレは遂にブチ切れ、奴を宿の壁に押さえつけて怒鳴ったりした挙句、予定より2〜3日も早く帰ってきてしまったのだ。……が、オレもプロのライターである。そんなことがありつつも紀行本はキチンと書かなくちゃいけないと思って机に向かっていたある日、久々にカモちゃんに釣りに行かないかと誘われた。で、カモちゃんとオレに加えて、カモちゃんの親父やウチのケンちゃん(オレの親父)などと一緒になって千葉の犬吠埼にある宿に前夜から乗り込んで酒を飲んでいたところ、カモちゃんがウチのケンちゃんに向けて次のような一言を吐いたのである。 「うるせえなっ、アンタだってくたばりぞこないの肺癌ババアが嫁さんじゃねえかよ!」 一瞬、耳の置くでパキーン!という音が響いた。そう、ウチのオフクロは、その時の4年前に肺ガンを発病。で、すぐに手術をして肺ガンは取り除けたのだが1年半後に再発し、この時期は抗ガン治療を通いで受けていたのである。 くたばりぞこないの肺癌ババア……。オレはカモちゃんを殺そうと思った。いくら酒を飲んでいるからといっても、人には言っていいことと悪いことがある。ましてやウチのケンちゃんは、別にカモちゃんには何の失礼になることも言ってないのだ。が、オレは何もできなかった……。そう、近くにあったガラスの灰皿でカモちゃんの顔をブン殴ろうと思ったのだが、その顔の横に嫁である西原と2人の子どもの顔がチラついていたからである。 で、結局オレはそれ以降、他の仕事が猛烈に忙しくなったこともあって韓国の紀行文は1行も書かず、また、カモちゃんから電話があっても出なかったのだが、ウチのオフクロが3度目の入院をした時に西原から電話があり、途中から受話器の向こうの人物がカモちゃんに代わっていた。 『そうか、また入院か……。っていうか、そりゃもうダメだってことだよ。だから板谷くんは、これからは前を向いて進んで行かなきゃダメだな』 今度は怒りも起こらなかった。その代わりに韓国の紀行本を書くのは、もう止めにしようと思った。そして、カモちゃんと付き合うのもこれで終わりにすることにした。
(中略。その1年半後、鴨志田さんのアルコール依存が原因で西原理恵子さんと鴨志田さんは離婚し、そのさらに1年半後、脳出血で入院された板谷さんを懸命に看病されていた板谷さんのお母さんが、回復を待っていたかのように、板谷さんの退院3ヵ月後に他界されました)
で、オフクロの密葬が済んで数週間ほど経った去年の暮れ、そのことを西原に知らせるとスグにウチに駆けつけてくれたのだが、驚いたことにカモちゃんが一緒だったのである。しかも、カモちゃんはメチャメチャに痩せていて、話を聞くと彼もガンにかかっているということでさらにビックリしたのだが、最近は酒を飲むのも止めて西原宅に戻ってきて真面目に原稿を書いているということだった。 そして、今年の3月20日。オレがウチで原稿を書いていると西原宅から突然FAXが入り、カモちゃんが今朝早く亡くなったということが書いてあったのである……。 翌日、オレが通夜会場に行くと、喪主である西原が次のようなことを口にした。 「ホント、途中はとんでもない人だったけど、最初と最後だけはイイ人でねぇ。去年の年末に板谷くんちに連れていったのも、お母さんのことでは謝りたいことがあるって言ったからなんだけどね……」 そこまで言うと、ポロポロと涙をこぼす西原。……そう、この2人は最後は完全に元の夫婦に戻っていたのである。 つーことで、カモちゃん。死んだから言うわけじゃねえけど、オレもお前を許すよ。取材旅行の時は、慣れないオレに色々と体を張って教えてくれてありがとう。本来なら去年、オレの方が先に逝っちまうところだったけど運良く助かっちまって、それで今度はカモちゃんのことを見送ることになるとはね……。まぁ、とにかくもう少し知力と体力が回復したら、また旅行記書くために海外に行きますわ。で、その時はアンタが教えてくれたことをまた一から思い出して突き進むので、とにかく今はゆっくり休んでて下さい。 ………………………………合掌。】
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これを読みながら、「僕だったら、カモちゃんを許せるだろうか?」と、ずっと考えていました。たぶん、僕はカモちゃんを許せないような気がします。僕自身、「親のお通夜で親戚が言った、心無い一言」がいまだに許せていなかったりもしますしね。
「許せた板谷さんは偉い」とも思わないし、だからといって、「こんな酷いことを言われて『許す』なんておかしい!」と他人の判断を否定するのも余計なお世話だろうし、なんと言っていいのかわからないのですけど、とにかくとても僕にとってはすごく印象深い文章ではあったので、こうして紹介させていただきました。 僕の勝手な想像なのですが、板谷さん自身も、心の底から「許した」というよりは、「(盟友・西原理恵子にめんじて)許した(ことに決めた)」という感じなのではないかなあ。ここに書かれている鴨志田さんの「暴言」は、病気の身内を持つ人間にとっては、たとえそれが酒の席であっても、相手に悪気がないことがわかっていたとしても、けっして「酔っ払いのタワゴト」と看過できるようなものではないはずです。酔っている人の言葉というのは、喋っている本人にとっては「ちょっと口が滑った」「軽い毒舌」くらいつもりでも、聞いている側も同じように受け止めているとは限りませんしね。いやむしろ、「それがお前の本心なのか!」と聞いている側は思っているものです。どんなに後から土下座して謝ったとしても、そういう「不快な一瞬の記憶」というのは、人間関係にずっと影を落とし続けます。自分の悪口なら「口の悪いヤツだなあ」で済むことでも、「癌の自分の身内をバカにするような発言」ならなおさらです。
日本の文化では「死んだ人は責めない」のが「良識」だとされています。僕も「死者に鞭打つ」ような行為というのは、生理的に不快なんですよね、やっぱり。最後の板谷さんの鴨志田さんへの感謝の言葉のように、嫌いだった人、不愉快な目に遭わされた人でも、人生トータルで考えれば、感謝すべき点がけっこうたくさん見つかったりもするものだし。 でも、正直なところ、もし僕が板谷さんだったら絶対に鴨志田さんを「許せない」と思うし、「最初と最後だけはイイ人」というのが、「人生の最後だけ狂ってしまった人」よりもしばしば「良い人」として評価されることに理不尽さを感じずにはいられないのですけどね。
「死」は絶対的な「贖罪」なのでしょうか? 答えが出るわけがない問いだとわかっていても、そんなことを考えずにはいられません。
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