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2007年04月12日(木)
『ドラえもん』をビデオに録画してくれていた両親

『ドラことば〜心に響くドラえもん名言集』(小学館ドラえもんルーム編・監修:藤子プロ・小学館)より。

(この本に掲載されている、辻村深月さんの「ドラコラム(1)〜わたしがわたしでいるだけで」の一部です。

【小学校1年生の時、学校で図工の時間に描いたドラえもんの絵を、クラスメートや先生から下手だって笑われた。その時、そういうわけか私は青と水色のクレヨンを紛失していたため、やむを得ず緑を使って描いたドラえもんが、不気味で巨大なマリモみたいになったのだ。
 悔しくて、恥ずかしくて、うつむきながら、家に帰ったことを覚えている。自分が学校で笑われたことを知られたくなくて、私は先回りしておばあちゃんに、「すごく下手なんだ」ってヘラヘラ笑いながら絵を見せた。すると、私のおばあちゃんは「そんなことない、うまいよ」と言い、その絵を居間のいちばんよく見えるところに飾ってくれた。本当に下手だからいいよって、慌てて、ムキになって主張しても、ずっと緑のドラえもんを外さずにいてくれた。
 私の両親はテレビアニメの『ドラえもん』をビデオに録画してくれていて、私は毎日、学校から帰ってくるたびにそれを観ていた。共働きの両親の帰りを待つ間、退屈しないように。数年後、観返してみると、そのビデオは私が観る時に邪魔にならないように、CM部分が全部カットされていた。その上、他のビデオから区別できるようにと、丁寧にラベルが貼られていたことに気がついた。
 本棚にある、当時から読み込んでいる私の『ドラえもん』のコミックスには、どれも油性マジックで私の名前が大きく書いてある。他の子に貸しても、きちんと戻ってくるように。なくしてしまわないようにと。母の字で書かれた平仮名の名前は、年月とともに、もうほとんどかすれて読み取れなくなっている。
 今になってしみじみと、私は自分が愛されて育ったことを、これらの思い出から教えられる。この世の中には、私が私でいるというただそれだけの理由で、自分を愛してくれる人たちがいる。
 大人になったのび太は「(しずちゃんとノビスケの)ふたりのためだけにでも、ぼくはがんばろうと思うんだよ」と言い、のび太のおばあちゃんが、のび太がのび太であるというだけの理由で「だれが、のびちゃんのいうこと、うたがうものですか」と言ってくれる。
 この言葉に涙が出そうになるのは、きっと、私自身が家族に大事にされて育ったことの証なのだろう。】

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 このコラムを読みながら、僕も自分の幼い日のことをいろいろと思い出してしまいました。あの頃の僕は、自分の親が「自分にしてくれないこと」ばかりを並べ立てて不満ばかり感じていたけれど、「あたりまえのこと」として受け入れていたことの多くは、それを「与える側」にとっては、きっと、僕を喜ばせたいという気持ちの積み重ねだったのですよね。

 辻村さんが子供の頃に毎日観ていたという『ドラえもん』のビデオなのですが、「録画してもらっておいて、それを観るだけの立場の子ども」からすれば、「頼んだのだから、録っておいてくれるのが当然」だったのではないでしょうか。
 でも、僕が当時の自分の親くらいの年齢になって思うのは、毎日仕事をしながら、ちゃんと「自分が観たいわけでもない番組」のビデオを予約したり録画したりするのはけっこうめんどくさいことだし、それを忘れないようにするのはかなり大変なことだよなあ、ということなのです。いやほんと、あらためて考えてみれば、毎日ご飯をつくってくれたり、掃除や洗濯をしてくれたりといった、「日常を維持するための仕事」を誰かのためにやってあげるというのもすごいことなのです。

 辻村さんの御両親が録画しておいてくれた『ドラえもん』は、CMが全部カットされていたそうですし、他のビデオと区別できるように丁寧にラベリングされていたそうです。これも、自分の趣味で録ったはずのビデオさえロクに整理できない僕には、「けっこうな手間」のように感じられます。辻村さんは1980年生まれだそうですから、当時はもう、CMをカットできるビデオが発売されていたのかもしれませんが、それにしても、所詮「子どもが観る番組」なのだから、そこまでこだわる必要もなかったはず。たぶん、御両親は自分たちが娘が帰ってきたときに家にいられないことを申しわけなく感じていてもいたのでしょう。本当に些細なことみたいなのですが、自分が大人になってみると、その一つ一つが、親の「愛情」だったのだな、ということがわかるのです。誰も、知らない他人のためにビデオを録画したり、録画したビデオをちゃんと整理したりはしませんから。

 もしかしたら、辻村さんの御両親も『ドラえもん』の大ファンで、自分たちが観るためにちゃんと整理しておいたのかな、とか、『ドラえもん』を愛する中年男性たる僕としては、想像してみたりもするのですけどね。