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2007年02月05日(月)
「悩むこと」と「考えること」の違い

『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史著・大和書房)より。

【不安とトラブルは違うと書きました。
 そもそも、「考えること」と「悩むこと」は違うのです。
 僕は22歳で劇団を旗揚げしました。今と違って、学生劇団からプロを目指すなんて、誰もやっていませんでした。当然、旗揚げの時は、不安でした。
 早稲田大学演劇研究会という所にいたのですが、先輩が、僕に、「鴻上、劇団、どうするの?」と聞いてきました。
「今、どうしようか考えているんですよ。旗揚げしたほうがいいのか、やっていけるのか……」
 と答えると、その先輩は、
「考えてないじゃん、悩んでるんだろう」
 と言いました。えっ? という顔をすると、先輩は、
「考えることと悩むことは違うよ。考えるっていうのは、劇団を旗揚げして、やっていけるのかどうか――じゃあ、まず、今の日本の演劇状況を調べてみよう。自分がやりたい芝居と似たような劇団はあるのか、似たような劇団があれば、どれぐらいのお客さんが入っているのか、自分の書く台本は演劇界の中でどれぐらいの水準なのか――そういうことをあれこれ思うのを考えるって言うんだよ。当然、調べたり、人に聞いたりもするよね。悩むってのは、『劇団の旗揚げ、うまくいくかなあ……どうかなあ……どうだろうなあ……』ってウダウダすることだよ。長い間悩んでも、なんの結論も出ないし、アイデアも進んでないだろ。考える場合は違うよ。長時間考えれば、いろんなアイデアも出るし、意見もたまる。な、悩むことと考えることは違うんだよ」
 これもまた、目からウロコのアドバイスでした。
 トラブルは考えることができますが、不安は、ただ悩むだけです。悩めば悩むだけ、不安は大きくなります。

(中略)

 僕が、悩むことと考えることの違いを聞いて、目からウロコが100枚くらい落ちたのは、有効な時間の使い方を発見したからです。
 悩むとあっという間に時間が過ぎます。そして、何も生まれていません。「どうしようかなあ……」と堂々巡りを続けるだけです。
 考える場合は、時間が過ぎたら過ぎただけ、何かが残ります。それが結果的に間違ったことでも、とりあえず、何かやるべきこと・アイデアが生まれるのです。
 そして、その何かをしている時、不安は少しおさまるのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これを読んで、僕が日頃「考え込んで」いることの大部分は、ただ「悩んで」いるだけなのだなあ、と思い知らされました。いや、「どうしよう…ダメなんじゃないか…」とウダウダと頭の中で堂々巡りを繰り返しながらも、自分ではけっこう一生懸命「考えている」つもりで「お前にはオレの気持ちなんかわからないよ」なんてカッコつけたりしがちなんですよね。実際は「ただ深刻ぶっているだけのくせに!」なんて、しっかり相手に「理解」されていたりするのですけど。

 確かに、「悩むこと」からは何も生まれません。まあ、現実には、「何もせずに時間を過ごすこと」によって解決し、あるいは決着がついてしまう問題、あるいは、時間を過ごす以外に解決する方法が無い問題というのも人生には存在するのですが、少なくとも「悩むこと」よりも「考えること」のほうが建設的ではあります。もちろん、鴻上さんがここで挙げている「劇団の旗揚げ」についても、「考えた」からといって有効な解決策が得られるとは限らないし、かえって不安が増すばかりなのかもしれませんが、それでも、そういうふうに「考える」経験を積んでいくことによって、より的確に、効率良く「考える」ことができるようになっていくはずです。逆に「悩むこと」から得られるものって、「過剰な自意識」くらいのもの。

 でも、「考えたほうが建設的」だと思っていても、やっぱり「悩んでしまう」状況ってありますよね。それが「正しい」からといって、常に冷静に「考える」ことができる人間ばかりであれば誰も悩んだりしないわけで。
 ただ、「こんなに悩んでいる悲劇的な私」に溺れてしまわないためにも、「悩むこと」と「考えること」の違いを頭の片隅に留めておいたほうが良いとは思うのです。