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2007年01月31日(水) ■ |
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トラウマを克服できない人は、「不幸」なのだろうか? |
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『文藝』2007年春号(河出書房新社)の「特集・恩田陸」より。
(恩田陸さんと漫画家・よしながふみさんの対談「思春期が終わるその一瞬の物語」の一部です)
【恩田陸:あと、よしながさんの描く漫画では登場人物がちゃんと自分の人生に対するツケを払っているところが好きなんですよ、私。 『西洋骨董洋菓子店』でも、主人公が幼少時代に誘拐されるというトラウマを背負いながらも最後、「結局、オレは全然変わってねーじゃねーかよ、じゃあまたケーキを売るか」って呟いていつも通り家を出ていく、というのは、何かちゃんと自分の人生を自ら引き受けて生きているっていう感じがするんです。
よしながふみ:私はドラマが大好きでよく観るんですけど、例えばヒロインのトラウマがレイプだった場合、途中で男性恐怖症に陥りながらも、レイプした当事者を告訴し最後は恋人ともよりを戻すという、まあいい終わりなんですよ、決して明るくはないけれど。これから苦しいこともあるだろうけど頑張っていこうというところで終わっている。やっぱり物語だと克服させちゃうんですよね。でも実際に生きている人の中には、加害者を告訴できなかったという人も大勢いると思うんです。ただそうすると克服できない人というのは不幸なのか、男性恐怖症のまま幸せになるという道すじはないものかなという、何かそういうことを思って『西洋骨董洋菓子店』は描き始めたんですね。
恩田:ドラマでも漫画でも「恋人が死んじゃいました」とか「ひどいトラウマがありました」というのを、意味を考えずにイベントとして安易に使っているものがすごく多いように感じるんですよ。小説でもそう感じることが多い。そんな中で、よしながさんの作品の登場人物はちゃんとみんな生きていて、このあとの人生も続いていく。「ああ、やっぱり人間はツケを払って生きていかなければいけないんだな」と強く感じるんです。
よしなが:「心も体も健康に生きていく」というのは人間にとってまったくもって不可能なことなので、ではどうやって自分の持病と上手に付き合うかということが一番大切なような気がします。
恩田:いや、それはすごく思います。
よしなが:それは要するに自分にも甘いということなんですけどね。さっきも言ったように人を傷つけてはいけないと思っても必ずやらかすわけですよね、気がつけば。自分の迂闊かところってなかなか直らないし、でも大人になってくるとその直らないことにも慣れてきてしまう。「みんなもやってるもん、だから人にやられたことに怒らないようにすればいいんだよね」って、そういう自分に甘い解決法を思いつくようになってきて、「あー、歳とるっていいな」って思う(笑)。若い時って至らない自分も他人も許せないことが多いから。】
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ここで語られている「トラウマを抱えて生きること」に対する、恩田さんとよしながさんの考えを読んで、僕はなんだか少し気がラクになったように思うのです。
確かに小説や漫画や映画の世界では、「トラウマ」というのは、「『克服』されなければならないもの」として取り扱われている場合がほとんどです。そして、それらの作品の登場人物は、さまざまな困難にもめげずに、その「トラウマ」を乗り越えていくのです。
でも、普通の人間にとっては、「トラウマ」というのは「必ずしも克服可能なものではない」のも厳然たる事実なんですよね。たとえば、子供の頃に親に虐待されていたというトラウマを持っている人が、大人になったときにその親を赦して和解できるか?という場合、すべての人が「僕の親なのだから」「私も大人になったのだから」ということで、自分を納得させることができるわけではないと思うのです。いやもちろん、そこで和解できれば「幸せ」なのかもしれないけれども、人間の感情というのはそんなに簡単に切り替えられるようなものではないんですよね。
しかしながら、そこで「和解できない」のも当然のことなのにもかかわらず、「トラウマは乗り越えなければならない」という強迫観念のために「虐待されたトラウマ」+「トラウマを乗り越えられない弱い自分を責める気持ち」に二重に苦しめられてしまうようなことも、現実にはけっして少なくないのです。ドラマに感化されてしまった「トラウマを持たない人」たちは、「人間として、親を赦せないのはおかしい!」なんて平然と口にしたりするものですし。
もちろん、「トラウマ」を乗り越えて幸せになれるのだったらそれに越したことはないのですが、多くの場合、生きるというのは、いろんな「捨てられないネガティブなもの」を抱えながらの旅になってしまいます。でも、そんな荷物の重さに苦しみながらも、人は綺麗な景色を観て感動することができるし、美味しいものを食べたときには頬が緩んでしまったりもするのです。 トラウマを抱えながらでも「それなりに幸せになるという道すじ」だって、たぶん、たくさんあるのです。少なくとも、僕はそう信じています。そもそも、全く挫折のない人生なんて存在しないだろうとも思いますしね。
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