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2007年01月30日(火) ■ |
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「世界最高齢」をめぐる狂想曲 |
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日刊スポーツの記事より。
【新たに世界最高齢になった114歳の皆川ヨ子さんが入所する福岡県福智町の特別養護老人ホーム「慶寿園」では30日、建物の2階から「祝長寿世界一皆川ヨ子さん」と垂れ幕が掲げられ、急きょ来訪した浦田弘二町長や入所者らが長寿世界一を祝った。 車いすの皆川さんが祝福のために集まった約20人の入所者の前に登場すると「ヨ子ちゃん、おめでとう」と拍手。皆川さんは「ありがと、サンキュー」と両手を拝むように合わせ笑顔で応えた。 浦田町長は「いつもより冗舌に話していた。世界一になったことが体に伝わったのではないか」と話し、皆川さんを名誉町民の第1号にする方針を明らかにした。 園のスタッフリーダーの香月すま子さん(53)によると、皆川さんは30日午前7時すぎに起床。朝食ではジャガイモやタマネギなどの入ったみそ汁とご飯を残さず食べたという。 長寿世界一の知らせは29日午後10時50分ごろあった。ちょうどその時間に起きていた皆川さんに香月さんが「おめでとう、ヨ子さん。世界一ね」と声を掛けると、皆川さんは「お、そうかな」と返事をしたという。 皆川さんは、これまで世界最高齢者だった米国黒人女性が死去したことにより、世界最高齢者となった。】
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この「世界最高齢者」についての記事やニュースを見るたびに、僕は「そんなの別に『ただ長生きしているだけ』であって、本人がものすごく努力しているわけでもないし、何か人類に役に立っているわけでもないだろうに」という気がしてくるのですが、考えてみれば、オリンピックの金メダリストになるよりも、「世界最高齢者」になるほうがはるかに低い確率ではあるわけで、「幸運」も含めてのひとつの「偉業」ではあるのでしょうね。 やっぱり、「健康」とか「長生き」というのは、生命にとってはかなり大きな「価値」を持っているのは間違いないことですし。「90歳の親を70歳の息子が介護する」というような状況を日常的に目にしている僕とすれば、「長生き」というのも綺麗事だけではないのだけどなあ、とか、ついつい考えてもしまうんですけど。でも、「長生きしたから名誉町民」っていうのもどうなんでしょう。 そもそも、あまりおおっぴらに「おめでとう、ヨ子さん。世界一ね」なんて祝福していいものなのかどうか、悩ましい気もするのです。スポーツの記録とか研究の成果とは違って、皆川さんが「世界一」になったのは、それまで世界一だった人が亡くなられたから、なのですから。もし僕が亡くなったアメリカの女性の身内だったら、海の向こうで喜んでいる人たちに、少なくとも好感は抱けません。 皆川さんだって、別に知らない誰かが亡くなったおかげで「長寿世界一」になっても、嬉しくもなんともないと思うんですけどねえ……
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