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2007年01月28日(日) ■ |
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初代『人生ゲーム』の悲惨なマスの数々 |
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「オトナファミ」2007・WINTER(エンターブレイン)の記事「人生ゲーム歴史絵巻」より。
(記事中で紹介されている「こんな人生はイヤだ!伝説の名マス列伝」から。初代『人生ゲーム』の悲惨なマスの数々。▲はこの記事を書かれた方のコメントです)
【「義父が必要なので、$10,000はらう」 ▲義父の借金を立て替えるの? 親孝行だなぁ……。
「叔父がブタ箱に入れられて保釈金$5000はらう」 ▲義父の金銭問題の次は叔父が犯罪者に。よっぽど血縁に恵まれてないんですねえ。にしてもブタ箱て……。
「叔父が借金をのこして死んだ$9,000はらう」 ▲せっかくブタ箱から出してあげたのに、借金残して死ぬとは、叔父さん何事だ!
「友人からニセダイヤを買わされてそんをする」 ▲今度は友人の裏切り……。根本的に人を見る目がないのでしょうか……。
「友人にひっかかり$20,000はらう」 ▲やっぱり見る目ない。それでも人はひとりでいられない。
「台風で家がたおれた」 ▲踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。明日からどこに住めば?
「かつらを買う $5,000はらう」 ▲心労が障ったのか、ついには頭髪まで。
「ジャングルに迷い込む 捜索費として$30,000はらう」 ▲自暴自棄はダメですが、誰が彼を止められるでしょうか……。
「火星から使者がきた」 ▲ついに現実逃避を実行。火星からの使者が何を伝えに来たか、その真相は?】
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『人生ゲーム』が日本で最初に発売されたのは1968年。もともとは1960年にアメリカで発売され大ヒットした、『THE GAME OF LIFE』というボードゲームを日本語に訳したものだったそうです。1980年に発売された「2代目」までは本家の英語版を訳したものだったのですが、1983年の「3代目」からは日本オリジナルの進化を遂げ、現在はシリーズ40作以上、累計1000万セットを超える、まさに「日本のボードゲームの代名詞」とも言える存在となっています。スーパーファミコンやプレイステーションなどで遊べる「テレビゲーム版」も数多く発売されています。 僕がはじめて『人生ゲーム』で遊んだのは小学校低学年くらいだったので、おそらく初代か2代目、まだ英語版の直訳だった時代のものということになりますね。「人生ゲーム」って、当時のボードゲームのなかでは他のプレイヤーとの駆け引きの要素が少なくて、僕にとっては比較的「遊びやすい」ゲームだったのをよく覚えています。『モノポリー』の面白さもわかるのだけれど、一緒に遊んでいる家族や友達と「この物件とその物件を交換しようよ」なんていう交渉をするのってなんだか気恥ずかしかったので。 しかし、思い出してみると『人生ゲーム』って、けっこうアメリカナイズされているというか、衝撃的な内容のマスがたくさんあったんですよね。当時の日本では主に子供が遊んでいたにもかかわらず、ここには容赦なく人生の理不尽が描かれているのです。身内や友人には騙されまくり、生命保険金や遺産による臨時収入で大喜びし(今になって考えれば、そんなお金でおおっぴらに喜ぶのって「不謹慎」です)、台風や火事の被害を受けまくり……まさに、波乱万丈すぎる人生。そして、当時子供だった僕たちにとって最も衝撃的だったのは、「最後に子供が換金される」ということでした(ゴールのところで子供がいると、ひとりあたり何万$かのお金がもらえるのです)。あと、「人生最後の大勝負」に負けると農場に行かされてしまうっていうのは、農場の人に失礼なんじゃないかと。 そういえば、この「かつらを買う」というマスに止まった友達が、「かつらなんかがなんで5,000$もするんだよ、高すぎるよ!」と憤っていたのですが、大人になって実際のかつらの値段を聞いたときには僕も驚いたものです。そして、ゲームほど頻繁にではなくても、トラブルっていうのは発生するものなんですよね。 「人生ゲームの中だったらよかったのに……」ってことも、本物の「人生」には、けっこうあるんだよなあ……
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