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2007年01月27日(土)
谷崎潤一郎夫人が映画『細雪』に洩らした「感想」

『2週間で小説を書く!』(清水良典著・幻冬舎新書)より。

【時代小説や歴史小説の場合は、当時の日常生活の細々とした習慣や道具や調度、衣服、食物、職業などについて、詳しく調べておく必要がある。そういう考証をすべて度外視したパロディ的な小説なら話は別だが、大真面目に書いた時代小説がわずかな基本的なミスのせいで台無しになってしまってはもったいない。小説ではなく映画の話だが、谷崎潤一郎の名作『細雪』が超豪華な衣裳で映画化されたとき、試写を見た谷崎夫人(『細雪』の主要人物、幸子のモデルである)の洩らした感想は、わたしたちの頃は畳のへりを踏まなかったですね、という一言だけだったという。
 細部は怖い。
 逆に、細部に神が宿る、という言葉がある。】

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 さすがにあの谷崎潤一郎の奥様だなあ……と感心してしまうのと同時に、せっかく超豪華衣装で映像化したにもかかわらず、主要人物のモデルの唯一の感想が、「わたしたちの頃は畳のへりを踏まなかったですね」だったというのは、制作スタッフにとっては、さぞかし気まずいというか、いたたまれない気持ちになっただろうなあ、と思います。いや、見てもらいたかったのはそこじゃなくて……と。
 でも、こういう「ディテール」って、気になる人にはとことん気になるものだし、一度こだわりはじめると、「まあそれは置いといて」というわけにはなかなかいかないものなんですよね。そういえば、あの『硫黄島からの手紙』でも、「当時の日本に『町のパン屋』なんてほとんど無かったはずだ!」と二宮和也が演じている日本軍の兵士の設定にひたすらこだわっていた人をネットで見かけました。正直僕もそれはちょっと気になった部分ではあったのですけど、僕自身にとっては、作品全体の魅力を考えれば「ささいな難点」でしかなかったのです。しかしながら、その一点だけで「こんな時代考証がいいかげんな映画はダメだ」って言ってしまう人もいるんですよね。ほんと、人の「こだわりポイント」というのはそれぞれなのです。
 ただ、表現の世界において、「神は細部に宿る」というのは、忘れてはならないことなのでしょう。創る側にとっての「枝葉末節」でも、観る側は、それを見逃してはくれないのです。
 現実でも、すらっとした指(だけ)に惹かれて、恋に落ちる人だったいますしね。