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2006年11月10日(金)
「自費出版」は、美味しい商売!

「書店繁盛記」(田口久美子著・ポプラ社)より。

【出版界全体は不景気だが、自費出版はますます隆盛である。不景気な昨今、こんな美味しい市場がまだあるんだ、と古狸の私でさえうなずいてしまう。注文制で製作リスクも販売リスクもない、はっきり言って丸儲けの市場だ。しかも客単価が高い、最低でも1件50万は堅い。あとは客が来るのを待つばかり、小規模の出版社はホームページで募集、大規模になれば、新聞広告を大きく打って、待っていれば来る。「契約書店で販売も可能」とさらに重ねればもっと来る。「大型書店で相談会」と銘打てば、もっともっと来る。営業と編集、広告経費だけが原価。重ね重ね美味しい市場だ。ジュンク堂のように商売の邪魔するやつが現れたら、怒鳴り散らせばいい、客は書店でも読者でもなく注文主なのだから。

 先日ひょっこりと訪ねてきた友人が「母親が自費出版で本を出してね」と椅子に座るなり切り出した。へー、お聞きしましょう。
 彼女の母親は自費出版社界の最大手で出版した、という。最大手だけあって一つ一つ両者納得ずくで契約を結んでいる。「こんなにすばらしい原稿なんだから、きちんとハードカバーで、って担当編集者は言うのよ」ということでまず150万円位の見積もりから始まって、写真が入って、地図が入って、と少しずつ製作経費が高くなっていく。「それで、本になったら書店で売りたいかって聞かれたそうなの、売るならあと50万、営業マンが書店で販促するならあと50万、って高くなっていくみたい。広告を打つならあといくら、っていう具合に」なるほど、かかる経費はきちんと注文主の負担、というマニュアルができている。書店での経費が妥当な金額かどうかは別として。「私が反対して、書店で売ることはやめたの、誰が買ってくれるのよ、って言ったら母親は悲しそうだったけれど」
「本にするのが長い間の夢だったんでしょう。道楽にしてはそんなに高くはないと思うけれど、形になって残るから」「そうなんだけどさ、母親が不満なのは、ほら、自分は素人だから、ちゃんと原稿を直してほしかったみたい。編集部がきちんと手を入れてくれれば、いい本になると思っていたらしいの。それが原稿を渡して、次に編集者が来たときには、もう印刷に回したって言われてがっくりきたみたい」丁寧な創作指導、というのはまた別料金だったのかもしれない。
「お母さんは戦争中、天津で暮らしたんだ」「そう、だから子供の頃のことを書いて、もし万が一にでも当時の知り合いが読んで連絡をくれたら、って思ったらしいのよね。でも名前を全部KとかSとかに変えられちゃったらしくて、そこのところだけはきっちりと直されたみたい、あとは全然なのに」
 大手の出版社では月に150点から200点も出版している、という話しだ、いくらお客さんとはいえ、リピートはないわけだから、いちいち入れ込んで構成しなおしたり、文章を直したりしている余裕はないのだろう。なんといってもお客は次から次ヘと来る。
「分かった、この1冊を棚に入れておいて、売れたら連絡するわ」といって預かった。『天津租界の思い出』(豊田勢子 文芸社 04年)

 しかし、本のプロとアマを分けるのはこの編集力ではないか、とつらつら思う。私たちが「自費出版」という分類わけをするのも、そのへんに理由がある。出版社と著者の契約で「書店におく」と決められた本が取次から入荷し、小説なりエッセイの棚に入れるとなんだか浮くのだ、プロの作った他の本にはじかれてしまう。前述の怒鳴り込み事件のときに我らの担当者が本音を漏らしたように、一般小説の棚に入れるのを躊躇させる出来なのだ。
 もっとも、まとめると探しやすいという安易な理由もあるのだが(私たちのように自費出版物をまとめて棚にして販売している書店は多い)。専門書ジャンルにはお金にならない研究をコツコツとして、採算が取れるだけの市場がないための自費出版、というのはあるだろう。そんな実学・実用のジャンルと小説・エッセイのジャンルは読まれ方も買われ方も違う。市場は成熟している。どうやって読者に手にとってもらうか、買ってもらうか、読んでもらうか、編集者は本の中身はもちろん、頭を絞ってタイトル、レイアウト、装丁、帯の惹句を考える。とにかくお客さんにお金を出してもらわなければ、商売は成り立たない、と必死になる。
 一方自費出版本は出版社にはとうに採算の取れた本だ、売りたいというオーラは薄い。たとえ力を入れて作ったとしても、ほとんどが無名の著者、新人登竜門の扉は固い。勝負はハナからついているのだ。入社したてのアルバイトにも「あれっ? これは自費系?」などと簡単に仕分けされてしまう本まである、どころか、ほとんどだ。つまり自費出版社は読者に顔を向けていない、マーケットを全く考慮していない、という意味で一般の出版社との間に線が引かれている。
 著者のプロ・アマと出版(編集)のプロ・アマの組み合わせがポイントなのだ。「アマの著者と出版」組が販売力のない本を生み出しているのが現状で、それを私たちは「自費出版社系出版物」と呼んでいる。】

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 「ジュンク堂」池袋店の副店長であり、書店員として30年以上のキャリアを持つ田口さんからみた「自費出版者系出版物」について。
 ちなみに、ここで書かれている「怒鳴り込み事件」というのは、某出版社から出されていた本が、ジュンク堂のホームページで「自費出版者系出版物」に分類されていて迷惑している、というクレームがその出版社の社長を名乗る人物からつけられた、という「事件」です。ちなみに、その出版社は、ジュンク堂の担当者によると「自費出版物がメイン」で、このケースに関しては、「著者が出版社に『自分の本がそんなところに分類されるなんてけしからん』と抗議したため、出版社側も対応に苦慮して、書店にクレームをつけたのではないか、と田口さんは仰っておられます。
 しかし、あの『リアル鬼ごっこ』のような稀有な例はあるにせよ(いや、あの本があんなに売れたというのは、それはそれで凄いことだとも思うのですが)、この文章を読んでみると、「そりゃあ、自費出版本は売れないよなあ」と考えざるをえません。知らない作者が書いた文章をそのまま適当に編集して並べた本と、プロの作家と編集者が生計を立てるために作り上げた本とでは、「競争力」が違いすぎますよね。しかも、自費出版本は、むしろ割高な場合が多いですし。
 ここで挙げられている、田口さんの友人のお母さんの話にしても、「すばらしい作品だからハードカバーに」すると追加料金、書店で売るようにすると追加料金、販促をすると追加料金……と、なんだかものすごいシステムです。まるで、ぼったくりバーみたい。それでいて、個人名などの「問題になりそうな部分」だけはちゃんと証拠隠滅しておくという親切さ。いや、正直なところ、自費出版系出版社は、「出した本は、注文主からのクレームさえつかなければ、なるべく売れないほうがいい」と考えているのではないかと思えてきます。
 多くの「非自費出版社系」では、「本が書店に並んでからが勝負」なのですが、「自費出版社系」では、「本が完成して、注文主からお金を貰った時点で、もうほとんど仕事は終わっている」のですよね。そして、もし僕が自費出版系出版社の経営者だったら、そういう「競争力に乏しい本を頑張って売る」よりも、「注文主からなるべく多くのお金を引き出したり、なるべく手を抜いて出版するまでのコストを下げる」ほうを選ぶと思います。どう考えても、そっちのほうが「確実で効率的」だから。
 もちろん、「本にする」ということ自体に価値を見出せる顧客も少なくないし、「自分の本が書店に並ぶ」ということそのものが大きな喜びであるとうのは、「本好き」「書店フリーク」の僕にはよくわかります。でも、こういうのって「結婚式のアルバム」と同じようなものだと考えておいたほうがいいのかもしれませんね。自分にとっては大切でも、他人にとっては、重くてかさばるだけの障害物。
 実際には、こういう「自費出版系出版社」に対して、大手書店などが「相談会」などで協力(実際は書店のスペースを「間貸し」しているだけなのですが、それでも「あの○○書店で開催されるのなら安心なのでは…」というようなブランドイメージの付加には役立っているはず)しているのも事実ですし、「それでも自分の本を『出版』したい!」という人にとっては、けっしてマイナス面だけではないんですけどね。どうせ当たらないからといって宝くじすら買えないような世の中と、当たらなくても宝くじで夢を買える世の中とでは、後者のほうがいいような気もしますし。
 問題は、「自費出版」って宝くじとしては高すぎるのと、買う側も思い入れが強くなりすぎて、それが宝くじでしかないことを忘れてしまうこと、なのかもしれませんね……