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2006年11月04日(土)
「月は凄い悪、Lも若干悪、総一郎だけ正義…」

『DEATH NOTE』13巻(原作・大場つぐみ、漫画・小畑健:集英社)より。

(「大場つぐみ先生ロングインタビュー」の一部です。『DEATH NOTE』の「テーマ」について)

【インタビュアー:『DEATH NOTE』を通して表現したかったテーマはありますか?

大場つぐみ:特にありません。強いてテーマをつけるのであれば”人間はいつか必ず死ぬし、死んだら生き返らない”だから生きている間は頑張りましょう…と。その一方で月(ライト)の行いが正義か悪かなど、そういった善悪論はあまり重要だとは思っていません。個人的には、”月は凄い悪””Lも若干悪””総一郎だけ正義”…くらいの感覚でとらえています。

インタビュアー:つまり、『DEATH NOTE』に善悪論やイデオロギー的な意図はない?

大場:全く考えていません。ニアが終盤に語る”正義とは個々が自分で考えればいい”というのが私個人の考えに近いと思います。確かに善悪論は話題として盛り上がるのはわかりますが、どうしても思想的なものに行き着いてしまうので、少なくとも『DEATH NOTE』では描かないと、初期から決めていました。危険だし、漫画として面白いとも思えませんでしたから。

インタビュアー:あくまでもトリックや心理戦を楽しむ作品ということですね。

大場:だからジャンプで連載ができて、本当に良かったと思います。少年誌だから、自然と思想的な部分の歯止めが利いて、純粋にエンターテインメントに向かう事ができましたから。もし青年誌で連載していたら、善悪論の方が人気が出て、そちらに物語が傾いちゃったかもしれませんしね。】

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 昨日から映画の「後編」も公開されている、大ヒット作品『DEATH NOTE』。ちなみに、この本に載っている大場さんと小畑さんの対談によると、【「大人気」という表現はこの作品の世界観に合わないと担当編集者が判断しており、連載中は「大人気」という単語が使われたことは無かった】そうなのですが。
 先日、ある女性アーティストの「日記」を読んでいたら、「キラがんばれ」という記述があって、僕はちょっと驚いてしまいました。いや、僕も正直「キラ派」なのですけど、やっぱりキラって「人殺し」じゃないですか。でも、僕みたいな偏狭な人間じゃない若い女性にも「キラがんばれ!」って言いたくなるような気持ちがあるんだな、と。

 『DEATH NOTE』という作品を読むと、やはり、「キラは正しいのか?」ということをみんな考えざるをえないと思うのです。いや、個々のケースに関しては、FBIの捜査官を排除したりしていますし、問題も多いのはわかるのですが、全体として、「キラがいる世界」と「キラがいない世界」のどちらが「良い世界」なのでしょうか? 今の世界に生きている「普通の人間」である僕は、「キラがいたほうがいいんじゃないか?」と、つい考えてしまうんですよね。少なくとも「キラのおかげで」凶悪犯罪は減るだろうし。
 そしておそらく、キラが「絶対悪」であれば、『DEATH NOTE』は、こんなにヒットしなかったと思うのです。

 しかしながら、作者の大場さんは、このインタビューのなかで、『DEATH NOTE』は、エンターテインメントなのだ、と強調されていますし、それは、まぎれもない事実なのでしょう。そして、「あくまでもトリックや心理戦を楽しむ作品」として描いたがために、かえってそこに余計な「色」がつけられておらず、読者にはさまざまな思想的な解釈とか「思い入れ」が反映しやすい作品になったのです。逆に、最初から「説教じみた作品」であれば、拒絶反応を起こした人のほうが多かったのではないでしょうか。

 僕がこの大場さんの話のなかで最も印象に残ったのは、【個人的には、”月は凄い悪””Lも若干悪””総一郎だけ正義”…】の部分でした。そう言われてみれば、月はもちろんのこと、Lもけっこういろんな人を犠牲にして自分の目的を果たそうとしている人間なのですから、けっして「絶対的な善」ではないのです。そして、この物語のなかで、「正義」である夜神総一郎は、なんと無力であることか!

 結局、世界を動かしているのは、「悪」の力なのかもしれません。いやそもそも「正義」とか「悪」なんて考えることがナンセンスで、そこにあるのは「立場の違い」「価値観の違い」だけで、「勝者こそが正義」なのか?

 「どんなに頑張って生きても、夜神総一郎どまり(というか、この人もかなり優秀な人物のはずなんだけど)」とか考えると、「生きている間頑張る意味」についても、ちょっと悩んでしまいますけどね……