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2006年11月06日(月)
安野モヨコさんの「マンガを描くという『仕事』」

「CONTINUE Vol.30」(太田出版)の「特集・永久保存版50ページ!!働きマン」の「安野モヨコロングインタビュー」より。

(「働きマン」の作者・安野モヨコさんの盟友の女性編集者ふたり(『なかよし』編集部の鎌形圭代さんと『VOCE』編集部の寺田純子さん)を交えてのロングインタビューの一部です)

【インタビュアー:安野先生に「働く」ということを聞いてみたいんですけど、安野先生はマンガを描くことを「仕事」として認識したのはいつ頃からですか?

安野モヨコ:「仕事」として考えたのは、遅いほうだと思います。私は17歳でデビューしたんですけど(編集部注:『別冊フレンドDXジュリエット』に掲載された『まったくイカしたやつらだぜ!)、私が「マンガ」を「仕事」と考えたのは23歳ぐらいですね。

インタビュアー:「仕事」と捉える前の「マンガ」は、どんな風に捉えていたんですか?

安野:編集者からアドバイスを言われても、全然耳をかさなかったんですよ。「ふざけんな、バーカ」って思ってた。「プロ意識」がまったくなかったんですよ。編集者が読者のことを考えてアドバイスしてくれているのに、私自身の狭い視野で「ふざけんな」って思っている時点で、何もわかっていないわけです。私ってそうなんですよ。ダメ出しをする大人に対して、反抗するような子だったから。マンガを描かなかったら、もう本当に野垂れ死んでいたと思う。

インタビュアー:23歳のときに、何があったんですか?

安野:指導してくれる編集さんに対して、反抗的な態度を取り続けた結果「お前はいらん」と言われたんですよ。連載も打ち切りだし、専属契約で他の仕事もできないし。他の仕事といっても依頼ももちろんないし。『別冊フレンド』から本誌にも行けなかった自分がフリーになったとしても、活動できるわけがないし。「頑張らないといけないな」って思いと「いらない」と言われた思いが、ぐるぐると逡巡して。それまでになく、真剣に「マンガ」について考えたんですよ。

寺田純子:23歳で気づいたのは、早かったんじゃないの?

安野:いや、早くないよ。23歳ってヤバイ。マンガ家にとっては、若いということが大きな財産だから。若いと可能性に期待してくれるじゃないですか? でも、可能性がまったく開花しないまま23になると、だんだん誰も期待しなくなってくるし、自分の周りを見てみても23、24でだらだら描いてる人ってダメなんですよ。いまはマンガ家の年齢層が上がりつつあるから、そんなことないけど。当時は23歳くらいになると、商品価値は限りなくゼロになるんです。いや、マイナスと言ってもいいくらい。そのときに焦ったっていうのがありますね。

寺田:マンガ家って18、19でデビューする人も多い、ある意味、特殊な世界ですからねえ。

インタビュアー:別の仕事を探してみようとは思わなかったんですか?

安野:23歳ぐらいって微妙で。バイトとキャバ嬢とマンガ家のアシスタントしか当時の自分に選択肢がなかったの。キャバ嬢っていったって24歳にもなるとヤバイ。私は、大学も出てなければ、勉強もできないし、他の仕事は一切あり得なかったんですよ。最近、ニートが注目されているけど、私はその人たちを馬鹿にできない。自分もまったく同じだったから。水商売をバイトでやっていたときも、「本当は自分はここで仕事したいわけじゃない」なんて態度で仕事していたし。水商売って、やっぱり才能がある人がいて、その人が当たり前にやっていることが全然できなかったりするんですよ。

寺田:でも、モヨたんに「なんで絵が描けるんですか?」って聞いたら、「絵なんて誰でも描けるよ」って言うじゃないですか! やっぱり、そこは才能があったってことですよね。

安野:いやいや。それはそんなことないんだって。私の絵なんて、「読者に受ける絵を描かなきゃ!」って一所懸命ごちゃごちゃやってるだけだから。本当の才能とは違うのよ……。

鎌形:「受ける絵を描かなきゃ!」って気持ちになるほうが難しいじゃないですか。

寺田:本当ですよ。そこがマンガ家として、すごくプロフェッショナルなところのひとつだと思うんですよ。

安野:うーん……マンガ家になってなければ、本当にダメ人間だったと思うから。たまたま、自分がマンガという道を見つけたから、それだけは頑張んなきゃしょうがないじゃん。】

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 『週刊モーニング』で連載中の大人気マンガ『働きマン』の作者・安野モヨコさん。ちなみに、『働きマン』の主人公・松方弘子について、安野さん自身は、「私とはまったくの別人で、自分だったらそうは言わないけれど、松方だったらこういう風に言うだろう、ってやっているだけ」なのだそうです。もっとも、そういうふうに「松方だったら…」と想像できるというのは、安野さんの中に「松方的なもの」があるのだということでもあるのでしょう。
 僕などからみれば、安野さんは「才能のカタマリ」みたいに思えるのですが、御本人は「本当の才能とは違う」と仰っておられます。おそらく、「自分が描きたいものを描きたいように描いて、それで世間に受け入れられるのが真の『才能』なのだ」と安野さんは考えておられるのだと思います。そういう意味では、「読者に受ける」ということにこだわってしまう安野さんのなかには、ほんの少し「アーティストとしての後ろめたさ」みたいなものがあるのかもしれません。まあ、実際にはそういう「受け入れられるための努力」が、人気マンガ家、安野モヨコを支えているようにも思えるのですが。

 しかしながら、安野さんの「マンガ家人生」というのも、けっして平坦なものではなくて、23歳の頃には、大きな挫折もあったみたいです。マンガ家というのは、次から次へと若い新人が出てくる世界ですから、「態度が悪くて、編集者の言うことを聞かず、作品も売れない」という23歳は、もう「崖っぷち」になってしまうのです。おまけに「専属契約」なんて足枷もあって、ヘタすれば飼い殺し。この部分を読んでいて、たぶん、当時の安野さんと同じような境遇にあって、「好きでマンガを描いているのだから」という意識に縛られて自分を曲げることができず、そのまま消えていったマンガ家というのがたくさんいたのだろうなあ、と僕は想像してしまいます。いや、考えてみれば編集者というのは「売れるマンガ」や「読者の好み」のことを若いマンガ家よりもよく知っているはずなのだし、鵜呑みにはしないまでも「アドバイスを真剣に受け入れようとする」ほうがメリットが大きいはずなのです。でも、実際のマンガ家たちは、それを「妥協」だと考えてしまいがち。逆に、なかなか売れなかったりすると、かえって意固地になってしまったりもするのだろうなあ、という気もしますし。

 結局は、安野さん自身の「自分はマンガを描いて生きていくしかないんだ」という「覚悟」こそが、今の成功をもたらしているのでしょう。僕も読んでいて、その悲壮さに胸を打たれてしまいました。
 でも、わかっているつもりでも「甘さ」を克服するっていうのは、本当に難しいことなんですよね。ついつい、「まあ、この仕事じゃなくても、なんとか食っていけるだろう」とか考えてしまいがちだし。
 安野さんでさえ、本当に「崖っぷち」に追い込まれ、その崖下を目の当たりにするまで、気がつかなかったのだものなあ……