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2006年09月12日(火) ■ |
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「文学新人賞」に応募する人々 |
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「文学賞メッタ斬り!リターンズ」(大森望・豊崎由美共著・PARCO出版)
(大森望さん、豊崎由美さんの「メッタ斬り」コンビと島田雅彦さんの公開トークショー「文学賞に異変!?」の一部です。大森・豊崎両氏の文学賞の「下読み」についての話から)
【島田:1回に何本読むの?
豊崎:賞によって違いますけど、たとえば、わたしも前にやったことのある乱歩賞だと80本くらいは読むことになりますか? 一次選考で。
大森:そうですね。しかも、今のエンターテインメントの賞はほとんどが長編賞なんで、400枚とか500枚とかのを何十本も読むことになる。文芸誌の公募新人賞で1000とか2000とか応募が来るのは、大体100枚くらいの中短編ですよね。それとは全然違って、下読みはエンターテインメントのほうが大変なんです。まあ、全部読むかっていうと……。
豊崎:ざっと目を通せばわかるものも結構あるから。ただ、乱歩賞はちょっとわけが違って、わりあい本気度とレベルが高い人が応募してくるので、一目でわかる屑が少ないんですよ。小説現代新人賞の下読みを1回だけやったんですけど、こっちはすごかった。短編の賞なんで、読むこと自体はラクだったんですけど、もう二度とやりたくありません、すごく消耗するんで。なんで大森さんがあんなにたくさんの賞の下読みができるのか、わけがわからない。やっぱり心がないからだと思う(笑)。
大森:楽しいですよ、世の中にはいろんな人がいるなあって。実際、応募作を見てると、もう希望格差社会の縮図ですよ。東大出て現在はアルバイトの45歳とか、人生もいろいろ。最近で一番多いのは団塊の世代の男性。
島田;なるほど。今後もっと増えるんじゃない? だって、定年になるの、今年あたりからだもんね。
大森:そうですね。それと、筆歴に自分がいままでに出版した著書のタイトルを挙げる人の数がものすごく増えてる。新人賞応募者2000人のうち100人ぐらいはそうじゃないかな。版元はたいがい碧天舎とか文芸社とか新風舎とか。共同出版、協力出版ってやつです。要は自費出版ですけど、出版社がお金を出して書店の棚を買って、そこに自社刊行物を並べる、そういう商売が大流行してる。小説を出版したいという意欲はものすごく高いですね。これをなんとか有効活用する方法があれば。
豊崎:そういう人たちを一箇所に集めて、どこか収容所みたいなところに入れて、そのむやみやたらな表現欲というエネルギーを何かに有効利用できれば……。
島田:なんでそっち行くのよ。
大森:そういう人たちは50万、100万出して小説を本にしてるわけ。でも新人賞に応募するのはタダだから、なんでもかんでもどんどん送る。
豊崎:読む人の気持ちも知らないでね。
大森:歴史の長いミステリの賞だと、プロ作家の応募がやたらに多かったりするんですが、新設の派手な新人賞は、ほんとにずぶの素人の応募が多くて、何も知らないから電話でいちいち質問する。聞いた話だと、一番多かった質問は、「これもし当たったら、印税がもらえるんでしょうか」。
島田:宝くじじゃないんだから(笑)。
大森:当たるか外れるか。懸賞に応募する感覚の人が多い。
豊崎:でも2千何百本もあったら、そんなところもちょっとはありますよね、当たり外れみたいな。
島田:でもまあ、大した数じゃないんだよ。ちょっと前、一番就職難の頃の出版社の新卒採用の競争率がやっぱり2千倍くらいですよ。文藝春秋とか新潮社あたりね、そこに編集者として採用される確率が2千分の1だとすると、同じようなもんだよね。でも出版社には福利厚生あるけど、新人賞はないでしょ。だから福利厚生のある出版社のほうが勝ち組なんじゃないのって(笑)。確かに日本人が抱え込んだ未来に向けての諸問題、環境問題や政治の問題もさることながら、やっぱりメンタルな問題で。定年退職した人たちが、膨大な暇を持て余すという現実はあるわけだ。老後の蓄えっていうのは、ほんとは定年退職したらもう遣えばいいんだけど、実際はどうしようかと迷う人生が20年くらい続く。その中で一番ローコストな投資として、小説を書く。原稿百枚くらい暇にあかせて書いていく。どうせ行くところもないんだから、図書館にでも行けばいいわけです。そればかりだと心が病気になるかもしれないから、町の区民会館とかのプールで泳ぐでしょ、で、健康になるでしょ、そうやって日が過ぎていくわけです。そうこうするうちに、やっぱり1年に付きニ、三百枚の原稿は書けるよね。しかも定年を迎えるまでには経験も積んでいるだろう、辛酸も舐めただろう、病気もしただろう。辛酸を舐めて病気したら、普通の純文学は書ける、書く資格はある。
大森:ほんと病気の話多いですね(笑)。あと海外生活の話。やっぱり、ちょっと普通と違う経験をすると、これは小説になるなと思うんでしょうかね。
豊崎:人が死ぬ話は?
大森:それはあんまりない。年寄りの人が書くのは、むしろ若いとき、子どものときの話ですね。団塊の世代なら中学校時代の話。70代になると、学童疎開の思い出話がすごく多い。
豊崎:疎開(笑)。実際問題、歳取るとつい一昨日何食べたかは覚えてなくても、子ども時代のことはありありと思い出せるっていいますしね。】
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「活字離れ」が叫ばれて久しい昨今なのですが、「読者」はあまり増えていないにもかかわらず、「小説を書く人、書きたい人」というのは増え続けているのは間違いないようです。確かに「自費出版」とか「共同出版」って、最近よく耳にしますしね。 でもまあ、「読む側」からすれば、書いているのが身内とか知り合い、あるいはどこかでよっぽど話題になっている本でもないかぎり、この手の「共同出版本」を積極的に読もうとすることは少ないのではないでしょうか。僕は、そういう本が並んでいるコーナーは、基本的に通り抜けるだけという感じです。わざわざ(というのは失礼なのでしょうけど)そんな本にまで手を出さなくても、世の中には僕がまだ「死ぬまでに読んでおきたい本」がたくさんありますから。もちろん、出版する人は「これをキッカケに大ベストセラーになるかも……」なんて淡い期待を抱いているのでしょうけど、結局のところ、そんなに甘い世界ではないのです。まあ、その「期待」が買えるのなら、50万とか100万というのは、そんなに高くはない投資なのかもしれませんけど。
確かに「小説を書く」というのは、老後の趣味としては、ギャンブルや骨董よりはリスクが少なく、コストもかからない「優等生」であるのも間違いありません。身内の恥をさらしまくるような私小説をベストセラーするような筆力でもないかぎり、大きなプラスを得ることはなくても、大損害を受けることもなさそうだし。極端な話、今ならパソコン1台とプリンターがあれば「執筆」することそのものは、誰にだってできますしね。資料集めも、インターネットに繋がれば、かなりのものが(信憑性には問題があるものも含まれるにせよ)、無償で手に入ります。結局はみんな同じような話を書いて、「下読み」の人たちを嘆かせているというのが「現実」なのだとしても。
ここで島田さんが仰っておられる「編集者には福利厚生があるけれど、新人賞(受賞者)にはない」というのは、ひとつの現実ではあるのですよね。編集者というのは、「わがままな作家に振り回されるかわいそうな職業」というイメージを持たれがちなのですけど、実際のところは、編集者ほどの収入を得ている作家(あるいはその志望者)というのは、ほとんどいません。老後の趣味としてならともかく、若者の「就職先」としては「ハイリスク、ローリターン」なのですよね基本的に。しかも、新人賞を獲ったところで、その後の作品が書けるとも売れるともかぎらない。「小説を書きたい人」がどんなに増えても、「小説を書いて食べていく」というのは、全然「簡単」にはなっていないのです。
ところで、これを読んで、僕も自分の子ども時代のことをどのくらい思い出せるか試してみたのですが、ほとんど断片的なことしか浮かんできませんでした。僕の記憶力が悪いのか、それとも、もっと歳を重ねてくると、かえって小さな頃のことを思い出せるようになるのでしょうか。
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