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2006年09月11日(月) ■ |
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『劇団、本谷有希子』の「自意識過剰」と「計算」 |
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「papyrus(パピルス)2006.2,Vol.4」(幻冬舎)の「終わりなき旅」第4回・本谷有希子さんへのインタビューの一部です(文・河合香織)
【高校を卒業後は女優を目指して上京し、演劇の専門学校で松尾スズキのゼミに入った。大学へ行こうかとも考えたが、勉強をしたくなかった。自意識のピークはことときだった。
本谷有希子「周りは役者志望ばかりで、いかに自分がこいつらと違うかっていうことを日々考えていました。アピールして、失敗していた。あははは。実は違わないですから。違わないのに。違うフリみたいな小ざかしい真似をして」
本谷の作戦は、まずはしゃべらないクールなキャラを演出することだった。学校の飲み会に参加しても、『大勢は苦手なの』と言って、外でひとりで風に当たる。もちろん、他人から見える場所で、だ。さらに、不幸な陰を演出し、両親のことを聞かれると、『ちょっと』を目を背け、親が亡くなったような印象を持たせるようにした。実際は、両親とも健在だ。
本谷「壮絶な人生を歩んできたに違いないみたいに思われたかった。バカですね。だから、学校の同級生が今の私を見たらすんごいびっくりするはずです。あ、本谷さん笑うんだって。当時は、頭のいい人は笑わないとおもってたんですね。『エヴァンゲリオン』の綾波レイみたいな感じで。アニメをちゃんと見たこともないのに髪形とかも意識していた」
卒業後何もすることがなく、バイトだけの時期が一年続いた。女優には見切りをつけたが、何をしていいかわからなかった。それでも何かをしなくてはと思い、2ヶ月かけて戯曲を書いた。周りの人に見せたらおもしろい、やろうとなって、その戯曲を公園するために劇団を立ち上げた。1回きりのつもりだった。 それから6年、今でもひとりの劇団というのはどうしてだろうか。
本谷「劇団の濃い感じが面倒くさいなって。劇団のあのどろどろした感じ、こいつとこいつとができちゃったとか、妊娠しちゃったよとか、主宰と寝たらセリフが増えるとか、そういう蜜なコミュニケーションが苦手で。現代っ子なんで」
文芸誌編集長に勧められて書いた小説が、3年前に雑誌に掲載された。アルバイトをしないでも暮らしていけるようになったのはその頃からだ。今はネンに2回の公演、2本の小説を発表する。 劇団に自らの名前をつけたのは計算だ。
本谷「20歳で、劇団主宰で、女性で、という人はいなかったから、ウリになると思い、一目で女とわかる劇団名にした。あと、集団に名前をつけることが恥ずかしかったこともある。中学のときにバスケットのグループを作ったんですが、ヤンキーの子が『ローズパープル』って名前をつかた。うちらのどこが『パープル』で『ローズ』なのかって。それを意識しすぎて、絶対普遍的なものにしようと思って、自分の名前にしたんです」
だからこそ、本谷有希子は本名だ。しかし、名前が知られてくると困ることもあるという。
本谷「歯医者で名前を呼ばれるときも、『もとやゆ〜』と呼ばれると慌てて『は〜い』と答えたりしています。すごい自意識過剰なんですけど。んないないよ、うちの近所の歯医者に私を知っている人なんて、ってわかってるんですけどね。電車に乗っても見られている気がして、私だってわかって見てるのか、景色を見てるのかわからなくて、その人が降りるまで悶々としている」】
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「劇団、本谷有希子」主宰、『生きてるだけで、愛。』で芥川賞候補にもなられた本谷有希子さんが、自分のこれまでの半生を振り返って(といっても、本谷さんはまだ27歳なんですけど)。 ちなみに、本谷さんの言葉にもあるように、「劇団、本谷有希子」の構成員は本谷さんひとりだけで、「演劇界のどろどろした人間関係を嫌って」役者やスタッフは新しい公演のたびに集めてくるのだそうです。確かに「マンネリ化」や「ずっと一緒にやっていくことによる人間関係のしがらみ」は少なくなるかもしれませんが、実際には、その方式だといろいろと面倒になることも多そうではあります。既知のメンバーであれば端折れるような「お約束」でも、みんなに一から説明しなければならないのだから。 このインタビューを読んでいて思ったのは、本谷さんというのは、本当に「自意識過剰な人」なのだなあ、ということでした。でも、ここに書かれているような「聞いてあきれてしまうような過剰な自己演出」のひとつやふたつは、誰だって記憶にあるような気もするのです。もちろん、僕も「違うフリみたいな小ざかしい真似」をしたり、「頭がいいと思われるために笑わない」ようにしたりしていたこともありました。さすがに、綾波レイの髪型を意識したりはしませんでしたが。 ただ、そういう「過剰な自己演出の時代」を忘れてしまうこともなく、それに自ら溺れることもなく、微妙な距離感を持ち続けられていることが、小説家・演出家としての本谷さんの魅力なのかもしれません。普通は、そういうのって「なかったこと」にしてしまいたいものだから。 この本谷さんのインタビューを読んでいて思い出したは、あの寺山修司のことでした。彼もまた、自分の「家族」や「生い立ち」を演出し続けた人だったのです。 時代の違いもありますから、本谷さんと寺山さんを比較するということそのものがナンセンスなのかもしれませんけど。
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