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2006年08月17日(木)
NGフィルムが語る、チャップリンの「ヒューマニズム」

「知るを楽しむ〜私のこだわり人物伝」2006年6月の「チャップリン〜なぜ世界中が笑えるのか」(大野裕之著・日本放送出版協会)より。

(完璧主義者であったチャップリンは、NGフィルムをすべて焼却していたそうなのです。しかしながら、1980年代に焼却を免れた400巻ものNGフィルムが発見され、それにすべて目を通した著者・大野さんの感想の一部です)

【こうしてあしかけ二年かけて全てのテイクを整理・分析したのですが、チャップリンの聞きしに勝る完璧主義者ぶりには、驚愕を通り越して見ているこちらが疲れ果ててしまうほどでした。同じシーンを何十回と撮り直す。どれだけ面白いギャグでも、ストーリーにとって少しでも無駄な演技ならばカットする。その結果、当初は2分間ほどあったシーンも最終的にはわずか10秒ほどになってしまうのです。
 NGフィルムを見ると、実は『質屋』の翌年に作られた『チャップリンの霊泉』(1917年)では、最初の方のテイクにユダヤ人差別のギャグがたくさん出てきます。しかし、何度も撮り直しているうちに、そのようなギャグは消えて、誰もが心から笑うことの出来るギャグに変わっていきます。
 実は、『自伝』には、中途半端に人種問題を扱ったがために、失敗してしまった苦い思い出が書かれています。チャップリンが18歳のときのこと。この公演で認められれば、主役級のコメディアンとして認められる大切な舞台。ところが、チャップリンは、そこがユダヤ人地区だったにもかかわらず反ユダヤ的なギャグを含む出し物をしてしまい、公演は見事に失敗してしまうのです。
 チャップリンは『霊泉』を何度も撮り直していくうちに、「この映画をもしユダヤ人が見たら笑ってくれるだろうか」と考えたに違いありません。
 他にも、『チャップリンの冒険』(1917年)のNGフィルムには、性的にいやらしいギャグがたくさん撮影されていますが、これも最終的にはカットされています。
 差別的なギャグ、性的にいやらしいギャグは、安易な笑いは取れますが、不快に思う人も多く、ましてや世界中の人を笑わせることはできません。安易な笑いではなく、あくまでも万人が心から笑うことのできるギャグを求めて、チャップリンは苦闘した……ここに「なぜチャップリンは時代や国境を超えて人を笑わせることが出来るのか」という謎をとく一つの鍵があります。

(中略)

 よくチャップリンは笑いとヒューマニズムの映画人だと言われます。中には「純粋な」笑いだけじゃなくて、涙やヒューマニズムなどの「不純な」要素があるから嫌いだという人もいます。
 しかし、そんな方にこそ、チャップリンのNGフィルムをすべて見た私から一言いわせていただきたい。彼のヒューマニズムというのは、頭でっかちなものではなく、純粋な笑いを求めて苦闘した結果、体得した力強いものなのです。生っちょろいヒューマニズムなら、時代や国境を超えて笑わせることは出来ないでしょう。笑いとは厳しいものだということをNGフィルムは教えてくれます。】

〜〜〜〜〜〜〜

 何作品かは観たことがあるのですが、僕も「チャップリンの作品」というものに対して、「お涙頂戴」的な印象を持っていて、正直、ちょっと苦手ではあったのです。サイレントの作品が大部分であることもあり、やっぱり「古い」ように思えますし。
 でも、この「チャップリンのNGフィルム」を観ての大野さんの感想を読んで、なんだかチャップリンの作品が長い間世界中で愛されている理由が、少しわかったような気がしました。
 大野さんのNGフィルムの「検証」によると、チャップリンが「ヒューマニズム」に辿り着いたのは、もちろん、彼自身の人柄とか人生観による面も大きいのでしょうが、結局のところ「より多くの人を笑わせるには、どうすればいいのか?」という試行錯誤の末だった、ということのようです。
 完璧主義者であったチャップリンは、差別的なものは下品なものも含めて数多くのギャグをフィルムに撮り、それを何度も撮り直し、そして、「誰かに不快感を与えてしまう可能性があるギャグ」を排除していったのでしょう。そして、結果的に「最も多くの人に受け入れられる」と判断されたものが、「ヒューマニズム」だということだったのです。そういう意味では、チャップリンは、「作品をヒットさせるために『ヒューマニズム』を取り入れた」のですから、ものすごく「計算高い」とも言えるのかもしれません。少なくとも、チャップリンという人は、「安っぽいヒューマニスト」ではなかったということはよくわかります。むしろ、純粋に「世界中の最も多くの人に伝わる笑い」を求めるという目的に沿った「ヒューマニズム」だったのでしょう。
 大野さんは、「世界中で愛されるチャップリンの魅力」について、このように書かれています。

【日本と同じように世界中でチャップリン映画の翻案がなされています。香港には香港のチャップリンがいて、インドにはインドのチャップリンがいます。しかし、例えば香港のチャップリンは私たちから見ればカンフーにしか見えませんし、インドのチャップリンはよくあるロマンティックなインド映画にしか見えません。つまり、日本人がチャップリンの「情」を愛したように、香港人はチャーリーの類まれな「身体能力」を、インド人は「ロマンス」を強調して受容したわけです。
 もっと広く世界中に目を向けますと、チャップリンがフランス人の目をひいたのはその冷徹な社会批評でしたし、弱者が強者に立ち向かう点はオーストラリア人のお気に入りだそうです……チャーリーには異なった人々が異なった風に共感出来る様々な要素が折り畳まれているのです。】

 結局のところ、チャップリンというのは、「さまざまな魅力を併せ持った笑いの求道者」だったということなのかもしれません。だからこそ、さまざまな国の人に時代を超えて愛されてきたのでしょうね。